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その35



2007.1.14

デジカメがこれほど
フィルムカメラになりかわるとは
誰も思わなかったかもしれない。

ともかくいままでの「普通のカメラ」は
たぶん趣味で使う以外には
まず購入の対象にはならない次代になってしまった。

変わってその対象になるのは
安価で高性能なデジタルカメラだ。

で、そのカメラで撮った映像は
家庭で使うパソコンとそれに付随するプリンターで
印刷することになったから
これまでのように
商店街の「DPE」で写真にやきつけてもらうこともなくなった。

当然、そこに介在するビジネスがいろいろに
洗礼をうけているのはここで書くまでもないのだが、

当然、これまでとは異なるビジネスも
裏側で生まれてくる、ということでもある。

プリンターやデジカメに関連したビジネスも
当然生まれてきているのだが
例えば
同じような業界で
映画などの動画を収録するものも
デジタル化が進んで同じような問題もあり
また、そこにあらたなビジネスチャンスも生まれてきているはずだ。

で、新聞を読んでいて
知ったのだが

8MM映画用のフィルムも
最近は家庭用ビデオの普及で
市場が縮小しているらしい。

16MM用のフィルムは
まだプロの業界用としてまだそれなりの
市場はあるのだろうが、
・・・といいつつこれさえも最近はデジタル化の
波は起きているのだが、・・・

8MMフィルムは
これほど家庭用ビデオが普及すれば
市場が縮小したのは容易に想像できる。
むしろこれまで8MMフィルムが
生産販売されてきたこと自身がある意味驚きだった。

で、、さすがの8MMフィルムも
ここで生産販売中止に追い込まれるところとなったのだが

やはり8MMで映像を映すという趣味人も
きちんといたということなのだろう。
そんな人たちの声と運動で
8MMフィルムを生産していた
フィルムメーカーがとりあえず
生産中止を撤回し、継続することになったというのだ。

今後数年を目途に
生産は継続するということだ。

しかし、いずれは
生産中止に追い込まれていくことにはなるだろう。

そりゃあ、
1973年には1260万本ものフィルムを
生産していたのにたいし
2005年には1万本しか
生産しなくなってしまったと言えば
大手フィルムメーカとしては
商売として成立させるのは難しいところだ。

しかし、たぶん
これ以上のフィルム市場の縮小はあまりないかもしれない。
であれば
いずれ撤退するフィルムの生産をひきうけて
続行していくような小さなビジネスが
どこかで引き継がれていくのも
ありえていいのではないか。

大きなビジネスにはもちろんなりえないだろうが

それなりに縮小した規模で均衡することは充分にありえる。

8MMフィルムに限らず
いずれは普通のカメラ用の35MMフィルムでも
同じことはありえるように思う。

生産続行する場合の問題は
どうやら生産設備の老巧化と
熟練技術者、ということなのだが
いまからそれを受け継ぐ、ということであれば
大手フィルムメーカーも
責任持って継続してくれるところさえあれば
手放してもいいと考えるだろう。

当然、販売価格の見直しもありえるだろうが
管理経費の高い大手ではなく
小さなベンチャー企業あたりが小さな商売を行なうのであれば
見合う可能性も充分にあると思う。

こんなフィルムビジネスに限らず
技術革新によって
影に埋もれていくような分野の製品やサービスも
相当量にあるのではないか。

むしろ小さな企業などがその
小回りのよさを利用して
そういう分野に
チャレンジしてみてもいいのではないかと思う。


2007.1.21

自分の趣味をここで披瀝するほど
本来悪趣味ではないつもりだが
いろいろ考えたことに趣味が関係するならしかたがない。

筆者は自転車を集めること、とはいっても
けっこうスペースをとるから
そう何台も集めるわけにはいかないし
最近のイタリア製などは
数十万円もするものがあたり前になっているが
そんなものは集められるほどふところに
余裕があるわけでもないからちょっと変わった
自転車関連のグッズやものを少しづつ集めるのが
楽しい。

もともと学生時代から自転車が好きで、
社会に出てからは一旦は自動車に趣味を広げたが
やはりコストからいっても集めるとなれば
車というわけにはいかず
もっぱら自転車とその部品だ。

もちろん部品によってはとんでもない高価なものも存在しているが
そういう超マニアが欲しがるようなものではなく、
自分の価値観と美意識、とフトコロの状況にあったものを
集めるのが楽しい。

自転車以外にも
もちろんいろいろ世の中には面白いものが存在しているから
そういうものは集めるのが楽しいが、
こういったものを探し出し、手に入れるのに
今のところ最適なのは「インターネット」だ。

それもそういうものが
日本中から売ることを前提に集まっていて
金額との折り合いをつけてやり取りができるというのは
やはり「ヤフーオークション」だろう。

高校時代などは
珍しい自転車や部品を探しに
遠くまで電車に乗って探しにいったものだが
ヤフオクなら
そんなことをせずとも
日本中から珍しいものが集まってくるし
もともとが販売することを目的に出されているから
ふところの状態によっては
どんなものでも手にいれることができる。

もちろん筆者の寂しいふところでは
高価なものは入手できるわけではないが
なかには思ったよりも安価に気に入ったものを
セリもせずに入手できることもあって
満足することもたまにはある。

そんなものが手にはいったときは
人と価値観や美意識が異なることを
ひそかに喜んだりして「にんまり」するわけだ。

ところで、
筆者は自転車以外にヤフオクで探すものが
もう一つある。

いい年をして、と言われそうだが
それはプラモデルだ。

で、昔むかしの話なら
キットを買って自分で組み立てることになるのだろうが
筆者の場合、それが面倒だから
もっぱらプラモデルを誰かが組み立てたものを
ヤフオクで探して購入することになる。

飛行機でも自動車でも
出展?されているプラモデルのキットの数はすごいものだが
さすがに組み立て済みのものはずっと減る。

で、そんな「組み立て済みプラモデル」を
ヤフオクで探す方法だがそう難しくはない。

飛行機なり自動車なりのページの
検索の窓に「完成」といれて検索すれば
「完成」済みのプラモデルが表示されるわけだ。
なかには「未完成」のものも出てくるが
大部分は「完成済みプラモデル」が検索にひっかかる

みていると
結構うまく組み立てたプラモデルも出ていて
いくら苦労して自分で組み立てても
こうはうまくいくまいと思われるレベルのものも多い。

なかには数万円から
十万円以上もの価格がついているものもあり
それがオークションされて値段が上がって驚くべき価格で
入札されていることもある。

で、思うのだが、
結構プラモデルのキットを自分で組み立てることを
面倒くさがるひとも多いのではないかと思うのだ。

あるいは手先が器用ではないので
うまく組みあがらないから
だれかがすでに組み立てたものを購入する要望も
あるのではないかと思うのだ。

そう思っていると
新聞にこういう完成模型を
プラモデルメーカーで売るビジネスが
にわかに大きくなってきているという記事が
載っていた。

やはり仕上がりの精密さが素人ではできないことや
30代から40代の人は
仕事に追われて組み立てている時間がないことなどがあって
こういう「完成済みプラモデル」が売られ
市場が広がっているのだろうということだ。


ヤフオクなどで売られている「完成済みプラモデル」は
素人やその道のプロが完成させたプラモデルが
売られているわけだが

町の模型ショップやデパートなどで販売されているものは
模型メーカーのなかで職人が組み立てたものとか
中国で組み立てたもの、などがある。

価格は当然中国などで流れ作業で組み立てたものが
安価だ。レベルもそれなりにできている。

メーカーのなかの職人が組み立てたものは安価なわりに
(とはいってもそれなりに高価だが)デキがいい。

ヤフオクにそういった中国製や国内メーカーの職人が
製作したものが出てくることも
最近は多いが、
やはりヤフオクで流通していて
価格も高騰するのは
マニアなプロが作ったものか、
あるいは素人ではあるがプロレベルの評価がされている人が
製作したものだ。
まあ、ヤフオクとはいえ販売してそれなりの収益を
上げているのであれば素人というよりはすでにプロと
呼んだほうがいいかもしれない。

で、筆者としては
こういうプロ、ないしプロまがいの素人が製作したものに
結構力の入ったものがたまにあって
偶然そんなものが入手できるととても楽しい。

ビジネスとして考えると
こうした超高度な組み立てができるプロや
プロに負けないほど表現力にあふれたものを作れる
素人に力を貸してもらって

単に中国で作ったものや
国内メーカーの職人が作ったもの、より
マニアをうならせるようなものを
作って市場に持ち込むようなビジネスが
成立するように思える。

もちろん中国で作ったりメーカー職人が作ったものも
それなりに商売になるとは思うのだが
付加価値でいうと
マニアに応えられるだけの表現力をもつものが
製作できなければ付加価値は高まらないと筆者は思う。

しかし、これを実際のビジネスにするには
ちょっと問題もある。

実は以前、自分の町にある
けっこうマニアックなプラモデル屋に
それなりのレベルで組み立てられたプラモデルが
飾られているのを発見して
そのプラモデル屋のオーナーに聞いたことがある。

こういうレベルの高いプラモデルを組み立てられるような
人が人から頼まれてプラモデルを
組み立ててくれるだろうか、と。
結果は、たぶん彼等は自分の好きなプラモデルを
組み立てて表現したり作りあげることが
好きなのだろうから
人から頼まれて好きでもないものを
組み立てることはないだろう、とのこと。

たぶん、それもお願いする金額にもよるのではないかと
思うのだが、
マニアやおたくをあいてに文字通り「商売を組み立てる」のは
大変だとは思う。

自転車の部品と違い、完成品が流通するのではなく
一個一個、ひとつひとつがそれそれのレベルで異なる
「結果的に完全オーダーメイドな状態」であることも
それに拍車をかける。

が、しかし、マニアやおたくの人たちが
好きなことと稼ぐことを
うまく両立する方法を考えたら
ビジネスとして成立することも考えられなくもない。

実際「コミケ」や「ワンフェス」みたいなものも
成立しているのだから
それも時間の問題だろうと思う。

そのキーになるのはやはり「ヤフオク」や「インターネット」だろう。

世に存在する星の数ほどの価値観や美意識とを
やはり世に存在する星の数ほどのマニアやおたくの人たちと
つなぎ合わせるしくみは今のところ
「ヤフオク」や「インターネット」が一番だろうから。


2007.1.28

最近の映画「愛の流刑地」が
有名だ。

あのまじめな新聞であるはずの?
日経新聞に連載された小説を映画化したものなのだが

連載されている当時から
日経新聞とは思えないほど
刺激的な挿絵が描かれていて
驚いていたのだが
それが映画になったと聞いて
そりゃあそうだろう、と正直思った。

あれなら映画としても
それなりの動員は可能になるだろう。

映画の断片はテレビなどのコマーシャルで
一部だけを知ることができるが
それを見るかぎりにおいては
まあ、正直いってなんともわけのわからない映画ではある。

ところでその
「愛の流刑地」の作者は有名な渡辺淳一氏であるのだが

その渡辺淳一氏が映画の宣伝をかねて
この間のテレビや雑誌などによく出てくる。

で、そのなかで氏がよく言うことばに
「鈍感力」がある。

外部から刺激を受けることに対し
過敏であることや感性が高いことは
必要なことだとよく言われるが

氏はそういうものにたいしてある程度「鈍感」であることも
重要だというのだ。
これはなるほどそのとおりだと思う。

特に外部の人や社会から
いろいろ言われたりあるいは誹謗なども
うけることが多い現代では
そんなものに対して
いちいちこまかく影響を受けたり
悩んでいるのではなく
もともとそういうものに「鈍感」であることも
この時代には重要なことであると筆者も同意する。

もちろん、環境の変化や回りの人の状況を
読み取って気を回すことは大事なことであるし
そういう感性というかは人間社会にとって
必要で重要なことであるのは間違いない。

よく「場の雰囲気を読めない人」という
ひとに対する評価を聞くことがあるが
たしかにそんな人ばかりだと
人間社会はうまく進まなくなるだろう。

いや逆にそんなジコチュウな人ばかりであれば
むしろ全てが
勝手に判断して勝手に動いている人ばかりであれば
軋轢など存在せず問題はないのかもしれないが、

が実際は、そんな人ばかりであれば世の中は
人と話をしたり議論をする必要もないわけで
世の中の進歩や、より良い社会の実現も
不可能になるだろう。

だから鈍感力などというのは
高ければいいというわけではなく
人間にとって
感性や敏感であることは
大前提として必要であり、
ただし処世術として鈍感であることも
この時代には必要であることもある、ということなのだと思う。

言葉を変えれば「つらの皮が厚い」ことも
この時代には必要なことなのだと思う。

で、そうはいっても
まじめで感性が高く人や周りから
いろんな影響を与えられたときに
真っ向からうけてしまうことがどうしても
性向的に備わってしまっている人にとっては
鈍感になれとか鈍感な対応をとれといわれても
そう簡単にできるものでもないことも事実だ。

で、よくしたもので
敏感に受け取ってしまうことは仕方ないので
過敏に対応することを控える場合には
そういう場合は対応者が変わったりすることで
仲間や家族がそのかわりを
努めたりする場合が多い。

受け取ってしまうことを鈍感にするには
例えばもともとそういう機会に接しない、というのが
一番いいのだろうと思う。

人と会わない、電話に出ない、とかだ。

でもそうもいかないことは多いので
なにか鈍感力を増強する道具はないだろうかと思ったりする。

人と会ったら相手の声が小さく聞こえる、とか

相手の目線がこちらの目線とあわない、とか

電話でも相手の声がゆっくりと小さく聞こえる、とか

よく商売の時は相手の目を見て話せといわれるが
話せないのなら相手には目を見られているように見えて
こちらからは相手の目線とはあっていないように感じるとか、

考えてみたらサングラスだって
鈍感力を増強する道具であるのかもしれない。

今日のアイディアノートは
冗談みたいな話で恐縮だが、
実は現代社会には
そんな道具が必要になってきているのではないかと
筆者はひそかに思っている。

そういえば
電話でなにかの勧誘がよくあったりする。
こんなのにひっかかって
お金をだまし取られるなんてことが
あったりするのだろうが

大前提として怪しい電話であることは
敏感に感じ取る必要はある。
それが鈍感であるのでは困る。
で、怪しいと思えた場合にでも
やんわりと、あるいはきっぱりと、
断ることができることができない人も多いと聞く。

こういう場合に相手のことを考えていたら電話も切れない。
そういうところに勧誘業者は付け入ってくるわけだ。

で、断れないのではあれば
自分で苦労するのではなく道具にお任せするようになればいい。

転送でもできればいいが、そうもいかないだろうから、
これは面倒な話だな、
いやな話で断りたいなと思ったときには
例えばスイッチを入れたら
ともかく相手の声が小さく聞こえて
こっちの声も小さく不明瞭に聞こえるようにする。

話が徹底的にかみ合わないようにする。

雑音が人為的に合成できて
言葉にかぶせるようになっていてもいいかもしれない。

なんども書くが怪しい電話であることを感じとることは
大前提として必要だ。
そっちのほうが鈍感ではまずい。

オレオレ詐欺の電話がかかってきても
それをオレオレ詐欺だと感じ取らなくてはどうしょうもない。

わけのわからぬ怪しげな勧誘の電話がかかってきても
怪しいと感じなくてはまずい。

逆にまじめな電話であればそれを感じて
「スイッチ」を入れないでおく必要もある?


敏感であったり感性が高いということは
いつの時代でも人間にとって必要な能力ではある。
しかし、それにいちいち関わって神経をすり減らしていては
もたない時代でもあるのだから
それを支援してくれる、いわば「鈍感力支援ロボット?」も
必要な時代なのだ。

格差社会だと言われて久しい。

一方のほうに
きっぱりと的確に判断ができて的確に対応ができる人もいる
一方で
相手のことを過剰に思いやったり、
あるいはもっと過剰に
自分の考えていることを伝えることができず
問題を抱え込んでしまう人もいる。

格差社会にはそんな格差に悩む人たちも生んでいるのだと思う。

そういう状況を「道具」で解決する方法も
考えてみる必要はありはしないか、とも思うのだ。



2007.2.4

いまや社会や産業、家庭のなかまで
いたるところでデジタル化が
あたりまえのものになってきている。

これによって得られる利便性はもちろん高いし
社会全体が豊かになっていくこともたしかだろうとは思う。

しかし、本当に豊さにむかっていっているのだろうか
という不安もないではない。

いろんなレベルもあると思うが
少なくとも人と社会との関係が
深いものから表層でのものに
置き換わってしまっている感じはある。

ところでそんなに難しいことを言わずとも
もっと人間に使いやすいわかりやすい情報化時代
デジタル化時代である必要はあるのではないかと思うのが

日常的に身の回りに飛び交う「音」と「匂い」だ。

人間には5感があって
触覚や視覚や味覚から受け取る情報はたしかに多く
確実なのだが
匂いや音から受け取る情報も
実はとんでもなく多い。

特に匂いというものは
あまり重きをおかれていないように思うが
実は匂いに関する人間の感覚は
とても敏感なようだ。

普段かいだこともない匂いが
流れてくると
よくしたものでちょっとした匂いの変化でも
すぐに変化を感じると同時に
その匂いが流れてくること自身が
「いつもと異なる」こと、日常的ではないことを
感じ取り自分自身にこれまでと異なるから「なんらかの危機?」
が迫っていることを
感じ取るようになっている。

視覚や音などもたしかにそういう非連続的なものを
知らせることができるのだが
なにか別のものに集中していると
見落としてしまったり
聞きのがしてしまったりするのだが
匂いは「嗅ぎ落とす」「嗅ぎ逃す」ということはまずない。
これはとても不思議な気はする。

「音」も視覚に比べたら
非日常的な情報がもたらされた場合に
その変化を音で知らせられたら
視覚に比べて認知しやすくなることもたしかだと思う。

テレビの画像などで
「気をつけろ」とか「なにかがおきた」という場合にも
さすがになにか見ていたところにニュースなどの
テロップが流れると変化には気がつくが
ボーっと見ていたときに変化や情報に
見落としてしまうこともある。

というわけで
もっと匂いとか音とかで
人間になにかを伝えることは
技術的に考えられてもいいと思う。

ところで「音」だが

最近家庭ではいろいろなところから音が発生する。
というか携帯電話とか時計だとかテレビラジオとかもふくめて
回りは音ばっかりだ。

なにかの合図だったりタイミングだったりするのだが
これがなかなかどれがどの機器から流れてくるのか
どんな情報を伝えているのかが
わかり難くなっていることはたしかだ。

最近などは
聞いたことがない警告音らしきものが
聞こえてきてびっくりすることも多い。

どこから聞こえてきたものかがわからないし
もともと警告やなにかの合図だった場合、
そうしょっちゅう聞こえていたものではないだろうから
聞き覚えのないものであることに混乱し、
ひどい場合には致命的なことになることさえ考えられる。

もともとそういう「音」の発生源は
安価は電子デバイスから出てくる場合が多く、
それも標準のものを購入して作られている場合が多いから
全く異なる機材から
全く異なる情報や合図やタイミングを送り出しているはずなのに
音がよく似ていたらひどい場合には
まったく同じものであったりする場合もある。

ひどい場合には
ある機器では「警告」の意味であるのに
同じような音を単なる「お知らせ」の意味や「タイミング」の
意味で使っている場合もある。

こういう状況はできるだけ早急に改善することが
必要になるはずだ。

取り合えず好ましいのは
音ではなく人工でいいから「音声」で知らせるシステムに
することだろう。

そんな表現手段の翻訳装置もあっていいかもしれない。


2007.2.12

前の前の週にいわば「鈍感力」を
補助する装置みたいなことを書いた。

なかなかわかりにくいことだと思うのだが

あれから最近流れはじめた
携帯電話のテレビコマーシャルを偶然見ていて
ああ、やっぱりと思った。

娘さんがお母さんになんらかのことで
謝る必要が出てきて
なかなか顔を会わせて謝ることはし難いが
携帯電話だったら謝れる、という
携帯電話の効用を「アピール」したコマーシャルだ。

まさにそういうことだ。

よくよく考えてみれば
人と人の間の距離には
それなりの距離というものがある。

家族には家族なりの
友人なら友人なりの
他人なら他人なりの距離があるはずなのだが
最近の社会では
人との距離を適正に保つ間隔が
マヒしてきているのではないかと思えるふしがある。


それが鈍感になってしまったということなのかもしれないが、
逆にいえば
鈍感なことや人が迫ったときに
自分が敏感すぎるとまいってしまう。

お互いに適正な距離を保てれば良いのだが
どちらかが距離を保てず距離を詰めすぎたり
遠くに距離をおきすぎると
もう片方になんらかの影響がでる、ということなのだろう。

で、その距離感だが
たぶんに身体的なものに影響されている気がするが
それはたぶん当たっていると思える。

が、今後はバーチャルな世界での
距離感を捉えること感じることも需要になっていくだろう。

ソーシャルネットワークサービスなどが喧伝されているが
たぶんそんな距離感を捉えたり感じることができるサービスも
付加されていくことだろう。

そういえば
先日のNHKの「プロフェショナル・仕事の流儀」で
MITの日本人教授のことを紹介していて
アメリカ人学生の新しいアイディアのことが話しに出ていた。

ハプティックというか
タクタイルというか
触覚で相手に自分の状況や認識を伝えるデバイスや
装置があっていいのではないか、というものだったが
たしかにそうだと思う。

そういう意味で携帯電話などはまだ意思を伝える道具としては
まだまだ未完成であると思う。

それには当然音や声や絵だけではない。
触覚も匂いも温度も湿度も力も
いろんなものがありえる。

当然それぞれ相手との距離に従って
伝える媒体や情報の量も変わっていかなければならない。

恋人同士だったら濃密な情報の質と量が必要だが
全く他人の知らない人との間でそれは好ましいことではない。

ところで
こういうあまり現実味のないように思えるアイディアでも
実はアメリカとかでは
たぶんにビジネスモデルにつながっていることも
重視することも必要だろうと思う。



2007.2.18

バレンタインデーがあって
会社の女性陣から
いくつかのチョコレートをいただいた。

チョコレートはどちらかといえば
これまでは苦手ではあったのだが
一年ほど前から
ストレスのたまったときには
チョコレートがいいと聞き、
ずいぶん食べるようになった。

今度もらったチョコレートもすぐストックの
なかからなくなるだろう。

今度はクッキーを買って
女性にお返しをしなくちゃいけないらしいが
それにしても
こういうイベントは
よくもいろいろと考えたものだ。

バレンタインデーや
ホワイトデーや
あるいは
ワインのボジョレー・ヌーボー解禁日とか
それに
大晦日から新年にかけてのおせち料理もそうだし
最近で言えば「恵方巻き」も
それにいれてもいいだろう。
クリスマスのケーキも
考えてみれば同じようなものだ。

要は
食品や飲料水など
たべてしまえばなくなってしまうもので
一年に一度なんらかの「イベント」が
その食品をつかさどる業界から
仕組まれていて
日本中でそれらを食べると
なんらかの「ご利益」「便益」や「満足」が
得られることになっているので
ともかく一年に一度のことだから
それらの食品を購入することになる。

よくもまあ、考えたものだと思うのだが、

こういう「イベント」の発想は
まだまだ出てきてもいいだろうと思う。

いまのところ出てきていないのが
受験生のためのイベントかなあ、
こんなのはとっくにありそうだと思っていたのだが
筆者の知る限りはまだないように思う。

ただし
前述のようにこういった「イベント」は
いわばなんらかの「ご利益」や「便益」が
あることが肝要なのだ。

受験などは
少子化から今後は減っていくだろうし
もともと全国民を対象としたイベントではないから
できれば受験生相手のようなイベントではなく
できるだけ多くの人々に関係していたほうがいい。

昨年からよく食べたものに「リンゴ」がある。
医者いらず、という言葉があるから
なんらかのご利益はありそうだ。

で、リンゴを食することを
なんらかのイベントにしたらいいのではないか。ただし、
一個くらいを人に送ったり買ったりでは
ビジネスとしてのうまみはあまりない。

でも、であれば、なんらかの付加物をつけて
ますますご利益を深める発想をすればいい。

恵方巻きだって
巻物の寿司をそのまま食するのではなく
恵方をむいて食べれば幸せになるというのだから
リンゴも食し方になんらかの規制をかけて
それをクリアすればますます幸せになる、
ただし普通のリンゴではなく
ちょっと高価なのだが
その分ご利益はある、とする。

出荷時に
どこか有名な神社でお払いをうけて出荷されたものだ、と
いうのでもいい。
そういう証明のレッテルをはってもいい。
リンゴだったら赤色の表面に
太陽光線に当てずに色を付けず字やマークを
表示させてもいいかもしれない。

こういうサービスは
リンゴであれば果樹業界からしかけることになるだろう。

別にリンゴでなくてもいいのだが
体によさそうであるという点では
まあ、リンゴだろう。

で、この場合、どこそこの県のリンゴしかつかえない、
とかではだめであろう。
たぶんそれではビジネスがひろがらない。

どこのリンゴでも所定の儀式なり付加価値をつける
作業さえおこなえば
ご利益のあるリンゴにすることができる、というのが重要だ。
信州リンゴであっても青森リンゴであってもいい。

であれば、全国のリンゴ農家や果樹栽培関係業者が
イベント創出に協力してくれるはずだ。

リンゴ以上に体によかったり
全国くまなく生産されている食品だったら
もっと波及効果があると思えるのだが
お米ほどポピュラーな食品だと
イベントになる必然性がなくなる。

そういう点では
一番最初に書き出した食品たちは及第点だ。

ほかにもリンゴ以外になにかないか
いろいろ考えてみるのもいいかもしれない。

で、食品以外にもそういうイベントがうてて
ご利益の享受を目指して
多くの人々が購入し消費するものは
なにかないだろうかと思うのだが、
正月のかざりもの以外には
なかなか思い当たらない。

でもきっとほかにいろいろあるのだろうと思う。

とうつらうつら考えていたら
思いあたるものがあった。

夫婦の間で
結婚記念日にプレゼントを送りあう、などというのは
もっとうまく「バレンタインビジネス」のような
ビジネスにしてもいいのではないか。

結構この話をして
どっきりして、
そうだなあ、
と思った人は多いんじゃない?


2007.2.25

公共のタテモノ、というのは
病院だとか市役所とかだけを言うのではない。

商店やデパートだって
いろんな人がいろんな、目的を持って
一箇所に集まってくる、という点では
公共的なたてものや場所といっていえなくもない。

で、こういう公共のたてものや場所は
当然いろんな人が集まってきて
いろいろな目的に従って
内部で行動するから
そこにはいろんな「路」や「交差路」が存在している。

残念ながら少なくとも
日本の公共的なたてものや場所で
そんな路や交差路をうまく表記して
訪れた人々に明示するシステムはあまり
うまくできているとは思えない。

もともと公共の道路も
そううまく表記できているとも思えないが、
公共的たてものや場所はそれがはなはだしい。

以前書いたことがあるが
「駅」の内部もそれがはなはだしい。

ユニバーサルデザインとか言われて結構たつと思うのだが
いまだ実際にそれが役にたっているのを見たことがない。

なかなかみんなに理解される
明示の仕方や文法や方法を生み出すことは
難しいとは思うのだが

でも逆に考えれば
それがいったん始まれば
ビジネスへの波及効果は高いと思える。

基本は人間の行動の原理に基づくものを
発見する、ということだろう。

黙っていても、何も表記しなくても
そうなる、そう動く、ということを
見つけることが必要だろう。

最近はやりの感性工学といわれるものも
たぶんそういうことにもつながっていくと思う。

まあ、そこまでいかずとも
なにか簡便に情報を人に伝えるものがあれば
当然ながら便利ではある。

車などであればGPSの利用ということになるのだが
たてものや一定の大きさの場、ということであれば
GPSというのも使い難い。

と考えてみると
最近は以前も書いたことがあるが
可視光通信という技術が登場しはじめた。

LEDなどを使うと
普通の可視光のなかに
デジタル情報を隠すようにいれて
それ相当の変換装置をもっていれば
それが光のなかの情報を読み取って
人に知らせてくれるというものだ。

博物館で絵画や像の前にたった時に
それを見ている人の変換機から
その絵や像に関する情報が
音声によって流れてくる。

もちろん見ている人の持っている
変換端末に当たっている光のなかに
情報が隠れているからだ。

で、この可視光通信の利用をめぐって
いろいろなアプリケーションが
考案されているわけだけれど
その一つとして
公共的なたてものや場のなかでの
道順を教える機材としては使えると思う。

まあ、電波を使うという手もあるけれど
可視光通信のいいところは
光が届いているところが通信の範囲、という
まことに都合のいい特性をもっている。

公共的たてものや場所の
特定の場にはその場所を示す情報が入った可視光を
流しておけばいい。

変換機端末をもった人が
たどりつくべき場所をインプットして
あとは歩いていく場所場所で
そこで流れている光に当てれば
そこが目的とは違う場所であれば
それを表示し、いくべき方向を端末上で
示してやればいい。

公共的な場所であれば
たどりつくべき場所をインププットするのも
面倒だろうから
あらかじめ行き先ごとにインプットした
端末をいくつも用意しておいて
来客にどこに行きたいか聞いたら
それにあった端末を渡せばいい。

端末ばっかりみつめて歩いていると
それはそれで問題になりそうだが
解決する方法はいくらでもある。

こう考えると
公共的な用途と
可視光通信のマッチングには
まだいろいろ便利なアイディアがでてきそうだ。


2007.3.4

昨年から
PLC(Power Line Communications)という
家庭に普通に引かれている
100Vの電力供給のための電線に
インターネットなど
情報を流すことが認可された。

このほどその技術を使った最初の製品が
パイオニアからオーディオが製品化され
市場に投入された。

家庭内のオーディオに
基地となるベース機からPLCを通じて
音楽等の情報を流すことができるようになっていて

要は家庭内のどこでもスピーカーを持ち込んで
コンセントにつなげば音楽が鑑賞できるということなのだが

これでは一方的に音楽を聴くだけではないか、と思っていたら
逆にリモコンでベース機の操作も
できるようになっているらしい。

まあ、各部屋にスピーカーをおいて
バックグラウンドで音楽を流す仕組みを
家庭内で作るには楽にはなるだろうが

これがどれほど受け入れられるかはまだわからない。

しかしPLCがいろいろ面白そうなことに
使えそうな技術であることはたぶん間違いない。

すでにいろんな昨年からは
家電メーカーからPLCを使ったアダプターも
発売されていてこれが結構売れているらしい。

無線LANと違って
設定も楽だし安定して使える、ということで
売れているらしい。

こんなアダプターを使って
たぶん画像や音声による連絡の仕組みを
家庭内で作るなんてのもすぐに出てくるだろう。

先日書いた「可視光通信」なんかとも
うまく連動するようにもなるだろう。

あるいは工場内のシステムにも
いろいろ利用方法がありそうだ。

考えてみれば
家庭用の100Vのコンセントは
各部屋には必ずといっていいほど
配置されているわけで
これを使えば
たしかに家庭内や工場内での
情報のやりとりは格段に楽になる。

しかし、考えてみれば
このPLCというシステムの考え方には
いろいろ考えさせられることがつまっている。

これは以前も書いたことだが
商売にしても何にしても
人やもののつながりが存在するわけだが
そのつながりやネットワークを
特定の使い方に利用するだけでなく
いろいろ複数の使い方を行なうことも
できるはずだ。

家庭と地域社会を巡るネットワークでもそれはありえる。

家庭に配送される
牛乳や新聞や郵便もネットワークといえるわけだが
それらのネットワークのうえに
ほかのネットワークを重ねることもできる。

新聞と牛乳と郵便のネットワークを
一つのネットワークに統一することもできるはずだ。

考えてみれば
宅配便が実質的に郵便配送を
できるようになったのも同じことだ。

いやむしろ宅配便のネットワークに
ほかのものを複合させる可能性もある。

ほかにも、特に田舎には
地域社会のネットワークのようなものが
縦横に存在している。
回覧版というものもそうだ。

ネットワークというよりは
逆樹木形の連絡システムなのだが
これも情報やものを伝達する仕組みとして
インフラに近いものだ。

学校にはPTAの連絡網も存在している。

もともと道路だって、公共的なネットワークというか
公共道路として
とりあえず人でもものでも
何でもそのうえで運べるようになっている。

あまりにあたりまえすぎて
実際にそんなネットワークが起動しているのに
気が付いていないのが「コンビニ」だ。

あそこには
商品のネットワークが集結されているわけだが、
最近はそれだけではない
銀行や宅配便などいろいろな
ネットワークの端末の役割を果たし始めている。

こうしたネットワークは
既成の規制に縛られていて
なんでもかんでも勝手に流すわけには
いかないわけだけれど
でもそこに合理性があれば
いろいろ試してみるべきだと思う。
それこそ「特区構想」でも行なうべきだ。

世の中や家庭内に
人やものや情報や、そして電気や水道なんかも含めて
どんなネットワークが存在していて
そこに非合理性がありはしないかを
考えてみれば
そこに思わぬビジネスチャンスが
存在していることもあると思える。


2007.3.11

最近は
これほどまでに
デジタルカメラや動画を撮るビデオや
そこに使われるCCDなどの部品が
高度になってきて

以前のような光学式のカメラだとかの
存在感が薄れてきたことは否めない。

これまで光を通して
見ることができたものは

さすがに
最初に被写体を写す部分と
人間がその画像を受け取る部分においては
光を通じてみることにはなるが

しかしデジタルカメラなど
この10年で登場した技術は
その被写体と人間をつなぐ途中の部分は
電気信号に置き換えられてやりとりがされてくる
ようになったわけだ。

最近は人間の神経や脳細胞に
直接電気信号を伝えて
画像を認識する、というとんでもない
技術が開発されてきているし

人間の回りをかこむ「もの」や「物質」やの
存在を可視光でなくても
捉えることが可能になるし
実際、電子顕微鏡など
人間がその瞳で直接捉えることができない分野は
可視光ですでに見ているわけではない。

そう考えるとものと捉えて認識するすべての
部分を電気信号のやりとりで
終わらせることができる時代なのかもしれない。

まあ、そこまでいろいろ考えずとも
すくなくとも
ものを捉えててから
人間の認識に送りこむまでの
途中は電気信号でやろとりできるようにはなっているという
認識で良いと思える。

で、こうなってくると
果たして既存のカメラやビデオや
あるいは双眼鏡や望遠鏡などの形態は
これで今後も進んでいくのかと考えると
たぶんそうではないだろう。

カメラやビデオや双眼鏡や望遠鏡は
これまでは光学的に
レンズやプリズムなどを使って
光をやり取りしてきたから
まあ、そんなに複雑なやり取りや作業は
できなかったのだが
これが電気信号を使うようになったから
簡単に言えばケーブルやコードや信号を
送れる手段がありさえすれば
ある意味ではどんなことでもできるようになった。

複雑な処理も簡単になったし
遠方にも簡単に送れるようになった。
それにもっと簡単に考えると
なにも光学の一番端しに存在していた
ファインダーなどを覗きこまなくても

ディスプレーに表現していればどこでもどんな方向でも
認識できるわけだ。

そういえば
デジタルビデオが登場したときに
通常の形態のファインダーの採用をせずに
大きな画面のディスプレーの採用をした時に
そのメーカーの役員が
新製品の説明を受けた時に
みなディスプレーの額をつけるように顔を近づけて
覗き込んだ、という笑い話がある。

それはそうだろう。
それまで覗き込む形態のファインダーの
ようなものしかなかったのだから
ディスプレーをみながら撮る、などという作法も
想像もできなかっただろう。

これは
カメラやビデオや双眼鏡や望遠鏡、など
すべての「光学機器」に
当てはまることだろうと思う。

しかし、特に双眼鏡や望遠鏡はこれまでのところ
昔からの「光学機器」の
延長上にとどまっているように思う。

これらがもっとデジタル化が進展すれば
もっと違った「作法」「形態」が
生まれるに違いない。

現状でもすでにデジタルカメラが
双眼鏡や望遠鏡の役割を果たせるくらいの
機能を持っていたりするわけで

であれば、望遠鏡や双眼鏡の側から
もっとおもしろい使い方や利用方法が提案されても良いはずだ。

以前、望遠鏡や双眼鏡で覗いている画面に
いろんな説明のキャプションや情報を
重ねて伝達できたら良い、などとも書いてみたことがあるが

あるいは例えば、
人の見ている風景や画像や情報を
他人や仲間や複数の人々が
見ることもでできるはずだし
それをリアルタイムでもあるいは後からでも
見ることができる。

ちょっと考えるだけでも
面白そうな使い方楽しみ方は
一杯でてくるではないか。


2007.3.18

先日読んでいた自動車レースの関連雑誌に
「カーボン」に関する記事が載っていた。

現代の自動車レースはもちろん
航空機産業や
宇宙関連の産業には
「カーボンファイバー」に関する技術は
欠かせない。

昔であればグラスファイバーが
レーシングカーや
飛行機に使われていたが
ここ数十年は
ガラス繊維に代わって、カーボン繊維が
その強度や軽さで
ガラスにとってかわった。

主に飛行機やレーシングカーの
ボディーやカバーに使われるのが
グラスファイバーの使い方だったのだが
カーボンファイバーができるようになってからは

強度を構成する部品やシャシーや筐体などにも
使われるようになった。

当然、その製作方法も
以前のグラスファイバーのような作り方で
カーボンファイバーも製作するのではなく
カーボンファイバー独特の製作方法が
編み出され、それによって
金属などに代わる構成要素を担えるようになってきた。

最近ではレーシングカーの
ボディーとモノコックシャシーは
一体でカーボンファイバーによって
作られているし
有名なところでは
ボーイング747のような大型旅客機の
次世代のものと言われているエアバス社の380型の
機体の重要な部分はほぼカーボンファイバーで
出来ている。

これらカーボンファイバーの素材の供給源が
ほぼ日本のメーカーであるということも
うれしい話なのだが、
今後カーボンファイバーの応用範囲は
どんどん増すだろうといわれていて
鼻息はあらい。

ただ、いずれ環境負荷の問題も
出てくるだろうから
喜んでもいられないはずだとは思うのだが、
まあ、そうはいっても
ここしばらくは
金属に代わる重要部品や要素の代替技術として
世界中で使われていくようになるだろう。

ところでその雑誌を読んでいて、なるほど
そういうこともあったのか、と知ったのが
剣道の防具に使われていた、という話だ。

そう、あの胴に使われていた、というのだ。
過去形で書いたのは
どうやら一時はカーボンが剣道の胴に使われていたのに
今では使われなくなってしまった、ということだからだ。

レーシングカーや飛行機に使われているほど
優れた素材なのになぜ剣道の防具に使われていたものが
使われなくなってしまったのか。
素材の調達環境が悪くなってきて
手に入らなくなった、というわけでもないらしい。
航空機などにこれほど使われるようになって
最近は供給がタイトになってきてこまっている、という話は
最近は聞いてはいるのだけれど、、。

で、正解は
素材が良すぎるということなのだろう。

カーボンファイバーでできた胴を竹刀で叩かれたときに
これまでのような
竹と皮革でできたものや
グラスファイバーでできたものとくらべて
大きな音がするらしい。

同じように敵に叩かれた状態であっても
胴の素材によって
大きな音がすれば一本とられてしまう可能性は高くなる。
これが剣道をしている人たちには
嫌われた、ということなのだろう。

たしかにカーボンでできたものは
硬度が高いし強度も高いし軽いわけで
それが航空機やレーシングカーなどに
採用される大きな理由なのだが
それを剣道の防具に使うと
たぶんその硬度や強度が高いことによって
音は甲高く響くはずだから
剣道の試合においてはそれが逆に作用する、ということらしい

たぶんカーボンファイバー製の
剣道の胴でも
制音のためにブチルゴムでも
裏側に貼り付ければ
音を静かにすることはできるのだろうが、
それを行なうのであれば
軽量化ができないわけで
だったらグラスファイバー製でいいではないか、
となってしまうはずだ。
金額もグラスファイバー製のほうが全く安いのだろうし。

それにしても
そうか、そんなことがあるんだと思ったしだいではある。

であれば
グラスファイバー製の胴ももっと工夫して
音が大きく鳴らないようになれば
試合向けにはいいのかもしれない。

ともかくも叩いたはずの胴から何も音がしなければ
審判にとっても判断はしにくくなるはずで
全国の剣士の皆さんも
そんな道具の「音のチューン」をしてみても
いいかもしれない。

竹刀があたっても
まったく音がしないようになれば
判断がしにくくなるということで
審判からクレームがそのうちにはつくように
なって業界で音に関する規定ができる
可能性もあると思えるが、
まあ、今のところは
考えて実行したほうの勝ちかもしれない。

すでに業界では判断基準ができているようであれば
ごめんなさい。

かくゆう筆者も
学生のころは剣道に血道をあげていたこともあって
今では懐かしい話題ではある。

ところで剣道の竹刀だが
これはカーボンやグラスの竹刀はないのだろうか。

昔は竹刀のメンテや修理に苦労したことを思い出す。

竹刀の竹が毛羽立ったり割れてきてしまい
それを修正しているとどんどん竹が細くなっていく。

竹のあのしなりや硬さが重要なのだろうが
カーボンやグラスでも
うまく作れば軽く強く使いやすくできるだろう。
(といっても竹刀の最低重量は決まっているのだが)

そういえば釣りの世界でも
昔も今も竹の釣りざおは人気だが
最近はカーボンやグラスのものが一般的になっている。

特にフライフィッシングなどに使うロッドは
バンブーロッドという竹製のものは
一部の好事家のものになっていて
実際にフライをする人の大部分は
グラスなどのロッドを使っているはずだ。

グラスやカーボンの竹刀が
果たして現状で存在するものなのかは
ここでは調べないが、
あればあったでなかなか面白いと思う。

ただし胴の話のように
実際に使ってみたら
思いもしない欠点というか長所が認識されて
実は使えない、ということもおおいにあるかもしれない。

追伸、
そうはいっても、と思って調べてみたら
カーボン竹刀というものはやはりあるらしい。

ただ、やはり竹のほうが微妙な感覚とか
体にやさしい、とかのこともあり
カーボン竹刀はもっぱら練習用とかで使われるらしい。

まあ、このあたりは釣り道具の話によく似てはいる話だ。

それにしても
カーボンをこれまでのグラスや
あるいは自然素材のかわりに使ってみる、という
試行はこの先いろいろありそうではある。

強度と軽量化が課題となる世界では
たぶんいろんな検討が始まり、思わぬ利用も始まるだろう。


2007.3.25

ここのところ
中国の経済発展に引っ張られる形で
金属需要が活発で
おかげで日本国内の
金属需要も逼迫しているらしい。

で、そんなことが原因となって
国内で金属素材が
盗難にあうという事件が
頻発しているのは
テレビ新聞で報道されているとおりだ。

バブル崩壊の痛手で
まだ経済不況にあえぐころは
屑屋さんに金属屑を持ち込んでも

それにお金を付け足さなくては
引き取ってもらえなかった次代は
ちょっと前の話だ。
ところが今では
金属屑は高値で取引されるし
こんなものでも、と思うような金属屑でも
いくらかのお金をもらえるくらいまで
状況は変わってきた。

で、今問題になっているのは
正規にちゃんと世のなかに循環する
金属屑を正規な取引で
やりとりする、ということではなく
とのなかの金属を盗んでしまうやからが
横行している、ということだ。

すでに地中に埋設されている
銅合金が多量に含まれる通信や電力などの
ケーブルやら
駐車場のポストやら
神社の銅葺きの屋根やら
よくもまあ、と思うくらい
金属が盗難にあう。
屑ではなくちゃんと公共の公共財として
供されているものが盗難にあうのだ。

私有物なら
盗難にあえば持ち主側も機敏に反応するが
公共財として供されているようなものは
金属として割と生な形で使われていて
なおかつ公共的なところで使われているものが多いから
盗難にあうことも多いし
結局は盗難されやすいことになるのだと思う。

要は人の目に触れないで
盗難がおきたり
実際に盗難にまさにあっているのに
回りの人が気が付かない、という問題もある。


先日のニュースを見ていて
へーこんなものまで盗まれるのか、と思ったのが
側溝のふた、「グレーチング」と呼ばれるものだ。

世の中にどれほど
「グレーチング」が使われているかは
知らないが、たしかに相当な量が使われているだろう。

道の両端に道に従って敷設されているものが
一般だから使われる量も半端ではない。

これを公共事業のようなふりをして
トラックにでも端から積み込んでいかれたら
回りの人も気が付かないだろうし
トラックなどに積み込みやすい環境に
もともと置かれているわけだから
まさに「持ってけ泥棒!」状態なわけだ。

で、さすがにこれを良しとしない人や
ビジネスチャンスにする人もいたわけで
   いやいや金属泥棒側の話ではなくて・・・
「グレーチング」に盗難防止機能を装着した
「グレーチング」メーカーが出てきたらしい。

「グレーチング」の両端に付けられた部品と
側溝につけられた固定部品とを
固定する仕組みになっていて
それ専用に出来た脱着用の工具を使って
脱着をするようになっているらしい。
そりゃそうだ、簡単に脱着できるようでは
盗難は防げない。

この特殊な「グレーチング」を
開発したメーカーは今とっても忙しいらしい。

よくもまあ、こんなにすみやかに
専用の「グレーチング」を市場に投入したものだと
機敏な反応にも驚くが、

しかし、とここで思った。

今後新規に敷設される「グレーチング」であれば
その専用盗難防止「グレーチング」を
使用することになるのだろうが
これまで日本中に敷設された普通の「グレーチング」は
どうするのだろう。

というわけで
普通の「グレーチング」を盗難から守るために
なんらかの方法を考えるときっと喜ばれるに違いない。

どんな方法がいいかは
これはいろいろあるだろう。
ワイヤーロープでつなげてしまう方法もある。
セメントでフタがかぶさっているところを
間に挟んでしまえば
余計はずしにくくなる。

グレーチングが側溝からはずれにくくするための
金具の形状もいろいろありそうだ。

もちろんそんな場合にも
誰もが簡単にはずせないようにするには
専用工具がないとはずせないようにしなければならない。

そうはいっても
とんでもなく時間をかけなければならないくらい
難しいものである必要もないはずだから
泥棒がこりゃあ大変だ、と戦意を失うくらい
はずすのがむずかしければ良いということになる。

ところで
グレーチングにもいろいろな形状があるのだが
よく見かけるものに
側溝に本来の方向でも入るけれど
裏返しでも入る形状のものがある。

この場合、たまに裏返しになって
側溝にはまっているのがあったりするのだが
こういうのはもともとその裏側が
上面になっていることを
想定していないから
その上を雨の日などに歩くと
靴がすべってどっきりすることがよくある。

あれは危ないからグレーチングメーカーには
なんとかしてもらいたいものだと思う。


2007.4.8

調理
掃除
洗濯
アイロンがけ
家庭のなかでは
やらなくちゃならないこと一覧だ。

それにしても
世の、主に?女性陣が行なうことが多いこれらの仕事は
(もちろん男性でやっている人も多いだろうが)
年中行事であってその仕事量は大変だろうと思う。

洗濯作業はこのアイディアノートでも
何度か書いてきたが
洗濯作業は洗濯機が最近よくなってきたというか
機能が満載されていて
洗濯物を投入してありさえすれば
乾燥までほとんど全自動にまでなって
ずいぶんと楽にはなった。

あとはアイロンがけ作業が
もっと自動化すればいい、というところだろう。
これには衣料製品や繊維製品の側から
技術革新があって
皺がよらないとかアイロンのプレスが
長時間ずっと残っていくという技術が
ある程度出てきているから
今後は前にも書いたように
こぐちの洗濯物でも洗濯してくれる
「クリーニング屋さん」のサービスと
真っ向勝負する時代になっていくかもしれない。

それにしても掃除も洗濯もいろいろなものが
外部委託する時代になったし
プロセスそのものも
いろいろ変化してはきた。

で、家庭のなかだけでなく
仕事のなかでも外部委託が増えていることも
これまで何度も書いてきたとおりだ。

最近、これはと思ったのは
車のタイヤ交換についてだ。
筆者の住む地域のように
冬は雪がふったりすることが
一冬のあいだに何度もあるような土地は
冬の始まりに夏タイヤを冬タイアに、
春の始まりには冬タイヤを夏タイヤに
交換することが必ずやらなければならない
いわば「欠かせない年中行事仕事」として
存在する。

営業や配達などを主務とする会社などは
車で外にでかけることができなければならないので
季節の変わり目には大量の営業車や配達車の
タイヤ交換が必ず必要になる。

筆者でいえば以前はコンプレッサーとインパクトレンチと
油圧のジャッキを会社内に用意しておいて
冬と春のはじまりにはまとめて
自分等でタイヤ交換をしていた。

しかし、これがなかなか難儀な仕事ではある。

で、最近は知り合いの自動車修理屋さんに
お願いするようにした。

年に二回のタイヤ交換作業だから
それ自身結構な作業量ではあるのだが
専門家が行なえばわけもなく行なえるようだ。

もともとこういうタイヤ交換サービスは
町の修理工場で顧客サービスとして
行なっていたとは思うが、
先日その風景を見ていて

これは修理工場単位で受注しなくても

専門のタイヤ交換専門サービスを
冬と春の年に二回だけ
一定の期間に
学生のアルバイトを使って
どこかの場所を借りて
そしてなにより
一定の地域のタイヤ交換の需要を
担うくらいの勢いで
低コスト低価格で行なえば
結構ビジネスになるのではないかと思えた。

そしてなにより
やったら良いと思うのが
タイヤのあづかりサービスだ。

自動車の修理工場なんかは
顧客のタイヤを預かっていたりもするのだが
それでも結構なスペースを取ってしまうし、
それが冬タイヤが出ていけば夏タイヤを預かり
夏タイヤが出ていけば冬タイヤを預かるという「
通年であずからなければならないということに問題がある。

もともと顧客の自宅にお返しすればもちろん良いのだが
顧客のほうでもタイヤの置き場所に苦労しているところも多い。

で、あれば顧客のタイヤを通年で預かってしまうことも
考えたら良いと思う。

そうすればなかなか顧客にとっては便利このうえない。

当然、タイヤが磨り減ってきたりすれば
タイヤ販売サービスと提携して
安くタイヤのつけかえもしてくれるようにすれば
それもビジネスになる。

で、もう一つ面白いと思えるのが、

車を買い換えた場合に
以前のタイヤとホイルが
使えなくなるというかいらなくなることが
出てくるわけで、
そんなタイヤとホイールは
以前の持ち主にとっては邪魔なわけで
無料かちょっとした価格で誰かが買ってくれるか
あるいは処分してくれれば良いと思うことがあるはずだ。

で、一方そんなホイルとタイヤを安価に欲しいと
思っている人も結構多いはずで
そんなタイヤとホイールの情報を
地域の結構な数を情報として持っていれば
欲しいひとと処分したい人の
マッチングをすることができるはずである。

ヤフーオークションなどで
売買する人もいるかもしれないが
そんな面倒なことをせずとも
一定の地域の車のタイヤのついて
すべて面倒を見てくれる
サービスがあればそれにすべて託せば良い。

当然、タイヤの交換を迅速に行なえるノウハウや
交換作業工具の発想や収納や管理の道具などの
発想が重要になる。


2007.4.15

同じメーカーというか
携帯電話のキャリア同士なら
通話料が只になる、という
サービスが始まってしばらくたったが
その後のシェア争いはどうなったのだろうか。

あれだけのことをやったわりに
AUの1人がちだった、とか言われていたようだが
たしかに自分で
携帯電話を変えるとしたら
サービスが安定していたり
携帯電話そのものの性能やデザインに
惹かれてしまう。

好きな「海援隊」の隊旗を
ロゴデザインにしているから
応援したい気持ちはあるが
だからといって
やはりサービスが安定していたり
選択肢が多かったり
いままで使っていたものを
そのまま使うという傾向にはなってしまう。

で、その「海援隊」の隊旗ロゴの
携帯キャリア企業だが
せっかくの「同じキャリア同士なら通話無料」なので
なにか面白いアイディアの
ビジネスがないだろうか、と思う。

考えてみれば
携帯電話同士で通話がただになる、というのは
使っている側にすればこれほどありがたいことはない。

そもそも結構高い携帯電話料金なのだが
これが只になるというのだ。

これを使ってなにかできないかと考えると
いろんなビジネスの
プラットフォームとして使えるのではないかと思えるのだ。

ソーシャルネットワークサービスというものがあるが
あれと同じように無料の携帯電話を持っている人たちの
広大なネットワークを基盤にして
その上にいろんな小さなネットワークやグループが
派生していくということが考えられる。

それは何でもいいだろう。
無料の携帯電話による通話サービスによって
得られるものなら何でもいい。

相談事でも教育や学習でも
情報サービスでもなんでも乗ることができるはずだ。
あるいは介護福祉などでも利用したらいい。

特定の場所のなかでの
なんらかのサービスや情報サービスや
あるいはそれを絡めてみるような
ビジネスでもいい。
要はトランシーバーのような使い方だってある。

もちろん
サービスを提供する側と受ける側と
受け取る決定権をどちらがもつかとか
事前に決めなければならないことはいろいろあるが
それはそれでなんとかなるだろう。

必要によっては間にサービスの
信頼性を担う企業なりが介在する必要もあるだろうし
それがキャリアになる可能性もあるだろう。

しかしせっかくの無料携帯電話なのだから
サービスが通常の課金で成り立つのでは
今ふうではない。

たぶん一番望ましいのは
サービスを提供する側と受ける側とが同一であることだ。

最近の言葉でいえば
WEB2.0的なサービスといっていい。

相談事でも教育や学習でも情報サービスでも
サービスを提供する側と受け取る側が
一緒であるということだ。

当然、よく言われるように
プラットフォームビジネスとして
成立させるのには
もう一工夫が必要になる。

しかし、それにしても
共通の仲間同士や
グループやネットワークで
携帯電話無料サービスを使って
いろいろなことに使うのは
もっと考えてもいいのじゃないかと
テレビCMを見ていつも思う。


2007.4.22

技術的な方法はわからない、
が、簡単にできる方法があれば
ぜひ実現できればと思う。

久しぶりにGパンが欲しくなって
例の全国展開の大規模衣料品店にでかけた。

今はいているのがだいぶよれてきて
どうやら家人の意に添わないらしい。

よれているからこそ
良いGパンではないかと思うのだが
家人によれば
くたーとしたGパンはみっともないのだという。

スラックスみたいなGパンもどうかと思うのではあるが
まあ、久しぶりのもう一本も良かろうとでかけたのだが

さすが全国展開の大規模衣料品店だ、
大きさやらデザインやらそこそこのものが
驚くほど安価に並べてある。

いまさらブランドものなんて興味もないので
全国展開の大規模安価な衣料品店で充分とばかり
いろいろためし履きをしてみた。

まあまあ意に添うものも見つかり、購入しようと思ったのだが
しかしここで問題がある。

もっとも日本人らしく
なおかつ生まれて半世紀がたつ典型的日本人の
体形の筆者にとっては
若干、いやだいぶ、すその長さを調整しなくてはならない。

店内には「すそあげします。」という張り紙があって
当然すそ上げをしてくれるのだが
なぜか面倒くさいように思えて
手にとっていたGパンを棚に戻した。

たぶんその場で待っていればすそ上げをしてくれる
サービスにはなっているのだろうが
あいにくの休日で
レジに結構並んでいるのを見て
たぶんすそ上げサービスも時間がかかるのだろうと思えて
面倒くさそうだから
購入するのをためらった。

もし後日とりにきてというサービスであれば
全体購入しないと思うし
その場ですそ上げをしてくれるといっても
待たされるのであればそれも面倒だ。

正直いって
中年のおじさんにとって
若い人たちの人ごみのなかで
あまり興味もないものに囲まれて
待たされるのなんかはゾっとする。

正直言って、
着替えをするスペースで
着替えること自身もあまりいい感じはしない。

普通の商品と異なり
衣料品は体にフィットしているかどうかが
問題になるから
試着しなくてはならないというのは
理解はするのだが
好んでしたいとは思わない。

上着くらいは
その場で試着をすることも可能だが
ズボンやスラックスは
試着室でいちいち着替えないといかんから
そんなのは面倒くさい。

Gパンはすそ上げをしなくてはならないから
なおのこと面倒だ。

通信販売のGパンなどには
長さまで細かく商品に規格化された
ものがあって
実は筆者の履いていたGパンはそれだったらしい。

まあ、ともかく、

スラックスであれば
家庭でもすそあげができないわけではない。から
できればGパンでも
自分や家庭のなかで
簡単にすそ上げができる方法があったらいいと思う。

あのごついデニムを縫うには
それなりの方法や設備が必要ではあろうが
それがなんとかならないか。

もともと品揃えの段階で
筆者の通信販売で購入したGパンのように
股下寸法までいろいろ取り揃えておいてくれれば
いいと思うのだが
そうもいかないだろうから
お客が自分ですそ上げができるような方法を
考えてくれたらいい。

たしかボタンをつける簡単な道具は
以前から発明されていたと思うが
Gパンのすそだって
簡単に調整できる方法だってあってもいいじゃないか。

もし、それがどうしてもだめであったとしても
すそあげに時間がかかるのだったら
購入をためらう、という人がいたら
あとから宅配で送ってくれるサービスがあってもいいと思う。
あるいは驚くほど短時間で
すそをあげてくれるサービスがあってもいい。

ともかくおじさんたちは
あんなような人ごみのなかで
待たされるのはいかんともしがたいのだ。
そういう人たちのことを考えたサービスも大事だと思う。

話はかわるが本日は
その全国展開の大規模衣料品店に行って
そのあとおもちゃを売っている全国規模の
大規模なお店にいって
そのあと全国規模の郊外型レストランにいって
と一般家庭が休日に行なうような
買い物行動パターンを行なったのだが

店舗のなかに
店員がわりと少ないのにちょっと驚いた。
全国展開の大規模衣料品店はお客が多いから
そのぶん店員も多いのだろうが
あとの店は店員が驚くほど少ない。

商品説明を聞くのにも
食事のオーダーをするのにも
なかなか店員が見つからない。

おもちゃ屋さんは
なんとか聞くことができたが
レストランにいたっては
電子呼び鈴を二回鳴らしても
なかなか店員が回ってこない。
ようやく来たと思ったら
素通りしていった。

しばらく郊外型の店舗に来る機会はなかったのだが
こんなレベルのサービスで郊外型店舗は
運営されているのか、と正直言って失望した。

すべての郊外型大規模店舗がそうだとは思ってはいないが、
しかしそれにしても
いくら効率だとか安価にサービスを、とかいっても
えさを与えられて大きくなる養豚や養鶏の動物じゃあるまいし
店にただおいてあるものと
無表情な店員の面白くもない顔を見せられて
レジで購入してはいおわり、では
よくできた通信販売のほうがよほどいい。

結構今の購買行動って底が浅い。
かといって、ちょい悪おやじだとか
新富裕層相手のビジネスだとかも
たぶんそのままで納得できるレベルとは思えない。

以前書いたようなパーソナルなサービスまで
できるとも思えないが、、。

久しぶりに郊外店舗を回ってみて
ちょっと考えさせられた。


2007.5.13

この連休中
ジェットコースターによる
悲惨な事故があった。

もうすでにテレビなどで
事故の詳細や原因については
そこそこくわしく報道されているし
問題点となることも
ここでは書かないけれど
それにしても
ジェットコースターや
あるいは人間が生み出した建物や乗り物や
あるいはすべての人工物の安全性について
いろいろ考えさせられることとなった。

今度問題となったジェットコースターは
設置以来15年にわたって
重要部品の交換がなされていなかった、
ということで批判されているのだが

たしかに日本全国のアミューズメント施設で
稼動する多くのジェットコースターのなかでは
例外的に長時間パーツ交換をせずに
運営されてきたのだろう、
他のジェットコースターは
みんな定期的な調査とパーツ交換
をしてきたのだろう、と
マスコミの情報をそのまま受け入れるなら
そうだろうとは思うのだが

しかし、ジェットコースターのみならず
すべての人工物に視野を広げるのなら
重要部品であるにもかかわらず
パーツ交換をしていない人工物や
もともとパーツ交換を想定していない人工物は
それこそはじから存在しているのだろうと思われる。

もともと公的な産業設備など以外は
パーツ交換などをはじめから想定せずに
壊れてからそのときにあらためて修理する、という
プロセスが当然のようになされているし
そのやり方がまかりとおっているし
間違いだともされていない。

さすがに前述の社会的に影響の強い
公的な設備、やあるいは人的に危険度の高いものや
あるいは自動車産業のように
壊れることによって
経済的な損失の大きい設備などは
あらかじめ壊れることを想定して
定期的に部品交換などを行なっていたりする。

金属部品などを削る刃物などは
突如刃物が壊れることによって
生産ラインが止まることを恐れ
むしろ刃物の「持ち」よりも
「安定して壊れる」ことを望み
その壊れる時点よりも
前に刃物をあらかじめ交換するともされている。

しかし、多くの設備や人工物などは
使用していればいずれ壊れることがある
ということをわかっていても
そのためのなんらかの対策をしているとは
いえない。

このあたりの話は
品質工学やらの識者が
どうすれば良いのかはいろいろ考えていて
それなりの方法なり対策なり考え方なりは
たぶんもうわかってもいるのだろう。

例の回転ドアの事故も失敗学の先生が
いろいろ業界をまじえて研究して
それなりの方法論は確立してもきているのだろう。

しかし、そうはいっても
たぶんすべての人工物が壊れることは
さけて通ることはできないだろう。
すくなくとも個人のあまり危険ではない
人工物が壊れることは
たぶん経済原理からしても
なかなかなくなるとも思えない。

社会的影響の大きい公的なものであったり
経済損失が大きかったり
危険なものであったりするものであっても
やはり故障や破損などを未然に防ぐのは
なかなか困難なことではあろうと思う。

システムが複雑であったり
人間が介在することが避けられない場合には
やはりそういう問題はついて回る。

超音波による検査とか
定期的検査とかも重要であることはわかるが
実際、それですべて危険性が事前にわかり
未然に防げるとも思えない。

やはりもともとのシステム全体の設計や
人工物の設計そのものに
それを防ぐなにかが盛り込まれていなければならないと
思う。

それでもまだ
それをどこまでやるのか、コストとの関係はどうするのか、
とか問題は残るのだが。

それでも、自然災害ではない人工物による
事故や危険性ならば
やはり人工物の工夫による安全性や未然の事故を防ぐ
方法論はあるのだと思う。

金属疲労による破断とかも
昔から何度となく事故のたびに
問題視されているが
これも検査とかによる事前の発見と同時に
金属疲労そのものをリアルタイムに
発見する技術も重要となるだろう。

金属疲労は小さな亀裂がじょじょに進み
どこかで全体が破壊されるという
理解が多いようだが
実際には一見疲労していないようなものが
外力によって一気に破壊するようなこともあるらしい。

そんな金属疲労はたぶん簡単な検査では
わからないだろうから
事前の定期的なパーツ交換にたよることになるだろうが
それとても本当に確実なのかといえば不安が残る。

軍事用の金属材料などは材料手配の時点で
それなりの規格にののっとった材料を
証明書付きで加工して調達するのはそのためだ。

人命がかかっている、という分野ならば
軍用と同じくらいの安全性や確実性を
目指すべきではあろう。

ところで昔の話だが
今と違ってカーボンファイバーによる
部品加工技術などがない時代。
高性能スポーツカーのメーカーである
ドイツのポルシェが1960年代後半に
レーシングカーを作った。

カーボンファイバー技術は少なくとも
自動車関連技術としてはまだない、ので
当時はどこのレーシングカーコンストラクターも
みんなアルミか鉄板によるモノコックの
フレームを作った。
要は薄い金属板を組み合わせて
閉断面のボックス構造による応力外皮構造を作り
それをシャシーにしたものだ。
たしかモノコックという意味も
「単一の貝殻」という意味だと思う。

しかしポルシェはなぜか
細いアルミパイプをトラス状に組み合わせて
シャシーを作った。

H鋼で組まれた橋やビルのスケルトンに近いような
非常に複雑に組み合わされたトラス構造だ。

これでできたポルシェの高性能なレーシングカーは
当時のルマンなどのレースに出た。
俳優スティブマックイーンが出て有名な
映画「栄光のルマン」なども
その当時のそのレーシングカーが活躍する物語だ。

このアルミパイプでできたシャシーは
軽量化のために
非常に細いパイプで組まれていて
どう見ても充分に長期的に強度が保てるとも思えない。

どこかで破断したり
あるいは溶接部がはがれていくことも
当然起きる可能性はあるわけでそうなれば
ルマンなどであれば直線部分で300キロもの
スピードがでるのだ、人命に関わることは想像するまでもない。

で、これがなかなか秀逸なのだが、
ポルシェはこのアルミのパイプを
すべて溶接でつなげる際、
あたかも一つのタンクのように
つながるようにした。
簡単にいえば溶接部分のなかでパイプとパイプの
内部がつながっているということだ。

で、この内部のあたかもタンクのようになったなかに
不活性のガスを高圧で封入した。

そしてドライバーやメンテ係りから見える場所のフレームに
圧力計を装着したのだ。

フレーム構造に亀裂や溶接箇所の漏れなどなければ
圧力計は封入したガス圧をずっと表示するのだが
なにか問題がおきれば圧力計は低下する。
ドライバーなりメンテ係りがそれを確認して
走行を止めるか修理すれば良い。

結構簡単な話だが
なかなか有効なアイディアだと思う。

一気に破断するようなトラブルには使えないかもしれないが
亀裂がじょじょにすすむような亀裂破壊の場合、
応力のかかるボルトやシャフトのなかに
こういう技術を使ってみるというのも
有効かもしれないとも思う。


2007.5.20

先日
車に載って移動中ふと横を見ると
新築の住居だろう建築現場があった。

もうだいぶ建築は進んでいるのだろう、
建物はほぼ出来あがっていて
回りの庭だとか
周囲の地面をバックホーで掘り返している。

せっかく出来上がったきれいな建物なのだが
そう広い周囲のスペースではないから
バックホーは窮屈そうに動いている。

はたからみていても
きれいに作ったたてものの外壁に
バックホーのアームがぶつかりはしないかと
思える作業だ。

最近のバックホーには
キャノピーにバケットが当たるのを
予防するために作業範囲の規制する
干渉防止というようなオプションなどはあるようだが

あらかじめさわったり当たってはいけない場所を
なんらかの形で規定しておいて
そこにバックホーのアームが侵入したり
あたりそうになったら
バックホーの動きをとめたり
警告が発せられるようなしくみがあったりすればいい。

もともとバックホー本体からアームが届く範囲には
限界があるわけで、
作業をはじめるときに
その限界の場合における本体のあるべき位置を確認し
バックホーなり作業者自身が
覚えこんでおいてそれ以上に危険な側に
本体を近寄らせないようにすればいいはずなのだが
作業に没頭していれば
そんなことを常に考えながら仕事をするのは
難しいだろうと思う。

本体やアームの位置と
建物や侵入してはいけない場所や位置を
常に監視していて
それ以上にアームや本体が近づいたら
自動的にそれ以上
近づかないようにするとか
それ以上動かないようにするとかすれば
きっといいだろうと思う。

もっと簡単な装置であれば
レーザー光線などで範囲を照らし示して監視し
そこにアームやバケットや本体が入り込んだら
感知して警告するというものでもいいだろう。

たぶんそんなオプションや
あるいは外部の企業が
装置として作れば
一定の需要はあるようにも思える。


2007.5.27

最近新車は
以前ほど売れないと新聞などで報道されているし、
たしかにゲームだの旅行だの携帯電話だの
わかものや夫婦なんかが
お金をかける方向が
車以外にも増えてきた結果
相対的に車が売れなくなってきたというのは
事実だろうが、

そうはいっても
まだまだ若者などにとって
車を所有したり
その車にいろいろ自分なりの
カスタマイズを加えたりして
楽しむことは
大きなマーケットを構成していて
そういうものに
お金をかける車のマニアは
そう減っていくわけではないだろう。

日本でもそんな状況なのだが

いままさにモータリゼーションが
大きく広がりをみせようとしている
中国アジアでは
むしろこれから巨大なマーケットが
できる時期であるはずだ。

俗にいうアフターマーケット向けパーツなどが
中国アジアでどんどん出てくるだろう。

アルミホイールやエアロパーツなどがそれらの
最右翼だ。

これから中国などで
あらためてそれらを新規に制作するっていうこともあるだろうが

たぶん日本で型が古くなったものなどの
型を使って作るっていう方法も
考えられる。

エアロパーツの場合には
装着する車によって
形状が変わるから
なんでもいいってわけにはいかないだろうが
そこは中国だから
型を修正したり
できたものを改造したりして
装着してしまう、なんてのは
おてのものだろう。

アルミホイールは取り付けピッチが
同じならばもっと簡単につけることは
可能なわけだから

程度のいい、格好いい、
アルミホイールの安いものは
中古、新品をとわず相当に需要はあるだろうと思われる。

もしピッチが合わずとも
間にアダプターを入れれば
装着することは可能だから
安価なアダプターも
需要があることだろうと思う。

ともかくももう数十年前だが
日本国内で自動車販売がピークだったころには
町のなかに
イエローハットや
オートバックスの
原型になったような
アフターマーケットパーツの
販売店がたくさんあった。

あんな状況が
今後中国アジアで
うまれてくるだろうし
すでに生まれてもいるだろう。

当然そう遠くないうちに
イエローハットや
オートバックスの
アフターマーケットパーツなど
モータリゼーションを
側面から支えるお店やメーカーやサービスが
どんどんできるし巨大になっていくだろうと思われる。

そんな動きのなかに
日本の製造業としても
参入を考えているところもあるだろうし
中小企業もなにか考えてみたらいいと思える。

たぶん中国製の自動車にも
日本製のなんらかのパーツをつけたい、装着したいという
ニーズはかなりあるはずだ。

少なくとも精度の高いアルミホイール装着用
アダプターは需要があると思えるし

そんなものでも日本製というだけで
中国製のアダプターとなのるよりも
需要は高いと思える。

モーターレーシングの世界だって
これからはやはり中国だ。

中国国内にも
カーレースができる場所が
どんどん増えてきているようだから

もう40年も前に
欧米のモータースポーツの製品や文化を
ありがたがって日本に持ち込むような状況があったが
今度は中国で同じようなことが起きてくるだろう。

当然欧米もそれを狙ってくるだろうから
競争はあるが
大量に安価に精度の高く品質の安定したものを
中国に提供するとなれば
やはり日本のお家芸のはずだ。

もっともビジネスになると思えば
中国自身でそんなビジネスやものの生産を
はじめるだろうから
簡単なものとかは早晩中国自身で
ビジネス化していくだろうが

高度なものとかブランドが重要であるものは
やはり欧米や日本製を好むことにもなるだろう。
まあ、それとてもコピーされる可能性はあるはずだが。


2007.6.3

車の話が続くが

よくスーパーマーケットとか本屋に車ででかける。

その際、毎日のように繰り返される行動なので
馴れてしまっていて
いまさらいちいち気にもしていないのだが
考えてみたら結構頭と気と緊張感を使っているのだと
気が付かされるのが駐車の際の面倒くささだ。

駐車場によっては
一台あたりの駐車スペースが狭くて
駐車に難儀する。

せっかく本などの買い物にきたりして
楽しい時間のはずなのだが
案外駐車する際の緊張感は
あたりまえのことではあっても
買い物の楽しさにはそぐわない。

最近の車には駐車の際に
それを手伝ってくれる機能がついたものも
登場しているが

あんなものを使わずとも
もっと簡単に安全に駐車できる方法が
店の側やお客の側や
どちらのほうから試される方法でもいいから
あればいいと思うのだ。

車の駐車スペースの後ろのほうにおかれている
コンクリートでできた車止めがあるが
前後方向だけでなく
左右の位置決めをすることが簡単になる
なんらかの車位置の表示や
今車がどんな位置にあるのかを
ドライバーへ伝達する機能がついたものがあればいい、と思う。

左右の間隔のちょうどいいところに
タイヤがきた場合には
それを伝えるなんらかの感触や
音なんかがその状況を伝えてきて
それが左右どちらかにずれている場合には
ずれているということを
なんらかの情報でそれを伝えてくる。

高速道路で適正なスピードで走行していると
三三七拍子で、リズムが聞こえる
道路上に植え付けられた突起があるが
そんなようなもので
車の位置を報せることができないものだろうか。

あるいは音にたよるとどうしても不安、
特に女性ドライバーなんかには
不安だろうから
やはり視覚を補助するものがあれば良いように思う。

ところで通常駐車場に置かれている
普通の車止めだが、これにも実は考えるべきことがある。

車止めに使われているコンクリートでできた
高さ10センチ幅1メートルほどの
塊が駐車場にはあたりまえのように置かれている。

昔からこの大きさであり皆がみな
あまり不思議に思わずこの存在と大きさを認めている。

しかし考えてみると
最近の車にはエアロパーツが装着されていて
最低地上高が低くなっている車が多い。

暴走族の乗っているタケヤリマフラーと
ちりとりのようなフロントスポーラーがついた
エアロパーツは論外だが

最近は普通のファミリー向けのハコバンだって
スポイラーをつけていて
最低地上高が低い。

そのため10センチもあるような
コンクリート製車止めが置かれた駐車場に
そんな車がとめようとすると
エアロパーツにあたって
そのエアロパーツを損傷することが
ままある。

駐車場にいるとたまに
ガリガリとなにかをこするような音が聞こえてくることがある。
何事だろうと思ってみれば
だいたいの場合
スポイラーをコンクリートの車止めに
コスっている音だ。

駐車場の管理者と
スポイラー装着をして車高が低くなった車に乗っている客と
どちらに問題があるのかはしらないが、
普通の場合はお客がまいったなあ、と頭を掻いて
それで終わりとなるだろう。

車止めの高さが世間一般に
あの高さであることが
あたりまえになっているからだろうと思う。

あれをクリアできない車できたほうが悪い、ということになる。

しかし、車高の低くなった車が
これほど多い時代になったのだから
お客が悪い、と言っているわけにも
いかないのではないか。

いわば現在の車の状況が
駐車場には反映されていない、ということだ。

実際、駐車時に車をバックさせて
10センチもあるような
車止めを乗り込えてしまうようなことはほぼないだろう。

5センチもあれば
充分に車のほうに「負荷」は
フィードバックされてくるから
ここがストップ位置だ、と
運転手にはわかるはずだ。

車が車止めを乗り越えて
なおも突っ込んできて危険だ、というのなら
10センチの車止めでは役に立たない。

店舗や歩行者の危険をさけるためには
10センチほどの車止めではなく
もっと丈夫な方法を考えるべきだ。

駐車の手間や負担がない方法を考えて
それをそれとなくアピールするだけで
その店舗に足を向ける人が
特に女性や高齢者などが多い場合には
思ってもいないほど影響があるのではないかと
思えるのだが
どうだろうか。


2007.6.17

ふにゃふにゃのロープのようなひも状のもので
ちょっとなんらかの力なりを加ええると
ピンとはった状態に変化するような
技術ってないのだろうか。

ER流体のようなものが
中に組み込まれていて
電気を流すと
流体が固形のような状態になって固まり、
そのままの状態で固定化される、と
いうのでもいいかもしれない。

あるいは「より紐」のような形状で
なんらかの表面処理がなされた
ひも状のものを
より合わせてあって
それを一定の力でさらに「よる」「よじる」と
表面の処理同士が
さらに硬く結びついて
固定化されてその状態を維持する、という感じでも
いいのかもしれない。

ナットと寸切りボルトの短いものが
柔らかなチューブのなかに順番に並べてあって
端のボルトをどんどん締め付けていくと
順番にボルトとナットが締結されていって
最後には全部がはまりこんで
剛体になるというのもありかもしれない。

ボルトとナットの形状によっては
少し曲がりくねっていてもネジは
もぐりこんでいけるだろう。

また、締め込んでいくのは
ボルトとナットが全部切り離されていても
順順に締め込まれていくから問題ないだろうが
切り離す方向は
一旦どこかがはずれると
それ以上は回転力がつながらないので
それはなにか考える必要がある。

これはすでにあると思うが
真中に穴のあいた
ボールとパイプを順番に並べ
真中に紐を通す。

紐を両側から絞りこんでいけば
ボールの表面とパイプの端面に
圧力がかかって固定化しようとし、
全体が固定化する。

紐をフリーにしてやれば
その間の圧力はなくなって
全体はふにゃふにゃになる。

パイプの長さが短いものをいくつも使えば
より全体が紐やロープのようになるし
長いもので作ればパイプとボールの数が
少なくなるからコストは安くなる。

いずれにしても
そんなロープやコードや紐などがあれば
使える分野やアプリケーションは
無尽蔵にあるだろう。


2007.6.24

今日は短い話、
出張などでカバンを持っていくことが多い。

相手がいることが多いので
そのカバンには
口臭に気をつけるために
口臭防止用のキャンディーみたいなものや
チュウインガムを駅の売店で買って
なかにいれておく場合が多い。

キャンディーみたいなものは
小さな錠剤みたいな大きさと形をしていて
容器、・・厚みが10mm以下、
大きさが50mm×20mmくらいの
プラスティク製のいれもの
ちょうどアップルのiPODみたいな大きさの入れ物に
入っていて
フタが開閉できるようになっているから
それをあけて
容器を振れば錠剤のようなキャンディーが
出てくる。

携行に便利だし最後は口中で溶けてしまったり
食べてしまうものなので
あとの処理、棄てたりするときに
面倒がなくていい。
だから最近はそんなキャンディーのものしか買わない。

が、先日、昼食に
青海苔が入っているものを食したものだから
どうも歯に青海苔がくっついてしまうようでいけない。
キャンディーのようなものでは当然とれそうもない。

で、慌ててチュウインガムを買った。
チュウインガムを買うのはひさしぶりだ。

一枚口にいれてあとは
カバンの横についている小さなポケットに
入れておいたのだが
あとでポケットのなかを覗いてみたら
ポケットのなかでチュウインガムがあの紙の袋から出てしまい
ばらばらにばらけている。

ご存知のようにあの紙袋は一旦封印を解くと
紙のふたが取れて
ふたがなくなった状態になってしまう。

まだ残っている枚数が多いときには
紙袋とガムの装丁との摩擦で出てこないことが多いし
逆に枚数が減ってくると
紙袋がくしゃくしゃになって
やはり
紙袋とガムの装丁との摩擦で出てこないことが多いように
思うのだが
中途半端な枚数くらいになった状態だと
なにかの拍子に紙袋から
ガムがばらけて出てきてしまうことが多いように思う。

あの中身が出てきてしまう状態を改善することは
ユーザーには結構喜ばれると思う。

コストをかけずに改善する方法は
そう難しいことではないように思う。

要はガムの紙袋全体が絞まっていたり
出口のところにフタ状のものがついていたり
あるいは巾着状に出口の部分を絞ることができれば
それくらいで充分に
ガムが出てきてしまう状況は改善されると思う。

それにしてもなぜガムのメーカーは
それくらいのことをしないのだろうかとも思う。
なにか筆者の使い方が間違っているのか
とも思ったりもするのだが。



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