以下の文章は、(財)日本野鳥の会軽井沢支部の会報である
「野鳥軽井沢」に、当ホームページの管理者である、鳥好きのきこりが
投稿し、2003年8月から不定期に連載されたものです。


********************************

 

 森からの声 1 (2003年8月)


  はじめに

 

 以前、「カラマツキットハウスのすすめ(2001年9月224号)」と題して、
東信地域の林業の現状と、鳥たちが暮らす環境の関係について
おはなしさせていただきました。

 今、また以下のようなお知らせをしようと考えた理由は、私たちの
生命に深い関わりを持つ林業の実情が、なかなか一般の方に伝わって
いないと感じたことと、林業が「多様な山づくり」というスローガンを
掲げながら、私たちの望む「生き物たちの暮らし易い山づくり」という
視点を欠いた方向を、なかなか修正できずにいると感じたためです。

 前回、説明の不足していた点や、具体的な数字を挙げて、軽井沢
支部のみなさんがフィールドとしている山で、今行われていることと、
その背景をご報告します。


  カラマツ林の歴史

 

 人工林にカラマツが植えられ収穫されるまでの期間は、一般的に
40年から50年でした(「…でした」と書いた理由は、また後述するとして)。
この40年のあいだに世間はあまりにもめまぐるしく変化してしまったので、
カラマツ林のことを語るには、どうしても歴史の説明が必要になります。
そして、この歴史の中で肝心なのは、カラマツが東信で生業として
計画的に植えられ始めてから、まだ100年程度しか経過していないと
いうことです。つまり、畑の作物に例えれば、カラマツという作物は、
収穫期を二めぐりしか迎えていない、ということになります。

 さらに、カラマツという作物の選択されたことが、高冷地の気候に
由来し、スギ・ヒノキという、古くから建築材ブランドとして認められて
いた木の生育には不向きな、国内の一部の地域にだけ植えられた
と言う事情が、この木を「扱いにくい」というイメージを伴った、特殊な
ものとしているのです。

 もしも日本全土がもう少し冷涼な場所であったなら、その利用技術は
古くから研究され、カラマツは最も一般的な木材となっていたかも
しれません。

 カラマツ林業の最初の50年間は、試行錯誤の時代だったようです。
この間に、東信地域では育林技術が確立されました。そして今、
私たちが目にしているその次の50年間に育てられた木の多くは、
驚くべきことに、それら確立された育林技術を、無視して育てられた
ものなのだそうです。


 戦後復興のため木材は切っても切っても不足し、それまで人手の
及ばなかった原生林にも飯場が造られるようになります。当時伐採師
だった人の思い出話からは、おとりを使い、コマドリを何羽も捕ったことや、
一晩に何頭もモモンガをしとめた猟師のことなど、今からは想像もつかない
ような生き物の豊富な山の様子を知ることができます。

 エネルギーを石炭に依存していた時期、炭鉱の坑木としてカラマツは
大量に消費されたそうです。また、パルプの原料でもあったカラマツに
求められたのは、「細くても良いから、とにかく早く利用できる」という条件
でした。細くても良いのですから、丸坊主となった山に植えられる木々は
密植となるわけです。その数は1haあたり3000本。10mの真四角の中に
30本ですから、約1.8m間隔に1本の木が立つ林が造られていったわけです。
昭和20年代後半から30年代前半、前述の生き物の豊かな山は、
急激にその多様性を失っていったことでしょう。

 一方、需要に追いつかない木材生産は海外に活路を求めることに
なります。そして、木材に代わる素材も開拓されていきました。
よく知られている国産木材の価格面での敗北に加え、労働力が
都市へ流出したことも、林業地の痛手となったようです。やがて使い道も
守り手も無くなった林は、間引きもされないまま放置されることになります。

 


 

 森からの声 2 (2003年9月)


  捻じ曲げられたイメージ

 

 「カラマツは暴れる(つまりくるいやすい)ので建築材料には向かない」
というのは、歴史を無視した乱暴な意見ではないかと感じます。かつて、
家の材料にはその土地に産する木が使われ、材料調達から建て終わる
までのすべてが、その特性を熟知した地元の棟梁の手に委ねられたそうです。
木のもつ「暴れ」は、家の強度を増すように利用され、東信地区でも
戦前に建てられた家々には、木材の「暴れ」が封じこめられているのです。

 それらは、トラックによる大量輸送という手段が無く、あらゆるものの
流れが地域完結型としかなり得なかった時代のことですから、選択の
余地の無い、言わばしかたない利用のかたちとでも呼ぶべきものかも
しれません。当時、収穫されていた木と、現在間伐されている木の特性の
違いを考慮する必要もあります。それでもなお、過去の木材消費の
仕組みを振り返り、学ばなければならない事情を、現代社会はかかえて
います。このことについては、後ほど紹介します。

 その土地で収穫されたものを、上手に使いこなす習慣が失われる
にしたがって、カラマツを利用する術を知る人も減っていったに
ちがいありません。やがて人々は、その術を失ったことについては
語ることなく、いつの間にか、カラマツがもともと利用できないもので
あるかのごとく語るようになってしまいました。くどいようですが、
手に入り易くなった外国産の木材に比べると暴れが激しく、また、
堅いために釘が入りにくいので扱いが難しい、と言うことだけが、
カラマツの持つ、つまり相対的な短所なのです。


  見直される林業の本質

 

 森林、特に天然林が地球規模で急激に失われていることと、
そのことへの対策が国際的に叫ばれていることは、野鳥に関心を
持つ方の多くがご存知のことと思います。持続的な利用を前提に
伐採されている木材の差別化を目的に、1993年にFSC(森林管理協議会)
と言う国際的な森林認証制度が誕生し、日本で最初にその認証を
受けた三重県の林業経営者の方から、最近確信に満ちた重要な
言葉を聴くことができました。曰く「林業の本質は土づくりだ」。

 林業が、これまでの木材を生産して食っていく生業として
成立しなくなってから、もう20年以上が経過しています。であるにも
関わらず、この国の森の扱いに関する法律は、1951年、GHQの
介入による森林法の改正以来50年ぶり。あるいは、1964年に
林業基本法が木材生産の量的拡大を目指し制定されて以来
37年ぶりに、2001年7月、森林・林業基本法として施行されたばかり
です。この中でようやく、今までの木材生産を主体とした政策が、
森林の多様な機能の持続的な発揮へと転換することが示されました。
これは、林業界だけのことではないのかもしれませんが、真に
求められているものへの対応の遅さには、凄まじいものがあります。
そして、その責任は、以下に述べることを考えると、行政にばかり
押し付けることはできないように思います。


  森林を取り巻くお金について

 

 責任の所在についてお話しする前に、森林を取り巻くお金、特に
税金で賄われるお金について、少しだけ資料を提示してみます。
まず、平成12年の林野庁の評価では、森林の持つ水源かん養と
呼ばれる、降水貯留、洪水防止、水質浄化などの機能は、お金に
換算すると年間27兆円。土砂流出防止機能が年間28兆円。
日本の森林全体で他の諸機能も含めて75兆円という数字が出されて
います。内訳を見ると、75兆円の大部分が私たちの命と直結している
ことがお分かりになるかと思います。また、この「諸機能」の中には、
当然森林の生態系を守ることによって保たれる遺伝子資源の価値も
含まれています。

 一方、それらを保つために必要になるお金はと言うと、健全で
多面的な機能を発揮する森林を育成するとともに、花粉症対策にも
資する観点から、森林を整備する予算として、間伐を進めるための
平成15年度林野庁の予算は458億円になっています。また、
平成15年度長野県林務部の一般会計は259億円で、その中の造林、
治山、林道などの公共事業費は約150億円になっています。
林野庁の予算には当然、国民の共有財産である国有林を
手入れするためのお金も含まれていますが、実は、国有林に
対して民有林と呼ばれている、県、市町村が持っている林や、
個人が持っている林を手入れするためのお金も含まれています。

 


 

 森からの声 3 (2003年10月)


  利用者不在の森

 

 前回、毎年数百億円単位の税金が、個人の所有する山の手入れを
するために投入されていることをご紹介しました。その理由は、森林が
たとえ個人の所有物であれ、たとえば「保安林」という名が示すように
不特定多数の人々の生命と直結する存在であるからでしょう。

 このように森林、特に人工林と呼ばれる「おそろしく手のかかる林」は
日々手入れをされ、そのことによって無意識のうちに私たちの暮らしは
守られているわけです。そういう意味では、森林は十分に利用されて
いるということが言えるかもしれません。しかし、ここにひとつの問題が
あるように思います。はたして、スポンサーでもある私たちは、
森林整備に対するお金の使われ方にきちんと目を向けているのでしょうか。

 「植えられた木がお金にならない」というだけで、多くの所有者の
関心が森林から失われてゆく中、一般の人々の目にさらされない
「山の中」のことは、長いあいだ手入れをするごく少数の者に
任されてきました。公益性という観点から用意されるお金も、たいていは
林業という生業に重きをおいた人々に支払われるべく予算編成され、
山の将来を憂い必死なのは行政や自治体の人々だけ、と言っても
過言ではない状況です。この仕組みが繰り返されるうちに、
手入れをする事業体にとって、森林はただ有りさえすればよい
収入源となってきました。

 これまで、「よい林業経営を行っていれば公益的機能も同時に
満たされる」という考え方が、林業の世界の根底にありました。
これを「予定調和論」と呼ぶそうです。そのような思想を根底に
持ちつつ、法的に必要性が認められ、これだけの公的なお金が
使われているにも関わらず、鳥が営巣している木を切り倒す
林業事業体はあっても、その保護に努める林業事業体はありません。


 解説:

 保安林制度とは、公共財としての森林を保護することを目的に
国の指定を受けた森林で、指定を受けると、たとえ個人の所有地
でも法による厳しい規制下に入ります。現在、水源かん養保安林を
はじめとして、土砂流出防備、潮害防備、魚つき、保健など
17種類の指定があり、民有林だけで全部で約474万ha。国有林も
合わせると約905万haが指定されており、日本の森林面積の合計
約2400万haのかなりの面積を占めています。

 


 

 森からの声 4 (2003年12月)


  絶滅寸前の事業体

 

 均質のものを大量に消費し捨ててゆく習慣は、それぞれの地域に
特有の木材利用の在処をなくして行きます。山の木を育て収穫に
至るまでの仕事を行うこと全般を施業(せぎょう)と呼びますが、
木材が利用されなくなれば施業をする者も無くなり、もはや木材収穫で
食べている民間業者は、東信地区全体で数社となり、絶滅寸前の
状況に陥っています。

 施業を行う者として、もうひとつ森林組合という組織があります。
森林組合は町村単位や郡単位の森林所有者が出資して組織された
協同組合で、そもそもは1939年、中国との戦争が拡大するにつれ
良質な木材の需要が高まり、零細規模の森林を集団管理することを
目的に、森林法の名のもとに零細私有林所有者を強制的に
加入させたことに始まるのだそうです。

 森林組合は、よく営林署と間違われますが、営林署は国有林を
管理するための役所で、森林組合とはまったく別のものです。

 数百ha以上の森林を所有しなければ、一家族が材木の売り上げ
だけで食べていける、専業の林家(りんか)経営は成り立たないと
言わています。しかし、日本の森林所有者の大部分は、所有する
森林面積が1haにも満たない零細な規模であり、しかも、50年近い
樹齢の人工林で、間伐などの手入れをするには、それなりの技能が
必要になります。そこで、所有者に代わって山の手入れをするために、
森林組合は一般的に複数の作業班を組織しています。

 日々の管理業務と作業班の維持、大型機械の導入など、
お金のかかる組合経営は、これまで森林整備に費やされる
県や国の事業費と補助金によって賄われてきました。このように
お金がかかるようになると、より稼ぎ易い、国や県・市町村の
所有する大面積の森林の手入れを重視するあまり、本来求められて
いた個人所有の小さな山、つまり組合員の山の手入れが疎かに
なる地域も見られるようになりました。

 「人工林を手入れする仕事は、毎年コンスタントに保障される」。
この仕組みは、前出の予定調和論により守られてきたわけです。
そこでは、現代の市場理論に支配されない、ゆったりとした時間が
流れてきました。しかし、森林整備事業に競争入札制度が取り入れ
られた長野県では、保障された収入源を失い、経営の悪化する
森林組合も多くなってきました。


  ウサギの暮らさない山

 

 この連載の一回目「カラマツ林の歴史」の中で、「人工林にカラマツが
植えられ収穫されるまでの期間は、一般的に40年から50年でした」
と述べました。ところが、木を収穫した山で、再び木材の収穫を目的に
した林業を営むためには、「地拵え」(ぢごしらえ)と呼ばれる片づけ→
購入した苗木の植え付け→苗木が大きくなるまでの草刈りなど、大変な
お金がかかります。それを賄えるほどのお金を得られなくなった東信の
カラマツ林では、現在、木をもっと長く育てる長伐期施業という道が
選ばれるようになりました。

 採草地や薪・炭など、人々の生活のために山が積極的に利用されて
いた頃、そこには常に皆伐地と呼ばれる木のない開けた場所が
あったのですが、本来4〜50年で収穫をする計画で植えた木が、
とりあえず100年ぐらい育てることを目標に、間伐をしながら、再び林の
かたちで残されるわけですから、山はすべて木々に覆われたままに
なります。そうなると当然、木の無い明るい環境を好む草花の茂る場所も
なくなり、そのような環境を必要とする動物たちの数も減っていきます。
と同時に、その動物たちを利用して生きる肉食の動物も暮らしにくくなります。

 「昔は、ウサギの苗木食害に関する論文が多かったが、今では
ほとんど無くなった」と、ある林業の研究機関の方がおっしゃって
いたのは、とても印象的なことです。ウサギが暮らしにくくなったことは、
決してウサギだけの問題ではないことは、野鳥の会の方には、
お話しするまでもないことでしょう。

 


 

 森からの声5 (2004年1月)


  さえずりの聞こえる場所

 

 鳥たちの恋の季節、彼らの姿を求める人は、たいてい遊歩道や
林道に沿って山を歩いていることと思います。そして、彼らの歌声の
聞こえる場所に、ある種のムラがあることに気づくのではないでしょうか。
また、このこととは対照的に、30年以上も鳥を楽しんでいる方からは
「鳥の居場所を特定するのが困難なほどの、無数のさえずりが懐かしい」
というお話をうかがったことがあります。

 自然観察の基本として、道を離れてはならず、道の無い林内に
分け入ってはいけない、という原則がありますが、私のように森林の
手入れを商売にしていると、そうも言ってはいられませんので、
山の中を縦横無尽に歩き回ることになります。そのようにしていると、
東信のカラマツ林での、上に記したようなムラが、いっそう際立って
見えてくるのです。

 まず、道に沿って歩くとき、沢すじや、石コツと呼ばれる植林の
できなかったような場所で、特に多くのさえずりと出会うようです。
道を離れて林内に踏み込むと、木々の大きさの揃った一様な
ところではさえずりが少なく、何かの理由で木の大きさや種類に
乱れの生じたような場所、あるいは前述の沢に近づくと、たちまち
賑やかになって来る、ということを感じます。

 これらのことが即、木の植えられなかった場所や、植えられても
一様に育たなかった場所の生物多様性を証明するとは言えないかも
しれませんが、私には鳥たちの存在が、環境を計る一つのものさしに
なっているように感じられてなりません。そして東信を離れ、他県の
スギやヒノキの人工林に入ってみると、日頃見慣れたカラマツ林が
格段に明るい林であることに気づきます。このことは、カラマツの
「一斉に落葉する針葉樹」という特性が、若葉の時期に林内に
広葉樹の芽吹くチャンスを与えていることを意味しています。



  インタープリター

 

 近頃では、自然観察会の案内人のことをインタープリター
(interpreter:解釈者、通訳者)と呼ぶことが多くなりました。
上で述べたように、鳥をものさしとして少し調べたり比べたり
するだけで、森林の性質や生い立ちの違いがわかるのだとしたら、
鳥見をする人には、森のインタープリターの役割を担うことが
できるようにも思えます。

 私たちは、森林整備の財源を支払っている者として、もっと
森林の積極的な利用を訴えても良いのではないでしょうか。
利用というのは、もちろん開発してレジャーランドを築くという
性質のものではありませんし、一方的に鳥の保護を目的とした
森林整備を訴えることでもありません。林業とは何なのか、
そこに流れるお金のことを勉強し、限られた予算の中で、
滅び行くこの国の生態系を保全するために、どのような森林
利用を行うことができるのか、一般の人々よりも、ほんの少しだけ
鳥のことを代弁できる者として、議論し提言するということです。

 連載二回目の「見直される林業の本質(2003年9月248号)」の中で、
私は林業政策の転向の遅れの責任を、行政にばかり押し付けることは
できないと述べました。農業や漁業についても同じですが、私たちは、
本来私たちの生命と直結しているこれらの産業について、あまりにも
無関心になり、無知になってしまったとは言えないでしょうか。その見返りは、
自然からの収穫物を、より安く、より安定した形で手にいれることにだけ
囚われてきた結果として、今の世の中にいろいろな問題として、眼に
見える形で現れてきているような気がします。

 鳥の棲み家としての森のお話から、とんだところへ脱線してしまいました。
次回は脱線ついでに、地球規模での森林の役割と、その中で日本の
林業がどうなってしまっているのか、というお話をさせていただきます。 

 


 

 森からの声6 (2004年2月)

  事情とは

  連載二回目の「捻じ曲げられたイメージ(2003年9月248号)」の中で、
「過去の木材消費の仕組みを振り返り、学ばなければならない事情を
現代社会はかかえている」と述べました。その事情とは、大きく次の
ふたつに集約することができるように思います。

 ひとつは、言うまでもなく、森林が温暖化ガスである二酸化炭素の
吸収源として機能するからです。報じられているとおり、1997年に京都で
行われたCOP3と呼ばれる地球温暖化防止会議により、気候変動枠組条約
(正式には気候変動に関する国際連合枠組条約)の中で、日本では、
適正に管理される森林が二酸化炭素の吸収源として認められました。
ここで言う適正な管理とは、植栽や間伐など、林業での一般的な
手入れのことであって、必ずしもそこで収穫された木材を使うことを
定めているのではありません。しかし、過去20年間の二酸化炭素濃度の
人為的な上昇原因のうち、2/3は化石燃料の燃焼、1/3は森林破壊である
というIPCC(気候変動に関する政府間パネル=国連環境計画と
世界気象機関により1988に設置)の報告に従うのならば、私たちが
資源の再利用可能な生活を取り戻さなければならないことと、
そのためには、自分の暮らす地域から、できるだけ近い場所で収穫された
木材を利用することが大切だと言うことができます。

 ふたつめとして、古来、日本人が多種多様な樹木を、優れた木造建築を
はじめとした用途に、無駄なく上手に使いこなしてきたことと、そのために
わが国特有の育林技術も発達してきたという、文化の大切さが挙げられます。
これらのことはそのまま「木の文化」として、無数の書物に著されているとおりです。
漠然とした言い方ですが、現代社会の様々な行き詰まりに対する反省や、
ときには対策のための材料として、このことを忘れることはできないと思います。


  自活力を失った森林

 建築材料や紙の原料となるすべての木材のうち、日本は80%以上を
輸入品に依存しています。

 今までの主な輸入元の状況を見てみると、まず熱帯林にとって、
日本は最大のお客さんでした。熱帯林に棲む無数の野生生物が、
ある時はその存在さえも気づかれぬまま死滅してゆく中で、自国の山の
木は使わずに、他国の自然を犠牲にしているという批判を、私たちの
国は受けてきたのです。

 また、北方林と呼ばれる、シベリアやカナダからも木材は輸入されて
います。このふたつの天然林では、伐採による環境破壊の凄まじさや、
伐採後の森林の回復に多くの時間が必要となることから、今では木を
伐ることが難しくなり始めています。

 北米の太平洋沿岸地帯からも、これまで天然林からの木が大量に
輸入されていました。この伐採にも、やはり自然保護に配慮すると言う
理由から、歯止めがかかりつつありますが、伐採跡地での再生産が
行われており、これからも木材の輸入は続くと見られています。

 そして、今後最大の輸入元になるかもしれないのが、フィンランド、
スウェーデン、オーストリアなどの森林資源の豊かな国々です。
これらの国では、官民が林業を重要な産業と捉えて取り組んでいる
ため、安い良質の木材が生産され、その日本への輸出量が急激に
伸びているそうです。

 これまで紹介した国々では、木材生産にかかるコストが日本の
10分の1程度です。さらに、ニュージーランド、チリ、アルゼンチン、
北米から導入されるマツ類により、低価格で持続可能な生産が
行われはじめてもいますが、すべての輸入には輸送エネルギーが
必要で、それには鉱物資源(つまり石油)が使われているわけです。

 今、地球規模での森林の役割は、元気に生産をしながら、環境の
保全と温暖化ガスの吸収も担うという持続可能な資源ということで
共通し始めていますが、日本の林業だけが元気なく、環境という
視点にいまひとつ踏み込めずにいるのです。多くの農産物が保護され、
生産者も真剣に抗議するのに比べると、木材を生産する者たちには、
貿易の自由化を黙って我慢するか潰れてゆくという元気の無さが感じら
れます。いつの間にか、手入れの為のお金はほとんどすべて税金となり、
しかも納税者は未だに無関心でいる。というのが、この国のほとんどの
林業の実態と呼べるかもしれません。

 くどい話になりましたが、なかなか見えにくい「森の中の様子」を、この
お知らせを通してわずかでも理解していただけたでしょうか。
次回はいよいよまとめの章に突入です。


 

 森からの声7 (2004年3月)
  今年の春も鳥たちは来るでしょうか

 近年、夏鳥たちの姿が激減しているのではないか、という声を
よく耳にします。彼らが子育てのときに必要としている、巣をかけるのに
適した場所や、餌となる虫たちが、近頃のみなさんのフィールドに
十分にあるのかどうか、この春、もう一度確かめてみてください。

 東信の山々で、一斉に同じ林齢に達した人工林では、それらの
不足も一度に足並みをそろえてやってくるのではないか、というのが
私の心配していることです。この人工林のベビーブームに生れた
木々は、日本中で同い年のまま、収穫されることなく成長を続けて
いるのです。

 これまでの数十年間、木の畑としてだけ見られてきた森林が、
ようやくそれ以外の目的も含めた形で意識的に捉えられるように
なってきました。しかし目的の多さに応じて、多くの税金が使われて
いるにも関わらず、それらのお金がどんな方法で使われているのか、
多いのか少ないのか、一般の納税者に論じられることなく使われている、
ということを何度も述べさせていただきました。

 では、鳥を見ているものとして、私たちが森林の取り扱い方に提案
できるとしたら、どんなことがあるのでしょうか。

 たとえば、戦後の拡大造林と呼ばれた時期には、植林に適さない
場所にも一律に木が植えられ、そこが今、いわば不良債権化しています。
その部分を有効に利用し、より多くの生き物たちが暮らす場所に誘導する
ことはできないでしょうか。コマドリの鳴く沢筋で、水際ぎりぎりまで植栽され、
明らかに無駄な手入れをされている場所などが、これにあたります。

 また、この狭い国土に、多くの野生生物がひしめき合って暮らしている
状況を考えると、木の畑として適している場所にも、他の生物が共存できる
ような仕掛けを考える必要があるように思えます。


  もの言わぬ鳥に代わって

 鳥を見るようになって間もない皆さんには、努力しても鳥の種類を
なかなか覚えきれない、という悩みをお持ちの方がいらっしゃると思います。
また、この道数十年のベテランの方も、ホオジロやアオジを覚えることから
はじめて、これまでに数百種類の鳥たちと出会い、種の多さを楽しまれて
きたことでしょう。

 たとえば日本に、スズメとハシブトガラスとヒヨドリという3種類の鳥しか
棲み付いていないとしたらどうでしょう。
 この目を見張るような生き物の種類の多さとは、いったい私たちにとり
どのような意味を持つのでしょうか。

 私たちにとっての生物の多様性の価値、というものが、保全生態学という
世界で何種類かに整理され、説明されていることは、ご存知の方も多いと
思います。その中には、薬用成分や遺伝子資源などという、私たちの生命に
直結するようなわかり易い価値も述べられています。しかし、野生生物そのものの
姿や仕草を楽しむ者は、理屈ぬきで受け入れることのできる考え、すなわち
「この世に命あるものには、すべて、そのまま生きる権利がある」という考えを
共有しているのではないでしょうか。そして、鳥たちの姿を愛でることから
得られる生活の潤いも、決して金銭に換算できる性質のものではないと思います。

 あらゆるものが容易に視覚的に表現される時代に、直接に分かりにくいものを
感じることができるかどうかは、まさしく、その人の感性の違いによるものでしょう。
そして、探鳥会などで集まる皆さんと鳥や草花の姿を楽しむとき、たびたびこの
感性に触れ、心が満たされてゆくのを感じます。

 人に潤いをあたえる多くの生き物の棲み家としての森林の価値。この計り
知れない価値に、森林の手入れのスポンサーとして、また、もの言わぬ
生き物たちの代弁者として、できるだけ多くの方の関心が寄せられることが
必要ではないかと感じて、この稿を書かせていただきました。


  最後に

 ものごとの目新しさや、目先の利便性だけにお金が支払われ、そのことが
新たな価値を生み出す社会(つまり今の私たちそのもの)は、成長すれば
するだけ支払わなければならないはずの「環境」に対するお金のことを
無視し続けてきました。

 この蓄え続けてきた借金は、とうてい今の大人たちだけで返済できる
ものではないでしょう。

 鳥を愛好する方たちの会報に、材木や林業のことを書き連ねてきました。
それもこれも、国土の6割以上が森林に覆われ、そこに暮らす鳥の背後には
必ずと言っていいほど木々の姿が見られるからですが、商売柄、饒舌になり
すぎたことをお詫びいたします。

 今回の連載を通し、自分自身林業関係のNPOで働きつつも、問題認識の
整理が不十分であることを知るよい機会となりました。

 どうもありがとうございます。

 

ホームへ戻る