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その17



2001.10.8

最近は体に良いことをやらないといけないと思って
自転車に乗ったり、歩いたりと、
結構健康的な生活を取りもどそうとしているんだけれど

なかなか仕事をしている一方でそんなことを
やろうとしても
時間の都合なんかでなかなか難しい。


それでも「時間と機会は作るもの」、だから
なにかにつけて
自転車に乗ったり
歩いたりする機会を作るようになった。

前の晩に飲んできて
翌日に飲み屋さんにおいてきた自動車を
取りに行くのも
歩いていくようにするとかだ。

その気になれば歩く時間は
結構長く取れるものだ。
20分も歩けば
ちょっとうっすら汗をかくくらいになるし
それほど負担になることもない。

歩いていて
とてもおもしろいと思ったことがある。
普段、見慣れているはずの町並みなのだが
ゆったりと歩いているとその時間のせいだろうか
視点のせいだろうか、
普段とはまた違った風景が
目に入ってくる。
これがまたなかなか楽しい。

自動車では入っていけないような
横道に入っていけば
見慣れない家や庭や道に遭遇するし
知らないことが目に入ってくる。

こうやって
歩くことを楽しむ、ということを
覚えていくと
せっかくだから
歩くことをもっともっと楽しむやり方を
考えたらいいのじゃないかと考える。

いつも同じ場所ばかり歩くのではなくて

いろんな道があって
そこの道中にあるいろんな見所が
たくさん登録されていて
その情報が
そういう仲間のなかで
共有されていて
ここにはこんな家や珍しい建物や庭があるんだとか
ここにはこんなおもしろいものがあるんだとか、
そういう情報があれば良いと思う。

そういう歩くための地図も
公開されていて
それを観ながら歩くことができればいいし
それがIモードなんかで
見ることができても良いと思う。

考えてみれば
じぶんのうちから出ることを考えずに
車で要所要所まで移動して
どこかに車を置いて
そこから歩きはじめるという手もあると思う。

そうすれば相当、視界や世界は広がるはずだ。

音楽を聞きながら歩けば良い、

なんて一時は考えたが
そんなものはなくても良い。

それほど歩いて知らなかった
風景に遭遇することは
刺激的ではある。

というわけで
歩くことを楽しむためのグッズは
Iモードと
地図と
ネットで地図なんかの共有する仕組み
(これはもしかしたらビジネスにだって
なりえるかもしれない、と思える。)
できれば簡単な双眼鏡と
よくできた靴と、、
そんな感じかな。

仕事に追われている日常から
歩くなんて一番基本的な作業そのものを
楽しむ「余裕」というか、
そんなものを考えることだって
これからとっても必要なことじゃないかと
思っている。



2001.10.14

いよいよマイクロソフトの
「Xボックス」とかの新型ゲーム機が
発売開始になるのだという。

映像が非常に細かく鮮明で
バーチャルな表現は
ますますリアルになっていく。

ここまできたら
もっとリアルな世界と連携したゲームや
あるいはゲームだけじゃなくて
ゲーム機を使った
生活やリアルな行動のバックアップ装置みたいなことも
できるのだろうに、と思う。



まあ、要は「シュミレーション」も
その手に入るのだろう。

バーチャルな空間での振る舞いを
リアルな世界での
「シュミレーション」として
機能させることは
これはじきに可能なことになるだろう。
実際の「習熟」のための道具として利用できる時代が
くるに違いない。


でも、もともと
実際の世界での振る舞いが優れていることと
ゲームの場でウマイことと
どういう関係があるんだろう。

昔だったら
実際の世界でウマイこと、が評価されたんだろうが
最近はリアルな世界でウマイことと
バーチャルな世界でウマイことは
まったく別の価値観や世界のことだと
評価されているように思える。


が、このような状況がもっと進化していけば
、つまりバーチャルもリアルも
同じような感じになれば
つまり、バーチャルがリアルに限りなく近づいていけば

やはりバーチャルでも上手いと
リアルでも上手い、ということが
当然になっていくだろうと思う。

さすがに飛行機の操縦や
格闘技の世界では
バーチャルな経験しか深まらないと思うが、
市販自動車の公道レースの経験くらいなら
バーチャルな世界とリアルな世界は
限りなく近づいていくのが
たぶん正常な進化の方向だろうと思う。



考えてみれば
車そのものをゲーム機用の
端末とすることもできるんじゃないだろうか。
もともと最近の乗り物は
「フライバイワイヤ」というか
「ドライブバイワイヤ」みたいな状況になってきていて

電線とそこに行き来する情報で
ドライバーが車の挙動を操作するというところまで
きている。
まだすべてではないけれど、近いうちには
すべて「ドライブバイワイヤ」になる時も
くるだろう。


そうなれば
車の運転席の機能そのものと
ゲーム機の操作盤の機能も
たいして違いはなくなる。

そこまでいかなくても
リアルな自動車を運転している時に
センサーをつけて
そこから運転している状況をすべてモニターしておき


バーチャルな運転との違いを比べるとか
一流ドライバーやレーシングドライバーの運転テクニックと
比べる、なんてこともできるに違いない。

実際のレース場で
レース走行の練習をしてきて
そのなかで練習してきたログを
ゲーム機に移植して
再現する、なんてこともできるだろう。

逆にバーチャルな練習で
いろんなテクニックを試してみるとか
一流ドライバーとの違いを、
例えばブレーキペダルを踏むタイミングの違いを
そのなかで知ってそれを練習し
実際の走行でやってみる、なんてことも可能になるだろう。

いつかは自動車メーカーの
新車カタログを見ると
「Xボックス対応」とか
「プレイステーション2接続可能」とか、
そんなことが書かれている時代もくるのじゃないだろうか。


まずは
自分が実際にのっている車、がゲームに登場してきたら良い。

ポルシェにのっている人とかフェラーリにのっている人は
ゲームの世界には当然、たくさん出てくるから
問題ないけれど
時分が日ごろのっている車
会社の営業車とか、10年前からのっているぼろくなった、
だけどたいせつにしている車、とか
そんなのが出て自分で編集して登場させることが
できたらいいのに。
色やステッカーや
ぶつけた後の「へこみ」とかも
ゲーム上で再現できれば
これは楽しいだろう。

そういうゲーム上の自分の愛車を
再現してくれる「コンピュータービジネス」
だっていいかもね。

町のゲーム屋にCDに入れた自分の車を持ち込んで
ライバルの車と実際さながらに
競争してみる、とかもできるだろう。

チューンアップもバーチャル上でできたらおもしろい。
ブーストアップをしたり車高長を入れたり、、

それで調子がよければこんどは実車に装着して
実際に走ってみる、なんて
おもしろいかも。

こんなサービスはもうあるような気もするんだが
ないのかな?




2001.10.21

いよいよ寒くなってきて
北のほうでは雪も降ったと聞く。

ストーブを出して
夜の寒さに対抗する日々ももうすぐで、
場所によってはすでに出して使い出したところも
あるだろう。

それにしても灯油を使うストーブは
永年に渡って一番使われてきたと思うのだが
この灯油とストーブの関係が
いまだに進化していないことに愕然となる。

もともと「エネルギー」というものの形態は
結構重要なことで、

産業革命だって
エネルギーの形態が変ったことで
産業そのものの在り方が変ったのだ、ということでもある。

動力を工場や工房で使うために
動力そのものを取り出す方法として
水力や動物による動力利用、ということがあった。

だからこれは動力を得るために
川のそばに工場を立てることや
動物を飼っておくことが必要だったりしたのだが

これが石炭を利用した蒸気機関の発明によって
石炭が運べるところであれば
蒸気機関によって
動力を取り出して利用できることになった。

内陸で、川のないところでも
動物が飼えないようなところでも
石炭が運べれば工場はできる。

石炭を運ぶために道や鉄道がドンドン
完備されていった。
そもそも鉄道そのものが蒸気機関で動いた。

やがて石炭から石油にエネルギー源は代わり、
そしてエネルギーは電気になった。

電気ほどエネルギーを効率的に遠隔地まで運べる
エネルギーはない。

効率良く工場を立地し、運転していくには
電気を引き、エネルギーをネットワークし
遠隔地で効率良く発電する「アウトソーシング先」
電力会社に委託することが効率的になった。

だから今はなんといっても
電気よるエネルギーの配分が一番良いとされている。
これはその通りだと思う。

いずれの日か、
電気の発電効率が上がったり
自然エネルギーの利用が進んだり
、あるいは環境への負荷の問題から
発電そのものが
まとめてどこかで発電するのではなく
必要な場所で環境に負荷をかけることなく
必要なだけ発電し使う、ような仕組みや
やり方ができた時には
あるいは「完結型工房型発電」
みたいなものになっていくかもしれないが
それにしてもエネルギーは
電力が使われていくだろう。


話を戻すが、
そういう便利な電力、というものがあるのに
いまだに灯油を使ったストーブ、というか
暖房の仕組みがはばを効かせているのが
どうも不思議でならない。

車だってハイブリッド自動車や
電気自動車が走る時代なのだから
ストーブだって
もっと電気を使った暖房方式が
研究され、考案されてもいいのじゃないか、、、
そう思う。

特にハイブリッド型のストーブなんて
この時代にはってもいいような気がする。


まあ、燃料電池の家庭用セルがその内、近いうちに
家庭むけに発売されるだろうから
それで家の中むけに発電して
電気ストーブを動かす、というやり方も
あるのだろうが

ここはできればストーブそのものが
ハイブリッドになっていればおもしろい。
たぶんむちゃクチャ高価なものになるだろうが、、。

まあ、それはなかなか難しい、としても

とりあえずは電気ストーブをもっと
効率よく、安く、使い易いものにできないだろうか。

灯油ストーブに比べれば安全だし、
灯油をいちいち入れたり運んだりする
作業もなくなるし、、。


そう言えば
灯油ストーブのタンクに灯油をいれる作業は
なんとかならないものだろうか。

手が汚れない工夫とか
いろいろあしてはいるが
定置式はともかく
部屋の真ん中に置くタイプの灯油ストーブは
タンクに灯油をいれる作業はつきものになっていて
なんの疑いもなくその作業を繰り返している。

夜の寒いところで大きなタンクから灯油を
移し替えたりするなんて
あんまりしたくない作業ではあるし
一時問題になったように
作業中に用事があって人が離れてしまい
灯油をそとにこぼしてしまう
、なんてトラブルがあったりもした。
こういうことからも
できれば灯油ストーブがこれから使われるとしても
もうちょっと工夫はできないものだろうか。



おっと、それと
ストーブのタンクなどに大型のタンクから灯油を移し替えるのは
まだなんとかなっていると思うが、
例えば昔からある
対流型のストーブのタンクに灯油をいれる場合は
まだみんな、ポリタンクから移しかえていることが多いのではないか。

ポリタンクをななめにして
タンクの入り口に
ポリタンクについたホースを差し込んで
斜めにしたまたポリタンクを保持して
ちょうど良いところまで灯油が入るのをただひたすら待つ、、。
作業としても力のない人にはなかなか大変だろうし

もっとも困るのは
タンクの入り口からホースが外れそうになったり
入れ終わった後
ホースから灯油がぽたぽたと垂れてしまうことだ。

これはちょっと考えれば
良いアイディアはたくさんあると思う。

いまだ多く使われる灯油ストーブだけれど
まだまだ使い難い部分はたくさんあって
そのあたりを工夫すれば使い易くなる部分は一杯ある。

個人的には
固体燃料カセットなんてものがあれば良いと思うなあ、、

手も汚れないし、移し替えも汚れず
簡単にできそうだ。

灯油の量をなんらかの
ちょうど良い大きさのいれものにいれて
だっていいかもしれない。
入れ物が灯油と一緒に最後は燃えてくれれば良い。


洗濯石鹸だって最近はパックに入っていて
洗濯もののなかに入れると
水に解けてなくなってしまうようなやりかたが
ある時代だから
そんなやり方だってあっても良いじゃないか。




2001.10.28

ちょっとした用事がって
山形県あmで行ってきた。

今帰ってきたところで、さすがに疲労が溜まっている、、。
というわけで
今日はアイディアノートはなし。
といきたいところだが
せっかく、思ったことがあるので
ひとこと

これは前に
書いたことがあるかもしれない。

電車のなかでの「いびき」には気をつけたい。

今日も帰りの電車のなかで
盛大にいびきをかいていたサラリーマンらしき
おじさんが一人、、、

よっぽどつかれていたのだろうか
寝言まで披露するに及んで
さすが電車のなかでは「失笑」も出てきてしまった。

まあ、そうそう人に迷惑をかけるわけでもないから
(といっても隣の人はとても迷惑そうだったけれど)
別段、良いといえばいいのだが
できれば名誉を守るために
いびきをかかないにこしたことはない。

かいている自分自身は気がついていないのだから
まあ、それさえ覚悟すれば良いといえばいいのだが、、。

、、、まあ、自分だっていびきをかいていないかと
聞かれれば、正直いって
確信もって「大丈夫」とは言えない。

というわけでこれはなんとしても
「車内いびき防止装置」は
これは必要である。

製品として売っていなくても
レンタルで構わないからそんなものがあってもいいし

たとえば、
「いびき防止友の会」という団体を発足させて
バッチを胸につけて
電車に乗る。

もしいびきをかいている
「いびき防止友の会」会員がいるとわかったら
友達のようなそぶりで体をゆするなりして
眠りからさまさせてやる。

そんなNPOみたいな「サービス」があってもいい。

今日は以上。




2001.11.4

もう二ヶ月くらい前になるだろうか
テレビでやっていた番組で
おもしろいと思ったものがある。
塩を特集した番組で
塩の種類や製法なんかを説明したり
塩の知られざる「効能」について
説明した番組だった。


なんでも
1%の塩水をつくって
500ccくらいを飲むと
それまで赤血球がくっついていた状態から
赤血球がばらばらにほぐされ
血液がさらさらになって
血圧も下がるし
体に良い、、ということだった。

塩は摂取しすぎると
血圧が上がったりしてあまり良いことはないのじゃないか、
と言われているんだが
自然の塩なんかは
ミネラルが豊富だし
そういったことでけして血圧が上昇してしまうというわけではなく
うまく作られた塩水を適量摂取すると体にはむしろ良い
というのだった。

これには正直言ってびっくりした。

塩分の摂取は体によくないと言われていたから
体に良いかもしれない、それも
画面で血液がさらさらと流れていくと言われ
現実にそういう場面を見れば
これは自分も塩水をうまく摂取できれば良い
と思うのは当然といえば言える。


で、ここからが問題なんだけれど
さてじゃ、1%塩水を飲もうと思っても
どいうやったら1%塩水ができるかを知っている人は
あまりいないだろう。

番組でもそのあたりはあまり詳しく説明されていなかった
ように思う。

体積なのか重量なのか、あるいは重量にしても
それを適量計る計量計りがあまり家庭には完備されていない。


そういえばこの前、
ある商社みたいなところから
「良い自然塩」を販売しているとPRの
ダイレクトメールがきたが、
やはりそれにしても
どれだけの量を水に入れてのべばいいのか
わからない。
せっかくの塩を手に入れたとしても
実際に飲むためには
それなりの準備が必要になる。

で、
こういう塩を販売するような商売って
結構最近流行っていて
自然に恵まれた小島なんかで
自然塩をつくって名物になっていたりする。

すごく良いことだと思うのだが
せっかく
「1%塩水を飲むと良い」とテレビが宣伝し
ブームになりそうな気配だから
これを利用しない手はない。

大量に販売したいのはやまやまだが
ここは
1%塩水を作る小さな袋に入れて
販売したらどうかなと思う。
ちょうど「水商売」!?も流行っていることだし
(水商売といってもあのお姉さんたちが歓待してくれる
水商売ではない、自然の水をペットボトルにいれて
世界中で販売しているあの商売である)

500CCのペットボトルにいれると
ちょうど1%塩水になるような量を
小さな袋に入れて売ればどうだろうか。
コーヒーショップで
コーヒーを飲む時にいれる砂糖の小さな袋みたいな感じだ。
あるいは薬のようにカプセルや錠剤のようにしても良い。


1リッターのペットボトルには二錠入れればいい。
もっと小さな単位の組み合わせでも良いと思うが、
実際に効能があるためにはたしか
500CCを飲むと良いらしいので
ここは500CCのペットボトルを「基本単位」としたら
良いと思うな。


あたりまえの話だが
こういう「量」で販売するものは
量が増えればその分高く売れるというのは
当然なのだが
だが、それだけだというのは間違いだ。

小さな袋にちょうど1%塩水になるだけの量を入れて販売するという
いわば「サービス」を付加することによって
単なる「塩」の販売から
サービスそのものになり、
販売する価格もまったく異なったものになる。

1KGが1000円だとすれば
500Gは500円というのが普通のことだが
たった小分けするだけで
まったくことなった価格帯になることはあたり前だ。

考えてみればこういうことって
結構あるじゃないか。

レタスだってキャベツだって
一つまるまるでは大きすぎるから半分に切って
販売してもいるし

でもこれだってもっとサービスとして考えれば
違った価値を付加して
価格だってまったく異なったものにすることもできるだろう。
まあ、これはまた別の機会に書いて見ようと思う。

それはともかく、、、

こういうことを考えると
そんな「塩水」を販売するのだったら
町のコンビニにいけば
「ポカリスウェット」などの健康飲料水も
売っているではないか、それを飲めばいいから
そんな塩水なんか売れない、、という意見が必ずある。

まあ、そういう人もいるだろう。

でも
20年まえには考えられなかった「水商売」が
いまでは当然になってしまったことを考えれば
どこに商売のたねがあるかはわからない、ということだ。

水道の蛇口をひねれば
水が只同然の価格で、
それも簡単な作業で
得られる、ことを考えたら
わざわざ水を買うなんてこと
それも水道水に比べたら結構な高価格で、
買うなんてことは
信じられることではなかったのに
いまではぜんぜん不思議なことではなくなっている。

むしろ、できあいの飲料水より
自然塩と自然の水をまぜて
自分で調合する1%塩水のほうが
これからの消費者の健康指向の要求に
合ってくる可能性は高い。

ともかく
いままで商売のたねではない、と思われていたこと、
また、
商売の種そのものが
商品そのものではなく
それに付加するサービスまで含めてであることに
気がつかされる時代である。



2001.11.11

作ったら良い、という話ではないが、ちょっと気が付いた
話を書く。

100円ショップにしても
郊外のDIYの店にしても
いろんなものはが売られているようになった。

それも圧倒的に安い価格で売られている。


この前もトイレで使うグッズが必要になって
どうせなら100円ショップあたりにいけば
安いから100円ショップにでかけていって
買ってこようということになった。
結局は
買わずに済んだのだが、

「済んだ」という意識になったのは
考えてみると
100円の出費がなくなってよかった、
とか、出かけていかなくてよかった、
という意味ではないことに自分で気がついた。

100円くらいの出費だったら
そんなに負担になるわけではないし
出かけていくのも
なにかのついでにいけば良い。


「済んだ」という意識になったのは
買うとまた荷物が増えることになるのだが
買わずに済めば場所もとらずに済む、というわけだ。


よくよく考えてみると

100円のものを買うという選択がある。
100円のものを借りるかあるいは代行のサービス、、
という選択がある。
100円のものを買って使ったらすぐ捨てる、
という選択もある。

どういうことかというと
これからはいくら100円のものだからといって
買ったら必ず持っていなくてはならない、ということにはならない。
場所も食うから
年に一度くらいしか使わないものであれば
できれば買わずに済ませたい。
レンタル、でも代行サービスでも良い。
買っても簡単に問題なく捨てることができれば、、
、、、それでも良い場合さえある。


具体的な話でいえば
例えばトイレで使うゴムでできた
半月状のお椀に棒状の握りがついた
トイレづまりを解消する器具がある。

ああいうものはたぶんトイレ用品が売られているところであれば
数百円、100円ショップにあればもちろん100円、、
で販売されているだろう。

でもいくら100円で販売されていて
安い、と思って買っても
実際に使うのはたぶん買った時と
あとは一年にいちどあるかどうかだろう。

こういうものは場所も取るから
ないにこしたことはないと思うが、
かといって捨てるにはしのびないし
なかなか捨てられないものでもある。

もし借りるなり、代行サービスで同じことができるならそれでも良い。
金額が100円より高くたって、構わないと思う可能性もある。

1000円で買うより100円で借りるほうが良い、という
いままでのような「消極的なサービス」から
100円で買うより1000円で借りるか、サービスを受けたほうが良い、
という選択もありえる時代だ、ということだ。

こういう、買うこと、から、サービスの本質のところを
人々は要求する時代になってきているのかもしれない。

トイレ用品のような
備品で考えるとまだイメージがわかないかもしれないが
そう考えると「ものとサービスの関係が変わっていく」ことって
たくさんあるのではないかと思える。

当然の話だが
こういうなかにビジネスのチャンスが
もちろんたくさんある。




2001.11.18

この前、遠くへ電車で出張する機会があった。
ちょっと前はどんなに遠くでも
自動車で出かけていったのだが
最近は安全にいくことや
やはり体の負担を考えると
電車でいくことが多くなった。

ゆっくり本も読めるし
パソコンを広げて仕事もできる。
(ただし、そうはいっても
パソコンを広げて目一杯しごとした記憶はないが、、。)


でも、
電車で行くときに負担だと思うことがいくつかある。
混んでいる電車に乗っていくなんてもちろんいやだし、
乗り換えの面倒だっていやだと思う。

この前、
東京駅経由で新幹線に乗る時なんて
なんでもっと便利にならないものか、と
本気で思った。

乗り換え時間があまりなかったから
新幹線の切符売り場で
人がたくさん並んでいるのを見たときには
どうしようかと思った。

自動券売機というのは
もちろんあるんだが
なぜかことらの方は人が並んでいない。

ところが人間が売り場にいる
要は「人間券売スペース」のほうは
御客さんは一杯並んでいる。

これは自動券売機に並んで買うしかないだろうと思って
その前に並んだ、
幸いなことに人がろくに並んでいないから楽に券は買えるだろうと
思っていたのだが

直前に並んでいる人が自動券売機の使い方に手間取ってしまう。
自分の順番にようやくなって
自動券売機を使い始めたのだが
なんと自分も自動券売機の使い方がよく良く分からない。
ともかく
操作方法がよくわからないのだ。
よくみれば
隣で同じようなことをやっている人たちも
みんな苦心しているようだ。

いろいろいじったあげく
「使えません」という表示が出てきて
これでは困る、と
人間がやってくれる売り場に移動して
人がたくさん並んでいるところの後ろについて
なんとか券を買った。

だが、この作業で
電車の時間にはもちろん遅れてしまった。
幸い、こういうこともあるだろうと
一本早めで計画をたてていたので
まにあったのだが冷や汗ものではあった。

この時思ったのは
こういう、とくに駅の自動券売機は
使いづらい、ということ、

もともといままでだって自動券売機にはできるだけ
近づかなかった。

そもそも使い難いことは前からわかっていたから
今回は時間もなかったからいちかばちかで
確かめたようなものだけれど
ヤッパリだめだった、というわけだ。

それにしても
駅の自動券売機は使い難い、

少なくとも立てカンバンや説明のための標識なんかが
あればそれでも結構いいのにともかく使い難い。

ああいう自動券売機や自動販売機なんかには
もっとユーザーフレンドリーにやるべきことって
たくさんあるのだと思う。

もう必要とするものなんかない、
という人がいたりするが
ものづくりやことづくりやサービスづくりでやるべきことって
いくらでもある。

もう必要としていることなんてない、と言って
ものづくりの重要性を放棄して
そういうところに目が届かない、ことのほうが
どうかしている。

町のなかや家庭のなか、
社会のなかを見渡してみればまだまだ、やらなければ
ならないことなんて
山積みじゃないか。



2001.11.24

むかし、この欄に
デジタルのカメラを使って
サッカーなんかの競技を
側面から映して
選手の動きを追うことによって
解析ができるんじゃないか、ということを書いたが
どうやらそんなようなものが
商品化したようだ。

選手の位置やボールの位置まで
情報としてデジタル化ができているかどうかは
わからないが、たぶん、CCDカメラで
巣
捉えた情報はモーションキャプチャーのような
技術によって
位置情報に変換されるだろうし
それを二次利用することも
そうムズカシイことではないはずだ。
問題はこのあとの話であって
せっかく、そういう「プラットフォーム」が
できたのだから
その上で動かすアプリケーションというか
コンテンツというか、を
どんどん開発して行ってもらいたいものだ。

特定の選手間のパスの成功率を解析して
誰と誰の間で行ったパスが成功率が高く
誰と誰の間で行ったパスが成功率が低いのか、
といったことも解析できるし
一人の選手の運動量も解析可能にもちろんなる。
運動量がある時間を過ぎたらトタンに落ちる、、
ということなんかもわかるだろう。

サッカー以外にももちろん使えるはずだ。


そう言えば
今年の「バーチャルリアリティー展」には
モーションキャプチャー技術を駆使したいろんな
アプリケーションが登場していた。

モーションキャプチャー技術
昔は一億円とかスッゲー高価なものだったが
最近は数百万円以下とかの
とんでもなく安価なものも出てくるようになった。

そうすれば今後はもっと応用が広がっていくに違いない。

スポーツで言えば相撲だって
モーションキャプチャー技術が使えるかもしれない。

自然界の様々な現象をモーションキャプチャー技術で
追うこともできるとも思う。

そんなことも可能にしていくためにも
ここはやはり、それを広げる
「アプリケーション」「コンテンツ」を
広げていく努力をするべきだろうと思う。

そういう面では
デジタル産業はまだまだ緒についたばかりであるし
また、「アプリケーション」「コンテンツ」、、
そういうものはデジタル屋さんが行うべきものではなく
まさにその現場や体験者や業界の人々こそが
発想し、開発し、市場を
つくっていくべきものなのではないかと思う。

新産業、という掛け声だけでなく
実際にこういったことが生み出される可能性は
様々にある。


ところでこれも以前書いた。
部屋の中で忘れものをして
どこに物を置いたか思いだせないことがある。
これもカメラを置いたり身に付けたりすることで
自分の動きをデータとして蓄積できれば良い。

もっと簡単にできれば良いと思うのは
自分の動きをキャプチャーしてくれる衣料品があれば良い。
センサーのようなだいそれたものではなくて
もっと簡単で軽量小型なものができないだろうか。

衣料品の繊維や布そのものにそんな機能が持たせることが
できれば良いのだが、無理だろうか。

で、テレビを見ていたら
昔のテルミンという科学者が考えたテルミン?
(正確な名前は忘れてしまった)という楽器があるのだそうだ。

ただ金属でできた棒があってそれに手を近づけていくだけで
なにやら怪しげな音がスピーカーからでてくる。
棒と手の距離で音階を変えることができるから
これで音楽も奏でることができるんだそうだ。

だとすれば、まったく突飛な見かただが
なにか簡単な素子のようなものを折り込んだ繊維同志の位置や
人間と繊維の位置が相対的にわかる、
なんてことはそうムズカシイ話でも
ないような気もしてくる。
もちろんそれだけでなくて
相対的な距離や動きや位置がわかる
むちゃ簡単な仕組みができれば
これはいろんなことに使えるはずだ。

そう考えてくると
「センサー」というものももっといろんな形態が
あって良いのではないかと思えてくる。

長とか角度とか温度とか画像とか、そんなこと以外に
もっと全体としての変位を
捉える考え方、、、きっとあるような気がする。




2001.12.1

これは以前ここに書いたような気もするが
結構おもしろそうなので書いてみる。
ダブっていたらごめんなさい。
でもちょっとアイディアを膨らませてもみよう。


以前、ミシンを売っているお店に偶然入って
最近の「ミシン」を見る機会があったと書いたっけ。

最近の「ミシン」はすごい。
XYテーブルがついていて
データによって
テーブルが前後左右に動きながら
自動的に刺繍をしてしまう。

オリジナルなデータを作るソフトも
もちろんあるようだし

メーカーでコンテンツというか
マンガなどのキャラクターの版権を持っているところと
契約をしているんだろう
キャラクターを刺繍のデータにしてあって
それを販売しているミシンメーカーもある。

そういうデータを
それ用のXYテーブルというか、
自動刺繍機ともいうべき装置にかければ
自動的に任意の刺繍ができてしまう。

この仕組みを使えば
結構なビジネスなどができると思うが
まあ、それはさておき

この刺繍装置付きミシンの
弱点は刺繍糸の色を変えるのが大変であるということだ。

いちいち、糸を変えないと
様々な色の刺繍ができないから

そのたびに色を変えなければならない。

つまりボビンというのだろうか
それを変え、糸の取り回しもそのたびに
やり直す必要がある。

たぶん業務用の刺繍用ミシンは
いろんな色の糸のボビンが
はじめからミシンの上に並んでいて
糸を交換する手間が最大限簡単になっていると思うのだが

町で販売しているようなミシンは
やはり糸の交換が大変だろうと思う。
これは業務用だって
やはり糸の交換そのものは大変なのじゃないか。

ただ、業務用の場合
もしかしたら糸の取り回しそのものの部分まで
一色ごとにできているのかもしれないが、、、。


それにしても
糸を交換する手間というか
あるいはもっとおもしろいことはできないだろうか、、、、。

と考えてみると、、、
例えば
糸そのものの色をその場で染めていけばどうなるんだろう。

最近のインクジェットプリンターの技術だって
スゴイものがあるんだろうから

白い糸を繰り出しながら
データにのっとって
その必要な色で糸を染めながら刺繍していけば
いいのじゃないか。

すぐに乾かなければだめだ、とか
染めるところから刺繍するまでの距離の演算とか
刺繍の順番とかいろいろ解決する課題はありそうだが
でも染めながら刺繍してしまう、というやり方は
これはあってもいいだろう。

ましてそれならば
必要な中間色とか
日本特有の様々な色とか
ああいった「えもいわれぬような」色なんかも
その場で白い糸を染めることで可能になるんじゃないのか。


こう考えてくると
プリンターの技術というものはもっといろいろに
発展できるはずだ。

「ディスペンサー」も同じことだ。
最近は「ディスペンサー」というかを
三軸のロボットにつけて
いろんなものに塗布する技術があるが
あれをもっと発展させれば
おもしろいことはたくさんできるだろう。

ところで簡単に考えれば
インクジェットプリンターのインクの換わりに
味の付いた液体を入れたらどうなるんだろうか。

インクも青とか赤とか黄色とか
要は色のモジュールとも言うべき
三原色をインクの入れ物の入れて
それぞれの量を調合しながら印刷するわけだが

味のモジュールともいうべきものを入れた液体をいれて
調合しながら印刷すれば
「いろんな味のする紙」を印刷できるではないか。

味の三原色というかモジュールとかいうものがあるかどうかは
まだわからないが
甘みと辛みと苦みと塩味があれば
なんとかなるのじゃないか、、。
、、というのは人間の舌の感覚も
けして中間味をアナログで味わっているわけではなくて
たぶん味の三原色というかモジュールを
デジタルな情報として組み合わせることで
「そういう中間的な味」として
認識しているのじゃないか。

これは匂いも色も同じことであるような気がする。
ま、違っていたらご指摘ください。

ともかくこれが可能であれば

匂いも色も味も
すべてのデータがデジタル化できるから
遠隔地からデータにして送ることができることになる。

匂いは昨年だかに
日本でも実験が行われて(たしか総務庁?だかでやった)
遠隔地で匂いをデータに従って合成することに成功した。

アメリカでもそれに先駆けること
ほぼ一年まえに同じようなことをやって成功させている
(またアメリカに先をこされたのは悔しいじゃないか)

両方ともけして
最初からできた匂いを必要に応じてその場で
発するのではなく
匂いの三原色というかモジュールを合成することで
匂いを作る、というのが良いではないか。

色はすでにプリンターでどんな色でも表現することは
可能になっているし
これはいずれ
ディスペンサーのようなもので絵の具を調合することも
可能になるだろう。
考えてみれば同じことだもの、、。
このあたりの話はこんどここに書こうと思うが、

まあ、ともかく

とりあえずプリンターで
味を表現できればおもしろいことはできるはずだ。
紙をなめたらいろんな味が表現できれば
それでいろんなビジネスも可能になる。

料理雑誌の付録に
味を湿らせた紙というものがあるかどうかは
わからないが、
匂いを含ませた紙が雑誌に入っているというのは
すでにあるくらいだから
ムズカシイことはない。
だったら
ネットで味のデジタル情報を配信して
ユーザーが自分ところのプリンターで
味を作りだして一流の店の味を
味わうことだってできる可能性がある。

逆に自分たち素人で作った味を
全国全世界に味わってもらうことだって
可能でもある。


というわけで
次回はディスペンサーを使って
もっとなにかできないだろうか、という話だ。



2001.12.9

味のプリンターができるんなら
味の素材、そのものを作ることができる可能性だってある。

色だって
紙に印刷するんじゃなくて
絵の具を調合するディスペンサーみたいなものだって
きっと拾い世の中だ、きっとあるだろう。

だったら、味を調合するディスペンサーだってあっていい。

味噌を調合するディスペンサー
や
インスタントコーヒーを調合してくれるディスペンサーとか
なんかもあっていい。

いままでない味を合成する、というのも
もちろんありだと思うし
いずれはそんなのがあたり前になっていくかもしれない。
スタートレックという映画に出てきた
「フードディスペンサー」なんてのがあって
「アールグレーの紅茶」なんてコンピューターに言いつけると
即座にかべにセットさせた「フードディスペンサー」のなかに
人工合成された飲みものが出てくる。

でもこれはまあ、もうちょいかかりそうだ。
(ただ案外、登場は早いかもしれない
   なんといっても分子や原子を組み合わせて
   ものを作ったりする時代になりつつあるのだから、、)

それよりもしばらくは
ストレートな味ではなくて
できあいのいろんな味をあわせることで
付加価値を高める味のビジネス
なんてのが良いと思う、

だから
味噌を調合してくれるディスペンサーなんてのは良いと思うな。

甘い味噌と辛い味噌、渋い味噌、とか
要は味噌の味を決定する
味噌味の基本単位ともいうべき
味噌モジュールを合成して
お客の要望にしたがって
味を合成する。

名古屋味噌とか信州味噌とか
そういうモジュールも考えてもいい。

まあ、キリマンジャロのコーヒーが良いとか
モカが良い、とか
そういう「混ぜたらだめ」というものもあるから
そういうのはだめだろうけれど、

要は混ぜることで
味に深みや多様性がでるようなものであれば
こういうものは可能性があると思う。

いまのところは
お湯と味噌の量を調整して
濃いか、薄いかの選択をしているのだが
その選択の幅が広がるはずだ。

個人の家にディスペンサーがあってもいいし
惣菜屋さんにそういうディスペンサーがあっても良い。

味噌製造メーカーにもあっていい。
オンデマンド味噌をお客の要望にしたがって作る。
おやじさんが単身赴任している家庭では
おふくろや奥さんの手作り味噌汁の味を
それでつくって送ってあげれば良い。
真空感想して粉末にして
送ってあげてもいいだろうし、
味噌製造会社が
海外にもスーパーマーケットに
ディスペンサーをおいて
そこでつくってあげてもいいのじゃないか。
モジュールの組み合わせかたは
主婦の作った気に入っている組み合わせを登録してもらって
ウェブ上に載せておけばいい。

味情の味情報をデジタル化するのは味噌メーカーの
サービスでおこなってあげれば
その味噌はずっとそのメーカーの
仕組みでつくってくれる
いわばリピーターが出来る可能性もある。

あるいは
じぶんちの味噌味をネット上で
オープンにすればヒトんちの味噌汁の味も
楽しめる時代かもしれないぞ。




2001.12.16

だいぶ以前だけれど
おもしろいなあ、と思ったものを書いた。

高速道路のトイレのドアの蝶番、のことだ。

あれは人が入らずにいる状態では
自動的にドアが開いている状態になるようになっている。

なんでそうなっているかは
当然人が入っているかいないかが一目瞭然なのだが
なぜそういうふうになるのかは
これがおもしろい。

普通、こういったものは
蝶番のところに
ばねや
あるいは、事務所のドアについているような
危惧がついていると考えがちだ。

開き方向に自動的に開いているように
「力を出すもの」がついていて
自動的に開いているようにしている。

ところが高速道路のトイレのドアは
こういったものはついていない。

ただドアが蝶番を通じて壁についているだけだ。

でもちゃんとドアは開いているようになっていて
閉じてある状態でも
手を放せば自動的に開いていく。

これがなぜできるのかというと
この蝶番の部品がよく考えてあって

ただ、単に
固定側の、いわば、ドアを支える側の
蝶番の心棒を取り巻いている面が斜めになっているだけの
仕組みなのだ。

ドア側の蝶番の心棒を取り巻いている部分も
それに合わせたように
面が斜めになっている。

つまり蝶番の固定側と可動側の
接する面が斜めになっていて
これが「カム」のような働きをして
ドアの重みでドアが開いていくようになっている。
たったこれだけの話なのだが、
考えてみればこれほど簡単な仕組みもない。


で、
これをもっと発展させれば
もっといろいろなことができるのではないか。

「カム」の面の斜度を変えてやれば
ドアの締まり具合もかわるだろう。

固定側の面の角度を可変したり
例えば90度の開く可動範囲のなかでも
45度はゆっくりと、
あとの45度は力強く、、
そんな感じにもなる。
もちろん、ラチェットのようにしたり
クリックする部分をつけておけばそこで
止めることもでききるはずだ。


あるいは斜面の方向やあるいは
位置関係を変えてやれば
締まり方向も可変できる。

つまり
トイレのドアにしろ室内のドアにしろ
ほっておけば
開いていくのか
閉じていくのか
の方向の設定が自分で加減できれば良い。

これは蝶番の心棒を囲んでいる面の部分を
可動できるようにして
ドアの締まり位置とその面のい位置関係を
何度かずらすことができるだけで可能だ。


この、いわば「カム」のようなものというのは
案外見逃されているようにも思える。

最近はなんでもアクチュエーターのようなもので
可動させようとするのが多いが
これだと高価で重くなる。

カムや機構学で解明されるようなものって
これは考え様によっては
アイディアの宝庫だ。

ありがたいことに機構学で研究されていることには
すでに大昔から当たり前の知恵になっていることも
多く、本もたくさん出ているから
いろいろアイディアも生かせる、、、というか
これを使って「なにができるかを考えればいい」ということだ。




2001.12.23

2週間前に
味噌などのディスペンサーを作れば良い、と書いた。
味のモジュールを合成することで
いろんな味を実現できるんじゃないかという話だが、

今日の日経新聞に
「味覚のナゾ」という連載がのっているのを見つけた。
どうやらこの間に連載されていて
残念ながら以前の記事は読む機会を失ったが、

新聞によれば味覚というものは
5つの基本味を感じることで
様々な味を感じるようになっているということらしい。

最近は味覚センサーというものもあって
これでいろんな味を情報化できるらしい。
研究室レベルの話ではなく
実際にそういう機械は販売もされていて
製薬会社や食品メーカーや研究所・大学、などに
設置されているらしい

それができるのであれば
味の情報を元に
人工的な味を作り出すことは可能であろうし
例えばお気に入りの味を再現した味噌なども
できるだろう。

考えてみれば
様々な情報、それも
アナログ情報と言われているようなものは
中間的ではっきりとしていない情報の
集合のような気がしているが
それをどんどん細分化して
細かくして行けば
単一でモジュール化された情報の
集合であることに行き着く。

ちょうど遺伝子や素粒子が
そべての物質や生命の元になっているようにだ。

ただ、自然の階層性については
哲学者や物理学者も
いまだ諸説ぷんぷんだから
まだこの素となる物質や情報が
解明されたからといって
自然界のすべての「振る舞い」が説明できるわけではない。

が、とりあえずは
ビジネスのレベルきらいで捉えていけば
遺伝子や素粒子や情報を細かく解明していくことが
直接ビジネスにもなっていくことは
この間の遺伝子ビジネスやナノテクノロジーの
世界を巻き込んだ騒ぎが証明している。

アナログ情報としてざっくりと捉えていた情報を
細かく細分化して
デジタル化しそれを「ビジネスにつなげていくビジネス」も
あそらくは今後もっと注目を浴びるだろうことは
間違いない。


故小渕総理から始まったデジタルマイスター構想のような
ものも人間的なところにとどまっていた
技能や技術の情報をデジタル化することを目指している。
このこと自身はとても重要であって否定はしない。

遺伝子や素粒子や情報を細かく解明していくこと
それ自身は大きく言えば人類にとっても重要なことである。
ただそれ自身が日本の産業活性化に結びつくかどうかは
また別の次元の話ではあるはずなのだが、、。

まあ、ともかく
アナログ情報を細かく細分化して
デジタル化しそれを「ビジネスにつなげていくビジネス」は
これから一つの分野を形成するだろうと思う。

もしかしたらデータマイニングの技術や
ナレッジマネジメントの話やあるいは人工知能なんかも
そこにつながっていくのかもしれない。

だとすれば
これは次代の産業にとって宝の山になるはずだ。

同時にそこにはきっと
混沌としてごちゃごちゃの情報や
あるがままの状態のなかから
一定の法則を導きだすための理論や
それをするための物理的な仕組みも必要になるかもしれない。

ナノテクノロジーや遺伝子配列を調べるための
装置なんかは日本やアメリカでも盛んだが
この部分も
次代には重要な技術や産業にもなる可能性もあるのじゃないか。

まして
そのデジタル情報にする情報の分野というのは
本来、多岐に渡るはずで
今はデジタル化する必要性が見えていないだけで
それによって複製ができるとか
デジタル情報によって
遠隔地に情報として配信し
それを現地で再現するようなビジネスが現れると
一気にその分野に火がつく可能性さえある。

すでにその徴候は現れていて
例えば
以前、書いたように
人工的に匂いを再現する仕組みはアメリカでも
日本でも行われている。

ビジネスというならば
人のかける眼鏡も
人の顔をレーザースキャニング装置で
三次元の立体のデータに置き換えて
その人の顔にベストフィットする眼鏡を作ることはすでに
始っている。

アメリカのジーパンメーカーのリーバイスは
それと同じことをジーパンで行っているし
女性むけの下着メーカーも
おなじようなことをやっているとかいないとか、、だ。


もっと考えてみると
最近ではあたり前になりつつある
3DCADも
本来、最終的にはアナログ情報の固まりとしての
「もの」を作るために
いったんデジタル情報にすることをやっているわけだし

それは2次元のCADでも同じことで
数値に置き換える、ということ自身は
本来、漠とした情報の固まりであるはずのものを
どこでも誰にでも共有するために
数値という、多くは10進法の数値に置き換える作業を
行っている。

というわけで
これからはそういうものをデジタル情報に置き換える
仕事や装置が必要になるのであり
間違いなくある大きさの市場を伴った産業にもなっていくはずだ。

まあ、こうなってくると
いったいそのデジタル化された情報の間にある
本来あるはずの情報は
どう扱っていくべきなのか、という問題も起きてくる。

図面に書かれた寸法が100分の1しか書かれていなくても
そこにその中間的な寸法は存在しているし

音符は音階に従って音を紙の上に表現しているが
本来音は連続して表現もできるわけで
中間的な音がなくなってしまったわけではない。


そう言えば
円周率の扱いがこの前問題になったっけ
円周率は本来3.14、、、、といまのところ際限のない
数字の連続になっていくはずだが
今は3.14と一応「気持ちを割り切って」使うことになっている。

こんどはそれをもっと気持ちを割り切って使おうということで
円周率は3、でいいんだとすることになったとかそうでないとか、、。

問題は
中間的なところに
なんとも割り切れないような部分があって
そういう部分を人間社会は認め合いながら
社会を成り立たせている、ということなんじゃないかと思う。

なんでも割り切れる、と思いこんでしまうことには
大きな「わな」さえ潜んでいるかもしれない。





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