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その23



2003.4.6

先週は用事があって東京まで何度もいくことになった。

昔は車で東京まで出かけたものだが
ここしばらくは電車でいくことが多くなった。

車は部屋がそのまま移動できるようなものだから
遠距離を旅行するような場合は都合が良いが、
仕事で東京都内を回ってこなければならない場合や
帰りにちょっとアルコールが入るような場合は
やはり電車が都合良い。


そう思ってまわりを見回せば
やはりサラリーマンが仕事でいったりきたり
しているのだろう、そんな姿が目につく。


ところでその電車だが

はるか昔に禁煙に成功?した筆者としては
できれば禁煙車に乗りたいのだが
電車の混み具合によっては
喫煙車に乗らざるを得ない時も多い。

前も書いたことがあるが
喫煙者が減ってきたためだろうか
以前より喫煙車のなかの煙の量が減ってきたようにも
感じられる。

で、なぜ煙を感じなくなったのだろうか。

いや、そうではなく
電車の時間によって喫煙者が乗っていなかったり
喫煙しない人が喫煙車にのってきて
いるのであるのかもしれない。

あるいは車両の空気清浄化の能力が
強化されてきたのかもしれない。

なぜか最近はそんな感じもした。

でもよくよく見ていてわかったのは

自分の後ろに喫煙者が乗った場合は
直接煙にさらされ、
そんな人がいない場合は
煙の直撃を受けないで済むわけだ。

後ろに喫煙者がいて
煙にさらされると
自分の衣服はたばこの匂いに
汚染されるというわけだ。

だからこれがなんとかならないかな、と思う。

透明な樹脂の板を
椅子の背もたれのところに付けて
後ろで吐き出された煙が
前の人の頭や衣服にかからないように
して
そのまま天井の空調に跳ね返っていくような「防護壁」は
できないだろうか。

ともかく

たばこを吸っている人より
そのたばこの煙を吐きかけられている
前の席の人のほうが被害は大きい。


その人が喫煙家であったとしても
たぶん自分のはいた煙で自分が汚染されるより
後ろの席の喫煙家からはきかけられる煙で
汚染されているほうが被害は大きいと思う。

であればなんとか人に煙を吐きかけないような
方法を考えてみるべきだろう。

一番良いのは全車禁煙にして
喫煙は乗降口で、としてしまうことだが
それができないとしたら
やはりなにか道具を考えれば良い。

電荷の関係で煙を積極的に吸ってしまう
布などを持参してはいた煙を吸収させてしまうでも良い。


スキューバダイビングの道具のように
常に口にくわえておいて
たばこの煙を吸うのと
はく空気を清浄しながら外に出すのと
両方ができる機能を持った道具があれば良いのにと思う。


そんなの面倒だ、とか、吸った気にならない、という意見は
もちろんあるだろうが

なんにせよ
たばこが世の中からどんどん認められなくなる時代なのだから
早めに対策をつくっておく必要はあるだろう。




2003.4.13

携帯電話の進化はとどまることを知らないようだ。

テレビで盛んに宣伝しているように
ビデオカメラのように動画を収録できる
携帯電話が出てくるに及んで
いよいよ様々な家電が境界レスになってきているように思う。

ただ、PDAと、携帯電話の融合は
融合というよりは
どっちがどっちの機能を先に包含してしまうか、
あるいは
それぞれが到達できない方向に
向かって独自性を出す
、、という状況まで来ているようだ。

コンピュータとしての機能は
やはりPDAのほうが高いように思うが
携帯電話の高度化はスゴイスピードだし
機動性では携帯電話に軍配があがる。

PDAが携帯電話になるというのも
言われたほどではなく
やはり携帯コンピュータの域にとどまっている。

なんといっても携帯電話の所有率が
圧倒的に高いのだから
今後の行方を考えれば
携帯電話がやはり一歩前に出てくるように思う。

案外
それぞれが同じようなものを作り出していくのかも
しれないが、
たとえ同じようなものでも
なりたちは携帯電話から発展してきた、というイメージが
商品、というか商売の成立する上でも
重要なのかもしれない。

で、ここまで携帯電話の機能が増え、
なおかつ小型化も進めば
携帯電話の使い方も
もっといろいろに広がるだろう。

あるいは携帯電話の範疇をはみ出す使い方も
出てくるに違いない。

外部とのデータなんかの接続は
ブルートゥースなんかを使うことに
なるだろうから

携帯電話を物理的になにかにつないで利用するような
やり方や使いかたが登場するのではないかと思う。

いまでも最新のビデオカメラ付き携帯電話は
携帯電話としての使い方以外にも
おもしろそうな使い方があると思う。

ちょっと前に
ソニーのノートパソコンで
大き目のCCDカメラがパソコンのわきに備え付けられた
ものが出ていて
これもパソコンというよりは
ちょっとした個人の放送局としての機能を
持たせる、みたいな提案をしていたが
(実は筆者もそのアイディアにひかれて
このパソコンを購入した)
もっと簡単にそんな遊びかた、使い方ができるはずではある。

たぶん、あと数ヶ月もしない間に
若者のなかからアット驚くような使いかたが
伝わってきて広まってもいくだろう。

東京の若い人達が
仲間うちや町角でどんな使い方を始めるか、
家電業界はかたずをのんで見ていたほうが良い。



2003.4.20

食べ物のテレビ番組をよく見る。

一流のシェフと呼ばれる人が出てきて
上手そうな料理をする。

手際をみていると
なるほどプロの作業は
洗礼されているものだと思う。


ところでこういった人達の使っている道具を見ると
やはりプロの道具だけあって
よく使い込まれているものが多いし
どれもなんとなく使い易そうな形や
色や雰囲気を醸し出しているものが多い。

これはシェフに限らず
大工道具や整備をする人やスポーツ選手や
製造業の現場にいる人など全般に言えることでもある。

で、一流の人はやはり道具にはこだわりをもっていて
大事にもするし使い易い道具にすることや
自分を表現するために道具を
改善することにも貪欲であるとも聞く。

ただ、テレビなんかをみていると
作業や表現をするために必要な道具が
あまりもともとの業界では使われていない道具を
使うこともあるようだ。

さすがにスポーツの道具なんかは専用に作られたものなのだが

料理の世界では
多分違う業界のものを使わざるを得ないのだろうな、というような
ものが登場してくる時がある。

例えば料理使うバーナーがある。

料理に焦げ目を付けるために
金属加工や製造業なんかで使うことが多い
「ガスバーナー」を使っているのをよく見る。

そんな場面を見るたびに
一流のシェフが料理しているのだから
「ガスバーナー」を使っても
味には関係ないのだろうと思う反面

焼き鳥やウナギの蒲焼きをやっているところでは
やはり炭火が良い、と言っているのだから
多分、「ガスバーナー」を使って焦げ目を付けるのは
望んでやっていることじゃないのだろうな、と思う。

焼いたり、焦げ目を付けたりするための
道具として炭火を使って簡単にできる道具があったら
きっと一流シェフは使ってくれるのじゃないかな、と
思ったりする。

一流シェフに限らず
お店で焼き物の料理や焦げ目を付けるような料理を
する料理を出すお店であれば
簡単で費用のかからない炭火料理の道具が
必要ではないかと思う。

あるいは本物の炭火でなくても
それにかわる道具があれば良い。

ガスの匂いなど料理につくことが避けられ
逆に赤外線の効能がうまく利用でき
費用もかからず
効率的な料理が可能になる、そんな道具道具があれば良い。

あるいはほのかに他にかぐわしい匂いが
積極的に食品に付けることができるような方法も
あってもいいかもしれない。

薫製の道具なんてのもあるのだから
あながちありえないことでもない。

今のことなのだから
何か新しい道具を考案すれば簡単にできそうな気がする。




2003.4.27

音楽にそう造詣が深いわけではないから
勝手なことを書いたら意見を頂戴しそうだが、

音楽番組を見ていて
特徴的なことにいくつも気がつくことがある。
もしかしたらビジネスにだって直結する可能性もある。


最近思ったのは
毎日のように売れ筋が変わって順位が変化していく曲が
たくさんある一方で

長い間、一定の順位に定着している曲もあるということで

最近で言えば
NHKのテレビ番組で有名になった
中島みゆきさんの「ヘッドライトテールライト」だったか、
その曲がずっと一定の順番に定着している。

この曲はこの数年に渡って
一定のファンをもっているということだが

例えば曲によっては
一年のある時期に必ず順位の上のほうに
出てくるものがある場合もある。

例えば「クリスマス」関係の曲や
「卒業」関係の曲だ。

当然、こういう曲は
一年のある時期には必ずテレビなんかで流されるわけで
それも例えば「桜の花見」のように
ちょっと長いスパンに渡っているのではなく

時期が12月25日で一杯、とか
3月31日で一杯、とか
確実にスッパリと期限が切れてしまう「イベント」性の
高いものを題材にしているような曲は
結構毎年繰り返して流行るように思う。


「ヘッドライトテールライト」のほうは
そういう感じではなく
経済の低迷や製造業の不振が長びくなかで
日本の製造業の復活を願う
様々な人々による「願い」みたいなものが
この曲の流行る地盤みたいなものにあって

こんな状況が続くかぎりは
ずっと「守護神」ならぬ「ものづくりの御札」みたいな
役割で一定のファンと支持を得ていくのだろうとと思う。

で、こういうことはきっと他にもあって
少なくともある曲が
長い間支持を得ていくには
「国民的イベント」にちょうどはまるような曲を
選定すればいいのだろうな、と思えてくる。

大晦日なんかもはまるはずだが
これはクリスマスのすぐ後だから
あまりに時間が無さ過ぎる。

やはりテレビやラジオで一定の期間に
流れているのが良いと思える。

イベントに対する期待の度合いも
高いことが重要だろう。

国の祝日もその代表的なイベントなのだが
もともと期待値が低いからそうは音楽と結びつかない。

それとそのイベントの時に
何らかの商財が動く、ということも重要だろう。

テレビやラジオで流れるには何らかの宣伝に
結びついていることが多いからだ。

母の日のカーネーションとか
バレンタインデーのチョコレートとかが
それにあたると思うが、

これはなかなか音楽に結びつかない。

母の日につなげた曲というのも
失礼ながらあまり売れるとも思えないし

バレンタインを題材にしても恋愛の曲は日常茶飯事で
バレンタインにうまくむすび付けることができない。

そう言えば「夏」をイメージに売れていると言えば
チューブの曲だけれど
これは考えてみると
8月15日ころのお盆がタイムリミット、と
言えるかもしれない。


何かその年に一日だけある特定の日に向けた曲が考えられないだろうか、、、
初雪や初氷、やその年の最初の北風が吹いた日も
イベントにはなる。

「北風野郎のかんたろう」という動揺があるが
そう言えばこれはそんな時期に集中的に流れてもいたっけ。

「春一番」が吹く日もイベントになると思うが、
これも「もうすぐ春ですねえ」と
それに見合った「国民の曲」がちゃんとある。

こうやって考えてみれば
なにかうまくはまる曲もありそうな気がする。

そう言えば「厭戦歌」「反戦歌」は
世の中が戦争なんかで
騒然とした時に流行ったりするのだが

昨年、「サトウキビバタケ」の曲が流行ったのも
そんなことがあったからなのかもしれない。
(あれは「厭戦歌」「反戦歌」です)

10年に一度「厭戦歌」「反戦歌」が流行るのも
いやなことではあるが
実際、現実がそうなっていることは間違いない。

歌は世につれ、世は歌につれ、は間違いのないことだ。

これから流行る曲はないか、、、多分、、
為政者やアメリカを当てこする歌は流行るに違いない。

そんな気分が実際充満しているからだ、
どんな曲が売れてくるか、今から考えてみても
いいかもしれない。

あとは「イベント日」を目指した曲を
探すか作るか、だが、、、
まあ、このあたりは音楽で飯を食っている人々が
虎視耽々と狙っているのだろうから
そう簡単な話しではないだろうなあ、、

とりあえず
世の中の気分を反映した日や言葉を
考えてみたらおもしろいだろうと思う。

考えてみれば「なんでだろう」なんて
今の日本にはぴったりの言葉ではあった。



2003.5.4

先週の続きをちょっと、、

長渕つよし氏(字を忘れた)の
「カンパーイ、イマ」とか言う歌や
松山千春氏が歌う歌は
誕生日とか結婚式なんかのイベントには
必ず欠かせない歌ではある。

ただ、この場合
結婚式も誕生日も人それぞれだから
マスコミで特定の時期に流しているわけにはいかない。

良いところ結婚式場には必ずこれらの曲の
CDが備えられていること位だろうか。

それでも日本中の結婚式場やなんらかのイベントで
これだけ流れていれば定番の曲になっているわけで
ここから得られる利益ははかりしれない。

武田てつや(これも字を忘れた)氏が歌う
卒業記念などに流れる歌なんかも同じことだ。

こういう曲はすでに「国民的曲」というか
そんなものになっているわけで
春になればうたわれる「春のうらーらーの」とか
冬になれば口ずさむ「ゆーきやこんこ」と
そう変わらない。

音楽で一発あててやろう、と考えるのであれば
そんな曲を目指してみるのもいいかもね。

日本の裏原系ファッションも
マンガやアニメや日本の歌謡曲も
世界に通用しはじめているくらいだから
結構これから日本の文化を背負った音楽も
世界をわたり歩く可能性だってあるかもだ。


ところで
そう考えてくると
日本の音楽なんかでも
きっとこれから世界でも通用するような曲が
きっと埋もれているのじゃないかな、と
思うようになった。

昔の童謡もそうだし
例えば
「ハルーハナーノミーノ」の
「早春譜」といったっけ
あの曲などは
今聞いてみるとなぜか新鮮な気がする。

ほかにももっと日本的な曲がたくさんあるけれど
もしかしてそういう曲が世界に出ていく可能性も
おおいにあると思える。

「千と千尋の神隠し」が
非常に日本的な感覚や価値観で
捉えられていて、それが今回
オスカー受賞になったように
海外でもそんなものが大いに受けた時代に
なりつつある。

古くからの日本の文化や価値観などを
一番評価できていないのが
何を隠そう自分たち自身なのかもしれないと
最近思う。

そう言えば
日本茶だって
上海にやってきていた欧米人たちに好まれて

幕末の日本から
大量の日本茶が海を超えて
上海までもたらされていた、と
最近知った。

結構そんなところにも
ビジネスの可能性も生まれているかもしれないな、と思う。



2003.5.11

毎朝洗顔と歯磨きをするのはみんなの日常だとは思うが、
こんな決まりきった日常であっても
着実にものづくりで進化しているものも目の前に
あったりする。

歯磨きは
数十年前であれば粉歯磨きであったが
今は練り歯磨きになっている。

それも入れ物がチューブになって使い易くなったのだが

この数年で言えば
そのチューブが横から縦になったことがおもしろいと思う。

たいしたことではないように思うが、
この「チューブを縦にして置くことができる」というのは
簡単な話しのようだが
なるほど、よく考えたものだと思う。

結構影響?も大きい。

だいたい洗面台のスペースなんてそうあるわけではないし
歯磨きは家族の好みでみんな銘柄が違っている場合も
多いわけで

チューブを横にしておいておくだけで
相当場所が取られていることも多かったはずだ。

それがチューブを横から縦に置くことができるようになったことで
スペースは広がったし、多分家族のいろんな銘柄も
複数置くことができるようになったと思う。

歯磨きの売り上げに貢献だってしているかもしれない。



で、考えてみると「置き方」ひとつで
スペースとか利便性とかに影響があるものって
結構あるんじゃないかと思う。

洗面台のまわりを考えても
例えば電動髭剃り器がある。

最近は洗浄機能がついたプラットフォームの上に
電動髭剃り器が立てられるようなものも出てきたが

ここまでできていなくても
普通の電動髭剃り器であっても
洗面台の周辺に「立てて置く」ことができるだけでも良いと思う。

あるいは携帯電話もそうだ。

充電器に差しておく以外に
机の上においておく時にも
携帯電話を任意の状態で立てておくことができれば
便利な場合がある。

考えてみれば鉛筆やペンにしても
「ペン立て」ということばがある通り
「ペン」を横にするよりは立てておくほうが
管理なり使いやすいわけだから
「ペン立て」になったわけだ。

「傘立て」もそうだ。
傘を横にして置くことはしない。

多分よほどのことがない限りよこにしておくよりは
縦にしておくほうがスペースとかからみて
便利なはずだ。

横にしておくのはワインくらいか。

お好み焼き屋のマヨネーズだって
縦にしておいてある。

まあ、この場合は中味を出口のほうに寄せておくことも
目的だろうし
歯磨きのチューブが縦になっているのもそんな利便性もある。

しかし、それにしても縦にすることの一番の
利便性は「省スペース」が大きい。

と考えてみれば

その「もの」が一番スペースをとらない姿勢で
置くことができるようにする方法というのを
考えてみたらおもしろいと思う。

テレビは最近は液晶なんかが流行ってきたから
省スペースになってきた。

家庭で一番スペースを食っているもの、
それはたぶん自家用車とベッド、だ。

日本でもベッドを利用する家庭が多いと思うが、
考えてみれば
あれほどスペースを日常的に占有しているものはないなあ。

車だってあれだけのスペースがあれば
ちょっとした部屋もできる。

自家用車とベッドのスペースをなんとか
有効に利用するためになにか考えてみたら良いと思う。



2003.5.18

道路交通法が変わって
一番影響が出たというのは
ビール製造業界なのだという。

考えてみれば当然といえば言えるのだが
いままでのアルコールビール、そんな言い方があればの話しだが、
に対しノンアルコールビールの市場が
急激に広がっているらしい。

だいぶ前から日本の市場に持ち込まれていた
海外ブランドのノンアルコールビールは
前年度比でなんと22倍の売り上げに
一気に伸びたのだそうだ。

モータリゼーションの時代だから
遊びにいったりどんなところにいったりするにも
車で移動することが当然の世の中だが
道路交通法が改正?されたら
つまり飲酒の取締が「きつく」なったら
それに伴ってノンアルコールビールの
需要が高まったということらしい。

ではいままでは一体どうしていたんだ、という話しは
とりあえず横においておくが

いずれにしても
なるほど、こういう市場の出来かたというのも
ありなんだな、と思う。

ノンアルコールビールが美味いかどうか、
あるいは普通のビールの市場を
どこまで飲み込むか、はわからないし
夜の町ではたぶん普通のビールの市場を
ノンアルコールビールが飲み込んでいくことは
まずはないだろうと思うのだが、

とりあえずいままでとは違う市場が生まれたことは間違いない。
いや、違う市場というよりは
いままでの普通のビールの市場を
食って(飲み込んで)しまった、と
いうことでもあるかもしれない。

で、こういう市場のできかたは他の世界でも
きっとあるのだろうと思う。

法律の改正や規制の強まりや
あるいは規制の緩和をきっかけにして
市場ができることもあるし
あるいは
最近はやりの「特区構想」も同じことではある。

というか
「特区構想」というのはもともとは
そういうことを目指しているのだろう。

まあこんどのノンアルコールビールの件は
規制が強まったことで
思わぬところに市場ができたということでは
おもしろい話しではある。


長野県では
こんどの「特区構想」で
三才児を保育所で預かるのを
年度当初までさかのぼって預けることができる、
という「特区構想」を考えて
これが採用されたらしい

つまり最大で二才強から保育所に預けることができる
というわけで
これによって女性の雇用機会もずっと増える、というわけだ。

これに近い話しでは
イタリアの話しがある。
イタリアのある州では同州の重要な施策として
保育所の設立と働く女性のイメージの普及活動を行ったのだそうだ。

実際に他の都市の保育所に預けられる3才児以下の幼児が
全体の0.3%に過ぎなかったのに
同州では12%に達していたのだという。

つまりこれが同州の女性の産業への従事を促し
中小企業の再生に影響したとされている。

なるほど、そんなこともあるだろう。

ほかにも「規制の緩和」や状況によっては
規制の強化が産業や社会に大きな影響を
与えることは多分にある。

例えば筆者が不思議に思うのは
都市の用途地域の指定だ。

この数十年の施策として
町から工場を「追い出し」工場ができないようにし
生産活動を町の機能から分離し
放逐してしまった。
同時に町の中にすめないようにした。

これによって
町では物を作り出すことや
生活することや家庭を作ることや
子供を地域のなかで育てることや
地域そのものを生産活動のなかで創りあげていく機能も
失ってしまった。

日本では「3K」なんて言葉が闊歩するくらいだから
ものを作ったりすることが軽視される傾向にある。

、、、ちょっと長くなってしまった。
続きは来週で。




2003.5.25

先週の続き、、

ものを作ること、生み出すことは
豊かな未来を構想すること、
豊かな社会や町や自分の生活を構想することと
同義語である。

構想力が必要になるし
それを生み出す方法論の構築も必要になる。
ものを生み出すことは
社会にとって最も基本となる行為なのだと思う。
そんなものづくりを
生活の場から切り離し
蔑むことろからは豊かさはもちろん
互いの信頼や尊敬も生まれてこない。

現代のものづくりや価値を生み出すには
他人の協力と構想への参加、
ビジョンの共有や共感が必要になるからだ。

それを行うには信頼と尊敬が基礎として必要になる。


もっと言えば
信頼と尊敬を元に、互いの協力や協働のもとに、
ものや価値を生み出すことができるのは人間だけだ。

信頼が無ければ物を生み出すことはもちろん
「貸し借り」も「約束」もできない。

貸し借りも約束もできなければ
生産活動も産業活動もできるわけがない。
社会も成り立たない。

まあ、それができなくなったのは
例えば現代の金融業界であり食品業界であり
当然それができない産業は自ら存立するための
もっとも基本とすることができないのだから
これはもう衰退する以外にないのだ。

社会から自らの事業の存立する意義を
認めてもらえなくなったり
託されることがなくなってしまえば
事業は存在できない。

日本の多くの中小企業が真面目に信頼を失わないように
生産を行い産業を構築し社会を担ってきたのに
いままで偉そうにしていた業界自らが
国民から信頼を失うようなことしかできないで
そんな産業が国家の重要な仕事、、
お金の貸し借りや産業のための融資や投資を
仮にも任されているとすれば
そんな国さえも危うくなってくるに決っているじゃないか。

話しを戻すが

「3K」なんていう言葉を許さず
ものづくりを大切にし
それが社会や産業や地域や家庭のなかに
ちゃんと位置づくような
仕組みやからくりがこれからは必要になる。

前述のような規制緩和やあるいは規制強化によっても
そんな仕組みやカラクリが
生まれて来易くすることもできるだろう。

ちょっと規制強化とは範疇が異なるけれど
前述のノンアルコールビールが
道路交通法の強化で売れるようになった、というのも
そういうことだと行っていいと思うし、

地場や業界の製品のなかにも
むしろその製品の安全度や機能の基準や
最近で言えば環境適応の設計の要求をより強化することで
むしろ「より良いもの」が生まれてくる
可能性もある。

規制緩和も規制強化もそうだが
ちょっとした制約条件をひねってやったり
機会創出の仕組みを創ってみることで
いろんなものやサービスが生まれてくる可能性も強いのだ。

イタリアの保育所の件もそうだし、
前述の町のなかに工場や生産行為が行われるために
例えば生産の現場と販売や商売や
家庭を構成したり地域社会を構築していくことが本来
融合していて良いはずだったものを
分断してしまった事の元凶ともなった
用途地域の規制の条件を変える、
なんていうのも有効であるはずだ。
そんなに難しい話しではない。

最近の用途地域では
原動機やコンプレッサーの馬力を規制しているが、
もう数十年も前の原動機やコンプレッサーを
想定していても時代遅れというものだ。
すでに数十年前のそれらに比べれば
効率や、特に騒音の面では
はるかに進歩している。
つまり規制をキロワットの馬力での規制から
騒音のデシベルに単位を変えるだけで
一気に工場の設置や生産拠点の広がりが生まれるはずだ。

特区構想で構想すべきはそういうことなのだろうと思う。

そう考えてくると
ノンアルコールビールの件に限らず
まだまだいろいろ可能性が広がってくるのではないか。


例えば長野県では託児所ならぬ
「託老所」という制度がうまれつつある。
オジイチャンたちが自分たちで
協働するコミュニティーの場を確保し
自分たちで自分たちを支えていくやり方で
長野以外でも先進的な町では今様々なところではじまりつつある。
老人福祉の世界では注目されている施策だ。

で、気の早い、目のつけるところが早い住宅メーカーでは
「託老所」用の共同住宅を企画した。
なかなか目のつけどころが鋭い。
すでに販売も始っているようだ。

これなども規制緩和、というよりは
新たな施策が始まることによって
新しい産業や業種や生産物も
生まれてくる、ということだ。

「産業のありよう」は社会や歴史の状況と
関連せずにはありえない。

であるのなら社会そのものが
本来はそっくりそのまま
壮大な「ものづくり」「サービスづくり」「価値創出」
のための「苗床」となっていると考えても無理はない。



2003.6.1

国産の「日の丸旅客機」のプロジェクトが始まるのだそうだ。

もうなんども例の「YS−11」に続く
「日の丸旅客機」開発の話しは聞かれるのだが、
残念ながら実際に飛ばすまでいたった飛行機はない。

自動車の生産は非常に幅の広い産業に
影響のある産業と言うことができるが

「日の丸旅客機」の開発製造も
ある意味ではその国の産業に
様々な影響がある産業だとは思う。

飛行機というハードを作るには
当然ながら
様々な産業とそのすそ野の産業を
必要とするのだが

それ以外にも
その飛行機を飛ばすため、支えるための
「システム」を構築し維持していく産業も
必要になる。

こういうものが高度化し、かつ
大規模化していくことはもちろん賛成だし、

ノウハウが蓄積していくことと
それが
他の産業にも同じように
伝播していくことになるのも
歓迎したいと思う。


ただ、実際にビジネス、となると
結構厳しいだろうなあ、と思わざるを得ないこともたしかだ。

全国の地方空港の利用率は
景気低迷も影響しているのだろう
たぶん、利用率も低く、
航空会社の地方空港を結ぶ路線で
儲かっている路線もあまりないと聞く。

もともと国内ビジネスで飛行機を使う、というのも
あまり一般的ではないだろう。

やはり一番可能性があるのは
観光に利用するということだろうが

これも国内においては今はお気軽観光が一般的で
お金と時間を使う観光は
やはり海外に向かってしまう。
お金(費用)だって最近は海外のほうが安い位だ。

まして国内で観光地まで行こうにも
一日一便ではうまい具合に予定がたたず
利便性が悪いことおびただしい。

ビジネスだって同じことだ。

そう考えてくると
やはり日本の航空業界では
飛行機のハードを考えることと同時に
それを支える周辺産業やソフトを
充実させることが必要になる。

新幹線がここまで日本の産業や社会に
必要とされ地位と評価を確立してきたのも
正確な運行や安全性や他の交通手段との関係や
行き先の都市の産業や社会構造まで
目を配った運行など、、
そのあたりのことがキチンと行われてきたことに
あると言っていいのだと思う。


そう考えてくると
日の丸旅客機の将来性は
こと国内にむけての販売ということでは
なかなか難しいだろうと思う。

ただ、何度も言うように
優れた運行システムや
各地の飛行場とその周辺の観光地なり産業なりと
密接に結びつきや連携を考えた
仕組みづくりを考え出すことは
これは非常に重要なことで
そのあたりまで含めて
おもしろいアイディアやビジネスを
生み出すことができれば
飛行機の需要の高まりや
そのものの可能性も
大きくなっていくだろう。

騒音のことや短距離で離着陸が可能であることや
運行費用の安いことはもち論だけれど
もっと他の優位性が誇れるような
ものがあれば良いと思う。


例えば、、

遊覧飛行というものと
飛行場間の人の輸送というものが
切り離されているが

日本のように飛行場間の距離が狭い地理地形ならば
それを一緒に考えることだってできはしないか。

せっかくのすばらしい景観が日本の国にはあるので
美しい山脈や、きれいな海岸線や
美しい夕日や朝日をみることができて
それが「売り」になる可能性だってあるではないか。

いくら新幹線が優れていても
高速道路で自動車の移動が優れていても

空を飛ぶ優位性は飛行機しか得られないものではないか。

そう言えば

今世界で一番売れている外国製の小型旅客機は高翼の機体だ。
高翼であればお客はみんな下界を見渡すことができる。

今にプロペラ機は充分に早い。
もともと飛行場間の距離が短いのだから
ジェット機にしてもプロペラ機にしても
そんなに到着時間に差はでない。

今の時代だから騒音が低く効率の高いプロペラ機は
作ることができるだろうし
そこにこそ技術の力を生かせば良い。

ジェット機だから高級で早い。
プロペラ機は遅くて低級である、などという認識は
捨てたほうが良い。

それよりも飛行機とその周辺の産業と
どう連携を生み出し
価値あるものを生み出すか、だ。





2003.6.8

ちょうど昨日の深夜のテレビ東京のニュース番組で
国産旅客機の話題を取上げていた。

先週ここで書いたようなことがやはり識者から言われていて
国内の需要はあまりないから
海外で売れるようなものにまで
していかなくてはならないし
なにより販売力が必要だ、だという意見も
まあ、そんなところだと思う。

日本には世界に誇る・総合商社もあるのだから
そのあたりもがんばればなんとかなると思える。

新幹線だって、あるいはいろんなプラントだって
世界中に売り歩いたではないか。

まあ、日本は文字通りの
「トップセールス」があまり上手ではないから
そのあたりは勉強してもらうとして

気になるのは
国産旅客機にしても
いろんな「もの」にしても
日本の開発から商売にいたる流れのもつ問題点として
「仕組み」を作って売る、という観点が
不足しているように思えることだ。

単発の課題については
なかなかうまく物にしていくのだが
どうもそれを含めて「システム」にまで発展させ
システムそのもので売り込んでいくのが下手というか
発想が不足しているように思える。

新幹線なんかはそういう点では
運行のシステムまで含めたビジネスを
進めているようだから
いわばあんな感じのビジネスを
もっと広げていけば良いと思う。

もっと言えば
新幹線の駅ができたことでその街の
再開発まで進展した例は
全国でたくさんでてきたが
そんなところも包含したような
大規模で細かなビジネスモデルも
当然あって良いと思う。


例えば燃料電池自動車なんかも
そういうことが言えて
ご存知の通り
燃料電池自動車は
水素そのものなり燃料となる水素を含有した物質なりを
少なくとも一定の場所に常に確保し
供給できるようにしておかなければ
もともと役に立たない。

いくら優秀な燃料電池自動車ができたとしても
その燃料が供給できるようにしないと
車の運用は不可能になる。

そんなことはもう当然の話しではあるのだが、
日本で本気でそのことをいまから考えているのは
多分トヨタ位のものだろう。

ところで「システム」で商売を
考えるとなると
システムにつながる様々な情報を
どう掴むかが問題になるわけで
そこには今はやりの「RFID」という
電子タグやGPSなんかが重要になる。

で、こういうものを使って
情報を掴んだりあるいはそれに情報を
持たせていくわけなんだろうけれど

例えば人が持つ情報のうち
いつ、どこで、誰が、は電子タグやGPSで
把握できたり情報として使えるようになる。

むずかしそうなのは人が
何をいままでやってきて
何をやろうとしているのか、
を予測したり把握することだろうと思うが、

これも「いままでやってきたこと」は
情報技術を利用し行動の履歴を追ってきたりすれば
わかることもある。

これから何をやろうとしているかが
一番問題になりそうだが
実はこれもこれから人工知能とか
エージェント技術とかの応用が始まれば
きっと可能になるだろう。

この前新聞に載っていたが
ビルのエレベータも
これからは効率的な運用のためにいろいろ考えているようだ。

例えば
エレベータ待ちをする客が
これから行こうとする階をあらかじめ指定する
ボタンがついたエレベータシステムが考案されているそうだが、

これからは
良く使う客、そのビルで仕事をしているような人、を
エレベータが覚えていて
客がもっている電子タグから情報を読み出し
どうエレベータを運行していくかリアルタイムに判断するような
人工知能のようなものが必要になるだろう。

あるいは毎日の時間ごとの利用率や
月毎、あるいは年毎の利用率を分析して
運行を最適なものにすることも始まるに違いない。

コンビニなんかも
過去の履歴の分析から
予測をして商品の品揃えや準備などを
進めている。

当然、これはエレベータやコンビニに限る話しではない。

ところでエレベータの新聞記事に書かれていて
なるほどと思ったのだが
人間が「待たされて不快に感じる」いわば不快度は
待たされた時間の二乗に比例するらしい。

エレベータに限らず待たされて不快になるものは
いろいろある。

交通信号しかり
コンビニや本屋のレジの行列しかり、

こういうものをうまく運用していくための
システムを考えるだけでも
まだまだやっていかなければならないことは
たくさんあると強く思う。



2003.6.15

最近
ノンアルコールビールが
売れている、という話しは
ここで書いたような気がするが、、

これは道路交通法が強化されたせい(おかげ)で
いままでアルコール入りビールを
飲んでいた人は当然車が運転できなかったり
運転して帰宅しなくちゃいけない人が
アルコール入りビールを飲めないでいたところへ
ノンアルコールビールが登場したおかげで
とりあえずビールを飲んだ雰囲気は味わえる、ということで
こんなに流行ったのだということは
容易に想像はつくのだが、

ある意味でこういう「規制強化」が
新たな需要を生み出す、ということはあるということだ。


ところで
ビールの話しが出たついでに
最近テレビコマーシャルを見ていて
へーと思ったのだが
缶ビールの切り口のところに
ちょっとした形状の工夫をしたことで
きめ細かな泡が出てくる工夫をしたメーカーがあった。


なるほど、こういうこともあったのか、と
いたく感激した。

もともと缶ビールや缶飲料は
通常であればビンからコップやジョッキに注いで
飲むところが当然だったところに
缶飲料という形態を考え出して
、、それがいつのことかは知らないのだが、、、
簡単に飲料水を一定量携帯し、コップやジョッキなどを
もっていなくても
飲むことができるようになった、ということだ。

小さなガラスビンの飲料も
同じような飲みかたはもちろんできるのだが
ガラスの重量や安全性や飲み終わったあとの
入れ物の処理、、なんかも
あったのだろうが
結局今は缶飲料が一般的になってしまった。

で、これほど缶飲料が一般的になった、ということは
飲料の入れ物が
ガラスのコップや陶器のジョッキやアルミの缶や、
そんなことはあまり関係ないこと、と
考えて良いということなのだろうと思える。

それでも
その飲料を一番良い状態で
飲めるようにする工夫は必要なわけで
今度テレビで宣伝している缶ビールは
泡が立ち易いような工夫をしているということになる。

で、そんな工夫は考えてみれば
たくさんあるのだろうと思える。

例えば良く考えてみれば
誰も缶飲料のあの切り口に唇をつけて
飲むことを
積極的に良いとは思っていないはずで

あの切り口の部分に
唇を当てた時にその飲料を飲むことの
嬉しさや楽しさやウマサを増長するような
工夫があって良いのではないか。

陶器でできた簡単な飲み口がついているとか
あとから簡単にそんなものが付けられるとか
(もともとわけのわからないようなおまけを付ける
    飲料水があるくらいなのだから
   それくらいはできるのじゃないか)

あるいは形状だけでもそんな工夫があって
良いのじゃないかと思える。

蓋全体を安全にはがして
あたかもコップやジョッキのようにしてしまう
やり方だってあるのじゃないか。

カップの清酒がガラスのカップに
アルミの蓋を被せた形で流通させているように
同じようなやり方だって考えてもいいかもしれない。

飲み口のことだけではない。

アルミの缶でも
今のことだから
表面の処理やアルミの材質の工夫によって
ビールだったら暖まり難い
温かな飲料だったら冷め難い
そんな工夫をすることも可能だろう。

そう言えば
清酒のカップで
「澗番娘」というのがある。

石灰をうまく利用して
その場で燗を付ける工夫をしたものだ。

あれだって場所によってはとても重宝した。

さすがにその場でもっと冷やす方法をビルトインした方法は
価格に跳ね返るからそう簡単ではないが

少なくとも缶の表面処理やアルミの材質で
簡単には暖まり難く
冷えている時間が長くなったりすれば
それは良いことだと思う。

あたりまえだと思っていることが
良く考えてみると
ただそれがいままでの延長で行われていることって
たくさんあると思う。

そんなところにちょっとした工夫をすることで
食品や飲料であれば
よりうまく飲めたり食べれたりすることができるのであれば
それはまたその価値をより高めることでもあるはずだ。




2003.6.22

狭い日本でも
東西南北、それなりに
気候も違えば文化も違う。

先日上越地方に行く用事があって
高速道路を走る機会があった。

その時
上越地方のスキー場があるような雪の多い地帯は
民家の屋根が独特の形をしていることに気がついた。

左右の傾斜はもちろんあるのだが
てっぺんのところに
もう一段、急な傾斜が
ごく短い距離だがついている。

いわば傾斜が二段になっているのだが
尖っているほうは
屋根の傾斜というよりは
先端に飾りのようにあるいは部品のように
ついている、といったほうが良いかもしれない。

なぜこんな形をしているのだろうとしばらく
考えて合点したのだが
これは多分尖っている先端部分で屋根に積もった雪を
左右に分断し雪を屋根から落とす役割をもっているのだろう。

日本の多雪地帯では
冬場の屋根の雪下ろしが
地域社会や個々の家庭にとっても
非常に大変な作業であると言われている。

その地方独特の方法で雪下ろしをしているようだが
この屋根の造形で雪下ろしの仕事を
楽にしているのなら
これはとても合理的な発想だろうと思う。

で、だいたい、多雪地帯の雪下ろしに限らず
その地域の風土や気候が
その地域の建築物に大きな影響があって
結果、そこから生まれ育った建築物や
その造形が変ったものであったとしても
無視できないほど合理的なものである
ことが当然ではあるのだろうが、多い。

あるいは風土や気候に限らず
その街の文化や歴史にも影響され
研ぎ澄まされてきたものさえあるのだろう。

で、これは仮説だが、
多分狭い日本とはいっても
同じような気候や、そこから派生する問題点を
解決する方法は同じものになっているかというと
結構異なる方法に収まっていることも多いのではないか。

というか、細かく見れば
どんな地方も必ず独自性があるはずで
解決方法もどこかしら異なるものに
ならざるを得ないだろう。

簡単に言えば雪の質だって
日本中の雪の質を細かく見ればそれぞれだいぶことなっている。

気温の日格差も異なるだろうから
屋根の雪下ろしの方法も異なるのは当然だろう。

でも、逆に考えれば
他の地方で行われている方法を
他の地方で使って便利なことも多分多いに違いない。

これほど交通網が発達したり
建築に使われる資材も
建築に使う技術も
変わってきているのだから
もう一度その地域独特の建築方法や
あるいは自然からもたらされる様々な問題や
困難を解決する方法論も
変わってきて良い。

というとすぐ
最新の建築方法だとか建築資材を使った
プレファブ住宅で良い、という話しになってしまうのだが

日本中が画一的なプレファブ住宅になっていってしまうのは
なんとも寂しいことではある。

歴史や自然に鍛えられた独特の造形を
捨て去ってしまうのは寂しいことだし
これからはそんなことはするべきじゃないと思う。

であれば
日本中に残るその地域の織り上げてきた
独特な造形や建築美を
今からでもきちっと残しておく必要があると思う。

なかにはそれがプレファブ住宅メーカーの
「カスタマイズ」にも応用されていっても良いと思う。

というか
プレファブ住宅メーカーも
最近は規格大量生産の
画一的な住宅を作る、というようなやり方から
お客の要望に合わせた住宅建築を
実現する方向に変わってきている。

これをもっと高度に進め
地域の持つ独特な造形や合理的なアイディアを
生かすことができるようになれば良いのだと思う。

地方の建築を生業にしている例えば中小企業の業界も
そんなことをヒントにして
その地方のアイデンティティーにあふれる
コンセプト性の高い住宅規格を
業界独自で考え出していったらいいのじゃないかと思う。



2003.6.29

先日、郊外レストランに行って食事をする機会があった。

いくら外食産業が不況であるとのことでも
良い立地と良いコンセプトのお店には
お客はひきもきらず来ていて
ここでも「勝ち組、負け組」、がはっきりしているようだ。
あまり好きな言葉じゃないけれど、、。

で、最近の郊外型レストランに行って思うのは
お客の要望に応えようとしていることが
非常にはっきりと見えることだ。

同じカツドン定食をお願いしても
最近はご飯が白米だけではなく
例えばとろろかけご飯や混ぜ物をしたご飯を
「オプション」で
注文することもできるようになっている。

カツドン定食に限らず
ほぼすべてのメニューが
一種類の選定だけではなく
いろんなオプションが用意されていて
そこから細かく自分の好きな構成を
選ぶことができる仕組みになっている。

それはそれで良いことだろうし
個々のユーザーの嗜好に合わせた
ものやサービスが実現されることがこれからの
方向であることは間違いないことだろうから
けして否定はしないのだけれど

実際、その場になると
注文がとても煩雑になったり
従業員のひとだって
いくら情報端末をもっているからといって
一人ひとりの注文を
こと細かく注文を受けることは
けして楽な作業ではない、と思えた。

実際、その時も
何人かの友人たちとレストランに入ったのだが、
非常に細かい注文、それはメニューに
書かれているのだから
お客さんの選択としては間違いない作業だとは思うのだし、

従業員が「ご注文繰り返させていただきます」
という言葉のあとでもう一度注文を復唱する作業も
行わなくてはならない作業なのだが

こちらの人数が多かったためももちろんあるが
それにしても処理が煩雑にすぎる。

案の定、料理ができてきても
注文した人に注文した通りに
料理が配られるまでがとても煩雑だった。


注文の復唱時に
その注文をした人の顔を見ながら復唱したから
多分その情報端末には
一人ひとりの注文が分けて記憶されているのだろうと思っていたが

結局料理が運ばれてきても
お客と料理がいちいち確認しなくてはならないところをみると
その情報はリンクはしていない。
多分、その従業員の記憶で顔を見て復唱していたのだろう。

記憶力のある従業員なら
料理ができて個々のお客さんに配る時にも
覚えておくこともできるだろうが
実際そこまでは無理だろう。

まあ、料理が運ばれてきたら
この料理はどなたでしょうか、と聞くことが
いままでであれば行われていたわけで
それで良いといえば言えるのだし、
人数が小人数なら
そんなことも多分問題にはならないのだろうけれど
良くみていると
グループで来ているお客さんも結構多いこと。

いずれにしても小人数大人数、
それぞれがオーダーに近い注文をするば
情報量は飛躍的にあがるから
こういう場合にあった注文と料理の
システムを作っていかなくてはならないだろう。


で、それを簡単にするにはどんなシステムがあるだろう。

最近はやりの御客さんの机の上に
パソコンのタッチパネル画面を置いて
押してもらう、なんていうのは
多分これからは流行らない。

やはりそこは人間の介在する仕組みが必要だと思う。
問題はそれを補助する仕組みが必要であることで

情報端末の高度化を進めて
「メニュー」との連動、
座席位置情報の取得、

などができれば良いと思う、


でもなにより一番重要なのは
接客サービスそのものなんだろうな、というのでは
おちにならないのだが、

システムを作って合理化していたつもりが
お客さんにとっては
むしろ不便になってしまっているものは多いと思う。
そんなのに限って無人化省人化を目指しているようなものが多い。

より多様で細かな要求がどんどん複雑になる時代には
作業者の感性みたいなものを
精一杯手伝いし応援しながら
それに応えられる仕組みが必要な時代なのだろうと
レストランで注文をしてみただけでそう思った。




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