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その31



2005.4.3

先日新聞に
筑波の産業技術総合研究所と大手企業で
食品容器のシール状のふたを
開けやすくしたアイディアを考えた、とのっていた。

ゼリー食品やかんてんでできた一口で食べられるような食品
あるいはコーヒーのシロップやミルクなどが
入った小型で透明なトレイにアルミ蒸着したフィルムで
ふたをしたあの形状の食品のパッケージだ。

このふたといれものは
超音波で溶着されているか
あるいはなにかで接着されていて
ふたを引っ張ってはがすには
それなりに力が必要になる。

手がぬれていたりして滑りやすい状態になっていれば
なかなかふたがはがせなくて難儀することは
よく経験する。


今度産業技術総合研究所と大手企業が開発したというのは
容器の形を半月形にすることで
容器に対して力を無駄なく伝える持ち方になるのだそうで
これによってふたも最小限の力で
はがせる角度で開けるようになった、のだそうだ。

なるほど、
たしかに両手の力を入れてなにか作業をしなくてはならない場合、
どちらか一方にむやみに力をいれなければならないことで
相対的にもう一方の手に力が入りにくくなるということは
あるのかもしれない。

ぎゃくに言えば
一方のほうにまったく力を入れなくで済むことになることで
もう一方の手にのみ力を集中できる、ということなのかもしれない。

もしそうだとすればそういう作業の仕方を
考えることによって
作業の効率があがるとか疲労が軽減されるとかいうことは
当然いろいろと出てきそうだ。

そういえば
体の正面に手を出して
右手で△左手で□を描くということを
左右同じタイミングで行おうをすると
なかなか難しいということはある。

二人の人が同時にしゃべっていることを
聞きわける、というのも難しい。

人間にとってはやっぱり二つのことを同時に
集中して行うことは
難しい、ということなのだろう。

で、話は戻るが、
それにしても半月状に容器の形を変えることで
そういうことになる、というには
なるほど理解はできるのだが

どんな食品容器も
みんな半月形にするわけにもいかないということは
当然あるわけで
このアイディアにどれほどメリットがあるかは
なんともいえない。

梱包上のスペースの効率の問題もあるだろうし

意匠的に半月形では意味がない、ということも
あるだろう。

たしかにふたがはがしやすい必要性はあることはあるので
もっと実現すべきは
はがしやすい接着技術の開発、ということなのだろう。

考えてみればこの手の容器は
昔から出回っていて珍しくもないのだが
そのわりに進化はしていない。

ふたのはがし易さを含めもっと工夫があっていい。

ところでそういえば
このアイディアノートのだいぶ以前のものに
この手の容器に対する工夫を書いてみたことがある。

この手の容器は普通、そのふたが付くへりの位置まで
食品などが入っている。

ふたをはがすときに
はがし方によっては容器の水平が保てず
中に入っているゼリーなどの内容物が
こぼれてしまうことがある。
特に水分の多い内容物の場合
そんなことはよく起きる。

そんなことのためにもふたがはがしやすい、
ということも重要なのだが、
以前ここに書いたアイディアはこんなものだった。

容器の一部に蛇腹状になっている
いわば「袋のようなスペース」がつけられていて
そこがたたまれた状態で内容物を入れておく。
つまり内部の体積が大きくなるようになっているのだが
とりあえず内容物はふたによって「固定」されているので
蛇腹はたたまったままだ。
ふたをはがしたときにこの均衡が崩れて、
蛇腹が伸び容器の体積が大きくなる。
内容物は大きくなった体積にしたがって
下にむかって「落ちる」ので
ふたが付いているへりの位置から若干下に下がる。

へりの位置と内容物の間に
若干の差ができることで
内容物がこぼれるのを防ぐことができる。
というものだった。

蛇腹といっても
じゃばらのような形状である必要はなく
要は内部の体積がふたがはずれることで
大きくなるようにさすれば良い。

例えばペットボトルの飲料水で
ふたのネジを最初にクリッと回し
空気がペットボトルに入った瞬間に
ペットボトル全体がちょっと太くなるのは
よく経験することだ。
これによってペットボトルの飲料水の位置は
若干下がっているはずだ。

先の容器も同じことが言えるはずで
ふたをはがした瞬間に容器がちょっと「太って」
そのぶん内容物が下のほうに下がることで
へりから内容物がこぼれることのないようにする。
というものだった。

これはいまだに有効なアイディアではないかと思っている。

まあ、そんなこんなで
食品容器にもいろいろ工夫があってもいいだろうと思う。

当然、使いやすいとかも重要なのだが
これからはゴミになる量をいかに減らすか、
という点が重要だろう。

コンビニ弁当の容器なんかは
そういう点で改善すべき点が
とてもあると思えるのだがいかがだろうか。


2005.4.10

新聞に最近はやりのQRコードを
テレビのブラウン管で表示し
それを携帯電話のコード認証の仕組みで
取り込むことで
テレビ番組に連動させ
ウェブのコンテンツにつなげる仕組みを
実現したベンチャー企業のことが載っていた。

なるほど、
これはいまはやりの新聞や雑誌のQRコードを
ウェブにつなげる仕組みと同じで
いろいろ可能性が高い。

というか今問題のインターネットとテレビを融合するという
ホリエモン氏の考えていることを
そのまま実現しようとする一つの手段であって
今後重要になっていく技術だろう。

もっともそういうことは
とっくに考えられていたのだろうが
どうやらブラウン管のような曲面や画像が
ぼやけているようなものでは
実現が難しかったということらしい。

それにしても
紙やテレビのブラウン管のように
デジタル情報をいったん、アナログにしてしまったものを
再びデジタル情報に戻す、というのは
不可能ではないにしても
わざわざそれを行なうのは
費用や時間からするととてももったいない行為ではある。

以前からこのアイディアノートでも書いてきたし
つい先日も書いたばかりだが
プリンターで印刷したテキスト情報を
OCRなどでデジタル情報に戻すよりも
印字したときにその紙など媒体の一部に
デジタル情報を残しておければそれにこしたことはない。

RFIDでもいいし、
以前どこかで開発したと思うが
文字の形そのものになんらかの意味を持たせる、
などということも可能ではあろう。

紙の一部にカセットテープのように
磁性体を塗っておいて
紙に印字すると同時にその磁性体に
デジタル情報を書き込む、などという方法もあっていい。
インクジェットプリンタに
カセットテープレコーダーがついたようなものだ、
デジタル情報だからDATということになるのだろうが、、、。

紙の一部に二次元バーコードを印刷しておいてもいいだろう。
もちろんQRコードでもいいだろう。

情報そのものは
そのコードに持たせる、というのもありだが
当然、ウェブに情報を格納しておいて
コードなどはその「ありか」「URL」を示しているだけでいい。

こういう「ユビキタス」は
今後いたるところで始まるだろう。

基本的には
実社会と仮想の世界との融合やつながりだが
実際の現実と現実をつなげていくこともできるわけだし
仮想から仮想につながっていくこともできる。
要はすべてがつながっていくわけだが
基本的にそのつながる要点は「デジタル」である、ということだ。

アナログで行なって行なえないこともないが、
情報の交換・共有・配布のコストや手間を考えると
デジタル情報のやり取りがそこで行なわれることが
重要であるということになる。

実は問題はたぶんもう一つあって
だれが「ユビキタス」社会で
情報と情報をつなげる役割を果たすか、ということだ。

つなげられていく側なのか
つながっていく側なのか
あるいはもっと違う誰かなのか。

ウェブの世界とはちょっと異なる仕組みが
少なくともテレビとウェブのつながりの上では
生まれるのではないかと筆者には思える。

「ユビキタス」社会全般でも
きっと情報のつながり方はこれまでのウェブとは少々
異なるつながり方が出てくるような気がする。

それが良いことなのか、どうかはわからない。
10年前にインターネットの可能性がささやかれ出したときに
我々が想像していたもっと緩やかで平等なネットの世界とは
少々異なってきたようにも見えるのだが、、。


2005.4.17

先日、雑誌を見ていたら
その雑誌が携帯電話と時計メーカーと一緒になって
携帯電話に普通の腕時計のような時計を
くっつけたものを販売する、
という企画を立ち上げたものがあった。

携帯電話の通常、のっぺりした平面の部分に
腕時計の同じくらいの
アナログ時計そのものを
くっつけたものだ。

なぜそんなことができるかというと
最近の携帯電話は
客が自分の好みに合わせて
携帯電話の筐体をメーカーが用意した
いくつかのデザインや模様の「カバー」に
交換できるようになっているからで

人とは違うものを持ちたい、という
最近の若者の心理を反映させた商品が
目指されているからだ。

一時は街のなかに
色を塗ったりビーズを接着したり
そんな携帯電話の外装カスタマイズをしてくれる
ビジネスなどもはやったこともあった。

で、この携帯電話、
メーカーがあらかじめ用意した
カラフルなカバーなどに交換できるものは
以前からあった。

しかし、その雑誌に載っていた携帯電話は
なんと小さなネジ、キャップスクリューで
交換ができるようになっている。

だから平たい平面部の四隅に
キャップスクリューの頭が
露出していて
これまでの携帯電話のような
すっきりのっぺりとい感じではない。

この部分に
ど真ん中にアナログ時計をくっつけた
平面板をネジで止めることで
アナログ時計付き携帯電話ができる、というわけだ。

もともとの話に戻るが
最近若者が腕時計をしなくなった、といわれて久しい。
かく言う筆者ももうだいぶ前から
腕時計をしていない。

携帯電話が時計の機能を持っているから
わずらわしい腕時計などいらないというのが
理由らしい。

筆者もそうだ。
特に腕時計をつけているとワイシャツの袖が
擦り切れたりすることがあって
あれはいやだな、と思っていた。

ちなみに腕時計をしていても
ワイシャツの袖なんかが擦り切れてこないようにする
アイディアがあればまだまだ有効だと思う。

シャツの側にその機能を持たせる、というのが
良いのだろうが
着るものすべてに持たせるのは大変だろうから
やはり腕時計のほうにそういう機能を持たせたい。

ところ前述の腕時計付き?携帯電話だが
これは、なるほど、と思わされた。

携帯電話のデジタルの画面をのぞけば
それで時間を知ることはできるが
携帯電話に腕時計そのものをくっつけてしまう、という
アイディアはあっても良い。

携帯電話を人と違うアイテムにするために
時計をくっつける、というのは
考えてみれば発想してみてよかったはずだ。

で、時計に限らず
どんなものでも携帯電話につけることを
考えてみたら良い。

まして今度はネジでくっつけることができるわけで
よほどのものでも携帯電話と容易に
くっつけることはできる。

どんなものがつながるか。

方位磁石

鉛筆付きのメモ用紙セット

携帯電話をベルトなんかに保持するためのサポート

小銭入れ

名刺入れ

気にいった写真の写真たて

ちょっとしたアナログ的ゲーム

あるいはこれで
時計とカメラまでついたのだから
次はオルゴールなんかも良いかもしれない。

話をもっと広げれば
塩と胡椒入れをつけておくことだってできる。

笑うかもしれないが、
案外ラーメン屋や定食屋に入って
おもむろに自分のマイ胡椒やマイ塩を
携帯電話につけたいれものから
降りかけたら若者にクール、と言われるかもしれない。

ラーメンに携帯電話を落とした、などというトラブルも
頻発するだろうが、、。

というわけでカバーがネジ止め式になったおかげで
カバーそのものにももっと便利な工夫ができるだろう。


いずれにしても
携帯電話の機能も
ようやく一段落、という感じはする。
もちろん、まだまだいろんな機能は今後も
増えていくのだろうが
基本的な携帯電話そのものが持つ機能は
ほぼ出揃ったように思える。

たぶん今後の方向は
携帯電話がつながっていく
「携帯サイト」や「携帯サービス」のほうに
複雑で利便性の高い機能を持たせ
携帯電話でその機能を引き出す、という方向だろう。

一方、今後は携帯電話に
もっとアナログ的な
機能をつけていったら面白いと思える。

ストラップの飾りなどはその最たるものだが
ネジ止めになったおかげで
もっといろいろアナログ的付加物が増えてくるだろう。


2005.4.24

筆者の住む町では
今、桜が満開である。

子供のころには
毎年春のなれば咲く桜に
特別の感慨もなければ
わざわざ桜で有名な名所を見にいくなどと
いうこともなかったが

年のせいもあるのだろう。
特にここ数年は
近くのかわらの土手に咲く
長く続く桜並木の風景を
ゆっくりと散策しながら見るのが
楽しみになっている。

今年などは途中で
寒波が襲来したせいもあって
比較的長く花びらが開いていて
夜桜と昼間の桜を
二度も見にいってしまった。

それにしても
あれだけの桜の花びらが
毎年一週間ほどの期間のなかで
見事に開き、見事に散る。

あれだけの花びらは
いったいどこにいくのだろう。

当然、地面におちて
朽ちていくのだが
冷静になってそうは思ってはみても
なぜかあれだけの花びらが
跡形も残さず地面に吸い込まれていくのは
不思議な感覚がある。

ところで
桜には日本人の感性や価値観や文化に
関係というか深いつながりや
つながりが深い。

価値観とかだけでなく
例えば食文化などにも
桜餅や桜茶などをたしなむ風習が
昔からある。

桜が持つ文化性や精神性が
たぶん生活の一部である食文化にも
影響しているということだろう。

であればもっと食文化にも
あるいは生活のなかにも
桜がつながってきていても良いはずだと思う。

多分お酒のなかに桜が入っているものは
広い日本のなかにはありそうだ。

あるいは
知り合いの女性が以前考案したものに
桜の花びら入りのサラダドレッシングがある。

これなどは考案したパッケージなども
見せてもらったが
そのまま商品化しても十分いけると思うほどのものだ。

たぶんそう考えてみれば
桜を使ったたべものやソースや清涼飲料水などは
まだまだいろいろアイディアが出てきそうだ。

食べ物だけでなく
パヒュームとか香水とか
特別な香りがしなくても
うまく桜の文化性を反映させたものなら
これからの時代はうけるような気がする。

桜は
日本オリジナルで、清潔で、凛としていて
清楚で、そのうえなぜか、華やかでもある。

こんな桜をいろいろに使わない手はない。
もしかしたら世界にも通用するものや
あるいはブランドのイメージにもなるかもしれない。

ところで
こうした日本の土地から生まれる
産物がその地域の産業活性化の
切り札になる例が増えている。

最近はテレビでも有名になっているが
山に生える紅葉のきれいな葉をあつめ
高級食材につける装飾として
販売するビジネスが盛んである。
ある町はこれがあたり
その地域のオジイチャンオバアチャン
あるいは地域農業収入の
大事な収入源になっているという。

高知の馬路村では
ゆずを使った産品が有名である。

特にここのゆずを使った
ぽん酢醤油や有名で
たぶん今では全国のスーパーマーケットで
販売されるまでになっている。

紅葉の葉っぱにしても
馬路のゆずにしても
その土地が生んだオリジナルな産品である。

たぶん全国を見回せば
同じようなもので成功している
産品はたくさんあると思う。

桜の花びらや葉っぱを使った
なにか面白い産品を考案してみたら
面白いと思う。

まあ、あまり都会の桜からとった花びらでは
ありがたみが薄そうだから

地方の有名な桜の観光地あたりが
最初に考えてみたら良い。


2005.5.15

先日、仲間とはなしをしていて
ハミガキの話題になった。
でわかったのだが
はみがきという行為は
人それぞれに自分のやり方や時間があって
千差万別である、ということだ。

まあ、これは昔から小学校なんかで
正しいハミガキのやり方などと称して
ハミガキのブラシの動かし方なんかを
教室のみんなで勉強をする、
なんてことが行なわれてきたくらいだから

何が正しいハミガキのやり方なんて
誰もわかっていないし
実際のところ
とりあえずまあ、こんな感じだろうと思っているくらいで
時間もふくめ
本当に自分にあった歯磨きなんて
わかっていないのだろうと思える。


そうはいっても
たぶん一番重要なのは
ハミガキの時間で、

昔から3分はブラシを動かしていなければならないと
言われてきたのだけれど

実際にその3分間を
ちゃんと歯磨きする、なんてことは
至難の技だ。

かくゆう筆者も生まれてこのかた
毎日3分間ブラシを動かしてきたとは
到底思えない。

まあ、なかには3分どころか
10分あまりもブラシを動かしている人が
世のなかにはいるということがわかって驚きはしたのだが。

もともと3分間を特定する方法は
時計を見るくらいなのだが
洗面所に時計がなければそれもかなわない。

筆者の家では
洗面台の上に砂時計がおいてあるのだが
これを毎日ひっくり返して
3分間のブラシの動作をすることは
なかなかできない。

こういうのはよほど強制力がなければ行わないだろうし

別段
3分ブラシを動かさなくても
2分であろうと1分であろうと
問題はないのだからこういうことになる。

で、こういう場合は
3分間ブラシを動かさないと
次の行動が始められない、というのが
一番良いのだろうが
そうもいかないだろう。

やはり時計などで3分間をしっかりと見つめる、というのが
よさそうだ。

で、普通の時計では
あまり3分という長さが認識されないだろうから
やはり砂時計のようなものが一番良い。

しかし、前述のように砂時計は
いちいちひっくり返さないと用をなさないから
それが日常的には面倒でもある。


で、歯ブラシやハミガキのチューブの
上げ下ろしは
いやがおうでも毎日繰り返さないといけないことは
たしかだから、
例えば
ブラシの置き台や
ハミガキチューブの置き台に
工夫を加えてみれば良いかもしれない。

ブラシやチューブを
置いたり持ち上げたりすることを利用して
砂時計をひっくり返すようなしくみに
なっていれば良い。


それと
よくよく考えると
歯ブラシをごしごしと動かすスピードは
たぶん人によってまちまちだろうことは容易に想像できる。

歩きかたのスピードが人それぞれに異なるようにだ。

であれば
一口に3分間のハミガキ時間が重要、といっても
本来3分の間で歯をこする回数は人によって異なる、
ということはたぶんいえるだろう。

問題は時間ではなく
歯をこする回数であるとするなら
人によって歯をこする回数は同じで
時間は異なるというのが当然、ということでもある。

ということは砂時計含め
時計のようなもので時間を計測して
正しいハミガキ時間を決めるというのも
おかしな話ではある。

であるのなら
ブラシを動かす回数をカウントして
正しい回数になったら
なんらかの信号を使用者に出す、とかいうのが
正しいのじゃないか。

まあ、最近は電動ブラシを使っている人も
多いらしくて
家人も友人も電動歯ブラシを使っている人が
思ったよりも多くてびっくりした。

当然電動ブラシの場合には
誰が使っても
ブラシと歯の接触回数は
均等になるはずだから
この場合は時間で測れる。


2005.5.22

先日テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」を
見ていたら
なかなか面白い話題があって興味深かかった。

リサイクルビジネスという言葉が
社会に通用してからすでに久しい。

しかしリサイクルビジネスという言葉には
なぜかいまでも
産業としても
あるいは社会の仕組みの一部としても
最下限にある、あるいは最終処理の産業、という
いわば「日陰の産業」といった捉え方から
1歩も脱却ができていない。

実際、産業界では
企画や開発などは上流というし
リサイクルなどは「下流」という言葉で
通用している。

しかしあたりまえのことだが
ものづくりも、あるいは社会システムとしても
一方通行のシステムというものは
基本的にはありえない。
実際にはなんらかの形で循環したり
リサイクルされていたりしているものだ。

もし一方通行に見えるものがあったとしても
そのサイクルに非常に長期の時日が
かかっていたり
あるいは循環している財が少量で
どこかに滞留していても
社会や産業に対する影響が軽微であることからだろう。

実際、それを野放しにしてきた影響が
今や産業界や社会全体としても
いたるところにそのいびつさや負の資産を
もたらしている。

こんな状況は
今後もそう長く続くわけはなく
社会や産業のいたるところに
ちゃんとした循環のシステムを
構築していくことが重要になるわけだし
その作業にちゃんと社会や産業界からの
人的なあるいは資金などの資源が投下されなければならない。

ところが実際には悲しいことに
そんな部分に資源が積極的に投下されるなどということは
なかった。

消費者もメーカーも自分の作ったり使った製品を
リサイクルへまわすコストを
負担することは嫌がってきたから
勢い下流を支える業界には
社会から資源は回ってこない。
どこかのリサイクル業者が
集めてきた資源をどこかの山や海に
黙って捨てるような事件も
そんな背景のなかでいたるところで起きたわけだ。

しかしテレビでやっていたのは
そんなこれまでのリサイクルをめぐる八方ふさがりのような
状況に変化の様相も生まれてきた、というのだ。

これまでとはまったくイメージの異なる
きれいで近代的なリサイクル工場をたて
そこでは週末になればコンサートが行なわれ、
また、リサイクル工程の明確化や保証をしている
リサイクル企業ということで
家電などのメーカーも高いコストを払ってでも
そこに「アウトソーシング」する、というわけだ。

それはそうだ、一流企業の名前が入った製品やゴミが
山や海に投棄されていたら
それだけで企業のブランドイメージは落ち、
社会的制裁を受けることになる。

そうはいっても自分のところでリサイクル工程を
行なうことは大変だから
それをうけてくれる
リサイクルのアウトソーシング企業に任せる。

大手メーカーとしては
アウトソーシング企業に仕事を出すことで
社会に還元しているといっても良い。

こう考えてくるとリサイクル産業は
まだまだこれから伸びていくと思って間違いはない。

下流ではなく
最下限にある、あるいは最終処理の産業、という
イメージでもなく、

それ自身が社会や産業の循環のなかに
キチンと位置づけられた産業として
今後ますます重要になっていくだろう。

まあ、もともと、リサイクル、という言葉の通りであれば
どこが起点でどこが終点か、などということは
おかしなことではある。

大きな円形のなかに
自分の産業がどこかに位置づく、
どこが欠けても社会や産業に継続はなく
ちゃんと正当な人的資金的資源が循環する。
そんな状況がひつようなのだろう。

ところで
じゃあ、リサイクル産業以外でも
まだこの円形のなかで
切れている部分を探す、というのも
ビジネスになるだろう。

もうすっかり循環の環はつながっているようでいて
案外まだ切れている部分は多いように思える。

運送産業、特に小口配送便も
この20年ほどに急成長した分野であるし
文字どおり循環の環をつなぐ産業ではあるのだが
実はここにもまだ切れている部分があると思える。

あるいは切れていなくても
合理性がない部分があると思える。

急成長した分野であるから
それまでの古いやり方と
新しいやり方が混在していて
まだまだ整理されていないからだ。

そんな部分を探して合理的にすることを発想すれば
大きなビジネスなどもあるのではないかと思う。



2005.5.29

今日のコラムでも同じようなことを
この間に書いてもいるのだが

最近の様々な社会システムを見ていると
基本的な流れというものが見えてくるように思える。
その一つは
個と個の結びつきを促すもの、という視点だ。

インターネットがその最先端をつむぎだしたものであるのも
たしかなのだが
それ以外にも様々なシステムが
個と個を結ぶことを可能にし
それも技術だけのことではなく
コストの面でも可能にしてきている、ということに
気がつく。

コミュニケーションのコストや取引のコストが
ある程度の大きさのものを結ぶことで
成り立っていた時代から
個と個を結ぶことも可能にしたことで
経済的や社会システムの可能性ということでは
どれほどの大きなインパクトを
実現したかは
そんなに深く考えなくても
見えてはくる。

むかしからあったサービスだと思っていて
そんなに最近のことではないと
みんな思ってはいると思うが、
小口宅配便が成長したのも
たかだかこの20年あまりの話なのだ。

新聞によれば
この小口宅配便が
ますます成長しているのだという。

また、新聞によれば
数年前に頓挫した「イリジューム計画」が
また復活しているのだという。

「イリジューム計画」については
その計画段階から
このアイディアノートでも
取り上げたから
もう7〜8年も前になる。

地球上にいくかの通信衛星をうちあげ
これを使って
地球上のどこでもつながる携帯電話を
実現させようという壮大な計画だった。

日本でも京セラとかが中心になって
計画をすすめたが
残念なことに2000年には
当時のITバブルの崩壊も手伝ったのだろう
「イリジューム計画」は頓挫した。

「普通の携帯電話」もその後
世界各国をつなぐサービスなどが
始まったから
なにも「イリジューム」などが機能しなくても
普通の使い方なら携帯電話で十分、という時代に
なったこともある。

しかしこの「イリジューム」が再び復活するというのだ。

「イリジューム」の衛星をその後その他の資産ふくめ
買収した企業があるとは聞いていたが
それがここで再びビジネスとして動き始めるというわけだ。


「イリジューム」が携帯電話とは異なる使い方
通常では携帯がつながらない場所とか
つながりにくくなる状況、
例えば災害時などに
官公庁や自治体、それと企業などでも
一定の需要があるとかんがえたからだという。


最近のように大規模災害が
日本のみならず世界中を絶え間なく襲うことがふえ
一方で、企業や個人の行動範囲あ
世界に広がったこの時代にあっては

それらの個々をつなぎ
通話やコミュニケーションを実現するシステムは
やはり今後ますます重要視されていくことは
間違いないと思う。

一次頓挫したのはITバブル崩壊の余波であって
このサービスが注目され必要とされることは間違いないと思う。

このニュースを知って
実はインターネットが注目を浴びた10年前より

もうちょっとまえ、
13年ほど前になるだろうか。

そう、当時は「インターネット」ではなく
「マルチメディア」だった。
懐かしい言葉ではある。

この「マルチメディア」を紹介するテレビコマーシャルが
当時放送されていた。

あるタレントが
砂漠の真中のオアシスで
石にもたれかかってパソコンを広げている。
このパソコンが無線で地球の違う場所とつながっていて
コミュニケーションをとっている。

当時はこの夢のような状況をテレビでみて
驚くと同時に「マルチメディア」の可能性に
夢と可能性を強く感じたものだった。

しかしそれに近いことはすでに10年後の今
可能になった。

ましてイリジュームによれば
砂漠の真中でも太平洋の真中でも
誰もが世界中と通信が可能になるのだ。

これが月額6000円で可能になるというのだから
ビジネスや社会システムにとって
大きな可能性を示すことになると思える。

かように現代の科学技術は
個と個を低いコストでつなげてしまうことを可能にしてきた。

今後、もっと個と個をつなげる分野は創造されていくだろう。

例えば人と人もつながるが
場所と場所をつなげていくことも必要になる。

テレビ電話などは
人と人をつなげるという意味もあるが
場所と場所をつなげるという意味もある。

固定電話も場所と場所をつなげる機材だったが
テレビ電話は
人と人はもちろん実はもっと高度な次元で
場所と場所をつなぐことができる。

ドラエモンのどこでもドアとでもいえばいいか、
あるいはスタートレックのテレポーテーションに近い。

一度テレビ電話にプロジェクターをつなげて
壁に投影したことがあるが
まさに隣の部屋がそこに出現した感がある。

他にも個と個をつなぐサービスや機材は
まだまだいろいろ考えられるだろう。

例えば擬似的な人体が
相手にリアルタイムに届く、などというのも
やろうと思えばできそうではある。


2005.6.5

この前、工業系の新聞に書かれていた記事で
NTTコミュニケーション科学基礎研究所で
開発した技術で
通常必ずついているネジに頭部分の
マイナスやプラスや六角穴などの切り込みがなくても
締め付けが可能になるネジと締め付け技術を開発した
という話が載っていた。

新聞には詳しくネジを回す技術について書かれていたが
いまいちよくわからない。

しかしともかく、
ネジの頭部分がまったいらであっても
マイナスやプラスのドライバーや
六角棒レンチなどをつかわなくても
それ専用の仕組みを持つ道具を使って
まわすことができるのだそうだ。

で、この応用だが、

当然ながら
それ専用の道具などがなければ
ネジを緩めることはできないから
例えばなにかのイレモノのふたにでも
その仕組みが使ってあればふたは開けられない、
あるいは装置などに使ってあれば
と装置に触れたりいじったりができない、と
いうことになる。

こういう発想のネジは
ほかにもあって
特殊な形状の工具がなければ
開けられないようなネジというものがある。
俗に「イジリ止めネジ」というものだが

工具がくらいつく形状が
そもそもない、というのでは
「イジリ止めネジ」というのはある意味究極のネジかもしれない。


ところでこの話題を読んで
考えたことがある。

今回のネジのように
組み立て難いものはばらし難い、ということが
一般的にいえることならば
そんな逆説的なことはまだほかにもあるように思える。

例えば
組み立てやすいものはばらしやすい、という
ことも言えそうではある。

この話はリサイクルの世界では
もう当然になっていて
ネジを使う部分を最小限にするとか
そもそもネジを使わないとか
家電や車の世界では
すでにいろいろ研究はされている。

今後も
組み立て難いものはばらし難い、
組み立てやすいものはばらしやすい、
というなかで開発される
いろいろ道具やプロセスも
ありそうではある。

ところでこれも以前書いたことがあるが
「サイズセグリゲーション」
という現象がある。

以下は再録である。

2000.8.20

 「サイズセグリゲーション」「size segregation」
 という言葉をご存知だろうか。
 
 「ブラジルナッツ効果」とも言うらしい。
 
 誰でも記憶にあると思うが
 ビールのつまみにたべるようなナッツの缶には
 いろんな大きさや重さのナッツが入っていて
 ある時缶をあけてみると
 大きなものだけが上に出てきていることが多い。
 逆に小さいものが底に沈んでいることもある。
 重いから沈むというわけではないところが面白い。
 
 形状によっては
 縦の振動と横の振動、、、振動の方向性によって
 出てくるものが違ってくる、、
 そんなこともあるようだ。
 
 この現象、、おもしろいと思う。
 「パーツフィーダー」や「選別機」に使えると思う。

という内容だ。

そんな内容を思い出して
ちょっと考えたのだが
例えば組み立て済みの家電や車のネジを
なんらかの振動をくわえることで
自動的にネジがすべて緩んでしまうようなことは
できないものだろうか。
あるいはそれに対応する特殊なネジそのものの
開発でも面白いかもしれない。

もともと
振動によって
工作物の締結につかわれているネジが緩んでしまい
トラブルになるというのは
日常的に経験することではあるのだが

であれば、積極的に
振動とかをネジを緩めるのに使って
リサイクルの合理化に役立てる、なんてのも
あって良いように思う。


2005.6.26

最近、テレビの「プロ野球番組」の視聴率が
落ちているという。

番組の放送される回数そのものも
なんとなく減ってきたような気がするのだが
それも気のせいだろうか。

おかげでいままでプロ野球番組によって
隔週とかにされていた番組が
よく見られるようになったようにさえ思える。

野球番組にあまり興味を持たない
人、結構最近は多いようだが、、
そんな人びとにとっては
むしろありがたい兆候かもしれない。

それにしてもこれほどプロ野球が
視聴率とたぶんその裏で支持率を失ってきたのは
なぜなのだろうと思う。

そういえば
最近動物園が長期低落傾向にあったのに対し
北海道の地方の動物園が
独自にいろんな楽しみ方を
考え出しては実行し
多くの来園者を実現したというニュースが
ここのところ、マスコミをにぎわしている。

考えてみればたしかに
普通の動物園にいっても
大部分の動物は寝たままで
動物園にきたのか
ぬいぐるみをおいてあるような
いわば、「静物園」にきたのか
わからないような状況が
普通ではあったと思う。

ちょっとした工夫で
動物園らしいアピールをして
それが受け入れられたということなのだろうが
もともとそういう試みは行なって当然、であって
ただおりにいれた動物を飼っていれば
それが動物園だ、ということに
疑問も持たず長くつかっていたことに
問題があったはずだ。

そんな客が何を望んでいるのかを
考えもせずに永く代わり映えしないことを
つづけてきたことが
プロ野球しかり、動物園しかり
たぶん世の中には一杯存在する。

いよいよ世の中に
そんなんじゃだめだよ、ということが
広まってきて
急速に顧客も来なくなってきて
そこに気がついて頑張ったところには
新鮮な驚きを持って再びお客が
訪れるところもでてこれば
いまだに低落傾向にあるままのところもある、
というわけだ。

さて、プロ野球にはあまり詳しくはないが、
最近はキャラクターのお面をかぶって登場して
観客を沸かせている球団もあるようだ。

なにもしないよりは
お客を喜ばせようという行動にでていることは
評価はできる。
ただ、できるならば野球におけるプレーそのものの
面白さでお客をひきつけるのが本来だろうとは思う。

筆者も日本のプロ野球はまったく興味はないが、
アメリカのメジャーリーグは
見ていて刺激的だと思えるしひきつけられる。

それと実際に球場にいかずとも
テレビ番組としての演出で
面白くすることはまだいろいろな方法は
あるだろうと思う。

有名なタレントに出演してもらうというのは
もちろんだろうが

テレビの特性を生かして
野球番組を面白くすることはまだまだできるはずだと思う。

それもアナログだから、デジタルだから、
できる、できない、とかいうレベルでもなく
今の状況でもできることはあるだろう。

そういえば
最近ゴルフやサッカーや野球でも
画面に合成した画面をはりつけ
例えばゴルフのフェアウェイに
飛距離を示した10ヤードづつの「仮想線」を
画面に合成したり
サッカーだかの番組では
新車の乗用車がサッカーコートの真中に
仮想的に登場する。

みんな、本当にその場にあるのではなく
すべて仮想的に作られたものだ。

最近はそんな仮想画面の合成がとても多い。

業界では誤解を与えないように、と
ちょっと問題にもなっているようだが
視聴者からすれば
新しい楽しみかたではあるのだから
今後こんな技術はもっと出てきていいと思う。

こういうスポーツで
見せ方で一番いろいろ面白いことを行なっているというのは
なんといってもF1だろう。

ほかにも

陸上競技
サッカー
野球
ゴルフ
水泳
テニス

いろんなものに使えたら面白さも広がるし
ついでにもっと面白い表現もできたら良い。

例えば野球なら投げられたボールからみた
バッターやバットに焦点をあてた画像が
見えたら面白いだろう。

逆にバットからみたボールが見えても面白い。

今の技術のことだから
カメラを仕込むとかもできるだろうし
あるいはボールやバットに仕込んだ
ミラーに写った画像を処理するなどとかも
可能だと思う。

バッターやアンパイヤやキャッチャーの
ヘルメットにカメラをつけて
彼等の目線でどんなふうに
ボールやプレーが見えているのかを
見れても思しろい。

そういえば
ライブドアとフジテレビが
業務提携して面白いテレビ放送のありかたを
提案してくれるのだと期待しているのだが
インターネットとテレビの関係では
すぐにでもそんないろんな楽しみかたができると思うのだがなあ、、。



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