獅子の会珍道中

第11回獅子の会旅行会顛末記(於 飛騨・下呂温泉)

平成14年6月17日(月)発行

発行者:久米昇

第11回獅子の会旅行会が、平成14年6月15、16日の両日、飛騨・下呂温泉「望川館」において開催されました。過去に幹事をすっぽかした前科のあるフナキも、今回はキッチリと幹事の大役を果たしたのであります。11回目を数えた獅子の会旅行会も、8名のメンバー全員が一堂に会したのは、平成2年の第1回、平成4年の第3回に次いで3度目のことであり、まことに喜ばしい限りでありました。

[閑話休題]
今回開催場所となった下呂温泉は、草津、有馬と並んで三名泉と呼ばれているそうであります。他にもっと有名な温泉がありそうなのに、何故下呂温泉が三名泉のひとつに数えられているのだろう。私、調べましたです。
そもそも下呂温泉の起源は古く、延喜年中(901〜923)とも天暦年中(947〜957)とも伝えられている。この年代は、矢野が「今から1000年前の西暦800年頃…」と口からでまかせを言って椎野を煙に巻いていた年代に近いようだ。バカの言うことは、時として真理を突くことがあるから恐ろしい。
入湯の記録は、室町時代の五山の禅僧・万里周九の延徳3年(1491年)が最古であると言われ、彼はその詩文「梅花無尽蔵」の中で、下呂温泉を草津有馬と並ぶ天下の三名泉と たたえた。
その後、元和7年(1621年)、林派の祖・林羅山は、摂津有馬温泉にて詩を作り、その註として「諸州多有温泉、其最著者、摂津之有馬、下野之草津、飛騨之湯島、是三処也」と記した。当時は下呂という呼称はなく「湯島」と称され、現在では「湯之島」という地名として残っている。
これによって広く名泉の誉れの源となり、今日に至っているということらしい。
下呂温泉の北側に「上呂」、もあれば「中呂」もある。それでは、上中下のある「呂」って何じゃいなということになる。これについても調べたよ〜ン。
奈良時代後期に、この地に宿駅として「下留(しもつとまり)」が置かれたと歴史に登場する。この「げる」が「げろ」に変化したものと解され、「呂」の字は「風呂」からきた変化と言われる。
ちなみに、上呂も中呂も温泉とは関係なく、有名な下呂に習ったものと解される。
以上、私のうんちくでした。

私は高山でフナキと待ち合わせるため、安房峠を越えて高山に向かいました。時間的に余裕を持って出発したので、安房トンネルではなく、旧安房峠越えで平湯温泉を通過し、高山に向かったのです。途中、円空仏で有名な丹生川町の千光寺にも立ち寄ってみました。

高山駅前でフナキと落ち合った後、駅前の蕎麦屋で昼食。
高山といえば、学生時代にチューと哲ちゃんと3人で能登半島一周旅行の帰途立ち寄ったところ。そんな知識もあったので、高山市内を観光しながらフナキにうんちくを垂れようとしたところ、「俺は高山に住んでたんだぜ…」。ああそうでした。失礼!失礼!
下呂温泉に向かい、まだチェックインには早すぎるだろうということで、飛騨川の景勝地、中山七里にも立ち寄ってみましたが、こんな景色の何処が景勝地なんでしょうか?

東京方面からの連中は、河口湖から中央道へ入ったとっつぁんと、途中のSAでドッキング。岡谷JCTから中津川ICへ南下してくるわけで、東京方面から下呂温泉まではかなりの遠回りになるわけです。
「女湯はもうのぞいたのか?」先着していた我々よりも約1時間遅れて到着したチュー、哲ちゃん、丹ちゃん、とっつぁんの4人、部屋に入るなりチューがフナキに訊いたのであります。このおっさん何言ってるんだ?何のことやら分からずにキョトンとする私とフナキ。我々が部屋に入るときには気がつかなかったのですが、われわれの部屋の隣が女湯への入口だったのです。チューじゃあるまいし、そんなとこ覗くかいな。興味はあるけれど…。

電車でやってきたシイノ、ヤノも到着し、久しぶりで8人全員が顔をそろえましたが、浴衣に着替えたところでまた一悶着。ヤノの醜い腹に、大ブーイング。平成8年、湯檜曽温泉で開催された第6回の時にも警告を受けていたヤノの醜い腹にイエローカードが出されたのです。これで累積2枚になり、来年の獅子の会には呼んでもらえなくなる可能性がでてきたのであります。

今年からカメラが、フィルムカメラからデジカメに替わりました。撮影枚数も極端に多くなって、その整理だけでも大変なわけでありますが、それに加えて、チューが撮る写真のアングルがきわどいものが多くなりました。掲載してもいいものかどうか、その判断にも迷うところであります。

 写真:記念写真

幹事の計らいで、2時間飲み放題ということでありましたが、酒量の落ちたこの頃では果たして元は取れたのでしょうか?
とにかく飲んだのは、伊勢志摩の民宿で開催した第2回目の時だ。6人で80本以上の徳利を空にした時のことを思えば、隔世の感があります。当時はまだ皆若かった。
二次会はカラオケで盛り上がります。

   写真:二次会

今年のコンパニオンは、多治見からきたという「ともの会」の「たえ子」ちゃんと「しほ」ちゃん。
娘(「ちほ」ちゃん)の名前と1字違いだと、ほとんど関係がないことを話のタネにして、とっつぁんは今年も絶好調でした。とっつぁん、去年も同じような写真がありましたよ。まア、スキンシップが好きですなア。

部屋に戻ると、まずフナキが早々と討ち死に、続いてシイノ、私、哲ちゃんと次々に倒れていきます。
チューはK女史の話題になった頃から興奮状態に入り、ある時点から記憶の糸が切れていたらしい。(おかげで朝4時から起き出すこともなく、他のメンバーの迷惑にはならなかったのが幸いでありました。)
それにしても、部屋で追加した10本のビールの1/3が翌朝に持ち越されるというていたらくだったのであります。

 写真:何ということもない写真ですが、何となくヤノはチューに怒られているような感じがします

翌日は、とっつぁんは仕事、シイノは電車の時間の都合で帰宅。残りの6人が合掌村を見学いたしました。白川郷から移築した合掌造りの家を見て回りました。
入場料800円は高いじゃないかと、文句を言いながらも、珍しい萱の葺き替えの様子も見られ、まあ納得の観光といったところだったでしょう。

  写真:合掌村にて

来年の幹事は事務局・丹ちゃんが再登場。当初、石和温泉辺りでどうかという案が上がっていましたが、哲ちゃんから、八ヶ岳に便宜を図ってもらえる宿があるということで、宿の手配は哲ちゃんにお願いすることになりました。
新鮮な高原の空気を吸って、8人の中年小父さんたち、少しでも健康を取り戻せることに期待しましょう。