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その32



2005.7.3

自動車メーカーがITS(高度交通情報システム)を
使って交通事故や渋滞を減らすための
実証実験を16年度後半から神奈川県内で始めるのだそうだ。

例えば約1万台の車に協力してもらい専用車載端末をのせ
出会い頭の衝突などの多い交差点にはセンサーを設置し
交差点や見通しの悪い道に横から入ろうとしている車を
センサーで確認し
車載端末を通じて通行しようとしている車に
音声などで警告を発する、というものらしい。

実証実験だというとおり
この試みが実際に効力を発するかどうかは
コストの点なども考えたりすると
未知数ではあるが
いずれにしても安全のための試みは
いろいろやってみるにこしたことはない。

このアイディアノートでも
出会い頭の衝突事故を防ぐためのアイディアを
過去何度か書いてみた。

超指向性スピーカーのようなものを使って
運転手だけに聞こえるように
警告音を聞かせるというのも書いた。

ただ、ガラスがしまっていれば
なかなか室内には届かないだろうということで

今回のようにラジオを使って
運転手に警告する、というアイディアも書いた。

ドイツあたりでは
例えば高速道路でなんらかの道路交通情報をを
運転手に知らせる必要がある場合に
例えばラジオのスイッチをつけていなくても
外部からの特定の信号によって
ラジオが起動する、あるいは
日ごろは動いていないようにみえていたラジオが
そのときだは起動したように見えるだけなのだが、
そんな簡便な仕組みで
道路の上での安全のシステムを動かしていることから
書いたのだが

たぶん今回神奈川で行なう実証実験も
こんなようなものになるだろう。

あまり高度で高価なものにせず
簡便でどんな車や場所にもつけられ
使えるようなものになれば良いと思う。

車に付いている既存の装置を
そのまま使えるのであれば
それにこしたことはない。

で、むしろもっと簡単なのは
個々の車に装着するのではなく
交差点であればその場所ことに
簡単に設置できるもののほうがたぶん費用とか
実効性の点からみても良いはずだ。

仮想的な映像を
例えば車道に直交する
歩道のところに見えるようにしておいて
子供の飛び出しを防止する、などというアイディアも
以前書いてみた。

最近は側道から出る交差点の路上に
立体的に見える箱状の絵を
書いたところがよくあるが

あれがもっと立体的に見えれば効果も
高くなるだろう。

仮想的な映像を空間に結ぶのは
費用の点はともかく
今の時代にできないことはない。

それと
問題は側道から出てくる車が
ゆっくり路上に出てきても
本線側をいく車が
目一杯飛ばして接触すれば
やはり大きな事故につながってしまう。

側道から車がでてくる可能性が高い、ということを
知らせるだけで
スピードは緩むだろうから
今回のようなシステムは有効なはずだが

であれば
その側道のところに
それなりの警告を発するものをおいておけば
なにも音や映像に頼らずとも
有効かもしれない。

というわけで
たとえば交差点の脇に
大きな曲面カーブを貼った金属ポールがたっているだけでも
効力があるような気がするがどうだろうか。

曲率が小さいと車の像が縦線にしか写らないが、
大きなよく曲率であれば
そこそこに車の像が「ある幅」を持って写り
その像が車とは見えなくても
普段何も写らないはずのポールに
見慣れないものが写っていればそれだけで
警告になるのではないか。

何も写らないはずのポールといっても
交差点の周囲の状況によっては
いろんなものが写りこんでしまうだろうから
車が写っているか周囲が写っているか
わからないだろう。

一定の距離以上に離れたものは
写らないようにして
接近してきた車だけが写りこむように
なっていれば良いということだ。

これは曲率の工夫やそれの複合によって
可能になるように思う。

そういえば凸面鏡だか凹面鏡だかをのぞいていると
正像と反対になった象が距離によっていれ変わるが、
あの中間的な場所ってなにか使えるのかもしれない。


2005.7.10

ちょっと前に書いたと思うが、
日本製で世界のシェアのトップを担っている製品に
衣料に使う「ファスナー」がある。

正確なシェアは忘れたが
ともかくも
海外では「ファスナー」とよばずに
メーカーの名前「YKK」が「ファスナー」を示すことに
なるらしい。

でそのメーカーが
最近大きな利益をあげているものに
水密気密ファスナーというものがあるのだという。

一般的なファスナーが
数十円から数百円に対し
水や空気を通さない
水密気密ファスナー
は数千円するのだそうで
これが
それなりの「新たな市場」に出始めたので
本数は少なくとも
利益はしっかりでる、ということらしい。

さすがに普通のファスナーは
誰でもが参入する業界ではないだろうし
水密気密ファスナーも
普通のファスナーを永い間作ってきて
はじめて実現できるものだろうから
誰でもが作れるものでもなかろう。

そういう点で「YKK」が
普通のファスナーにとどまらず
水密気密ファスナーを作って市場をとったのは
当然の方向だと言えば言える。

しかし、面白そうだなと思うのは
水密気密ファスナーの市場がありだと
企業内のどこかの部署が気が付いて
それを研究開発し製品化したプロセスだ。

たぶん開発部隊ではなく
市場に近い部署、
それもマーケティングの部署とかでもなく
営業部の、それも一番末端に位置する誰かが
こんなものがないかといわれてきたのだけど
作れないものか、というような話から
始まったのではないかと思う。

それにしても
たかがファスナーされどファスナー、だ。

こういう製品というのは
冷静になってみれば
いろいろあるのではないかと思う。

昔からあたりまえのように流通していて
製品単価も安く
誰もあらたに参入しようなどとは
思わない。

が、それにちょっとした
市場のニーズから来た声を実現して
製品に付加価値をつけてやれば
まったく異なる市場や利益をもたらしてくれる。

そういえば
自動車のシートベルトだが
あの織物の供給業者は
国内にはそう多くはないらしい。

すでに一定の「過当競争」がなされた業界でもあるようで

しかし車の生産台数が今後極端に減らないかぎりは
シートベルトの需要もそうは減らないだろうとされていて
一定の需要と供給の割合で
今後はしっかり生き残っていくだろうと
言われている業界でもある。


しかし、携帯電話や携帯情報機器などのストラップに
この織物が使われているのはご存知の通りだ。

この携帯電話や携帯情報機器分野が
ここ数年は結構伸びてきたから
今はそう悪い業界ではないだろうといわれている。

こういう永い間使われてきたようなものを
材質を変えるとか
機能を付加するとか
使用方法を変えるとかで
まったく異なる市場が出現することはあるだろう。

今、目の前にあるものなんかでは
ホッチキスとかセロテープとかに
そんな感じはあるのだけれどなあ。


2005.7.18

ちょっと前だが
ゲーム理論という言葉がはやったことがある。

ゲーム理論といえば
なにやらテレビゲームやコンピュータゲームの
攻略法のようでもあるが
実は戦略的な発想や行動方法を
論理的に記述する試みで
最近でいえば
映画「ビューティフルマインド」という映画で
ジョンFナッシュという
アメリカの学者をとりあげて有名になった。

アメリカとソ連との冷戦時代に
外交や戦略をどう選択すればいいのかを
ゲーム理論から導いていった様子などが
その映画ではなかなか興味深く映像にしてあって
ナッシュの妻役の
女優ジェ二ファーコネリーが
美人であることも手伝って
筆者も好きな映画の一つである。

さて、
いくつかゲーム理論についての書籍が出ていて
ちょっと最近は減ってはいるようだが
いまでも本屋にいけば何冊か
目にすることができる。

このなかの一冊、
大阪大学の梶井厚志という先生が書いた
「戦略的思考の技術」という本が
ゲーム理論を考えるにはなかなかいいと思う。

ほかにもゲーム理論のトレーニング本のようなものは
いくつもいろんな先生や出版社からでているが
それこそゲームやパズルの勉強のように
細かいところを実践的に勉強するならともかく
ゲーム理論の全体像を学んでみたいというなら
お勧めだと思う。

で、このなかにゲーム理論の一つの用語でもある
「ロックイン」について書かれているページがあって
これがなかなか面白い

相手やお客さんが
これまでの行動を変えようとする場合に
行動を変えるために少なからぬ費用が発生する場合
その費用が障害になって
行動を変えられないことがある。

うまくそれを利用すれば
自分のところにお客を誘導して
離れていかないようにすることもできるし
逆に競争相手からこちらにお客が
流れてくるように方法を考えることもできる。

こういうお客が
行動を変えるのにかかる費用のことを
スイッチングコスト、といい、
相手の行動を
スイッチングコストを高くとることによって
自分に有利になるような行動から変えられなく
してしまう戦略をロックイン戦略というのだそうな。

こういう話は
実は製造業の世界でもよくある話だ。

例えば商社やメーカーから
中小企業に技術開発や製品開発の案件が
もちこまれたとする。

普通、中小企業ででもできるところを探して
持ち込む場合が多いだろうが
面倒くさそうな話であれば相手が大手企業であっても
どこも相手にしない場合などはよくある話で
なかなか開発が進まない話は耳にする。

また、仮にものや技術ができても
量産になったりした瞬間に
どこかに仕事をもっていってしまうようなことも
よくあってそんなことから
中小企業もそう容易には
乗れない仕事ではある。

しかしたとえば
別に自社の持つ技術が
はじめからとびきり先端的でなくても

相手の会社と一緒に技術なり加工方法なりを
学びながら開発していくと
自然に加工ノウハウが身についてしまうことは
よくある。
よく言われる暗黙知といってもいいかもしれない。

で、なんとか苦労して身に付けてしまえば
今度は大手商社やメーカーが
どこか別の企業で開発をはじめようとしても
それまでにかかったコストや時間を
再びかけるなどということは
避けたいことだろうから
いったんいっしょにはじめてさえしまえば
以後はいっしょにやっていかざるを得ない状況になることは
よくある話だ。

当然ながら、こちら側でも
いつまでも成果をださなかったら
メーカーや商社は逃げていってしまうだうろが
目処が見えてきたのであれば
それでいっしょに進んでいくしかなくなるだろう。

苦労してやり遂げたものであればあるほど
その企業と組んで進めていかざるをえなくなる。

いわばこれもスイッチングコストを高くとることで
相手が自分から離れていかないようにしたといえる。

ところで
こういう場合に限らず
社会にはいろんなところで偶然にロックインが
されているものがあるのだという。

その本には
JRの軌道の規格が
明治時代にイギリスの侠軌道の規格が
もちこまれてそのままロックインしてしまったという。

また、これはコンピュータのことを
聞きかじったことのある人なら
知っている人も多いだろうが
コンピュータの文字キーの配列は
その昔、まだ旧式のタイプライターが
全盛だったころの名残だ。

旧式のタイプライターは
早く文字を打つために
キーの文字配列をしてあるのではなく
タイプを遅く打つために
わざわざ使いにくい配列にしてある。

早く打つと印字時に刻印が重なってしまい
文字がうまく打てないという
昔のタイプライターの能力の低さからくる
やむを得ない解決方法だったのだが

これが
コンピュータによる
ワードプロセッサーの時代や
プリンターによる印刷が可能になった現代でも
過去の時代の遺物のように
残っている。

これも
いまさら世界中の人々が
学んでしまったキーボードの
配列を変えるとした場合の
スイッチングコストを考えると
いまさらほかに
選択肢はない、ということになる。

実は最近の日本でもそれに等しい出来事は
起きている。

最近はもう当たり前になったかの観がある
JRのスイカカードだが
あのスイカをもって改札を通るときに
スイカの読み取り機が
それなりにデザインされているのはご存知だろうか。

著名な工業デザイナーの
山中俊治氏がデザインしたものなのだが
このデザインが氏に託されたときの話が面白い。

もともとスイカカードには
非接触の電子タグが仕込まれているのだが
当初(多分いまでも)
この電子タグの読み取り装置側の性能が悪かったらしい。

それで乗客がスイカカードを持って改札を通過する際に
読み取り不可で
エラーになってしまうというのだ。

山中氏にはこの問題を
デザインでなんとか解決できないだろうか、という課題が
もちこまれたのだという。

氏は実証的な試験を重ね
結果的には読み取り装置のスイカを重ねる上部平面部分を
13度手前に傾けた現在の形状を考えた。

この傾けた形状により
圧倒的多くのひとびとが
スイカカードを重ねる際に一瞬、
そこでカードを止めることを発見したのだ。

これによってよみ取り装置の性能の悪さを
カバーすることができ
結果的にエラーの発生を無視することが
できるほど改札のトラブルをなくすことができたのだという。

ちなみにちまたに工業デザインという名で
きらびやかでありながら
どこか人に媚び、また馬鹿にしたような
デザインや工業生産物が横行するなかで
これらの山中氏の試みからうまれたデザインは
本来の意味で人々を含む社会と生産物関係のあるべき関係を
デザインを通して映し出そうとした試みであり
賞賛にあたいすると思う。

ところで話を元に戻すと
ではこの13度の傾きは
今後どうなっていくのだろうか。

改札を通過する人々が持つスイカカードの
情報を読み書きする装置の性能が上がってくれば
一瞬カードを装置の上で停止させる必要はなくなるから
当然この13度の傾きは必要なくなる。

しかし、ここからが仮説だが
あの13度の傾きが
しっかりと人々の頭のなかに
焼きこまれてしまった場合、
いくら装置の性能が上がってきたとしても
13度の傾きはそのまま残るかもしれない。

ちょうど昔の旧型タイプライターのキー配列が
最新のコンピュータにも遺物として残されているようにだ。

いずれたぶんそう遠くない将来において
あの13度の傾きが不思議に思えて
なぜこんなに傾いているのだろうと話題になり
その当時、つまり今、
この時代の装置の性能の限界を
うまく補うために考案されたものなのだ、という
話がおもしろおかしく話されるかもしれない。

その時代にはすでに意味のない傾きになっているはずで
コストとかから考えれば
角度などつけずに平らにするべきだという
話がでるだろうが
すでに世のなかの人々にとっては
スイカカードの読み取り装置は
手前に向かって13度傾いているのが当たり前になっているから
いまさらコストをかけて
平らな読み取り装置の啓蒙や宣伝をしても
意味はない。

であればスイカは13度に傾いたままで
ずっとやっていこうということになるのは
たぶん間違いない。

ところで
こんな話のどこがビジネスに関係するのかといえば

スイカにしてもキーボードにしても
古くて前時代の遺物であって
それがいまさら変更できない状態になっているものであれば
そこから得られる利得は相当に大きいものとなるだろうことは
容易に予測できる。

人がやらないと言っているような「ものづくり」でも
うまくはまればずっとそこから利益が得られるばあいも
おおいにありうると思う。

まあ、できれば「ものづくり」というよりも
それを考案したり考えたこと自身が
ビジネスになっていくのが望ましいとは思うのだが。



2005.7.24

テレビをみていて
ほーと思った番組があった
都会を走る電車の各駅毎に
タレントが降車しては
その駅周辺のトピックスを
紹介する番組で

個人商店とかイベントとかを
紹介することが多いのだが
ときおりものづくりに関するトピックで
興味をひかれるものがあることがある。

イベント用のからくりみたいなものを
作っているところもあれば
特殊なおもちゃのようなものを
少量作っているところもある。

結構昔から名前を知られている
家庭に必ず一つはおいてあるような
家庭常備薬みたいなものが
実は家族経営くらいの小さな
家内工業で作られていたなどという
紹介もあったりした。

そんななか先日は
こんな変わったものを作っている話が紹介されていた。

映画「シャルウイダンス」は
最近アメリカで再製作されたことで
再び有名になったが
もともとは10年ほど前に
日本国内で映画化され
評判になった映画だ。

サラリーマンの主人公が
あるきっかけで
社交ダンスを習い始め
技術の習得と美人の先生、
家庭のなかでのいざこざや
友人との軋轢など
なかなか人生の機微ともいうような
細かなニュアンスがそこかしこに見える
なかなか好感が持てる映画だ。

で、このなかで主人公が夜遅くに
家庭に帰る前に空き地で
ダンスをひとり練習する場面がある。

このとき、主人公は
なにやら怪しげな装置を背中に装着している。

姿勢の正しさが採点にもなり
ダンスそのものの美しさにもつながる
姿勢を正しく保つことを覚えるための
いわば社交ダンス養成ギブスみたいなもので
細いパイプでできた衣文賭けみたいなものを
からだの背中や腕まわりに装着する。
それだけのものらしい。

映画をみたときにもなんであるかは
想像できたのだが

なんとそのギブスのようなものは
正式に製造され販売されているのだ。

というわけで
その番組にでてきたのは
その社交ダンス姿勢養成ギブスを製作している人の家を
タレントが尋ねてみたトピックスだった。

塩ビパイプを組み合わせて固定しただけのものであるから
そう複雑なものではない。

だから製造するのも
工場とかに委託したり自身で巨大な工場を
動かしているわけでもない。

塩ビパイプを肩のカーブにそうように
曲げるために
ベニアで作った簡単なジグに
バーナーで熱してやわらかくしたパイプをはめて
再び硬くするために水につける。

こうして長さをそろえたり必要な形状にしたパイプ類
を接着剤でラグにとめてくみたてていく。

これで社交ダンス養成ギブスはあらかた完成である。

お年が70歳というご主人が
趣味?の範疇ではじめた
社交ダンス養成ギブス製造ビジネスだが
たぶん10年前の映画で紹介されたのだから
製品化して10年以上にはなると思われるが
すでに10000台を販売したのだという。

定価が12600円とのことだから
1億円以上の売上があったことになる。

全国の社交ダンスを趣味にしている人たちに販売したのだから
それなりに販売網とかの苦労はあるにしても
当然、社交ダンス養成ギブスなどは
それ以外の応用はありえない。
社交ダンスを趣味にしている人たちへ
行き渡せることができる強固なネットワークがあるのだろう。

それは販売ネットワークというよりは
あくまで趣味のネットワークであって
それに販売がかさなったというよりは
趣味人の購買がかさなった、というべきだろう。

当然といえるがご主人は
社交ダンスの世界では奥さんとともに
著名な大会などに出場しそこで
結構な成績をとっているのだという。

社交ダンス養成ギブスの説得力に
これほど強いものはない。

それにしても
どれほど経費がかかっているかもあるし
結構それなりに苦労もあったと思うが
1億円以上の売上を達成したということは
スモールビジネスとしては上出来だと思う。

塩ビパイプを買ってきて
それなりの形にすることは
だれにでもできるし

競合相手が同じようなものを作る可能性もあるが
なにより自分がその世界では
一人者である、ということは
その製品の説得力を
ほかには追随できないものにしている。

たとえ特許や実用新案をとっていたとしても
それよりはその道の一人者として
ダンスの姿勢に対するこだわりが
反映された器具であることが
なにより一番の競争力だろう。

当然付加価値もそれなりに高いはずで
こういうものを大量生産せずに
顧客がほしいというたびに少量づつ
生産していくのは
理想的なビジネスだと思う。

で、こういうビジネスが
ある意味、日本のなかで一定の
産業モデルとして
地位を築いていくべきだと筆者は思う。

社交ダンスに限らず
日本には多様で高度な
オタクの世界が
少なからずある。
オタクといったら気を悪くする人もいるかもしれないが、
要は少数の趣味人の集まりで
他の人を寄せ付けないほど
高度な知識や技術などを
習得している、あるいは目指している人々だ。

たぶん今の日本にはそんなオタクの人々が
構成するグループが無数に存在している。

いくら中国だのアジアだのが
経済的反映を謳歌しているとはいえ
これまで持ち得なかったテレビだの、家電だの
旅行だの、車だの、マンションだの、お金だの、を
買うことを目指しているに過ぎない。

今の日本は
基本的にはそのレベルの経済的繁栄の体験は
過ぎてきたと言える。

そりゃあ、中国のとんでもない超お金持ちに比べれば
慎ましやかなものだろうが
一応、国民一億総中流階級と
言っていたではないか。

可処分所得が
年々低下しているようにも思えるが
一方、
人とは異なる自分の価値観で
生活をゆたかにするものやことやサービスに
お金や財を投下するようになったのは
この日本がたぶん世界的にみても
ある意味先端的であると思う。

で、現在のそんな日本人が
「一億総オタク」として
多様で高度な趣味などの世界に投下するお金や財を
受け止める「もの」や「サービス」や「こと」は
今後もどんどん増え続けることは間違いないだろう。

最近は漫画やアニメーションなどがよくオタクの世界だとし
いよいよビジネスの範疇にもなってきて
一説には880億円の市場だとかマスコミでも
取り上げられたりするが
社交ダンスのようなものを想像すれば
範囲はさらに広がる。
例えば、釣り、などもそんなような範疇だろう。

案外自分自身もふくめ
となり近所で
普段はふつうのサラリーマンだが
実はある世界では
日本でトップクラスの有名人だ、なんてことはよくある話で、
そんな人を探してみたらいい。

で、ここからが大事だが
そんな世界で必要とされている
「もの」や「サービス」や「こと」
まあ、できれば「もの」にするのが一番手っ取り早いと思うが
そんなものを作ってそのオタクの世界にむけて
供給してみたらどうだろう。


その世界での第一人者が
推奨する、あるいは使っていて
これを使えばあるいはもっていればうまくもなるし
ほかの人からも羨望のまなざしで見られる、
などというのは
とりあえずこういうオタク業界とつながって
ビジネスにしていく近道だと思う。

あんまり超有名人や
巨大は利権が渦巻くような世界、もうそれは
オタクの世界とは言わないはずだが
そんなところには首はつっこまず
できるだけ小さくて深い世界につながりをもつ。

そういうものって今の日本には少なからずある。


2005.7.31

この文章を書いている今現在、地球の上を
野口さんらが乗ったスペースシャトルが
周回している。

いろいろ問題はありそうだが
なんとか無事に任務が終了することを
願っている。

それにしても、
いつも思うことだが
ロケットやスペースシャトルが
轟音とともに宇宙に駆け上がっていく様は
なんとすばらしい光景かと思う。

これほど
人類の夢と希望と欲望を
一言で絵にしたような光景は
そうそう見当たらない。

何万語の言葉を並べるよりも
あの煙と炎と音とともに
上昇していく様を見ただけで
人類が目指しているもの(があるとしたらだが)
それを一言で表しているように見える。

あの光景は一度でいいから実際に
見てみたいと
友人たちと話をしたことがあるが
、ところがその希望は
もしかしたら
かなわないことになるかもしれない。

新聞等で書かれている通り
どうやらスペースシャトルの運用は
安全性の問題から
しばらく中止、そして
そのままこの計画そのものが中止になる可能性が
出てきている、というのだ。

実際、今回の打ち上げは不手際が目についた。

二年半前のあの事故を境に
もう一度安全性や信頼性を
徹底的に見直したはずであったのに
打ち上げ二時間前になって
センサーの故障とかで
急遽打ち上げは中止になった。

その後もセンサーの信頼性が回復しないまま、
とりあえず問題はないとされて
打ち上げを行なってしまった。

しかし、打ち上げ後、
断熱材の落下衝突が
今回もあったことで
今回の打ち上げは問題があり行なうべきじゃなかったという
なんともショッキングな報告が
まだ飛行士たちが実際のミッションの途中であるにも
関わらず発表されるというなんとも
お粗末というしかない不手際が続いた。

実際のところ、
じゃあ、飛行士たちが降りてくるまで
「飛ぶべきじゃなかった」とか「問題があった」なんて
飛行士にも人類にも言うべきじゃなかったかどうか
それはわからない。

マスコミのなかにはあまりに「早い」謝罪?に
それを揶揄する声も多かったが
でも、
降りてくるまで黙っていればいいというものでもないことは
もちろんだ。

もうちょっとしっかり状況や原因究明をしてからの
発表でいい、という意見もあるだろうが
断熱部品が衝突したことは事実だから
隠したり発表を送らせても
意味のないことであることはもちろんだ。

問題は
問題のあるシャトル計画を続行し、
二年半前や
あるいは20年前の大きな事故を経験しているにも
関わらず今回のような問題を
起こしてしまったことにあるわけで
すべての問題はそこに帰結しているわけだ。

もともとスペースシャトル計画に
問題があることは
当初、なんと計画のスタート時点から
指摘されていたことは周知の事実で
つい最近刊行されたスペースシャトル計画に
関する単行本(日本人のライターが書いたもので
なかなか好著なのだが今時点、本の名前を忘れた)
のなかでもそれが指摘されている。
またその本のなかでも引用されているが、

ノーベル物理学賞を取った
有名な学者ファインマン氏が書いた
「困ります、ファインマンさん」という本(岩波現代文庫)
の中でも
1986年の事故の調査委員会をまとめた
ファインマン氏がスペースシャトル計画の問題点を
詳しく指摘している。

まあ、シャトル計画自身はアメリカの仕事だから
日本より自由でフリーでベンチャー的であろうと思いがちだが
聞けばNASAは非常に官僚的ではあるらしい。

NASAに限らず
アメリカの産軍複合体という仕組みや軍隊そのものは
結構官僚的た体質らしく

やはりアメリカの軍用飛行機の開発の内情が詳しく書かれた
ステルス戦闘機ースカンクワークスの秘密ー
という本のなかでも
自由でフリーでベンチャー的なスカンクワークスという
先端的飛行機の開発企業と
そのお客である空軍や海軍の官僚的な体質と
ことごとく反発して付き合う苦労がところどころに
書かれている。

たぶん日本の自動車産業の中や食品産業のなかに
ここ数年にわたって起きていたような問題と
似たり寄ったりの状況なのだろう。

NASAは20年にわたって機体の問題というよりも
組織の問題を直しているようであるから
そうそう簡単には直らない根深い問題なのだろう。

さて、それにしてもだ。
今回のいろいろな出来事から

これから数年から10年くらいにわたって
国際的な宇宙開発産業が影響をうけて
微妙に歯車が狂ったり登場人物や国や組織が
変化していくだろうことは
容易に想像はできる。

アメリカにはご存知のように
完全に民間ベースで
100KM上空の宇宙空間へ
人間を送り出す試みが成功している。

それも含め
ロシアや欧米なども
宇宙旅行を含めた宇宙産業ビジネスを
始めようとたくらんでいる。

宇宙空間の覇権争いであったり
軍事的な背景があるのはもちろんだろうが
同時に21世紀のビジネスの一つになるであろうことは
間違いない「宇宙開発ビジネス」が
目標にあることは間違いない。

欧州のアリアン、ロシアのプロトン、中国の長征、
インドのGSLV、

みんな宇宙ビジネスを模索していることは間違いない。
そして当のアメリカだって
スペースシャトルのつまづきで手をこまねいているわけはなく
新たな目標にむけて動き始めている。

回収型のロケットはもちろん
使い捨てのロケット方式の見直しを含め
いろな可能性をすでに検討し始めていることは間違いない。

一方、スペースシャトルが完全に時代遅れであることは
否めない。しばらくは可能性があれば
運用に供すことはあるだろうが、
時間の問題だろう。

さて、では問題はわが日本である。

H−UAロケットなど日本の宇宙開発も
ようやく信頼性を取り戻しつつあるようだが
しかし、まだ他国との競争に遅れていることは
否定しようもない。

欧州のアリアンやロシアのソユーズなどに
比べたらまだまだ実績では程遠い。

宇宙開発に限らず航空機の開発でも

欧州のエアバスや
アメリカのボーイングなどが
世界中の旅客機需要を争うなかで
いまだ日本は半世紀前のYS11から
次に踏み出せないでいる。

最近や中型ジェット旅客機の開発の
動きがないこともないが、
実際にはまだまだこれからの話だろう。

あるいは最近、
宇宙開発と航空機開発の中間をゆく
極超音速旅客機の開発を
フランスと共同で始める、などという話が出てきた。

なかにはこの話題を新聞等で読んで
いよいよ遅れていた
航空機開発や宇宙開発に
日本も力を入れ始めたと喜んだ人もいるだろうが

まだ一度も音速を超える飛行機を
自分たちだけで開発したこともない国が
一気に音速を4倍も5倍も超える
極超音速旅客機の開発ができるかどうか
考えてみたらすぐにでもわかることだろう。

前述の本
ステルス戦闘機ースカンクワークスの秘密ー
でも
あの有名な音速の三倍で飛ぶSR71ブラックバードが
素材や飛行原理などを含め
尋常ではない苦労の末にできたものであることが
書かれている。

いくら日本の素材産業が
世界に冠たるものだとはいえ
そこから
極超音速旅客機の開発に単純につながるものではないことは
冷静になって考えればわかることだ。

ただし、
航空宇宙産業になんらかの優位を
しめすための方法がまったくないというわけでもない。

イメージとして浮かぶのは
前述のアメリカのベンチャーたちが
100KM上空の宇宙空間に
民間ベースで打ち上げた3人のリ宇宙船のプロジェクトだ。

あそこまでいけば
そのあと200KM300KMそして地球周回といくまで
そう時間がかからないことは予想できる。

費用だって国家プロジェクトに比べたら
そう驚くほどのお金がかかっているわけではない。

もともと彼等は
国家プロジェクトのようなやり方ではなく
小さく民間ベースでチャレンジすることだって
十分に勝算はあると考えて始めた。

戦い方の根底から自分たちの土俵を作って
始めたわけだ。

しかし、そこにこそこれからの未来の宇宙開発の
ヒントはあると筆者には思える。

この民間宇宙飛行プロジェクトにしても
ちょっと前に成功した
単独無着陸世界一周にしても
これらは同じグループによる挑戦なのだが

これらの成功によって彼等は
必ずや新たな産業とビジネスと企業と豊かさが
実現できる、という確信を持った。

スポンサーのあのリチャードブランソン氏
(イギリス、バージン航空のトップ)も
多分世界で最初の宇宙旅行を実現する
飛行機?会社は自分の会社であることを
確信していることだろう。

単に費用だけのことであれば
これらのチャレンジに負けずに
日本だってできるはずだ。

最近は大学や地域産業のなかで
航空宇宙産業になんらかの形で
取り組むグループなども出てきた。

まだまだ費用や知識や経験のレベルでは
アメリカに先をいかれているが
その差はまだ小さい。

国もこれまでとは異なる支援の仕方を
考えてうまく航空宇宙産業を育成すれば
むしろここで逆転することだって
ないわけではない。

新しいことを日本が行なって
国際的な覇権を握ろうとしたら
必ず文句を言ってくる国はあるだろうが
そのときはそのときだ。

優秀なパイロットや技術者も日本にそだちつつある。



2005.8.7

あのアップルが
いよいよ
日本国内で
音楽配信サービスを始めるとかで
日本中大騒ぎだ、といっても
そういうことに関心がある人や
業界のひとの間では、だが。

音楽配信だとかネットゲームだとかは
インターネットが登場してからすぐに
そんなビジネスモデルの可能性や
登場は予想されていたわけだが

実験的なプログラムは
たまに行なわれていたにしても
実際のビジネスにつながるところまでは
まだまだだった。

しかし
ここ最近になって
ネットゲームとか音楽や映画のコンテンツ配信などを含め
e−コマース全体が
にわかに実ビジネス化しはじめた感がある。

インターネットだけでなく
情報技術全体からみれば
すでにそれなしでは
社会や産業全体が成立しえないほどまで
高度になりつつあるといっても
すでに差し支えないだろう。


特に音楽配信や映画など映像の配信
ソフトの配信など
いわゆるデジタルコンテンツの
配信ビジネスは
その特性がe−コマースにうまくあうから
今後も爆発的に普及、というか
大きなビジネスに発展していくことは
間違いないことだろうと思う。

しかし、その相性が合う
つまり
デジタル情報化されたものは
重量もないし
インターネットや情報技術によって
再コピーとか再配布がしやすい
という特性には
音楽配信や映画など映像の配信
ソフトの配信などに向くという反面
逆の効果もあって
無断でコピーされて配布されてしまったり
するのは最近よく問題とされることだ。

インターネットなどのうえでの
デジタル情報の違法コピーや
無断配布などについては
いまもそれをどうやって
物理的、あるいは法的な規制もふくめ
解決するかということは
一つの重要な課題になっている。

そんななかで最近面白い技術だなあ、と
思ったことがある。

最近ビデオショップやコンビニなどで
映画の最新コンテンツが
いちはやくDVD化されて販売される。

つい最近テレビで日本で
封切りされたという話題がでたばかりの
最新映画が驚くほどの速さで
コンビニの店頭にならぶ。

しかしその速さはもろ刃の剣でもあって

新鮮なうちにコピーされてしまったり
それがいろいろなルートに流出してしまったり
例えば個人の友人ルートに流れていくのも問題になる。

テレビの映画番組は
ビデオに収録しないかぎり
一度見てしまったら
ビデオ店に行って借りてでもこないかぎり
二度とその番組というか、コンテンツを
見るわけにはいかないのだが
一度DVDのような物質的なメディアに
されて個人の所有になってしまったものは逆に
コンテンツは消費されない。
(コンテンツは消費者のものではないのだが
メディアは個人の所有になるとでも言えばいいか)

これは実はインターネット上のデジタルコンテンツの
「弱点と長所」の裏返しにしたものでもあるのだが。

がそれはともかく
それがせっかくのコンテンツビジネスの足元を
さらったりする。
最近の映画収入の無視できない大きな収入源には
映画館での観客収入以外に
コンビニなどにおける
DVD販売が占めるようになってきたのだから
この映画コンテンツのコピーとかそのメディアの
配布はゆゆしき問題になる。

そこで最近考えられたDVDだが
コピーができない機能がのっているのは当然として
表面に特殊な塗料というか樹脂だかが塗布してあって

ユーザーが購入後にその塗布した樹脂にはってある
シールをはがすと化学反応が始まる。

最初はDVDのピックアップが
表面の情報を読めるのだが
2日ほどすると
との樹脂だか塗料だかが化学反応によって
読み取れなくなるようになっているのだという。

単純に考えても
最初は透明な樹脂が化学反応によって
濁ってくればそれだけで
DVDの機能は果たせなくなるわけだから
なるほどこのDVDのシステムは
2日で使えなくなるDVDとして
機能が果たせる。

これだとコピーはできないし
2日もすれば使えなくなるのだから
一回みたらそれで終わり、
友人に貸すことも実質的には無理になる。

個人のライブラリーにしたい場合には
このDVDではなく
ちゃんとした?DVDなりビデオを購入しなければならないし
そうすればいいわけで、

とりあえず映画を映画館に見にいきたいというレベルであれば
この「劣化するDVD」はなるほど一定の
評価すべきビジネスモデルではあると思う。

最近はホームシアターがはやり?だそうで
大型薄型テレビを家庭で買って
映画などを楽しむということが
おきているのだそうだ。
(本当にそうかはいまいちわからないがね・・)

でも家庭での映画や画像映像コンテンツの楽しみ方も
いろいろあってもいいと思えるし

最新の映画は映画館に行って見るという
いままで誰も疑わなかったビジネスモデルも
もしかしたら今後は異なるビジネスモデルになる可能性もある。

少なくとも
劣化するDVDが流通してくれば
これが本当の意味での
上記のような長い間行なわれてきた
映画ビジネスの革新になる可能性さえあるではないか。

海外の映画を日本に持ち込んでくる映画会社と
劣化DVDの市場化を目指す企業が
どこまでその可能性を考えているかはわからない。

が、結果としてそうなっていく可能性は十分にある。

ホームシアターのAVメーカーも
いろいろあるが
もしかしたらそんなところも
映画会社やDVD企業と
「コラボレーション」してきて
一大映画最新ビジネスを起こしていく可能性も
ないではない。

そういえば最近の映画館も
シアターコンプレックスといわれるように
昔のような大規模な座席数を誇る映画館ではなく
こじんまりとした座席数を持つ小さな映画室が
いくつかまとまって同時にいくつもの映画を
上映しているような個別ニーズに
対応していくような映画館ビジネスが隆盛になってきている。

筆者の済む町でも
シアターコンプレックスなどという言葉がはやる前から
小さな映画室が6部屋くらいあつまった映画館が
だいぶ前からはやっていて繁盛している。

この延長には
なんども書くが
ホームシアターと平面大型テレビと劣化DVDと
映画会社がつながって
新しいビジネスを起こしていく可能性もある。

そしてそれぞれが相乗効果をあげて
より臨場感のあるホームシアターになっていったり
より安くより早い配信が可能なDVDの流通システムが
できるかもしれない。

もしかしたらDVDにはなっても映画館での
上映をしない映画も登場する可能性さえある。

ホームシアターや平面大型テレビの普及に一役買うために
映画会社の配信にそんな力がかかる可能性だって
ないことはないだろう。

(そういえば夏休みやお盆休みに近いとはいえ
高速道路の料金所の開いているゲートが
すくないように思えるのは筆者だけだろうか。

道路公団の例の問題に対し怒りを持っている国民にむけて
嫌がらせをしているわけでもないだろうが
もしかしてETCの普及を目指して
メーカーや協会と結託しているのじゃないだろうかと
思わず疑ってしまうほどゲートは開いていない!
でも考えてみればETCの普及のために
そんな作戦を練ることも
あるいは必要なことでもあるのかと思う。
少なくとも民間企業であればそういう作戦は
きっと考えて実施するよなあ・・・)

さてさて、そんな映画の近未来ビジネスにむけて
こちらもビジネスを考えてみたら
その周辺には
いろいろおもしろそうなビジネスの種はありそうではないか。

当然、まずは
ホームシアターの高度化というか高付加価値化に
関係したビジネスがありそうだ。

これは映画をみることが好きな人たちが
周辺のサービスとして何を欲しがっているかを
考えてみれば見えてくると思う。

それと
今度の劣化DVDが
不謹慎ながら劣化しないようにする裏ビジネスも
またぞろ登場するに違いない。

どこまでいっても
いたちごっこなのだが
逆にそんな技術が出てくるくらい
この、映画を中心とした
新たなビジネスモデルが
普及してきたら面白いと思う。


2005.8.21

だいぶ以前にここに書いた話題だが

プラスティックの材料のなかに
複数の成分・種類からなる染料をいれ
その成分比率に「意味」をもたせることによって
プラスティックの材質の違いを
スピーディーに判別する、という
技術を考えている企業があると書いた。

例えば
あるプラスティック1番は
例えばAという染料成分を1
Bという成分を2
Cという成分を2
とする。

プラスティック2番は
Aという染料成分を2
Bという成分を2
Cという成分を1
とする。

これによって
染料に反応するセンサーで
そのプラスティックの1番か2番かを
すぐわかるようにする、というものだ。

プラスティックだけでなく
染料などが中に入れることができるようなものであれば
あるいは染料を入れた塗料などを塗ることができれば
どんなものでも「意味」をもたせることが
できるということだ。

RFIDが注目される時代ではあるが
この中にいれてある材質の分量の比率に
意味をもたせるというのはなかなかのアイディアだと
当時も思ったし、いまでもそう思える。

で、プラスティック以外にもいろんな利用方法は
当時からその企業も考えていたようだが
その後なにかに使われた、という話は
少なくとも筆者は聞いていない。
もしかしたらすでに
面白いアプリケーションが見つかって
大成功しているかもしれない。

ところで
先日テレビを見ていたら「あれっ」と思った。

いろいろ凶悪犯罪がふえつつある日本だが
一方、最近、イギリスでは犯罪が減ってきたというだが
この減ってきた理由というのがもちろんあって

スマートウォオーターというシステムを採用したからだ、
というのがその番組の内容だった。

で、その「スマートウォオーター」というのが
前述の染料の考え方そのものだったのだ。

約30種類のなんらかの成分をある割合で混ぜる。
これは染料である必要はない。
30種類もの材料を混ぜるのだから
そこに持たせる「意味」は非常に大きい。

この合成した成分にそのままでは透明で
ブラックライトに反応する蛍光染料を混ぜる。

町のなかで、例えば店舗などに
強盗とかがおしかけたとき
その強盗にその染料いり塗料、
これそのものは透明であるし
洗っただけでは簡単に洗い落とせないらしい、
これを犯人にふり掛ける。
まあ、ふりかける方法はいろいろあるだろう。

で、後日なんらかのきっかけで
犯人がつかまったときには
その店に強盗に入ったということが
証明される、ということだ。

つまりお店に備えてあるスマートウォオーターは
そのお店で用意した独自の成分の
スマートウォオーターであることが
あらかじめ証明されていることになる。

もしかしたら
お店を特定する情報だけでなく
その時期時期によって
情報を変えているかもしれないし
実際それは可能であるはずだ。

その「証明」だが
スマートウォオーターを開発したメーカーが
成分作成を管理して、当然その情報も管理している。

警察が犯人をつかまえて
その現場での存在証明をする場合に
その企業に聞くことになる。

また、このスマートウォオーターは
犯人に吹きつけるだけではなく
自分の所有するものに
塗っていけば
例えばそれが盗まれてしまって
ふたたび市場に出てきたような場合、
そんなことが最近はネットオークションの普及で
珍しいことではなくなっているのだが
そんな場合にその盗まれたものが
自分のものであると証明もできることになる。

スマートウォオーターの利用を
そのメーカーは各国の警察などに
よびかけているそうだが
なるほど
実際にそれで犯罪が減るかどうかは
なんともわからないが、
いろいろな用途につかえることは間違いない。

しかし、それにしても
同じようなアイディアが日本でも言われていたのだが
イギリスで普及しはじめたのは
一体どういうきっかけだったのか。

アプリケーションとして犯罪とかの防止に
結びつけた、というのが
どうやら成功のひけつかもしれない。

ほかにもスマートウォオーターの開発そのものも
大事であることは当然として
管理業務や保証業務?も並行して行なったという
ビジネスモデルを考えたからだろう。

当然日本の企業も同じようなビジネスモデルを
考えているとは思うのだが、、。

さてさて、
であればせっかくなので
日本でもこのアプリケーションの利用を
もっともっと考えてみたら良いと思う。

RFIDと違い
一度成分を作ってしまえば
たぶんコストはこのやり方のほうが
安いだろうし
処理もゴミにならずに済む。

飲食にも安全な成分であれば食品に
直接塗ることも可能になるだろう。

であれば最近話題の原産地証明とか
これも最近話題の流通ルートの追跡とか管理とかも
できることになる。

もともとプラスティックのなかに
成分として入れる、というアイディアだが
塗料として作ったものを
塗る、ということでも良いはずだ。

管理ビジネスや
そのセンサーの開発やシステムまで考えれば
結構周辺に大きなビジネスの種はありそうではある。


2005.8.28

先日テレビを見ていて
なるほどそういうこともあるか、と思ったものに
北海道の知床にいたる道に設置された
あるものがある。

同じようなものは
普通高速道路でもお目にかかる。
いや、耳に聞こえるといったほうがいいか。

特に高速道路のくだり車線などに設置されているようだ。

というのは
別に装置でもなんでもない、
ただ路面に設置された
アスファルトでできたデコボコだ。

これを車のタイヤが踏むと
タイヤから三三七拍子のリズムが
聞こえてくる、というのは
多くのドライバーが耳にしていることだろう。

あれはどうやらその車線を
合法的なスピードで走行していると
任意に配列されたデコボコを踏んだタイミングが
うまく三三七拍子のリズムに聞こえるのであって
スピードが速かったりすると
三三七拍子のリズムに聞こえないらしい。

たぶん前輪と後輪の両方から音は発しているはずだし
それがスピードとデコボコの間隔と
うまくマッチするような配列に
なっているのだろう。

筆者はまじめなドライバーだから
非合法なスピードで走ったことはないから
そんなスピードではしったら
三三七拍子のリズムではなくどんなものが聞こえるのか
あるいはまったく乱雑なリズムになったりするのか
知らない。

まあ、ちょっとくらいのオーバーだったら
そうは変わっては聞こえないだろうとは思う。

さて、最初に書いた北海道の知床に至る道に
設置されているものは
ほぼ同じようなものらしい。

が、これはリズムではなく
ちゃんと音階で聞こえる、というか
かの有名な楽曲、知床旅情、を
車のタイヤが奏でるらしい。

リズムなら良く遭遇することではあるが
リズムだけでなく
音階をふくめ
一つの楽曲を奏でるということになると
ほほーと思わざるを得ない。

で、どうやらこれは
デコボコが発するということでは
高速道路のものと同じらしいが

デコボコの間隔が任意に出来ていて
三三七拍子のリズムが聞こえるというものとは
どうやら異なるらしい。

結論的に言うなら

デコボコの間隔が細かくできていて
その細かい間隔が
とても細かいとタイヤが奏でる音は高音に聞こえ
比較的粗いと
低音に聞こえる、ということらしい。

リズムは
その細かなデコボコ全体の長さを
一つの単位というか音符として考え
その音符をうまく配置することで
曲のリズムにしているようだ。

例えばドという音を出すデコボコを
例えば3Mの長さで路面に描くと
例えばそれが八分音符であり
例えば6Mの長さで路面に描くと四分音符、
ということになるのだと思われる。

なかなかうまくできた仕組みだと思う。

で、こういう仕組みは
電気じかけではないから
半永久的に使えて良い。

むかしこのアイディアノートで
書いたと思うが、
名刺カードくらいの大きさのプラスティックプレートに
細かな溝をたくさんあけて
それを棒のようなものでこすれば
一定の音階やリズムは表現できるだろうと
書いたと思うが、
それと同じようなものだ。

一定の音階やリズムが表現できるというのは
声や音楽や音として
言ってみれば情報が
それで伝えることができるということである。

プラスティックの板でなくても
身近に音を発するものはある。

髪をとかすための櫛がそれに近い。

この場合溝の幅ではなく
櫛刃の長さではあるが、

近くにある櫛を手にとって
指ではじいてみて欲しい

大体の櫛は先にいくほど
櫛の一本一本の細い刃は
短くなっている。
だから
根元のほうから指ではじいていくと
先にいくに従い
音は高音になっていく。

ま、ともかく
道路のデコボコにしても
櫛にしてもプラスティックの板にしても
音を情報として発信することを
比較的簡単な技術として
いろいろに使ってみても良いと思う。

なにより電気じかけでないのが良い。

画像で伝える情報のほうが圧倒的に多いと思われるが
知床の知床旅情を音楽で聞かせる、という
「サービス」のように
音でしか伝えることができないものはあるだろう。

あるいはそれが
「癒しビジネス」などに使われても良いだろう。

そういえば
日本には水琴窟というものがある。

雨だれを
地中に埋めた大きな「かめ」のなかに落とし
その落下した音を反響させてその音のよさを聞く、
というものだ。

なかなか風流な趣味だと思うが、
こういうものがもっと進化してもいいかもしれない。

雨音は人間にとっても癒しになる良い音だ、と
何かに書いてあったようにも思う。

なにも携帯音楽プレーヤーを中心として
流行のビジネスばかりが
ビジネスでもあるまい。

そう難しい技術を使わずとも
音で行なうビジネスももっとありそうだ。

すくなくとも観光地の周辺に
その土地に関連した楽曲を
タイヤから奏でさせる、なんていうのは
すでに技術としてはあるようだし

それがビジネスにまでなっているかは
わからないが
もしかしたらそんなところにもビジネスの種は
ありそうではある。


2005.9.3

新聞記事で紹介されていたのだが
自動車メーカーのホンダで
研究してきた成果として
最近発表された内容があるのだが、
とても面白いことがわかったのだという。

いわく
正面から見たデザインを
人の顔に似せた人面オートバイの
試作車を作ったのだという。
人間の脳は生まれつき「人の顔」に
強い反応を示すとされ、
これを応用して
対向車や歩行者から
気づいてもらいやすくして
事故防止の効果を高めるのだという。

で、実験した結果、
通常のバイクに比べて
対向車がこのバイクに気づく割合が
43%アップしたのだという。

ほかにもオートバイは
ライトが一つであるため
対抗したきた人から見ると
距離感がつかみにくく
実際よりも距離を遠く見る傾向があるのだが
バイクのライダーの頭上や前輪位置などに
ライトを増やすことで
正しい距離の正解率が
10%アップしたのだという実験結果も
出ているのだという。

ライトの数を増やしたりするのは
なんだか納得できる気はするが
正面から見て人面に見えるようにすると
認識率が上がる、というのは
なるほどそんなものかな、と
思う一面、高名な自動車メーカーが
本気で取り組み、新聞発表したとなると
たぶんそうなんだろうな、と思う反面
「ほほえましい」というか
なんだか即、「すげー」とはいえない
もどかしさみたいなものも
感じてしまう。

が、しかし、これはこれで立派な成果だとは思う。

ホンダだから新聞発表しても
周囲を納得させられるが
下位メーカーだったらちょっと発表するのには
度胸というかどう評価されるかが
気にはなるだろうと思う。


それにしても
人面が人の認識や反応を誘う、というのは
ありえることだとは思える。

たぶん人間の脳に限らず
動物というのは
動物の「顔」に反応する傾向に
あるのだろうと思える。

考えてみれば
顔の役割や
さらに狭めて考えれば
目の役割だって
人間以外の動物は
その意味をしらないはずなのだが

よくしたもので
動物、少なくとも
犬や猫などの動物は
人間の顔や目を見る。

けして人間の体や、例えば足の裏などを
見ようとはしない。

それも顔の表情や目の表情などに
強く反応するのはご存知の通りだ。

これにはきっと
動物の脳の反応のそれなりの
理由があるはずだ。

どんな人間でも犬や猫などの動物でも
同じように反応するのだから
「間違いなく」そうなのだろう。

そう考えてくると
人面バイク、もありえない方法ではない。

あるいは車やバイク以外にも
人間から見た認識率を上げるために
人面にしたら有効な表現は
たくさんあるのだろう。

人間や動物の顔に反応する、という以外にも
いろんな形に反応する、ということはきっと
人間にはある習性だろう。

例えば
ある特定の形をしているものがあると
その形にあるべき特有の情報を探す、という習性が
人間にはあるように思える。

ペットボトルの銘柄は
ペットボトルのほぼ真中に書かれていると
人間の脳には刷り込まれているから
ペットボトルを見た人間は
その銘柄は何だろうと
思わずペットボトルの真中に視線がいく。

ペットボトルというものを
始めて見た人はそうではないのだろうが
いちどそこに情報があると知れば次からは
そこに目をやれば情報があると刷り込まれ
必ずそこに目線を置く。

逆にそこに情報がないことがわかると
不安にもなる。

ペットボトルの真中に銘柄が書かれていなかったら
人間は不安になるだろう。

逆に普通と異なる場所に銘柄を書いておけば
新鮮な感じがして
注目を集めるという可能性もあるかもしれない。

それと
人間の認識というのは
どうやらそうとうチャランポランなもので

ブランドの名前などは
細かくブランドのアルファベットなどの
スペルで覚えているわけではなさそうだ。

実際、スペルから字がぬけていたり
誤字があったりしても
その形で覚えていると
そのブランドのマークやロゴだと
信じてしまう。

あるいは
ロゴやマークなどを
どんどん簡単な表現にしてしまって
だれがみてもオリジナルなものではない、
と思っていても
過去に見たなんらかのロゴやマークに
なんとなく似ていると
その類似性だけで
そのマークが本当はどこのものかを
おおよそ言い当てることが人間にはできる。

案外、思っているほど正しくなくても
人間の認識は大雑把な捉え方を
うまく補ってくれる能力があるようだ。

逆に人間の視覚は
ちょっとしただましのテクニックで
簡単に錯覚をしてしまう、という習性も
よくテレビ番組なんかで紹介しているが
そう考えてみると
人間の認識能力の
範囲の広さや能力には
まだまだ様々な可能性があるようにも思える。

そういえば
平面に書かれたある絵が
見方によっては「老婆の絵」
見方によっては「貴婦人の絵」に
見えるギミック?が紹介された
クイズのような話を
見たことがあると思う。

あれだって
人間の認識のあいまい性をよくあらわしていると思うのだが

逆に考えて
人間の認識をうまく誘導してやれば
例えばある分野の人にはある認識をさせて
違う分野の人にはまた違った認識をさせる、などと
いうことができると思える。

たぶん同じものを見せる前に
認識を誘導する「誘い水」みたいな仕組みが
必要なのだと思える。

サブリミナル効果のようだと
問題にもなりそうではあるが
うまく使えばいろんな可能性はあるだろうと思う。


それと今、思いだしたが
以前ここで書いたことがある。

ある研究所の研究成果だが

文字がくっきりと印刷されているのではなく
ぼけているというか
横に字の印刷がずれているような表現のほうが

文字がテロップのように
横にどんどん流れていく場合には
人間は認識しやすいらしい。

まことに人間の認識などというのは
適当であり、わけのわからないものでもあるらしい。


2005.9.10

あいも変わらず
テレビなんかをみていると
携帯電話のコマーシャルが多い。

日本国民への普及は
急速に進んだから
今後は新規需要よりは
買い替え需要に移っていくのは間違いないのだが

それにしても
熾烈なシェア争いに勝ち残っていくために
いろんな機能を満載した
携帯電話が
登場していくのだろう。

で、その携帯電話の形態だが
だいぶ以前は
棒型のそれが占めていたが
最近は中折れ型の携帯が
圧倒的に多い。
そろそろ違った形式のものが
出てきてもよさそうだと思うのだが
いまだに圧倒的な売れ筋は
中折れタイプだ。

そのうちきっとそれにかわる形式が
でてくるのだとは思うが
それを今から予測しておくのも
悪いことじゃないだろう。

で、どんな形式が考えられるだろうか。

人間が握って使うようなタイプは
ほぼ出尽くしたようにも思える。

あとは機能の分離だろう。

もともと今の携帯電話は
限界と思えるほど小型化してきた。
これは持ち運びするにはとても都合が良い反面
逆に電話として使うときには案外使い難いときがある。

現在主流の中折れタイプが便利なのは
この携帯のしやすさと電話器としての使いやすさを
両方兼ねる形態としてはほぼベストではあるだろう。

もし中折れタイプのようなものに代わるとしたら
マイクやスピーカーの部分だけが
本体から突き出してくる、
などというのはありかもしれない。

本体自身も握りやすいように
グリップが大きくできるような機能もあって良いし
肩における形状になるのも便利だ。

そうそう、今の携帯電話は
昔のオフィス電話のように
受話器を肩にかけて両手をあけて
仕事をするには
とても使い難い形状をしている。

あれが肩にひっかけて両手が空くような
形状になるだけでも
すくなくともビジネスマンあたりは喜ぶはずだ。

機能の分離ということでは
スピーカーやマイクや
画像やスイッチなどそれぞれの部分を
完全に切り離してしまう、というのもありかもしれない。

無線でつながっていさえすれば
ちょっとくらい離しておいても使えたら良い。

自分のポケットの中に携帯電話本体をいれておいて
マイクやスピーカーは
首の周辺につけておいて
電話を受けたときには
本体をポケットから取り出すことをせずとも
電話としてつかえると良い。
ちょうどハンズフリーの携帯電話みたいなものだ。

まあ、そう考えればハンズフリーのように
コードでマイクやスピーカーを本体から引き出してきても
良いことになるのだがね。


あるいは
普通の携帯電話を
はりこのような電話の受話器のような形状のものに
入れ込んで
事務所など両手をあけて仕事をしながら
電話に出ないといけない場合には
そんな携帯電話寸法拡張キット?が在れば良い。

あるいは
最近のオフィス電話には
子機がいくつもついているように

事務所に戻ってきたときには
ボタン一つで事務所では使いやすい
形状の電話機に転送できれば良いと思う。
要は形態電話が番号が同じで
本体はいくつもあって
送受信したときのシュチュエーションで
どの電話器でも選べるようになっていれば良いじゃないか。


さて、最初に話は戻るのだが
飽和状態に近いまでに携帯電話の普及率は
高まったのだが
それでもこれまでお客ではないと思われていた
客層に携帯電話を広げようという試みは
試されている。
最近でいえば
携帯電話の複雑性についていけない、
例えばおばあちゃんおじいちゃんが使えるような
機能を絞り簡単に使えるようにした
携帯電話がおばあちゃんおじいちゃんを中心にして
うれているらしい。

まあ、これは大事な視点だろう。

最近の携帯電話は様々な機能がついたはいいが
普通に使っている人々が
あれを使いこなしているとは思えない。

機能を減らして、というか
減らしたように見えるだけで
中身は機能はたぶん持っているのだろうが
心理的にも
使い難いようなイメージをなくしただけで
新規のユーザーは増えていく。

であればおばあちゃんおじいちゃん以外にも
このやり方でお客さんを増やす、ということは
できるだろう。

前述のように
ビジネスマンにつかいやすい携帯を考えることで
広がる可能性もある。

おばあちゃんおじいちゃん用として売れている
簡単?な携帯電話が
こういうものが苦手な若者に売れる可能性もある。

軍手などをしていても
あるいは手が汚れていても
存分に使える携帯電話があればそれだけで
喜ぶ人もいるだろうし、
これまで携帯電話を使えないシュチュエーションで
あった人でも重宝する人もいるだろう。

これは前に書いたことがあるが
病院でも携帯電話が使えるようにしたら
さらに利用者は広がる。

最近は携帯電話を持ち込んでも良いとする病院も
出てきているようだがまだまだ少数だ。

病院にいっている間に
携帯電話に電話を待っていなければならない場合
電話のスイッチを切るわけにいかないから
筆者の場合はスイッチをいれたまま車に
携帯電話を残して病院に入る。
着信記録を見てあとから電話をかければ良いわけだ。

もし病棟の一番端にでも
自分の携帯電話をスイッチを入れたまま
いれてカギをかけることができる
ロッカーがあるだけでも重宝すると思う。

この場合、着信があったことを
すぐに知ることができる仕組みがあればなお良いと思う。

病院内の有線電話から自分の携帯に電話をかけ
暗証番号を入力して
だれから電話があったかを知ることができれば
良いと思う。
(そんな機能はもうあるような気もするが。)


2005.9.18

だいぶ以前から
確実に市場を広げているものに
乗馬型の健康器具というものがある。

松下電工、今は合併して
松下電器産業になっているはずだが、
ここが開発した健康器具だ。

産業系の新聞なんかでもたまに特集されていたし
結構しょっちゅう新製品を出していて
どこかこうかで見たことも多いのではないかと思う。

最近は夜中の通信販売で
よくできた類似商品も販売されている。

これなどは価格も驚くほど安く
筆者も購入ということも含め
ちょっと興味しんしんだ。

もともとどんなものかというと、

まさに馬の乗馬と同じような動作を
人工的に作った器具で再現するというものだ。


だいぶ前にプロトタイプを作ったときには
それこそ馬と同じように動くロボットみたいな
大きく複雑なものを作ったらしい。

これに人間がのって乗馬のような動きを馬、のような
その器具にさせると
乗っている人間が平衡を保つために
全身やそれ相応の筋肉を使うことになるらしい。

その動きそのものは電気じかけでできている。

結構その運動量は高いらしいし
平衡を保つための動きが
人間にとっていろいろ「良いこと」になっているらしい。

ここ数年は巨大で複雑なまるでゲームセンターの
アミューズメント施設みたいなものではなく
動きを簡単にした
事務用のスツールのような簡単・小型のものまで
販売をはじめているが
この簡単・小型なものでも
結構人間にとっては良い機能を示すのだという。

夜中に放送される深夜の通信販売番組で
最近販売をはじめたものはそれをもっと簡便にし
価格もぐっと押さえたようなものであるのだが

テレビで見る限りは
それでも結構効力はあるらしい。

もともと人間がトレーニングマシンなどで
体の筋肉を鍛えたり平衡感覚などの機能を
高めたりするには
人間のほうから
能動的に動くしかなかった。

たぶんこれまで多くのトレーニングマシンや
リハビリマシンなどが
開発され販売されてきたと思うが
ほぼ間違いなく
人間が自分で苦労を背負い込む、という
やり方だったと思う。

一時は
EMSといわれる電気で人間の筋肉を
動かしてトレーニングを行なうというマシンも登場した。

これなども深夜の通信販売で販売されているから
見た人も多いだろう。

これは腰痛などを治療をする治療院で
使用している電気治療器具と基本的には
同じようなものだ。

電気を筋肉に流すことで
筋肉がピクピクと収縮を繰り返すが
これを行なうことで筋肉を鍛えることができる、
という仕組みだ。

これも前述の乗馬器具と同じで
自分で動かずとも
器具に任せておけば自動的に筋肉が
鍛えられる、というものだ。

この前テレビを見ていたら
乗馬のようなシステムの延長上にあるのだと思うが、
二本足で立った人間の足元の板が
任意に上下に動くため
その上にたつ人間は
ひざをちょっと折ったような姿勢で
体の上下位置を一定に保つように立とうとするらしい。
これが筋肉や平衡感覚などのトレーニングに
なるらしい。

こういったトレーニング機器や
リハビリ機器が最近増えてきた。

自分からちからを出さないでも
器具のほうから力を引き出してくれる。

専門家に言わせれば
理論やら効力やらいろいろ講釈はあるのだろうが
それにしても「便利」にはなったものだと思う。

で、きっとこういうシステムは
いろいろほかにも使えそうな気はする。

少なくとも体のほかの部位のトレーニングにも
使えるのだろう。
握力とかを含め上半身のトレーニングにも
使えるシステムもありそうだ。


そういえば
どこかの発明好きのおばさんが考えて特許をとり
大もうけした発明品が以前テレビで
紹介されていた。

家のなかで使うスリッパなのだが
スリッパの全長が半分ほどしかない。
土踏まずのあたりから後ろがなくて
これを履くと
かかとがスリッパの後ろに出てしまうから
かかとを意識的に持ちあげている必要がある。

もしかしたら意識しなくても
持ち上げているようになるかもしれない。

このスリッパを家事をするときに履いていると
まあ、家事に従事する「普通の主婦」は
結構な時間を家事に費やしているから
当然かかとを持ち上げている時間も
長くなるということになる。
これが足の筋力を鍛え
足を細くするのだという。

なるほど、とは思うのだが
どれほどの主婦が買うのだろうと思わず考えてしまう、が
これがばかあたりして
大もうけした、というわけだ。

たぶんこの商品を売っている場所やルートの選定などが
うまくはまったのだろうとは思うが、
なるほど
なにかの仕事に、ある器具を考え、使うことで
一緒に別の目的を達成する、ということはあって良い。

あるいは意識せずとも
なんらかの目的が達成できるものがあれば良い。

そういう目線でいろいろ見ていると
なるほどそんなものは結構いろいろありそうだ。

でそれは、どっちかの目的が「自分にとって重要」で
もう一の目的が副次的、というのが良い。

両方が両方とも重要であると
両方に気を取られてしまう。
どちらか一方が重要でそれに意識を
引っ張られてしまっているのが良い。

また、両方が重要でない、というのも
両方とも行なわなくなるということになるから

やはり好きなことをやると
関係のないことも同時に達成できる、
というのが良い。

乗馬健康器具にしてもテレビをみたり音楽を聞いたりする
自分にとって大事なことをするついでに出来れば良いし

スリッパにしても家事という家庭にとって
おこなわなければならないことをしっかりと行なって
ついでに履いているスリッパが
体を自動的に鍛えてくれる、というのが良いのだと思う。

結局
二つの行動の種類が
同じ分野の正反対の行動だとすると
この考え方は
成立しないということになる。

そう考えてみると
食事をしてその食事の内容で
体重などの体の調整をする、というのは
一番合理的だし
食べれば食べるほど
体重が減る、というシステムがあれば
一番良いということになるのだが
そんなものは聞いたことがない。

食事をするために
強制的に体を動かさないと食事にありつけない、
という仕組みはありそうだ。
まるで二十日ねずみのようではあるが、、、



2005.9.25

ここ二週間ばかりのことだが

テレビ番組で
医療の、それも手術の現場で活躍する医師の
超絶的テクニックを扱った番組が
あいついで放送された。

筆者が見ただけでも3回ほど連続してみることができた。
あまりに続けて見る機会に恵まれたので
思わず再放送を見たのかと思ったが
どうやらそうではないらしい。

これらの番組は前述のように
世界的に見てもトップクラスの医師の
それも手術の超絶的なテクニックに
光をあてたものだ。

一番印象的だったのは
神の手をもつといわれる
日本人の天才脳外科医師の活躍の様子だ。

その医師は14年前にアメリカに渡り
アメリカでその技術を身につけ
アメリカを中心として年間500件ほどの
脳外科手術をこなす。

日本にも年間数回訪れ
数回に及ぶ手術を行なう。

世界的にも認められ
14年前にはその医師の評価ができなかった日本で
今は高い評価を得、
若い医師がその手術を学びに
手術の場を訪れる。

ここではその先生の評価ができなかった
当時の日本の医療の世界を批判するわけではない。

それにしても
画面を見ているだけで
その先生がすばらしい手術の腕を持っていることが
すざまじい緊張感とともに伝わってくる。

このような手術を年間500件も行なうとは
心身ともにそのストレスや疲労度は
激烈なものでもあるだろう。

なによりうれしいのは
そんな先生が
自分と同じような、
あるいは自分よりも高い腕前の若い医師を
20人、30人とこの国のなかに
育てていかなければならないが、
それが自分の使命である、といっている点だ。

そのためにも自分の手術の様子を
若い医師たちが学びに訪れるようなチャンスを
多く作ってくれているのだろうが
そんな姿勢に強く感銘を受けるのは
筆者だけでもないだろうし
これらのテレビ番組を見て同じような思いに
とらわれた人々もきっと日本中にいることだろうと思う。


さて、そんな先生の脳外科手術だが
これまでのそれ異なり
「鍵穴手術」と言われるように
頭部にごく小さな穴をあけ
そこから専用に製作したメスだのかんしだのを
いれて極微細な動きを伴う手術を行なう。

大きな穴をあけるこれまでのような脳外科手術は
患者に相応の負担を与えるのに対し
この「鍵穴手術」は
手術後30分ほどで患者と会話ができるほど
患者への負担は軽いのだという。

先生のうでの超絶的なテクニックと
それを手術として成立させることができる
よくできた専用の手術用具の二つが
あってこそできる手術だろうと思う。
もちろん、その前後の病院の
診察やらフォローなどがあって
可能になっているのだということもある。

しかし、一つ不安に思うのは
先生が言うとうりに果たして
先生を超えるような技術を持つ
若手医師が育ってくるのかということだ。

もちろんそれに越したことはない。

それらの手術ができるのが
世界的にみてもその先生1人では
どう考えても医療界の発展にはつながっていかない。

先生を超えるだけの医師がたくさん出てきてこそ
医療も国民市民の豊かさも発展するというものだ。

番組で見た限りでは
それらの手術の様子を動画カメラ等に収録して
後にそこから若手や学生が
学べるような仕組みにしてあるようだった。

それはそれでいいとは思うが、
果たしてそれで詳細な手術の手や指の動きが
伝えるべき若手などの医師に
伝わるのかという疑問はもつ。

であれば、やはりテクノロジーの力で
そこを埋めていく必要があるのではないかと思う。

そういえばつい最近
東大の先生が開発した技術で
手術用のメスとか
習字の筆だとかの動きを
記録する技術を開発しつつあるという話題を新聞で見た。

これは
メスや筆を熟練者が操作しているのを
カメラで撮ったり
センサーを内蔵した筆などで動きを
記録する。

その動きを学ぼうとする人間は
筆なりメスなりのモデルを持つのだがそれは
新聞でみる限りは
「ファントム」のような
ハプティック技術で出来た
人間に反力で力を伝えてくる装置につながっていて

勉強している人間の動きが
習熟者の動きからはずれた場合には
ハプティック装置が人間に
正しい動きを伝えてくる、というわけだ。

これはなかなかいいシステムだと思う。

超緊張状態のなかで手術をしているそのメスなどの動きを
なかなか機械的に記録するわけにはいかないだろうが
画像でとって解析したり
あるいは
画像式のモーションキャプチャリング技術で
その動きを記録するのであれば
手術などの間違いが許されない動きでも記録できるだろう。

勉強している側は
擬似のメスや筆に
ファントムとか反力創生装置というか
ハプティック装置が
つながっていても問題はない。

これはきっと役にたつ技術になっていくのではないかと思われる。

ついでにいうと

最近はプラスティックやシリコンゴムなどで
その患者さんの臓器そのままに
人工臓器などを三次元的に作成できる技術もある。
最近はその技術を元にベンチャー企業も起きた。

あるいは液晶画面で立体的な視界を得ることができる
表示装置も出来た。

これらがすべてつながっていけば

熟練した医師の過去の手術での
腕や指の動きを
擬似手術で学ぶことはもちろんできることになるし

まだ行なわれていない難しい手術を
あらかじめ「実際に」トレーニングする
などということも可能になるだろう。

そうはいっても
手術などは生身の人間に行なうものだ。
実際に手術が始まってみれば
何が起こるかわからない。
そんなときに対応できるのは
あくまでその医師らの
過去の体験の蓄積や
冷静沈着な対応力や総合力や想像力で
あることは間違いない。

残念ながらそこまでは
こういったシステムは補完できないだろう。

が、しかし、
テクノロジーで人間が体験できなかったこと
予想もできなかったことの
いくぶんかを再現したりすることができるように
なりつつあることも
素直に喜んでいい時代なのだと筆者は思う。


2005.10.2

ホースやケーブルなど細い線状のものを
長く巻いて梱包されたものを
どうやって中から引き出していくかについて
考えた。

単純に引き出していくのは
簡単なことだが
長い距離を引き出してくると
ケーブルがよじれてきて
引き出しにくくなっていく。

たまーに行なう仕事ならそれでもいいだろうが
毎日そんな仕事をする必要がある人には
結構大変な作業だろう。

ましてそんなよじれたケーブルを
再び巻いていくには結構な労力を必要とする。

そんな仕事が多い業界では
それなりの機材を置く場所が許されるなら
巻いた梱包の真中に心棒を挿して、
それを壁際においておき
梱包全体を回しながらケーブルを解いていくような
方法をとっている。

こうすればケーブルはよじれていかないが、
専門の業者でもない限りは
場所を取るから面倒ではある。

縦においたプレス業界で使うような「アンコイラー」
のようなローラー状のようなものに
梱包全体を載せてまわす、小型の機材があったらいいと思う。

この場合梱包の外周から押さえて
ケーブルは梱包の中心から引き出すということになる。

真中に心棒を入れてまわすという旧来のやり方で
小型で床における小型のものでもいい。
ちょうど
ホースリールとかケーブルリールみたいな感じだ。


逆の位置に巻き取っていく空のリールがあって
解いていくのと同時に空リールに巻き取っていければ
これも便利だ。
よじれていくこともたぶんない。


それとケーブルとかホースとかは
普通、紙やフィルムで全部巻いてあるが
この梱包をはがしていくのが面倒だ。

素材に傷をつけないような刃の構造になっている
ナイフで切るとかは当然やっているのだろうが
ほかにもすでになにか解決策はありそうではある。
あったら教えてください。

それとこれはずっと以前に書いたことがあると思うが、

引き出してきたケーブルなどを
いちいち長さを巻尺などで計っていくのは面倒だ。

穴のあいた筒が用意してあって
ケーブルを引き出しながらその筒に入れて
送っていけば
ケーブルに接触しているローラーが
回転してその回転数で引き出されたケーブルの
長さを測っていく、などというのは
簡単にできそうだ。

今のことだから
レーザーなんかを使って非接触で計る、などと
いうこともできるだろう。


2005.10.10

秋の連休が続く。
車でどこかへ出かけることも多い。

筆者も隣町で行なわれた
「クラフト作家の製作物の展示会」を
見にいってきた。

残念ながら小雨のふる中での開催だったけれど
なかなか盛況で多くの人々が
クラフト製品を見たり触ったり
良いイベントだったように思う。

そんなわけで小雨の降るなかでの開催だったので
自分の車もぬかるみのなかに駐車をせざるを得なかった。

帰宅してから車を見たら
結構タイヤ付近は泥だらけだ。
雨が止んだら洗車をしなくちゃならない。

さて、以前ここで書いたことがあるが
この洗車の時のタイヤの洗じょうは
なかなか大変だ。

特にタイヤの表ではなく
踏面という
地面と設置する面は
地面との接地抵抗を増やすために
要はデコボコの表面になっているから
これを掃除するのは大変なことになる。

新車のうちはあの溝の内側の面はきれいだから
新車らしき車、あるいは新品のタイヤを装着した車の
後ろに自分の車が追走して前に走る車のタイヤを見ると

タイヤの踏面が溝の内部まで黒々としていると
車は新車のように見えるし
タイヤだけでも黒々としていれば
それだけで車がピンとしているように見える。

なんとかタイヤを簡単にきれいにするという
問題を解決するために
家庭では大変だけれど
ガソリンスタンドの洗浄機の延長上の設備で
タイヤの踏面専用の洗浄機があるといいと思うことは
以前ここで書いた。

専用の回転ブラシのようなものを
タイヤを空転させながら
そこにあててまわしていけば
タイヤの踏面もきれいになるのではないか。

で、本日自分の車がぬかるみを走行して
案の定、タイヤが汚れてしまって
これをなんとかできないものかと思った。
で、今日思ったのは
踏面の話ではなくて
タイヤの向こう側、
タイヤを取り付けたら手が届かなくなる
内側の面をどうやったらきれいにできるか、という話だ。

表面があれだけ汚くなっているのだから
内側だってきれいでいるわけがない。
だけど表面は洗剤で洗うのは簡単だけれど
タイヤの内側、車体側をきれいにするにはちょっと
他の方法を考えないとできない。

踏面だって
溝のなかはさすがに道具が必要だけれど
踏面そのものはタイヤが車体についている状態で
ふけないことはないし
もともと車が走り始めてしまえば
踏面の汚れは取れる。

しかし車体に隠れたタイヤの内側は
どう考えても自動的にきれいになるとは思えない。

なにかきれいにする専用の道具を考えてみたら良いと思う。

表面ほどきれいにする必要はないだろうが
取り合えず汚れをふき取るくらいの道具はあっても良いな。


2005.10.23

暑かった夏も過ぎて
朝晩がめっきり涼しくなってきた。

つめたい飲み物ばかり飲んでいたが
最近はコーヒーとか紅茶とか
暖かな飲み物ばかりを飲むようにもなった。

あるいは最近、街でみかけると
ハーブティーなんかもおいしそうで
思わず購入し試飲してみたりもする。

こうした場合、
昔であれば
いちいち、紅茶やお茶をいれるポッドで
入れるところだが、
最近はティーバック式になっているのが多いから
入れるのに便利にはなった。

ティーバックそのものも
結構進化していて
昔のようにそれこそ「紙袋」のような
形をしたものもある一方、

テトラポッドのような立体的な形をティーバックも
増えている。

これだとお茶やハーブの葉などから
抽出した液が出て来やすいらしい。

まあ、たしかにそれはそうだろう。

で、ティーバックからお茶などを出す場合、

普通多くの場合は
スプーンでつついて
お茶などの成分が抽出されて出てくるのを
強制していくか、

あるいはティーバックについている紐を
上下に動かして
ティーバックがお湯のなかで
お茶の成分なんかが出やすいように
「刺激」している場合が多い。


で、これらの「作業」によって
お茶等の成分が出てくることが
「早く」できることが重要なのだが

急いでいる場合にはなかなかその時間を
待っていることが「面倒」なことも多い。

結局台所などでそれをやっていると
面倒になって
まだしっかりとお茶成分が出てこないうちに
つまりは色が出てこないうちに
カップをもって自分の席や場所に戻ってきてしまうことが多い。

これはこれで問題があって
自分の席や場所に戻ってきたりしたあと
お茶の成分などがあとからどんどん出てきてしまい
味がどんどん濃くなってしまう。

当然途中の良い按配の時にティーバックを
カップから出してしまうべきなのだが
それをまだ水分が沁み込んでいて濡れている状態のまま
ゴミ箱にすてるか
あるいはお皿や他のカップに置くことになる。

自分の席に戻るときに
お皿とか他のカップを持ってくれば良いのだが
案外それ専用のお皿やカップを
わざわざ自分のカップから出た出がらしのティーバックを
入れるためにもってくるのは抵抗があるものだ。

やはり台所にいるときに
抽出時間を我慢しているから
あるいはスプーンで刺激するのが良いだろうとは思うのだが
それだってそのためにスプーンを使うのも
抵抗がないとはいえない。

であれば、だが、

いっそ、ティーバックの機能に
もっとお茶や紅茶やハーブなどの
抽出を促す機能がついていれば良いのではないか。

少なくとも
ティーバックについている紐がもっと硬くできていて
曲がらずにいれば
ティーバックそのものを上下したりする際に
もっと効率が高く
ティーバックを早く振ったり早く上下できるだろうと思う。

ティーバックの梱包は
さっき書いたように
昔の紙袋風のティーバックは
並べていれてあるが
立体的なテトラポッド風の形状のものは
大きな袋にばらばらと入れてあるのが多い。

どちらにしても
商品の性格上結構かさばるから
ティーバックにつける紐は
紐にしておくのが一番良いのだろう。

が、例えば
紐を棒状の硬くて曲がらないようなものにして
そのなかに
ティーバックの機能をいれてしまう、という
アイディアもありはしないか。

要はスティック状に紙を丸めて
棒状にしたもので

下部のほうは大きな穴がスティックの周囲に
あいていたりして
スティックの内部には葉などが入っていて
葉などが穴からは出てこないように
薄い抽出紙などで大きい穴はふさがれていて

使用者はそのスティックを上下や左右に
振っていれば
ただ単に紐を上下するより効率よく
抽出ができるのではないかと思える。

できればこの機能に
水分を絞る機能をつけて

出がらしができるようにすれば
自分の席や場所でゴミばこに捨てやすくなると思える。

水分を絞る機能は
棒状のスティックだから
真中の穴に別の細い棒を突っ込んで押せば
水分を絞ることがができるだろうし

あるいはスティックをちょっと太めにしておいて
持つ上部のほうから
丸めていく、という方法もあるだろう。

こういうパッケージにして
商品価格が高くなってしまう、という問題を
あげる人も多いと思うが、

気分良く、癒し効果のある飲み物なんかを
飲みたい、という
一番の目的があるのだから
ブランド性が高い飲み物であれば
ちょっと梱包代が高いくらいであれば
問題はないように思う。

なんども書くが
問題はどうやって気分良く
そういう飲み物を飲めるかという
「プロセス」であって
味とかも当然大事ではあるのだが
味もそのプロセスのなかの一部である、という
認識が重要なのだろうと思えるのだがいかがだろう。

で、そういう目線で考えると
ほかにも
味とかではなくプロセスを重要にしているものなどは
最近増えていると思うし

大事なのは
味以外にも
いままでであればそれそのものが重要だと思われてきて
誰も信じて疑わなかったのだが
案外それではなく「プロセス」が重要であって
メーカーはその「プロセス」の総合的な演出をお客に
提案しなくてはならない時代になってきた、ということなのだ。


2005.10.30

日本の住宅事情というのは
一時期のバブルとその破綻を乗り越えて
少しづつ回復という状況なのだろうと思う。

都会の高い土地のうえにも
狭小住宅というコンセプトがはやったせいもあって
この数年、小さくて機能的な住宅が
建ち始めている。

どれも個性的な住宅だ。

そういえばそんな住宅に備える
いろんな備品や家具も
住宅がビジネスになるのと並行して
どんどん大きくビジネス化し結果として
すてきになってきているようだ。

特にインテリアの多様化と高度化は
例えばその関連した雑誌を見ているだけでも
いかにビジネスとして浮上してきているかがわかる。

ところがものによっては
まだまだデザインや高度化の余地が
残されているものも多いように思う。

トイレなんかがそうだ。

最近のウォシュレットなんかは
とても高度なものになってきているようだし
デザインも以前に比べれば
高度になっていることは間違いない。

だが、そのわりに
いまだにトイレの便器は白色でほぼ決まっている。

こりゃなんとかすればいいのに、と思っていたら

便器がカラフルに彩色されたものが
いよいよ大手便器メーカーから発売された。

ふたが黄色で後ろについているタンク等が
赤や青だったりする。

よくもここまで割り切った色使いをしたものだと
感心してしまう。

さすがに受注生産だというが
こういうのを機会にして
きっと色付き便器などというものが
これからはやるのではないかと思う。

で、ついでに考えてみれば
単純な色使いではなく
もう一工夫が欲しい。

例えばこんなアイディアはどうだろう。

トイレ便器メーカーと美術学校とが提携をし

美的センスの高い生徒に
トイレ便器をキャンパスにみたて
絵を描いてもらう。

世界に一個しかないトイレ便器のできあがりだ。

使うほうだって楽しいだろうし
作者のほうにいくらかでも「儲け」が回っていけば
次の仕事につながっていく。

オーダーで作る、というサービスもあっていいだろうが
ともかく美学の学生に
どんどん絵付き便器を作ってもらって
ネットにそれらを公開して
普通にネット上で販売してももちろん良いだろう。

あるいは入札してもらうのだってきっと面白い。
作者によっては
リピートがついたり
有名になっていく人もいるだろう。

作品そのものにプレミアムが付く可能性も高い。

なかには
あまりに有名になって
その人が無名時代に書いた絵付きトイレがある住宅、とか
住宅の付加価値になっていく可能性だってある。

そんな製造+流通システムを作ってみたらきっと面白い。

もちろん便器だけではない。
住宅の内外周辺にこういう付加価値をつけたら
面白そうなものはきっと数多いと思われる。

メーカー自身がそんなサービスを考えてはじめなくても
外野が始める可能性はとても高い。

少なくとも美術系の学校あたりが
あらたな収益源として考えてみても面白くないだろうか。


2005.11.6

最近はパソコンやウェブやネット上で
スケジュールの管理を
行なうことが多くなったようだ。

筆者はあまり得意ではないが、
あれほど携帯用スケジュール管理用ツールが
売られているところをみれば
たぶん世のなかの多くの人々は
使っているんだろう。

すくなくとも筆者の友人の何人かは
会議の最後のほうで
スケジュールの調整をはじめる時には
携帯用スケジュール管理用パソコンを
おもむろに取り出してなにやら見始めているから
きっとそんなことを日常的に行なっているんだろう。

でも少なくとも筆者は普通に紙でできた
スケジュール帳を重宝して使っている。

自分のやりかたになれた書式があるから
どうしてもそんなものを年末になると探して
購入してくる。

まあ、個人のスケジュール管理ツールは
そんなものを使えばいいのだろうし
たぶんウェブだの自分用のパソコンに
情報を簡単に流し込むことはできるのだろう。

しかし、できれば
パソコンや自分の手帳と連動して
いつも自分が仕事をしている場所に
あたかもカレンダーのように
スケジュールが見えるようになっていたらいいと思う。

液晶やディスプレーを使うほどではないから
簡単に文字表示ができるものがあって
それがカレンダーのように並んでいたら結構便利だと思う。

パソコンから情報が流れこんで
自動的に表示したり
自分以外の人の情報も表示できたり
ともかくもスケジュールの表示や使いやすさに特化した
室内のデジタルツールという感じだ。

ところで話は変わるが
日常家庭や職場では
テレビは使っていないときは
一体なにをしているのだろう。

当然、電源も入っていずに
画面は真っ黒、単なる無用の長物に
なっていることは間違いない。
最近でこそ薄型テレビがあたりまえになりつつあるから
無用の長物化の存在感は薄れているが
それにしても使わないものであることに
かわりはない。

そう考えれば掃除機だって洗濯機だって
使っていない時は
無用の長物なのだが
居間だの職場だのに常に存在しているという点では
テレビはこれにまさる存在はない。

これを有効利用するというアイディアはないだろうか、

前述のカレンダーでもいいし
ほかにもいろいろアイディアは出てきそうだ。

自分のパソコンの画面は
仕事などで使っているだろうし
スクリーンセーバでなにかを表示しているのだろうが

テレビはあくまで何もしない道具になっているわけで
これをなにかに使えればいいのじゃないだろうか。

そういえば筆者の知り合いの会社では
古くなって引き取ってももらえない
大型のブラウン管テレビを使って
テレビ会議に使っている。

結構大きなテレビだから
相手が現物と同じくらいの大きさで写る。

インターネットにつなげておけば
実質的につなげる費用はただ同然だから
会議はもちろんだが、ただつなげていくだけでも
あたかも「どこでもドア」だ。

それとインターネットラジオなんてものが
はやるくらいだから
インターネットテレビの専用機みたいなものも
あっても重宝するかもしれない。
が、これはパソコンのほうが
近寄っているから
そっちのほうから実現するか。

いずれにしても
最近は部屋のなかに
そこにはありえないはずの
「風景」やら「光景」やら「情報」やらが
簡単に飛び込んでくる時代になった。

どれも□の画面というのが
まだまだ限界ではあるのだが
それでもこういうことが起きてきた現代は
科学技術の時代、ということではあるのだろう。

きっとこれからは
この「風景」やら「光景」やら「情報」やらが
「テレビらしきもの」のなかで
連携し始めるのだろう。


2005.11.13

ここに来てやはりアップルのiPodが
その市場の占有率の高さがうまくつながって
いろいろなビジネスが
周辺に広がり始めているように見える。

国内のカーナビメーカーは
自身のカーナビを
iPodに接続できるようにして
iPodのなかに入れた
それぞれ個人の楽曲の集合を
より簡単に車のなかに持ち込めるようなことを
考えているようだし

これも考えてみれば当然のことだが
音楽の配信に限らず
ファイルの配信ということでいえば
画像ファイルの配信をiPodに行なって
いろんな画像コンテンツを消費者に
配ろうというビジネスも考えているようだ。

当然、同じようなビジネスはiPodに限らず
同じような機材であれば可能になるはずで
国内MPプレーヤー生産メーカーも
いろいろ始めるに違いない。

ただiPodの市場占有率はやはり強くて、
これに対抗できるであろう国内メーカーは
今のところソニーくらいしか見当たらない。

そのソニーだが
ここのところたまに、
おもしろいサービスや製品を市場に
送り出そうとしているように見える。
これが本当にキラーコンテンツをふくめた
大規模なビジネスになっていくかは
いまのところわからないが、
でも最近の大手メーカーとしては興味深い内容ではある。

その一つは
海外からインターネットで
自分の自宅に用意したサーバーにアクセスすると
自宅のサーバーがテレビ番組や収録しておいたテレビ番組を
見ることができるようになる、というものだ。

すでにテレビ会議だとかは
可能な時代だし
そんな新しいサービスも
可能ではあろうと思っていたが
実際に可能になってくれば
いろいろな使い方が可能になっていくだろうと思える。

そういえばこんなことを以前考えたことがある。

筆者が所有しているパソコンに
ソニーのバイオGTという小型のパソコンがある。

A4サイズの半分くらいの大きさの
小型軽量であるパソコンであるのだが
これの特徴はパソコンの端のほうにそれなりの大きさの
CCDカメラがあらかじめ装着されていることだ。

どちらかといえば
パソコンにデジカメを無理やりつなげたような形をしている。

当然カメラとして静止画や動画などの画像をキャプチャーして
保存しておくことができるのだが、

このパソコンが販売されたときに
ソニーがそれとバンドルしたかたちで始めたサービスが
当時、あった。

このパソコンをインターネットにつなげてしまえば

あなたの撮った動画をリアルタイムに配信できるサービスを
ソニーで用意しましょう、というサービスで

さすがに配信できる相手先は数に限りがあるのだが
(たしか有料で、10人くらいで数万円くらいだったように思う)

自分の撮ってきた、あるいはリアルタイムにこれから
収録しようとしている動画そのものを
それを見ても良いとした相手先に
IDパスワードを渡して
その動画をリアルタイムに配信する、
というサービスだった、と思う。

いわば、個人の放送局を立ち上げることができる、というもので

いまでこそそれに近いことも可能にはあったし
あるいはすでに収録済みの画像を配信することはできるのだが

リアルタイムにそこでおきた内容を配信できる、
というのはなかなか面白いし
いろんなビジネス化の可能性があると思えた。

たとえば当時考えたビジネスにこんなものがある。

インターネットの上にサイトを立ち上げる。

そのサイトの上に
配信側は
「今度いついつに
こんなイベントやら催しやら出来事があり
それを見に行きます。
それをリアルタイムに配信しようと思いますが
それを見たい人はいますか?費用は○○万円で、」と聞く。

あるいは
見たい人が「遠くなのでうちから見にいくことは
できないのですが、どこどこでいついつに
こんなイベントやら催しやら出来事があるので
どなたかそれを配信してくれませんか、費用はこれくらいで、」

という情報を集めていく。

たぶんそれぞれにお客がついて

前者のタイプであれば
「それをみたいのでお願いします。」という人が返事をし
「画像販売取引」に参加する。
そんな人が10人集まれば
○○万円が10分の1に下がる。

後者のタイプであれば
「じゃあ、私が撮ってきて同時配信してあげましょう。」
となるかもしれない。
「わたしにも配信してください」という人が参加してくれば
費用も下がってくるだろう。

後から収録済みのファイルを配信ということもあるとは思う。
が、これはすでに
コンテンツの取引ビジネスでおきていることだから
それよりはこういった機材を利用して
リアルタイムに配信をしたほうが面白い。

リアルタイムにその時点を共有することができる、
というのはインターネットが可能にする優位な特徴である。

大規模な放送局でなくても
個人のレベルでそれが可能になると考えたら
面白いではないか。

そんなふうに考えてくると
例えば今度のソニーのインターネットを使った
海外から自分のサーバーにアクセスができて
画像を見ることができたり
あるいはiPodなどのMPプレーヤーを使って
動画を配信できるような技術が
いろいろに広がっていく可能性はたくさんある。



2005.11.20

先日雑誌を買ってきて読んでいるなかに
なるほど、と
思わずうなるような記事が載っていた。

キッチンまわりやお風呂まわりの機材について
詳しく解説している雑誌なのだが
そのなかでの内容だ。

一つ目の内容は
シャワーの形態に関するもので
普通、シャワーといえば
じょうごの先端のところから
放射線状に水が別れて飛び出す、というものだろうが
最近発売されたシャワーには
その名も「レインスカイ」という
天井から名前のとおりに
雨のように水が降り注ぐというものだ。

1メーター角位の大きさのパネルが天井に
埋め込まれていて
そこから地面にむかって
まっすぐにシャワーが降り注ぐ。
全く雨そのものだ。

いままでにもあってよさそうな形態だと
思えるのだがなぜかなかった。

まあ、よほど風呂まわりに
お金と場所をかけられる家庭でないと
設置は無理だということだろうけれど。

次になるほどと思ったのは
そのシャワーから出るお湯の温度調整の機能についてだ。

昔のシャワーの温度調整機器を使っている人なら
わかるだろうけれど

せっかく自分にとっての適温に調整しても
水圧が変化したり
お湯の温度が微妙に変わったりすると
混ぜた適温のお湯の温度も
微妙に、あるいは結構がらっと変わってしまうことも
頻繁におきて
「アチチ」となったり「ツメテー」となったりすることは
しょっちゅうある。

お湯と水の量の混ぜる量を
蛇口の開き具合で
あらかじめ一定に決定してしまう混合栓は
前述のような「変化」に耐えられないことは
もちろんなのだが

わりと最近見る
バイメタルによる自動調節機能がついているものでも
やはり急激な変化についていけず
やはり温度が下がったりあがったりして
使い難いものが多い。


ところが最近の混合栓は
形状記憶合金が使われていて
変化に対応する時間が旧来のものにくらべ
5分の1くらいの時間で対応できるらしい。

これだったら
「アチチ」となったり「ツメテー」となったりすることは
だいぶ緩和されるだろう。

まあ、とりあえず以上の二点に
なるほどと思わされたのだが、

考えてみると
キッチンとか風呂、特にお風呂まわりのものには
人間が体や触覚や感性に直接触れるものが
あたりまえだが多い。

だが
なぜかそのわりにまだまだ目配りが
なされていないものが多いようにも思える。

昔からそうだったからあまり問題意識に上ってこない、
ということもあるのかもしれないし

一日のなかで風呂に使う時間が
やはり決定的に短時間である、ということもあるように思う。

だから消費者がそこにお金をかけようとする
意識が働かないのかもしれない。

であれば、あまりお金を使わずに
お風呂の時間を有効にするものが
もっと提案されてもいいだろう。

お金持ちのために
お風呂まわりをゆたかにするための機材の開発は
大手メーカーに任せておけばいい。

中小企業のほうからは
お金をかけずに喜んでもらえる
お風呂まわりの機材やグッズ開発がありえると思える。

考えてみれば
お風呂用のラジオやテレビや電話、とかも最近は
あるようだ。

日常生活をお風呂に持ち込むことによって
お風呂時間を豊かで楽しいものにする、という
やり方だってあるということだ。

例えばお風呂で使える
簡単なマッサージ機器などは
きっと一定の需要があるだろうと思える。

筆者などは土踏まずの部分を
指圧することなど行なっているのだが
あまり力をかけずに簡単に
足裏マッサージの器具などがあればいいなと思う。

まあ、ともかく、

たぶん誰もが
毎日のように風呂やシャワーを使っているのだから
そのおりにどんなお風呂タイムになったら
有効なのか考えてみたらいいと思う。


2005.11.27

この週末から日曜日にかけて
住んでいる信州から岡山地方を経て東京まで
三角形を電車で回ってきた。

どんな内容なのかの報告は
次の機会にするとして

これは以前のアイディアノートでも書いたことだが

電車、それも特に新幹線でのことだが
切符の販売の仕組みは
もうちょっとなんとかならないものかと
いつも思う。

在来線の切符はそうはいっても
自動販売機で売るのがあたり前になって
それしか方法がないからしょうがないとしても

新幹線の自動販売機に
なぜ人が並んでいないかを
良く考えたほうが良い。

混んでいても人的処理の
ところに人は並んでしまう。

それにくらべて自動販売機は
閑散としている。

誰もがそう暇にしているはずはないので
できればさっさと切符を手にしたいはずなのだろうが
どうやら自動販売機が使いづらそうだということで
倦厭してしまうのだろうと思う。

実験のつもりでやってみるのもいいだろうが
それでへたに手間取ったりトラブルことを
考えたら
人的処理に回ってしまったほうが良い、と
判断してしまうことはしょうがない。

在来線の切符だって
近郊線の切符くらいであれば問題なく購入できるのだろうが
特急券とか自由席だとか
いろいろファンクションが増えてくると
どうやら簡単に買えそうもないと判断してしまうのだろう。

自動販売機でそんな、難しそうな切符の買い方を
している人にはあったためしがない。

そういえば
改札口の処理も問題があると思う。


近郊線の簡単な切符なら切符の差込口に
いれてゲートがあけばそれで良い。

しかし、新幹線だと特急だの
乗車券だと特急券だの
様々な切符を手にして

今度は出口のゲートだの
新幹線と在来線の中間ゲートだの
そんなところをくぐって通りぬける際に

どこでどれを出せば良いのか判断に苦しむ。

たぶん、それぞれのところで出すべき切符を
出せば良いのはわかっているのだが
もし切符が吸い込まれていったまま
本来次のゲートまでもっていかなくてはならない切符が
出てこなかった場合には
困ってしまう。

きっとそういう場合の処理も考えられているのだろうが
そんなことでトラブルよりは
人的処理をしているゲートを通過したほうが良いと判断し
そっちに回ってしまう。

考えすぎなのかもしれないが
もし自動販売機は自動改札で
処理を効率化したいのならば
誰もが安心して使えるシステムにするべきで
そのための知恵が
まだ使われているとは到底思えない。

たったそんなところでさえ
アイディアの使いようはあるのだろと思えるのだ。


2005.12.4

新聞の載っていたが
キッチンとかお風呂周りの機材のメーカーの
TOTOが、キッチン用のイスを開発したのだとか。

さすがにただの普通のイスではない。


普通のキャスターの付いたイスは
座る時に膝などがあたって
動いてしまうことがある。

両手がふさがっているような場合に
イスが動いてしまうのはこまるし危ない。

TOTOのイスは
キャスターに工夫がされていて
人間がそのイスに座っているときには
キャスターがフリーになっていて
簡単に動けるが
人間が乗っていないときには
キャスターに自動的にロックがかかっていて
座ろうとするときに膝などがあたっても
簡単に動いてしまわないようになっているのだそうだ。


なるほど思い出してみれば
イスに座るときは
誰もが片手でイスそのものを押さえて
座っていることが多い。

特に座面がくるくる回ってしまうような
イスのばあいには
イスをほぼ例外なく片手で押さえて座っているはずだ。

このTOTOのアイディアはそういう点では
なかなか優れているアイディアというか
良く気が付いたものだなあ、と思う。

しかし、せっかく作ったイスだが
問題点もあるように思う。

前述したが
キャスターの位置はともかく
座面が回ってしまうのも問題ではある。

イスの位置がずれてしまうことも防ぎたいが
かといって座面が回ってしまうのも防ぎたい。

しかしイスに座ろうとしているときに
座面がロックしていては困る。
自分の座ろうとしている方向に
座面が簡単に向いてもらわねば困るわけだ。

また、イスの位置も
座らねば調整できないようでは困ることもある。

背もたれを握ってイスを持っていきたい場所に移動し
座面の方向を調整し、それを腕で固定しながら
座る、という行為を普通はしているはずだから。

加重がかからないとロックが解除されない、という
仕組みはちょっと使い辛いのではないかな、と
思えてしまう。

あるいは
背もたれの付いていないような
俗に「スツール」と呼ばれるような
簡単なイスは
むしろ人間が座るとその位置にロックされて
逆に立ち上がるとロックが外れて
簡単に移動できる、というほうが使いやすいかもしれない。

案外イスなどという簡単なものでも
こうやって考えてみると
改善の余地や問題点はあるようにも思う。

特に日本の住宅事情に合わせたような
小型化とか軽量化とか
カーペットの上を移動しやすいとか
あるいは
本来日本人の生活様式とは
かけ離れているはずの
イスでの生活や生活様式から来る
問題点も少なからずあるらしい。

この前どこかで読んだ姿勢改善を目的とした
イスのメーカーのカタログによれば
子ども達が西欧型というか
イスでの生活が増えているにも
かかわらず、正確にイスに座れないがために
情緒不安や「きれる」行動に
結びついていくのだ、とかかれている。

それが本当に信憑性があることかどうかはわからないが、

しかし、子ども達がイスに座る姿勢が
そう正しいものでないことは
容易に想像できる。

コタツや床面に直接座っている姿勢を
そのままイスの上にもってくれば
どうみても
まともな座り方をしているとは思えない。


そういえば
最近よく「乗馬運動」が体に良い、とか
筋力アップになる、とか聞く。

乗馬運動を実現したトレーニングマシンも
安価に販売されてどうやらけっこう売れているようだ。

「乗馬運動」トレーニングマシンに限らず
例えばゴムでできた直径50CMほどの
クッションボールの上にイスのように座るだけで
トレーニングになるという話も
どうやら本当らしい。

せっかくなので
こういった「体のために良いイス」を
いくつも考案してみたら良い。


2005.12.11

タクタイルとかハプティック技術とか
前に書いたことがある。

触覚とか接触による情報伝達の技術がある。

しかし視覚とか音による情報伝達の技術は
これほど発達してきたのに
なぜか触覚や接触によって
情報なりを人に伝えようという技術は
これまであまり進化してきてないように思える。

携帯電話だって
音や画像、それも最近は
テレビ電話のような技術までできてきたのに
触覚による情報技術はまだない。

音や画像に比べたら
情報のもつ質と量があまり多くない、というのが
一番の原因かもしれない。

開発にコストをかけたとしても
それから得られる情報のやり取りのレベルが
低いとなれば
そんな技術を可能にしたデバイスが開発されたとしても
あまりビジネスにはならないだろうとは思えるから
たしかに面白く思えても
この先ビジネスにしていこうという動きは
たぶんないだろうなあ、とは思える。

でも冷静になって考えれば
音や画像のやり取り以外に
接触や触角や手触りや
そんな肌感覚で情報が伝わるものって
結構あると思えるし
だいいち、これまで考えられないような
情報が伝わることだって考えられるのではないかと
思える。

もし、携帯電話のディスプレーに
通話している相手の
指先の動きが
そのまま伝わってくるような
触覚を伝えるデバイスがついて
できれば温度とかも伝わってくることが
できたら恋人や夫婦とかで喜ぶ人は多いように思える。

変な意味ではなく
やはり指先が肉体的に伝えてくるリズムとか
動きとかをそんなもので相手に伝えることができたら
それは音や画像とはまた異なる情報伝達の質を
もたらすのではないかと思える。

そういえば
最近医療福祉介護の世界で
人間の生体情報を
遠隔地の人に伝える技術が
いろいろ出来てきた、という話を聞いた。

簡単に言えば
人間が生存しているかどうかだけでも
センサーで読み取って遠隔地にいる人なりサービスに
情報としてして伝える、というだけで
当然、受け取ったほうではそれによって
生存しているかどうかがわかるわけだ。

もちろん、鼓動を確認するだけではなく
体温とかいろいろな情報も
送ることを目標にしている。

こういう深刻というか生存確認とかの
確認に使用するというのは
もちろん今後重要な
技術になっていくのだろうが

たとえば子どもや恋人の鼓動や体温が
携帯電話につなげられたデバイスから
伝わってくるだけでも
うれしいと思うような「関係」もあるだろうと思う。

できれば「電話をするたび」ではなく
「24時間ずっと」つながっている
サービスであればいいと思う。

そういえば
最近携帯電話会社が始めたサービスに
恋人とか特定の人との携帯電話の通話を
月額ただ同然の金額で
かけ放題、というものがある。

これはたぶん全国の若者たちの多くにとっては
朗報だろう。

クリスマスシーズンでもあるし
さびしい年末であることもあり
これで心を癒される人も多いと思う。

であれば
鼓動や体温が常にお互いに
通じているというサービスもあれば
心からうれしいと思う人たちも
きっとたぶん多いと思う。


人と人のつながりが希薄になったり
信頼の醸成が失われていく時代であればこそ
それを補完する
これまでにはなかったような
新しい「サービス」が今後でてきても
ちっともおかしくないと筆者は思う。


2005.12.18

寒くなったせいか
暖かい飲み物を飲む機会が増えてきた。

コーヒーもおいしいが
紅茶やハーブティーがここのところ
ひときわおいしい。

機会があれば
変わった紅茶やハーブティーを手にいれては
飲んでいる。

ところでこういう飲み物の場合には
ティーバックで1人分や複数分の飲み物を
抽出する場合が多い。

ポットに葉っぱをいれて
抽出するというやり方がないではないが、
便利さから言えば
なんといってもティーバックだろう。

が、ポットにしても
ティーバックにしても
面倒なのはその後始末だ。

ポットの場合には
日本茶の出がらしの処理と
同じだから
台所までいって
でがらしを捨てて
新しいお茶を入れてくるからまだ良い。

しかしティーバックの場合、
まさに紅茶やハーブティーを飲もうとする
その場でカップにお湯をさすことが多いだろうから

出がらしはキッチンではなく
その場で発生することになる。

この出がらしが入ったティーバックの処理に
なんとかもうひと工夫が欲しい。

余分なカップを用意しておいて
そこにいれるとかも行なわれているのだろうが
なんにしてもあまりスマートではない。

こう考えてくると
キッチンまわりとか
飲食に関して、まだ工夫したら良いものとかは
たくさんあるように思う。

少なくとも台所の周辺やダイニングテーブルの周辺には
あれば便利なものなんかが
いろいろありそうではある。
そういえば
イタリアのキッチン用品の専門メーカーの
アレッシなんかは変わったキッチン用品をたくさん出していて
それぞれに評価が高いが、
こういう部分に着想を得ているのだろうと思う。

ところで話はかわるが

生卵をご飯のうえにかけた「卵かけご飯」のファンは多い。

筆者の住む地域で発行されている地域密着の地元新聞の
社主もどうやらそうらしく

海外からお客さんがあって
朝食をともにするときであっても
生卵をかけたご飯を朝食にすることは欠かせないという。

が、どうやら海外の人にとっては
「卵かけご飯」は趣味の範疇にはないらしく
すすめてもほぼ断られてしまうのだという。

で、その社主のいうには
最近どうやら「卵かけご飯」専用の醤油というものが
発売され、それも爆発的に売れているんだそうだ。

そういえば「卵かけご飯」のファンは
筆者も含め多いと思うが
たぶん卵と一緒に必要なものとしては

暖かいご飯は当然として
おいしい醤油も必要となる。

しかし。「卵かけご飯」のファンは多いわりに
醤油はいつもテーブルのうえにある
いつものの醤油、を使っているのが普通である。

もともと「卵かけご飯」は
存在感があるというかファンが多いわりに
エマージェンシーというか
ファストフード的というか
メインダイニングにはなっていない。

だから
「卵かけご飯」のために
わざわざ専用醤油をテーブルに置くとかいう発想は
普通はなかったと思う。

まあ、普段使っている「通常の醤油」であれば
「卵かけご飯」にも十分使えるし
「はずれ」はないと思って食している人が多い、ということだろう。

しかし、食塩にいろいろな種類が出てきて
それなりに使い方を変えている人もいる時代だし
醤油だって
醤油にいろいろまぜものをして
使い方を変えた多用途むけのいろいろな醤油(実際は
そういう醤油は醤油ではなく加工食品の範疇になるらしいが)
が発売されている。

であれば
「卵かけご飯」専用の醤油(もどき)があっても
おかしくはないしそれなりの市場はあると思える。
もし「卵かけご飯」専用の醤油市場はなくても
実際に「卵かけご飯」に醤油をかけている事実は
あるわけだから

この「ふつうの「卵かけご飯」」にかけている醤油を
「卵かけご飯」専用の醤油
に代替してもらうと
これまでとは異なる市場が登場してくるというわけだ。

当然国民の摂取する醤油の全体量は
減塩の方向もあるくらいだから
塩分量としては減っていくだろうと思うが、

多様な食生活を演出する道具や食品は
むしろ質と種類としてはどんどん増えていくだろうと思う。

そういえば
醤油の味を味わえる醤油ご飯というものがあっても
いいかもしれない。

かといって醤油をそのままかけたのでは
どう考えても塩分が強すぎるから
塩分控えめで味も調整されている
ご飯の量と合う醤油なんてものがあっても
いいかもしれない。


2005.12.25

年末のテレビ番組は
特集番組が多くて
似たような内容に閉口することも多い。
なかにはなかなか考えさせられる番組もあって
忙しいなかでも一時頭を集中させることができて良い。

日曜日の朝のニュース番組も
エネルギー問題を取り上げていた。

日本がエネルギーの自給率が低いことは
いまに始まったことではないし、

中国が経済発展に膨大な量のエネルギーを
必要としていると同時に
タフな交渉力によって
エネルギー政策を思うように
進めようとしているし、

一方、ロシアがそのもてる地下資源と
原油高を背景にして
急速に国力を増しているという現実、、、

なんだか日本一国が不幸を背負っているような
気持ちにもなってくるのだが

産業面でのエネルギー効率だけは
世界を見回してみても
日本がダントツで高いのだから
それを使って世界のなかで屹立していく
方向を取ることができるだろう、という
識者の意見はある意味正しいと思う。

それにしても
中東にしてもロシアにしても
地球からもたらされる恵みを
そのまま商売にする、というのは
うまみがあるものだと思う。

それは本来農業であってもそうなのだが

この150年ほどの間に農業生産物が
圧倒的に安くなり、付加価値率が低下していった一方、

同じように地面から出てくる石油資源は
いまだに世界の経済と産業と社会を
支配する主要な地位を占めている。

これほど同じ地面から出て来るものとして
価値が違うというのは
もちろん
石油がどこでもできるもの、産出するものではない、
ということもあるけれど

せっかく原価がただに近いものであるのだから
もっと高く売れる地面の産出物はないのだろうかと
考えていて

テレビのチャンネルを変えていたら
裏番組で
面白いことを放送していた

田舎の高齢者ばかりが住む過疎の村で
料亭でサシミや料理の皿に載せる
モミジや柿の葉など
ツマモノと呼ばれる、要はただの葉っぱなのだが
これのきれいなものを
オバアチャンたちが農協の情報に従い
即刻庭の木や山からあつめてきて
市場に売る、というビジネスを第三セクターが
20年ほど前からはじめて
繁盛しているというのだ。

家庭によっては年収500万円にもなるというから
結構なビジネスだし、過疎の村全体としても
年間2億5千万ほどのビジネスになるという。

良い運動にもなるから医療費が
似たような村に比べても
圧倒的に低いというし
若者のIターン現象やUターン現象もあったりで
相乗効果があるという。

モミジや柿の葉など
ツマモノと呼ばれる、ただの葉っぱは
まあ、さすがに東京のど真ん中できれいなものが
取れるわけでもないだろうけれど

そうはいっても田舎の町ならほぼどこでも取れるものだろう。
少なくとも
その村の近所の村でも
同じように取れると思われる。

しかしそれに20年前に気がついて
地域を巻き込んでビジネスにしていった
創業者たちの
構想力と努力は評価にあたいする。

この話題は
ここ数年で何度もテレビにのったから
たぶんこの町「上勝町」の「つまもの」は
一定のブランド力も持ち始めているだろうと思う。

先週ここに書いた
「卵かけご飯」」専用醤油も
どこかの町の第三セクターが頑張ってはじめたものだし
例えば高知のゆず味のポン酢も同じようなビジネスだ。

第三セクターがだめだ、と一般的に言われてきたなかで
こういう成功したビジネスも生じているわけだけれど

いずれにしても
地元の地面から生じた価値に先に気がついて
先にビジネス化をめざし、ブランド名を高めていけば
こういうビジネスは
まだほかにもいろいろ出てくる可能性はあるのだろうと思う。

そういえば
食事の場面に限って考えても
もっと価値を高める食材やサービスは
たくさんあるのだろうと思う。

価値を高めるといっても
お客さんにとっても高いという部分と
例えば先の例でいえば
料亭にとっての価値を高める、という意味もある。

先の例では
つまものは料亭は自力で探して用意する、というのが
あたりまえであった時代に
それ(つまものを用意する)を代行する、という
サービスを考えた、ということでもある。

そう考えたら料亭の食材は
たぶん料亭の職人が自分の目で買い出す、というのが
あたりまえなのだろうが
案外「外注する」という範囲もあるのかもしれない。
酒は酒屋さんが届ける、というのが一般的だろうから
お茶や食器なんかも外部の業者が届ける、というのも
ありかもしれない。

そういえば
食事所で飲むお茶で
あまりおいしいと感じたことはないなあ。



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