今日のコラム・バックナンバー(1999年 11 月分)


INDUSTRYWEB HOMEへ戻る / 今日のコラムに戻る/ バックナンバーに戻る

掲載は日付順になっています。


1999.11.1

もちろん少し前に書いたように、そのメッセージを表現するのは
デザインがすべてではない。
価格やあるいは付帯するサービスや
あるいは販売するやり方や
そんなものが一緒になって
その企業のメッセージとして市場や社会やに向けて
発せられている。

だからおよそデザインとか無縁の製品にだって
そこから受け取られるすべてのものから
企業のイメージを含めてメッセージは受け取っているのだろうと思う。

これはほかの言い方でいえば
「ブランド」と言ってもいいかもしれない。




1999.11.2

最近「ブランド」だとか「パワーブランド」だとか
雑誌や新聞で賑やかだけれど
結果として確固としたイメージを顧客のなかに
作り上げたという意味での「ブランド」は
たしかに「戦略」にもなるんだろうが
単に有名になっただけの「ブランド」なんて
これから通用するんだろうか。
もちろん当の企業はそんなつもりはなくても
本来のあるべき「ブランド」から離れた一人歩きが
多いように思われるような近頃ではある。


自らの提供する製品やサービスを通じて
お客さんに何を実現しようとしているのかというメッセージを伝え、
お客さんもそのメッセージを受け止める。
その「一通りの循環」を通じてこそ
はじめて「ブランド」として成り立つのではないか。




1999.11.3

お客さんが望んでいるのは企業からの
「あなたにはこれができますよ、こんな可能性がありますよ、」
見る方向をかえれば
「自分はどんなことができのか、どんな生活ができるのか、」
という提案であって
「当社はこれができます」という一方的な「ひとりごと」ではないし
お客さんからしてもその会社ができることを知りたいわけではない。

今後のものづくりの世界では
この「メッセージ性や提案」と「循環」
そして「ブランド」が
欠かせないものになっていくのではないかと思う。





1999.11.4

「ジューサー」が売れているんだそうだ。
珍しい言葉だから急に「ジューサー」と言っても
なんのことだか、どんなものだったか、
すぐには思い出せないほど「ジューサー」は
珍しい言葉になっている。
たぶん今時の若い人は説明されなくちゃわからないかもしれない。

果物や野菜を大雑把に切って
「ジューサー」に空いている穴にその果物や野菜を
突っ込んでそのうしろから棒状のもので押す、のである。
そうすると、果物や野菜が細かく粉砕されて
文字どおり「生ジュース」ができる。

昔はミキサーと一緒にされていたような製品で
ミキサーは知ってのとおり、いろいろごちゃ混ぜにして
一色単にジュースというか液体状に粉砕するのに対し、
ジューサーはあくまで前述のごとく加工するのだ。

で、このジューサーが売れているんだそうだ。
なんでまた、今ごろになって急に??



1999.11.5

どうもその裏には人々の健康指向がある、と普通は判断する。
でも生ジュースやミネラルウォーターは
コンビニでいくらでも販売されているし
単に果物や野菜の生ジュースを飲む、ということだけなら
それを買って飲めばいいはずであるから
どうもこの「ジューサーが売れている」という理由は違うのじゃないか。


もっと強く自然指向になったというか、
健康指向が極まったということなのだろうか。
あるいはもっと自分の体や嗜好にあったジュースを
自分で作ってのみたいというニーズがあったのだろうか。
良くはわからないが、いずれにしても
いくら「天然もの」だの「添加物なし」だのといって
そういう時代になったといっても
もともと消費者の本当に望んでいるものは
メーカーの考えること以上に多様で変わっていく、、
、ということなんだろう。



1999.11.6

それにしてもしろもの家電としては古くからあり
新たな需要なんてあると考えることなんて
なかったはずの「ジューサー」がここでもう一度売れるとは
メーカーは考えもつかなかったに違いない。

結局、なにをおいても消費者やユーザーの考えていることが
ある意味では「すべて」、ということなんだろう。
それに気がついて製品やサービスにいち早く
することができたメーカーが生き残れる、というわけか。

そう言えば誰か仲間が、
これからどんどん顧客指向になっていき
多様で変化する顧客のニーズや嗜好にあわせていくことになれば
例えばコンビニのジュースだって
その場でお客さんの望むミックスでジュースをオーダーする
時代だってくるかもしれん、というのがあった。
うん、これは、まったく、この「ジューサーが売れている」ことを
言い当てていた話しだったのかもしれん。



1999.11.7

じゃ、これからどうなっていくか。
、そうか、コンビニでジュースのオーダーをしなくとも
自分でジューサーを購入するという手があったということか。
、、であるならば
きっと、野菜や果物のジューサー用に細かく切った
セミオーダーパックなるものが販売される可能性がある。
一回分じゃ安すぎるから10回分くらいをパックにして
野菜サラダのように販売する。
うむ、これは本当になりそうな気がする。

で、そのうちにはやっぱり、
オーダーメードの生野菜ジュースなんてのが
販売される可能性があるんじゃないか。

簡単な健康に対する質問をホームページ上で応えると
最適なジュースの調合が提示されて
それを自分で作ってもいいし
オーダーすればその調合にあわせて「メーカー」が作って
送ってくれる。

野菜や果物の農家が仲間と一緒に組んで行えば
結構いけるんじゃないだろうか、、、

、、、今日はアイディアノートのようになってしまったのであった。




1999.11.8

そういえば最近サンヨーの電気掃除機が売れているんだそうだ。

空気を循環させる電気掃除機というものだ
排気がでないから
空気がよごれないとか、音が静かだとか、電気を食わない、とか
いろいろメリットがあるらしい
しかし、それにしても空気を循環させるなんてアイディア、
よく考えたものだと思う。


こういういままでの常識を覆す家電製品、特にしろもの家電が
登場することが最近、ある。

一番最近では「遠心力洗濯機」だろう、
水はあまりいらないし石鹸もそんなに必要じゃない、ということで
結構売れてもいるらしい、

たぶんこれからそんなような「いままでの常識を覆すシロモノ家電」が
これからも出てくる可能性はある。




1999.11.9

、、と言っていたら
今朝のテレビ番組で
早速「ジューサーの件」が新聞にのっていたとかで話しに出ていた。
なんでも新聞によれば
70%くらい前年比で売り上げが伸びているんだそうで
やはり健康指向の現れだろうとのことだった。

ただ、最近はジューサーのことをトンと聞かなくなったのは
掃除をまめにやらないと果物くずや汚れが溜まってしまうからだろう、
それで面倒になって押し入れに入れてしまってそのままに、、
とのこと、なるほど、そうだったか、、、

まあ、それとコンビニや自動販売機が日本中に普及して
いつでもどこでもだいたい欲しいと思わせるものが
手に入るようになったためなんだろう。

それにしてもそれを上回るというかそれなりの勢いでジューサーが
売れているということは
そんなメーカーの商品戦略以上の顧客ニーズ(と言っていいんだろうか)が
生まれているということなんだろうと思う。

既存の飲み物メーカーがこれ以上に顧客の要求に何らかの形で応えていくのか、、
あるいは、ジューサーやそれを利用した
なにかもっと(そのなにかがまだわからないが)顧客の要求に
本質的に応える企業が出現するのか、、これは結構興味のある話しではあるのだ。




1999.11.10

、、とまた考えていたら
今朝の日経新聞を読んでいて面白い記事があった。

あるメーカーの冷蔵庫が
静音の設計と技術で作られたことによって
「病院」に販路が開けたという小さなコメントだったのだが

なるほど、なるほど、、、考えてみたら
冷蔵庫のあの音は結構一度気になると耳につくものだ。
それが当たり前になってしまっているから
いまさら静音なんて考えもしなかったし
台所と寝るところが離れていればあまり問題にもならないが
病院は寝るところと冷蔵庫が隣り合わせになっている。
こりゃ、入院している人にとっては結構気になることであるに
違いないだろう。

なぜこんなことに気がつかなかったのだろうと思った。

でもこういう話しって身のまわりに
それこそ★の数ほどあるように思う。



1999.11.11

そう言えば、以前アイディアノートで書いたことがあったが
ビールを冷やし忘れていて
慌ててなんとか冷えたビールを用意しようとして
懸命な努力をすることがよくあるではないか。
しょうがないから氷を入れてビアロックなんてものを飲んで
いたりするのだが結構まずい、、。
で、こんなときに急速に冷凍したり冷やす「家電」があれば
いいと思っていたのだが
冷蔵庫にそういう機能部分がついたものがついに出たらしい。

最近はそんなようなものが結構出てきた。
顧客の要求に本質的に応える企業が応える製品をいよいよ
矢継ぎ早に投入しはじめたようにも見えてくる。

洗濯機は遠心力洗濯機だし
掃除機は空気を循環させるものがでてきたし
ジューサーはここで書いた通りだ。




1999.11.12

まだまだこういう「顧客指向」は鮮明になっていく、
それがリアルタイムにマーケティングされ、
製品開発に反映されていく、、、

「仕組み」の発展とその可能性は
社会のインフラや要素技術や素材の開発などが進むにつれて
これからまだまだ予想もしないことも出てくるだろう。

最もそれを加速するのはやはり電子ネットワークの発達だろう。
電子レンジや冷蔵庫だって最近、発表されたのは
インターネットにつながっていて
いろんなことができるという話しだし、

ネット端末がこの調子で家庭に提案されて普及しはじめれば
ネット端末を中心にした
家電の家庭内ネットワークが実現するだろう。



1999.11.13

そうなればいままで日陰の身だったジューサーや
(いやジューサーは復権をはたしたというのはこの前話したが)
湯沸かしジャーや炊飯ジャーや
そんなものがもう一度忘れてもらっては困る、とばかりに
今一度家庭内で復活する可能性はおおいにある。


おおよそ「電気」を使って動くもの、は今後
もういちど考える必要があるかもしれない。

そうやって考えるとほかにはなにがあるんだろう。

パソコンやテレビや電話はすでに復活しているから、、、
コピー機、FAXはもうすでに最前線だし
後は時計、髭剃り、電灯、扇風機、エアコン、AV
卓上計算機なんかも今後復活する可能性がある。





1999.11.14

とまあ、ここでテレビを見ていたら
病院のベットの下にはかり(電子はかり)をつけて
ナースセンターで重さや重心(4個所ついているから重心もモニターできる)を
リアルタイムで監視できる仕組みを作ったメーカーが紹介されていた。
考えてみれば、ナースセンターじゃなくても
遠く離れたところでもモニターはあたり前でできる。

これも面白いではないか。
以前、電気湯沸かしポットの使用状況を
電話回線でリアルタイムにモニターする仕組みを
お医者さんとポットメーカーが共同で開発した話しを
ここで書いたことがあるがこれと似たような考え方だ。

あるいはアイディアノートにも以前書いたのだが
事務の椅子の下に電子はかりを着けて
リアルタイムに自分の体重を管理する仕組みを作ればいい。
足を持ち上げればそのまま体重計に早変わりするはずで
毎日自動的に自分の体重をはかれば良い。

もう出来上がっていると思われるものでも
ちょっと一ひねりすればいくらだって新しい発想は浮かんでくる。

、、、また、テレビを見ていたら
で洗濯槽を斜めにしてみた洗濯機、なんてのも出てきた。



1999.11.15

この前、諏訪バーチャル工業団地で品質工学の勉強会を行った。
なかなか面白く勉強になった。
内容はまた報告することにしたいが
そのあと集まった人達や講師の先生との「懇親会」で
一杯やりながらいろいろ話しをした。

その時誰ともなく話しに出てきたのが
先日の「原子力事故」の問題だ。

だれかがその懇親会で言ったことがなかなかおもしろい。

あの事故というのは
日本的なものづくりのシステムだからこそおきたのじゃないか、
というのだ。

現場の改善や努力がそれぞれの現場から行われて
それがあんな事故につながったとすれば、
それは残念なことではあるけれど
その「日本的な「ものづくり」のシステム」や
あるいは技能や技術の伝承や自立的な知識の蓄積や、
そんなものが、日本のものづくりとして
社会を支えているとすれば、、、これは重要なことだ。



1999.11.16

あの事故は「現場の改善や努力がそれぞれの現場から行われて
それがあんな事故につながった」ようなレベルのものではない
という意見もあるだろうし、
実際のあの事故の原因や問題やあるいはそこから考えるべきことは
まだまだたくさんあるし、結論を簡単に
出せるようなものではないと思うが、、、

今回のことは別にしても、
一般的に考えて、「言われたことだけやっていた」段階から
「それぞれが自分で考える」段階のものづくりが行われるようになれば
その仕事に携わる人々の
認識や世界観や、簡単にいえば価値観の違いが
ものづくりの結果や形に違うものが現れてくる可能性は高い。
あるいは「知識」の違いが決定的な結果の違いを生み出してしまう
可能性だってある。

これはものづくりだけに限らない。
それぞれが「良いこと」だと思ってやっていることが
状況によっては取り返しのつかないことになってしまう可能性もある。
そしてこれは原子力だけの問題でもない。
こういうことを考えてくると
我々にはいったいなにが必要なんだろうか、指針となるものはあるのだろうか、
と深く考えざるを得ない。




1999.11.17

新聞で連日報道されている
「H2ロケットの発射の失敗」のニュースが
「技術立国日本」が揺らいでいて
「技術への過信」があるのではないかとするような
論調で、それがまた、
あまりにみんな一緒に「大合唱」だし、
これではそれを読まされている国民も
そう言えば原子力も、新幹線も
いろいろ問題あるし、こんどはロケットだし
これは日本の技術もそろそろ斜陽かな、
などというような気分にもなってしまう、、、

筆者は以前からここに書いているように
安易に「最近の日本のものづくりは大丈夫」という話しや
「まだまだ世界に誇れる日本のものづくり」
というような話しは問題ありと思っている。
そういう話しは
最近の日本のものづくりを取り巻く本質的な問題の所在を
隠してしまうような恐れだってあると思っている。
、、だから今回のような問題が起れば「そらみたことか!」と
言いたいところではあるのだけれど、、、




1999.11.18

「技術への過信」や「安易な楽観論」やには
問題があり、(それは「元気付けの旗振り役」としても、だ)
実際にはものづくりの地盤沈下、や、歯槽膿漏状態、が
深刻に進行していると思いつつ、(ずっとそう主張してきた)

でも、へそ曲がりの筆者は
最近のそういう「技術への不審・不信、大合唱」状態の雰囲気や
今回の問題は「日本の技術」に対する信頼を失わせるものだ
、、というような論調に一発かましてやろうと思って
今、反論と皮肉を懸命に考えているところだ。

そもそも今回の問題は「日本の技術」に対してまで言及して
大騒ぎするような問題なのだろうか。

原子力の問題はことがことだけに
「実験」では許されない。済まされない。新幹線もそうだ。
が、宇宙開発やロケットもおなじかといえばそうじゃないだろう。




1999.11.19

科学技術が重要な役割をはたしているということは同じだとしても
少なくとも、とりあえず、人命には問題はないはずだし、
税金が投入されているということをあたかも
「税金を海に捨てていると同じだ」というような話しに
もっていく傾向もあるが
が、これは金融問題でとてつもない血税が
バブルに踊った金融業のお粗末な宴の後始末に使われた
ことを考えたら遥かに納得できると思えるではないか。

もともと、ものを作ったり実験をしたりすることで
100%の成功率はありえない。
それを目指すべきではあるのだが、どっこいそうはいかない。




1999.11.20

どんなものやことにもそれを目指す過程があったはずではないか。
当然その過程のなかでは「失敗」もついて回っていて
状況によっては何回も繰り返すこともありえる。
で、その「失敗」に対して、
社会が許容することも国民の重要な資質ではないか。

成功ばかりが認められて失敗が許されない、なんておかしいと、
どこかの国のマスコミも
最近ベンチャー企業の応援歌大合唱のなかで言っているではないか。
失敗が許されるのも失敗を許すのも
今の時代、重要で正しい資質じゃないか。





1999.11.21

なぜまたこうも大騒ぎするのだろうか、と思う。
まあ、あえて言うならば、今回の事件や最近の様々おきる問題は
「日本の技術」に対する信頼を失わせるものというよりは
日本の「管理」や「仕組み」に対する信頼を失わせるものではあるのだろう。
もっと言えば、
今回や最近の問題から我々は何を学ぶべきなのか、
そこにこそ重要なことが隠れているのではないか。

「管理技術」や「仕組み技術」や「品質工学」を
技術というひとことで括れば、
たしかに「・・技術の問題」にまとめてしまうことは可能だろうが
それを現場の技術やものづくりの問題に方向づけしてしまうのは
もっとも避けなければならないことだと思う。

それは「技術への過信」「安易な楽観論」に対する批判や
ものづくりの地盤沈下、や、歯槽膿漏状態、が
深刻に進行している状況に対する危機感を表すこととは異なる視点だ。





1999.11.22

正直言えば以前から言わせてもらっているように
「日本のものづくり」は結構難しい局面に入っていると
筆者は考えているが

しかし、現場のものづくりや「製造業」に対する信頼や
ものづくりに対する人々の根本的な構えは
昔も今もいささかも変わっていないと筆者は思う。

もし変わっているものがあるとすれば
それはものを創るということの
本来の意味が、本来の目的や使命から離れ
単に「ものを形にするという行為がお金にる」、
ということが目的になってしまったということではないのか。

それこそ「管理」や「仕組み」の問題であって
ものづくりの技術の問題ではない。
ただその本来の「問題のように見えていない問題」が
「技術の問題」とすりかえられているように見えるところに
今回の問題があるのではないのか。






1999.11.23

さて、そんなことを考えていると
先週16日の日経産業新聞に「この人と5分間」という
短いコラムがあって
「ナレッジマネジメント」や「暗黙知」で有名な
現、北陸先端科学技術大学院大学、知識科学研究科長の
野中郁次郎氏へのインタビューが載っていて、
これがなかなか面白く読めた。

なんでも、最近、アメリカで開かれたナレッジマネジメントの
フォーラムで、アメリカはあの「GE」のジャックウェルチ会長の
経営の限界を指摘したんだそうだ。

良く読んでいないと見落としそうなコラム欄で、
いつもの新聞切り抜き作業から見落とすところだったのだが
ウェルチという単語と野中郁次郎氏という単語が
目に入って思わずひかれて読んだ。

今、盛んに評価されるGEのウェルチ氏の経営だが
その経営について「限界を指摘した」となれば
これは結構「深い内容」を含んでいると筆者には思える。




1999.11.24

面白いのでここに書いてみる。

−−ウェルチのどこが限界だと。
「知識創造の視点から本田技研工業とGEで比較してみたのです。
ウェルチ氏は人間は競争のために生きると考えているのに対し、
本田宗一郎氏は人間はもともと創造的で夢をみる存在だと考えていた。
つまりGEは知識の創造よりも、競争相手の優れたところ、
既存の知を巧みに取り入れる知識の搾取の経営と言えるんじゃないかと」

−−ずいぶん手厳しいですね。
「ウェルチ氏がすごい経営者であることは間違いないし、知識搾取に
学ぶべきところはある。
しかし、21世紀に生き残るには知識創造を打ち出す経営モデルの
構築が必要で、どっこいウェルチ経営の次をねらわねば。
欧州の企業はすでに「ビヨンド・ウェルチ(ウェルチを超えろ)」を
模索していますよ」
(11月16日日経産業新聞)



1999.11.25

氏の日ごろの主張は今、盛んに取上げられるナレッジマネジメントを
語る上では欠かせないものであることはたしかなようではあるけれど
正直言って「ナレッジマネジメント」や「暗黙知」に関する
野中郁次郎氏のいろんな論文などを読んでも
貧しい筆者の頭ではいささか理解できない部分がおおくて
難儀する。

でも、今回の日経産業新聞の記者の質問に答え、掲載された
この内容には筆者は納得できるものがある。

特に
「ウェルチ氏は人間は競争のために生きると考えているのに対し、
本田宗一郎氏は人間はもともと創造的で夢をみる存在だと考えていた。」
というくだりは、なるほどと思わされる。

ものを作ったり、あるいは「財とサービス」を提供することを
目的とする企業が、スタートをするにあたっては
この二つの「視点」はたしかに重要なものであるだろう。



1999.11.26

ウェルチ氏が本当に「人間は競争のために生きる」と考えているのか。
故本田宗一郎氏が「人間はもともと創造的で夢をみる存在だ」と
考えていたのか、どうかはわからない。
が、少なくとも、
「人間は競争のために生きる」と考える経営者と
「人間はもともと創造的で夢をみる存在だ」と考える経営者の
二種類がいることはたしかだろう。

二つとも同時に成立するような考え方もあるだろうが
でも本質的には結構異なる。

一方は、ともかくなにをおいても競争に勝ち生き残ることが
重要であり善である、と考えるし、
もう一方は、人が自分を取りまく社会や環境に対し
より役に立ったり、より良い状態を創ることを善とする
考え方だろう。

このスタート時点での考え方の相違は企業が創造的な事業を
継続的に行えるかどうかを考えるうえで非常に重要ではないかと思う。




1999.11.27

「競争に勝ち生き残ること」が悪だとは思わない。

アメリカでは企業が創られ維持されていくことが
そもそも社会が認める善であることに対し、
日本では企業がお金を稼ぐことがあまり「いいことじゃない」ように
考えられる風潮があるから(そう思いませんか)
そもそもそういう社会の風土というか「スタート地点」が異なるように思う。

先日、テレビを見ていたら
「最近のネットベンチャー」のような内容の番組が流れていた。
内容的には今はやり、の渋谷のビットバレーの隆盛についてと
そのうしろで問題となるベンチャー起業を立ちあげて行く場合の
様々な問題点についてだったのだが、
このなかで気になる「アンケートの結果」が紹介されていた。

ベンチャー起業を起す企業家に拍手を送るか、あるいは尊敬するか、
とかいう内容の質問だったと思う。
これに対して、アメリカの人々は90%以上の人々が尊敬する、と答え、
一方、日本では10%以下の人しか尊敬すると答えていない。
まったく日米で逆転した答えなのだった。

ちょっとショックな内容ではないか。



1999.11.28

だからアメリカの企業が競争に勝つことを善しとするのは
決して「いけないこと」だとは思わない。
最初のスタート地点がすでに「企業を競争しながら維持していくことは
社会や国にとって必要なことだから、という認識を国民の多くがすでに
昔から持っている国にとっては、まして、起業するリスクが少なくて
社会に対する還元もそれなりにシステムとして成立している国にとっては
「企業が競争に勝つことを善し」とするのは別に不思議でもなんでもない。


逆に日本で企業がお金儲けをすることが「悪」だと考えられるような
(もちろんすべてそうではないけれどでも
最近そう思わされるような事件や話題がいかに多いことか、、)
前提が存在しているから
「人間はもともと創造的で夢をみる存在だ」という言い方や見かたを
わざわざしなくちゃならないとも言えるかもしれない。

結局、社会の練れた状況やスタート地点が違うのじゃないか。



1999.11.29

さて、ここで問題は
アメリカは世界観や国や社会の立脚するスタート地点が
そもそもすでにそこまで「練れている」が
一方、日本は企業や事業の根本的なところから
スタートしなくちゃならないから大変なのだ、、
と簡単に言ってしまうかどうかだ。

野中先生は「知識の搾取」のアメリカは超えられるべきで
これからは「知識の創造だ」とおっしゃっているわけだけれど
たしかにある意味で「練れすぎている国」では
「行き過ぎた競争や自己目的化された競争」や
「知識の搾取」が行われていくし、同時に
それに対する過剰な防衛や反応も起きてくるだろうと思う。





1999.11.30

一方、まだ社会的に「練れていない」日本は
今後、企業や事業を興していくこと自身を
社会や産業や環境やあるいは自分自身との関係になかに捉える
最初の地道な作業が必要になるとも思う。

これは結構大変な作業になるだろうと思う。
「子供を集めてベンチャー教育」なんていって「一流大学!の先生」が
「お金もうけの面白さ」のベンチャー教育?を始めてしまう時代だから
とてもものづくりや財やサービスの有用性を真正面に社会に問う
企業や事業やを始めることや、
それが社会にどう位置づいてくるのかなんてことを
子供や若者やみんなが考えることを
始めるような状況にはなっていない、、。
、、そんなところから始めないといけないのだ、、。

、、しかし、考え方によってはこれは案外、楽しい作業かもしれないとも思う。

自分たちがものを創る意味や企業を起す意味なんかを
社会や国との関係のなかに根本的ないちづけを考えながら、
起業していくチャンスなんてそうそうこれからもないかもしれない。





INDUSTRYWEB HOMEへ戻る / 今日のコラムに戻る/ バックナンバーに戻る