今日のコラム・バックナンバー(1999年12 月分)


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掲載は日付順になっています。


1999.12.1

ある意味では国の行くえと自分の生き方を
これほど擦り合わせしながら生きる時代、生きることが可能になる時代は
そうそうこれからはないかもしれない。

競争のためにものをつくる、のではなく
人間はもともと創造的で夢をみる存在なのだから
それに立ち返ってものを創るのだ、と言えるものづくりが
もしかしたらこの日本からできるのかもしれないではないか。

そう考えると、いま我々を取り巻く厳しい状況も
あながち悪い状況、とばかりは言えないのかもしれない。


明治のはじめに、欧米に追いつくぞ、負けないぞ、と
近代日本の礎を懸命に作り上げていた借金だらけの日本の産業は、
振り返ってみれば
それが世界にも希な近代的な事業や企業の仕組みを
いつのまにか作り上げていたのであれば、
結構、今の状況は余裕を持って見ていても
いいのかもしれない、、とも思うのだ。





1999.12.2

すこし話しが横道に入ってしまったが、
まあ、ともかく、、

この日経産業新聞に書かれた文章を読んでいて考えたのは、
このことを書く前の「今日のコラム」のことがあったからだ。
こんなようなことを書いた。

  現場のものづくりに対する信頼や
  ものづくりに対する人々の根本的な構えは
  昔も今もいささかも変わっていないと筆者は思う。
  もし変わっているものがあるとすれば
  それはものを創るということの意味が、
  表面的には本来の目的や使命から離れてしまっている
  ということではないのか。

「人間はもともと創造的で夢をみる存在だ」と考える本田宗一郎氏は
たぶん、ものを創るということの本来の意味を
深く考えてぬいていたのだろうと思のだ。
そこまで考えた「ものづくり」は強い。
それが我々をとりまく社会や環境に向けられていることによって初めて、
「本来のものづくり」「知識の創造」ができるのではないかと思える。




1999.12.3

中小企業総合事業団で開設している
中小企業大学校というのがある。
ここの関西校というのが兵庫県の福崎にある。

先週のことになるのだが、その関西校で行われた
「中小企業経営者セミナー」というのに
パネリストとして参加させていただいた。

福崎は筆者自身が住む信州からは結構遠い。
毎年高知の桂浜に車で遊びにいくのだが
2年前にいった時に高速道路でエンジンがオーバーヒートし
福崎のインターで難儀した思い出がある。妙に懐かしい。


今回の「中小企業経営者セミナー」の題は
「ネットワーク経営のすすめ」というものだ。




1999.12.4

コーディネーターは最近テレビや雑誌、新聞などでも
中小企業論や地場産業の活性化などの話しで
よく登場される一橋大学、商学部教授の関満博教授だ。
(最近では先週の日経産業新聞に投稿されていたし
一ヶ月ほど前には東海大学の唐津一教授と
日本のものづくりについて対談、というか討論を
されていたから知っている人も多いでしょう。)

パネリストはほかに東大阪商工会議所の専務さん、
名古屋でショットピーニング加工用のショット粒製造を
行っておられる東洋精鋼(株)さんの常務さん、だった。

集まられている方々は関西方面から集まられた
中小企業の(といっても結構大きな企業のかたが多かったが)
経営者や幹部のかたがたが50人くらい。

私なんかパネリストなどしてお話させていただけるような
立場ではないのだけれど、今、長野県、諏訪で私たちが行っている
「諏訪バーチャル工業団地」の取り組みを、ということで
恥ずかしながら演壇に登らせていただいた。





1999.12.5

関先生とは以前より個人的にもお会いしたり
お話を伺える機会なんかもあって、
今回もそんな関係もあったから
いろいろ頑張っている状況をみんなに聞いていただくには
良い機会だからどう?というような意味だったんだろう、
、、そんなこんなで呼んでいただき福崎までやってきた、、、
ということだ。

実は最近、私たちの進めている「諏訪バーチャル工業団地」の
取り組みについて
日本全国の自治体や企業グループ、産業活性化のために
活動する公的な団体などからお問いあわせをいただくことが多い。

一昨年の秋ころから呼んでいただいたり
こちらから出かけていったりと、
様々な形で交流をもたせていただく機会が出てきた。
特になぜか先月は集中的に多くて全部あわせると10回以上にもなった。

こういった機会を通じ、様々な人々や地域を交流をさせていただくことは
自分自身の町や産業を再確認する上でもとても良い機会になり
とてもありがたく、うれしいことだと感謝している。





1999.12.6

同時にこの間いろんな人達といろんな話しをするなかで
学ばせていただいたことも多い。
特に、今後の情報化時代に、企業や個人、あるいは地場産業が
どうなっていくのかということを深く考えさせられることが多い。

また製造業に携わるひとたちが今、インターネットを含め
なにを必要としているのか、今の状況をどう見ているのかを
教えていただける貴重な機会としてとても参考になる話しを
聞かせていただける。

さて、今回も関西の方々を中心にしたセミナーということで
製造業に関係する方々だけ、というわけではなかったのだけれど
中小企業の方が多くて、
また、みなさんが、「ネットワーク」に
興味をもたれているということもあるんだろう、
質問なんかも当事者の問題意識として
びんびん伝わってくるような感じだった。





1999.12.7

ところで「ネットワーク」ということばだけれど
それの指す意味は様々であるように思う。

いままでであれば「ネットワーク」といえば
異業種交流会などが行う
異業種間の様々な結びつきのことを言うだろう。
なかには同業者間の交流なんかもある。
いずれにしろ人的ネットワークというか、
あるいはその上での情報のネットワークというか、
そんな感じだ。

「ネットワーク」を使って企業間で創造的な活動を、とか
共同受注を、とか、共同開発を、とかいうのは
この、言わば、人的ネットワークを指すことが多い。
あくまでも、ネットワークといいながら、
それはたぶんに人間的なものだ。






1999.12.8

一方、最近は「ネットワーク」というと
「インターネット」を指すことが多い。
そしてこれにも、物理的なネットワークの仕組みとしての
インターネットを指す場合と
その物理的なネットワークであるインターネットと
人的な、あるいは企業間のネットワークを
(そして最近では消費者や供給連鎖全体をもネットワークする
可能性が出てきているんだが)
「重ねた仕組み全般」を「ネットワーク」として指す場合があると思う。

まあ、インターネットそのものを指す場合は「ネットワーク」というよりは
「ネット」と呼んだほうが混乱がなくていいかもしれないが、、。

いずれにしても「ネットワーク」という中身には
人や情報や企業や異業種のネットワークそのものを指す場合と
そこに情報技術やインターネットを重ねた仕組み全般を指す場合の二種類、
それにインターネットそのものを指す意味での「ネットワーク」も
いれれば三種類の意味があってそれぞれ並行して使われているように思う。

新聞なんかを読んでいても結構このあたりが
混乱して書かれていることが多い。




1999.12.9

今回のセミナーはどちらかといえば
異業種間の様々な結びつきや人的ネットワークや
その上で行われる情報のネットワーク、を意味するネットワークに
ついて考えていたように思う。

もちろん受講者のみなさんのなかには
インターネットをどう使っていこうかという意味での
「ネットワーク経営」について考えておられるひとも多かったようだ。

たしかに最近は顧客や消費者やあるいはサプライヤーや販売や
開発分野やロジスティックスなんかの、
言わば企業活動のすべての分野や状況なんかを
インターネットを使って連結していく形、、、
そういう「ネットワーク経営」の新しい可能性にすでに
気がついている中小企業のかたも最近は多い。





1999.12.10

ただ、自分としても間違えてはいけないのだろうといつも思わされるのは、
表面的にはすべての流通や販売や生産に関係する企業や顧客を
取り込んだ形のインターネットを利用したネットワークが可能になるとしても
人と人の関係を考えない、無機的なネットワークは
ありえないのではないか、ということだ。

これからいかにインターネットや情報技術が進展しようと
人や情報や企業や異業種のネットワークそのものはなくならないということ。
逆にいえばそういったネットワークがすべて電子ネットワーク上で行われるように
なっていくというのは誤解なんだろうと思う。

たしかにこれからは多くの交流や情報の交換が
インターネット上で行われるようになっていくのは
止めることのできない流れだし、
ものによっては情報ネットワーク上ですべて「完結」してしまう
可能性だってないわけじゃない。





1999.12.11

むしろ我々インダストリーウェブや諏訪バーチャル工業団地は
そういう主張は非常に初期の段階からそう主張してきたし
いずれそういうインフラの上で非常に多くの商取引や
情報の取引きや交換や共有が完結していくようになることは
今になっては確信ともいうべきものにもなってきている。

だが、一方で、そういう認識が進めば進むほど、
いままでのような異業種交流の在り方や
人的なつながりや交流やよく言われる「フェイスツーフェイス」の部分が
重要になっていくとも思えるのだ。
もちろん、その前に、
「どんな形にしろ「ネットワークすること」が重要なものになっていく、、」
というのは重要な大前提ではあるのだが、、





1999.12.12

ただ、こう言うと、
「そうだろう、やはり基本は人的なつながりなのだ」と
いう意見が逆に出てきてしまうのだが、
そうではなく
基本はあくまで人と人や企業と企業の根幹的な関係、つきあい、なのだと
いうところに基軸をおきつつ、
そこにいかに情報ネットワークや情報技術やインターネットを
使いこなしていくか、重ね合わせていくのか、、
という視点が重要なのだろうと思う。

中途半端な意見に聞こえるかもしれないし、
いったいどっちなんだよ、と言われそうだが、

何度も言うが、信用や信頼や、そういったものの上に成り立つ
企業や事業や仕事やものづくり、、とその「仕組み」と「関係」は
人と人の関係、あるいは組織と組織の関係の擦り合わせた経験や
共同の仕事などのなかで成り立ってきたものであるはずだ。





1999.12.13

今後、情報技術やインターネットの上で実現できるであろう技術は
ものによってはその上で完結してしまう可能性はある。

本の販売などを始めとする様々なものの
、、、例えば販売なんかが
今後インターネット上ですべて完結してしまう、、
「すべて自動化する」可能性だってある。

まさに情報技術やインターネットによって
商取引きや商売が「自動販売機化」していくのだが

人と物と金のやり取りが情報技術の上だけで完結するには、
あるいは「自動販売機」の上で完結するには
なんらかの形での相互の信用とか信頼が得られるための仕組みが
必要になるだろう。

「自動販売機」の上で販売される
「飲料水」にしても「たばこ」にしても、
あるいは「少々Hな大人向けの雑誌」にしても
商売として成り立つ限りはある意味での信用の創造と付加が
なんらかの形で常に行われていると考えるべきだろう。
それなしには「取引き」は完結しない。





1999.12.14

もちろんいずれは電子ネット上で作ることができるようにもなるだろう。、
第三者がそれを行うこともあるだろうし、最近はベンチャーがそれを
行うような仕組みさえある、が、それであっても、
あくまで企業や個人の濃密な関係や信頼関係は
現在の仕組みと地道な作業のなかから作っていかざるを得ない。

歴史や知名度があっても信頼や信用がとても脆弱なものであるのは
この間の日本の金融機関の上に起きた状況なんかを
見ていればわかるのだが、
そうであっても地道な作業や関係の中から作っていくしかない。
向こう三軒両隣、や、村や、共同体、などと言われようが
そのなかからつくっていななくてはならない。


交流グループや組織や共同体間で、
企業や個人が、仕事の中身や実績や、あるいは使命や、
、、何をつくっているのか、何のためにつくっているのか、、
もが、相互に評価され信用につながっていく時代でもある。
情報化時代になりつつあることによって商売が簡単にできるようになった、、
、、のではなく、むしろ改めて信用や信頼を得ることが重要で
必要な時代になってきたことに気がつく必要があるだろうと思う。




1999.12.15

最近はインターネットを使えばいままでつながっていなかった企業同志が
自由につながっていくことができる、、というような話しが多い。
世界中の企業や個人が縦横無尽につながっていく時代がくる、、、
テレビのコマーシャルを見ていると
すぐにでもそういう時代がやってくる、あるいはすでに来ている、
とでも錯覚してしまうほど華々しく宣伝もされはじめている。

筆者もそういう時代がいずれくると早くから主張してきた。
たしかにそういう時代はいつか必ずやってくる。
が、個々の企業や人間の間で
有機的に結びつくことは不可能ではないにしろ、
空間や信用、従来からの仕組みやしがらみを乗り越えて
そういうものを機能させていくことは
そうそう簡単な話しではないだろうとも思っている。



1999.12.16

いずれ、アイデンティティーやコア技術を確立した企業、
同時にそれを相手に正確に伝えることができる
コミュニケーションの技術を身につけた企業が
情報ネットワークのなかで自由自在につながることができる、
そんな時代がやってくるだろう。

なにかの目的や使命のために志を同じくする仲間が
つながっていくことができる時代が必ずくるだろうし、
仕事やものづくりもそのなかで完結することもあると思う。
実際にもすでにそういうことがよく分かってきていて
企業間の出合いや仕事のやり取りにつなげている企業も
ないわけじゃない、が、それにいたるにはもうちょっと
それにむけての本番を兼ねた「予行演習」が必要なのじゃないか。

まずは企業や個人がアイデンティティーやコア技術、
そしてリアルな評価と信頼と信用を確立すること、
同時に電子時代のコミュニケーションの技術を身につけること、
そしてそんなことが行える「場」や「練習場」の創造が
必要なのだろうと思っている。



1999.12.17

とても辛抱のいる地道な作業だと思うし、
できればそんな作業なしですぐに電子ネットワークでものづくり、、
、、といきたいところではあるのだが、そうは簡単な話しではない。
むしろその地道な作業こそが
今後の日本の製造業の再評価になっていくのかもしれない。

それがなければ、情報ネットワーク時代に
企業や個人が結びつきを深め、新たな価値を創造していく、、、
少なくともネットワーク上で信用と信頼を積み重ねが必要とする
「商売」なんかは到底無理な話しだろうと思う。



1999.12.18

「e−コマース」の時代がやってくる、と最近は言われているが
その裏側では人と人や企業と企業の、あるいは企業や人と社会との
信頼や信用が地道に積み重ねられた実績があってこそ
(それはネットワーク上でも生まれる可能性もあるのだが)
成り立つものなのだということに理解していないと
「e−コマース」は無法地帯の詐欺師の集まりのような
ものになってしまう可能性もないわけじゃない。

たぶん今後「e−コマース」のなかで一番頑張れるのは
今、実際に商売やものづくりをしている人達、
お客さんに良いサービスと財の提供をするためにまじめに
商売とものづくりに取り組んでいる人達、、なんだろうと思う。




1999.12.19

アメリカで伸びている本や消費財の販売のインターネット上のサービスだって
それが消費者にとって良いサービスと商品の提供を可能にしているからに
ほかならないはずだ。

「インターネットを使えば」、「インターネットだから」、では、
すでにその時点で
本当にそれが顧客や市場に向って結びついていくような状況では
なくなっているのだと思う。

少し話しがネットワークから離れてしまったが、
個々の個人や企業の話しも
地域や業界などの「ネットワーク」や異業種交流の話しも
同じことが言えると思う。




1999.12.20

我々のなかには地域の集積や異業種交流や
あるいはもっとウェットで濃密な
企業や個人の関係というのが存在する。
多くの場合、それがいままでの状況では
上から降ってくる仕事の「分配のための仕組み」であったり
「共同受注という名前の誰かに託す再分配の仕組み」であったり
することがある。(すべてがそうだとは言わないが)
あるいは共同でものの開発をしようということに向かう部分もあるが
誰かについていけば、という雰囲気もないわけじゃない。

しかし、ずっと書いてきたように
個々の企業や個人が自由につながっていける時代の到来は同時に、
個人や企業がそれぞれに
自分のアイデンティティーとコミュニケーションの、、
、、あるいは、表現するべきものを持ち、表現するべき能力の、、、
力をつけていかないと
「分配にあづかろう」とか、「誰かについていこう」では
必要とされない時代にもなったことを意味している。





1999.12.21

ネットワークの上だって
「お互いにもたれかかる関係」「だれかにおんぶにだっこ」
であればことは簡単だし、便利なのかもしれないが
そんなのからは本来の「ネットワークの持つ可能性」は
生まれてこないというのはここまで書いてきた。

逆に、全国や、あるいは海外の企業や市場や個人と
もたれあっていくのではない、おんぶにだっこでもない、、
「自立的・自律的な関係」をつくっていく事は
そうそう簡単な話しではない。
それは、それよりははるかに小さな規模の
地域の企業グループや異業種ネットワーク、
あるいは地域社会でも同じ事だ。

しかし、結局、これからは、そういう仕組みの変化のなか、
、、関連や関係の仕組みと自分との関わりの変化から、、
「分け前にあづかる」、、のではなく
「能動的に自分から重ね合わせる努力」が必要になる。
分配ではなく付加や創造が
「マイナス」や「割る」ではなく「かける」と「足す」の
発想への転換が必要な法則になっていくと考えられる。
あえてそれを進めていかなければならない時代なのだと思う。




1999.12.22

さて、ここまで話してきてさらに思いを巡らすと
じゃあ、いままで盛んに言われてきた地域や業界のネットワーク、
あるいは産業集積の仕組み、それはある意味では
日本のものづくりに必要だった流通や信用や信頼や
情報の交換や共有なんかを行う重要な場だったはずなのだが、、
こういうものなんかは今後出番はないのだろうか、
ということに及ぶ。

個々の企業や個人がそれぞれにアイデンティティーやコアや
コミュニケーションのスキルを身につけていけば
大きな世界のなかでそれぞれの点が自由に結び付く時代が
いずれ遠くの時代にくるとも思うが、
そうなっていくと
相対的に近い場所での人的ネットワークは
必要でなくなっていくのだろうか。



1999.12.23

そんな問題意識もあって
筆者は最近、戦後日本の産業やその構造を語るうえで
それなしには考えることはできない、
「産業集積地域」「高度産業集積地域」を
これからの時代、ネットワーク時代、情報化時代に
どう再び展開していくか、ということにとても興味がある。

いや、もしかしたら情報化時代の進展によっては
そんな前時代的な「産業集積地域」「高度産業集積地域」は
必要でなくなっていくのではないかという意見もあるかもしれない。

しかし個人的な意見を言わせてもらうならば、
今後むしろ「産業集積地域」「高度産業集積地域」を
情報化時代にあわせて再構築し、
積極的に、うまく、使っていくことが重要になっていくだろうと
考えている。



1999.12.24

「産業集積地域」「高度産業集積地域」は
いままでだって仕事の再分配の仕組みとしてや
地方への分配の仕組み、
それによる雇用やお金やもの、人の地方への分配、などの
産業活性化の一つの方法論として存在していた。

で、この仕組みというのも
結果的にはそれなりに「うまく動いて」いて
「みんな幸せになった」といえると思う。

確かに情報技術やロジスティックスが発達してくれば
「地域」にこだわる必要もなくなっていくように思われるし
実際、そういうことをうまく使って
販売や輸送の範囲を大幅に広げている企業もあるわけで
地域にはこだわらない、時代になってきてはいる。



1999.12.25

だからもうそんな「地域」にこだわる必要はない、というのも
事実なんだけれど
この、それなりに「うまく動いて」いて
「みんな幸せになった」仕組みというのは
本当にこれから使う必要がないのかというと
案外、これはこれでまだまだ使えるのではないかと思える。

いや、むしろ、
いままで使ってきた「仕組み」や「価値観」を
うまく再利用して
そこに新しい方法論も加味し取り込んでいくなかで
本当に我々の住み、日々働く日本の実状にあった
未来が拓けてもいくのではないかとも思う。




1999.12.26

今日の毎日新聞の時代の風という連載に
最近よくテレビなんかに登場する
解剖学者の養老猛司氏が
「マニュアル化した若者」という題で
文を書かれている。

氏がおっしゃるのは
最近問題になる若者たちの「傍若無人」な振る舞いは
幼いころから「テレビ」づけになった結果だという。

小さいころからテレビを見続けているなかで
実際に目の前に起きていることが
テレビのなかでの出来事のように見えてしまう
状況がうまれてしまっているのではないか、
というのだ。
たしかにテレビのなかに写っていることと
実際に起きていることがいっしょだと思う感覚が
あるのならば
まわりに人がいようといまいと
関係なく自分勝手な振る舞いは可能になってしまう。




1999.12.27

日曜日の朝の番組では
テレビの弊害を特集した番組があった。

そのなかで紹介された話しで、なるほどなあ、と思わされた話しに
こんなのがあった。

「フィジー島」では最近、拒食症になる女性が多いのだという。
で、調べてみると
これが「テレビの普及」におおいに関係があったのだ。
「フィジー」ではテレビが家庭に入ってきたのが
1995年からで、その拒食症になる女性が増え始めたのも
やはり1995年からなのだという。

予想がつくとおり、
テレビによって欧米の文化が入り込み
その影響でダイエットを目指した女性が拒食症になるということらしい。

このほどかようにテレビの影響は大きいということだ。

自分たちの実際の生活や感性や、あるいは生生しいはずの感覚が
テレビなどで移植された外部の人の文化や感覚と
交換されてしまう、、。




1999.12.28

多様であるはずの、人様々であるはずの
感性や感覚や、そういったものが
いとも簡単に人や外部のものとすりかえられていく、、
それも自覚もせず、知らぬ間に、、

テレビやインターネットなどの情報技術の進展によって
こういった現象は今後非常に早いスピードで起き、
そして広がっていくだろう。
そこから引き起こされる問題はとても深刻なものであるはずなのだが、
しかし、簡単に起きてしまう。

人の存在や外部のことがらが自分の意識のなかに影響しないと同時に
自己に対する意識も希薄になっていく、、。
自己中心的といえばそうなのだろうが
それよりももっと深刻な、、言わば自己喪失、、、
自己を失いつつあるような状況にまで
行き着いてしまっているのではないか、、。




1999.12.29

映画「ジュラシックパーク」の原作者、マイケルクライトン氏は
「ジュラシックパーク」の提起するテーマとして
インターネットのような情報技術が
相対的に地球全体の多様な生き方、存在のありようを失わせ、
均質化の道、、、それはとりもなおさず、人類や生物の
多様な生きる可能性を失わせていくものだということなのだが、、
そういう可能性をもつのだと主張していた。

たしかにそういう一面がないとは言えない。
今いくつかの事象を上げてみてもそういうことのあらわれだろうと
思わずにいられない。
無批判にインターネットと社会の在り方を受動的に捉えていると
いつのまにか、自身の多様性が失われていく可能性は高い。
インターネットはその滅びの笛にもなる。



1999.12.30

しかし、むしろ、そんななかにこそ、
多様性を失わせつつあるような状況のなかにこそ、
自分自身の原点に立ち返ろうとする気持ちや活動が
はじまるのではないかとも思うのだ。
これは安易な楽観論でもなければ、よくあるような
気持ちの持ちようの問題でもない。

受動的に環境に影響される反面、そのもののなかから
能動的に環境や社会やあるいは仕組みそのものにたいして
変更を加え、新たな仕組みや価値観を創造しようとする試みは
必ず、起きてくる。

化学反応や生物の世界にだってそんな要素はあるが
人間の社会のなかにもそうであったと歴史が証明している




1999.12.31

人間は意識的な動物であり、社会的な動物でもある。
社会や、社会と人間との係わりかたを自分自身が変えることによって
人間がよりよく生きる、、ことを可能にしてきた。

それは化学反応のようなものではなく
意識が動きを作りだしていく、人間ならではの
行動と出来事である。

人間のもつそういう動物的な本能とでもいうべき
原点への回帰が
むしろこれから高まっていくのではないかとも思う。


2000年を迎えるにあたり
この世紀がいったいどんなものであったのか、、
深く考えざるを得ない。

来年は情報技術がますます我々の社会や環境にたいし
大きく影響を与え、様々なありようを提起してくるだろう。

で、あればこそ、
我々の20世紀がどんなものであったのか
冷静に考える行為も必要なのだ。



さて、「今日のコラム」の1999年はこれで終わりです。

来年は5日から予定しています。
みなさん良い年をお迎えください。
では。


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