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その15



2001.4.1

最近テレビのコマーシャルでやっているのだが
コンピュータやプリンターのメーカーが
そこの製品であるプリンターのトナーの入れ物を
回収するための投入用回収ボックスを
町の電気屋さんに設置している。

全国の電気屋さんに設置しているんだから
結構な数なんだろうな、と思いながら
この前、近くの電気屋さんにいったら
その回収ボックスが置いてあった。

実はたぶん、
その回収ボックスは
「板金」でできているんじゃないかと思っていた。
箱ものは板金、、、こういう思いが、よく考えもせず
実は自分の頭のなかにあって
日本全国にある回収ボックスを板金で
作のも大変だっただろうなあ、と思っていた。

しかし実際に見た回収ボックスは
板金なんかではなく
プラスティックでできたダンボールのような材料
でできていた。
以前も書いたことがあるが
よく町のdoityourself店で売っていたりする
加工用材料だ。

「プラスティックダンボール」というか
「ダンプラ」というか、製品名でいうと
「ダンプレート」というものがあるんだけれど
それに近い。

実際はちょっと形状が違うのだけれど
まあ、そんな感じでけして金属板金なんかではなく
軽量で安価で加工がしやすいプラスティックのダンボールみたいな
ものでできている、ということだ。

考えてみれば至極当然の話しで
それそのものが商品で
あるわけではないし
全国の電気屋さんにあれだけ大きな板金でできた箱状のものを
送るだけでも結構な負担になる。
いってみればダンボールの箱を空気を入れた空のままで
送るに等しい。

金属でできた箱ものでも
組み立て可能な形状にしておいて
送ることは可能だと思うが重量の点からいっても
プラスティックのダンボールみたいなもので
できていたほうがもちろん良いだろう。
ただ、いずれその箱そのものを廃棄する時が来たときは
金属でできたもののほうがいいのかもしれないとは思うが、

組み立てするのだって
きっと御店の送られてきた時は
ダンボールの箱がくみたてられる前の形みたいに
まだ各部が折り曲がられていない状態で
外形が型によって切り取られただけの状態で
送られてきているんだろうと思うが、
組み立てるのは至極簡単な作業のはずだ。

それにしてもあの箱を作った仕事そのものはデザインや企画含め
面白い仕事だったのではないかと思うが、
同時にあの仕事だけでも結構な仕事量であったことは間違いない。
ましてあれを金属の箱で作ったとしたら
仕事の金銭的なあるいはいろんな部署などに対する
負担はとてもキツイと思う。
運送会社なんかにとってもまったく違う種類の仕事になっただろう。


当然ながらあれをプラスティックダンボールで作ることはたぶん
計画の初期の段階で決定したであろうことは想像にかたくないが、

あれをみながら
こういう考え方でいろんなものづくりを
見直すことは結構有効なことじゃないかと思えた。

少なくとも材料の見直しだけで
組み立て方法や運搬方法やそれに伴う社会的な合理性は
だいぶ違ったものになる。

あれをもっと「読み解いて」いろんなところに
考え方として応用できないか、
逆に金属板金ものでもおなじようなことができて
むしろもっと優位な点や便利だったりする点がありはしないかと
考えてみるのも良いと思う。


で、それ以外にもいろいろ思いを巡らすことはできる。

例えば
いまでも家具や椅子などは
ばらしたままで送られてくることが多いが、
こういった方法は見落としがちだがこれからの
製品やサービスには欠かせない観点になるのではないか。

また、送る時には小さく軽ければ良いのだが
逆に作ったものがあまりに軽く、
使用する時には軽ければ困る、という状況もないではない。

回収ボックスあたりでは軽いことは問題ではないだろうが
椅子や机はある程度の重量は必要になるだろう。

で、この場合、水(や土や手近にあるもの)をいれて
重さを確保するという手もある。
水だったらどこにでもあるわけだし
まさか設置した場所で水もれもこまるから
そういう場合はなんらかの材料とまぜて使うことで
水を固定してしまうやり方もある。

セメントではあとあと困るだろうから
使い捨てオムツにいれてあるええーとなんと言ったけ、
給水材というかああいう水を固定する材料を使う手もある。

つまり材料や材質やそれを使うところで
使えるように形状なり状況なりをいかに変えて、
それが全体の合理性を高めていくという考え方も
これからはあるんだと思う。

こういうことは実はこういったことにかぎらず
様々なところで起きてくるだろう。

コンビニストアがものをディストリビュートしていく
結節点になっていくだけでなく
情報の結節点になっていく可能性があったり

新聞や牛乳や小口宅配便や郵便が
それぞれ別々の経路でものを家庭に運んでくるのだって
考えてみれば
どこかに集配所があってそこでだれそれ向けに
いちどまとめなおして家庭に配達するやり方だってある。

さすがプリンターのトナーの箱の回収は
ああいったことになるんだろうが
もともと
もしかしてもっと違った回収のやり方だってあるかもしれない。

少なくともプラスティックが自然にもどってしまうような
材料があるがああいったものがもっと普及すれば
回収せずに済む、とうこともあるだろう。
例えばオフィスの観葉樹のための栄養素にでも
なってしまえばとても良いと思う。

案外、身の回りにある様々な製品やその流れや
使われかたなどなどが
本当に合理的な状況なのか
一つ一つ疑ってかかる必要もあるかもしれない。

コンビニやお店で買ってきたものを入れた袋や
お弁当の箱やあるいは飲料のいれものなんかは
あれほどの短時間で役目をはたして終わっていくというのは
どうもしっくりこない。

本屋の本を入れてくれる袋もそうだ。

逆にいえば
そこにこそこれから必要となる様々なアイディアや知恵を
受け入れる余地がたくさんあるのだと思う。

電気屋さんにだってコンビニだって
本屋さんだって、よくよくみれば
アイディアを必要としているおもしろそうな部分は
たくさんある。

お客さんもお店も、そしてそこにアイディアを出す自分も
みんながうれしくなるようなものを作りだせば良い。




2001.4.8

ちょっと前の読売新聞の一面だったか、
面白い話しが載っていた。

普通、鏡に自分を写すと左右が逆に写る。
(本当は「左右が逆に写る」というのは
本当かどうかちょっと考えてみる必要がある)
それがあるひとが考えた鏡に写すと左右が
「そのまま」に写るというのだ。

そういう仕組みを持つ構造の鏡を
ある発明家が考えて
8年かかって実用新案を取得したんだという。

構造的にはよく言われるように
二つの鏡を上からみたら90度の角度を持たせて向き合わせると
左右がそのまま写るという仕組みを基本にしながら
前面にガラスをおいて
その3つの面に挟まれた三角形のなかに
「水」をいれるというのが味噌らしい。
鏡を二つ向き合わせることで当然ながら
鏡と鏡の間に線ができてしまうのだが
水をいれることによって
その線が消えてしまうらしい。

それにしても左右が「そのまま」に写る鏡とかは
考えたものだ。

まあ、普通の鏡でも別に不便なことはないと思うのだが、
考えてみれば鏡のなかに写った自分は
普段、人が自分を見ている姿とは違って
左右が逆に写っているわけで、
人から見た本当の自分の姿を確認したいなんていう
要望があればこれは使える技術かもしれない。

もし、ほかにもこういうような「使える用途」が
たくさんあれば
「逆に写すこと」そのものが知的所有権で守られた
技術になる、ということにもなるだろうから
その「ビジネスチャンス」の可能性は非常に広がるはずだ。

もともと鏡ってそのものは特許でもなんでもないだろうが
逆に写す仕組みを考案したことで
その仕組みは大きな可能性が出てくる。
ただ、そのアプリケーションをたくさん考える必要はあるのだが、、。


ところでところで、、、
むかし友人と笑い話しをしたことがある。
鏡は左右逆に写るのになぜ上下は逆に写らないのか、、。

むむむ、、
みなさん、ちゃんと答えられるだろうか。

基本的には言葉遊びの範疇だろう。
左右は逆に写っていて
上下がそのまま写っている、んではなくて
よくよく考えてみれば「自分にとって」あくまで
右にあるものは右に
左のあるものは左に
上にあるものは上に
下にあるものは下に
写っているに過ぎないのだが
細かくシュチュエーションを変えると
結構説明しづらい。
自分の着ているシャツの胸と背中のマークが
どういう場合にどう写るのかを考えて
それを説明しようとすると結構苦労することになる。
まあ、ゆっくり考えてみてください。

ところでこれが「左右が逆に写る鏡?」になると
話しはもっと複雑になる。
左右の二つの鏡を真ん中であわせるのではなく
上下にあわせたらいったいどうなるのか、、、
あるいは真ん中で四つの鏡をあわせたら
いったいどんな風にうつるのだろうか、、。
ちょっと興味のあるところではある。

「正像が写る鏡」というところまできたなら
それがもっと違うシュチュエーションや
組み合わせをすればどんなことになるのか、
こういうことを考えてみても良いと思う。


ところでノートパソコンを使って
お客さんや仲間にプレゼンテーションをすることってあると思う。
大人数や準備や場所の余裕があれば
プロジェクターを使う手があるが
そんな余裕がない場合や小人数の場合は
ノートパソコンそのものの画面を仲間に見せることになるのだが
こういう場合、
自分も見る人の側にまわって画面を見ながら操作することになる。
これってとても操作がし難い。

画面を後ろから透過してみることができればそれでもいいが
自分にとっては左右が逆になってしまうし
その前に、バックライトがないから暗くて見にくいだろう。
(考えた企業もいままでにないでもなくて
某大手企業がバックライトをはずせるディスプレー付き
ノートパソコンを作ったことがあった。ただし試作だった)

これはお客の見ている側にちいさな鏡のようなものを置いて
そこに画面を映してみるようにすればいいかもしれない。
いわば潜望鏡やプリズムみたいなものといえばいいか。

ただ、
向こうに正像で見えているものを
鏡を通してこちらでみれば像は逆に見えてしまう。

こんな場合にこそさっきのような「逆に写る鏡」は使えるかもしれない。
ノートパソコンのおいてある机の上に
自分に見えるようにそういう鏡を置いて
そこでモニターするとか
ディスプレーの上にそういう鏡を使った
潜望鏡ふうの鏡をつけて
ディスプレーに写った画像を折り返して
こちらで見えるようにする。

ただ、、
自分だけ小型のディスプレーをつなげてそれで画面を
モニターするという手もある、、、そのほうが簡単ではある、、。

でもでも、そうはいっても
そういう鏡の用途はまだまだありそうではないか。
簡単に使えて費用もかからず電気もいらず、、

字とかマークとかを鏡に写さなくてはならない場合には
結構使えることがあるかもしれない。



2001.4.15

いつも当たり前に考えていて
当然だからしかたがないと思っていることって
たくさんある。

例えば、
この前、思ったのだけれど
紙の「たたみかた」って
普通は筒のように丸めていくか
あるいは四角に折りたたんでいくのが普通だ。

折り目がついてはまずいようなもの、
図面とか大事な証書のようなものは
筒のように丸めることが多い。
折り目がついても良いものは
四角にたたむことが多い。
手紙とか普通の資料のようなものはそうやってたたむ。

もっと大事なものは折らずにおくことが多い。
当たり前だ。

で、こう考えてみると
大事なものは折れないわけだから
輸送などするときは困ったことが多い。
大きなままで送ることになるから費用もかかる。
梱包も大変だ。

筒のように丸めるとちょっと小さくはなるが
一面の大きさはかわらないから
やはりある程度の大きさになってしまう。

大事な紙のようなものを
ある程度小さく「畳んで」送ることは
可能だろうか。

どう考えても丸く筒状にするのが一番のような気がする。

四角に畳むとどうしても
折り目がついてしまう。

もし「折り目」がつかない折り方、畳み方が
考案できればこれは面白い。
なにか良い方法はないだろうか。

どう考えても二回折ると角のところにしわがよってしまい
折り目がついてしまうが

とりあえず一回だけ折るだけだったら
折り目をつけずにすむことはある。

折り込んだ中の側に丸い棒状のものをはさんでおけば
紙はおれない。

●断面よりは涙滴型の断面形状が良いと思うが、
そんなようなものを間にはさんでおけば
、あるいはそれを何度か繰り返せば
大きい資料も筒形状にするのと同じような大きさに収納することができる。
ただ、これは筒のように丸めるのとあまり変わらないといえば言える。
とりあえずそんな形にたたんだものを
収納ケースのようなものに入れればしわや折り目はつかない。


本当はこれを繰り返すなかでもう一方方向にも
しわを寄せずに畳むことができれば良いのだが、
どう考えてみてもその方法が生まれてこない。
なにか新しい発想がないだろうか。

輸送費用も檄的に下がるだろうし
自分自身で資料等を持ち運ぶのだって
すごく便利になると思う。

そう言えば布団をたたむ考え方で
よくテレビのテレビショッピングで見るやり方がある。

布団袋がフィルムというか空気を通さない材質でできていて
袋から空気を抜いてしまうやり方だ。
これはすでに一般的になっている。
これによって布団のなかの空気が抜けて
大きさが檄的に小さくなるから
収納するにも非常に便利になる。

「布団屋さん」がどういう収納をしているか
あるいは輸送時にも
どうやっているかはしらないが
このやり方をもししているんだとすれば
輸送費や倉庫代も結構かわるんだろうな、と思える。

こんな発想がほかにも欲しい。
紙の資料やいろんな資料、本や雑誌、鍋や釜、
電気器具にテレビに冷蔵庫、パソコンだってそうだ。

こういう身のまわりのものを
もう一度見直して
機能はともかく
大きさだけでももうちょっとコンパクトにならないものか
考えてみたら良いと思う。

ちょっとしたアイディアでまったく新しい可能性や
便利さが出てくる可能性はあると思う。




2001.4.22

でもって、あれから紙の折り方をいろいろ
考えてみた。

筒にしていくのは簡単だが
それと直交する方向にもう一回折り目をつけづに折るのは
これは至難の技でちょっと考えてみたくらいじゃ
なかなか思い浮かばない。
まあ、そのうちコロンブスのタマゴみたいな話しは
出てくるかもしれない。

しかし、これはちょっと面白いと思った。
紙やフィルム状の平面なものをどんどん丸めていく、、
紙テープやビニールテープのようにだ。
トイレットパーパーのようでもある。

完全な筒状に丸く丸めていくのは
訳なくできる、、、。

でも、もし四角に丸めていきたいと思ったら、
どうすればいいのか、、。

例えばトイレットペーパーの心棒は
通常丸いから紙を丸めて行くのも
同じように○が大きくなっていくだけだが、

もし心棒が○ではなく四角だったらどうなるだろうか。

これは容易に想像がつく。
始めは四角の心棒にそったように四角に巻かれていくが
やがてその角の部分が丸くなっていき、
やがて全体が丸くなっていってしまう。
大きくなればなるほど
最後は限りなく○になっていく。

ごくごく当然と考えれば
心棒の形のままが大きくなっていくようなことも
考えられがちなわけだけれど
実際はどんどん丸くなっていく。

四角でなくて例えば平面
アイスクリームの心棒のような平面の棒であっても
まきはじめはその平面にそったかたちで巻かれていくが
やがては丸くなっていく。

そんなの当然じゃないか、というなかれ、
それがなぜそうなるか、考えてみたことがあるだろうか。

これを冷静になって考えてみた。

図に書いてみるとすぐわかる。
棒に巻かれる全体でなく
角のところだけ一個所拡大して考えてみればすぐわかる。

角が完全な直角を想定してみる。
最初の一周というか一枚めであれば
型となる心棒の角にそって鋭角に紙などは巻かれていくのだが
もうその時点で角に触れている部分は完全な角に曲がっているのだが
外周はすでにややRが着いた形状になっている。
当然ではある。
二周めというか二枚目にはその少しRが着いた上に
かぶさるわけだからそことふれあった内側は
すでにそのRに従ったRになっているわけで
当然その紙やテープのその側はもっとおおきなRがついている。

こうしてこれを重ねていくと
どんどんRは大きくなっていくというわけだ。
やがてそのRが元の型の平面部分を
覆うくらい大きくなっていって
やがて全体は限りなく丸くなっていく、というわけだ。

そんなの当然じゃんというなかれ、
そういうことを不思議と思わず当然のこととして
考えていたら発展はない。

で、こういうことがわかってきたら
じゃ、そこになにか面白いことを
考えることはできないか、と考えた。

理論的には(それほどのことじゃないけれど)
例えば真珠の玉がなぜ元の種がいびつなのに
成長するとどんどん丸くなるかは同じ理由が考えられるわけで
どんな複雑なものでも
均一にまわりを覆っていけば限りなく丸くなっていくと言える。
これは「丸いものを作りたい」という方法として使えると思う。

なにも真空中や無重力のなかで表面張力で
液体のようなものを丸めておいて固めるというやり方や
なにかとどんどん擦り合わせをして丸めていくという
やり方ばかりでもないだろう。

でも「こんぺいとう」がどんどんトゲを出していくとういう
現象もあるから
表面に均一に盛っていけば良いという話しは
一概に言えないかもしれない。

さて、じゃ、こんどは
どうしても重ねていくと限りなく丸くなってしまう、ことを
避ける方法はないだろうか。

つまり、最初の一枚が型なり心棒なりに重なった時に
その一枚の外周側にできてしまう丸みをちゃんと角に成形するか
あるいは
すでに丸みがついた外周に
もう一枚重なった時に
前の一枚の外周の丸みにそわないで
ちゃんと角を内側に作ることができれば良いということになる。

つまり、一枚めのRと二枚目の角の間には理論的には
角を作りながら丸めていこうとすると
どうしても若干の隙間ができてしまう、というか
隙間が必要になる、のだが
その隙間を作りながら巻いていく方法を考えることと
その隙間をなんらかの工夫でうめることを考えれば良い。

やり方はいろいろ考えられる。

一枚めの外の部分のRになんらかの隙間埋め用のパーツなり
素材なりを被せる、か
あるいは
二枚目を一枚めに被せる時に
その角の部分に隙間、というか、要は
折り方を工夫して一枚めの角のRに沿っていかないようにすれば良い。
機械で言えばベンダーのようなものを使って
そこに角を作るようにする。
それを一枚目のうえにかさねれば
隙間ができる、が、それはあけておいてもいいし
なんらかの素材で埋めても良い。

そういうことを繰り返していけば
いくら巻いても角が最後まで残る、つまり
心棒や型が角のあるものでも
最後までその角を残して巻いていくことができるはずだ。

なぜ、こんなに紙なり薄いフィルムなり平面のものを
角を残して巻くことにこだわるのか、、

実は「ものを作るため」にいろんな可能性があるからだ。

どんな可能性があるのか、は、ぜひ考えてみて欲しいと思う。



2001.4.29

今の日本がデフレだとかそうでないとかの話しが盛んだけれど
まあ、たしかに
食いものやいろんな生活物資が「安く」手に入ること
自身はとてもうれしいことではある。

技術やものづくりの様々なイノベーションで
ものが安くなることは消して悪いことや
いけないことではないと思う。

ただ、不当で過当な競争のなかで
おたがいの足の切りあいみたいな方法
で乗り切っていくことになるのは
消して良い結果にはならないとは思う。

さて、
牛丼でもハンバーガーでも
あるいは100円ショップで売っているものなんかも
あれおど安くなってきていると
たしかに重宝はするのだけれど
せっかくあれだけ安くなってきて
いろんなものが買えたり食えたりするのだから
あれを利用してなにか別のことが考えられないかと
ふと思ったりする。


例えば
牛丼やハンバーガーは
あれだけ安くて重宝するが
どこまで行っても「ジャンクフード」という
範疇を超えていない。
でも味とか量とかはさすがよくできている。

せっかくあそこまで味と量が
食品としてできているんだから
「ジャンクフード」という雰囲気を
変えるための方法はないだろうか。

なにもあの「殺伐とした場所」で
食べなくてもいいのじゃないかということだ。

あるいはもっと違う食べ物がそこに付加されても
いいのじゃないか。

そしてそもそも
ああいったサービスというか物の販売のやり方を
うまく利用して違ったことが促進できないだろうか。


考えてみると
町のコンビニストアや100円ショップや
牛丼屋さんやハンバーガーショップなどなど、
食べ物屋さんのコンビニのようなところが
最近はそれこそ「のき」をならべている。

例えば、せっかくだからああいったものを
買ってきてゆっくり食べることができる場所が
あったらどうだろうか。

何個所からいろんなものを買ってきて
何もない喫茶店のような
ゆっくりできる場所だけがあって
そこには水やお茶などだけが提供してあって
すごく安い金額でそこの自分の場所を借りることができる。

サラリーマンがわざわざ金額を別に払って
そういう場所にいくいだろうかという疑問もあるが
そうではなくて
買い物に来ている主婦や
おじいちゃんおばあちゃんのためのサービスとして
おこなったらどうだろうか。

ジャンクフードもいろいろ組み合わせれば
結構おもしろい組み合わせができるのではないか。
あるいはそこに食べ物とかだけではなく
ほかのものやサービスが持ち込まれてきたならば
どうなるのだろうか。

話しはかわるが
最近、朝10時ちょっと過ぎに
「doityourself」のお店に行くことがあった。

結構朝から混んでいるものだな、と思って
よく見てみると
買い物をしているのは年配の人が多いことに
気がつく。

会社務めを終えて時間が比較的自由になった
年配の人達が
あいた時間を利用して
庭いじりとか工作とか
そんなことに向かおうとしているのではないか
という想像が容易につく。

せっかくなんだから
カルチャーセンターみたいなものが
年配の人達を集めてできればいいのだろうがと思えたし
そこにお店で販売している
いろんな商材も販売できるはずだと思えてくる。

そういう場合の「場所」とそこで食べたり消費するための
いろんなものやサービスは
実はこれから様々なものが出てくるだろうと思える。

これは年配のおじいちゃんおばあちゃんの
生活の幅や質を広げるだけに限らない。

様々な人々やコミュニティーがこれからはドンドン
増えてくる。

そういった人々の集まる場所やサービスを
既存のものや商売やサービスのなかから
うまく利用し役だてれば
これはきっと面白いことも出てくるに
違いないと思う。

あまり「ピン」と来ない人は
ぜひ近くのコンビニやジャンクフード店や
「doityourself」のお店に
行ってみたらどうだろうか。

そこにはまったく予想もつかないような
つまりその商売そものではなく
そこから新たに生まれる新しいビジネスの可能性や
つながりの可能性が生まれてきているように
思えてくる。



2001.5.13

半導体素子がこれほど安価になってきて
いろんな電子機器が安価にできるようになると
どんなことでもまずは電子的な方法で
行おうと考えてしまう。

最近のMP3に対応した音楽機器もそうだし
これからは音だけではなく
安価な映像機器も登場してくるだろう。

今だって「携帯端末」や「携帯電話」でも
そんな機能がついているし
今後はもっと簡単で安価なものが登場してくるだろう。

で、最終的には使い捨てみたいなものまで
半導体が使われるようになるんだろうが
今のところは使い捨てのものや
人に配るようなものまで半導体が使われることはまだない。

いずれそういうことになるんだろうが
いまのところは大事に使うものに利用されている。

で、使い捨て(がいいかどうかは別として)や
人にドンドン配るようなものに
半導体を使わずに高度な機能が付けられないものかと
思ったりもする。
特に人に配るもの、というと「名刺」が考えられる。
こういうものに
画像を扱えたり音を扱えたりする機能がついたりすれば
面白いことができるように思う。


画像を扱うのはまだちょっと難しいと思うのだが
音くらいだったらすでに
簡単な半導体に書き込んで本みたいなものにつけて
配ることくらいはできるから

あれをもうちょっと高度にすることさえできれば
名刺やほかにも結構いろんなものに使えると思う。

とりあえず名刺に貼り付けて
自分の紹介を音で紹介するようにするとか
社歌が聞こえるようにするとか?
あるいは
今は携帯電話だか普通の電話もそうだとかだが
1から0までに対応したプッシュフォンの「音」を
受話器のところに聞かせるだけで
自動的に相手先に電話がつながる機能というのがある。
名刺にじぶんところの電話番号の音が出る
機能がついていたら格好良いと思う。

名刺をもらった人が自分に電話してこようとする場合は
受話器の話すところに名刺をくっつけて
プッシュフォンのような音で
自分のところの電話番号を音で
いれることができれば簡単にじぶんところに
電話をかけてくることになる。

ただ、電話番号くらいプッシュしたって
たいして労力は使わないし
通常取引きのあるところは
短縮番号に登録すればもう用は済む、と思うだろう。

ただ、本当はこういう機能のなかに
ほかの機能を「含ませる」ことができれば面白いと思う。
例えば電話料金とかあるいは認証とかそういったものだ。

あるいは音をつかって
相手先のなんらかの機材に信号なりデータを
送り込むこともできるはずだ。
まあ、これは携帯電話間のメールと同じようなものだから
可能になっていると言われればいえないこともない。

しかし、よく考えてみると
名刺(なりそれにかわる「もの」を渡したのは
私だし、それを使って相手が電話なりをかけてくるのは
私であるはずだ。
そんなことに意味があるんだろうか、と思ってしまうが、
いや考えてみるとこれはもしかして
非常に面白いことができるんじゃないかということに
実は気がつく。
最初に書いたように半導体が簡単に安価に
そういう配りものに使うことができる時代だ。
ましてその半導体も最近では
非常に高度なことが可能になってきている。
機能も複雑で多機能なことを「ワンチップ」で
行うことが可能になっている。

名刺(あるいはそういう実際の「もの」)を使って
それと電話なり(本当はパソコンだって使える)
を結んでいろんなことを行う。
、、、面白いことができるはずだ。

例えば名刺のある部分に作られた
手に持った人の体温を感知する部分で
温度を感知して音がそれに応じた周波数で鳴るようにすれば
電話をした先のセンサーに自動的に
体温が登録されることになる。
別に音でなくてもいいんだろうが電話だったらそうなる。

遠隔地医療のシステムなんかで
インターネットを使って体温やいろんな管理を
しようという試みがあるが
電話と「名刺(のようなものにしこんだセンサーや半導体)」
みたいなものを使ってもっと機能を絞った
簡単な仕組み・システムだって考えられないだろうか。

ちなみにフロッピーやCD−ROMや
いろんな「記録メディア」だって
これと同じような発想は本来できるはずだ。
何も記録だけをさせることもないだろう。

自分の指紋が、手に持ったCD−ROMにうっすらと
ついているのを見てそう思った。


2001.5.20

以前ここに書いたことがあるが、
電光掲示板を使った
タクシーやバスのなかでの
情報配信システムがあっても良いと思う。

タクシーのなかでのものは
実は信州は松本を中心としたある観光事業を行っている
企業がポケットベルを利用したものを
一年くらい前から行っている。
これは以前週刊誌に紹介されて知っている人も
多いのではないかと思う。

ただ、これは電光掲示板だし
ポケットベルでの配信だから
字でしか読むことができないし
字数も限られているようだし
たぶん情報を配信しているところが
東京かどこかのためだろう
天気予報が松本を中心にしておらず
ぜんぜん関係のない地域であるのが残念ではある。

これが画像とかも表示できたり
せっかく移動する物体にのっけてあるのだから
その場所場所に応じた情報がリアルタイムで
表示されたら良い。

GPSと連動していればなおのこと良い。

その道順のしたがって
観光情報やお買い物の情報が
流れてくれば便利だし、
寄り道をしてくれるから
タクシー会社にとっても良い話しになるだろう。

、とここまでは以前も書いたと思うが、
これを膨らませるともっと面白いことができると思う。
例えば携帯電話を使って
社内の掲示板に書かれたコマーシャルに書かれた
質問に答えていくと
なんらかのメリットが得られるとか、
つまり「掲示板」と「GPS」と「携帯電話」と「場所」の
組み合わせを考えれば良い

その場所ならではの価値と
それを不特定多数に見せる工夫と
そこからインタラクティブにパーソナルな情報を
返す、工夫だ。

実は情報サービスで
地域や特定の場所に限らないサービス、というよりは
これからは特定の場所とか地域に
「限った」、あるいは「縛られた」、サービス、というものが
重要になっていくと思う。

同時にその情報にたどりつくため、
あるいはたどりつかせるため、の工夫というのが必要になる。

広域だったり地域に関係なければ
週刊誌だの雑誌だのテレビだの、といった手があるが
地域やその場所に強く縛りつける必要がある場合は
その接点をどこに設けるかがアイディアの勝負になる。
で、これはよくよく考えてみるといたるところに
その鍵になるものがあると思えてくる。

などなど考えてくると
これはいろいろな可能性が考えられる。
ちょっとこれから考えていこうと思う。

というわけであとは次回、、



2001.5.27

情報サービスに
「掲示板」と「GPS」と「携帯電話」と「場所」
をキーワードとするビジネスモデルを考えれば、と先週書いたが、
これは本当にいろいろなものが考えられる。

実はほかにもこれと似たようなものもいろいろ
考えてみることができる。

特に商品販売を考えてみるとイメージがわく、
要は属性が複雑でありながらたくさんの「消費者」と
選択肢がいくつもある「メーカー群、製品群」とを
どうやって結びつけていくか、という話しだ。

消費者がインターネットなどの上に自分の情報を
積極的に開示して
その見返りとしてなんらかのインセンティブを
得ながら同時に製品やサービスの供給をうける、という
やり方がある。

これは前から言うように
携帯電話を「パーソナルサーバー」として位置付け
そこに自分の情報を載せていくというやり方が
これからは起きてくる。

メーカーやサービス供給業者がそれらの情報に
たいして、検索をかけ情報を引っ張り出して
「効率よく」顧客にアクセスできる。


一方、御客さん側ではなく
供給側からはどんなことができるんだろうか。

実は地域や場所にかぎらないでも
いろんな属性に分けた「宣伝方法」というのが
これからは出てくるだろう。

もともと「公共的」な場所とかものとかは
消費者に広く呼びかける媒体にすることができるはずだ。

公共の電波ももちろんだが、
公共の場所、みんなから見える場所、
道路やみんなから見てもらえる建物や
ありは空中の特定の場所だって
よく考えてみれば媒体とすることができる。

先週書いた、タクシーやバスの中や外(ボディーの外側)
も公共的な媒体として使うことができる。

あるいはスーパーマーケットで売られている商品そのものも
自社と消費者を結ぶ媒体として考えることもできる。

もともと、「広告宣伝行為」そのものが
企業なり商品なると「消費者」を結ぶ媒体なのだから、
商品そのものだって広告そのものでもあると言える。

そういう公共的な場所や媒体のなかで
広告されているものは
比較的誰にでもむけた汎用的なものであるはずだが

消費者のほうから一歩、それにたいして
なんらかの行動をおこした場合には
それがその消費者の属性を
絞ることにつながっている場合が多い。

例えばバスやタクシーのに乗ったこと自身や
スーパーで、ある商品を選んだこと自身が、、
もっと言えばウェブである製品のホームページを
閲覧したこと自身が
その消費者の属性をあきらかにした行為そのものといっていい。

その接点の位置は
消費者側に主に委ねられている場合もあるし
生産者側に主に委ねられている場合もある。
偶然にそれが生まれる場合ももちろんある。
例えばタクシーやバスに乗って
ある場所を通行していた時に
ある地点を通行したことよって
その乗員にその地域に関連した情報を個々に通知したり
あるいは掲示板などによって通知したりすることだって
できるが、これなんかは偶然選んだ選択が
作られた情報を供給することにつながっていく、、。


ともかく、、
そういう消費者と供給側の接点はこれから
あらゆる状況が生まれてくるだろうし
そこには面白いビジネスモデルが生まれてくるはずだ。

ちょっと面白いことをもう一つかけば、、

例えばこれからは地価の地図なんてものではなく
消費者や消費力が一番集まったり通行する地価なんてのも
登場してくる可能性もある。

もっと言えばひとり一人の属性や購買力を認知して
それが通行したごとに積算されて
その地点を通る人たちの潜在的な購買力を
属性ごとに認識できる方法もでてくる可能性さえある。

東京は新宿の駅前なんかにある宣伝用電光掲示板が
歩く人の属性を判断してそれに一番見合った
情報を掲示するなんてやり方だってこれからはあるはずだ。
ついでにそれとIモードを使って
その場でお客を呼び込む仕掛けなんかも
けして夢の話しではない。




2001.6.3

本屋に行って立ち読みをすることが好きだから
結構新刊や出たばかりの雑誌に目を通していると思っている。

で、最近、というか結構以前からなのだが
雑誌のなかに
「もの」を扱った雑誌がいろいろ出ているのは
知っていると思う。
「もの」といっても範囲が広すぎる言い方だが
主には「雑貨」や「情報家電」や「家電」や
「インテリア」や「デザイン家具」の類が多い。
「ライフスタイル」や旅行などに話題を広げたものも
最近は出ている。

たぶん10種類近くは同じような感じの雑誌がでているし
そういったものとは
ちょっと違う層の購読者を狙った雑誌でも
そういった「もの」に関する話題を取上げているのは
非常に多い。

ところでそのなかでもここ数年に
多く取上げられている「もの」としては
「腕時計」がある。
最近は専門の雑誌も多数出ていて
よくもまあ、これだけ多様な時計を探し出してきて
切り口を考えて話題にし、雑誌にするものだと感心する。


それにしても
いろいろなブランドの腕時計があるものだと思う。

特に海外は
ブランド・イコール・メーカーだから
無数のブランド・イコール・中小メーカーが存在しているようで
その種類に驚かされる。

最近はそういうブランドを集合させた
「グループ化」「寡占化」が進んでいるようだが
基本的にはそれぞれが独立した工房、というか
メーカーとして存在しているようだ。

日本では数はそう多くはなく
片手であまるくるいだが、そのメーカーのなかに
いくつもの「ブランド」が存在してる構造になっている。

海外と日本では
だからちょっと時計の「ブランド」と「メーカー」
関係や仕組みが異なっていると思うが、
まあ、海外でもグループ化が進んでいるところを見ると
海外も日本のような
大手メーカーのような感じになっていくのかもしれない。

でもたぶん大切な「ブランドに対する考え方」は
そうは変わらないだろうとは思う。
日本ではブランドではなくて
ただ「機種」や「デザインのイメージ」を異ならせて
ブランドをつくっているようだものな、、、

話しは戻るが
ああいった海外の時計のように
いろいろ、様々、なデザインや機能をよくも多彩に
生み出してくるものだと感心させられる。

数も大量に作られるものからそれこそ年に数本しか
作られないようなものまで存在しているようだから
多様、という点ではすばらしく多様ではある。


ところで時計、だが
最近筆者は時計をはめない。
使いもしない。
ここまで時計の話題を書いておいてそれはないだろう
と思うだろうが
まじに時計はしていない。
安い時計ならいくつか持ってもいるし
町で探せばそれなりの時計もあるにはある。
それこそ数千円の時計でも
昔の時計以上に正確に動く。


でもよく言われることだが
時計をはめる必要性というのは
今の生活のなかでは意外とない。
これは筆者に限らず
誰でも同じような状況ではないかと思う。
一番言われるのは携帯電話の普及があげられる。
携帯電話の画面には当然ながら
日時を表示する機能がついているから
時間を知る、という機能は携帯電話で充分だ。

それと、車の中には当然時計がついているし
町のなかにも時計の機能を持つものがあふれている。
どこにでも時計の機能はある。

人と会っていれば
誰もが携帯電話か時計を持っているから
最悪の場合でも
人に時間を聞けば時間を知ることは容易だ。

まあ、まずは携帯電話を持つことが一番の
訳、ということだろう。

実は筆者はワイシャツの袖が擦れてしまう、という点も
時計をはめなくなった理由なのではあるが、、

で、じゃ、時計が安くなればなっただけ
時計をまたはめる人が増える可能性があるか、といえば
そうじゃないだろう。

よく言われるように「時を知る、知らせる機能」以外に
まったく異なる必要性が時計には求められている時代だ。

いったいなにが時計に求められているんだろう。

逆に言えば、それが打ち出せない限りは
少しづつ減ってきている腕時計に対する需要、
時計メーカーにとっては
「売り上げ」ということなんだけれど、、
それが減っていくのは避けられない。

で、もしかしたら非常にメーカーにとっては
つらいことなのかもしれないが
時を知ることに対するコスト、が
おまけの範疇や只に近いコストで得られるものである限り
、、それはドンドン進んでいくだろう、なんと言っても
10万年に一秒しか狂わない時計が
4万円で買える時代だし、携帯電話の時計の機能で
充分なのだから、、、、、
時計というものがまた再び産業のなかで
主役や、重要な役割を果たす時代は
もはや来ないのではないかと思えてくる。

ちょうどこれは自動車の
キャブレターみたいなものかもしれない、
今はキャブレターではなく
多くは電子式燃料噴射になってしまっているし
いずれ長いスパンで考えれば
電気自動車や燃料電池車に変わっていくだろうから
キャブレターはちょっとこれから再び脚光を浴びるということは
つらいことだろうとは思う。

キャブレターについてはまた、こんど、としても
とりあえず腕時計について
なにか考えることはできないだろうかと考えてみる。

「時を知る、知らせる機能」以外に
まったく異なる必要性は何があるんだろうか。

ファッション性、それもあるだろうし
おもちゃのような役割、、それもあるだろうと思う。

でも単にファッションだけなら
ブレスレットになってしまうし
おもちゃのような面白さだったら
ほかにもいろいろあるだろう。

結局、今、盛んに前述のような雑誌で取上げられているのは
そういうファッション性だとかおもちゃのようなものであるとか
が「時を知る腕時計」に載せられているということなんだろう。

で、それが希少性と一緒になって持った人間の満足につながる。

たぶん、これから売れる時計というのは
そういうものが渾然一体となったものになっていくだろうと思う。
金額の高い、安い、ではない。

また、時計の機能はあくまで必要だろう。
表示が狂ってしまう精度の悪い時計では
どんなにファッション性が高く、機構が複雑にできていても
だめなのだと思う。

今週はちょっと長くなってしまった。
続きは来週へ





2001.6.10

考えてみれば腕時計ほど
身につけた製品でありながら機構の複雑なもの、はない。
それも外からすぐ見えて、人からも見える場所に
つけられるものはない。
下着の下では意味はない。

おもちゃ性、趣味性、ということでは
機械式の腕時計に限るだろう。

いくら正確でもすべてが電子式では
おもちゃ性、趣味性、は薄れてしまう。
もし電子式の時計なら
最近のような「パソコンの機能」がついているとか
あるいはまったく異なる機能を持たせて
おもちゃ性、趣味性、をあげる必要があるだろう。

いずれにしても
これからは限られた「コレクター」が持つしか
なくなる商品なのかもしれない。
世界中でならまだまだ安価に時を知ることができる
ものである安い腕時計を必要としている国は
たくさんあるだろうが
少なくともこの日本では
いままでのような腕時計は
必要とされなくなっていくだろうと思う。
残念ながら、、



ファッション性ということでは
着るものと細かくあわせる、ということはこれから可能になる。
なんといっても
100円ショップで100円で時計を売っている時代だから、
着るものと色とかをあわせたものをそのたびに換えるというやり方は可能になる。


最近やたら有名になった某廉価ファッションショップで
着るものにあわせた時計が売られていてもなんら不思議ではない。
まだ行ったことはまだないが
考えてみればすごく当然のことだから、もうきっと
販売されてんじゃないの?

ポロシャツやフリースの素材と共通の
ベルトでできた腕時計だってこれは売れる可能性がある。


おもちゃのような性格ということでは
これはムーブは共通としても
ケースをオーダーするとか
名前を入れてくれるとか

あるいはまったく異なるおもちゃ性の高い
物を組み合わせるとかを考える。

電子時計だったら
赤外線の機能をつけて
テレビのチャンネル替わりになるとか
電灯のon・offができるとか
,,まあ、これはたぶん、携帯電話やPDAでも
できてしまうからもっとほかにも考えなくちゃいけない。

いろんな機能がついたナイフ、海外でも日本でもあるが、、
例えばワインのコルク抜きからドライバーから
やすりとかまでついたような例のナイフだが
あんなようなものでもいいかもしれない。
でもせっかくだからもっと精度の高い
複雑な機能と機構を持つものが良い。

例えば小さな小さなカメラとかオルゴールとか、、
そんなものが一緒になった時計だっていい。

自分の好きな音楽がオルゴールを通して
聞けたら素敵かもしれない。

オルゴールのドラムも交換できたりすれば尚、素敵だと思う。

ケースは単の金属ではなくて
もっと希少性の高いものにする。
高価なワインのビンのガラスをくり貫いて使うとか
溶かして使うとかもいいかもしれない。
あるいは有名な史跡の石とかが使えたらいい。
南極の石だってこれは貴重品だろうが
史跡や南極の石は持ち出しは禁止だろうから
それにかわるものを考える。


そう言えばビートルズがはじめて演奏した
バーの建物が改築された時にその壁が
細かくされて販売されていたっけな、
ドイツが統一した時もベルリンの壁の石が
販売されていた。
あんなものはケースには最適かもしれない。

「石」と言えば半導体チップはまさに歴史的な石ではある。
インテルペンティアムやクルーソーの
その時、その時のチップを利用して
時計のケースにしたら結構、うけるかもね。

まあ、結局はブランド性かな。
希少性のあるものを見つけてきて
それと優秀な時計とデザインを結び付けることの
できるブランドとして確立できれば
結構面白い「新興時計メーカー」が出現できるかもしれない。




2001.6.17

以前も書いたが
最近はペットボトルの清涼飲料水を買わなくなった。

高速道路のサービスエリアで飲料水を買う場合でも
本当はペットボトルのほうが便利なのだが
いろいろ考えて最近は缶の飲料水しか買わない。

スーパーマーケットやコンビニストアでも
以前はペットボトルの飲料水を買っていたが
最近は缶、もしくは、紙パックの飲料水しか
買わなくなった。

ペットボトルだって
以前と違ってリサイクルが盛んになってきているから
そんなに問題があるわけではないのだろうが
でもやはりあれだけのものを
一回きりの使いかたで使用するのは気がひける。

紙パックの飲料水だって
結局ゴミにはなるのだから同じなのだが
ペットボトルに比べたら
環境に対する負荷が少ないように思うから
どうしても紙パックの飲料水を買ってしまう。

缶飲料だって
以前に比べればリサイクル率もよくなっているんだろうが
これもやはり紙パックに比べるとどうしても
紙パックになってしまう。


ところでペットボトルの良い点は
一つあって
ネジ式のふたができるという点だ。

特に車の中に置いておかなければならない場合は
缶飲料水や紙パックに比べたら
ひっくりかえしても
こぼれることがないからこれだけは重宝する。

口が空きっぱなしになっているのは
紙パックや缶飲料水だから
ふたができるペットボトルはその点でも
なんとなく清潔感があるような気もする。


で、思うのだが
紙パックにしろ缶飲料水にしろ
ふたが簡単にできる構造にならないだろうか。

1リットル入りのお酒用の紙パックは
さすがにふたができるようになっているが

あれをもっと簡便にできるように
なおかつ費用も安く、できるようにならないだろうか。
缶飲料水もそうだ。
いまのところ、缶飲料水には
あとからふたをする仕組みはできてはいない。

缶の上の口に
穴をあけるやり方はこの20年ほどで変った。
以前のプルトップ、といったっけ、
あれを捨てないようにということで
今のような押し込んでしまうやり方が
一般的になった。

でもその後は穴のあけかたや形や機能が
変った、という話しは聞かない。

紙パックにしても缶飲料水にしても
そろそろふたができるとか違った機能を
持たせることができても良いと思う。

特に紙パックはいろいろまだまだ改善する余地があると思うし
紙パックならではの使い方があればもっと良いと思う。


ペットボトルの一番見かける大きさは
500mlのものだが、この大きさは
何度かにわけて飲むときにはちょうど良い大きさだ。
紙パックの200mlくらいのものは
一度で飲んでしまえる大きさだが
缶飲料水の350mlくらいのものは
中途半端だったりする。
最近はアルミ缶で500mlのものもできたが
あれはあれで良い。
だが、ペットボトルと缶ボトルの違いの
一番大きな違いはなにかと言えば
ペットボトルは中味が見える、ということだ。

これは案外考えてもいなかったことで
紙パックにしろ缶飲料水にしろ缶ボトルにしろ
ペットボトル以外のものは
中味が外から見えない、という点がある。

これはあまり重要なことではない、と思うかもしれないが
案外商品の性格を表すには必要なことであるかもしれない。

さすがにビールの入れ物を透明にするわけにはいかないだろうが
あれだってフィルムをかけるなどすれば
着色ガラスと同じことはできるだろう。

しかし、なんといっても紙パックを
工夫して中が見えるようにすれば良いと思う。
これだけでも商品の訴求力がグンと上がるだろう。


それと紙パックとペットボトルや缶の違いというと
炭酸飲料水のように
なかに圧力がかかる場合はペットボトルか
缶を使うということになってしまう。

紙パックで圧力をかける、というのは正直ちょっと
つらいかもしれない。

でもそれ以外だったら
ふただってつけられるし、それももっと簡単なふただって
考えればできるだろうし
透明にだってできるだろうし
なにより外形に宣伝を
大きく印刷できるし
ゴミもフィルムみたいなものはでないし
パックそのものも小さくして捨てることができるし
いいとこばかり、だと思える。

もともと紙パックは□形でできているが
平らな材料からつくっているからそうなる。
でも切断の仕方と折り方によっては
もっと面白くて捨てる時にはたたんだり
分解して平らにしたり
ひねったりして容積を圧倒的に小さくしてしまう
紙パックの形だってありえるだろう。

その点で例えば
JRの特急のなかで売っている
缶のような形の筒状の紙パックのいれものは
よくできている。
紙でだってうまくやれば面白い形ができるということだ。

ともかくも
内容物を入れて運び
消費者の手元で消費されて
そのいれものがそのまま「ごみ」に
なってしまうようなものは
家電製品にしても飲料水にしても
こんご相当いろんなことを考えていかないと
いかんのじゃないかと思う。



2001.6.24

最近、あいついで高級車がフルモデルチェンジした。
車の業界では景気の低迷が続いているとはいえ
トヨタや日産はあいかわらず
なかなかスゴイ車を作るものだ。
あんなくるま、さすがに今後も購入することもないだろうし
正直言って興味もないのだが
それでも技術の集大成としてはおおいに興味がもてる。

日産のシーマにつけられる進路を
自動的に補正する機能なんかは
いよいよここまできたかと思わせられた。

ほかにもネットワークにつながる機能なんかは
これからもドンドン発達していくだろうと思われる。

最近思うのだが
車の中のすごしやすさという点では
最近の車はよくできていると思う。
温度の調整は簡単だし、快適だし。
音も外からのものはよく遮断されているし
車自身の音もよく制御されている。
乗り心地もすばらしいものでもある。

移動する機能も十分以上にあって
加速性能だって、旋回性能だってすばらしい。

もうこういう点で日本の車は世界の最高水準を
実現していと思ってまちがいないだろうと思う。
また、それは最高級車に限らない。
俗にいう大衆車だって
それはまあ、良く出来ていて
走行性能だって一級品だし
内装や外装のデザインだって良く出来ている。


海外の車だって
性能はよくできているし
デザインはもちろんいいし
価格だって日本に入ってくるのも
以前に比べたらしっかりとお買い得感はあるが
そうはいってもやはり日本の車の安心感や
買い得感は優れていると思う。

まあ、これは今後も続くだろうと思うし
日本以外にも日本車の進出は続くだろう。


ところで最近思うのは
これほど車という概念のものができてから
時間がたつのに
形態というのはあまり変わっていないように
思われることだ。

少なくとも
タイヤが四つついているのはずっと以前から同じだし。

ドアが二枚か四枚ついていて
それはヒンジによって斜めに開くこともずっと同じだ。


タイヤが四つついているのは合理的で、
これはこの先変わっていかないように思うのだが
ドアの形態はまだいろいろあっていいように思う。

例えばワンボックスカーなので
引き戸になっているのは以前から出ているが、
乗用で引き戸になっているのは見かけない。
ずっと以前に軽自動車で引き戸になっているのを
見かけたことがあるが
あれはたぶんごくごく少量しか作られなかったと思える。

でも乗用車で引き戸になっているのなんて
結構重宝するはずだ。

少なくとも、隣の車と駐車場で車をおいた時に
乗降に便利だし、
隣の車にドアをぶつけることがなくて良い。
もちろん自分の車にもぶつけられない。

まあ、使用感とかデザインにも関係するから
なかなか乗用車で引き戸にするというのはやりにくい
かもしれないが、
うまく作れば結構評判になるのではないか。


引き戸にしなくても
通常のドアで改善すべきことは
いろいろある。

「半ドア」を自動的に引き込んでくれる機能は便利として
例えば
坂道に車を止めた時に
ドアの開閉が
重くなり過ぎたり
軽くなりすぎたりする。
あるいは風の強い日は
気なしにあけたドアが風で強引にあけられて
となりの車にぶつけそうになったりすることがある。

ドアの開閉を全部自動化することまではいらないとしても
ドアの開閉を重くしたり軽くしたり
できれば「1ストローク」のなかでも
軽い部分と重い部分と変化させたりそることができれば
重宝するのじゃないかと思う。


ところで
もともと、あのドアをバシャと締める行為そのものが
考えてみれば前時代的な感じがする。

まあ、車自身がガソリンというものを
爆発的の燃焼させてそのエネルギーを
使って走るという今どきにしては
非常に「野蛮」な作業だから
(いやそれがあれほど静かで運転しやすくなったのだから
むしろその制御技術の方がスゴイといえば言えるのだが)
ドアだって「バシャ」と締めたっておかしくはない。

、、おかしくはないが、せっかくエンジンも
ハイブリッドなり、燃料電池電気自動車になろうと
している時代なのだから
ここはドアの開け方そのものの考え方も
変えてみることを考えたらどうだろうか。

まあ、あの「バシャ」という音がするからこそ
「閉っている」という安心感を
醸し出すことになっているのかもしれないが

しかし、立て付けが悪く製造の精度が悪かった
昔むかしならいざ知らず
最近の車だったら
そんあドアの開閉そのものの感じも
変えていくことだって可能ではないか。

超高級車だって
ポルシェやフェラーリだって
ドアの開閉する行為にはあまり変っていない。
ポルシェなんかにいたっては
「開閉する時の音が普通の車とちょっと違って
硬質な高級感ただよう音がするのだ」、とかなんとか
モータージャーナリストが言ったりしたから
一生懸命「バシャバシャ」と開閉したりもして
オーナー諸氏は喜んでいるんだろうが
高級車ならドアの概念もそろそろ変えてみたらどうか。

前に書いたように
開閉の重さを制御するというのも一つだろうし
自動化をどこまで行うかもそういうことだし。
音がそもそもしない、ということだって考えられる。

あるいは絞め方の行為そのものを
変えてみるというのも面白いと思う。

自動的に半ドアが引き込み式のドアで
閉じるようになっていてもいいから
バシャ、と締めずに
軽く手を添えて
閉じる位置まで持っていくと
自動的にしっかりと音もせずに閉るとか、、、。

これほど時代が変ろうとしているのに
車だって駆動系以外にも
そろそろ変わっていくべきことが
あって当然だろうと思うがいかがだろうか。




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