獅子の会珍道中

第2回獅子の会旅行会顛末記(於 伊勢志摩・相差海岸)

平成3年4月21日(日)発行

発行者:久米昇

昨年、記念すべき第1回目を開催した獅子の会でしたが、早くも2年目の開催が危ぶまれることになりました。今年の幹事に決まっていたフナキの行方が知れなくなったのです。どうも、幹事を務めるのが面倒になって、転勤を理由に雲隠れを決め込んだようなのであります。事務局・丹ちゃんの必死の捜索にもかかわらず、フナキの行方は洋として知れません。
この件について私がヤノに電話したとき、ヤノは、「2年目なんだから、絶対にやらなくちゃダメだよ」って言っていたのですが、そうは言いながらも、それじゃあ俺が幹事をやるからとは言いませんでした。ヤノに幹事を任せようとも思いませんが、ヤノらしいと言えばヤノらしい言葉でありました。
この緊急事態に、事務局である丹ちゃんは、シイノにピンチヒッターを頼みました。四日市在住だったシイノは、地元に近い伊勢志摩を会場に選んだのですが、その直後に相模原への転勤が決まってしまい、改めて伊勢志摩まで出向かなければならない羽目に陥ったのであります。まったくドジな野郎だ!
とは言え、シイノの奔走により、第2回獅子の会旅行会は、平成3年4月13、14日の両日、伊勢志摩相差海岸「民宿旅館・世古」において開催できる運びとなったのであります。
今回は、幹事をすっぽかして雲隠れしたフナキと、仙台にいる哲ちゃんが欠席となり、都合6人の参加となりました。

[閑話休題]
伊勢志摩といえば、平成28年に日本で開催されるサミットの会場に決まりましたね。我々はもう四半世紀も前に伊勢志摩でサミットを開催していたのであります。
また、「民宿旅館・世古」は現在どうなっているのだろうかとインターネットで検索したところ、「花の小宿・重兵衛」という小洒落た宿に変貌しているようでありました。「世古」という名前は、会社名として存在しているようであります。当時は温泉という感覚はなかったのですが、どうも社宮司温泉という名称のようであります。確かなことは分かりませんが…。

私は例によりまして、出張のついでに前夜から丹ちゃん宅に転がり込んでおりまして、とっつぁんとは翌日新幹線の中で落ち合う約束ができました。さて山口にいるチューはどうやってくるのだろうかと、山口のチューの自宅に電話してみたところ、もう出かけましたとの奥さんの言葉でありました。こんなに早くからチューは何処に向かったのでしょうか?

開催当日はあいにくの雨となりました。
三島駅から乗り込んできたとっつぁんと合流、名古屋駅ではタイミングよくシイノと一緒になり、名古屋駅ビルで昼食を済ませてから賢島行きの近鉄特急に乗り換えました。賢島に着く頃には土砂降りの雨になっており、その雨の中を民宿迎えのマイクロバスに乗って相差海岸に向かいました。
宿に着いてみると、チューは既に到着しておりました。「昨日っから何処へ行ってたんだよ〜」という問いかけに対して、チューはいつもの思わせぶりな笑みを浮かべただけで何も語りませんでした。
遅れて着いたヤノを交えて宴会の開始です。
流石に漁師町の民宿旅館とありまして、食卓には海の幸がズラリと並びます。美味い美味いと言いながら、飲むわ食うわ。お銚子は10本単位で追加、追加、また追加。思い出話やら、他愛もない馬鹿話を肴に、お酒の量も急ピッチで進んでいきます。

 写真:宴会料理

時間も押してきて、最後は宿の女将に、「もうそろそろ…」とストップをかけられる有様でした。それでもまだ飲み足りないのか、未練たっぷりの丹ちゃんは、「じゃあ、すいませんがあと10本は部屋の方へ…」

部屋に戻ってからもまだ飲みます。
隣で、ヤノがひとり気持ちよさそうに寝ています。ただ寝ているだけなのですが、見ていると何となく腹が立ってきます。

 写真:何となく殴りたくなってくる

翌朝、我々の顔を見た女将、「よく飲みましたねエ」
支払いの明細を見ると、確かお酒80何本とか書いてありました。
雨も上がっておりましたので、宿の周りを散歩した後、玄関前で記念写真に納まり帰路についたのであります。

 写真:「民宿旅館世古」前にて

今回は雨降りのせいもあったのでしょうが、ただ飲んで食って騒いだだけで終わってしまいました。