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その25



2003.10.12

先週の夜中に
パソコンを使って仕事をしていたら
突如、どこかでパチパチと
電気がショートするような音が
聞こえてきたと思ったら
目の前のパソコンのディスプレーの画面が消えてしまった。

消えてまもなくしても
パチパチという音は消えない。

これは変だと思うから
あわてて電源をおとしてパソコンを止めた。

それから真夜中だというのに
パソコンを狭い机の上からおろしたり
ケーブルを抜いたり
普段めったにやらないようなことを
しばらくするはめに陥った。

幸いパソコン本体にトラブルが起きたわけではなく
ディスプレーのなかがなんらかの原因でショートして
ディスプレーが壊れたのだとわかったのだが
それにしても
こんなことはついぞなかったことなので
びっくりするやら驚くやら。

ホコリのせいなのか寿命なのかは
いまだわからないのだが
それにしても家電製品が目の前で
停止するなんてことはいままでない経験だったので
ちょっと気が滅入った。

世の中にはパソコンだけではなく
様々な家電製品が使われていて
その数たるや天文学的な数字なのだろうが
その裏で廃棄されるというか
壊れていく家電製品も
天文学的な数字なのだろうことは間違いない。

昔は修理してまた使い始めることは普通のことだったのに
最近は修理をしないで買い替えることが
普通になってしまっている。

買い替えせずに修理したほうが良い、という気持ちも
あるが、
今の家電や車のように
「故障が許されない」というくらい品質が安定していたり
修理に時間や費用がかかってしまう時代では
むしろ「廃棄」「交換」などで済ましてしまったほうが
経済的にはたしかに効率は良いだろう。

でもそれにしてもまだまだ使えそうなものなのに
廃棄しか手がない、というのは
なんだかふに落ちないこともたしかだ。

ディスプレーのように重くて大きなものを
廃棄するだけでも数千円の費用がかかるというし
どうせならなんとか修理ができないものかと思う。

で、考えてみると
最近は液晶ディスプレーが多くなってきたし
それであれば修理とかは昔の電気屋さんと異なって
わりと簡単に修理もできそうな気がする。

あるいは
パソコン本体がキット化されているのと同じで
ディスプレーだって液晶なら修理でなくて
もっと「前向き」に考えて
キットがあって筐体を自分の好みでカスタマイズが
可能になっても良いと思う。

パソコン本体にデザインすることが
できてきたのだから
ディスプレーもそれができて良いだろう。

あるいはディスプレーとしてのみ考えなくても良いと思う。

これだけ薄いものでディスプレーできるのだから
面として考えて使えば様々な表現が可能になる。

照明にもなるしインテリアにだってすることができる。

もともとスクリーンセーバーだって
部屋にいろんな表現として取り入れ使うことさえできるはずだ。


ところでその壊れたディスプレーだが
これは残念なことに普通の昔からのブラウン管のやつだから
そうそう簡単に修理とかするわけにはいかない。

中味さえ廃棄することができれば
中の空洞にオモチャやフィギュアをディスプレーして
ジオラマでもつくろうかとも思っている。
超小型ラジコンの戦車でもおけば
バーチャルなゲームではなく
実際にラジコンのゲームもできるのではないかと思っている。

シューティングゲームもできそうだ。

あるいは水槽でもいれて小さな熱帯魚を飼ってもいいかなと思う。
ちょうどいい大きさだし、、。



2003.10.26

やはりここにきて
ICタグ、というか、RFIDの
ビジネスがいろんな方向に伸び始めている。

RFIDの関連の部品産業もそうなのだが
一番これからも伸びそうなのが
アプリケーションビジネスだろう。
これはどんな商売でも同じようなことは言えると思う。

で、このRFIDだけれど
今後どんなふうになっていくのだろう。

とりあえず小型化の方向
これは日立あたりが0.3ミリ角位のものを
実用化し始めたし、今後はもっと小型になっていくことも間違いない。

同時に集積化の方向も間違いなくあって
多くの情報を詰め込むこともできるようになるだろう。

もう一つは
非接触でやりとりできる距離をどれだけ広くできるか、
ということもある。
これができれば
RFID そのものに情報を積まないでも
外部に情報がおいてあっても
そこと連絡が取れれば良いことにもなる。

きっと、RFIDは文字どおり
「ID」を持つことが重要になるはずで
情報そのもの外部においておく、ことになりはしないだろうか。

また、問題はRFIDを製品などに
「くっつける」作業が必要になることがある。

シールのようなものであればそのなかに挟んでしまったり
筐体であれば中に忍ばせることになるのだが
案外、そのコストは馬鹿にならないのではないかと思える。

もし「ID」を持たせるだけであれば
あんまり集積の高いRFIDを挟んだり
接着したりするのは有効ではないような気もする。

「ID」を持たせるのに一番簡単とも思うのは
バーコードを印刷することだと思うが、
バーコードリーダーは光学的な読み取りだから
使用上に限界があるようにも思う。

で、多分は
いずれプリンタのようなもので
情報を印刷してしまう時代になるのじゃないかと思える。

当然、字などを印刷するのではなく
例えば磁気をおびた金属粉などが混ざったインクを
カセットテープなどのように印刷すれば
それに情報を持たせることは可能になる。

あるいはもっと微細な加工が可能になれば
印刷でRFIDを印刷することだって可能だろう。


ところで
ここまで考えてくると
例えば
プリンタで文書を印刷する場合、
一度、紙に印刷してしまった文字情報を
再びデジタルデータにするには
OCRソフトにでもかけて
「絵」になった文字情報を
再び「文字」として認識することが必要になる。

これはもったいない話しである。
もし、印刷する文字の形をした「絵」に
文字としての情報をくっつけておくことができれば
あとから紙になった絵のような情報から
すぐに文字をデジタルに変換できることになるから
便利だろうと思う。

そういえば文字の形にちょっとした工夫をくわえて
暗号にような情報をそこに入れてしまうことを
考えた企業があったようだが

そんなことをせずとも

印刷した紙の横の欄にでも
磁性をおびた金属粉を混ぜたインクで
まっすぐな帯を印刷して
同時にその磁性体のなかに
カセットテープのように情報をいれることができれば

プリンタにつけられた機能で
今度は逆に紙から文書情報を読み取ることができれば
便利ではある。

もっと進めば
文書を印刷しながら
その文字一字一字に
その文字の文字情報を
入れておくことができればなお良いだろう。

どんな風に情報を入れ込むかは
ちょっと考えてもいろんな方法が考えられる。
今のプリンタ技術であればあながち無理な
話しではないだろう。



2003.11.2

最近のインテリジェントな車の開発には
驚くばかりだ。

特に最近のプリウスに搭載されるという
縦列駐車を自動的にやってしまう装置などには
驚かされた人も多いだろう。

まさかあんな複雑な作業を
コンピュータを使うのだとはいえ
いろんな情報をあつめて
車の挙動に反映させるなどというのはちょっと考えててみても
相当な研究をしただろうことは
想像にかたくない。


また、最近のホンダの車に積まれた装置、、、
前を走る車との車間距離を計りながら走っていて
もし前の車がスピードを落として
急激に距離がつまったら
ドライバーに警告を与えたり
あるいはブレーキをかけて
衝突に備えたり、衝突した時の
被害を軽減するための処理を
自動的に行う、などという装置も

いままで議論としてはあったら良いな、と
いう程度の話しをしていたわけだが
これが本当に搭載されるようになるとは思っていなかった。

走っているレーンを自動的に追っていて
外れてくると警告を発してくれるなどというのも
これは他のメーカーでもはじめていたが
これとてもなかなか驚くべき能力・性能ではある。


ところで、
ブレーキを車のほうで自動的にかけてくれたり
警告を発してくれるなどという
能力があるのだから
もっと簡単なことであればもっと簡単にできる、はずだ。
どんなことかといえば

前を走る車との車間がつまってきたら
通常ドライバーがブレーキを踏んで
車間を空けると同時に
車のブレーキランプは点灯して
後続車にブレーキがかかったことを知らせるわけだ。

でももしそのドライバーがブレーキを踏まなければ
ブレーキランプは当然ながら点灯しない。

ホンダの仕組みは当然
前車との距離を計って
詰りすぎと判断したら
ドライバーに警告を発すると同時に
たぶん後ろを走る車に
ブレーキランプを点灯して
自分はブレーキを踏んでいないにしても
前を走る車との距離が詰り始めていることを
後ろの車に知らせることを当然ながら
しているのだろうと思うけれど

もしそんな仕組みが付いていなくても
前を走る車との距離がつまり始めたら
それを自動的に察知して
ドライバーがブレーキを踏まなくても
自動的にブレーキランプが点灯するくらいのことは
やっていいのではないかと思う。

ともかく
ドライバーはどう考えてみても
人間が行うのが
ここしばらくは当然のことだろうから
これをいかにシステムや仕組みや
例えばセンサーなどによって
補完してやれるか、ということが重要で、

できればそれも先行してセンサーが認識して
動作や挙動を始めるということになるだろう。

動作や挙動といっても
べつに車を動かすところまでいかなくても
ドライバーに注意を促すだけでも充分でもある。

また、
センサーが認識するといっても
車の挙動を認識する、というだけではないはずで
ドライバーの挙動を認識する、ということも
重要なはずだ。

ドライバーの挙動は
車の挙動としても認識もできるだろうし
直接人間としてのドライバーの挙動も
認識もできるだろう。

前者であれば
車のいろんな方向への挙動を
三次元の加速度センサーで拾って
通常の挙動と異なる動き、
それはドライバー毎に異なるはずだが
ドライバー毎のドライブの癖というか
それによる車の挙動の違いなどを
ログをとって分析したり違いを認識することなど
今の技術ならわけないことだろう。

いつもと異なる挙動を示したら
ドライバーの上になにか起きていると判断して
重大な問題が起きる前に
車のほうからアクションを起すことは可能で
車のアクションでなくても
ドライバーに警告を与えるくらいのことは
そう難しい問題ではない。

例えば横にふらふらして走っていれば
ドライバーが居眠り運転をしているか
その可能性が起き始めていると考えていいだろうから
ドライバーに音声などで警告を与えることは
そう難しい話しではない。

ついでにブレーキランプを点灯することだって
難しいことではないだろう。

また、
直接人間としてのドライバーの挙動を
認識することも不可能ではない。

最近のセキュリティー技術は
例えば人間の瞳をカメラで捉えて
個々の人間を認識することができる。
顔の違いを捉えて認識することだって最近は
可能でもある。

そうであれば
ドライブしている人間の
瞳のむいている方向をカメラで捉えて
運転中に前をむいていない時間が
通常よりも長いようだったりしたら
警告することも可能だろう。

案外、センサーが人間の代りに前方を捉えるより
人間が前を見ていさえすれば
前で何が起きているのかはわかるのだから
前をむいているように
しむける仕組みを考えたほうが
いいのかもしれないとも思う。


2003.11.9

MDプレーヤーとかCDプレーヤー とか
音楽を楽しむためのプレーヤーはいろいろある。

最近はシリコンオーディオと呼ばれる
半導体チップに音楽をインターネットを通じて
入れて楽しむプレーヤーも当たり前になってきた。

とはいってもメディアを使った
MDプレーヤーとかCDプレーヤー とかは
今後も無くならないだろうし
カセットテープのプレーヤーだって
無くならないと思う。


ところで
これらのプレーヤーの違いには
音質とかの違いもあるのだが
大きさの違いというのが一番大きい。

CDプレーヤーなんかはやたらと大きいし
MDプレーヤーもそれなりの大きい。

で、どこのメーカーもうちのプレーヤーが最小である、と
宣伝したりするのだが、
たしかにもうれ以上は小さくならないだろうな、というくらいの
大きさになってはいる。

これ以上小さくするには
メディアより小さくするしかないわけで、
で、そう考えると
メディアを入れて使う機器ではなく
メディアにくっつけて使う機器になっていくことも考えられる。

さすがにCDを裸でまわすわけにはいかないだろうが
MDやカセット位であれば
ケースに入っているわけだから
それらのメディアの半分位が露出していても
問題はなさそうだ。

メディアより小さなプレーヤーというのを
作ればメディアの外装のデザインも生きてくるし
今その人が何を聞いているのかも
メディアの外装をみればわかる。

聞いている人もこんな凝った楽曲を聞いているんだぜ、と
趣味を誇ることもできるというものだ。

ところでそのことだが
ああいったプレーヤーを聞いている人は
イヤホンを耳にいれて
プレーヤーと自分の世界のなかで聞いているわけだが
特に音を大きくして聞いているような場合

これはまわりの第三者にとって迷惑になったり
まわりの第三者とコミュニケーションが取れなかったりして

できれば前述のように本人が何を聞いているのかわかることも含め
なにか近くの人達とコミュニケションがとれて
楽しくなったり迷惑をかけないようなアイディアはないのだろうか。

例えば
電車で隣に座っている人にも心地よい音楽を聞こえるようにするとか
近くに人がいる場合は自動的に音が小さくなるとか、
公共の場では一定以上の音がでないようにするとか、

パーソナルな家電が増えてくればくるほど
その外側にいる人や社会との接点をどうするかを
考える必要がこれからは出てくるわけで

有名家電会社もそんなことをこれからは考えてみて
もらいたいものだと思う。


2003.11.16

一時、町のいたるところに
落書きがされて社会問題になったことがあった。

商店街のシャッターや電柱や壁や
まさにいたるところにされていて
商店街の人達にとっては
美的な問題やそれを消すための作業や
見回っている作業などから
とても大変な出来事であったことだろうと思う。

不謹慎な書き方で怒られるかもしれないが、
中には落書きとしては
秀逸なできのものもあったりして
むしろあれくらいのレベルの落書きを
かけるセンスの持ち主であれば
そんな連中をたくさんあつめて
町の商店街全体のアート化を
一緒にやってみてもいいのじゃないかとさえ
思った。

あるいは
むしろ落書きをしている人達の間で
真面目に競争をさせるほうが良いとも思う。

あまりセンスのない、カッコウ悪いデザインや落書きであったら
地元の人々でセンス悪いという採点をして
点数を書いた紙を貼り付けるとか

良いデザインだったらそのデザインを
別のものに取って貼り出して
表彰するくらいのことをやってみたらどうだろう。

表彰された「センスの良い落書きマニア」は
センスの悪い落書きで
自分のレベルまで落とされてしまわないように
商店街の「味方」になってくれるかもしれない。


この前テレビでやっていたが
町中を流れる小川にゴミや廃棄物が流されたり
置かれていて困っていた町内会が

小川沿いに花を栽培して
人々が歩くようにしたり
その花のわきには栽培している人の
名前を貼り出したり

あるいは
定期的にその小川沿いで
おばさんたちのグループに
踊りを披露してもらったり

そんなことをしたことでゴミや廃棄物の投機が
なくなった、というのだ。

落書きをやっている当人たちを
味方に引き入れることが可能かどうかは別にして
なにかおもしろいアイディアを
考えてみるのはどうだろうか。

まあ、それはさておき、

とりあえずは
マジックやペンキがぬれないような処理を
シャッターや壁や電柱にしたらいいのじゃないかと
思った。

そんな処理やそれなりの塗料はきっとどこにでもあると思うし

例えばポスターなんかも
貼れないように処理することも
そう難しい話しではないのではないか。



2003.11.24

筆者は車とか飛行機とか舟とか
あらゆるノリモノが好きなので
そんな関係の雑誌をしょっちゅう購入している。

よせば良いのに昔から集めた本を
捨てないでいるから
だいぶ古い雑誌が溜まってしまって
保管するのに四苦八苦しているのだけれど

たまに昔の雑誌を読み返していると
いろいろ刺激をうけることがある。


つい先日は
ヨットやモーターボートの雑誌で「舵」という
昔からの雑誌があって
1995年ころのそこそこ古い号を
読み返していた。

なぜこの号を当時購入したのか
読み返していると思いだす。

この号は
ヨットのセールについての特集で
最新のヨットのセールについて
その理論や最新の製法などについて
書かれているものだった。

で、なるほどと思ったのは
いままで数千年に渡って作られてきた、
そう、ヨットや帆船はすでに数千年の歴史を
もつ乗り物であるのだが

しかしセールの製法については
繊維などで編まれた布のようなものを
そのまま使うか
あるいは小さな単位になった布を
縫い合わせて
平らなセールではなく
曲面というか緩やかな球面を作ることが
近代では当たり前になっている。

ちょうど
紙風船といえばいいか、
平らな紙から切り出されたちょうど舟のようか形と言えばいいか、
そんな形を横に張り合わせていくと
紙風船のような球体になる。
紙風船以外で言えば
地球儀の作り方といえばいいか。

実際のヨットのセールは
そんな形を基本にしながら
もっといろんな形を求めている複雑な形状の
セールを実現するための
いろんな形の布の小片を
張り合わせていくことによって
実現している。

また、セールがマストやブームなどに括り付けられる時に
強度的にもつように
掘り合わせかたも非常に複雑になっている。

しかし、当たり前と言えばいえるのだが
もともと平らな繊維や布を切り出して張り合わせるのだから
揺るやかな球体というか曲面を
生み出すことは
厳密に言えば不可能ではある。

小片をできるだけ細かくしてつないで行けば
理論的には限りなくスムーズな曲面に近づいていくはずだが
コストとの関係や縫い目が多くなれば
風が流れるスムーズな面にはならなくなる、という問題が
出てくるのだろう。

そんなわけで今主流のセールは
布や特殊繊維の小片を縫い合わせていく方法が主流である。

しかし、90年代に入って
特殊なセールの製法がアメリカで生まれた。

近似値ではなく本当にスムーズな曲面のセールを
作ってしまおうという技術だ。

どんなやり方かと言えば

巨大なセールの型を作る。
実はその型は個々に上下させることができる
小さなセグメントによって構成されていて
コンピュータで設計された
最適だろうと思われるカーブや曲面に合わせて
小さなセグメントを上下させ
最適な型形状を、まず作り出す。
その上にフィルムを貼ってよりスムーズな型面を作る。

さて、重要なのはこれからで

なんとその型を置いた巨大な倉庫のなかで
縦横に動くクレーンがあって
そこにつられた人というか装置から
特殊な繊維、単線の繊維を
繰り出しながら型の上に貼っていく。

時間はかかるのだがそれを縦横に繰り返すことで
型の上には繊維が縦横に置かれたスムーズな曲面が出現する。

最後に面の上下を特殊なフィルムで貼りあわせると
理論的に申し分のない曲面が作成できる、ということなのだ。

さすがにこんな、面倒な製法で作るから
どんなヨットのセールでも良いとはいかず
相当高価なヨットやレース専門のヨット位しか
作るようなことはしないらしいが
どんなに金をかけてでも勝ちたいと考えている
世界の人々にはうけているらしい。

それにしてもこういうことを考えるアメリカの力には
正直いつも「やられた」と思うのだ。

ところでこういう繊維を使った製造物の作り方は
他にもやはりいろいろあって

最近ではレーシングカーのカーボンファイバー製の
シャシーなんかも
カーボンの布を張り合わせていくだけではなく
上記のように「編んでいく」やり方が
場所により一般的になりはじめているようだ。


であれば
もっとこういうやり方を使える業界はないだろうか、と考えた。

で、思い出したのが、女性の下着である。

いろいろ聞いてみると
当然大量生産ではだめで
「オーダー」でスムーズな曲面の必要性というか
が、その業界の目指している方向ではあるらしい。

立体縫製とか立体裁断とかがいまでも
行われているらしいが

でも上記のようなやり方で
女性用下着が作成できれば
きっと高級下着として
それなりの市場が生まれるのではないか、と思う。

シームレスだし、曲面としては限りなくスムーズだし。

で、まあ、女性用下着の話しなどを書いていると
いろいろ言われそうなのでここらへんで止めておくけれど

いずれにしてもそんな作成方法がいろんな曲面を
作る製法として使えるのではないか、と思った次第、、。

ところで
その製法だけれど
その「舵」という雑誌もなかなかおもしろかったのだけれど
なんと
1997年の科学雑誌?「日経サイエンス」にも
特集されていた。

よほどアメリカではおもしろい製法と思われたのだろう。

アメリカに負けずに日本でも
「こりゃあ、おもしれーや」と
みんなが興味をもってくれる「製法」が
もっと出てきてもいいなあ。



2003.11.30

昔から誰もが食べたことのある
レトルト食品、特に
おおつかのボンカレーは
有名ではあるのだが、

最近テレビのコマーシャルを見ていて
なるほどと思った。

某タレントが出てきて
「35年ぶりに南極からもどってきたら
両親も変わっていたし
ボンカレーも変わっていた」
というのだが
これがお湯を使わないでも電子レンジで
暖めることができるボンカレーのことなのだ。

言われてみれば
たしかにレトルト食品は
お湯で暖めることが通常行われていて
それをたいして苦にせず、というか
当たり前のこととして
行ってきたのだ。

お湯を使わずに電子レンジで
暖めることができればたしかに
手間がだいぶ省けるし
お湯ももったいないことをせずにすむ。

暖めたお湯を捨てるだけでも考えてみたら
「罪悪感」を感じていた人も居るのではないか。

たったそれだけ?のことだけれど
そうか、便利なことを実現しているわりに
まだまだやってないこと
実現されていないことって
だいぶあるのだなあ、と
ボンカレーの宣伝を見て思ったのだった。

で、そう考えれば
インスタント食品にお湯を注いで
食べるようになるまでは
数分かかるがこれだって
もっともっと短くなっていいはずだ。
できればお湯を注いだ瞬間から食べられたら良いのにと思う。

これだけ忙しい時代なのだから
日本も極超音速旅客機を作って旅行の時間を縮めるなどという前に
インスタント食品のお湯で戻す時間を
縮めることができたら
世界中にインスタント食品が輸出されていることを思えば
世界的に大幅な時間節約になること請け合いだ。

時間短縮が大きなビジネスのチャンスになるというのは
インスタント食品以外にも
きっとまだまだたくさんあると思える。


また、ボンカレーのように
時間や手間を省くこと以外に
例えばお湯の役目のような「触媒」を
わざわざ使っているようなものを
「触媒」を使わないで良い、ということも
ビジネスにつながると思う。



2003.12.7

たまには製造業の現場の話しを、、

先日金属加工業をしている工場で
工場の掃除をする機会があった。

床を箒で掃く作業をしたのだが
その時思ったことを、、

金属加工などをやっている工場の
掃除では当然金属加工で出てきた
金属の屑がたくさん出てくる。


俗に言う「切り粉」というやつだが
これが結構掃除するには厄介なものなのだ。

金属を削って出てくるゴミだから
通常のごみのように
ただ箒ではけば集まってきて
捨てることができるという状態にはならない。

箒は「しだ」などの繊維でできているが
これに金属の切り屑が絡まってしまい
一端絡まってしまうと
容易に箒から切り屑が離れていかない。

ちりとりに切り屑を入れたり
ペール缶でできたゴミばこに
いれようとしても
箒に切り屑が絡まったままである。

繊維質のものでできているという問題もあるのだろうが
たぶん
一本一本の繊維が密集しているから
その間に切り屑が入ってしまい
なかなかとれないということもあるのだろう。

これを解決するには
繊維質でないもの、
プラスティックや化学繊維などを使うという方法と
ただ密集させたものを作るのではなく
櫛のように平面的に、それも少し隙間をあけたものを
つくってそれを重ねたらどうだろうかと思う。

できれば重ねた櫛状のものを簡単に広げることができれば
ゴミも落ちやすくなると思う。


実はよくよく考えてみると
掃除の環境というのは
まことにケースバイケースであって
掃くゴミの種類から
掃く床の状態から
千差万別である。

それぞれにあった掃除のしかたや
掃除道具が本当はもっとあって良いのだと思う。


案外その場所場所で使っている掃除道具を
他で使うってことはなく
その場所でのみ使うことが多いはずなのだ。


2003.12.14

テレビでやっていたのだが

四方に置かれたスピーカーから
出てくる音を制御することによって
真ん中に居る人間にたいして
例えば仮想的にまわりの環境を
つくって伝えることができるらしい。

例えば
実際にあるわけではないのに
人間のすぐ右隣に壁があるように
音やその残響音を意図的につくり
環境を生み出すことで
錯覚させることもできるのだという。

その壁との距離も
音を制御することで
仮想的に遠くに置いたり近くにしたり
することができるようだ。

当然、右や左だけでなく
前後や、多分上下も可能だろう。

昔、4chのステレオというのがあったけれど
最近の多チャンネルのスピーカーは
もっとスゴイことができるのだと知って驚いたのだった。

ところでこういういわば錯覚を利用して
仮想的なことを体験させる方法とその応用は
きっとまだいろいろあるはずで

まあその分野はバーチャルリアリティーとしていろいろ研究も
されているわけだけれど

例えばこの「音を利用したバーチャルリアリティー」
などはすぐ使えそうな技術のような気がする。
例えばその「音を使って壁との距離を判断する」方法などは
例えば暗闇で人が移動しなければならない時や場合に
使えるだろう。

また、例えば車の運転をしていて
よそ見をしていて
側面がなにかにぶつかりそうになった場合など

それをセンサーで感知したら
その方向になにかが迫ってきていることを
音で知らせることはできるだろう。

音で危険な信号をドライバーに知らせるだけではなく
その危険が迫ってくる方向も
音で同時に知らせることができれば
反射的に危険から逃げることも可能だろう。

いずれにしても
音で環境を生み出すことができたら
なかなかおもしろいことができそうではある。

少なくとも
部屋のなかで草原とか都会とかに立っている状況を
音で作り出すことは可能な気はする。
環境音楽どころか環境そのものを
作り出す、ということだ。

あるいはもしかして車の中ででも
音響を使って環境を人為的に作りだすこともできるかもしれない。

あるいは
例えば商店街になかに
人為的に音で自然の環境を作り出すことや
逆に商店街としての環境を作り出すことなんかが
可能になると思う。

もしかしたら
商店街のなかでお客さんが動いてまわる動線を
音でいろいろに演出するというようなこともできると思うし、
もっと研究してみれば
お客さんを「制御」することだって可能だろう。

通路がお店に挟まれた狭い商店街であっても
音の演出でその場が広い場所であることを
演出できるかもしれないし

よくあるような音楽だけではなく
音の制御でお客さんの視線を制御できる可能性も
充分にあると思える。

あんまりやりすぎると一時問題になった
テレビのサブリミナル効果というのと同じで
問題になると思うけれど
もともとバーチャルリアリティー技術そのものが
そういう性格をもっていると言っていい。

できればバーチャルリアリティー産業がビジネスモデルとして
進化していくなかで
しっかりとそんな問題を解決する議論も
進めていかなければならないのだろうな、と思いつつ
以前ここで書いた擬似触覚というか
「タクタイル」とか「ハプティック」と言われるものも
含め
なんだかおもしろいものや技術が
どんどん出てきたものだと思う。


2003.12.21

鉛筆の芯や
シャープペンシルの芯は
折れて当たり前、ということが
常識のようになっていて
まあ、折れ難い芯とかも売られているわけだけれど
基本的には折れたらノックして芯を
出して使うことになっている。
芯が折れなかったら良いことはもちろんだ。

また
芯が字を書いているうちに減ってきた時に
ノックして芯を出す行為のほうも
それに劣らず問題なことだと思う。

だいたい、
芯が減ってきたらノックして出す行為が
面倒だから
多めにノックして芯をちょっと出しぎみにしておくと
確かに芯を出す作業の間隔が
長くなって良いわけだけれど
そうすると芯が折れ易くなるわけで
誰でもノックして芯を出す時には
そんなことを考えながら芯の出す長さを
「調整」しているのだと思う。

で、まあ、もともと絶対に芯が折れないのなら
長めに芯を出していけば良いのだし

芯が自動的に出てきて
最適な長さに常になるようにシャープペンシルの機構が
できていればそれにこしたこともない。

で、先日そんななかで
自動的に芯の長さを調整するシャープペンシル、と
いうのがあってなるほどと思った。

芯のことを考えずに使えるようになれば
これほど重宝なことはない。

でもそれほどのことなのに
いままでシャープペンシルの芯のことをいろいろ
考えたものはあまりなかったと思う。

芯の折れないシャーペンとか
芯の自動調整供給シャーペンは
でるとこに出ればこれはすばらしいものだと思う。

で、どこにもそれが実現できればすばらしいことなのに
案外だれも手を付けていないものってある。


例えば、バイクでもスクータでも
絶対に転ばないとか
スタンドをいちいちかけなくても倒れないとか
少なくとも停止した時に
ライダーが足を出さなくても倒れないようになっている
バイクとかスクータとか、そんなものがあれば
便利だ。

まあ、バイクやスクータが
もともと二輪であるにもかかわらず
走っている時には転ばない、ということのほうが
本来不思議なことなのだが

贅沢をいえばそんな均衡が破られる状況の時、
つまり走っていて安定していても
なにかの不可抗力で
「本来の転ぶ状態」に戻された時に
転ばない工夫はあっても良い。

例えば安定が崩れた状況時や
あるいは安定している状況に極めて近い状況に
なにか安定するものを配置しておけばいいのだし、

もしバイクやスクーターではなく
バイクやスクーター(風)でよければ
いろんな工夫する余地はある。

4つの車輪があるけれど
乗り手は可倒する乗り物だって考えられる。


まあ、そこまでいかなくても
スタンドをいちいちかけなくても倒れないとか
少なくとも停止した時に
ライダーが足を出さなくても倒れないようにした
バイクやスクータはあって良い。

やり方はいろいろあるだろう。

当然、メカ的なスタンドが出てきて
左右へ倒れないように支える、というのが一般的ではある。

問題は重量だけれど
軽量でかさばらないスタンドのメカだったら
いろいろ方法は考えられる。

あと、それ以外に考えるとしたら
ジャイロでその場で自立しているバイクとかスクータが
おもしろいと思う。


これはもう100年も昔に
二輪バスを考えた人が外国にいて
どこかでそんな絵をみたことがある。
なかなかおもしろいと思うのだが
ジャイロの駒をまわさないといかんから
重量がかさんでしまう。

それもいつも積んでいて回しているわけだから
効率的ではない。

であればいっそのこと
タイヤそのものがジャイロの代りにならないだろうか。

実効性のある効力があるかどうかはわからないが
案外使えるかもしれない。

と、考えてみると
タイヤが回っている状態でジャイロ効果を出すとしたら
もともと停止していられないではないか。

であれば
ちょっとタイヤを浮かしてやればどうだろうか。
それもスタンドのように左右に倒れないようにするためでなく
倒れないようにするのはあくまでジャイロのタイヤなので
浮かせるためだけであれば
一本の棒とかともかくちょっとしたもので
タイヤが浮けば良いことになる。

でも、タイヤがいったんは止まらないと
もともと停止できないし
ジャイロとして回っている状態で
走り出すためにはいったんは
タイヤが止まらないと出発できない。
これは困った。

いずれにしても
バイクやスクータや自転車は走っていなければ
転ぶもの、というのを考え直しても良いとは思う。

案外なにかアッと言わせるアイディアが
あるかもしれない。




2003.12.28

今日は個別のアイディアというよりは
ものの作り方に関するアイディアといえばいいか。

今年もあとすこしで終わりだ。
地域産業の活性化にむけて
筆者は仲間と一緒にいろいろなことを行ってきた。

基本的には
本来、日本の産業集積の持つ高い技術と多様な生産様式を
使って、高い付加価値を持ついろんなものを作り出し
市場に送り出すことができるはずだから
そのためにいままでの産業集積を
もうちょっと高度なシステムに
進化させていこうという取り組みだ。

いまの産業集積のままでは
高度で多様で価値の高いものやサービスを生み出すには
ちょっと仕組みが古くなってきているからだ。


ところでこんな年末時期になると
テレビや新聞の特番なんかで
日本の高度な技術について放送されることが多い。
ナノテクノロジーとかバイオとか航空宇宙産業とかだ。

「超」高度な技術や知識を使って
価値の高いものを作って市場に送り出すのは
必要なことではあるが
日本の製造業の重要な部分を支えてきて
なおかつこの十数年の経済の低迷を
必死に生き抜いてきた
多くの中小企業にとって
その路線をたどることはそう簡単ではない。

超高度な技術を製品やサービスに応用することは
たしかに大事な方向ではあるのだが
それを実現するための設備や時間や費用から考えると
日本の中小企業が簡単に選択できる方向ではない。

マスコミや行政が簡単に言うほど
少なくとも日本の中小企業が
選択できるような世界ではないのだ。

しかし、そんな高度な技術ではなくても
中小企業のもつ多様な「普通の技術」「枯れた技術」を
組み合わせることで
より「普通よりちょっと価値の高い技術」
「多様で価値ある技術や製品」
を生み出すことはできる。

これから高度な技術を構築しなくても
既存の「もてる技術」を組み合わせることで
それは可能なのだ。

まして日本の中小企業は
少量でも優れたものを素早く生み出すことは
長い間親企業に「鍛えられて」きていて
多分世界のなかで一番優れた生産のポテンシャルをもっている。

そんな中小企業同志が集積を生かして組み合わされば
より高度で多様で価値の高いものを生み出すことが
できるのだ。

問題は
その組み合わせを行うための仕組みと
組み合わせたあとにそれを進めることのできる人と
少量の試作や開発をするためのお金だ。

筆者らは諏訪地域において
この新しいものや技術を生み出すための仕組みづくりを
長いことかかって構築してきた。

多分、その一連の成果と学んだこと、そして報告は
来年、いろんな機会を通じて公にできると思うが、

少なくともその仕組みのなかに必要な人とお金が
重要なものであると認識し
実現にむけて行動してきたことだけは
ここに書いておいてもいいだろう。

そのなかから現実の価値の高いプロジェクトが
諏訪地域でいくつも始っている。

何度も書くがけしてそれらは超高度な技術の応用でもない。

大学や研究機関との連携も数多く行っているが
けして設備や実験にとんでもない高額のお金が必要になったり
人が必要なわけでもない。

むしろ、中小企業や大学や研究機関の
やる気のある人々を探し出し、集結し
「ともかく始める」ことによって動き出す。
すべてはそこからだ。

それを嗅ぎ付け、情報と情報をつなぎあわせ、
そこに新たな価値が生み出せるかどうかを
見つけ出す能力と現実にしていく作業が
できるかどうかにかかっている。

そんな作業は高額なお金とか超高度な技術とかは関係ない。


景気が良くなる徴候があるとか
来年は景気は良くなるとか
様々なことが言われている。
それぞれの企業はそれぞれに努力をし
なんとかこの状況を乗り越え
景気の波にのっていかなくてはいけないし、
そうでなければならないのはもちろんなのだが、

しかし、この景気が
リストラと中国経済の上昇に引っ張られたものであるなら
けして盤石なものであるとも言えない。

いずれそう遠くないううちに
中国がこの日本で得意としている技術や製品化の能力を
身につけていくだろうし

逆にそんな中国で作られた製品が
今以上に日本にむかって流入することにもなるだろう。

であれば
今のうちに「次の日本的生産様式」「新しい製造モデル」を
探し出し構築しなくてはならないだろう。

多分それは大量生産を求める方向ではないだろうとは思う。

中国に対抗して大量生産モデルをより進めていく方向も
ないではないだろうが
すくなくとも日本の多くの中小企業が追っていける
モデルではないだろう。

大量生産物の中に搭載されるはずの
高度な内容物やデバイスは日本で生産される可能性もあるが
これも激烈な競争にさらされるだろう。

一方、デバイス開発のための生産設備の開発生産や
様々な製品開発や試作のための作業は
ここしばらくは日本にとどまる可能性は高い。

あるいはもっと少量であり
大量生産には向かない生産物は日本で作られ
日本にとどまらず世界にむかって輸出されていく
可能性は充分にある。

それは大手企業主導の製品やサービスに限らない。
中小企業から世界の市場にむかって
もたらされる製品は技術も多いだろう。

その時に必要になるのが
日本の高度で多様な産業集積だろうと筆者は考える。

そんな可能性を一番信じていない人が
実は日本の中小企業集積の人々と
多分、産業政策を考えている立場の人々だろう。

中小企業集積の当事者は
自ら高い集積を構成している当事者であるのにかかわらず
その力を過少に評価している。
もっと自信をもっていいはずだ。

それ以上に自信をもっていない、というか
信じていないのが
日本の為政者であると筆者は思っているが
ようやく最近になって
産業集積を大事にしようという動きも目だってきた。

ただ、その大事にする動きはいまだ緩慢だ。

多分、産業政策のあり方考え方そのものが
古いのだと筆者は思う。

少なくとも行政が考えた道筋に
民間が乗るように仕向けるようなやり方は成功しないだろう。

民間はそれなりに問題意識も次への意欲ももっているのだから
どうそれを自らの動きにしていくかを考えた
制度を考え制約を解除していく必要がある。

筆者らの住む諏訪地域は
来年はそんな新たな産業地域の構築にむけて
動き出す予定だ。

筆者自身もそのためにますます頑張っていこうと思う。

それではみなさん、来年もよろしくお願いいたします。




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