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その6



1999.8.22

景気が悪い、悪い、と言われているわりには
今年になってからも結構パソコンだけは売れているらしい。
家庭や職場に当然のようにパソコンが使われるようになったということだろうし
それなしでは生活や仕事がなりたたないところまで
いや、そこまではまだいかないにしても
どうも近いところまで来ているんじゃないか、そんな気がする。

インターネット人口もいよいよ1000万人を超えたとかで
「こんなもの趣味や遊び、その程度で情報だって
信頼のおけないようなくだらん情報ばかりでいつかはパンクするさ」
なんて声が聞こえたたった3〜4年ほどまえの状況からすれば
驚くべき状況まできた。

そんな「利用方法」の発展に比べて
パソコンそのものの発達はいささか?ではないかなあ、と
筆者は思う。

たしかにCPUだの、あるいはそこにつながる様々な機器などの
威力は毎日毎日驚くべき進歩を遂げて
その上で動くソフトとそれが実現できる仕事も大幅に拡大できてもいるが
逆にたった2年前のパソコンでさえよっぽど簡単な仕事くらいでないと
動かない。

でもまあ、それはそれ、どんどん性能がよくなっていって
それでできる仕事の範囲が拡大したり早くなったりすることは
悪いことじゃない。

ただ、筆者が最近危惧するのは
いくら性能がよくなっていっても
使う側が生活や仕事でつきあっていくうえで
あまりに質感の低い製品が多いことだ。

それなりのデザイナーの力も結集しているのだろうし
部品や構成の作り込みもされているんだろうが
使ってみてあまりにその質感やつかいかっての悪さに
筆者はいささか閉口ぎみだ。

最近のパソコンのなかでは
ソニーのデスクトップのシリーズや日立のプリウスなんかは
良いデザインだとは思っているし
たとえばソニーのバイオなんかは自社のAV機器との接続が
考えられていてなかなかおもしろいとも思うのだけれど


まあ、しかしデザイン以外は
どこのメーカーもあまりに同じというか同じレベルにとどまっていて
よくもまあ、そんなもんで良いと思っているなあ、と
寂しい気持ちにさえなる。

最近ではなにやらアイマックに似たウィンドウズパソコンが発売されて
物議をかもしだしているようだけれど
これもなにか寂しい気持ちにさせられる。

それにしても市販パソコンの質感は低い。
パソコンマニアの作ったワンメークのパソコンとなんら変わらない、
そりゃそうだ、入っている部品なんかあまりかわりはしないのだから。

まあ、部屋のなかを見渡してもプラスティック部品がこれほど
ストレートに露出している製品もない。
バスタブや冷蔵庫だってもうちょっとはしゃれている。


筆者が最近のパソコンに望むとしたら音質と温度だ。
音質といってもスピーカーから流れる音質ではなく
パソコンそのものからでてくる様々な音だ。
ま、すべてを押さえることは難しいとしても
もうちょっと音量と音質を改良できないものか、
またパソコンを冷やすためには苦労もあるだろうが
もう少し出てくる熱も下げることはできないか。

パソコンの電源を落とした瞬間にそのパソコンが発していた音と熱の
大きさに驚くこともおおい。

あとはまあ、やっぱりデザインとか細かい詰めだな。

それぞれのユニットが分離独立されたようなデザインになっているとか
もっと色彩に気を使うとか、
キーボードのキーのタッチ感をよく吟味してみるとか

グラフィックデザイナーと協力して
外装に塗装やデザインをくわえるだけでもおおいに変わっていくだろうし
そういえばオーディオ機器の変遷が今後はパソコンの世界でも
行われるのかもしれないとも思う。

むかしむかしは量産のステレオっちゅうものがあって
いわばテレビにつぐ家庭の文明のシンボルみたいな位置にあったのだが
いつのまにかマニア向けの高品質なオーディオ機器と
量産メーカーによる安いもの、カセットレコーダーの延長にあるもの、、
に別れてきた。
ただ、最近はその家庭用の比較的安いオーディオ機器も
デザインや質感に気を使った製品を投入してきていて
違った様相もみせてきている。

いずれにしてもパソコンの世界も今後同じようなことが
起きてくるかもしれない。

だいたい、デジタルデザインとかいってデザインとかアートとか
クリエーティブなことをやろうという人が
お仕着せのありきたりのパソコンで黙って仕事をしていること自身が
わからない。
スペックも大切なんだろうがそういう自己表現をしたり
アーティスティックなことをやろうとしてる人達が
人と同じもので表現しようとしていること自身が不思議だ。

外装をオリジナルにする部品や道具や
あるいはオーディオでいったら例の高級オーディオの「マッキントッシュ」
とかマランツやバング&オルフセンとか
掃除機でいえばダイソンとか、、
そんなパソコンが出てこないかと思う。

中身が一緒になってしまうのなら
そういうところで多様性を演出するしかないじゃないか。

うむ、そう考えればまだまだパソコンの世界でも
中小のメーカーや、キット、組み立て式、のメーカーなんかは
やれることはたくさんあると思うな。


1999.8.29

最近、テレビで陸上競技の番組中継をやっていて
特に競技場でやっている短距離や中距離の競技なんかを
手に汗握りながらみていると
気がついたことがある。

また、屋内や屋外で行われる「人気歌手や人気グループ」による
音楽コンサートの中継なんかを見ていても
同じようなことに気がついた。


こういった番組での「カメラワーク」が
とても斬新なものになっているのだ。

以前にもこの「アイディアノート」で書いたのだが
最近のオリンピックや車のレース「F1」なんかでは
どうやって映しているんだろうと思うような
とても新鮮なアングルで撮られた場面が多く映し出される。

前述の最近のコンサートやスポーツ番組では
それがもっと進んできていて
にわかには信じられないようなアングルの画像が登場する。

筆者はそういう番組を見ていると
スポーツや音楽そっちのけで
どうやってその画面を撮っているんだろうと
そればかりを見ていることになる。

特に「不思議」に思うのは
たとえばコンサートでいえば
ステージに並んだグループを真横から捉えて
そのままたとえば中心にいる歌手の正面からの顔を捉えなおして
つまり90度カメラを振って、そしてそのまま
観客のいるほうにカメラを引いていく、、
あるいはその逆のパターンだ。

つまりカメラを持っているカメラマンがいるとすれば
観客のうしろから正面の歌手に向かって
観客のあたまごしに迫っていって
そのまま中心の歌手の顔の正面までたどりつき
そこでカメラを90度横に向けて
ステージに並んでいるグループの横顔を
横から捉える、、ということになる。
これはカメラそのものの、たとえば望遠の能力や
解像度なんかの問題だけじゃないことに
素人目にもすぐわかる。

で、こういうコンサートなんかはよくよく見ていると
いままでとはまるで大きさの異なる
むちゃくちゃ大きいカメラ移動用クレーン?を使っているようだ。
もちろんカメラのところには人はいず
クレーンの先にカメラがぶるさがっているだけだ。
当然、遠距離からカメラに必要な操作はできるようになっているんだろう。
クレーンが驚くほどのスピードでカメラを移動し
さきほど説明したような動きをしているようだ。

もしこれを読んでいるかたでコンサートなんかに出かけたことがあって
こういったカメラをみたことがあるひとがいたら
ぜひ教えて欲しいと思う。


で、不思議なのは
たとえば具体的に言えばこんどの陸上競技の中継で
200M競技をやっている場面だ。

こんどの200Mでは世界記録を出したらしいから
この場面をみた人も多いだろうと思う。

この競技はゴールが100M競技と同じゴールになるために
スタートの場所が「3コーナー」の先になる。
そこからスタートして3コーナーから4コーナーをまわり
100メートル競技なんかが行われる直線に入ってきて
100Mと同じゴール地点で終わるのだ。

この200M競技のレースの捉え方が
すごく面白い。

ほぼスタート地点の真上とも思える場所から
スタートを捉え、そのまま選手の頭上から
選手らを写したまま直線まで一緒に入ってくるのだ。

さすがに直線に入ったあとは見慣れた真横から少し上の視点で
捉えた画面になってゴールするのを捉えるのだが

それにしてもスタートから直線に入ってくるまでの
画像がちょっと信じられないような画像になる。

で、懸命にどうやって捉えているんだろうかと
テレビに釘付けになっていたのだがとうとうわからなかった。

これについても知っている人、いましたらぜひ教えてください。

たぶんクレーンなんかでは追いつかないほどのスピードだろうから
きっとそんなものじゃないのだろうと思っているんだ。

筆者としてはきっとケーブルワイヤーを使った、いってみれば
ケーブルカーならぬケーブルカメラなんじゃないかと想像して
いるんだけれど、、

ここで何度も書いてきたように
そんな斬新なアングルで映像を捉える技術だけでも
それを望んでいる人はたくさんいるわけで
これからいくらでもそういう技術は発達していくのだろうと思う。

そういえばこの前、NHKの「世紀を超えて」という番組で
戦争のことをやっていて
アメリカの最新兵器のことなんかを言っていたのだけれど
そのなかに空中に浮かぶカメラ、、というか
たぶんカメラを積んだ小型の飛行船やヘリコプター、
もちろん消音されていて敵地を探るために飛ばすのだろうけれど
そんなものが出ていた。

こんなのはコンサートやスポーツ競技はもちろんだけれど
民間用としてはもっと利用は広がる。

山での遭難者を探すために飛ばしてもいいし
航空写真のサービスだって本物の飛行機やヘリコプターや
飛行船や、そんなものを飛ばすよりははるかに安価にできるだろう。
飛行船みたいなものだったら
音も静かだろうしある程度安全でもあるから町中でも飛ばせる。
ビルや住宅の新築記念の写真や学校の運動会を撮るなんてのも
いいかもしれない。

新築記念の写真やコンサートの動画ではそういうわけにもいかないが
とりあえず静止画でもいいし動画でも画像が荒れてて良い、
という使用方法ならば
最近、そろそろ登場するといわれているような
カメラ付きの携帯電話くらい小さく、軽量なものが利用できれば
(というか、あれそのものでもいい)
飛行体も結構小さくていいだろうし
システムそのものも安くつくることができるだろう。

さて、陸上競技のほうだが
これから視聴者があっと驚くような斬新なアングルからの
画像としては何があるんだろうか。

筆者としては先頭を走る走者の見ている画像そのものや
最後尾から走る走者の前を行く走者のうしろ姿なんかを
選手の息遣いとともに臨場感一杯でみたいと思うのだが
いかがだろうか。

最近、新聞やテレビで報道されるように
小型のCCDカメラを使って
悪いことやっているやからもいるようだけれど
そんなことやっているより
こういうみんなの役にたったり喜ぶような新しい映像感覚を
提供するようなことを考えてみてはいかがか、、




1999.9.4

画像の処理技術の変化についての話がつづくけれど
もうちょっと、、

最近のテレビコマーシャルや映画で
三次元の映像が多く使われていることに気がつく。

インターネット上のカタログやデータなんかにも
最近使われていて
たとえば自動車メーカーの新車のデータカタログにも
新車の室内を中央部分から上下左右、360度に
渡ってすべて撮って
見ている側が操作をすればすべて、
たとえば車の中央から見た前方や後方はもちろん
天井や床もすべて連続的に見ることができきる。

また一点から周囲をみるだけじゃなくて
一点を周囲からどんな方向からもみることができるようにもなってきていて
まあ、これはだいぶ以前からそういう仕組みはあったのだけれど
これもインターネット上で見せるやり方も登場してきた。

前述の通り、映画やコマーシャルでも最近は使われていて
コンピューターのハードの進化とソフトの進化は
すごいと今更ながら、思う。



そういうコマーシャルなんかで使われているのでは
モーションキャプチャー技術が最近では注目をびている。
人間とまったく同じように仮想の人間や動物やお化けや
そんなキャラクターが動くのはたいがいこの技術を使っている。
人間の三次元空間上の動きをすべて時系列で
デジタルデータ化しておいて
その上にほかのキャラクターを被せてしまうやりかたで
すべて三次元のCGやCADみたいなもので作ったのに比べると
人間の動きがそのまま使われるので自然な動きが再現できる。

ゲームソフトの人間同志の対戦ゲームなんかはだいたいこの技術が
使われていて最近はその人間の動きを収録するのも
簡単にできるようになってきている。
以前、「電子立国日本の自叙伝U」でやっていたのは
これらの技術を開発した企業のことだ。

話が飛んでしまったが
モーションキャプチャー技術に続いてこれから脚光を浴びるのは
きっと前述の三次元画像の技術だろう。

テレビコマーシャルなんかを見ていて「あれっ?」と思う場面が
最近ときおり出てくる。

人間が動いている画像があってカメラはそれを一点から見ているのだが
途中で、、たとえば空中に飛び跳ねた時とかが一番多いが、
その空中にある瞬間でカメラの動きを止め、
そのまま違うアングルに移動する。
カメラアングルの移動が終わったあと、
登場する人間が止まっていた状況から動きを再開する。
ざっとこんな流れなのだが、、

普通考えるとこれは普通じゃないことに気がつく。
最近の例では最近封切りされたばかりの映画「マトリックス」
がそうだ。
今書いたような場面が多用されていることに気がつく。
たぶんこれから「マトリックス」のメーキングビデオが出てくるから
どんなふうに撮っているかわかってくるだろうが、、
まあ、ともかく、、
この技術がさらに発展していけば面白いことが
できるだろうことは明らかだ。

スポーツの場面でも、映画でも、教育の分野でも
そういうことができればどんな応用が広がるか、、
想像するだけでも楽しい。

たとえばモーションキャプチャー技術との融合も考えられる。
膨大なコンピューターの技術とハードが必要になることは間違いないが
たぶんいずれは可能になるだろう。

静的な場面で違うキャラクターや人物を
違った人の顔なんかに被せることは可能な時代になって
映画産業にもおおきな影響があるだろうとは言われているが
モーションキャプチャー技術と合わせることによって
違う人の動きに違う人の体をかぶせ、
それを立体的な動きとして動的にみることができるはずだ。
いまのところモーションキャプチャー技術では人工的な体を
被せているのが多いのだが、
人間そのものから収録した立体のデータを
ほかのものに変えることができるのではないか。

まあ、それにしてもすごいことではある。




1999.9.12

この前、日経産業新聞の一面に
コピー機のトナーを供給する事業において
「メーカー純正」ではなくて
そのトナーの詰め替えを専門とする
詰め替え会社が急拡大している、という話がのっていた。

そういえば、インターネットで
「トナー格安でお届けします」みたいなメールが
一時、増えてきたように思う。

こういう、ある分野の標準品、この場合でいえばコピー機、
みたいなものが数多く供給されることによって
そこに必ず必要で使われるもの、この場合でいえばトナー、、
それが本来の商品以上のおおきな商売になっていく、、
という例は結構多い。

本なんかによれば
ネットワーク外部性とかプラットホームとか、、
なにやら経済学的に突き詰めていくと奥が深い話らしいし、

テレビと広告費、、あるいは
無料パソコンと有料接続の関係だって
もしかしたら同じことかもしれない、、ような気もするが
ま、その話は今回はおいておく、、、、


筆者が新聞を読んで、なるほどなあ、、と感心したのが

使用済みトナーカートリッジを交換する仕事で
急拡大している企業が
一方で企業向けにコーヒーの豆や機材の貸し出しを
している企業であるということだ。
よく見かけると思うが中小企業なんかにコーヒーを
抽出する機材を貸し出し、袋に入ったコーヒー豆の粉を
定期的に供給するというサービスを行っている会社だ。

この会社のビジネスモデルは
コーヒーサービスで取引きのある全国14万社の企業から
使用済みのトナーカートリッジを回収し
同時に詰め替え製品を届けるというものだ。

考えてみれば効率の良い商売だと思う。
で、こういうビジネスの形はいろんな展開の仕方があるのじゃないかと思う。
要は点と点がネットワークというか、すでに点に向けて
デリバリーできる足回りを持っている企業が
どんどんそのルートで持ち込めるものを持っていけばいい。
一度で持っていくものが多くなればなるほど
効率はどんどん上昇する。



新聞配達しながら牛乳配達して宅配もやって
ピザも配れば逆に集金もできる、、、
ヤクルトおばさんだってそれができる可能性がある。

結局、いままでは、いやまだまだそうなんだが
既存の流通の流れが変わっていないから
同じような線が何十本も家庭や企業に向かってひかれていることになる
これを何本かに減らせばいい。要はそういうことだ。


このアイディアノートの最初のほうで書いたことがあったと思うが
たとえばある企業や人が
「この地域の家庭群、企業群に届けるすべての「もの」は
すべて私のところの「倉庫」で預かり一括して配送しますので
私のところにまとめて納入してください。
配送費がかからない分だけ安く納めてください。
お客様もそのほうが良いと言ってます。」
といって新聞から牛乳からヤクルトから宅配から郵便から
そういうものすべてまとめてしまったらどうだろうか。
どこかの集配場みたいなところで各企業や家庭向けに
品物を分けてまとめてその後に配達、、
まとめて行くから安くもなりお客さんも喜ぶ、、

問題は「もの」の重要度や配送時間のずれなんだろうが
案外まとめて持ってきてくれて安くなっていればそれでいい
、、というような「もの」もあるんじゃないだろうか。

まあ、これは結構いろいろ難関はあるにしても
今回のトナーカートリッジとコーヒーの結びつきを
考えてみると
ただ単に「企業を回ること」が商売になる可能性だって
おおいにあると思える。

とりあえずは身近なところで
企業や家庭を回ることを商売にしている人にどんな人がいるか
調べてみたら良いと思う。
で、その人に「もう一品」持って回ってもらうことができる方法を
考えれば、、でもその「もう一品」がいったい何なんだろう。
情報はインターネットで流通してしまうし、、
と、考えてみると
「もう一品」はこちらで考えるのじゃなく
お客さんが「もう一品」を教えてくれればいいんじゃないか、、
なんて考えてきたら、、、結局「便利屋さん」になってしまった。



1999.9.18

最近はコンビニでなんでも生活に必要なものは買うようになった。
水道から出てくる水でさえも
コンビニで買うペットボトルの水を利用することが増えてきた。
筆者も実はペットボトルの水の利用が多くなった。

ペットボトルの飲料水を飲んでいると困ることがある。
肝心のペットボトルの処理だ。

毎日のように飲むものだから
ペットボトルの量のたまり方の早さも尋常ではない。

昔に比べ減容するための技術もあって
まあ、乱暴に燃やしてしまう、というのから
つぶす、なあんてのもあるんだが
これも結果的には燃やしてしまうことにかわりない。

フリースという着る物に変えて
しまうのも一つの手ではあるのだけれれど
これもすべてフリースにするわけにもいかないし
はっきり言えば「本来の解決」にはならないと思う。
可逆的であるのが解決方法としては正しいと筆者は思っているんだが、、

、で結局、ペットボトルを使わないか
もとの原料に戻すのが一番良いと思うのだが、、
原料に戻すのはいろいろ研究もしているだろうが
「使わない」というのは今の段階ではなかなか難しい。

紙なんかでできた入れ物なんかを利用するようになればいいと思うし
ペッボトルの厚さをもっと薄くすれば
それだけでもいいと思うし

で、例えばドイツなんかでは逆にペットボトルの厚さを
目いっぱい厚くして
何度も再利用できるようにしているんだという。

環境先進国ドイツ、ならではである。

もともとそういうことをやっても
傷がついたペットボトルを平気で勝手くれる
人々の意識の違いがあるんだが
日本でならどうなるだろうか。

やはり傷が付いたものは使うことをためらう文化
というのはあるかもしれない。

だいたい「マイ箸・マイ茶碗」とか「使い捨ての割り箸」がある国なのだから
作家の井沢元彦氏ではないが
「けがれの文化」を持つ日本では「使いまわし」はなかなか難しいかも、、

それでも牛乳びんの使いまわしやビールビンの使いまわしなんかは
普通に行われているんだからあながち不可能とも思われない。

だから水も飲料水全体もガラスビンにしてしまえばいいのではないか、、
と思うのだが、、、。

飲料水にはガラスビンもあることはあるがこれは使い捨てが圧倒的に多い。
これは大事にしていてもお金にならない、、ということもある。
だから大事にされない。

思い切ってガラスビンでもペットボトルでも
高級感を持たせて再流通しやすくしたらどうだろうか。

最初に買うときに少々高価でも
大事にしておけばちゃんとお金になるのなら
捨てることもないしちゃんと流通にのるのではないか。

使い捨てのビンとおなじようなものではだめで
ちゃんと業界共通のデザインがされていて
捨てるにしのびないような気持ちにさせるようなビン、

ガラスが割れてしまう危険があるのなら
ペットボトルでそういうものを作ればいい。

つかい回しをすればどうしても傷がつくが
その傷を取るなんてのは今の技術からすれば難しいことでもあるまい。

今日のアイディア、
たいした話でもないように思われるかもしれないが

こういう「リサイクル」(あまり好きな言葉ではないが)や
「使いまわし」の技術は
どちらかといえば高度な技術というよりは
町内会の当番を決めるとか、ゴミを出す決め事を決めるとか
そんな程度の話であると思う。

ゴミ袋に名前を書くとか、その町の名前の印刷された袋しか
ゴミ収集所にだしてはいけないとか、
そんな程度のアイディアでいいのだと思う。

高度な技術で環境に負荷のない状況を作りだしていくというのも
もちろんすばらしいのだが
もっと身近で簡単なアイディアを使って
推進するやり方もあるのだと思う。



1999.9.26

最近抽象的な話が多かったから
今日はちょっと具体的なアイディアを、
といってもまたこの間凝っている
「宣伝方法」のことになってしまうのだけれど

大きな広告塔やビルの壁面や
あるいは駅の通路なんかに張り出された
大きな宣伝用ポスターというのをいろいろ見かける。

どれもデザイナーが作ったのだろうから
なかなかうまい具合にできているんだけれど
どうも大きいだけでインパクトに欠ける。
ああいう大きさで中に書かれているものが動いたりすれば
いいのだと思うけれど
大きくなればなるほど動かすことは技術的に困難になるだろうし
金額も結構なものになるだろう。

ビルの壁面なんかでは
細かくポスターを分割して裏側にも絵の書かれたセグメントに分け
一つ一つあるいは一段一段に分けたそのセグメントを
カチャカチャとひっくり返していって
裏側のポスターに「変更」することはよく行われている。
一挙に裏返すこともできるのもあったと思ったが、
まあ、こういうことを使えば画面のキャラクターを動かすことも
可能ではあるだろう。
が、この仕組みがたぶん価格が高い、とかポスターを分割して貼らねば
ならないから手間が大変とか、維持費も大変とか、そんなふうに思える。
特に問題は厚みが必要ということであるように思う。
そういう「仕組み」を入れ込む必要があるから結構厚くなる。
だから駅のポスターなんかはちょっと無理かな。


で、こんなことを考えた。

例えばキャラクターの一連の動きを何枚かの動きに集約する。
滑らかな動きにするための最小限の画面の数に絞る。

これを一枚一枚小さな画面に分ける、
といっても切ってしまうのではなくて
コンピューターの画像の処理でいい、そういう分割した
小さな画面や点にわけて保存する。
極めて小さな大きさまで分割すれば単色の点(ドット)でもいい。
丸でも四角でもいいだろう。

で、そうすると、最初いくつかに絞った画面の
一連の場所、例えば一番右上とか一番真ん中とか
そういう特定の位置の「画像」や「色の点」を
キャラクターの動きの変化にともなって
画面の数だけ連続的に変化させれば動きが再現できることになる。

なんだ、テレビじゃないか、、そう、テレビと同じ。
で、これをメカ的に行う仕組みを作る。

ある一点に必要な色や画像をキャラクターの動きの変化の順番に
円周上にならべる。
丸いドットで5分割であれば梅鉢の家紋みたいな状態だし、
多分割であればレンコンの穴のような状態だ。
四角で4分割ならば田の字にようになる。

その一つ一つに画面の変化にしたがって分割したドットを
円周上に、一方向に(右まわりとか左回りとか)、はめ込む。
これが一つのセグメントを構成して
これを最初の画面を構成するだけならべる。
画面を100×100=10000分割すれば
そういう田の字が100×100個並ぶことになる。
コンピューターで処理すればプリンターで比較的簡単に印刷できるだろう。
見た目にはなにが印刷されているかちょっとわからない。

さて、もう一枚、こんどは黒か白かあるいはなにか単色の
同じ大きさの板状のものを一枚用意する。

で、そこに分割した画像と同じ大きさの穴を開ける。
四角のドットであれば四角の穴を丸であれば丸い穴を開ける。
穴を開けるピッチはセグメントに分けた
そのセグメントとセグメントのピッチ間と同じにする。

で、先に印刷したわけのわからない画像と
穴を一杯あけた板を重ねてみる。
そうすると、、ちょうど穴の部分からは
連続して動く画像の例えば最初の画面だけが見えることになる。
どちらかの画像か板かを最初に作ったセグメントのなかで配置した
円の大きさに合わせてちょっと円周方向にまわせば
次の画面が出てくる。
これを連続的に行えば画像が連続的に動くように見えるはずだ。

問題は画像の数を増やすと一枚の大きさに何枚もの絵の情報を
重ねるから相対的に一枚あたりの情報量が不足する。
画像の数を増やしてスムーズな動きにしようとすれば余計そうなる。
穴のあいた板を黒や白で作っておいても
どうしても暗っぽくなるか白っぽい感じになってしまう。
ただこれも画像の色の成分を研究すれば
事前に穴のあいた板に色を調合しそれと下の画像の色をあわせることで
むしろ多彩な表現ができるかもしれない。

また、そんなことを考えていたら新聞に面白い話がのっていた。
パソコンのプリンターを使って微細なレンズを作るというアイディアで
板の上にプリンターから点状に射出した液状プラスティックを
表面張力によって丸い状態を保ったまま固めてしまうというものだ。

これを使えば穴のあいた板の穴の部分に無数のレンズを作ることが可能だろう。
下の画像の色の情報を拡大することができるはずだから
暗っぽくなったり白っぽくなったりしないで
いいかもしれない。

で、最後にその板を小さくまわす方法だがこれはそんなに難しいことじゃない。
薄いモーターは最近いろいろ出ているからそういうものを
四隅につけるか、すればできるだろう。

あるいは以前講演会で聞かせていただいたことがあるが
東大の先生が考えた静電力を使った紙やフィルムの送り装置
を使えばもっと簡単でもっと薄く、もっと複雑な動きが可能になる。
例えば逆回転やあるところから反復運動だってできる。

と、まあ、いろいろ考えてきたが
もっともいままでのようにディスプレーやテレビのブラウン管なんかの
画像表示装置でむちゃくちゃ安価なものが登場すればそれで済む、
とも言えるのだが、、




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