獅子の会珍道中

第1回獅子の会旅行会顛末記(於 伊豆・稲取温泉)

平成2年3月25日(日)発行

発行者:久米昇

平成2年の正月のことでありました。私は例年の如く、年始のあいさつ回りの出張を利用して、丹ちゃん宅に転がり込んでおりました。思い出話を肴に飲み続けるうちに、丹ちゃんが、「ちょっと皆に電話してみようか」と言い出しました。この何気ない一言が、獅子の会を誕生させることになったのであります。卒業以来、それぞれの結婚式等で顔を合わせることはあっても、皆が一堂に会したことはなく、懐かしさに話が弾む中で異口同音に出る言葉は、「たまには皆で会って騒ぎたいね」ということであったのです。皆、40に手が届くかどうかという年齢に差し掛かり、自分自身の生活にも一応の落ち着きが出始めて、何となく昔を懐かしむ余裕のようなものを感じられるようになっていたのかもしれません。
このとき私は思ったのです。「俺は図々しくしょっちゅう皆のところに押しかけているのだから、こういう音頭を取るのは俺以外にないのではないか…」と。
私は早速行動を起こしました。各地に散らばっていたメンバーが比較的集まりやすい場所ということで、交通の便も考え合わせると熱海辺りが最適かと考えたのですが、熱海は高いという旅行業者のアドバイスを受けて、熱海から伊豆半島を南下した稲取温泉に決定いたしました。
こうして、記念すべき第1回目の集まりが、平成2年3月17、18日の両日、伊豆・稲取温泉「稲取観光ホテル」において開催の運びとなったのであります。

仙台から車で駆けつけてくるという哲ちゃん以外は、電車で稲取に向かうということで、熱海駅の新幹線改札口で待ち合わせということになりました。何年かぶりで顔を合わせたメンバーには、紅顔の美少年であった昔日の面影は消え失せ、特に頭と腹は見る影もなくなっていたのは、やむを得ぬ仕儀としか言うべき言葉も見つかりませんでした。
話が盛り上がっていくうちに待ち合わせの時間は既に過ぎ去り、ヤノだけが姿を現しません。ヤノの行動には慣れているとはいうものの、卒業以来17年も経った今でも、何故か学生時代のヤノの振る舞いに次第に腹立たしさを覚えてきて、あいつは置いていこうと衆議一決、誰ひとり反対する者もなく、駅前へと移動を始めました。ところが、改札口にポツンと立っているヤノを発見し、メンバーの怒りは更に増大したのであります。「オメエは何やってんだよ!」小田急線で着いたからここで待っていたと、メンバー全員の怒声を受けても何処吹く風と、相変わらずひとりトンチンカンな奴ではありました。
何はともあれ、哲ちゃんを除く7人が無事顔を揃え、熱海駅前の料理屋に腰を落ちつけて再開を祝したのであります。
いい気分になったところで、再び熱海駅からL特急「踊り子号」に乗り込み、宿泊先であります、稲取温泉に向かいました。車内では、他のお客さんの迷惑も省みず、学生時代の旅行そのものの野次喜多道中を繰り広げたことは言うまでもありません。

稲取観光ホテルにチェックインし、宴会が始まる時間になっても哲ちゃんが到着しません。やむを得ず哲ちゃん抜きでの宴会の開始となりました。記念すべき第1回の集まりということで、旅行業者を通じてコンパニオンを手配してあったのですが、このコンパニオンが酷かった。「何だ!オメエ等は、父ちゃんが漁に出ている留守のアルバイトか」コンパニオンというよりコノババにおん…というような婆アだったのであります。コノババにおんの登場に、流石のヤノも意気消沈だったのでありますが、途中から参入したコンパニオンのお姐さんがちょっと若かったものだから、すぐに復活を遂げたのであります。

 
ババア相手に意気消沈のヤノ(左) お姐ちゃん相手に満足そうなヤノ(右)

私、今までにこんな酷いコンパニオンにはお目にかかったことがありません。人間見た目だけで評価すべきではないと思うのではありますが、こういうコンパニオンが宴席にはべること自体許されないことだと思うのです。…と言うか、それはもはや犯罪と言うべきではないだろうか。これで銭を取るのだとすれば、これはもう詐欺に等しいではありませんか。これ以来、私は、幹事たるべき者、コンパニオンの面接くらいはやって当然だ…と、他人には強く要求するようにしているのです。

カラオケも出始めて宴たけなわとなった頃、宴会場の電話が鳴り、哲ちゃんの懐かしい声が聞こえてきました。渋滞に巻き込まれて、今ようやく伊東を通過中とのことでありました。二次会はどうしましょうとコノババにおんがうるさくせっつくのに、丹ちゃん、とっつぁんの怒りが爆発。「うるせえ!オメエ等けえれ」
そろそろ宴会もお開きになろうかという時間になって、ようやく哲ちゃんが到着しました。

 写真:ようやく哲ちゃん到着です

駆けつけ3杯、という間もなく、最後に♪青春時代♪を大合唱し、宴会はお開きとなりました。

 写真:♪青春時代♪の大合唱

こんなコンパニオンを引き連れて二次会へなんて行く気にもなりません。即、部屋に引き上げです。
部屋に戻ってからも話は尽きません。これからは毎年集まろう。会の名前も決めよう。
酒屋の親父に納まっていた丹ちゃんが、転勤の心配もなく、東京在住ということで事務局を引き受けてもらえることになり、幹事は毎年持ち回りということで、来年はフナキが務めることになりました。会の名称は、誰が言い出したのか、大学に入学した昭和44年の「44」をもじって「ししのかい・獅子の会」ということに決定したのであります。通常こういう場合は、卒業の年度を冠するものではないかとも思うのですが、ただひとり卒業年度の合わない奴の存在が、思いがけずグッドなネーミングを生み出すことになりました。

こうして、第1回の獅子の会旅行会は無事終了し、来年の再開を約して別れたのでありました。