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その8



1999.12.5

いつも形にするアイディアばかりなので
たまには違った「アイディア」をだそう。

実は行き付けの飲み屋さんがあって
俗にいう「大衆割烹」というジャンルなんだが、
ここのおかみが美人だし、つまみもおいしいし
なにより安くて気に入っているんだよ。
仲間と打ち合わせや会合を持つ時なんかも
決ってここでやっている。

ところでこういう飲み屋さんが最近減っているように思う。
最近は結局「カラオケ」をおいてしまってうるさいか、
若い人向けの飲み屋さんになってしまって
やはり落ち着いて飲めない。

決して筆者自身は若い人が集まるような飲み屋さんも
嫌いではないのだが
あまり若い人たちのざわめいているなかで飲むのは
辛いものがある。

かといってカラオケもなく、わかい人も集まってこないような
高級割烹みたいな店は高いものについてしまうので行けない。
だから筆者が行くような「大衆割烹」みたいな店は
大助かりなのだ。


ところでこういう店にもやはり「個性」と「コミュニケーション」
というのが必要な時代ではある。
でもなかなか飲み屋さんが「個性」と「コミュニケーション」を持つのは大変だ。
それは飲み屋さんでもどんなお店でも同じことだが、、。


「コミュニケーション」についてはお店の持つ雰囲気やおかみさんの雰囲気や
御客さんたち自身が作る雰囲気が
そのまま「コミュニケーション」になっていくのが通常ではある。
でもいつもいつも「コミュニケーション」を作り上げていくのも
結構大変な作業ではある。
また、それが日常的にできること自身が「個性」にもつながっていくのだろう。


で、そんなこんなを考えていたら
こんなことしたらいいのじゃないかと思った。

どんな飲み屋さんでもその地域だけで成り立っているわけではない。
必ず遠方からやってきた御客さんというのもいるはずだ。

で、そんなお客さんはわざわざ近くのホテルや旅館に宿泊しながら
飲みに出かけるのだから「飲むことが好き」な人達だ。

「のんべえ」のみなさんならわかるだろうが、「のんべえ」は
少なくとも飲んでいるときはみんな仲間である。
よっぽど人格的に問題が無い限りは飲んでいれば皆友だちだ。
つまり「コミュニティー」がそこにできる可能性があるわけだ。
これからは飲み屋さんの戦略でも「コミュニティー」を作るという
やり方があっていいと思う。

そう言えば「無尽」とか、要するに「仲間意識を醸造するやり方」が
ウマイ店はずっと盛っている。

最近は「口コミュニケーション」も重要だと言われる時代だから
これもうまく利用すれば日本中に仲間ができる可能性がある。

で、日本中から集まってきた御客さんに
お願いしてその人の住む地域のうまい地酒をお願いして送っていただく。
地元だからウマイ酒もしっているだろうし
ちゃんと費用や手間代を支払えばお願いできるだろう。
インセンティブがあればきちんと送ってくれるはずだ。

よく地酒を置いてある店、というのがあるが
せっかく日本中からお客さんがきたのだから
その人たちが口コミュニケーションの宣伝部隊や
地酒の選定開発部隊になってもらおう。

で、こういう人達のコミュニケーションを促進するための
その飲み屋さんの「ウェブサイト」があってもいい。

何々という地酒が入りました、とか
いついつにどこそこのだれかれがやってきましたとか、
そんなやり方もあっていいのじゃないか。

地方の飲み屋さんがウェブを使っての「顧客満足度向上」のための
やり方があってもこりゃあ、いいのじゃないか。

「ホテル」なんかも顧客満足度を向上させるために
ウェブやインターネットを利用する時代に入っているが
飲み屋さんこそそれが有効に利用できる立場の仕事をしていると言ってもいい。


あっ、それとこんなことやってみたら、、というのがもう一つ、

筆者は結構飲み屋さんででてくる「箸置き」が好きである。
瀬戸物屋さんにいっても
それだけ見ていても結構面白く見ていられる。

飲み屋さんでも出てきた「箸置き」だけで結構面白く飲める。

で、こんなのどうだろうか、、
「マイ箸置きシステム」である。
いや、そんな難しい話しではない。
自分の気に入った箸置きをおいておくだけで
自分で飲みにいった時にはその箸置きが出てくる、
たったそれだけなんだが
、結構それだけで「自分の行き付けの飲み屋」という意識が
出てきて、お客さんも店にとってもいい状況が生まれるのじゃないか、と思う。

もちろん、店にはストックしてあったり、店主が自分で焼いた「箸置き」なんかが
あったりして、それを安く販売してもいい。
もともと箸置きだったら買ってきてもそんなに高いわけじゃない。

自分だけの「箸置き」がある店なんてお客さんを接待したりする時だって
ちょっと「エヘン」である。

先に書いたウェブサイトにも常連さんの箸置きを写真にとって載せておく。
カウンターにはPCか、箸置きを写真に撮った写真集なんかを置いておけば
それをみたお客が盛り上がること請け合いだ。

だいたい、キープしたボトルを見てお互いがコミュニケーションを
はかることなんて普通ありえないだろうが
名前と出身地なんかを書いた箸置きや地酒を写した写真がそこに
集まっているだけでも楽しいではないか。

というわけで、これからの飲み屋さんも
コミュニケーションを作り出す時代なのだ、ということを言いたかった次第、、。
このアイディアを、忘年会の終わったあとの二次会にでも
行き付けの飲み屋さんにいった時に披露してみましょう。
うけるかもしれません。






1999.12.12

「ティッシュ」の箱を見ていて思ったこと、、

これはもう、あるかな。
FAXの用紙は終わりに近づくと色のついた筋が
用紙の上に現れて、そろそろ終わりであることが
わかるようになっている。
同じような考え方で「ティッシュ」にも
終わりに近づいたら色のついた「ティッシュ」が
引き出されてくるようにすれば便利じゃないか。

まあ、FAX用紙と違って
普通は「買い置き」がしてあるからなくなっても
困るようなことはたぶんないと思うが、、


と、まあ、こう考えてくると
「終わりが近づくと知らせてくれる仕組み」というのが
あると便利だ。

こういう考え方は何にでも使える。

この仕組みには時間の経過を知らせてくれる仕組みやもの、と
使用量の状況を知らせてくれるものと二つある。

使用量の状況を知らせてくれるものにも二つあって
使っているものそのものが
状況を知らせてくれる仕組み、つまりFAX用紙なんかがそうだし
もう一つはそれを何らかのセンサーが調べて
知らせてくれること、例えば車のガソリンの量を
知らせてくれるのはそんな考え方だ。

どういうものにどちらの仕組みが良いのかは
よく考えてみれば自明なのであまりこれ以上考えないが、

いずれにしても時間のように絶対軸がないものは
「そのものを計る」か「そのもので知る」しかないのだろう。

ところで時間の経過を知らせてくれるものは
時間というものが絶対的で、流れかたが一緒(一応!!)なので
時計を背負ってさえいればなんとかどれくらい経過したのか、
これからどれくらいあるのか、を知ることは比較的容易だ。

それもデジタルではなく、アナログにすることで
比較的わかりやすい。
時計がデジタルで動くのは今は当然として
数字ではなく、針の動きで知らせるタイプのものが
無くならないのはそのためだ。


ところで時間を知るのはそういうことで、
絶対的な時間の経過は知りやすい、ということで
時計の利用をつい考えてしまうのだが

そんなものを使わなくてももっと簡単な方法はある。

まあ、最近のデジタル時計の機能はむちゃくちゃ安くて
そんなものでも良いといえばいいのだが。


考えてみれば「砂時計」は簡単な「時を知る仕組み」だ。
特に時の経過を知るにはとても良い。

このように「デジタル」じゃなくて「アナログ」で
時間の経過を知らせてくれる仕組みを安価に作ったらどうだろう。

機器の温度を管理する温度管理用のラベルというのがあるのは
ご存知だろう。
その時の温度に反応してラベルの特定の温度の部分だけが
色が変ったり、温度が表示されるというものだ。

可逆性のものを戻らないものがあって
輸送途中の製品なんかの温度管理なんかを
するためには不可逆のもので
輸送途中に温度がどこまで変動したかを知ることができる。
可逆性のものは普通の温度計として利用できる。


これと同じような考え方で
「時の経過」を知ることができるシールやラベルが
あったらどうだろうか。(これももう、あるのかな?)
それも、時折使ったり使わなかったりしたのを
積算してくれればいいのじゃないか。

ただ、「経過」だけだったら、例えば「いついつまでが賞味期間」
と書いておけば時計やカレンダーを見ていれば
わかるのだが
一度途中に休みを入れた場合は積算する必要がある製品なんかは
その分、先送りしてやらねばならない。そういう時には
積算で表示できるシールやラベルみたいなものがあれば便利だ。
空気に触れている間はシールのふたをはがしておき、使っていない時は
シールにふたをしておく、とか、、。

時間がやってきたら色が変わってしまい
時間が経過したことを教えてくれる。

そういうようなアイディアでいろんな時間の管理はできそうだ。





1999.12.19

新しい時代の産業は一体なんだろうと
筆者も毎日のように考えるし、
新聞や雑誌、それもベンチャービジネスを扱っているような
雑誌や産業を扱っている新聞なんかは
毎日のように新時代の産業像を考えている。

で、そんなようなものは
はぼ出揃ったようで
曰く、バイオ、環境、省エネ、医療、福祉、
情報、娯楽、教育、半導体エレクトロニクス
モバイル、コンピューター、
あたりが言われている。

もちろん
コンピューター、半導体エレクトロニクス、教育、
などのように
新時代とは言えないようなものまで入っているんだが
こういうものはまだまだこれから伸びる業界ということではある。


さてさて、そういったなかで
もう一つあるのじゃないかと思っているのが「安全」というキーワードだ。

さすがに安全ということでは
セキュリティーシステムを提供している企業も
有名なところがいくつもすでにあるし
ホームセキュリティー機器なんかの業界も
いろんなものを作って販売していて
郊外の家電ショップやDOITYOURSELF店なんかにいくと
結構いろんな家庭用安全機器が売られていて
これは今後も伸びる業界なんだろうなと思わずにいられない。

でも「安全」はまだまだこれからの事業だ。
「安全」をキーワードにして製品やサービスを作っていくことは
むしろこれからのように思える。

もともと「安全」といってもいろんな「安全」がある。
家庭もそうだし交通安全もそうだし、企業防衛だって安全だし、
夫婦間や恋人との関係の危機を管理したり破局を避けるのだって
「安全」と言えるかもしれない。
「地震、雷、火事、おやじ」に備えるのなんかは
まったく「安全」産業ではある。

考えてみれば
世紀末ということもあるんだろう、、
最近はいろんなトラブルが続いているじゃないか、、。
平穏に時代がすぎていくのは
しばらく期待できないかもしれない。
「安全」が脚光を浴びる傾向も今後ますます強まっていくだろう。

で、「安全」から考えられるアイディアや
作っていったら良いと思うような
商品やサービスはいろいろ考えられる。
冷静になって考えるといくらでもアイディアは出てくる。
あまりに豊富ではある。
商売になりそうなネタはいくらでも出てくる。

日ごろ自分自身が生活していて
「危ない!」とか「あぶないなあ、、」と思うような
場面を想定してみると、
その場面にあったら良いと思う製品やサービスは
いくらでも出てくる。

今日はそれについてはこれ以上は書かないけれど

今日は商売になるようなアイディアじゃなくて
思い付いたことを一つ、、。

仕事の関係で車に乗って移動することが多い。
町を走っているといろんな場面に出くわす。

交通事故の場面に出くわすこともある。

そんな時に思ったことがある。
さすがに車同志の接触事故の場合は
なんらかの原因で車同志がぶつかったことは
まずまちがいなく起きたことだと目の前の現象を認識できるが

通行中の人と車の接触事故の場合、
よほど接触事故が起きた、そんなように見える場合を除き、
例えば、横断歩道を渡っている高齢者が
車との接触ではない、なんらかの原因で転んだりすると
普通はそこに居合わせた車のドライバーが
降りてきて助けたりすると思う。

ところがこうした場合、
そこに偶然通りかかったほかの人からみると
彼らが事故を起した本人たちのように見える場合がある。

そんなことめったにないと思われるだろうが
少なくとも自分や仲間の経験でもそういうことがあった。
路上で倒れもがいているお年寄りを見つけて
車を止めて助けおこし、言っていることが訳わからないから
車の乗せて自宅をなんとか聞き出して送り届けたことがあった。
仲間もまったく同じような経験があるくらいだから
そんなに珍しい経験でもないと思う。
でもこれって、へたをすると
「事故を起した」と見られなくもない。
もっと考えれば「誘拐」にだって見えるではないか。

実は今日もそんな場面に出くわした。
今回はその場を通りかかったのは自分であったのだが

走行中に自分の車線がやけに渋滞しはじめた。
なんだろうと思いながら車を進めていくと、
反対方向の車線の横断歩道のところでお年寄りが
自転車といっしょに路上に座り込んでいる。
自転車の前には車が止まっていて
たぶんその車のドライバーなんだろう、若いカップルが
車から降りてお年寄りの「介抱」をしている。

幸い怪我もないようでまわりには
人も集まってきていてたぶん大丈夫だったんだろうが、

ただ、通りすぎたあとで考えた、、。
「本当に事故だったんだろうか。」
もしかしてお年寄りが横断歩道の上で転んでしまい、
若いカップルが車を止めて助け起していたところ
だったのかもしれないではないか。

そうならそうで、別にいいではないか、という人も
いるかもしれないが
ただ、問題はこういうことだ。

たぶん、事故ではなく
例えばお年寄りが横断歩道や路上で
自分で転んでこけているような場合、
そういう場合に出くわすと
そういうことに関わりたくない、
という気持ちが働くのではないか。

もちろん、普通、人はそういうのを助ける
気持ちが働くのが当たりだと思うし
そうあって欲しいと思うのだが、
まあ、最近の世の中はそうでもないらしい。
人事だと思って何も思わず、ただ行き過ぎてしまうのを
だれも咎めることはできないこともたしかだ。

しかし、やはり大部分の人はその場に立てば
お年寄りや転んでいる人を助けたいと思うのが普通だ。
(そうあって欲しいと思う)

だが、助け起して、いざ、冷静になってまわりを見回せば
事故を起した当事者と思われているんじゃないかということに気がつく。

前述の出来事だって本人たちは善意で助け起したかもしれないのに
事故を起したようにも見えただけかもしれないのだ。


で、これはとても不幸なことだと思う。

善意で助けたのに誤解されてしまったり、
もしかしたらそれがとんでもない誤解になってしまったり
あるいはそういう誤解を避けるために
助けたいと思っているのに助けられないとしたら
これは不幸なことじゃないか。

たったちょっとしたことなんだけれど
すごく人間にとって重要なことがそこで起きているような気がする。
で、難しく考えなくても
その誤解が生まれないような方法をとることができれば
むしろ積極的にお年寄りや交通弱者を助けることができるから
いいのじゃないかと思うのは筆者だけだろうか。

仲間とその話しをしたら
「ヘルメットにパトライトをつけて「ただいま救助中」と
知らせれば良い、もっと人手がいるときは
異なったパトライトが光ってまわりの人にも手伝ってくれるように
「要請」できればもっといいじゃないか」
というアイディアがあって、まあ、その要請ができるというのは
疎遠な人間関係のなかで心温まる話しではあるが
現実にはヘルメットをかぶって車かで出て助けるというのは
ちょっと難しい話しだ。

で、もっと簡単でわかりやすく、誰もができるような方法を考えれば良い。
車にそういうための「パトライト」を積んでいてもいいだろうと思う。

問題は「お金を払ってそんなものを買うかどうか。」というところだ。
たしかにそれだけのためにお金を払って買うかどうか、、。

これを解決する方法が二つ、一つは、
ほかのコミュニケーションにも使えるものを作ることで解決できる。
以前ここで書いたような気がするが
車同志のコミュニケーションツールをつくって
若者同志でコミュニケートしたりする仕組みや
コマーシャルなんかにも使えるがあれば
面白いし、それを転用できる。

色が二つくらいしかつかない「シグナルライト」のようなものでは
コミュニケーションには無理だから
そうなれば電光掲示板ということになるか。

簡単で安くできるそういう「仕組み」をつくって
ぜひメーカーが遊び半分でも広めてくれれば面白いと思うし、

ナビゲーションシステムやモバイルの情報システムだけじゃなくて
もっと簡便簡単安くて面白くて
いざとなったら人の役にたつ仕組みというのはあるんじゃないか。

頭のかたい車メーカーじゃむりかもしれないが、
そんなことを考える車用品メーカーもあっていいんじゃないか。

それともう一つ、
ともかくそういう車に積載できるコミュニケーションツールを
安く作ることを考える。
安いといっても「おまけ」になるくらい安いやり方だ。

紙でもダンボールでも良い。
車用品屋さんのおまけでも良い。
そういうものをつくって配っていけば評価もあがるし、、、

車に積載されている反射板でもいいといえばいいのだが
あれでは簡単に取り扱えない。

ところで問題がないわけじゃない。
悪用されるという問題も考えられる。

それにしてもこういうことをかんがえなくちゃならないほど
人間の信頼関係の構築を「複雑」になってしまって
評価とか信頼を得るにも
考えたままに行動しストレートに良心と現実がつながっていく
というわけにはいかなくなってしまっている状況がある。

ちょっと寂しい話しではある。




1999.12.26

この前新聞にのっていた新しい技術だが、
コイン大の半導体チップが埋め込まれたメディアを
パソコンに接続された読み取り装置にいれると
そこに書き込まれている情報、、
この場合はウェブのURLらしいのだが
に自動的にパソコンが接続されるというものだ。


こういうアイディアみたいなものは考えてみるといろいろあって
例えば、
これから販売される商品、それも
その商品の取り扱い説明書とか
薬の添付文書とか、そんなものが必要になるような商品は
その商品に印刷されたり、あるいは付属しているシールのような
ものに、例えば、バーコード状のもので印刷しておいて
パソコンに付属しているバーコードリーダーで
それをなぞれば
必要な情報のあるサイトやメーカーのサイトにつながって
そこから情報が読み取れるような方法というのは
これから実際に行われていくようになるだろうと思う。

食べ物にもこれはおおいに使えるはずで
スーパーやコンビニで買ってきた
冷凍食品や調理が必要な商品なんかは
付属の情報からウェブのサイトにつながるようにしておいて
そこから必要な調理方法なんかを知ることができれば良いと思う。

例のインターネット対応の電子レンジや冷蔵庫なんかも
出てくる時代だから
そんなことができるようにしていくことなんか
すぐにでもできそうだ。


ところで半導体チップやバーコードなんかで
家庭や職場にデジタル情報が手軽に届くようになると
いろいろ面白いことが行われるようになるだろうと思う。

家庭で使う電気製品なんかが外からの情報によって
細かな動きや機能を変えることができるようになれば
これはいろんなことができるようになるだろう。

もちろんパソコンやインターネット端末へ
インターネットを通じて情報が入っていく、、ということは
ありえるのだが、それ以外にも
実際の「もの」を通じて、それもとても安い印刷物なんかを
通じて情報が配信されるというのは
可能性があるように思う。

バーコードなんかは音を再現する手段としてすでの実用化されているが
たとえば印刷された印刷物、雑誌や新聞やのバーコードを通じて
情報を取り込み、作業に投入する、
まあ、これは近いものにはすでに
「ビデオレコーダー」なんかがあるのだが、
こういった「あるものを使って手元で「作業」を実現する時」に
こういう方法は便利である。

例えば、カセットやCDROMのプレーヤーで
音楽を再生する場合に
「あとから付加される情報」によって
文脈が形成される必要がある場合なんかにはこういう方法は
非常に役に立つ。


そうそう、そういえばこういう「あとから付加される情報」によって
「文脈が形成される機能」というのが実現できればなかなか面白い。
バーコードはもちろんオンラインの情報などによっても
即時に文脈が形成される方法もある。

その文脈が時間軸にしたがって変化していかなくては
ならないものなんかにうまく使えれば非常に便利である。

つまり、音楽や情報がモジュールになっていて
それをつなぐ情報はオンラインやバーコードや
そんなデジタル情報によって配信されて
必要によってモジュールになっている情報が
呼び出されてつながっていく、、。


こんなものがすでにあるかどうか知らないが、
例えば、音楽の楽曲での売れすじランキングは
週ごととか毎日とか変化しているはずなのだが、
それを文脈としてオンラインやあるいは紙やデジタル財を
通じて配信する。
実際にその歌なり曲なりを聞くための「情報」そのものは
CDROMなどの媒体や
あるいはその配信された情報から結ばれ、たどり着ける仕組みになって
いるサイトや「局」などから様々な形で受け取るようにする、
そんなことが今後は可能になるだろう。


音楽だけじゃなく、例えば経済の専門書なんかも
普通引用されている論文なんかはすぐに手元にあれば便利なんだろうけれど
いまのところそうはいかない。
でもその部分にデジタル情報としてバーコードなんかで埋め込まれていれば
必要によってはそれをパソコンなどからすぐ取り出せるように
なっていればとても便利だと思う。



2000.1.10

今日のコラムでも少々触れたのだけれど
20世紀のものづくりの特徴を一言でいえば
「大量生産・大量消費」にあったと言えると思う。
けして無駄なことだったとは思わないし
これによって結果や良い悪いから別として
世界中の一定の人々に
科学技術とその大衆化である「大量生産・大量消費」で
実現された財が配られることになった。

ただ、失ったものもあって
人々が「消費者」というものに一方的に閉じ込められ、
使い手同志の横のつながりが分断されてしまったことや、
作り手はメーカーとその下請けという立場になってしまったし
作り手と使い手の間にも分断が起こってしまったことは
不幸なことであると思う。

さて、その使い手(我々全員がそうなのだ)が
「消費者」というものになってしまったことは
この時代では当たり前のことだと思っている人が多いと思うが、
本来であれば単に「一方的に与えられたものをただ消費する」
立場になんてなりたくはないはずだと思う。


「大量生産・大量消費」はその時代時代の限界のなかではあっても
なんとか「所定の性能や持つ喜び、使う幸せを伝える水準」を
満たした商品を作ることで成り立ったのだが
しかし、本来、そうはいっても
あくまで規格化されたものを持ち、消費することを要求された。
これはその時代の限界だったこともたしかだ。

しかし、いつの間にか、
本来規格化しなくてもよさそうなものまで規格化されて
しまったことに気がつく。
人や教育もそうだ。
本来、生き方や生活の仕方や感性まで一人一人のやり方が
あっても良いはずなのに
生き方や人間性まで規格化されてきてしまった。

生活の様々な分野にも規格化が進んでいることに
我々自身は慣れっこになってしまってもいるようだ。


例えば、「大量生産・大量消費」ではない、対面商売なんかはどうだろう。

床屋さんや美容室は、一応、一人一人の顔かたちに似合う(はずの)
髪型を考えて供給してくれる。
規格化は一応、されていない。
ただし、文脈は共有されていて「ショートカット」とか
「なんとかカット」とかいう言い方で
基本的には同じようなものができるようにはなっている。
しかしそれが似合うか似合わないかは別として
顧客の希望と美容師次第で、そこには自分たちの表現がある。
顧客と作り手の共同作業が一応そこには存在する。


ラーメン屋さんはどうだろうか。
本来、その場で作り、一人一人の顧客に供給されていくはずの
ラーメンが作り手とお客の間のコミュニケーションが
存在していないことに気がつかないか。
最近で言えば「顧客指向」になっていないことに気がつかないか。

いや、ラーメンはその店主が考えて作った味を味わうのだから
お客はいろいろ言わないほうが良い、という意見もあるだろう。

例えば最近のカリスマ美容師も、すべてではないだろうが
一方的なデザインを押し付けている場合もある。
それを善しとする意見ももちろんあるだろう。

そういうのももちろんあっていいとは思う、が、
自分の味をその場でつくってもらうやり方だって
あっていいのじゃないか。
なかには濃い目や薄めを指定できるラーメン屋もあるのだが
消極的にお願いするのではなくて
むしろお店の方から客の望んでいることを
聞き出してその場で作りこんでいく作業もあっていいのじゃないか。

それを標準的にできる仕組みもあっていい。

例えば「ラーメンカード」というのを発行するというのはどうだろうか。
お客の気にいった味をデータにして登録し、
店でデータにして保管するか
お客がそれを記入したカードにして持っている。
割引券とか回数券なんかも併用して使うこともできるだろう。

そのカードを差し込んだり、コンピューターから
データが引き出されてきて自動的にたれや塩が分量が
決められて自動的にどんぶりに入る、、
というのはあまり気分はよくないので
そういうことだけはあくまで「アナログ」で処理する。
つまり店主がデータをみていつものように
「目けん」「感覚」で分量を計るようにする。

お客の望む好みが反映された手づくりで一品生産でありながら
なおかつ、塩バターとか味噌とかの
既存のラーメンの味の範疇からは大きく外れていない。

塩バターと味噌との中間の味をつくってくれ、では困るが
いままでの品揃えを変えずに
細かく顧客の要求に当然のように応える、
そんなことも対面商売で必要なのじゃないか。
いやむしろ、大量生産大量消費でもない商売だったら
そういう付加価値の付け方は当然必要な時代なのじゃないだろうか。




2000.1.16

ところでこういう規格化されないように
できることはたくさんある。

例えば、ここでよく出てくる「自動販売機」の
清涼飲料水もそうだ。

これは本来は千差万別な味付けが欲しいのだが
その場で味付けができないとされてきたから
メーカーで考えた味付けにお付き合いするしか
「今のところ」はなかった。

ラーメンや美容院に比べればたしかに
お客さんの選択の余地はないように見える。

でも、今のことなんだから
お客さんの要望にしたがって味付けを
「その場」でできるやり方だって考えられないか。

自動販売機でも紙コップを使う方式のものは
その場で砂糖を増やしたり、ミルクを減らしたりと
お客の好みに応じて変えることがその場でできる。

缶の自動販売機はそれは無理だと考えられている。
ペットボトルもそうだろう。

結局、メーカーのところで最終の形までをつくってしまった
場合はこういうことになる。

で、そういう場合はお客に任せるしかないということだ。
自動販売機にそういう機能がついていれば可能になる。
缶の飲料だって
自動販売機に砂糖をいれる機能やミルクをいれる機能が
ついていても使えないわけじゃない。
穴をあけたあと、そこから砂糖やミルクをいれればいいのだから。

だけど缶飲料の場合はコーヒーと違って種類が様々で
砂糖とミルクだけが味を決めているわけではないので
そうそう簡単にはいかない。

二種類の飲料を混ぜ合わせ、分量で味をコントロールする
という方法もあるだろうが
家庭に持ち帰ればいざ知らず屋外の自動販売機の性質上
そうはいかないだろう。


ほかにはなにかお客さんがその場で味をコントロールできる
方法はないだろうか。

そうやって考えると後はもう缶のなかで味をコントロールするしか
方法はないだろう。
それは難しいか、
いや、まて、
もしかするとむしろ「缶」のなかでコントロールするやり方のほうが
個別の味のコントロールがしやすいこともある。


よく年配のおやじさん達がインスタントコーヒーを
飲む時にカップのなかにコーヒーとミルクを入れて
そして砂糖は結構多めにいれて飲んでいることがある。

戦前戦中の世代は甘いものがあまり家庭になかったから
甘味料や甘いものに対するあこがれみたいなものがあって
思わず多めにいれてしまうのだと聞いたことがある。

で、こういう飲みかたをされたコーヒーカップの後には
カップの底に砂糖が熔けきれずに残っていることが良くある。

最後になるにしたがって甘味が強くなっていくのがおやじさんたちには
うれしいのであるかもしれない。

こういう飲みかたは東南アジアでもあると聞いた。


さて、で、あれば、こういうことはできないか。
コーヒー缶のなかに砂糖を多めに入れておく。
ただし、簡単には熔けない砂糖が入っていて
お客はまず一口飲んでみて甘味が足りなかったら
缶を振って砂糖をすこしづつ溶かしながら自分の好む甘味にしていく。


缶飲料という、すでに内容物が決っている飲み物は
その内容ごとに味を決める「もの」を中に入れておいて
あとでお客が振るなどして味を決めることができるから
これは結構いい方法なのではないか。

マイクロカプセルというものもあるようで
そのカプセルを「解かす方法」も「溶けかた」も
いろいろ考えることもできるようだから、
砂糖だけじゃなくて
例えば、カプセルのなかに濃縮したジュースやミルクや
いろんなものを入れておいて
缶を振るとかして溶かせばいい。
甘み以外でも、味そのものをコントロールできる。


まあ、振る、というのが一番いいんだろうな、
温度で管理するというのでは
自由な温度と味の関係が作れないし、

、、振る、、ということは
「振動」でもいいということになる。
、、とすると、音楽でも聞かせると味が変る
なんてのもいいかもしれない。
例えば、オーディオのスピーカーの応用で
振動を与えることができる振動板みたいなものの
上に缶飲料を乗せて音楽を聞く。

「宇多田ヒカルさんのオートマチック」を一度聞いていると
ちょうどよく甘くなるんだけれど
「北島三郎さんの祭り」を聞いたらちょっと甘くなりすぎるとか、、

缶飲料のところに「甘み度数50から70」なんて書かれていて
音楽CDにも
「オートマチック・この曲の甘み度数は60です」
「祭り・この曲の甘み度数は80です」
なんて書かれていれば
「オートマチック」を使うとちょうどぴったりくるっちゅうわけだ。
もうちょっと甘いほうがいいや、という場合は
最初のイントロの部分だけもう一度聞けばちょうど良くなる?、、。

ベートーベンの「運命」でやると「こりゃー、うんめー」ということになるのだ!





2000.1.21

以前、ここで書いたが
安全とかのキーワードで考えてみると
いろんなアイディアが出てくる。

交差点で出合いがしらの衝突なんかがないように
車どめの仕組みがあって、これが名古屋のほうで使われていて
なかなか良い発想だと思ったのだが
乗り越える場合の振動やそれが起す音が
近所に迷惑になるとかで広まっていないという話しを
ここでした。

これについては車のなかのドライバーに直接、
音や映像なんかで危険であることを知らせる仕組みが
あれば良いという話しをした。
これは指向性スピーカーとか空間に映像が浮かぶような仕組みが
あればいいと思った。

歩行者やバイクや車のドライバーやに、
その人だけに聞こえる「指向性スピーカー」で
飛び出し注意という音声や前方注意の音声を聞かせるように
すれば良いと思うのだ。
(ただし車のなかまで聞こえるようにするのはちょっと難しいだろうが)

画像を空間に結ぶことができればそれでも良い。
いざ、ぶつかっても問題はないし
空中に「停止」のマークや絵が写っていれば
これは結構良いと思う。


ところでドイツなんかでは高速道路を走っている車のなかに
これから先で起こっている交通事故の情報なんかを
知らせる仕組みがあると聞いた。
ラジオやCDなんかを聞いていても
それを遮って聞こえてくるというもので
なんだか不思議な感じがするが
なんのことはない、特定の周波数の電波が入ってきても
車が走っている時には常時受信できるようになっていて
いざ、信号が入ってくれば
それまで鳴っていた音楽なんかを止めて
強制的に交通情報なんかの周波数にあわせられている
ラジオに電気が入る仕組みになっているからなんだと(たぶん)思う。

日本での高速道路のトンネルのなかでのラジオ放送は
本来外で流れている放送をわざわざトンネル内で放送しなおしているわけで
何分かに一回流れるトンネル内情報はそれを止めて流されているわけだ。

ドイツで行われている方法は普通の放送を交通情報を流す側が
普通放送のラジオを強制的に止めてしまって
かわりにもう一つの専用のラジオを積んでいて強制的にそちらの電気をいれるか
チューナーを強制的に交通情報にあわせていまって情報を流すという仕組みなんだろう。

で、ここまでのものを仕組みをとしてやらなくても
同じようなことは結構できるはずだ。

簡単に考えれば「ラジオ」を一つ車に積んでおくだけでいい。
車が走りはじめるとスイッチがはいれば尚、良い。

で、そのラジオを特定の周波数にあわせておく。
別にほかの音楽とか番組とかを聞くためのものじゃないから
とりあえずは固定してしまう。

これを車のダッシュボードかなにかに搭載しておく。

同時にこんどは発信機が必要になる。
例えばこんなものが良い。
横断歩道のところにある電信柱かなにかに
人が前にたつと感知するセンサー付きの発信機を備え付ける。
発信するのはその道を通りかかる車に搭載されている
件のラジオにあわせられた周波数の電波だ。

発信機からは歩行者が横断歩道ところに立っていることを感知し
「歩行者がいます。ご注意ください」とか
「歩行者がいますので徐行してください」とか
「止まってください」とかの音を電波として
走行中の車のラジオに送り込む。

車のドライバーは突如搭載しているラジオから
「歩行者がいます。ご注意ください」とかの信号を受け取るから
より一層、前方に注意を払える。

小型の発信機は昔と違って規制が緩くなっているから
案外簡単にできるはずだ。

なんだったら発信機をおばあちゃんやおじいちゃんに
小型の発信機を只で配布して
「横断歩道でなかなか車が止まってくれそうになかったら
この発信機の送信ボタンを押してね、」というふうにすればいい。


そうそう、それと一番の問題というか、味噌は、
こういうものは交通安全を願う人達の間で、
つくってしまうということが良いと思う。

大手メーカーあたりではきっと市場はたいしたことないと考えて
参入してこないだろうし
なにより、こういうものは市民社会が
自分たちで勝手にはじめてしまうのが良いと思う。

交通安全や交通弱者を助ける方法として
いろいろ考えている人たちも多いと思うけれど
こんなことを考えて実行してみるのもいいんじゃないですか。

で、こういうものを使っている人とかはやはり社会的に評価されなくちゃいかん。
きれいなステッカーをつくって貼ってもらう。
「安全のためにこういうことをみんなで自分たちでやっている人です」、と
そういうコミュニティーに入っていることが社会的に評価される文化が
これからは重要なんじゃないかと思う。


ところでこれは生臭い話しになってしまうけれど
この「仕組み」は商売にも使えることに気付く。
簡単に考えれば
道沿いで商売をしている人が
発信機を買って、自分の店の前を走る車に
発信機から放送されるコマーシャルを聞いてもらう。

安全の仕組みといっしょにするわけにはいかないが、
周波数を変えて、こういう用途にのみ使える仕組みのセットもあっていい。

その代わりに
聞いてくれる人にむしろなにかおまけ、をつけなくちゃいかんだろう。
あたりまえだが受信機は只、、となる。



2000.1.30

最近近くの家電屋さんに行ってきた。
一番面白かったのはデジタルカメラのブースだ。
価格も性能も同じようなところを狙っているんだろう、
ほぼ同じような商品が並んでいて
特徴的なものがあまり見えない。

それでもプリンター付きというのと
有名なレンズがついていてちょっと見、
一眼レフカメラのような形のものがあって
それらはなかなか独自性があって良いと思えた。

それにしても
つい最近はデジタルカメラの普及品でも300万画素を
超えるものがいよいよ出てきてもいるが
画素数の競争がこのままずっと続いていくとも思われない。
これがこの先、ある一定の線を超えた時は
一気に価格競争になっていくのではないか。

そして、やはり機能の向上をめぐって
アイディアの闘いが始るだろう。

もともと、カメラにおいてはアナログにしてもデジタルにしても
使い方はあまり大きく変ってきているわけではない。

最近はコンピューターをかいさずに印刷機、プリンターで
直接、銀鉛写真以上の画質を印刷できるというのがうたい文句になってきていて
まあ、たしかにそれも印刷がお店ではなく、「じぶんち」で
できるというのはいままでにない、デジタル化が実現した
いままでにない特徴ではある。

ほかにもホームページやデジタル情報のなかに
取り込んで使えるという特徴もあるのだが
なにか、もっとデジタル化がとんでもないメリットに
なるようなことってないのだろうか。

まあ、自分で画像を加工して、いろんな画像を作り出すこともできるし、
プリンターも普通のプリンターではなくて
なんにでも印刷できるとか、考えたりもできるが
もっと、「えっ!」と思わせるようなものはなにかないか。

だいたい、銀鉛写真にしてもデジタルで印刷するにしても
紙の上に印刷してアルバムやそんなようなものに
入れて保管するという発想からはなれなくちゃいかん、と思う。
とはいえ、写真というものは日常的に見ているというものではなく
あくまで保管する、記録しておく、という使い方が
一般的ではあるのだが、
でもアイディアによっては、そこから離れることによって
新しい市場ができることだってあるのじゃないだろうか。

と、考えてみると頭に浮かんでくるのは
ソニーがつくっているデジタル写真たてだ。
液晶画面がついている写真たてで
たしかスマートメディアに録画されている写真を
液晶画面に映し出して鑑賞することができるようになっている。
だけど残念ながらあまり話題になっているようにも思えない。
デジタルカメラとうまく組み合わせていろいろ考えてみれば
もっと面白い使い方ができるんじゃないだろうか。

そういえばプリンター付きのデジタルカメラは
写真付きで「名刺」をその場で印刷できるメリットがあると
誰かが言っていたっけ、これだってなかなかのアイディアだ。


ところで最近のデジカメは「動画」が撮れるものも多い。
短時間なんだけれど
結構鮮明に写すことができるのも最近はあったりする。

考えてみると静止画の写真は紙に印刷することもできるが、
さすがに動画は印刷するというわけにはいかない。

動画を簡単に「動画」としてみることができたら結構面白い。
モニターを通してではなくもっと簡単な道具を通してだ。

こういう動画のアイディアについてはここでも書いたが
もっとなにかかんがえられないか、、。

たとえばむかしからあるパラパラ漫画、、。
子供のころ、教科書やノートの隅を使って
動画を連続的に分割した一連の漫画を書いて
パラパラとまくっていくと動いてみえるというものだ。

これをデジカメを使ってやってみたらどうだろう。

動画から連続的に静止画をキャプチャーして
それを連続的に印刷していく、、。
最後にそれを重ねてパラパラとまくっていけば
動画としてみることができる。

考えてみれば、デジタルだってアナログだって
静止画を連続的にみることによって
あたかも動いているように見えているだけだ。

パラパラ漫画とそんなに違う原理ではない。
なのに、あまり重視されていないのは
子供のころのパラパラ漫画の体験がいまだに
子供の遊びとして捉えさせてしまっているのかもしれない。

だからあのパラパラ漫画をもっときちっとしたものにすることが
できればいいんじゃないか、、。

めくりかただって指で気ままにやるんじゃなくて
簡単な治具で押さえてやったりすることで
均一のスピードでみることができるとか
簡単なレンズをつけることによって大きくしてみることができるとか、。
やれることは結構あるのじゃないだろうか。
昔あった、時間の印刷された板片を重ねておいてめくっていく方式の時計
みたいなやり方なんてそのまま使えそうだ。

縦にめくるのじゃなくて円周上や直線状に写真をおいて
くるくるまわしたり直線的に瞬間的に見ていくというのでもいいかもしれない。
専用の治具に円盤上や直線的に印刷され配置された写真をおいて
定位置にきた時だけシャッターのようなものが
おりて連続的な動画のようにみることができる。

いずれにしてもあまり難しいものになってしまっては意味がないわけで
アルバムの静止画の写真を気軽にみるように
動画も見られれば良いと思う。

重要なのは動画として撮ったデジタル情報が
デジカメなんかで簡単に手に入るということであって
これを簡単にパラパラ漫画にして
専用の動画写真立てに入れておけば
決定的瞬間を動画で簡単にみることができるというのが良い。
、、まあ、長くても数秒だろうが
決定的な瞬間というものはあるものだ。
結婚式の指輪の交換とか、子供の何気ない動作の瞬間とか
スキーの滑っている瞬間とか、、。

こういうのを動画用写真たてにいれておく。
気がむいた時にパラパラとやってみる。
電気的なものではないから
いちいちコンピューターなんかを立ちあげておく必要もない。

一番近いのはソニーがつくっているデジタル写真たてかもしれない。
あれで電気を使わずに、あるいは太陽電池みたいなもので
気を使わずにおいておければいいんだろうが、、。





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