獅子の会珍道中第15回獅子の会旅行会顛末記(於 富山県砺波市) |
平成18年6月11日(日)発行
発行者:久米昇 |
---|---|
第15回獅子の会旅行会が、平成18年6月10、11日の両日、富山県砺波市「砺波ロイヤルホテル」において開催されました。今年はチュー、シイノが欠席、参加予定だったヤノもドタキャンで欠席と、参加者5名ということになりました。チューとヤノがふたり同時に欠席というのは初めてのことであり、お調子者ふたりの欠席により、いつもとちょっと違った雰囲気の旅行会となりました。 今年の獅子の会が砺波で行われることが決まって、これを機会に、私は長年の夢を実現することができました。それは、高岡市伏木町辺りを歩くことであります。万葉集の研究で名高い犬養孝先生の万葉集の講義が大好きで、10枚組のCDをそらんじるほど聞いてきた私にとって、越中における大伴家持の「かたかごの花」の歌にゆかりの伏木町を歩くことはひとつの夢でもあったのです。
とにかく皆と落ち合う前に、訪ねたいところはすべて歩いてしまおうと、朝5時前に出発、最初の目的地である雨晴海岸まで約3時間。雨晴海岸は万葉時代には澁渓と呼ばれ、日本海越しに立山連峰が眺められるという景勝地であるのですが、残念ながら、立山連峰は薄っすらと霞むほどにしか見えませんでした。
雨晴海岸から、越中国分寺跡、氣多神社を回って二上山万葉ラインをドライブ。大伴家持像の脇から二上山山頂に登りながらフナキに電話、11時に高岡駅前で落ち合う約束ができました。
二上山から下る途中に「平和の鐘」という大梵鐘があります。誰でも自由につける鐘としては日本最大級の梵鐘であります。私も、世界平和は祈りませんが、私個人の幸せを祈って、しっかり撞いてまいりました。 あまりにゆっくり見学しすぎたせいか、伏木駅付近にきたときはもう約束の11時まで15分しかないという時間。フナキに電話して少し遅れるかもしれないと連絡し、伏木駅前の無料駐車場に車を停め、越中国守館跡、勝興寺(越中国庁跡)を駆け足で見学します。当時は、越中国主館の付近まで射水川(現在の小矢部川)が流れていて、大伴家持はここで
の句を詠んだと言われております。 11時過ぎ、高岡駅でフナキと落ち合ってから、東京からの連中が到着するまでの時間を利用して土蔵造りの商家が並ぶ街並みへ。明治時代の大火の後、耐火構造で造られた重要文化財の「菅野家」を見学し豪華な仏壇にビックリ。あれは絶対にウン千万だな。 13時過ぎ、高岡駅にほくほく線のはくたかが到着。丹ちゃんと哲ちゃんがなかなか降りてきません。歩けなくなるほど酔っ払っているわけじゃないだろうなと心配していると、フナキの携帯が鳴る。乗り遅れたからまだ越後湯沢にいるという。どうせ冗談をいうなら、うっかりして高岡で降りるのを忘れたっていった方が真実味があるぞ!ようやく改札口に姿を現したふたり、意外にも素面でした。「今夜に賭けてるからな」 とっつぁんから連絡が入り、ようやく富山の手前まできたところで、直接ホテルに向かうとのことでありました。
今年も哲ちゃんの顔で大和ハウス系の砺波ロイヤルホテルでの開催になりました。哲ちゃん、いつもいつもありがとう。 7時からの宴会。「今夜に賭けてるからな」との言葉通り、ようやく丹ちゃんのペースが上がってきます。
延長もなくお嬢さんたちが引き上げていった後、カラオケボックスに場所を替えて、小父さんたちだけの色気もないカラオケ大会が始まりました。女っ気がなかったせいか、哲ちゃんは珍しく完全ダウンでした。
途中からとっつぁんの提案で石原裕次郎特集、裕次郎の歌だけ歌い続けました。 朝9時過ぎ、ホテル前で記念写真に納まった後、とっつぁんは帰路に、残り4人は八尾の街の観光に向かったのであります。
越中おわら風の盆で名高い八尾の街を観光。9月の1、2、3日の3日間だけが賑わうこの街。現在では人の姿もまばらな静かさ(寂れているといった方が正確か?)でした。
観光後、富山駅で解散となりました。東京へ帰る二人は、電車の乗り継ぎもよく、丹ちゃんは4時には帰宅できたとか。あまり早く帰宅してしまったため、仕事をするはめになってしまったそうです。 皆さん、お世話様でした。 |