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その39



2009.1.18


正月を挟んでだいぶ時間をあけてしまいました。

ことしもよろしくお願いします。

年末はインフルエンザにかかってしまい、
人にうつしてはいけないからと
結局年を越すまで仕事にならず、
ここのところでようやく
仕事に復帰してきた、という感じです。

ところで
久しぶりのアイディアノートですが
そのインフルエンザにかかった経験から
感染症対策のアイディアなどを
寝床のなかでいろいろ考えました。

特にマスクや石鹸などは
いろいろ周辺にビジネスがありそうで
面白そうなのですが
しかし年末から新聞などを見ていると
結構この二つに関しては
すでにたくさん商品化されたものがあって
よほど特徴があったり
違ったものでなければ
商品化もおぼつかないな、と思っています。

ただ、インフルエンザ関係のビジネスでは
ただ単に機材や消耗品を作る、というよりは
周辺に発生するネットワークモデルとか
ビジネスモデルを考えてみたら良いと思いました。



ところでビジネスモデルという点で
考えただけで
まったく関係のない話になるけれど

最近なにかで読んでなるほどなあ、と思った話がある。

筆者の町にもあるのだが
シネマコンプレックスという
映画館のビジネスモデルがある。

昔は大きな部屋が一つか二つあるくらいの
映画館が一般的だった。

映画を週末に見にいくことが
まだ娯楽のなかで成立していたころは
封切りされた新着の映画を比較的大きな部屋に
たくさんのお客が訪れてみたものだったが
最近は田舎の映画館であっても
小さな部屋をたくさん用意してあって
映画も新着であっても
比較的たくさんの新しい映画が
たくさん用意されて
それらのたくさん用意された部屋で
みることができる。
筆者の町のシネマコンプレックスでは
6つの部屋が用意されているが
たぶん一番小さな部屋の収容能力は
たぶん20人くらいのものだろう。

6つの部屋では
それぞれ別々の映画が上映されていて
たぶんその気になれば
週末ごとに毎回違う映画、それも新着の映画が
見られるようになっている。

昔のような映画館ではこうはいかない。

で、こういうシネマコンプレックスといわれる
映画館モデルは最近流行りで
郊外のショッピングセンターに併設されていたりして
栄えているらしい。

筆者の町のシネマコンプレックスは
まだシネマコンプレックスという言葉が登場する
前から同様のビジネスモデルを
展開していて繁栄してきた。

多分わが県でも
最初のシネマコンプレックスだろうと思われる。

最近では
県庁所在地やそれに次ぐ大きな町にも
シネマコンプレックスができたりしている。

逆にこれまでのような映画館モデルは
撤退してしまったりする話が多いのは
いまさらここに書くまでもないだろう。

東京などの巨大な都市でシネマコンプレックスのような
モデルが繁栄するかはわからない。

むしろ人口が多い町は
巨大な部屋に多数の人員を入れて
毎週をそれを繰り返して
見たい人々が全員来ても
ある程度長期で大きな収容とビジネスが
期待できるからだろう。

というか、むしろ巨大な都会では
他の映画館で他の映画をやっているわけだから
いわば町全体がシネマコンプレックスのような
構造になっているともいえる。

さて、こうしたシネマコンプレックスだが
いままでは封切りした新しい映画をどんどん持ち込んで
小さな上映部屋で見せる、ということが。

なるほどなあ、と思うのは
こういう形体の場合、
人気のある映画などの場合
複数の上映部屋で同じ映画を上映することも
可能だということだ。

なんだそんなことというなかれ
こんなことができるのはシネマコンプレックスだからこそだ。

多様で多種な映画を細かく上映することもできれば
その気になれば
全部屋で同じ映画を上映することもできる。

これはものづくりの考え方でも同じだ。

それに限らずこれからの次代には
市場の多様化に合わせて
サービスや物財を供給する仕組みも
多様になっていく。
生産装置もそうだろうし供給装置やシステムも
そうだろう。

あ、そうそう、大事なことを
忘れていた。
シネマコンプレックスで
同じ映画を複数の上映部屋で上映する場合に可能な
ことがもう一つある。

同じ映画であるが上映時間をずらすことができるという点だ。

前後の用事にあわせて
自分が見にいける時間を選択できるなんてのは
シネマコンプレックスの一番の利点かもしれない。

いままで映画は映画館が勝手にきめた時間に
こちらがあわせて見にいかないとだめと
みんなが思っていたはずだし

シネマコンプレックスは
多様な映画が見られるということが
利点だと思っていたのだが

時間も自由になる、という
シネマコンプレックスの利点は
考えてみれば
たしかにシネマコンプレックスによって
可能になったことであり
もっとはやく気がついていてもよかった。

もっと多様でいろいろな映画を
時間も自由に見ることができる
シネマコンプレックスが
今後は登場するかもしれない。

オンデマンドビデオとかCATVとか
いろんなサービスがあるが
旧来の映画館であっても
それに近いこと、いや大きなスクリーンで
見ることの楽しさを考えれば
自宅で見ること以上の楽しみを
映画館サービスとして
供給できるかもしれないのだ。

シネマコンプレックスの効能だけでもこれほどの
ことがありえるのだから
ほかの様々なサービスやビジネスも
もう一度可能性を再認識する必要があるのではないかと
筆者は思う。


2009.1.25

以下はなんだかありそうなので
どうかとは思うが
一応この前こういうものがあれば
いいなあ、と思ったので
それを書く。

冬になると水道の扱いに苦労する。
不凍栓をひねって
凍るのを防止するとか
凍結防止帯を使って
凍るのを防止する。

まあここまではいいのだが

水道から外の部分は
なかなか苦労する。

特にビニルなどの樹脂でできた
ビニルホースは
家屋の外の水道に使われていて
例えば年末の大掃除の時に
車などを洗車したあと
中に水が入ったままになっていることが多い。
不凍栓をひねった後でも
ビニルホースのなかには
水が残っていて
これが凍ると蛇口をひねっても水が出てこなくて
次に使う時に苦労することになる。

で、
この場合、
なんらかの方法で
水を追い出しておけばいいはずだ。
というわけで空気などで
ビニルホースの中を空にする別回路があればいいと思う。

要は簡単だ。

ジャバラなどでできた
押し踏む簡単なポンプが
ホースの途中、できれば
巻き取り装置の一部に
ついていればいい。

最近のビニルホースの装置は
巻き取り装置にあらかじめ巻かれて
一体になっているものが多いので
その装置に上記機能がついていればいい、
ということだ。

家人や作業者が
水道をとめた後、ポンプなどを
足で踏んでホースのなかの
水を追い出してしまう。
自動ではなくても人力でいい。

まあ、空気を使わずとかしなくても

ホースそのもの
が発熱してくれて
中の水が凍らないとなおいい。
たとえ凍ってしまっても
あとからなんらかの方法をとって
中の水を溶かせばいいのだし
普通このような場合には
お湯をホースの上からかけて
中の氷を溶かすのだが
いちいちお湯を持ってきて
溶かすのも面倒だ。

ホースがなんらかの方法で
中で凍らないのが一番いい。
あるいはホースが
その時だけ
太くなって
中の氷が出て気易くなるという方法もありえるが
これはたぶんちょっと難しい。
ホースを発熱させるというのは
コスト的にちょっと大変だろう。

ホースのなかに細いチューブを
通しておいて
それはいつも空の状態にしておいて
溶かすときだけお湯を通すという
方法もあるかもしれないが
だったらホース全体にお湯をかけたほうがいい。

ホース全体を暖かな状態におく、
例えば電熱のプレートの上においておく、と
いう方法もあるだろうが
ホースや水道を
使いもしないときまであたためておくというのは
電気だけ使って無駄だ。

やはりホースの中に空気を送り込んで水を
出してしまうのが一番良いように思う。

しかし
それにしても
いくら冬の寒い土地だから
しかたないとはいえ

水道を凍らせないために
凍結防止帯を巻いて
電気を流しっぱなしにしておくとか
ちょろちょろ水を流して凍らないようにするとかは
もったいない行為だと思う。

不凍栓から下は問題ないので
そこから上の部分で凍らないための、
画期的な方法、
それも水や電気を使わない方法はないのだろうか。

空気を入れて中の水を追い出してしまう方法
それも自動的にやる、というのは成立するだろうか。

ここまで書いて思ったのだが
いちいち地面から下に埋め込まれていたり
室内から遠く離れているところに配置されている
不凍栓が
もっと近くにあったらどうなるのだろう。

水道の蛇口の横に不凍栓の切り替えレバーから
ワイアーなどで延長された
切り替えレバーが
室内にまで延長されていて
そろそろ水道が凍結しそうな時間とかになったら
水道の蛇口を締め終わった後に
不凍栓もしめてしまうことができたら
どうなるんだろうか。

もちろん不凍栓から蛇口の間に残った水が
凍らないようにするとか
なんらかの方法はとらなければならないが、
たぶんそれは蛇口を開放しておけば良いのではないか。

ちょっといろいろやってみたら
なにかアイディアや良い方法が
でてきそうではある。


2009.2.1

筆者の知り合いで
トヨタのヴィッツに乗っている人がいる。

今のヴィッツは登場してから二代目であるが
友人はその一台目から二代目と乗り継いでいる
熱烈なヴィッツファンだ。

小型で足が速く燃費も良く
デザインも良い小型車は
たぶん世界的にみても
このヴィッツが優れている。

デザインであればヨーロッパの車で
例えばランチャとかアルファロメオがあるが
やはりメンテとかを考えると国産が良い。

小型で足が速く燃費も良といえば
やはり国産の2BOXが良いできだ。

かつデザインも国際水準に達しているといえば
もうヴィッツしかない。

もともと日本でデザインしたクルマではないから
デザインがなんとなく・・・というか
まったくはっきりとヨーロッパ的
であるのはあたりまえといえばあたりまえだ。

ヴィッツ以前の国産2BOXでは
ここまで洗礼されたものは残念ながらなかった。

今、国産でそのレベルにあるものは
ヴィッツ以外にはごくわずかだ。

で、もう一つヴィッツを持ち上げるなら
工業製品としてのレベルが高い、ということだ。

つまり生産コストと生産物の仕上げのレベルが高い段階で
つながっている、ということだ。

性能が良かったり仕上げがよかったりする車は
今の日本では珍しくない。
ただ、コストとの両睨みで成立しているのは
ヴィッツがダントツだ。

単に仕上げが高級だ、という意味ではない
ヴィッツというレベルのクルマに
ちょうど良いレベルの仕上げを
作るほうの立場でもチャント儲かるように作ってある、
ということだ。
つまり工業製品としてよくできている、ということだ。

そんなわけでヴィッツに関して友人や筆者はべた褒めなのだが
しかし、実は二代目になってからは
ちょっと疑問に思う点もいくつか出てくる。

仕上げも一代目に比べると
あきらかに手を抜いているように
感じられる部分が見受けられるし
内装の質感もあきらかに低く感じる。

いろいろな機能も実は
退化している部分が相当あるように思う。

で、特に感じるのは
ドアのオートロックの機能だ。

これは筆者が頻繁に乗っているのでもないので
馴れの問題かもしれないが
やはり気になるので書いておく。

ヴィッツ初代のドアロックは
ドアの上部に突き出す形式だった。
ロックされると引っ込み
ロックを解くと上に突き出すあのタイプだ。

二代目はドア内側の開閉レバーの上にちょこんとついた
よくあるタイプに変更されている。

で、クルマを外から見ると
二代目はロックされているかどうかは
にわかにはわからない。

初代は外から見れば
ドアがロックされているかロックが解かれているかは
即わかった。

キーホルダーも
ロックとアンロックは
別別のボタンになっていて
どっちがロックでどっちがアンロックのボタンかは
覚えればそれで良いのだろうが
これがなかなか思え難い。

ライトの点滅ももちろん
ロックアンロックを教えてくれるのだが
これも覚え難い。

もともとその友人は
初代のヴィッツもまだ持っているから
しっかり混乱してしまうらしい。

初代ヴィッツは
キーについたボタンが一つで
押すたびにロックとアンロックを
繰り返すだけだ。
ドアのロックも外から見えるから
よく確認できる。

二代目のヴィッツのようなクルマも
最近は多いと思うが、
あまり考えてつくられているようには思えない。

ほかにもこれはお客をばかにしていないかと思えるような
部分も多く見られて
所有者の友人には悪いが
すくなくともこの二代目のヴィッツには魅力は感じない。

ヴィッツに限らず
クルマはずっとそのブランドに乗りつづけることが
普通は多いと思う。

であれば
クルマを動かしたり運用するために必要な作業は
代が変わってもあまり大きな変更はするべきではないと
筆者は思う。

そういえば
クルマの大きさそのものも
基本的にはフルモデルチェンジするたびに
大きくなっていくが
あれだっておかしな話だ。
使用者たる人間の人体的な大きさの変化は
10年やそこらでは変わるわけないし
町の道路環境だってそう変わるわけではない。

都内と北海道では
日々運用するクルマの大きさは平均して
違っていて当然だとは思うが

同じ町でずっとある人が使うクルマであれば
そう大きさに変化は求めない。
家族構成なんかが変わったり
使用者の年齢が高年齢化するとかであれば
もともとクルマそのものの選択が変わるはずだ。

良い車、というのは
けしてデザインが良いとか
格好良いとか性能が高いとかだけではない
燃費が良いとかだけでもない。

ずっと使っていて愛着が湧いて
ずっと乗りつづけたいと思わせてくれるような車。

もし距離を稼いでしまって
どうしても変えることを余技なくされる場合

いままでのクルマと同じように維持できて安心して
乗れるような車が良い車であると思えるのだ。

ましてこれからの時代、
大きくて権勢を誇るような車を無駄に乗るような
時代でもあるまい。高齢化も進む。

であれば小さくて丈夫で
格好もよくてそこそこの性能を有していて
燃費もよくて
なにより愛着が湧いて長く乗りつづけられる
そんなクルマが必要になると思う。

状況によっては長く乗ってきた車を
フルオーバーホールしてくれて
まっさらな状態に戻して再び乗れるように
してくれるようなサービスが
クルマのメーカーから提起されて良い。

友人の初代ヴィッツと二代目ビッツに乗るたびに
そう思うのだ。


2009.2.8

年末年始は風邪を引いて
あまり外出ができなかった反面
家のなかで
日頃できなかったことを
やることができたのだが
そのなかの一つが
日頃やっている新聞の切り抜きの
整理だ。

もうだいぶ前から
複数の新聞を取っている自分は
毎日そのなかで興味を持った記事を
切り抜いたり
そのページを破いて積み重ねておく
ようにしている。

約10年も前からの記事も
蓄積してあったりして

なかには興味深い記事もある。
そんな記事の切り抜きは
よほど時間に恵まれないと
一気に読み返すことなど
できないのだが
風邪を引いてそとに出られずにいる
年末年始などは
それをやるにはちょうどいい。

そんなわけで
数日間にわたって
切り抜いた記事を
読み返しては
あまりこんにち的ではない記事は
捨て、そうでない、いまでも
興味深い記事は
再び蓄積する。

10年前の記事もあると書いたが
本当に面白い記事もある。


10年前というと
あの「グーグル」が
会社を作ってまもなくのころで
ちょうど会社作って半年のグーグルが
すぐ注目を浴びだしたので
そんなわけでなんと
グーグルへのインタビュー記事が
でてきたりする。

どんな内容かについては
また
そのうちレポートするから
楽しみにしてもらいたいが、

ともかく、
そんな新聞記事を読み返していると
なるほどと思うような
興味深い記事に
いきあたることがある。

例えばだ。

「メンタイコ」「明太子」はご存知だろう。

「スケトウダラの卵巣を唐辛子等を使った調味液で
味付けした」もので
赤い色をしたもので誰もが知っていると思う。

だけどこの「明太子」で白い色のものは知っている人は
たぶんいない。

お汁粉は小豆の色がそのまま使われるから
あの「小豆色」のたべものだ。

これも白いお汁粉があると誰もしらないだろう。


ホワイトチョコは昔から
ポピュラーだから
みな知っているだろうが
「お汁粉」や「明太子」の白いものは
みな知らないと思う。


「お汁粉」の白いものは
実際あるお店で出ていて
ちゃんとファンがいて
その店も繁盛しているらしい。

一方の「明太子」は
どうせ赤い色は唐辛子だけでばく
人工の着色がされているのだからと
白い色の「明太子」を作った業者が
いたらしい。

ただ、さすがに白い「明太子」は
人気が出ずに
今は商品化されていないのだという。

「明太子」「お汁粉」「チョコ」以外にも
通常は色がついているがそれを
色をとって白とか着色なしで商品化したものは
いくつもあるらしい。

ちなみに「明太子」「お汁粉」の話は
一つの新聞記事で紹介されたものではなく
別の記事になっていたものだ。

だから
「明太子」は売れなかった。
「お汁粉」は売れているというのは
まったく別の記事で新聞も記者も
当然、記事になった時日も異なる。

それにしても不思議に思った。
「明太子」は売れなかった。
「お汁粉」は売れている。
この違いはどこで生じたのだろう。

この記事以外にも
通常色がついていて白にしたことでも
新たな客がついて売れているという記事も
見つかった。
(その記事がまたもや積み上げた記事の山に
隠れてしまい見つからず、いったい何だったのかも
残念ながら思い出せない)

たしかに色を変えるだけでもの珍しくて
新しい客が出てくる、ということも
あるのだろうと思う。

であれば
「明太子」のあの赤い色がいやだから
食べることは控えていたのだが
白なら食べるとかあってもいいはずだが
それはなかったようだ。

結構、色と食料品の関係は
複雑な関係がありそうな気がする。

おっと、ここまで書いて思い出した。

赤い色が通常のイチゴも
最近は白いイチゴが出回っているらしい。
白い色ではなんだかすっぱい感じがしそうだが
このイチゴは色は白くても
ちゃんと甘いらしい。

もの珍しいのか
これもお汁粉と一緒で売れているらしい。

・・・なんだかメンタイコは不利な話になってしまった。

でももしかしたら
イチゴとお汁粉は白でも売れるが
めんたいこは白はだめでも
なにかほかの色ならいい、ということは
あるのかもしれない。

ともかくも色と食料品の関係には
その人気のある無しに関して
いろいろありそうではある。

それにしても
食料品と色の関係を
新聞記事で追ってみるなんて
そうそうできるものではない。

よくもまあ、そんな記事を
切り取ってあったと思うが、
それにしても
切り取った時間もだいぶ離れていたはずで
そんな記事に興味を持って
切り取った自分の問題意識は
いったいどういうことだったのか。

人間の問題意識とか興味とかは
結構時日が離れていても
わりといつも似たようなことしか考えて
いない、ということなのかもしれない。


2009.2.15

さすがにこの経済危機で
これまで絶好調だった
台湾のパソコンメーカも
若干は不調をかこっているようだが

この先、いくらEMSなどを利用しても
体質的に高コスト構造を抱えている
日本のパソコンメーカーにくらべれば
儲けるかどうかは別として
世界のパソコン需要の多くを
それらのメーカーが取っていくことは
たぶん間違いないだろうと思う。

特に最近の5万円ほどの安いパソコンは
日本でも追随するメーカーもあることはあるが
やはりこういう商売は
台湾メーカーのほうが
圧倒的に上手いように思う。

それにしても5万円ほどの
ノートパソコンが登場するとは
ほんの数年前では
だれも思わなかっただろう。
いくらパソコンの部品が
驚くほどに値下がりすることが
あたりまえになったとはいえ
パソコン本体がこの価格になるとは
驚かされた。

こういうパソコンが出てくると
ほかの周辺部品や商品なんかに影響もでてくるだろう。

パソコン本体がこれほど価格が下がったので
中途半端な周辺機器は
代替されてしまって購買に結びつかないという
現象がでてくるかもしれない。
一方、パソコン本体の価格が下がったことで
そのパソコンにない機能は
外部機器を買うことで間に合わすことに
価格的な抵抗がなくなるら
うまくすると思いがけず売れはじめるものがあるかもしれない。

昨年末からそういう目線で見ていて面白いと思ったのは
超小型のプロジェクタだ。

スリーエムと台湾メーカーが出しているが
これが結構売れているらしい。
手の平に乗ってしまうくらいの大きさだから
ノートパソコンなんかといっしょに持ち歩くには
いいだろう。
もとより価格が3万円台から5万円くらいと
そう驚くほどの価格ではない。

それと
テキストで文章を書き留めるに特化した
キーボードと小さな画面がついた
キングジムのポメラという機材が昨年秋に出た。

実質2万円ほどのものだから
もうちょっと足して
前述の安価なノートパソコンが買えるから
普通だったらいらない、と思うのだが
実は安価であることと
電源を入れたら4秒で立ち上がる。小型である。
ことなどからこれも結構売れているらしい。

USBでパソコン本体に接続して
テキストで打ったファイルを
簡単にうつせるから
パソコンとPCを両方持っていても
たぶん不便ではないだろう。

実際筆者の友人はこのポメラが出た後すぐ購入し
タテモノ、部屋の中外、出張先、電車の中、で
いろんな文章を打ちまくっているが
便利このうえない、と大絶賛だ。

ただし筆者は出たばかりのときは
価格が2万8000円くらいということから
それであれば5万円のノートパソコンを
買うほうがいいのではないかと
家人から止められた。

しかしやはりいろんな場やシチュエーションで
文書をデジタルで打ちたい場合には
便利だろうから
いずれは買おうと思っている。

特になんでもテキストにするという癖のある人に
とってはやはり便利だろう。

筆者もほぼすべての文章を
まずはメールソフトでテキストにして
それを元にワードなどで文章の体裁を作っているが
そういう人もたぶん多いと思うから
そんな使い方もきっと増えてくるような気がする。

ということで
安価なノートパソコンと
テキストにする道具と
安価で小さなプロジェクター
  (もちろんなにかの発表用として)
の組みあわせは
とりあえず筆者や周りの似たような
癖の人にとっては最強ではないかと思わせる。

この三つを組みあわせても
大きさ重さはたいしたことはない。

で、あとはなんだろう。
最近はUSBメモリーが
驚くほど値下がりして使いやすくなった。

いくつ買ってもそう負担にはならない。

ただし、使いやすいかというとそうでもない。

。
ファイルの中身を覗くのも面倒だ。
取り外すための若干の儀式も面倒だ。
付けっぱなしにしておけばいいが、
パソコンの横に突き出すのは邪魔だし

もうちょっと工夫が欲しい。

ファイルの移動をしている時に
メモリーをはずすのはご法度だろうが
抜こうと思えばできてしまう。

であれば移動している間とか
ご法度な時は

物理的に抜けないようにならないだろうか。
実際、筆者はそれで大事なデータが入っていた
メモリを一つパーにした。

いや、本当に、もともと、
PCや周辺機器というのは
もともとがマニアや熟練者が使うことを
前提に発達してきた機材だから

物理的なやり取りとか取り扱いの対応は
比較的考慮されていない。

そういう点で家電とかはよくできていて
ちゃんとフェイルセーフというか
使う人の安全はもとより
機材が壊れないようにするための工夫もされている。

しかしPCやその周辺機器は
それがやはり弱いと思う。

パソコン本体がこれほど安価になり
誰もが使えるようになりつつある時代なのだから
使用者の安全はもとより
機材が壊れないようにする工夫はもっとあっていい。
もちろん機材のデータも。

どんなことをやってもデータが壊れない、
という方法があってもいいし
物理的な工夫でもいい。
USBメモリーが物理的に
抜けないだけでもいいのだ。

でもそのほうが結構「ものづくり」としては
むずかしいのかもしれないが。


2009.2.22

以前、LEDが発達してきて
これなどを使い
光のなかに情報をいれるという技術が発達してきた、
という話を書いた。

例えばいまのところ
一番利用の可能性が高いと言われているのは

美術館のようなところの
例えば絵や展示物などを
照らす、あるいは照らさずとも
その周囲に点灯している
照明の光のなかに
LEDの点滅、人間の通常の視力では
わからないほどの細かく点灯された
デジタル情報なのだが、それを
あおの光のなかに「入れて」おく。

来訪者にはそのデジタル情報を読み取って
文字や音などに変換したり
別の方法で供給されたりしている
情報、例えば電波やその機材そのものの中に
積載されている情報を呼び出す
トリガーとしての情報を
その照明の光のなかから呼び出す簡単な
装置をもたせる。

来訪者はその装置を持って
展示物をめぐり
目当ての展示物の前にたって
ちょうどその場の来訪者にあたっている
照明に手にもった装置を当てると
その照明にかくされたデジタル情報を
理解し、前述の情報そのものや
あるいはトリガーとなる情報を
呼び出し
来訪者とその場の展示物の情報を
つなげることができる、という、ものだ。

その後どれほど世の中に
こんな仕組みが出てきているかは
わからないが、

とりあえずそんな仕組みは
成立しそうではある。

でも考えてみたらこれからLED照明は
白熱電球はもとより
蛍光灯をも駆逐していくことになるだろうから
いずれそう遠くないうちには
すべてといっていいくらいの分野の照明が
LEDになっていくことも
考えられないわけではない。

環境省エネや耐久性、コストなど考えても
そうなっていくような気はする。

であれば
太陽などから得る自然光以外の
ほぼすべての照明の光のなかにデジタル信号による
情報を落とし込んでおくことが可能だし
もちろんそれは静的なものだけでなく
動的なもの、リアルタイムに変化していくもの
あるいは
同じLED照明機材なのだが
シュチュエーションによって
発する情報を変化させたり
複数の情報から選択して発光させることも
可能になるだろう。

無線と違って
見えさえすれば
そこに情報が入っているということになれば
結構面白いことができそうだ。

夜の夜景をみたときに
そこに見えるすべての光に
情報が隠されているとしたら
ちょっと不気味な話ではあるけれど
なにかとてつもない可能性もあるように思う。

例えば独居老人の家庭の状況を
LED照明の光で出して
それを消防署が
高いところから一日監視していて

例えば体調に優れないときなどは
それを感知して消防車を出動させるということも
できるかもしれない。

もっともそのような場合は
電話やインターネットで充分できるはずだから
LED照明のシステムである必要はないのだが

ここでは詳しく書かないが、
よく考えてみれば
類似のシステム様でいろいろ考えられる
可能性はもっとある。

クルマのライトもどんどんLED化が
進んでいるから
クルマのライトの光からも
情報が出てくることも
できないこともない。

もちろん
光がでるものであれば
ほぼすべてに使えるだろうから
懐中電灯でも可能だろう。


2009.3.1

電車で遠くに出張することが多い。

電車のなかでは弁当を買ってたべることは
日々慌しいなかでの楽しみの一つではある。

で、この弁当だが
中身はともかくイレモノをみていると
結構最新の素材などが使われていて
ハッとすることがある。

一番感心したのは
生分解性のフィルムでなかの食材を
覆っていたもので
これは驚いたから
そのフィルムは捨てずに持って帰ってきた。

生分解性だから
ゴミとして地面にすてても問題ないはずだが
たぶんもともとの梱包は紙でできていて
きっと焼却しているのだろうから
そのフィルムもきっと同時に焼却してしまうのだろうから
そのフィルムだけ生分解性フィルムにしても
たぶんあまり効力はないように思えたのだが
自然環境保護のために
地道な努力をしているのだとしたら
たいしたものだ。ごめんなさい。

さて、
昔から弁当を一つひとつの単位にくくっているのは
白い細い紐であったと思うのだが

最近みたものでは
透明なプラスチックフィルムのテープ状のもので
くくってあるものがあった。

ただのテープでは面白くもないが、
そのテープははがしやすい、梱包を解きやすいように
テープの縦方向と直角な方向
つまり「普通切断する方向にさけやすく」なっていた。

テープにはどこからでも切ることあできます、と
書かれている。

たぶんフィルムそのものには方向性はないのだろうと思う。
テープの両側にある一定の幅で
小さな穴がベルト状にあいていて
それがテープを切りやすい状態にしているのだろう。

プラスチックフィルムはどこかに
傷とか穴とかがついていると
そこから切れやすくなる、
歯でちょっと傷をつけても切れやすくなる、
あれと同じことだ。

ただ、これに関しては
最近コンビニのお弁当で
面白いテープがあるのに
お気づきの人もいるのではないか。

弁当やサラダのふたを固定しているテープだ。

テープの両側に黄色に部分が
印刷されていて
一応そこには「横からどこでも切ることができます」と
書かれている。

ただし、興味を持って
懸命にそのテープを切ってみようと
いじってみるのだが
なぜか普通のテープのようなままで
切れやすくなっているとは思えない。
なぜだろうか。

さて、それはともかく
コンビニの、それもサラダなどの
梱包なのだが
前述のテープが
だいたい、三箇所貼られているのは
皆さんご存知だと思う。

しかし、このテープがやはりはがしにくい。

ふたと本体のいれものの間に
隙間がある場合には
そこに指をひっかけて
テープをはがすことができるのだが
その隙間がないような容器の場合には
指がかからず
したがってテープがなかなか剥がせない。

あの状態はなんとかならないのだろうか。

テープの端が
まるまっているなどして
指で引っ張りやすくなっていればいい。

テープの切断機で
自動的にそんなふうにテープを切って
まるめてくれる機材があったと思う。

コンビニ弁当を作っているところに
そんなテープ切断機とか
なにかアイディアのある
機材があるだけで
だいぶコンビニ弁当の競争力は
あがると思うのだが。



2009.3.15

以前、工業系の展示会で
見たもので
マイクロフォンアレイとでもいうのだろうか

マイクが面状に並んでいて
それを音源のほうに
だが正確には音の発生するらしあたりに
むかって掲げると
その正確に音のする部位を
パソコンで表示する、というものがあった。

考えてみると
視界にはいってくるもので
色が変わっていったりするとか
形が変わっていくとかするものは
どの部分が変わっていくかを
知るのは簡単だが
音のする部分を知るというのは
案外難しい。

そのための「マイクロフォンアレイ」
なのだろうが
これがあるとだからすごく便利に使えることは
おわかりだろう。

それができるかどうかはわからないが
音の違いで部分の特定ができれば
異音がする装置とか機材とかの
問題点を知ることもできる。

機材が発生させる振動なんかでも
知ることもできるけれど
大型のものとか人から離れている機材なんかは
音で知るというのは有効だろう。

ただ、今のところ
このマイクロフォンアレイは
ちょっと大きさがでかい。

狭いところに入っていって
音源を特定するには
ちょっと大きすぎる。

例えばクルマの車内にはいって
音の音源を調べるなんてことは
結構要望としてはあるように思う。
実際、筆者ののっているくるまも
最近走行中にどこかからか
音が聞こえるようになってしまった。

走行中だから
自分で調べるわけにはいかない。
走行中でないと音はしない、わけで

小型で使いやすい
音源探査用のマイクロフォンアレイが
あれば
自動車修理屋さんやディーラーなんかは
喜ぶだろうと思う。

ついでに
視界や音で言えば
次は匂いだ。

これは空気の流れが
関係するから
簡単ににおってくる方向を
探査するというのは
難しいそうではあるけれど
実際それができればこれも結構
有効だと思う。

いずれにしても機材とか装置とかに
なにか以異常なことがおきたときは
形や色や音や匂いなんかでも
異変が起きているわけだから

これを知ることができることは重要ではあろう。

それも起きたかどうかだけではなく
どこがおかしいかを知ることは
重要だと思う。


2009.3.22

季節の変わり目になると
衣料を出したり引っ込めたりの機会が増える。

当然、家のなかには
オーバーやコートや
背広やらブレザーやらシャツやらが
一杯になっていて
それらを移動させたりする機会も増える。

ところで、それらの衣料品だが
上に並べたような
オーバーやコートや
背広やらブレザーやらシャツやらは
だいたいはハンガーにかけられていることが多い。

で、そのハンガーだけれど
チャンと高級なハンガーなんかは
それなりのスーツだとかコートだとかが
かかっているのだが
シャツやちょっとふだんに使っているような
ブルゾンやらジャンパーなんかは
あまり高級なハンガーは使わず
クリーニング屋から付いてきた
針金でできた
超簡単なハンガーをそのまま使うことが多い。

たぶん自動の装置で作っているか
中国とかで作っているのだろうと思うが、
この針金製のハンガーは
簡単にできているわりには
結構重宝するのだ。

どの家庭でも
たくさんかかっているのではないだろうか。


ただ、この針金製のハンガー
弱点があって
軽いシャツなんかをかけている場合には
問題はないが、
コートとかブレザーとか
ジャンパーとかで比較的重量があるものは
針金の細い部分が肩のとこを支えることになるから
跡が残ったり皺になったりする可能性が高く
その場合には使えない。

で、最近はプラスチックのハンガーなんかで
それも安価なものがよく使えわれることに
なってきたのだが、その場合にも問題がある。

ハンガーをタンスの中の棒なんかに
ひっかける場合には
衣料品の肩の向く正面方向と
ハンガーをかける棒の方向が
一致していれば問題ない。

あるいは壁につけたフックなんかに
ハンガーをかける場合にも問題はない、

つまりハンガーの形状が
肩を背負い込む部分の面と
棒やフックにかける
ハンガーの「ハテナマーク」の部分が
面一なら問題はないのだが

例えば壁に出ている出っ張りなんかに
ハンガーをかける場合には
ハンガーのハテナマークを肩の方向と
直角にしなくてはならない。

で、
プラスチックでできた安価なハンガーは
大量に生産されていることもあるのだろう、
基本的には肩の部分と
ハテナマークのフックの部分が
面一になっているのが固定というか
一体ものになっていて修正することはできない。

針金のハンガーなんかは
手でグイとばかりに90度ひねってやれば
問題はないのだが

プラスチックでできた安価なハンガーには
そういう問題がある。

もちろんおおかたの、
わざわざ購入してきたようなハンガーは
ハンガー本体に対して
ハテナ形状のフックは
別ものでできていて回転させることが
できるのが普通だから問題はない。

家庭で使うすべてのハンガーを
わざわざ購入したものに
変えればいいのだが
わざわざクリーニング店で
つけてくれるハンガーを
捨てたりするのも勿体ない。

というわけで
そのハンガーのアイディアが欲しい。

たぶんクリーニングについてくるような
安価なプラスチック製のハンガーは
安価であることと
輸送のこもあって面は一方向であることが必要なはずだ。

面一のハンガーなら
輸送時に重ねて一定の体積に量を多く納めることができる。
フックがねじれていると
その分、体積を取られてしまう。

かといって
フックを回転できるような構造に最初からすると
型の制作費や別部品にして組み立てとかすると
コストがかかってしまう。

そういう点では
針金のハンガーはとても良いと思うのだが
そのかわり肩の部分の問題が
針金ハンガーの場合には前述のようにあるわけだ。

たしか肩にあたる部分に紙かなにかで
できたサポーターというか衣服に
ダメージを与えない簡単な別部品があって
それを針金ハンガーにつけたようなものもあった。

これはこれで良いと思うが
別部品をわざわざ作らなくてはならないのと
組み立ての問題は依然として残る。

紙の部品だと耐久性の問題もあるだろう。

で、組み立てを消費者やクリーニング屋さんに
任せてしまう、という手はあると思う。

例えば、射出成型でプラのハンガーを
作るときにあらかじめ
別部品としてのフック部分を
いっしょに射出成型で焼いてしまう。

型はちょっと複雑にはなるだろうが
安価に作ることは技術で解決できるだろう。

使うときに
フックだけ平たく別部品として同じ型のなかで
射出しておいて
プラモデルのようにそれをはずして
旋回可能な取り付け部分を作っておいてユーザーが
はめ込んで使うようにするとか。

フック部分のツメとかをパチっと折れば
即回転できるようにしておくとか。

方法はいろいろあると思う。

どういう形状がいいかはそれは技術者の
腕のみせどころだ。

それともう一つのアイディアとしては
ハンガーを生産時の形状は
平たくして輸送コスト
がかからないようにしておいて
クリーニング店から
外に出ていくときに

肩のサポーター部分なんかは
使うときにパチっと折り返して
固定したりして
半永久的にサポーター付きの
ハンガーとして使えるようにするといいかもしれない。

つまりフックの部分にしても
肩のサポート部分にしても

射出成型時にできるだけ簡単で
薄く作っておいて

クリーニング屋さんやユーザーのところで
使うときになったら
フックが回転できるようにできたり

肩のサポート部分を良い形状に変更できたり
そんなことができれば良いと思うのだ。

これができればそのハンガーは
家庭のなかで重宝され喜ばれるだろう。


2009.4.5

筆者の住む県は
工業製品や工業技術で食っている県でもあるのだが
一方で農業で食っている県でもある。
だから農業と工業の連携などは
もっと積極的に行われていてもいいと思うのだが
実のところはあまり聞かれない。

そんななかで
先日新聞の県内欄を見ていたら
東北部の地域のある街の異業種交流組織が
ぶどうの手入れ作業をするさいに手入れ作業を
補助する器具を開発したと
ニュースがあった。

ぶどうがりを
したことがある人ならご存知だと思うが
ぶどうはぶどう棚という
高さ2m近い水平に張られたネット状の棚に
ぶどうのつたが絡まっていて
その棚の下にぶどうがぶら下がるようになっていて
それを収穫する。

当然、手入れをするにはその棚の下にたって
上を見上げて手を上にあげての作業になる。

考えただけでもわかるだろうが
首は上に向けねばならないし、
腕を上にあげなければならないし
結構肉体的につらい作業だ。

今回その町の異業種交流グループが開発した器具は
簡単にいえば
体に装着したベルトから
腕を上にあげたときに
腕を支える棒状の器具を支えるものを出し
その棒状のものの先端にもベルトがついていて
二の腕を固定できるようになっている。

新聞では棒状器具の動きは詳細にはわからないが、
たぶん車の「あおり」なんかについている
アブソーバーみたいなものなのだろう。

それにしてもこの器具、
実際に仕事をしている人たちの声をよく拾ったものなのだろう、
というよりたぶん開発しているグループに
ぶどう農家の人自身かよほ関係者に近い人がいたのだろう。
すでに50台の注文があり
今後も数百の注文になりそうだという。

一台4万円ほどの製品で、
数百台うれたとしても
そうおおきなビジネスではないが、
しかし、今後全国のぶどう農家に普及していくことを
考えれば、あるいは消耗もかんがえたら
そこそこ面白い商売になるように思う。

で、たぶんこのようなビジネスはもっと存在する。

農業だけ考えてもお米の農家だって
田植えは大変な作業だし。

からだに負担をかける農業は
そうとうに多そうだ。

農業だけではない。
製造業、工業だって、これと同じ問題は多い。

例の人間の力を増力するロボット、
これは最近では
筑波大や理科大や農工大、あるいは本田技研などで
開発されていて
例えば製造業での組み立て工程などで
作業者に負担がかかる姿勢や
部品を保持することが要求される場合に
そのようなロボットが必要とされていて
実際、すでに開発が進んでいる。

あるいは介護の現場などに使えるものとして
開発も進んでいる。

でもそれらのロボットは名前の通り
ロボットの技術の延長だから
結構高価で、開発コストもかかっているのだろう、
さすがに4万円ほど、とはいかない。

だから逆に考えたら
工場の現場でも介護の現場でも
このぶどう手入れ作業用器具の延長が
役にたち、導入費用も圧倒的に安価で
喜ばれるのかもしれない。

日本のロボット技術は世界一、とか
言われているし
*どこから言われているのかわからんが、
国もロボット技術で世界をリードする、と言ってきた手前
どうしてもロボットから派生してきているような
シナリオになりがちだが
もっと平たく考えたら
ロボット技術とかロボットという言葉に
規制されてしまう前に
もっと簡易な技術でできることはあるのだと思える。
なんといってもそういう柔軟性は
今後は大事だと思う。
あまりロボットという言葉に翻弄されないほうがいい。

まあ、実際その器具を販売していく場合には
ロボットという言葉をつけたほうがいいのかどうなのか、
それはなんともわからない。
でも補助器具といわれたほうが
農家のおじさんおばさんにはうけはいいようにも思う。

それと
ぶどう手入れ作業から他の農作業にビジネスの分野を
移行するのはいいと思うが
介護とか工業の組み立てとかに商売を移行しようとすると
いろいろ規制がかかったり
敵も増えるだろうから
しばらくはゆっくりと進めていったほうが
いいだろうとは思う。

ともかく
こんな時期に農業と工業でつながった良い例を
知った。皆さんがんばってください。


2009.4.25

日付印というものがある。

品物を受取とかした際の
受け取った認証と
その日時を印に入れて
ハンコを押すもので、
だれもがみたことがある。

基本的には
日時の部分がベルト状になっていて
月が12まで、
日が31日まで印影ができていて
それが回転するようになっていて
その日に合わせて
手で調整して使うようになっている。

たぶんこういうものは
それを使う事務所なんかの
担当者が朝いちばんで
その日に合わせて調整するのだろう。

でもそれはめんどうだろうし

できれば
月と日だけでなく
時間までハンコをおせたらいいと思う。


であれば
自動的に日時を認識して
ハンコを調整できる日付印があればいいと思う。

月が12まで、
日が31まで回転できればいいし

時間は23時59分まで
数字が回せればいいはずだ。
まあ、実際には
0から9までの数字を表現
できればいいはずだし
ベルト状の印である必要もなく

たとえば簡易的なインクジェットの
印刷機材的なものでもいいかもしれない。

いやむしろ明確に印刷するのであれば
インクジェットのほうがいいかもしれない。

正確な時間を認識するには
今
は電波時計があたり前になっているし
前に書いたことがあるように
家庭用の電波時計から
インターフェイスが出ていて
外部機材に時間の信号を出すようになっていればいい。

もともと電波時計の一番の
優位なところは
外部の機材とつながることで便利になることである
と筆者は思っているのだが、
まあ、それはともかく、

電波時計と自動調整のついた日付印があれば結構便利だと思う。


それとこれを書いていて思ったのだが

日付印に限らず
はんこをインクジェットで行う、というのも
結構面白いと思う。

実印はそうはいかないだろうが
認印とかくらいであれば
インクジェットでいいだろうし
複雑な陰影である社判であっても

インクジェットで十分可能だし

むしろ状況によって
いろいろ書きこむ内容を変更できたり
たとえば日付印のように時間も印刷できるとか

たぶんいろんな利用方法がありそうだ。


2009.5.24

昨年あたりから
インフルエンザへの対応が
国や地域、産業や社会としても重要な事項であるとされてきて
実は筆者も強い興味を持っていたことから
例えば昨年10月ころに各県などで行われた
インフルエンザへの対応のためのシミュレーションや訓練などが
各県などで行われた際に
興味を持って見学にでかけていったことがある。

その際に
感染症対策やインフルエンザに対応するには
どうしたら良いかという話以外にも
いくつか考えることがあった。

特にここでは産業とのかかわりについて考えたい。

といっても感染症の蔓延によって産業や社会に及ぼす影響
とかの話ではない。

感染症とビジネスのこと、だ。

火事場泥棒みたいなことをよしとするような感想を持たれて
誤解をうけるといけないが、
しかし、今度のマスク騒動を見ていても
けしてこういう場合にも
経済原理とかと無関係ではいられないことはすぐわかる。

感染症もインフルエンザも社会の動きも経済の動きも
人々によって構成される同じ社会の上で起きるのだから
ら切り離せないものであることは考えてみた自明だ。

さて、実際、今度の問題でマスク関係の産業は
潤った、という事実があるだろう。

マスクを「結果的に」備蓄していた業者や業界では
ある意味結果的には特需もうまれたかもしれない。

備蓄をしていた、というよりは
季節性インフルエンザが例年蔓延したり
新型インフルエンザが発生する可能性が強く言われたり
たとえばそれに関連する映画なども上映されれば
こういうものを作って販売しようとするビジネスへの機運が
少しづつ社会の中や産業界に広まっていたのは当たり前で
むしろ思ったよりも売れずに苦慮していた業者にとっては
一斉に在庫処分ができたという朗報にもなったのだろう。

しかし、このような順番や発生状況が
今後毎年繰り返されるわけではない。

だから、メーカーは来年もメーカーとして
備蓄しておこうなどとは
安易に考えないほうが良い。

今年の冬も季節性インフルエンザははやるだろうし
もしかしたらそれを前後して強毒性弱毒性含め
新型インフルエンザは広まる可能性もあるだろうが
しかし、はやらない可能性も実はあるのだ。

実際、ウィルスの蔓延には
周期性があると言われていて
それもたとえば太陽の活動の周期に同調している
という話もあるくらいだ。

まだそれらの原因がわかっていない以上、
バクチでかけるわけにはいかないだろうから
そういう意味で必要な量のマスクは
むしろ国が買い上げて備蓄しておく必要はあると思う。

あるいはそれに順ずる方法を考えておく必要もある。


ところで
人からうつらないためのマスクと
人にうつさないためのマスクは
あきらかに異なるのだが
それを理解していない人は多い。

人にうつさないためのマスクは
フェイスマスクでも良いし
要は飛散させないようにすれば良いのだ。
自分がかかったと思ったら
マスクをするかあるいはなにか布状のものを
口に当てるようにする、ことが重要で
ただしクシャミをするのは突然だから
いつもそれに対応するのであれば
布状のものを手にもっているよりは
マスクをかけてしまうべきだろうと思う。

また、マスクをしている人は
自身が感染者だと思われるのもいやだろうから
今回のように老若男女みんながやっているようになれば
それはそれでかまわないではないか。
それだと感染者だと特定されることもないし
自分が感染を自覚しているしていないにかかわらず
ともかく人にうつすことを減らせることはできる。

人や環境からうつらないためのマスクということでは
フェイスマスクではたしかに
空気感染にはからきし弱いが、
直接飛沫などからある程度守ることでは意味がないわけではない。

また、汚染された自分の手で
不用意に自分の顔や粘膜に触れることもある程度
避けられるので意味がないことだとも思わない。

もちろんN95のような空気感染にも
ある程度強いマスクであれば
それにこしたことはないが
N95はどうしても息苦しいので
とっておきの時につかえばいい。

どうしても人ごみいかなければならないとか
感染が疑われる人や地域に
入っていかなければならない場合などだ。

まあ、もともと空気で感染する場合には
感染源と3M以上離れたり
広い場所に拡散される環境では
感染率が大幅に低下するといわれていて
回りに人もいず、開放された空気の環境下では
マスクをせずとも問題はないとされているのだから

それに気をつけて
かつフェイスマスクにしてもN95にしても
やらないよりは確実に感染率は下がるはずで、
ほかに面倒な話がなければ
(海外ではむしろ不審者扱いされるとか
入手しにくいとか9
やれるものならやるにこしたことはない。
フェイスマスクであれば
昔からのガーゼのマスクや
手作りの布で作ったマスクでもいい。

マスクの話になってしまって恐縮だが、

いずれにしても
マスクがこれほどビジネスに関連するとは
みな思わなかっただろう。

実はマスク意外にも
感染症対策からビジネスの関連する話は
たくさんある。
ビジネスの目線でこういう社会的課題を
解決していくことも重要だろう。

そういえばもう一つ考えたことがある。
感染症などは濃厚な接触、要は
人と人が近接することによってうつる。

情報技術やらインターネットやらあるいは
テレビを見ていてとかではインフルエンザは
絶対にうつらない。
いまのところそういうのはコンピュータウイルス
ということになっている。

以前美人女優のシャーリーズセロンが出る
SFサスペンススリラー映画で
宇宙人が地球をのっとるのにはるか離れた星から
地球に実際にくるのは現実的ではないので
情報で宇宙飛行士経由で地球をのっとるという話があった。
要は遠隔地から流されるDNAみたいな情報そのもので
人間を宇宙人のしもべに改造してしまうという話ではあるが
これはなるほどと思った。

で、話は戻って感染症はそんなわけで
身体的な接触ないしそれに近い近接した環境下でうつるが

それにしても
ごく短時間で世界中に数万人に及んだということは
驚くべきことだ。
実際に認知されていないだけで感染されている人々は
たぶんもっともっと多いだろうが
それらの人々に近接した環境下で
世界中の人々にごく短時日にうつったということの意味は
実はとても深いと思う。

このある意味では
ネットワークによる人から人への感染というか接触が
この情報化の時代にあってもおきた、
いやたぶんグローバルな時代であれば
むしろもっと広域的に短時間のうちに
大規模に広まる、ということはむしろ高まる、のであれば

感染症に限らずこれは
社会的ネットワークのインフラや仕組みや
あるいはビジネス含めいろいろなことに関係してくる話なのだ。


2009.5.31

昨年からの経済と産業の苦境の進展は
いまさらここで書くほどのことでもなく
もう生活や仕事のうえで
いろいろ考えたり行動するうえでの
思考のスタート地点のように
なってしまっているのだが、

それでもどうすればこの状況を
抜け出ることができるのだろうかという
問に答えた知恵や方向は
まだまだ見いだせないでいる。

多くの中小企業零細企業にとって
自分からそんな方策を
見出すのはなかなか大変なことで
多くの場合は
ただ、状況が好転するのを
待つばかり、といったところだろう。

世界中がこうなってしまった以上
そう簡単に産業と経済が好転する
とは思えないが、

それでも
実際なにか抜け出る方策を考えてみるのと
同時にもし「ものづくり」を
生業にしている企業であるのなら
なにか作ってみること、が

やはりこの時期は重要だろうと思う。

せっかくものを作る機械や装置や技術を
持っているのだから
手があいている時間に
なにか考えたものを作ってみる、というのも
大事なことだ。

それでも地元の新聞なんかを読んでいると
地元の太鼓のグループが必要としていた
横笛を太鼓グループの同級生仲間が
金属で作って使ったところ結構評判がよくて
製品化しはじめた、なんているニュースも
紹介されていた。

これだったらそうお金がかかるわけでもないだろうし
うまくすれば材料費も
在庫に持っていた材料なんかを使ったり
工具もこれまで持っていた工具でできれば
自分の手があいた時間でやりさえすれば
実質「ただ」で生み出すことができるはずだ。

「だめもと」でやってみることが
大事だろうと思う。

実際にはじゃあ、なにをつくるのか、ということだが
たしかにそれを考えだすことが一番難しい。

人によりけりだがこういうものを
考え出すのが
得ている人と得ていない人はたしかにあって

得ている人はどんどんやってみたらいい。

得ていない人は、だけれど

これはやはり世の中に関して
興味をもってみていることにつきると思う。
で、そこにじぶんだったら
何があればいいかを考えればいい。

それができないのが問題なのだろうけれど
もしそれをいつも頭にいれても
考え付くことができないとおもったら
考え付くことが得意な人と仲良くなればいい。

その人はアイディアは考え付くけれど
でも形にできない、ということであれば
ちょうど組み合わせになる。

世にいう「連携」とはそのことだ。

で、多くの場合、こういう連携は
物理的に近いということが多い。

同級生とか仕事仲間だったりすることで
物理的に近接しているのだ。

これは大事なことで、
話をしたりお互いにイメージを
共有したりするには
ちょうどいい。

で、そうなるときっとアイディアも
地域の社会に関係したものがいいのではないかと思う。

たとえば観光とか
教育とか介護福祉などがいいと思う。

最初から数を作って大きい商売にしようなどと考えず

どこかで困っていたりあったりするとありがたいと思っているものを
まずは一個作ってみるということだ。

それがほかにも伝播していけば
結果的に大きな商売になる可能性もないではないが、
まずは最初の一個を作ってみる、ということだ。

教育とか介護福祉というと
利害関係者もなかなか多いし
複雑な問題もありそうだから
ちょっとなれたころでいいと思うから
まずがさきほどの例にならって
観光とかイベントなどはどうかなと最近は思っている。

観光で体験型観光っていうのが最近は多いから
そんなものもいいと思う。

体験型観光や地元のお祭りやイベントなんかで
案外別のもので間に合わせていたり
それなりに考えられたちゃんとしたものを
使っていないことも多い。

あるいはあることをやりたいのだけれど
敷居が高かったり
高価であったりすることで
容易にできないことも多い。

地元の製造業に携わる人々で
そんな要望に応えていけば
結構作って喜ばれるものはあるように思う。

とりあえず地元の美術館や博物館にいってみたら
いいのじゃないか。
ああいうところでは
お土産ものとかになかなかいいものがなくて
困っているところとかもあるように思う。

問題はやはり、そういう「マーケット」と
「製造業」をつないでくれる
コーディネータ役があまりいないことだ。

自らアイディアを考えて
自ら形にすることができる人は
バイタリティさえあれば次に進めるが

なんどもいうが
形にできる人で、かつ
マーケットに自ら乗りこんでいける人はあまりいない。

ただ、観光とかは
お客あっての商売なので
とりあえずその場にでかけてみたらどうだろうかと思う。

高速道路も1000円で遠くまでいけるようになったし
いろんな美術館や博物館なんかまででかけていけるし
観光地にいけばいろんなものがあるから
ものづくりが役にたったり直結できる分野も
たくさんあるように思う。

季節も暖かくなってきたから
お祭りはイベントも頻繁に行われるから
アイディアやビジネスを思いつくには
絶好のころ合いかもしれない。


2009.6.7

先週のつづきになってしまうが。
そういえば
5月のある日の毎日新聞に

  福祉用具の「ひやり」学ぶ

という特集があった。

福祉ジャーナリストのかたが福祉の現場から
用具等の使用時の「ひやり」としたり「はっ」としたことを
調査したのだという。

200件近い事例の大半が
車いすとベットの周辺でおきていたのだという。

そうだろうと思う。
福祉介護の対象となる人は
車いすやベッドの周辺やあるいは
そのものといっしょにいることが圧倒的に
おおいはずだから。

で、そのなかでもおおかった「ヒヤリハット」の
ひとつは
「車いすのブレーキのかけ忘れ」だったという。

のりこむときにブレーキが効いていなかったので
車いすが後ろに下がってしまって
尻もちをついてしまう、ということらしい。

タイヤの空気が不足していて
ブレーキの利きが甘い、かかっていない、ということ
もあるらしい。

最大の問題は
そういう「ヒヤリハット」があっても
そのままになってしまうことらしい。

なにか「ヒヤリハット」があったら
その場で対策などが行われればいいはずなのだが
そのままになってしまうことが多いという。

どうやら多くの場合、
マネージャーや責任者に報告をするようにとか
以降は気をつけようとかいうところで
終わってしまうようだ。

で、こういうところにこそ、先週も書いたように
製造業の出番はあるのだと思う。

立ち上がれば
自動的にブレーキがかかるようにするとか
空気圧に関係なくかかるブレーキにするとか

製造業にかかわっている人で
アイディアを形にできる人であれば
たいして難しい話ではない。

その記事では

「坂道で止めると車いすが動き出してしまうのでは」とか
「マンホールで車輪がすべってしまうのでは」とか
などと考えて行動することで事故をさけることができきる。
と書かれているが

実は「ヒヤリハット」は
それだけでは防げないはずだ。

こういう問題にこそ
工学的な見地や取組は欠かせない。

と考えてくると
製造業や工学的見地をもつ人々の
力を発揮するところは
まだまだいっぱいありそうだ。


2009.6.14

安全ということで

先日新聞の全国紙に宣伝
がのっていて
結構かっこよかったので
目にとまったのだが

スエーデンの自動車メーカーで
今度出すSUVの車の
安全対策技術が結構面白い。


日本でもトヨタあたりは
安全技術をいろいろ取り上げて実用化しているが
たぶんここまでのものは
まだないと思う。
というかなんでなかったのだろうと思った。

そのメーカーの安全技術とは

前を走る車との車間距離を
常に認識していて
もちろん自分のスピードも把握していて
自分がよそ見なんかをしていて
車間距離が思わず近すぎる状態になって
これ以上近づいたら
ブレーキを踏んでも追突してしまうと
車が認識したときには
車自身で勝手にブレーキをかけて
車間を保つようになっているのだ。

車間がつまってきたら
ドライバーに知らせるとかではなく
勝手にブレーキを踏んでしまうというわけだ。

高速道路などでのクルージングシステムの仕組みとして
前車との車間を自動的に保つ、というのは
いままでもあったと思うが
街中の運転中、自動的にブレーキをかけて
場合によっては車を停車させてしまう、というのは
いままではなかったと思う。

考えてみればたしかにこれは有効ではある。

その車の宣伝文句のなかにあったが
追突事故などは
街中でのそれが圧倒的に多いという。
たしかにそう言われれば
緊張感をともなう高速道路などの運転より
街中でスピードがでていない状況では
緊張感も失われて事故が発生する場合も
多いようにも思う。

スピードが出ていないといっても
やはり追突事故などでも
人身に大きな影響がでるから
それを防げるのは有効だ。

いくら慎重な人でも
なにかのきっかけで
前方不注意で
前車との車間距離が
思わずつまって
ヒヤリとしてことはあるだろう。

やはらそういう「ヒヤリハット」に対応して
人の不完全性を補助してくれるシステムが
どんどん世の中にでてくれればいいと思う。

ところで
こういうシステムは
当然コストもかかるわけだから
自動車のような効果な商品にこそ
オプションやあるいは
その車のように全車標準装備、などということも
できるわけなのだが、

これがたとえば
バイクとか自転車とか
あるいは歩行者という人間そのものとかに
装備するのは大変だ。
本来であれば
そういうものにも
安全のための装備が
備わっていれば良いはずなのだが
やはりコストや重量などから
もし開発されても
装着するようになるのは
いろいろ問題がありそうだ。

でも、だからこそ
バイクや自転車やひとに使える
安全装備があればいいと思う。

最近はバイク用のエアバックなども
でてきたようだ。
ヘルメット以外にもエアバッグも当然有効だ。

自転車だってなにかあってもいい。
エアバッグほどは必要ではないとしても
レース用ではない使いやすく負担にならない
簡単なヘルメットでもいい。

それと
そういう外部から受け身を取る装置以外にも
もっと交通システムとして使用される装置があってもいい。

たとえば
子供やおばあちゃんとかが
脇道から車道に出る際に
どうしてもちゃんと自動車の往来を見ずにでてくることがある。

最近は車のほうに
影に隠れた人を事前に察知してドライバーに伝える仕組みを
考えているメーカーなどもあるようだが

まだまだ時間がかかりそうだし
大きな交差点ならともかく
街中の小さく見落としてしまいそうな脇道に
そういうシステムはまだまだ普及はしそうにない。

とりあえずは
歩行者側に注意を喚起する仕組みが必要だと思う。
以前バーチャルな映像を
脇道のストップライン
に投射してそこでいったん止まらせる仕組みができないかと
ここに書いたことがある。
空中に映像を結ばせることはなかなか難しい技術だが
それでも最近はそれに近いことができるようになってきた。

ただ、これも
まだまだ高価で高度な技術だし
そう簡単に普及はしないだろう。

これも以前ここで書いたことだが、
であれば音を使う、という手はある。
超指向性のスピーカーで
脇道のストップライン付近に立ったり歩いている人のみに
聞こえるようにするだけで
注意喚起はできるはずだ。

超指向性のスピーカーで
ある特定の場所にいる人にのみ
情報を伝えることができるはずだ。

そこから外れた場所にいる人には
聞こえないのだから
たとえば
常に脇道のストップラインのところに
音や音声を流しても
そこからちょっと離れた人家には聞こえないことになる。

こういう
超指向性のスピーカーの特質は
たとえば
博物館や絵画館での
来場者にその見ている絵やものの前だけで
その人だけに説明を聞かせることができるはずだし
たとえば
満員電車のなかで特定の場所にたった人にのみ
宣伝内容を音や音声で聞かせることができる。

最近は電車のなかで液晶テレビを使った
動画の宣伝や、立体的な商品ステッカーなど
目をひくものも多いのだから
それを更に有効なものにするためにも
音や音声の宣伝は有効であり
かといってそのあたり全体に音を
垂れ流すのも考えものだから
超指向性のスピーカーの利用は
良いのではないかと思う。

ところでそういう
「個につげる」「個人につげる」という概念は
実はいままで書いてきたこと以上に
これからの時代、とても重要な概念である。

たとえばもともとグーグルがやろうとしていることは
「個につげる」「個人につげる」ための
巨大仕組みを作ろうとしているといってもいい。

まあ、このあたりの話は
また今度。


2009.6.28

長野県の上田市というところの
上田城という観光地では

観光地にいくと
良く見られる光景として
観光客がカメラで写真を撮る際に
近くにいた人に
「シャッターをお願します」と
頼む光景があるが

これを
ボランティアの人々が
それを積極的に「頼まれる」
人々による団体を作ったのだそうだ。

その名も「シャッターマン」

で、その「シャッターマン」という呼び名を
商標登録したのだそうな。

もちろんそれでほかに「シャッターマン」を使うな、
ということではなく

いわばどこの観光地でも
「シャッターマン」という呼び名で
団体ができたり通常の一般名詞として
呼ばれることを妨げることではないという。

これはなかなかいい呼び名だしアイディアだと思う。

たしかに「シャッターマン」という言葉が
定着すると

「すみませんがシャッターお願いします」と言わずに
「すみませんがシャッターマンお願いできますか」と
いう言葉を発すると
中身は同じことではあるのだけれど
なんだか一般名詞化することで
お願いしやすくなるような気もする。

で、なによりほかにもいろいろ面白いことが
考えられるようにも思う。

考えてみれば

最近のカメラはほぼタイマーがついているはずだ。

しかし、三脚台まではついていないから

せっかくタイマーがついていても
自分たち全体をまとめて写すには
第三者にお願いなければならないことが多い。

高さのあるカメラ三脚台があれば
用はたりるのだが
およそ普通の人々のグループで
三脚台までいつも携行している人はいないだろう。

そういう人や三脚台がない場合には
近くにある台とか机とかにのせて
撮影することになるのだが
これがなかなか方向を定めたりするのが難しい。

要は簡単に操作できるタイマー機能と
三脚台になる器具とかで
それも超コンパクトで標準についていても
邪魔にならないようなものが
どんなカメラにもついていればいいし
あるいは観光地であれば
撮影場所はほぼ決まっていることが多いので

カメラの三脚台かわりになるような台、
セメントでできた土管をたてて
なかにセメントを流し込んで
かつ倒れないようにしたものを
必要な場所にたてておくだけでも用に足りる。

できればシャッターを
自動的に押すことができる簡易な機構を
組み込んでおいてもいいかもしれない。

シャフトにつけたおもりを上に引き上げておいて
手を離すとシャフトの周りをぐるぐる回転しながら
ゆっくり降りてきて
最後にシャッターを押すとか

子ども用玩具にあるような仕組みを
利用すれば
結構簡単にできるように思う。
もちろん壊れにくくして頑丈でなければならないし
持っていかれたりすようではだめで
公園とかにすえつけておいても
違和感のない程度のものである必要がある。

うむ、これはここで書いていても
なんだかすぐに公共向け商品化できそうな感じがしてきたぞ。

精密部品的につくるんではなくて
鋳物で作ったような無骨なもの

いわば公園にある児童向け遊具の
ような堅牢で危険でないものだ。

まあ、据え付け型はそんなんで考えてみたら
面白いし、うまくできれば
全国の観光地で採用してくれるかもしれない。

地面に固定して盗まれないようにすることも
考えておいて設置作業も簡単にできれば
良いと思う。

で、ちょっと前に戻って、、、。
個人レベルで
「シャッターマン」に頼らず
仲間たち全員が
いっしょに写真をとれるシステムを
考えるのはこれはすごく売れる商品になると思う。

簡単にいえば
超小型軽量コンパクトにできる三脚だ。

カメラといっしょに持って歩いても
邪魔にならないくらいになっているか
もともとカメラに一体化してあるくらいのものなら
便利だと思う。

すでに市販で小型三脚はあるようだが
カメラと同じくらいに大きい。
ではなくて
あくまで邪魔にならない
エマージェンシーな三脚があればいい。

商品化した場合の名称!?
そりゃあ「シャッターマン」だろう。



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