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その27



2004.4.4

テレビでやっていたが
携帯電話に接続できる女性用の基礎体温計というのが
発売されたのだそうだ。

毎日、専用の基礎体温計で調べた体温を
携帯電話に接続すると
サービス会社のサーバーに基礎体温のデータが
蓄積されていく、という。

基礎体温計のメーカーが考えた
体温計そのものを販売することと
体温をデータ管理するサービスを有料で
行う、といううビジネスを
うまくマッチさせたビジネスモデルということだろう。

ただ、女性が体温という非常にデリケートで
パーソナルな情報を
果たしてサービス企業にデータとして送るかどうかというのは
ちょっとまだ無理があるように思える。

とはいっても男性にはわからないことであるから
別の情報などと組み合わせることで
女性にとって高いメリットがあるのなら
ビジネスとして成立する可能性もないわけじゃない。


別のビジネスとしては
携帯電話経由でサービス企業のサーバーに
「言葉」を入れていくと
自動的に文字化・文書化してメールしてくれるサービスも
来年には始まるらしい。

間違えずに
文字化・文書化できる確立がとても高そうで、
早口にも対応できているらしいから
他人にメールをうつために使う以外にも
自分のために論文や文書などの
「口述筆記」をしてくれるサービスとしても
応用があるだろう。


いずれにしても携帯電話が可能にする
新しいビジネス創出の可能性は
ますます広がっていく、ということは
間違いない。


そういえば
以前、バイオの小さなノートパソコンが
小型のCCDカメラを装着して販売されたとき、

あたかも自分が放送局になったかのように
ソニーのサーバー経由で全国に
動画画像を配信できるサービスがあった。
あまりうけた、という話は聞かないから
たぶん、そのサービスはもうやってはいないと思うが、

こういう機器ができたら
たとえば自分のこれから撮ろうとしている
どこかの風景、たとえば北海道の流氷とか
どこかの有名なお祭りとかを
競売にかける、なんていうビジネスもでてくると思った。

「こんどここの風景を撮りますが見たい人はいますか?」
なんて売りにかけて有料で販売する。
見たい人が増えれば一人当たりは安くもなるし
収録する側も面白いコンテンツを探せば儲けにもなる。

当然、逆もありで
「ここのこういう風景を撮ってもらえませんか」なんてのも
ありだろう。

で、なにもバイオに限らず
携帯電話でも同じようなビジネスは可能になるかもしれない。
バイオの場合は
多数のユーザーにリアルタイムに配信できるようになっていたが
携帯の場合、リアルタイムの場合は一対一になってしまうだろうが
いったん収録した画像であればサーバー経由で多数に配信できる。

デジカメで収録するよりは
携帯電話で収録するほうがたぶんはるかに簡単だし
持ち歩いている人数もはるかに多数だから
日本中からおもしろいコンテンツが集まってきて
流通する可能性は高い。

こう考えてくると
携帯電話の機能の充実と拡大が
考えてもみなかった新しいビジネスを創造する
きっかけとなる可能性は大である。

GPSだの動画カメラだのは
そのための機能の一つに過ぎない。

何と組み合わせたり発想すれば
どんなことができて
どんな利便性や楽しみを生み出すことができるか、
企業に限らず個人でも
それを考える時代がもうすぐやってきそうである。


2004.4.11

わが町では
6年に一度開催される「御柱(おんばしら)」という祭りが
一週間前から始まって町中おんばしら祭り一色である。

諏訪地方の人々は6年に一度の大祭に
諏訪大社の氏子として
山から里に巨大なもみの木を引き出すために
山奥まで歩きに歩き、
巨大なもみの木を引っ張りおりてくる。

筆者も諏訪大社の氏子として
この「作業」に参加した。

とりあえず他の「祭り」との違いは
観光客と参加者の明確な違いが規定されていないので
観光客も氏子もいっしょになって
おんばしらを引くことができる。

地方で行われている祭りのわりに
結構日本中で知られるようになって
ここ二回ばかりの観光客の入りはすさまじく

観光としてみているひとだけでなく
氏子といっしょになって祭りに「参加」するように
なったきたから
混雑の程度は毎回ヒートアップする。

また、この「作業」は
祭りとはいってもあくまで「神事」だから
観光客の予定や、観光の都合、ましてや
観光バスの時間とかに合わせて
おんばしらの運行予定などは決まらないので
一応あらかじめ決められた時間の予定どうりには
ことは進まない。

有名な「木落とし」という
がけの上から巨大な木を人がのったまま落とすという
イベントも決められた予定時間に行われるなどということは
めったになく
氏子の気持ちと雰囲気でいくらでも時間は延びるから
観光気分で見にきてくれた観光客などは
3時間も待たされたりしてはたまったものではない。

でも、あくまでそこは神事であるから
観光客の都合よりは氏子の都合が最優先である。

さてさて、そんな「おんばしら」であるが
今回は地元のCATV局のエルシーブイが
目いっぱい力をいれていて
有線テレビもおんばしら一色である。
専用サイトも開設されて御柱の運行状況を知るには誠に便利だ。
情報技術の応用でお祭りも便利になったものだと感慨深い。

そういえば前回のおんばしらは6年前の
オリンピックと同じ年の行われて
インターネットの活用も行われはじめてはいたのだが
いまほど「ブロードバンド」にはなっていなかったから
リアルタイムで動画を見ることができるようになっているとは
思いもしなかった。

ところで今回、おんばしらに参加していて
もう一つ思ったのは携帯電話の普及である。

6年前には携帯電話もわりと使われていたのだが
この6年でカメラ付のものが出てきたり
普及率も目いっぱい上がってきたから
お祭りの現場でもいたるところで
カメラ付携帯のカシャカシャという音が聞こえる。

今回見ていて
時に気がついたのは
デジタルカメラによる画像のとりこみは勿論として
カメラ付携帯による画像取り込みを行っている人が
多く見られたことだ。

これはわざわざデジカメを持って歩くよりは
携帯電話にカメラの機能が合体されているほうが
便利だということがあるのだろう。
まして最近の携帯電話カメラの画素数は
デジカメに迫っているから
とりあえずは携帯電話カメラでも充分である。

今後はもっと機能アップするだろうから
携帯電話がいたるところでいろんな作業に
従事するようになるだろう。

携帯電話、カメラ、GPS、ネットワークパソコン、テレビ
体温計、バーコードリーダー、RFIDリードライト、
体温計があれば血糖値計も血圧計もありだろうし、
つなぐものによっては
もっといろんな機能が可能になるだろう。

おんばしらという6年に一度のお祭りを見ながら
この6年の間におきた
情報技術の進化と利便性は驚くべきものがあると思えた。



2004.4.18

先日の日経産業新聞に
「パロアルト研変ぼう」という特集があって
ゼロックスのパロアルト研究所が「かわりつつある」ことが
書かれていた。

ゼロックスのパロアルト研究所といえば
知る人ぞ知る、情報技術やコンピュータ技術の
先端的な開発では超有名な研究所である。

ここが70年代に開発した「アルト」というコンピュータは
パーソナルコンピュータの原型となるべきものであったし
そこに使われていたたとえば「マウス」の原型や
グラフィカルユーザインターフェイス(GUI)は
それがその後世間を騒がせたアップルコンピュータの
原型ともなっていたのは
その筋の話が好きな人にとっては
伝説ともなっている話ではある。

ゼロックスのパロアルト研究所が2001年に
ゼロックスから別会社になって
ますます先端的、かつ独創的なビジネスモデルを
目指している、というのが記事の内容なのだが、
記事を読んで
パロアルト研究所の存在感を再確認させられた。

それにしても
これほどパソコンが世のなかで一般化しているにも
かかわらず
その後アルトを越える独創的なコンピュータというか
存在を示すものがでてきていないことが残念な気もする。

だが、もしかして携帯電話とかが
それに続くものなのかもしれないとも思う。

よくよく考えれば
机の上で使う、あるいは
机のようなパソコンを使うイメージは
アルトで示されたわけだが

それを越える使用するイメージを
作るのは無理があるのかもしれないとも思う。

使用する形態が決定的に変わらない限りは
そうそうインターフェイスなんかも変わらないだろう。

であれば使用する形態が変わることは
そのための機材やインターフェイスが
大きく変わる一番の要素かもしれない。

いやいやまだまだ、人間と機械の間をつなぐ
インターフェイスをつかさどるようなデバイスが
進化してくれば
思ってもいなかったようなコンピュータが
登場してくる可能性はあるのだが、

それもふくめて
使う形態の多様化や使用するデバイスの可能性を含め
コンピュータの姿もまだまだいろいろ出てくるだろうとは思う。

光や映像や音で人とコンピュータを
つなぐというのは勿論これからもありだし

キーボードやマウスのようなもので指示を出す、というのも
ありだと思うが、
きっと出てくるだろうと思われるのは
触覚によって人になんらかの情報を伝達するものだろう。

これはすでに企業とか大学の研究テーマなどで
盛んにはなっているのだが
いまだにちゃんとは実用化はされてない。
触覚で情報伝達するにはまだ情報の伝達手段としては
稚拙である、ということなのだろうが
このあたりの研究がもっと進めばおもしろい応用も出てくるだろう。

そういえば骨伝導による伝達も同じような可能性はあるだろう。
今のところ骨伝導は音の伝達に使うのが携帯電話などでも
利用がはじまったのだが
音でなくて違った情報の伝達も可能ではないかと思う。

以前書いたことがあるが
肩もみ器具などで振動を人体に伝えながら
パソコンの画面を見ると振動が神経に作用するのだろう
画面が揺れたりして正常に見えないことがある。
こんなのもコンピュータと人をつなぐ
インターフェイス足りえると思う。
やり方によっては立体映像なども見えてくるかもしれない。

それと音による情報伝達もまだまだ進んでいるとも思えない。

以前ここにも書いたように
仮想的に音の環境を再現することで
実際には存在していない環境を仮想的につくりだすことが
できるのだそうだ。
たとえば密室のなかで草原にいるような雰囲気も出せるのだようだし
普通の左右対称の部屋にいながら
片方に壁が存在し片方にオープンな空間が存在するという
空間も仮想的につくりだすことができるらしい。

そんな技術を使えばコンピュータと人の間の情報の
伝達する仕組みももっと広がってくるだろうと思う。


2004.4.25

以下はたぶん自動車を運転する人なら必ずといっていいほど
体験したことがあることがあるはずだ。

なにかといえば
信号機の押しボタンスイッチの赤い字が見えないこと、

信号の押しボタンスイッチの上にある
「お待ちください」とか書かれていて
後ろからランプで字が浮き出て見えるはずの
あの「表示体」がついているスイッチボックスだが

夜ならいざ知らず
昼間のあの赤い字の表示はほぼすべてといっていいほど
見えない、読めない。

あの手のボタンがついている信号は
自動の感知装置がついていて
車が赤信号でその感知器の下にとまると
自動車が止まったことを感知し
そこからタイマーが働き始めて
一定時間の後に信号を青に変えるのだと思う。たぶん。


で、車を止めた場所がちょっとずれていたり
なんらかの原因で感知器に感知されないことがあって
信号でやたらと長い時間待たされることがある。

あるいは実際には感知しているのだろうけれど
待ち時間の設定が長すぎるためだろう
いらいらするほど信号待ちに待たされることがある。

こんな場合のドライバーは

赤い表示を見て赤くともっていれば感知されていると知って
そのまま待つのだが
多くの場合、あの赤い表示が読めないから
もしかしてクルマが感知器に感知されていないかと思い
わざわざ車から降りて
押しボタンを押す場合もあったりする。

だいたいの場合は感知器は感知していて
表示は赤く灯っていることが多いのだろうし
待ち時間が長く設定されているだけなのだろうと思うが、

もしかしたら感知していないのじゃないか、と思うのも
実際には多いと思う。

あの罪つくりというか
結構重要な情報をドライバーに伝えていない
役不足の表示体付押しボタンスイッチボックスは
たぶん全国の交差点に驚くほどの数が存在しているはずである。

これをなんらかのやり方で
表示が昼でも見えやすくすることは
たぶん需要はあるはずだ。

いちいちボックスそのものを交換したり作り変えるのは
この時代には不向きだし
(まあ、それを喜ぶ人たちも多いのだろうが)
できれば簡単に表示が効果を発揮するようにできれば良い。

もともと昼の道路上で
ランプのようなもので表示を裏から照らそうなんてのは
見え難くて当然なのだが

一つにはLEDのような輝度の高いものに変える、という手もある。

あるいは光のようなものであらわすのではなく
メカニカルな物理的な動きで表示をする手もある。
まあ、これはちょっと大幅な改造を必要とするかもしれないが

今のことだから
昼間でも見えるような表示を安価に実現するなんて方法は
いろいろあるだろう。


2004.5.16

前回は信号の赤い字の表示がみえないという話題だったけれど
「見えない」ものを「見える」ようにするという点では
いろんなアイディアがある。

いよいよ梅雨の季節だけれど
梅雨といえば傘が日常的に使われる季節だ。

で、その傘だけれど
いろんなところに傘をさして出かけていって
傘をいりぐちの傘立てにたてかけようとすると
同じような傘がいっぱいたたっていて
もしこのなかにたてかけてしまったら
自分の傘がどれであったかわからなくなってしまう、
ということに困った経験はないだろうか。

自分の傘がオリジナルなものであれば
特定は出来やすいのだが
最近は100ショップなどで買うような
透明や白いビニールでできた安価な傘が
いろいろ面倒でなくて便利だから
ちょっとでかけるときには思わず安価な傘を持っていってしまう。

でもそのぶん同じような傘が多いということになるから
たてものの入り口の傘たてにたてかければ
まずわからなくなってしまう。

みんな同じような傘なのだから
どれを持っていっても結果は一緒、と傘が
共有財や公共物のようにいわれれば
たしかにそうなのだが、

さすがに同じようなものであっても
自分の持ち込んだものなのかわからないような
得体のしれない傘を
平気でもっていくような気にはなれない

自分の傘であるしるしや
あるいはオリジナリティーのある「ちゃんとした傘」を
持ち歩くということであればそういう問題はないのだが今度は
持っていかれてしまう、という問題がある。

これは安価なビニール傘であっても同じことは起きるから、
やはりしるしをつけておくか
持っていかれないためには紐や鎖で
なにかにしばりつけておくのが良いということになるだろう。

そういえば昔も今も鍵がついた傘たてがあるが
昔に比べてあまり見かけないようになった気がする。

きっと傘が高価なものではなくなって
使い捨てや、無くなってもいいや、というような気もちの人が
増えたからのような気がしないでもない。

ところでいくら傘にしるしをつけても
持っていかれてしまうことはなくならないだろうし
かといって紐や鎖をつけてどこかに固定するというのも
大変ではある。

いっそのこと「取っ手」の部分が簡単に外れるようになっていて

たてもの中に入るときには「取っ手」をはずして
持って入るようにすればいいかもしれない。

取っ手のない壊れたような傘を持っていく人は相当少ないだろうし
もし持っていってもつかい辛いことは容易に
想像できるだろうからこれは案外いい手かもしれない。


それとたてものの中に入って用事が済んで
出てくるころには雨がやんでいて
傘を持ってきたことを忘れてしまうこともある。

忘れ物とかはしたことがない人でも
傘だけは忘れてしまう、という人は多い。

やはり必要とする環境が変われば
認識が薄れるのは当たり前ということだろう。

そういえば傘を忘れてしまうということも問題だが
傘をわざと捨てていくという問題も起きているらしい

そのあたりについてはこんど、


2004.5.23

先日テレビを見ていたら
売れっ子のタレントが

朝仕事に出る時には雨が降っていたから
傘を持って出たのだが

そのうちに雨が上がってしまって
傘を持ってあるくのが面倒くさくなってしまった。

で、もよりのコンビニに入ったついでに
傘を忘れるふりをして
おいてきてしまった、というのだ。

なるほどと思った。

たしかに傘というものは
むかしはお気に入りの傘や
それなりの手の込んだものを持っていたのだろうが
今は100円ショップで買えたり
コンビニで買えたりするようになって

さすがに高価でお気に入りの傘を
まったく持たなくなったというわけでもないだろうが

さっと出かけるときとか
高価でそれなりの傘を持つ必要がなさそうな場合には
そんな安価で「使い捨ての傘」をもつことや
利用することが増えたように思う。

であれば簡単に手に入ることができるようになったぶんだけ
「捨てる」ことにも「もったいない」とかそんな
気分も薄れていくわけで

たぶん全国のコンビニとかに
「わざと」忘れ置かれている傘の量は
予想以上に多いというか
半端なものではないのだろうなと予想はつく。

そんな傘の二次利用の方法を
考えることもおもしろいと思うのだが

いっそのこと
最近はやりの「自転車の公共財化」と同じように
傘を公共財化してしまうことだって
ありえるかもしれない。

これに広告ビジネスがつながれば
それなりに広がりを見せるかもしれないし。


とりあえず、この話は
傘のように
それまでとはまったく異なる価格帯のものが
でてくると
所有の概念などまで変わっていくのだ、ということを
思い知らせてくれる。
そしてこうことは
今後たくさんおきてくるだろう。


それはそうと最初に戻って
そんな傘をわざわざ捨てるようなことはせず
自分の傘はちゃんと持って歩く当たり前の心持の人々として
会議や買い物などであるたてものに
傘を入り口に預けて入った場合、
帰りに傘を忘れずに持って帰る方法はなにかないだろうか。

取っ手を簡単にはずせるようになっていて
それを持ってあるいていれば
帰りにその取っ手を見たら傘の存在を思い出す、
ということもあるだろう。

「取っ手」をみなかったらそこまでなのだが

取っ手でももっと小さなものでもいいから
携帯電話にでもしばりつけておけば
それだけで忘れることも減るようにも思う。

そういえば
携帯電話の使い方にも
そんな使い方をふくめ
もっといろいろな使い方があっても良いように思う。


ほぼ肩身はなさずに持ち歩く携帯電話には
個人のパーソナルな情報を管理する役目を
持たせることは可能なはずで
それにはスケジュールの管理など
いままで言われているような役割は当たり前として
もっとおもしろいことにも使えると思える。
忘れ物など自分の持っているものの管理なども
おもしろい使い方だと思う。



2004.5.30

ハードディスクドライブとDVDのついた
テレビ番組を収録できるビデオが登場して
しばらくたつ。

結構売れているらしい。

ソニーと松下がたぶん有名どころで
他のメーカーもぞくぞく参入している。

ハードディスクが容量が大きくなっていく一方
部品として安価になってきたからこそ
成立するビジネスで、
コンテンツの供給媒体としての
ビデオテープはなくならないだろうけれど
テレビ番組の録画としては
ハードディスクを持ったタイプは
今後もっと増えていくだろう。

で、その応用方法だけれど
テレビ番組を録画する、
というのは勿論だけれど
ほかにもなにかありそうだ。

最近は
ハードディスク付テレビというものと
パソコンテレビ、という方向の
二つの方向があって
でも中身は考えてみれば同じようなものだ。

ただ、今後、使い方がまだいろいろ出てくるとしたら
パソコンテレビのほうがいろいろ使い道はでてくるかもしれない。

少なくともインターネットにつながることによって
他のサービスとの連携する可能性があるという点では
パソコンテレビのほうがおもしろい。

通販サイトとテレビ番組の連携なども
きっと起きてくるに違いない。

でもとりあえずそんなパソコンテレビが流行るような
キラーアプリケーションがでるまでは
録画が中心の作業として
ハードディスク付テレビが流行っていくだろう。

ところでハードディスク型ビデオだが
これが今後起こすであろう
おもしろい状況というのが
先日新聞に取り上げられていた。

最近のハードディスク型ビデオだが
たとえばドラマを録画して
あとから見る場合、
テレビコマーシャルがうざいから
たとえばビデオテープなんかでみている場合でも
コマーシャルになったら早送りしてしまうわけで
これがハードディスク型ビデオになれば
もっと簡単にできるというわけだ。

最近のメーカーによっては
一発でテレビコマーシャルをスキップできる
ボタンが搭載されているものもあるらしい。

で、
テレビの広告宣伝費で生業を成り立たせている
普通のテレビ放送局は
視聴者が自分ところで放送している
顧客のコマーシャルをみていない、
あるいはスキップしていることが
数字で証明されてしまえば
当然、顧客から広告代は取りづらくなるわけで
そんな困った問題もおきてくるわけだ。

いまでさえ
番組の視聴率の上下によって
企業の宣伝にかける広告宣伝費も変わってくるのだろうから
これが視聴者がコマーシャルを飛ばしていることになれば
大問題である。

まあ、もともと
大量生産大量販売大量消費のビジネスモデルを
成立させるには
テレビの宣伝広告がその
重要な役割を果たしてきたことは間違いなく

あえていえば「消費をあおる」ことは
テレビがあってはじめて成立してきたと言える。

しかし一方でだらだらと
ひがら一日さして興味があるわけでもないコマーシャルを
見せられて刺激を受けるような
これまでの状況から
たぶんハードディスク型ビデオの登場なんかも
一定の役割を果たしながら
違った状況もそろそろ登場してくるに違いない。

消費に関連する情報への接し方も
インターネットやウェブサイトの利用によって
大きく変わってきているのだから
テレビコマーシャルの役割も変わってこざるを得ないはずだ。

であればハードディスク型ビデオの登場によって
どんなビジネスやサービスが起きてくるかを
いまから占っておくことは
意味のないことではないだろう。

見ているかどうかは別として
そのコマーシャルがとりあえずスキップされず
その家庭なり場所で流れた、ということを
読み取っておいて顧客への説明資料として
把握しておくことは勿論だけれど

あるいは見ていなくてもコマーシャルが一回流れると
流れたことに対してユーザーに
なんらかのインセンティブが生じる、という
方法をとることはたぶん重要になるだろう。

その該当するコマーシャルが
録画されたものであれなんであれ、
ある家庭のIDを持つテレビで放送された、ということを捉え
その情報をどこかに蓄積して
一定の量に対してクーポンなり値引きなりを
実現することは可能になるだろう。



2004.6.6

最近は論より証拠、
思ってもいなかったような
新しい技術や製品が
矢継ぎ早に出てくるようになって
それはそれで良いことだし
筆者もそんな状況につられて
なにやらわけのわからないことに
空想をめぐらせていることが多いわけだけれど

一方で
いままでの技術や製品や商品や、
もう一般的になっていて
これ以上改善が行われていかにだろうな、と思われている、
「ちょっと枯れた技術」も
なにかとうまく組合せれば
思ってもみなかったようなものだってまだまだ
出てくることは多い。

最近、CATVで放送している
スタートレックの最新版を見ていたら
過去の地球におりたクルーが
地球人の子供の奨学資金を出してやる必要に迫られて
当時の地球のお金を持っていないクルーは

なにか過去の地球にあまり影響を与えず
なおかつ便利なもので特許事務所とかに
売って小金になりそうなものを未来の技術から
なにかないかと探した場面があった。

無事、それをみつけてクルーはそれを過去の地球人の
特許事務所にうりつけて
子供の奨学金を捻出するのだが
そのとき過去の地球の特許事務所に
売り込んだのは
未来のクルーが持っていた「マジックテープ」だった。

思わずにやりとさせる放送内容だったのだが、

なるほどマジックテープはなかなか
すぐれものではある。


また、つい最近、なるほど、と思ったのだけれど
ある大学の先生がたといろいろ研究開発していて
マジックテープと
伸びるゴムテープ様のものを使う必要があった。

町の裁縫道具とか用品を売っている店やら
スポーツ用品店やらに
日参していろんなマジックテープやら
ゴムテープやゴム紐やらを探してまわっていたのだが
これといったものがない。

要は自在になにやらを体に固定するために
サッカーのひざのプロテクターなどを固定するための
ゴムで伸び縮みするベルト状のもので
その両端にマジックテープがついているものを
探していたのだが
見つけて使ってみてもいまいち使いづらい。

が、捻挫したときなどに
足首やらに巻いたり
要や体の部位に装着するサポータの一種で
伸び縮みする丈夫な包帯のようなものをみつけた。

これがなかなかスグレモノで
普通マジックテープの硬い方の面とやわらかい面を組み合わせて
つなげるのだが

包帯などのように布の両側に張り合わせたり
任意のところで止める必要がある場合には
その部分にマジックテープのどちらかの面が
(普通はやわらかい面が)存在していないと
そのようなつなげ方はできないことになる。

しかし、そのすぐれもののマジックテープは
包帯そのものの全体と裏表が
マジックテープが固定できるような表面の状態になっていて
さすがに硬い方の面は端のほうに
一部分だけつけてあるのだが
そこ以外が裏も表も
すべてマジックテープのやわらかい面である。
ついでにそれ全体が伸び縮みするから
包帯のほうにするにはちょうど良い。

どうやら外国製のようなのだが
これには感激してしまった。

で、マジックテープも
こんな感じで
もうちょっといろいろあっても良いのじゃないか、と
思えるわけだ。

未来から来たスタートレックのクルーが
奨学金捻出のために現代の地球にもたらした
マジックテープのままでは
進歩もないだろう。

で、あらためてマジックテープについて
考えてみると
たしかにこれほど便利なものもなかなかない。

もともとの原理が
野原に自生する植物(なんといたっけ
1センチくらいの小さな種子の周囲に
かぎ状にフックが無数に生えていて
人間が野原をあるいていると
衣服にくっついてくる、あれである。

要はその植物の生きる術として
自然界がうまく作り出した形態なのだが

やはりあれだけ合理的にできてきた形態だから
人工物としても合理的な気はする。

しかしそっくりそのままではあまりに芸がない。

強力型、などというのもあるのだが
基本はみなあれである。


問題はいくつかあって

・弱い。

・ごみがからまる。

・はがすときの音が味気ない。

・ある意味で「アナログ」なつながり方をするわけで
 「デジタル的」つながり方ができない。

などなどがある。

弱いことは強力型があるくらいだから
もうちょっと知恵を出せばいくらも良いものができるだろう。

ごみやほこりがついてしまうのも
衣服にだってごみやほこりはついてしまうのは日常的なことだし
今はそれを取るブラシなんかがあるのだから
マジックテープのごみやほこりも取るのは
さほど難しいことではないだろう。

音は結構問題かもしれない。
形状そのものにかかわるからだ。

強力になればなるほどはがすときの音は大きく
耳にもつく音になるだろう。
あまり音がおおきければ
フォーマルな場所では使えない。

これらの問題がある程度解決すれば
マジックテープの応用ももっと広がるだろう。

で、最後に
 「アナログ的」つながり方の問題がある。
ボタンなどはデジタル的つながり方で
ボタンの穴とボタンが組み合わされば
たとえば衣服の左右はきっちりと組み合わさる。

たまにボタンを掛け違ってしまうこともあるが
ボタンは基本的にはデジタルだ。

ところがマジックテープは
効力が弱いためも関係するのだが
ある程度広い面を必要とする。

逆にそれがアバウトなつなげ方を
可能にするというメリットもあるのだが

普通の衣服などでは
このアバウトなつながり方は要をなさない。
アナログ的なつながり方ではだめなのだ。

これが超強力なマジックテープが開発されて
あるいは
方向性がきっちり決められていて
ある方向以外にはつながらないとか
逆に、ボタンのように
マジックテープの面の下は
一点で衣服とつながっているなどして
回転してもそれを吸収すつ構造になっていればいい。

で、その超強力テープの面が
できるだけ小さな面積であれば
デジタル的なつながり方も可能になる。

しかし、よくよく考えてみると
マジックテープは
広い面でつながっているというメリットがあるわけで

ボタンやあるいは磁石のような「点」でつなげるよりは
面できっちりつながったほうが安心感は高い。

というわけで
マジックテープのメリットを保ちながら
ある程度デジタル的なつながり方をすることが可能で
上記のような問題点を解決したようなものがあれば
いろいろ応用の可能性は広がってくるような気はするのだ。



2004.6.13

以前ここに書いたことがあるが
肩がこったときに振動を与えて「こり」を取る
バイブレータ式の肩こり用マッサージャーを
首の付け根に当てながら
パソコンの画面なんかをみつめると
画面が揺れて見える。

以前、そうとは知らずに
隣の人にパソコンが壊れているよ、と言って
けげんな顔をされ、原因がわかって
そのおもしろさと可能性が話題になった。

映像と同期したりすれば
立体映像が見えたり通常では見えないはずのものが
見えたりするのじゃないか、というわけだ。


先日新聞を見ていたら
耳の後ろを電気で刺激すると
映像だけでは得られない「揺れ」の感覚を
得ることがNTTの研究でわかったのだそうだ。

ゲーム機などに使えるだろうというわけで
体に対する影響もほぼない、とのことだけれど

マッサージ器で揺らすにしても
電気で刺激するにしても
なにかからだに影響はあることはあるんだろうな、と
思いつつ、
こういう技術が発展してくれば
結構おもしろいことにも使えてくるだろうな、とは思う。

前述のように
携帯電話の振動や電気刺激で
立体画像とか通常は見ることがありえない映像が
突如目の前に現れる、なんてことも
起きてくるかもしれない。

そういえばテレビの番組のなかで
非常に短時間だけある映像を流す
サブリミナル効果、というのが
たまに問題にというか話題になる。

ある映像を認識せずに見ているだけで
たとえば砂漠の写真を意識せずに見ているだけで
冷たい飲料水がなんとなく欲しくなる、とかいうものだ。

それと同じように
振動や電気刺激で直接的に
なにかを欲するようなしげきを与えることだって
できるのかもしれない。
あまり気持ちの良いことではないけれど、、。

それをもっと広げていけば
人間の五感をもっと広げていく
センサーやあるいはアクチュエータも
出てくる可能性はある。

要はバーチャルリアリティーだが
今後はその世界は活用がもっと具体的に
広がっていくだろう。

そういえば
立体画像という技術はこの間、いろんなところで
盛んにいわれているのだが

もうちょっと低いレベルで
使えるような立体画像のアプリケーションがあっても
良いと思う。
そんな話は次回です。



2004.6.20

コンピュータを利用して
画像などを立体的に表現するという技術は
本当にここ数年で驚異的な進歩を見せているのだが、

一方で
旧来の表現技術というか
簡単にいえば
紙を媒体にした雑誌とか新聞とかの表現で

そろそろもっと次の表現のしかたを
考えることだって
できるのじゃないかと思える。

そういえば
最近は二次元バーコードを印刷した雑誌なども
頻繁に見受けられるようになってきた。

テレビのコマーシャルではないが
あれをじっとみつめているとなにやら
意味ありげな写真や絵や情報が
見えてくる、というものではないのだが、

しかし平面的に印刷された二次元バーコードが
その裏側の世界に
携帯電話などを通じてつないでいる
意味と価値と広がりは
10年まえでは想像もつかないような状況を
生み出している。

たぶんあの二次元バーコードも
そのうちにもっと小さくなって
一見人の視力では確認できないようなところまでなっていくだろうし
あるいは特殊な印刷でも
そんなことが起きてくるに違いない。

そんなこんなで

印刷技術の持つ可能性も
今後デジタル技術とつながって
もっといろいろなものが出てくるような気がする。

むかしあったようなプリズムのような現象を使って
キャラクターの動く画像を見せる
プラスティックフィルムみたいなものも
最近はとんと見なくなったが

あれなどももっといろいろ考えれば
用途ももう一度広がってくるかもしれない。

一枚のフィルムが見る角度によって
異なる情報をこちらに伝えてくれるからだ。

また、
紙の上の印刷によって
あんなフィルムのような立体的な表現も
できる可能性だってないわけではないだろう。

そういえば
昔立体カメラというのがあって
左右に100ミリほどの距離をもって別におかれた二眼で
被写体を撮って
そのポジフィルムを専用の簡単なビューワーにおいて
覗くと立体の画像が見える、というもので、

もう100年も昔からあった技術だ。
ヨーロッパではいまだに熱心な愛好家があるようで

古い立体カメラがいまだに珍重されていたり
なかには今のカメラを改造して
立体カメラを製造したりするメーカーが
あったりする。

専用のビューワーを持っていなくとも
たとえばそんなカメラで撮られた二つの画像を
「それなりの見方」で見ると
立体的に見える、というのは
一時雑誌などで紹介されたことがある。
ただ、これはそんな「見方」をするのに慣れが必要で
簡単には立体画像が見えるわけではない。

と考えると
印刷なりあるいは雑誌・新聞などの
付録などで
簡単にユーザーに立体写真を見せることができるようになれば
これは便利というかおもしろいというか。

これによって購読者に伝える情報の
質と量も飛躍的に高まることは間違いない。

一度立体カメラで撮った桜並木を
専用ビューワーで覗いたことがあるが
普通なら遠くの桜と手前の桜が
同じ色のためすべて一面につぶれて見えるのだが
立体カメラでとった画像をビューワーで覗くと
ちゃんと遠方の桜と手前の桜が別々の桜に見えるのだ。

この臨場感は見たことのある人ならわかると思う。

ちょっとした工夫で新聞や雑誌や
あるいは専用の単行本で
こういう表現が可能になっていけば
ビジネスの可能性もさらに広がるだろう。

デジタル技術にもつながって
さらに面白いことも可能になると思う。

なにもすべてデジタル化で可能性を導き出すことが
すべてではない。

すでに枯れてしまったと思うような技術でも
現代の技術を駆使すればさらに用途や可能性は広がると思う。



2004.6.27

先週は「紙」の媒体について
若干ふれたのだが、
やはり「紙」というものの使い道というのは
侮れない、と思う。

コンピュータ時代になったにもかかわらず
オフィスでの紙の使用量は
むしろまだまだ増えている、というのは
紙の使い道が侮れない、理由にはならないとは思うのだが
でもたしかに
なんらかの利便性が「紙」にはあるのだということの
証左にはなっているように思える。

そういえば先日「ポストイット」という
スリーエムのヒット商品について
解説したテレビ番組があった。

小さな紙の紙片にタック性のある
粘着性の接着剤をつけただけの
ある意味では製品の成立要素としては
もっとも基礎的というか原始的な感じさえする製品であるのだが、
これが世界中で売れているヒット商品なのだという。

メーカーがこの製品の「意味」を
単なる文房具と位置づけていないところに
なるほどと思わされた。

メーカーではこの製品を
「コミュニケーションのツール」と位置づけているというのだ。

「コミュニケーションのツール」などといえば
最近のIT技術に裏打ちされたコンピュータだのインターネットだの、が
その代表だと思っている人が多いと思うし
接着剤のついた紙片が「コミュニケーションのツール」だとは
考えてもいないと思う。

しかし、情報と情報をつなぎ合わせるツールとして
あるいは人の頭のなかの情報と情報を
つなぎ合わせるツールとして
「しおり」とかポストイットなどは
重要な働きを持っていることはたしかだ。

どれほどの可能性があるかはわからないが、
たぶんもっと豊富で動的な情報を
つなげることができる「デジタルポストイット」のようなものが
いずれは出てくると思う。

これは以前ここでも書いたことがあると思うが
しおりとしおりを紐でつないでおけば
情報と情報の間をつなげることができる。

さすがに異なる本やノートの間では無理ではあるが
一冊の本やノートのなかで
関連のある情報と情報を結びつけることはできるし
たとえばそこにちょっとメモの機能をつけておけば
外部の情報とリンクすることもできるはずだ。

これがRFIDなどをうまく使って機能を上げることができれば
もっと自由な情報のやり取りもできるに違いない。

デジタルブックがここのところはやる気配を見せているが
本をデジタル化することが
本当に妥当かどうかは別にして
たしかに平面的に情報が載せられたデジタルの本やノートがあるとして
それの中の情報同士に「関連性」「つながり」を持たせることが
できたら便利だとは思う。


実は本やノートに限らず
あるいはパソコンの中の情報に限らず
人の生活の中には
関連性をもって存在しているものや情報が
とても多い、、。
多いというか
すべてがなんらかの情報の関連性を持って存在している、といっても
うそではない。

関連性があるからこそ
「本の整理」や「資料の整理」や
「生活用品の押入れのなかの整理」ができるのであって

これがなければ
ただ情報やものをつみかさねていくしかない、はずなのだ。

つみかさねていく、ということでさえ
実は時間の経過という関連性によって情報をかさねていく、という
一つの整理法ではある。

パソコンのなかのメールやファイルなどの情報は
時間や大きさや内容などによって
ソート、というつまりは一定の整理ができるようになっている。

これが現実にある「ブツ材」においては
なかなかソートすることは難しいのだが、
先ほど書いた「デジタルポストイット」や
「デジタルしおり」や「RFID」などは
それを可能にする一つになるだろう。




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