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その21



2002.10.6

最近、テレビでまた注目されている企業が
ユニクロとキョウデンだ。

ユニクロは昨年までの
中国で安価で品質の高い衣料品を
製造して日本に持ち込み販売するというビジネスモデルで
一挙に市場を拡大して史上空前の利益を稼ぎ出した。

同じようなビジネスモデルを始める企業が相次いだり
市場で満腹感が出てきたことで
今年は一服感が出ているが
昨年末からイギリスにお店を出したり
最近は中国にお店を出したりして
いままでとは異なるビジネスの展開を目指してもいるようだ。


キョウデンはプリント基板の製造メーカーだが
今は長崎屋の再建と99円ショップの買収と
話題にことかかない。

製造業以外であればむしろそういう販売店の買収などの
話しのほうが有名になりつつある。

最近東京で名前が売れてきた「ナカヌキヤ」は
もともとキョウデンが買収した99円ショップだ。

キョウデンはもともとプリント基板の製造メーカーになる前は
町の電気屋さんだったことは有名だ。

会社の名前も「今日から電気屋」というのを縮めて
「キョウデン」とした、という逸話も本当らしい。

ところで
両者ともお客の必要とすることを考えて
商売を広げてきた、という点では共通点が多い。

キョウデンは後から商売に手を広げたし
(もともとが商売、をやっていたのだが)
ユニクロは後から製造部門を強化した。

両者とも自分がメーカーだとか商社だとか、には
きっとこだわっていないのだろうと思う。

あえていえば価値製造販売メーカーだ。

それもまだ進化していて
キョウデンはリサイクルまで考えているふうがあるし
ユニクロもフリースのリサイクルまで考えている。

あとは企画開発とブランドだけだと思えば
両方とも企画開発はやっているし
ブランドももっている。

ユニクロはきっとブランドをもっと多彩に広げていくだろうし
キョウデンももっと多彩なブランドを持つだろう。

長崎屋はすでにずっと昔から良質な「長崎屋サンバード」の
ブランドをもっているし、

その内には「ナカヌキヤブランド」だって出てくると思う。

プリント基板を中心にした情報家電では
いっときはソーテックを傘下にいれていたが
いまだってパソコン販売のブランドをしっかりともっている。


とまあ、
この話しは今日のコラムでいろいろ書いていこうと思うが、

とりあえず
製造現場と販売がどんどん接近していくことになるだろう。

それもそこにいる人の間だけでなくて
システムの上で行われる部分も当然出てくる。
人が介在しなくても正確に送ることだできる
情報の種類と道具があればなにも人に頼らずとも良い。

とすれば
そこに製造のための道具
生産設備のありかたは大きく変っていくだろう。

とりあえず筆者が住む長野の諏訪地域では
「デスクトップファクトリー」というい概念で
新しいものづくりのやり方、道具を
地域の企業群で考え研究しているのだが

それと一緒に
現場とお客さんをつなぐ道具、というのが
これから重要になっていくだろう。

もちろんそれにはインターネット・コンピューターが
重要な役割をはたしていくはずだけれど

それ以外になにか「つなぐ道具」というのが
どんどん提案されて良いはずだ。

もちろんそれにはどんなビジネスを行うのかという
ビジネスモデルそのものの提案と発想が必要だ。


例えば
衣料品でいえば
これからはできるだけオーダーで衣料品をつくる、
という時代にもなるだろうから
その情報を素早く生産現場に送ることが必要になる。

寸法を取って送ることになるから
これからは
ネットワークにつながった「メジャー」というものが
必要になる、かもしれない。

あるいはこれはネットワークにつながっていなくても
コンピューターに直接接続されていて
体の寸法を計ったら
すぐにコンピュータに情報を入力して
それを形にすることもできるようになるだろう。

あるいはなにかの使用量をネットで
リアルタイムに確認して
消費者が気にかけなくても
例えば醤油とか、コーヒーとか、燃料とか
そんなものが不足してきたら
自動的に連絡がいくようになっていれば良い。

もっとも今でも水道とかガスの検針なんかを
インターネットでも行えるのだからそんなに
難しい話しではない。

いろいろアイディアを出していけばきりがない。

例えばいろんな教育とか練習とかにも使える。
なんらかの習熟度を計る場合に
ネットワークでどんな程度なのかを
その練習したりベンキョウしたりする器具そのものに
センサーの機能がついていれば
遠隔地であっても指導者の指導をうけることも可能だろう。

音とか画像で送ることができるようなものであれば必要でないけれど
例えば「力」とか「反復した作業の習熟度」とか
そんなものだったらそれなりのセンサーが必要になる。

要はそういうことが確認できる多様なセンサーが
必要な時代になるということだ。

いままでだったら確認できなかったような
情報まで確認できるようなセンサーが
これから必要になっていくだろうし
そういう技術そのものがこれからたくさん出てくるに違いない。

これも重要なビジネスそのものだと思う。




2002.10.13

コンビニで売られているおにぎりには
いろんなパッケージのやり方がある。

昔流行った中のフィルムを引き抜くタイプは
最近あまり見なくなった。

赤く細いフィルムを引っ張って
真ん中からフィルム全体を半分にするタイプが多いように思う。

それ以外にも「しっとりしたおにぎり」は
すでに海苔が巻かれた状態のまま
フィルムに巻かれていて
それを真ん中から二つにするタイプになっている。

おにぎりのパッケージは
それだけで実用新案だか特許の固まりで
昔のタイプなんかはあれで一財産築いた、なんて話しも
聞いたことがある。
本当だったかどうかは知らないが、
知的財産だったことは間違いない。

包みかた一つでも
それが簡単であったりなんらかの優位性や便利さがあって
新規性のあるものであれば特許にもなるということだ。

であればおにぎり以外にもいろんなパッケージの考え方を
生み出してみることはおもしろいだろう。

いままではおにぎりであれば次はサンドイッチだ。

サンドイッチもすでにいろいろなパッケージが
考案されているがいまいちな気がしている。

なぜかと思って考えた。

たしかにパッケージそのものはそれなりにうまくできていて
別段不便は感じない。

でもなにかが違う、と思っていたら、
そうか、せっかくの食パンなのに
妙にしっとりしていて
まあ、これで良い、という人も多いのだろうが
おにぎりのようにパリパリの海苔が巻かれたおにぎりが良い、と
いう人もいるのだから
サンドイッチも食パンのフワフワ感が
そのままに食べられるサンドイッチがあって良いはずだ。

やり方はいろいろあるだろう。

基本的にはおにぎりのように食パンと具が別々になっていて
食べる直前に重ねるやり方が良い。

たぶん、製造時から重ねてしまうと
どうしても水分を具から吸ってしまうから
やはり食べる直前に重ねるのが良いだろう。

水分をどんどん放出したり吸収してしまう
ラップやフィルムの材質もあるかもしれないが、
具の水分まで飛んだり吸収してしまって
パサパサになってしまってはもともこもない。


2002.10.20

先日出かけていて
ある建物に入った。
そのあと隣の建物に移動したのだが

その間に設置されてる「アーケード」を通っていて
おもしろいことがあった。

アーケードは雨がふっても濡れないように
雨を防ぐために屋根が付いている。

ちょうどカマボコのような円筒を二つに切ったような形状で
その下を歩いていく。

隣にいた人と話しをしていたら
お互いの声がやけに声が大きく聞こえる。

当然その屋根の形状が集音効果、というか
音を真ん中に集中させる効果があるためであるのだが
意外なほど大きく響く。

あれであれば大きな声を出さずに
会話をしながら歩くことができる。

うまく考えれば隣同志だけでなく
前方や後方にいる人にも
効率よく声が聞こえるかもしれない。

いや、もっと考えれば
アーケードに限らず
室内やいろんな場所で声を届けることもできるかもしれない。

スピーカーも小型なもので
より遠くに音を届けることもできるだろう。

以前から指向性スピーカーのことを
ここで何度も書いたことがあるが
それと同じことができると思う。




2002.10.27

高速道路のサービスエリアで
清涼飲料水を買うことは誰でもあることだ。

一個所であれだけ自動販売機が並んでいるのだから
全国のサービスエリアに並んでいる自動販売機の
数を足せば膨大な数であるに違いない。

そしてもっと知りたいと思うのは
あの自動販売機のしたに落とされてしまった硬貨の総額が
全国でどれほどのお金になるだろうか、ということだ。

誰も考えたことはないだろうが
たぶん相当な金額になるだろうことは
予測できる。

そのお金がどこにいくかも気になるところではある。

まあ、そんなことはどうでもいいが、(よくないか)
それにしてもたまに硬貨を落として
自動販売機の下に飲み込まれてしまった場合は
気分はよくない。良いはずはない。

あれはなんとかならないか。

たぶん係りの人に言えば
なんとかしてくれるのだとは思うが
そんなことしなくても
自動販売機の下に硬貨が転がり込まないように
カバーがあればそれで済むではないか。

あれを全国の自動販売機に装着するだけでも
相当な数と製作数になるに違いない。


ところで高速道路にサービスエリアに設置してある
自動販売機だが、

もっとそれなりの工夫があれば良いのにと思う。

だいたい、どこのサービスエリアでも
自動販売機同志が向き合っているところが多い。


お客さんはトイレのほうか
販売店のほうか、どちらからか歩いて
自動販売機のあるところまでやってくる。
で自動販売機の前をうろうろして
自分の興味がある商品を探して購入する。

であれば
歩いてくる人に向かって
もっとアピールするような形の
自動販売機にすれば良いのに、と思う。
少なくとも商品見本のある上部のケースのところは
正面だけでなく
歩いてくるお客さんに向かって見せるような工夫が必要だ。

鏡を利用したりプリズムを利用したり
商品を様々な方向から見せられるような
仕組みを考えれば良い。

ほかにもいろいろ工夫する余地はある。

例えば匂いや音の利用なんかはこれから有用だと思う。
ウナギ屋だけの専売特許じゃないのだから
少なくとも清涼飲料水を飲みたくなるような
匂いや音があればそれだけで売り上げだって
ふえるんじゃないのかな。



2002.11.4

工作機械見本市に行ってきた。
内容に対する感想はまたいずれ詳しく書きたいと思うが、
全体として感じたことを書けば

一部の高度な工作機械や工具等を開発したり
テーマを明確にして開発等を行っているメーカーなどは
比較的元気で、それなりに御客さんを集めてもいたが

そういうものが明確でないところは
お客さんもあまり訪れていないようで、
全体としてはそんなブースが多かったように思え、
客数も雰囲気ももう一歩盛り上がりにかけている、
そんな気がした。

やはり日本の製造業の迷走状態が
そのまま会場の雰囲気に現れているという感じだ。


当然、工作機械だって
自動車や家電と同じことで
いずれ中国やアジアの工作機械が
安価で高性能をうたい文句にした工作機械を
世界にむけて送りだしはじめるだろうから

そこの部分で戦っているメーカーは
近いうちになんらかの方向性を模索しはじめることは
必至になるだろう。

もちろんみるべきブースも多いこともたしかで
やはり高度な技術や精密さでは
たぶんいまだ世界の先を走っていると思える。

一つの方向はそういう高度化のための機械を
目指す方向であろうことはたぶん間違いない。

それがそこそこの価格で国内に供給されるようになれば
それはそれで良いことに思われるのだが
たぶんそうなれば海外でその機械を使って
同じようなレベルの仕事は始めるだろうから
これはどこまでいってもいたちごっこでどこかで
いままでとは異なった方向を
早晩、見つけ出さざるを得ないことになる。


まあ、そんなことはともかく
今回のJIMTOFで興味深かったのは

どこまで小径の穴あけができるようになったかとか
微細加工ができるようになったか、ということと
段取り時間やロスの短縮にむけてどんな提案があったかということ、

そして
工作機械等の情報技術の応用がどこまで進んでいたか、を
見たことだ。

微細加工の進展と段取り時間の短縮はともかく
情報化の進展では
ITバブルの崩壊、という文句に踊ったせいでもないだろうが
工作機械などに関しての情報技術の応用というのは
前回のJIMTOFから進んだのかと言えば
はっきり言えば「進んでいない」、というのが正直なところだ。

単体の工作機械においては
扱い易い制御装置などもどんどん開発されてもいるようだが
それらをネットワークする、ということは
少数では提案されていたが
全体としてはまったく、といっていいほど
提案されていなかった。


一番情報化の進んでいたのは
実は会場の入場管理のシステムと
ブースの御客さんの管理のシステムだろう。

これらはすでに結構な部分まで一元化されていて
昔みたいに名刺をたくさんもっていくこともなければ
いちいち名前を書いたりすることもない。

ブースでカタログを請求したり
訪問を登録するのも
名刺は出さず、首から下げたカードを
各ブースに置かれた二次元バーコードリーダで
読ませればそれで良い。

首から下げたカードには訪問客の
住所や電話番号などの一次データは
たぶん書かれていないはずだから

それを主宰者の持つ全体のお客データと照らし合わせて
あとから訪問客のデータをまとめてもらうことになっているのだろう。
(出展者のかたで知っていたら教えてください)


まあ、こうなれば
近いうちには携帯電話の応用も始まるだろう。

自動販売機でジュースを買うのに携帯電話を使うのも
始っているのだから
カタログをもらったり訪問記録を残すのに
携帯電話を使うのはそんなに難しい話しではない。

そのうち入場するのも携帯電話を使うことも始まるかもしれない。

で、あればもっと携帯電話を
利用することを考えたほうが良い。

アンケートや道案内やブースの案内や、
ほかにも結構おもしろそうなアイディアは
いろいろありそうだ。

ところで携帯電話がこうやっていろいろに
使えるようになってくると
やはり問題は入力や外部との接続を
どうするか、ということだ。

いまでもいろんなものがないわけではないが、
もっと簡単で発展性のあるやり方がないだろうと思う。

特に印刷物との整合性ではもっと簡単で安価なものが
必要になると思う。

バーコードリーダーがくっついたら良いと思うが、
これはそろそろ出てくるだろう。
ただし結構高価なものだろうからもっと簡単で安価なものがいい。

たくさんのスリットのあいた硬質の紙を
携帯電話に接続された「棒」のようなものでこすると
デジタルデータ化されるなんてものであれば簡単で
安価で良いと思う。

スリットの幅の大小でなんらかのデータを表現するか
なんらかのデータのフォーマットを考え出せば良い。

ただ、これはスリットをつくる工程が印刷物のコストをあげてしまうから
やはり印刷でできるものが良い。
となるとやはり一番最初のころのバーコードと
そのリーダーが良いと思う。
あれであれば小型で安価にできそうだ。



2002.11.10

この前新聞広告を見ていて
なるほどと思った。

ある情報家電メーカーが販売を始めた
パソコンにつなぐ液晶の表示装置なのだが
これが背中あわせに二台がつながっているのだ。

画面が背中あわせだから
二人で面とむかいあって話しをしながら
一方を誰かに見せても
自分はもう一方の画面を見て
話しをすることができるから

一つの画面を二人で覗きこんで話しをするような
無理な姿勢をとる必要はない。

これはそういうビジネスをしている人なんかにとっては
とても良いと思う。

そうだな、
カウンターをはさんで商売しているような
旅行代理店だとか、
いろいろそんなシュチュエーションはありそうだ。


これに近いのは
以前、仲間と考えたことがある。

透明な液晶画面を両側から見るようにすればいい、と
以前考えたことがある。
まあ、これは片側の人は
画面を反対からみなくちゃいけないのだが
なにかの説明を相手にする分には自分は反対の画面を
みるくらいであれば充分つかえる。

で、これはそんな話しをしているうちに
雑誌にまったく同じようなものを
IBMが開発している話しが出ていて
立ち消えになった。

でもその後商品になった、という話しは聞いたことがないから
もったいない話しだ。

最近では、液晶画面が二つ付いていて
それがピボットを中心してそれぞれ方向を変えられたり
その中に写っている画面をつなげたり
同じものを映したりすることが任意にできる
ようなパソコンが発売される記事を雑誌で読んだ。

これだったらいろんな使いかたができるから
なかなかおもしろいと思う。

でもいずれにしても画面が二つあったりしても
それを一緒に使うという場面はめったにない。

カウンターごし商売専用のコンピューターであれば
それはいいのだが
持ち運びする個人のパソコンであれば
そういう場面はそうあるものじゃない。

でもどこかで相手に見せる時に
プロジェクターのようなおおがかりなものではなく
持ち運び簡単な別置き液晶画面があれば便利だと思う。

相手にそれを見せて自分はパソコンのキーボードの側というか
メインの画面を見るか
自分がそれを見て相手には自分のメインの画面を見せるかは
選択できれば良い。

接続は今のことだからUSBとかになるのだろうけれど
もっと気軽に使うのであれば

CCDカメラとそれに接続された液晶画面が別にあって

CCDカメラで自分のパソコンの画面を写して
それを自分なり相手に液晶から見せるという手もありそうだ。

もっと簡単に行うなら
向こうに向けた画面のちょっと先に
鏡を付けて
そこから画面をこちらに向けて
屈折させて見せるような工夫もあっていいと思う。

向こうの画面を見ている人からはその造作が
邪魔にはあるだろうが
画面の下のほうにうまくつけて
画面の背中にあたるこちらのほうでは
上から鏡を覗き込むような位置関係なら
できないことはないだろう。

鏡を凹面鏡・凸面鏡にして
液晶画面の上のあたりにその画像を映し出す画像表示面を作って
そこに映し出すことができたら尚良い。


そう言えば工作見本市に
プロジェクターから投影した画像を
ガラスの裏から投影して
表から見えるようにしたブースがあった。

鏡は透明ではなくすりガラスのようなフィルムをはってあったが
それがなんらかの機能をはたしているのだろう。

この場合、表に立つ人の陰が画面の表示の邪魔に
なることもないからなかなかおもしろいと思った。

また、コクヨのミミオという装置があるが
(今更どんなものかは説明しないが)
これと併用すればきっと便利だ。

ガラスの上にマジックで書き込むことはもちろんできるし
それをデジタルデータとしてパソコンに取り込むことも
ミミオの機能を使えばできる。





2002.11.17

おもちゃメーカーの「タカラ」の
犬語翻訳機「バウリンガル」が売れているそうな。

本当に犬語が翻訳できるかどうかは
問題ではなく
こういうものを着想して創って売りはじめた、というところが
たいしたものだ、と思う。

こういうものは
従来からの産業観からはなかなか出てくるものではない。


で、犬語の翻訳機があるのなら
ほかにもなんだってありだと思える。

二番煎じはだめだという意見もあるだろうが
ええい、こんな時代だからなんでもありだ、というわけで


バウリンガルにそういう昨日が付いているかどうかわからないが、
犬語を翻訳してくれるのなら
日本語を犬語に「通訳」してくれる道具があっても
もちろん良いな。


宇宙人の言葉の翻訳機なんてのもありそうだが
犬と違って宇宙人はそこらにはいないので

いたとしてもきっと人間に化けていて
地球の言葉をしゃべるだろうから
宇宙語翻訳器はいらないだろうな。

でも、宇宙人みたいな奴、だったら
町を歩けばいくらでもいるので
そういうやつの言葉を翻訳したり
あるいはこちらの言葉を通訳してくれる機械があれば良い。

世代が異なると言葉も通じなくなるので
そんな翻訳機や通訳機械があっても良い。

世代が異なると言えば
上司からいじめられていて
うらみつらみをいいたいOLのみなさん用の
なにかツールはないだろうか。

これは翻訳機や通訳機械というよりは
「王様の耳はロバの耳」のような
うらみつらみを聞いてくれる機械みたいなものが良い。

そういえば「シーマン」という
なにやら不気味な人間の顔をした魚が
コンピューターの画面の向こうから
なにか勝手にこちらにしゃべりかける
わけのわからん、でもなかなか優れたゲーム、のようなもの、
があったけれど
あんな感じで
OLが上司の文句や恨みつらみを
なにかに言いつけると
慰めの言葉とかなにかを言ってくれるような
ものがあってもおもしろいと思う。

いやいや案外それはOLではなく
いじめられっぱなしの
おじさんたちにうけるのかもしれない。


まあ、いずれにしても
いままで通じることがないとされていた人同志とか
動物同志とか
あるいは動物ではなく
ものと人間との間で
通信というかコミュニケーションをはかる道具があっても
いいのかもしれないな。

身近なところでは
自動車やバイクなんかは
そんな機能があっても良いと思う。

掃除をしなかったら
「たまには洗ってくれよ」と言ったり
急ブレーキをかけたりすると
「おまえいつまでたっても運転が下手だな」とか
そんなこと言ってくれる(いいやがる)車とかバイクとかがあって良い。





2002.11.24

いよいよ寒くなってきたから
鍋焼きウドンでも食べたいと思う。

で、アルミの簡易鍋に入った鍋焼きウドンを
コンビニから買ってきて
ガスレンジの火にかける。

ちょっと用があってレンジから離れていると
煮すぎてしまってこがしたり、

そんなことはだれでもしょっちゅうあるとは思う。

レンジの火の管理は結構気を使う。
煮物でもお湯を湧かすだけでも
忘れていると危ないことになる。

考えてみると「火」を使うことは
普通の生活のなかでは
「車」のなかの内燃機関の「爆発」と
たばこの火と、レンジの火、くらいしかない。

車はこの100年あまりで人間が制御するに
問題のないもの、危なくないものになってきたし
そのうちには電気自動車になるだろう。

たばこは喫煙者はどんどん減っているものの
寝たばこは依然として危ないものだし
裸の火をくゆらせていること自身は
考えてみればケシテ安全な行為とは言えないと思う。

レンジは電気のレンジが登場して
だいぶ普及してきたから
いずれガスレンジなんかもなくなっていくだろうとは思うが、
依然として危ないものの一つだろう。


寝たばこの危険性についてやあるいは
最近外でたばこを吸うと怒られる時代になったから
どうやったら喫煙が周囲に迷惑をかけずにできるかを
考えたりすることはおもしろいと思うが、
またいずれ考えるとして


とりあえず
レンジで火を使う場合の危険度を減らすにはどうしたらいいか、を
考えてみたら良いと思う。

最近のガスレンジもだいぶ進化してきていて
吹きこぼれや過加熱してから炊きなんかをした場合は
自動的に停止するなど、結構いろんな機能がついている。
でもここまでに至るまえに安全で使い易い機能が欲しい。

例えば
煮物でもお湯でも火が通る寸前に
ちゃんとブザーかなにかで教えてくれれば良いと思う。


問題は火を入れる対象物によって
時間がまちまちであることで
例えばタイマーを使うにしても
一体、どれくらいで火が通ったり炊きあがったり
お湯が沸くかわからないことにある。


お湯を湧かすのは
蒸気の力で「ぴー」と音がするやかんがあるが
あれは考えてみるとよく考えられていると思う。


あんな考え方で
お湯が湧いたり煮物に火が入ったりしたことを
認識できれば良いと思う。

簡単に考えれば
外部に画像による温度センサーをつけておいて
温度を監視して
100度よりちょっと下の温度になったら
ブザーを鳴らすとかすれば良いだろう。

もっと簡単に考えれば
火をつかっている間はキッチンから音楽でも
あるいは主婦に注意を喚起する音や
よびかけ音がすれば良いと思う。

まあ、音楽では耳につかないと注意にならないこともあるから
やはり注意を促す音や呼びかけ音が良いと思う。

コックがひねられていてガスが出ている間は
それなりの警告音がする、というのが良いと思う。

そんなものであれば作っても費用も高くないだろうし
直接にガスを止めたりするわけではない道具なので
クリアしなければならない法的問題や規制も
比較的簡単にクリアできるような気もする。

ところでこういった「レンジ」だけれど
どれも共通することがある。

鍋ややかんを載せる部分よりも
コックなどがついている操作パネルのほうが
下についているということだ。

これは吹きこぼれなどがあると
パネル部分が汚れていくことを意味する。

最近のガズレンジは機能をいろいろつけるかわりに
パネルが複雑になってしまって
カッコウが良いのだが
そのわりに実際つかっていくと
汚れとかに配慮が足りないと思えてくる。

昔からのコックをひねってパッチンと火花を飛ばして
ガスに火をつけるタイプのほうがよかったと思えることも多い、

さすがに鍋を載せる位置よりもパネルの位置を高くすることは
火の影響などを考えるとできないと思えるが、
そこをなんとかならないか。

少なくともパネルによごれがつかないための方法は
考えたほうが良いと思う。




2002.12.1

飼っている猫が何匹かいて
なついているのもいれば
なかなかなつかないのもいる。

こちらはケシテいじめているわけでもないし
できればなついてもらえば良いとは思っている。

なぜなつかないのかはいろいろ訳があるのだろうけれど
飯の用意をしてあげていない、というのが
もっぱらな意見で
まあ、たしかにペットに飯をやったことは
あまりないなあ、、、

でも、それよりも思ったのが
やはり体格から来る威圧感なんじゃないかと思ってもいる。

それなりに大きな体でまして
眼鏡をかけ声も大きく太い「威圧感」のある人間は
やはり猫やペットにとっては
思わず避けてしまうような対象なのではないか。

で、こう考えてみると
ペットに限らず
自分が対象となる人や動物から
どう見られているかを知ることは結構重要なことではないか、
と思ってもみる。

人と人がはなしをする時だって
身長の違いもあって
上から見下ろす感じで見る人もいれば
下から見上げる感じで見る人もいる。

自分がどんな感じで相手から見られているのか、
まあ、性格的なことや人間的なことは
さておき
とりあえず物理的にどう見えているかを知ることは結構
大事なことなんじゃないかと思う。


まあ、そんなにだいそれたことでなくても
少なくとも
自分の着ているカッコウや後ろ姿が相手やまわりから
どんな風に見えているかを知ることは
知らないよりは知っているにこしたことはない。

と思ったら
最近、洋服屋さんの着替えルームに
ccdカメラを設置し
自分の姿を残しておいて
あとで別の視点から見えるようにしたサービスを
始めた会社があった。

これはなかなかおもしろい、と思う。

であれば家庭などでそんなことがもっと簡単にできないだろうか。

いちいちCCDカメラなどを使わずとも
自分の様子をつかむにはどうすれば良いか。

というわけで昔からある「姿見」をもっといろんな形状や
機能をつけたらいいのじゃないかと思う。


例えば姿見は遠く離れてみれば小さな鏡でも
自分の姿全体を見ることができるが
近くになると見ることができない。

鏡が斜めに設置されていると
全身を映し出すことが可能になるが
目線の位置が変わってしまうので
普通の目線でみることができない。

もちろん普通に使う限り自分の後ろ姿を見ることができない。


更衣室なんかはせっかく四方向が閉ざされている空間なんだから
うまくその面を使ったり可動する壁面を作ったりしてそれらを
組み合わせれば
普通の鏡などを使っていままでとは違う見方を
可能にすることもできるかもしれない。

ところで斜めに置いた鏡だが
自分の目線と鏡にどう写るか、という間に
結構いろんな相関関係があることにビックリする。
いろいろ考えればおもしろい使い方はありそうだ。

これは冗談だけれど
鏡に写した自分の姿は
右と左が逆に写るのに
上と下はなぜ逆にならないのか、と
いう疑問がある。

まあ、冗談はともかく
自分に姿をカメラやテレビなんかではなく
鏡に写った逆の私でもなく
自分の姿を客観的に見てみたいと思うのは
誰でも思っていることなんじゃないだろうか。





2002.12.8

今日はちょっと短く、、。

最近すごいと思ったものは日立製作所が開発した
0.4ミリ角の小さな「IDタグ」である。

こんなに小さなチップに数百の文字データが
非接触で入出力できる。
これを使ったアプリケーション開発は
メーカーや周辺のアプリケーションの開発屋さんが
もちろんやっていて

イベント会場への入場券のなかに入れておいて
それで管理をする、なんてのが最近紹介されていた。

これだけ小さいとたしかにいろんなことが考えられる。
それにたぶん安価だろうからそれからしても
新しいことができるはずだ。

例えば
家庭用とかオフィス用の
データタグ入力機とでもいうのがあって
ポストイットに何か書き付けて貼り付けるような感じで

簡単な入力装置で何事かを入力して
そのタグの入ったシールを必要なところに
貼り付けるようになっていれば
おもしろいと思う。

できれば暗号化されていて
他人には簡単に読めないようにしてあれば
家のなかだけじゃなくて
外部のいろんな情報が錯綜するような場所に
貼り付けてもいいかもしれない。

もちろん「もの」だけでなくて
いろんなものに貼れば良い。





2002.12.15

今日の新聞を読んでいたら
おもしろい記事があった。

ロスアンゼルスの人なのだが
趣味で古い車を集めているんだそうだ。
年間の維持費もばかにならないので
5年まえからプロダクションに貸すことを考えたのだそうな。

プロダクションはその車で
テレビコマーシャルや音楽ビデオの収録に利用するのだが、

なるほど、趣味で集めた車でも
そうすれば年間の維持費を上回るくらいの
お金になる。

プロダクションだって
もちろん車をもっているわけではないし
趣味で大事にされてる車なら
きれいになっているし調子だっていい。

当の本人は貸し出した車に傷を付けられないか
心配だそうだが
ま、維持費のための収入と引き換えに
それはしかたないことだろう。


で、新聞を読んで、そのこと以上に
なかなかおもしろいビジネスだと思ったのは

そういう趣味で車なんかを集めている
人達100人〜150人に
自分の愛車を登録してもらって
どんな車でもプロダクションに紹介できる仕組みを
作った「仲介事業」を始めた人がいる、という話しだ。

ここ数年はコマーシャルや音楽ビデオ向けは苦戦しているそうだが
映画とかテレビ番組、イベント用の貸し出しは
順調だそうな。

まあ、映画用に町そのものを貸し出す
仕組みはアメリカには昔からあるから
車とか備品とかも貸し出す仕組みがあっても
なんら不思議ではないのだが、
それにそしてもこういう仕事というのは
まだいくらでも考えられるだろう。

オークションがインターネットでは
盛んだが
売るのはいやだけれど
貸すのであればお金にもなるし
保険をかけておけば修理や保証も効く、というのであれば
自分のもっているものを誰かに貸す、という事業も
あってもいいのかもしれない。

インターネットの上に集める場所を作れば
いろんなものを集めることができるだろうし
結構いろんなユーザーが出てくる可能性もある。

これはだいぶ以前に
ここに書いたことだけれど
これだけ消費の多様性が進むということは
「消費の形態」だけではなく
もっと根本の「使う形態」も変わってくる、と
いうことでもある。

少なくとも「買わない」で「借りる」形態も
もっと多様になるはずだ。

もちろん逆から言えば「売る」のではなく「貸す」もありうる。


最近は自分で仕事をせずにアウトソーシングすることも多い。

自分で仕事をしないで人のしてもらう、ということだ。
であれば自分で仕事をするための道具を「買わず」に
人にしてもらうために「仕事をしてもらう仕組み」も
これからは増える。





2002.12.22

先週も書いたし
ずっと以前も書いたのだが

例えば500円で買うことと
1000円で借りることの選択を迫られた場合、

いままでであれば500円で買うことを選択しただろう。

でもこれからは1000円を払ってでも
買わずに借りる、という選択も
おおいにありうる時代なのだと思う。

もっと言えば「買わない選択」
あるいは「買わないこと、所有しないことの贅沢」
を選択することもこれからはあるのだと思う。

これこれを買ってしまうことはたしかに可能だけれど
それをあえて買わないほうが自分の生活や
ライフスタイル(ウーン古い!)にあっているから
あえていらない、あるいはお金を払っても所有しない、
ということもこれからはあるのだと思う。

「お金を払ってでも所有しない」選択、などは
通常考えられないはずだが

まだ、使えるものをお金を払って処分してしまうような
時代なのだから案外ありえない話しではない。

まあ、お金を払いたくないから
山のなかに廃車や廃家電なんかが捨てられていたりも
するのだが

実際、これほど「ものあまり」の時代になれば
お金を払ってでも処分してほしいことや
お金を払ってでも買わない選択もありうると思う。

あるいはいままでであれば「自分ですること」を
お金を払って人にやってもらう選択肢も
これからは増えるだろう。

実際、コンビニストアがこれほど社会に浸透したのは
食事を用意することや
遠くまで買い物にいくことを
コンビニに代行してもらっているわけで
クリーニング店だって洗濯仕事を代行してもらっているわけだ。

考えてみればこういうふうに人や企業やお店に
代行してもらっていることは多い。

物をつくる企業だって
物を売るお店だって
サービスをするお店だって
すべからく人がやって欲しいこと、欲しいものを
代行しているといえなくもない。

そう考えてくると
社会の豊かさとか便利さとかは
自分でやってきたことを
人や企業に代行してきた歴史と言えなくもないし
それを専門の人や企業がやったほうが
うまくできたり合理的にできたり安くできたりするわけだ。

であるならば
自分の時間を自分のやりたいことに使ったほうが良い
ということなんだろうか。


自分のやりたいことができるために
その時間をつくるために
人にやってもらえることは委託する。

昔はそれは無理だったから
自分でいろいろしなくちゃならなかった。


いろんな仕組みができて可能になった。

超複雑な作業だけれど
社会全体としては行えるようになっている。


であれば
一番理想的なのは
自分の好きな仕事ややりがいがあると思える仕事が
社会の誰かからは必要とされていることで、
それぞれの人間がすべてそれぞれそういうことで動いていれば

社会全体はそれで回っている状態が理想だろう。



なかにはやりたくない仕事でも社会的に必要とされていて
社会的資源(お金)がより回ってくる人もいれば

やりたい仕事なんだけれど
社会的にはそんなに必要とされていないから
社会的資源があまり回ってこない、ということもある。

一番の理想はやりたい仕事をして
なおかつ社会的に必要とされて
社会的資源が集まってくる、委託される仕事であることだろう。


社会が必要としている仕事の質の多さと総量は
たぶん増えていくのだろうし

それをあきらめたり成長や多様であることを
止めた瞬間に
社会は豊かでない、ということになる。

今の日本は
やりたい仕事もやりがいのある仕事もないし
社会から必要とされている仕事もない。
という状況であると言える。

需要創造ができない、といわれるのも
結局は社会や人々が必要としているものやサービスが
生み出せない、ということなのだ。


ちょっと長くなってしまった。
続きは来週としよう。





2002.12.29

先週の続き。

やりたいことや仕事があって
一生懸命やっているのだけれど
人々や社会が必要としてくれない、というのであれば
まだ我慢もできる。

ありとキリギリスのキリギリスだって
働かなかったから食えないのは当然だ、という評価なんだろうが
バイオリンを弾いて暮らそうということの
どこが悪いかわからない。

ただ、社会がそれを必要としてくれなかったから
社会的資源のお金や貯えが集まらず
冬を越すのに苦労した、という話しであって

自分で好きなことをやっていたのだから
それはそれで良い。

好きでもないことをやっていて
でも社会不安に備えて貯えは貯まっていくだけというのも
考えてみればけしてほめられた話しではないとも思う。

ありがキリギリスの弾くバイオリンを聞きたいと思い
コンサート会場に行って音楽に感動して
帰りにはウマイ飯でも家族で食って帰ろうとか
ありもバイオリンを習おうとかすることが
この今の日本では必要なことなのだ。


こんな不安な国では
貯えをせずにお金を使うなんて恐くてできないという意見も
もちろんある。
もう一方の「設備投資」(今の投資の意味は変わってきているとオモウが)
ももちろん恐くてできない、


要はありもキリギリスもバイオリンを弾いていても
冬の寒さをしのげたり、
ありもキリギリスも貯えばかりをしなくても
ちゃんと生きていけるようにすることだ。

自分の時間や生活を「豊」にするために
自分でしないで人にやってもらうこと
人から人へお金が回ること、
サービスやものをつくることを
そういう一人一人のために細かく行えば良い。

違う言い方をすれば
我々はもっとわがままになれば良い、と思う。


お仕着せのものやサービスが当たり前になってしまって
けしてわがままでない。

わがままであるようでいて
実はわがままではない。
大手の企業がお仕着せで創ったものやサービスのなかで
回っているに過ぎない。

これでは消費が低迷する。




コンビニストアやデパートや日本の企業がやっている
ものづくりやサービスは
ケシテわがままでもなければ
贅沢でもない。
むしろ決まりきった消費のなかでもてあそばれているといっても良い。
感性も退化しているのかもしれない。


今後は最初に書いたように
どんどん人に仕事を委託したりやってもらうようになる。

どうでも良い仕事はそうなる。
一定の消費分野ではそうかもしれない

でも自分の創造性をもってやりがいのある仕事については
自分でやることが楽しいことであるはずで
これははずせない。

じゃあ、いままで言ってきたような分野はこの二つの関係のなかで
どういう位置になるのか。

どうでも良い消費やサービスなどは
たぶんアジアから持ち込まれるもので充分に
対処できる。

でもきっとそうではない
「高度な消費」、というものもあるだろう。

あるいは高度な消費が
実は他人にとって
高度な生産活動であることもありえる。

いや逆にいえば

高度で自分のやりたい生きがいがある仕事が
他人にとって
そして実は自分にとっても
高度な消費やサービスになる、である、可能性は高い。


そんな高度な消費と生産の関係を
生み出したとき
たぶん日本の社会や経済は
いままでにないような新しい状況のなかに
あることだろう。

実は日本はそこに半分くらいは足を突っ込んでいると
筆者は思う。

世界にそんな国はまだない。


今年も
アイディアノートにアクセスしていただき
ありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。
ではみなさん、良いお年を。




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