今日のコラム・バックナンバー(1999年 9 月分)


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掲載は日付順になっています。


1999.9.1

まあ、そんなわけでいろいろグローバルスタンダードに近づくための
試みが功を奏したのだろう、結構大きな変化がこの間の日本の経済や
産業や、あるいは社会や生活のなかに起きてきている。

たしかに先人が築いてきた戦後の日本は
現在の世界の標準や仕組みからは「変わっている」「特殊である」
と思われるようなものであることもたしかだろう。
変えなくてはイカン、部分も多くあることも確かだろう。

しかし一方でこれまでつくってきた仕組みの上で
日本全体が動いていることも確かなのであって
機械的に変更すること、あるいは思いきって変更すること、、が
はたして本当に、単純に「良いこと」なのか、
よくよく考えてみる必要があると思う。

もちろん、感情的に「外圧には屈しない」、、みたいな
話ではなくて、、、
もっと冷静で論理的な「状況の理解」が必要なのではないか。




1999.9.2

最近、テレビ番組で外国の人たちが
日本の習慣や価値観を批判する番組があって
言われることにも確かに一理あると思うし
逆に、それはなんでも言い過ぎだろうと思う部分もあって
冷静になれば「直すべき部分」と「引き継ぐ部分」も
両方あるのが本当のところなんだろうけれど、、

ただ、気持ちとしては「これは日本に分が悪い」と
確かに思っているようなことまで改めて大きな声で指摘されると、
むしろ、意地になって
過剰に日本のかたをもちたくなることもある、、、、、のだが、

そういう「感情論」ではなくて
「論理的」で「理性的」で「冷静」な見方から
世界の中の日本を捉え、世界やあるいは日本人のなかに
「状況」と「ビジョン」を説明できる力が
早急に必要になってきているのではないかと思う。




1999.9.3

ところで最近はアメリカのベンチャー企業が
俄然、調子がよくって
特にインターネット関連の企業が
空前の利益、、というか株価が上昇しているとかで
「一晩で億万長者」みたいな話が
新聞やテレビで報道されることが
最近はしょっちゅうだ。

日本でも最近はそういう報道によって
アメリカでの状況が伝わるにつれて
日本でもアメリカのようなベンチャー企業が
たくさん生まれることが今後の日本の産業の
切り札になる、、みたいな話が
当然、たくさん出てきていて、
「目指せ日本のビルゲーツ」とか
「インターネットビジネスで億万長者」みたいな
字句が新聞雑誌で踊る、踊る。



1999.9.4

開業率に比べて閉業率のほうが上回るような状況で
あるようなこの日本の現在では
まあ、それも当然といえば当然なんだろうし

ともかくもみんなと同じことやっていればいいとか
リスクをしょっていくなんてまっぴらだとか
そんなことを若いひとが言っているのでは
日本の未来は暗いことも確かなんだが

でも一方で、若い人たちが
「ベンチャーやってお金もうけたい」、
というのも
みんながみんな、そのまま行って
それを社会全体も認めるような一方でいて
はたしてそれでいいのだろうかといささか不安になる。

市場主義がはばをきかせるのもわからないではないし
若いひとがそういう目標をもつのもわかる。
生臭い目標であっても目標として持つこともわかる、
しかしあえて、それはそうだと思いつつも
一方でくいたりない気持ちや消化不良というかそんな気持ちもある。



1999.9.5

大学のベンチャー企業支援の事業?にも
不安を感じることがある。
言わせてもらえば
「お金もうけの方法」を勉強するのが
最近は一番の目標になっていないか。

先生のほうでは、小中学校の生徒集めておいて
「お金儲け」の仕組みを学んでもらって
ベンチャー企業をいずれつくる人材を育てるのだ、と
言っていて、
子供のほうも「お金儲けは楽しい」、みたいな
ことをいいはじめるに及んで
どこかおかしくありませんか、といいたくなる。

国や自治体でもおなじように
インキュベートだの新規事業の支援だのと最近は積極的だが
産業の活性化のためにというお題目がついているからまだいい。
これが「お金儲けは楽しい」から若者はベンチャー企業を作ろう、と
国や自治体までもが言いはじめたら、、、、

ベンチャーだ、起業だ、ということばを聞くたび
おいおい、だいじょうぶかい、といいたくなる。



1999.9.6

誤解してもらいたくないが、
ベンチャー企業をつくることや事業を起すことが
悪いことだなんていうつもりはさらさらない。

企業を起すこと、事業を起すことは
国や町や人々にとって
また、社会や産業にとっても
間違いなく必要で、重要なことだ。

また「お金儲け」を目標にしてベンチャー企業を起したり
企業や事業を興したりするを
だめだとか悪いことだと言うのでもない。

ただ、あまりに最近の議論は
アメリカの状況に躍らされたような
「ベンチャー企業をつくって当たれば大金持」みたいな
議論で進んでいるように思う。
それを善しとし、おだてるような雰囲気もある。
仮にそれも善し、としても
あまりにその方向のみが議論されていないか。



1999.9.7

この前聞いた話では
アメリカでは会社をつくってしばらくしたら
いかにその会社をすばやく軌道にのせ
そしていかに早く高くその企業を
「売却」するかが経営者の課題になるんだという。
シリコンバレーあたりでは最近
そういう「起業家」がたくさんいるんだという。
すべてそんなわけでもないだろうが
でも近頃はたしかにそんな話が多いように思う。

昔からそうだったのかと言えばちょっと違うらしい。
以前はもうちょっと使命感に燃えた起業家が多かったとも聞く。

まあ、そんな考えかたも認められないというわけではないだろうが、

もし、ある技術や製品や、を考案したりつくることができて
それが世界や産業や社会のために役立つことができるというならば、
あるいはその企業がその技術や製品を広めたり
それを発展させて人々の役に立つために精いっぱいやっていくことを
その企業や事業の目標や使命とするならば、
そんなに簡単に「事業の転売」なんて考えられるのだろうか。

「その次にやりたいことがあって、そのために売るんだ」と
いうのならわからないでもないが
お金儲けしたらリタイアして悠々自適、、なんて
なんで考えられるのか、、




1999.9.8

こうやって考えれば
「終身雇用」が日本的経営の慣行と言われ
日本的経営の「悪い点」として
グローバルスタンダードから遅れている、
と海外やあるいは国内からも「大合唱」なんだけれども

自分たちの仕事にやりがいを感じて
その事業に一生をかけたいという人がいたら
結果としての「終身雇用」だってすばらしいことじゃないか。


どうも「終身雇用」とか日本でいままで行われてきたことにたいし
日本の慣行は何でもだめ、
とレッテルを貼り付ける雰囲気があるんじゃないか。

いやもちろん、日本的経営やあるいは逆に
グローバルスタンダードと言われるなかにだって
直していかなくてはならないこと
変えていかなくてはならないことも、ある。
でも、どうも今起きていることは冷静な議論ではなくて
とても一面的、情緒的な議論であるように見える。

本質に迫らず、ただ形だけで理解したり
形式だけで判断するからそういうことになる。




1999.9.9

結局、企業と個人の関係に根本的な変化を
迫られているということなんだろうが

どうも、こういう、シリコンバレーで行われていたり
たぶんアメリカで行われ、現れているような状況を
表面的に「日本でも見習うべきだ」、というような
一面的な議論は、とても危うい話だと思うのだ、、。

特にそういう風潮を良いことだと
煽るような論調がマスコミなんかに多いようにも思われ
それが今の「ベンチャー支援」「ベンチャー待望」の
時勢と絡み合ってしまっているように思えるが、
とても危険な話だと思う。


一方で、たぶん、いや、必ず、
今、日本の産業や社会や、いたるところで
技術や製品やアイディアや、そして新しい事業を必要としている
人や人々がいるのは間違いない事実だとも思う。

特に医療や福祉や環境や省エネ、安全、なんかの分野では
それがいかに大変な仕事で事業化やお金儲けには遠い分野であろうと
早急に、本当に、必要としている人々は多いはずだ。

逆に、そういう人たちの役に立ちたいと願い、
技術を高め、製品を作り、アイディアを練っている人々が
少なからずいるはずだ。





1999.9.10

社会や産業がそれを必要とするならば
あるいは需要があることに市場自身が気がつけば
市場がそういったものを受け入れる時代が必ずやってくるだろう。

願わくば、そういう人達が
事業を興し、社会や産業のために役にたつこと、
そしてなにより我々を含む人々がそれを社会全体として
支援できる仕組みが必要なのではないか。

たとえそれが「お金持ち」になるにはほど遠い技術や
製品であっても、それを認め支援する仕組みや文化が欲しい。
マスコミや行政や大学も、その事業が何を目的としているのか、
使命として何を持っているのか、
お金儲けが動機になっていてもそれはそれで構わないと思う、
でも何が事業の目標なのか、社会に役にたつことを目標にしているのか
見分ける必要があると思う。




1999.9.11

今、日本自身の未来やビジョンが見えない。

どんな国をつくるのか、どんな産業や社会が出現するのか、
「人々の関係」はどうなるのか、どうなっていくのか、、

そのビジョンがなければ
個人が何をやるべきなのかも見えないのかもしれないが

しかし、個人がなにをすべきなのか、何を通じて国をつくるのか
を示せば、いずれそれが国のビジョンを持つことの
スタートになるのではないか。

国にビジョンを示すことを期待するのではなくて
我々自身が、自ら一人ひとりが
ビジョンを示す時代なのかもしれないとも思うのだ。

そしてそれこそが「ベンチャー起業」なのかもしれない。




1999.9.12

すでにだいぶ前の新聞、一週間前の日曜日の毎日新聞だけれど
ここでたまに紹介する「時代の風」という連載に
東海大学の唐津一教授の文章がのっていた。

毎日新聞「時代の風」は様々な識者がかわるがわる執筆していて
内容も深みがあってなかなか面白い。
いつも興味深く読んでいる。

特に三井物産総合情報室長の寺島実朗氏と
東海大学教授の唐津一氏の文章は
産業、製造業や、ものづくりにとても関係のある
話が多いからとても面白い。

先週の唐津先生の話はここでちょうど話題にしていた
「グローバルスタンダード」の話だった。



1999.9.13

先生は、
日本のものづくりの力は
世界的に見ても、時代のなかで見ても、
とても力があって他の国の追随を許さない。
日本人の勤勉性や真面目さや、
あるいは「性善説」に支えられた
相互の信頼が、世界に誇るべき日本的な
ものづくりの仕組みの根本にあって
それこそが今の日本を作り上げてきた源泉であり
そこに育ったものづくりの技術が日本の原動力なのだ、
というようなことを昔からおっしゃっている。
この主張はずっと以前から変わらない。

だからこの間の
「グローバルスタンダード」に標準化して行く必要がある、
みたいな、この間に国内で多く見受けられた議論にたいしては、
日本の仕組みもまけていない、とおっしゃる。

日本企業がアメリカに進出して、それが、たとえば、
アメリカで生産された車の輸出のトップ2は
いつのまにか日本の車メーカーになっていて
アメリカの貿易赤字を減らしていくのは実は日本企業だった、、、
、、ということにまでなっているんだという。
そしてそれら海外で成功している工場は
すべて日本的なやり方、日本式、でやっているんだと主張されている。

先生は国際規格のことも取上げて
これもいってみれば欧州が彼らの価値観でつくってきた
グローバルスタンダードであって
日本には馴染まない、とおっしゃる。
言ってみれば「日本式」でものをつくるからこそ
世界一のものづくりが出来るんだ、ということをおっしゃっている。




1999.9.14

先生のお話はいつも日本のものづくりを懸命に励ましてくれる、、
この点では、本当にありがたいとは思う。

先生の話は、結果的に
、、日本は日本で真面目にやってきた、、
日本の文化や考えかたのなかでやってきたたどり着いた結果が
この日本の、世界の誇れるものづくり、、なんだし
それで良い結果も出ている。海外からいろいろ言われる筋合いはないし
(とはおっしゃっていないが結果的にはそういう議論になる)
我々自身は自信を持とう、、、という話になっていく。

ついこの前もここで書いたが先生のおっしゃるように
「グローバルスタンダード」でなくちゃだめだとか、、
世界に遅れていってしまうぞ、とか、、
そういう議論はもうやめたほうが良いと筆者も思っているんだけれど
先生も世界の誇れるものづくりという良い結果、が出ているのだから
「グローバルスタンダード」でなくて、いままでの「日本式」で
いいのじゃないかとおっしゃっている。



1999.9.15

ただ、筆者は
「グローバルスタンダード」でなくて「日本式」がいい、、
という議論には賛成できない。

この話では「日本のものづくりはいままで通りでいいのだ」
ということになっていってしまうが、
これでは「日本と世界の関係」はなんらいままでと変わらない。
日本の製造業が歴史的に、あるいは世界のなかの日本として
捉えなければならない「我々を取り巻く問題」もなに一つ解決しない。
いま我々ものづくりの現場における様々な問題を
これでよしとする人は少なくとも製造業の現場の人間にはいない。


アメリカのなかの日本企業がアメリカの貿易赤字を減らす
ことに役にたっているとか
日本式のものづくりがたしかにいまのところ「力強い」ということは
たしかに本当だとしても
それでは日本のものづくり、を取り巻く「抜本的な問題」を
解決する方法を、、あるいはこれから解決すべき問題のありかを
見出すことができない。



1999.9.16

戦後の日本を支え作り上げてきた日本の企業の、、
特に「我々がやってきたんだ」と自負している
先輩がたにとっては
唐津先生の話はたぶん心地よい話だろうとは思う。

だが、今、日本の製造業は
いままでの産業や製造業、ものづくり、にたいして
仕組みや考え方、文化、などを
捉え直し、考え直し、て行かねばならないところに来ているのだと思う。

それは「グローバルスタンダード」に迎合するということではない。
以前も書いたように世界の中の日本を捉え、世界やあるいは日本人のなかに
「状況」と「ビジョン」を説明できる力が必要になってきているということだ。

そこでは過去やいままでの状況にたいし
反省や問題点の明確にすることが求められるし
耳に痛い話なんかもあらわになっていくだろうとも思う。
だがそれを乗り越え、状況を冷静に判断しビジョンを作り、示し
実際に行っていかなくてはならない。

それはけして心地よい話ではないのだろうが
この10年にも及ぶ、長い時間をかけた
日本の産業やものづくりに与えられた「変化を作り出すチャンス」を
変える必要はない、とか、耳に痛い、とばかりに
否定してしまうことは避けなければならないだろうと思う。




1999.9.17

最近テレビで放送されている
缶コーヒーの宣伝でこんなのがある。

ホームで電車を待つ同じ会社のサラリーマンが二人、
一人は役員だろうか、年配のちょっと強面の上司
もう一人はまだ新入社員か経験の浅い若いサラリーマンだ。

突如、どこからか携帯電話の着メロというだろうか
音楽が聞こえてくる。
最近はやりの「着メロ」というものがどんなものかは皆さんご存じだろう。
携帯電話だ着信した時の音が音楽になっていて
それも最近は自分で作ったりもできて懐かしいメロディーなんかを
つくって自分の携帯電話のいれておくのがはやりになっている、あれである。

若いサラリーマン氏はその聞こえてきた着メロを
最近のはやりものとしてくだらないとばかりに
「あんなもので喜んでいるなんて最低ですよねえ」と
上司の前で一言で切り捨てる。

だが、次の瞬間、上司の懐から出てきたものは
その着メロをならした携帯電話、、、だった。

君とはさよならだなあ、、という意味の
「君がいなくなるのは寂しいよ」という上司のひとことと共に
コマーシャルは終わる。





1999.9.18

若いサラリーマンのひとことで
「さよなら」言うほど度量の狭い上司もそうはいないだろうけれど
(そう願うが、)
っま、たしかにそんな上司もいないではないだろう。
着メロを発信する携帯電話をもっている上司も
いやだし、そんなことでいろいろいう上司ももっといやだなあ、、
と思う。

でもあながち、うそでもない、、なさそうでありそうなところが怖い。
で、こんなやつと一緒に仕事なんかしたくはないよなあ、、と
友人に言ったら「そうだ、そうだ」の声、

「たとえ世界を敵にまわしても、うのちゃんの味方だからね」
と言ったら本当に世界中が敵になってしまい
果てはアパートの外に戦闘機がやってきて包囲される、、、
そんなコーヒーのコマーシャルも最近あるが
こっちのほうがよっぽど良いということでも「そうだそうだ」の声。

わけのわからぬ、権威と肩書きを振りかざしているような
上司に困っているんだったら人材派遣の会社に
電話する、、、という人材派遣会社のコマーシャルも以前あったが

これからはたとえ回りを敵に回しても
自分のやりたいことをやっていくぞ、、という
サラリーマンがこれからは増えていくんだろう。
いや、、そうなっていってもらいたいものだ、と
思いながら最近のテレビコマーシャルを見ている筆者である。





1999.9.19

全日本ラグビーの監督、平尾誠二氏が
最近、新刊本を出した。

「勝利を支配するもの」という名前で
まあ、これは
最近ベストセラーになった(ような気がするんだが)
P・F・ドラッカー氏の
「未来を支配するもの」の名前が影響しているような気がしているんだけれど、、

それはともかく、
こんどの「勝利を支配するもの」も「イメージとマネージ」も
「○○○(忘れてしまった)」も
氏の書く本はいつもなかなか読み応えがあって良いと思っている。

あくまでラグビーを通じての組織論、リーダー論、戦略、なんかについて
書かれて、あるいは対談しているんだけれど
これはラグビーだけじゃなくて
すべての「組織」「リーダー」「戦略」に共通する話として
興味深く読むことができる。

ここで何度も書いたが以前フランスから呼ばれて
日本のサッカーチーム「名古屋グランパス」の監督に就任し
結果をだしたアーセンベンゲル監督の本「勝者のエスプリ」も
なかなかよかったと思っているんだが、、





1999.9.20

平尾監督率いる全日本ラグビーがここのところ調子がいい、
ということも関係しているんだろうし、
べンゲル監督率いる「名古屋グランパス」も氏が監督当時に
それなりの結果を出してきていたからなのだろうが
どの本もなかなか説得力がある

ところで
ベンゲル監督の本「勝者のエスプリ」にしても
平尾監督のだしている3冊の本にしても
そのなかに共通するテーマ、部分、というのが一つあると思う。

最終的には日本人の組織や集団にたいする考え方と
海外とのそれの差を示すことになっていってしまうのだけれど
集団で行動することを基本とする日本人選手と
個人の自立や自律でものごとを進める外国選手
この違いが大きいとする点だ。
このあたりの話はいろんな本とかでも盛んに話されていることなのだが

ただ、平尾氏はそこに重ねるようにこうも言っている。

「よく日本人は集団意識が強いとか言いますが、
本質的に集団として動くべき方向は、
実はまったく理解できていない民族ですね。
しかも、そこには選手に考えさせるという余地が与えられていない」
(平尾誠二・松岡正剛「イメージとマネージ」集英社)




1999.9.21

なるほど「日本人は集団意識が強い」という評論は
いままで盛んに言われることはあっても
だけれど「集団として動くべき方向は理解できていない民族」
ということまで言及したことはなかなかなかったと思う。
そして、たしかにそういう部分はある。

そういえば
ドラッカー氏の本にもよく書かれているんだけれど
組織のあり方として「サッカー型」「野球型」「テニスのダブルス」と
三つに分類している。

どれが良いと言っているわけではないのだけれど
筆者の読んだ感想としては
個人の自律や自立を促し、その個人が結びつくことで
「目的意識」を持った組織が縦横に活動し「結果」を出していく、、
そういうチームの形が今後企業にとって必要になっていく、、
、、ということであれば「サッカー型」が
今後重要になっていくのではないか、、と思える。




1999.9.22

平尾監督の本や、あるいは平尾監督としての動静が
このごろスポーツの世界だけでなく
様々な方面、ビジネスや産業の方面からも
注目を浴びるのもこの辺りがあるのかもしれない。

数年まえに平尾誠二氏の講演会を聞く機会があった。
始めは正直言ってスポーツの世界での
自慢話だろうと思ってあまり気乗りしないで出かけたのだが
実際に聞いてみて氏の組織論やリーダー論について
感じるところが多かった。

興味のあるかたがいたら近くの本屋さんでぜひ氏の本を買って
お読みなってはいかがだろうか。

ところで今日、平尾監督をはじめとした全日本ラグビーが
ワールドカップに向かって出発した。
心から健闘を祈りたい。頑張れ全日本ラグビー!




1999.9.23

最近、無料パソコンが話題になっている。
新聞やテレビで話題になっている。

新聞なんかではどちらかといえば
すでに否定的な文脈で語られていて
もうアメリカあたりでは撤退した「サービス」があるとか
ビジネスモデルとして成立しにくいとか、、
大体そんなレポートが多い。

テレビの特集で扱われるのは逆に
これから無料、あるいはそれに近いパソコンが
「配布」されるサービスがこれからどんどん登場して
くるだろうという視点が多いようだ。


細かく見ていけば一概に無料パソコンの話題とは言え
ビジネスモデルとして考えればいろんな形がある。
基本的に多いタイプは、特定のピロバイダーと契約することが
条件になっていて
その接続料金から無料であるはずのパソコン代金を
払っている、、といいう形になっている。

だから結果としてはけして「無料」ではないはずなのだが、、。




1999.9.24

まあ、正直いってどんなビジネスモデルにしろ
本当に「無料である」ということはないだろうと思う。
どこかが、誰かが、その料金を支払っていることで成立しているはずだ。

ところで話は変るが、、
今後盛んになってくるだろうといわれている
「オープンソース型」のソフトやものづくりにしても
なんらかの形で「評価・選択」する仕組みは必要になる。
その結果として「オープンソース型」にもお金の流れは生まれるだろうし
「オープンソース型」が無料ということにはならない、と筆者は考える。
(この件にかんしては興味深い状況や現象が生まれてきている。
    この場でもいずれ時間をかけて考えていきたいと思う。)

さて、前述のように今のところプロバイダーが接続料金のなかから
なんらかの形でその費用をまかなうというのが多いようだが
これらはこれからどうなっていくのだろうか




1999.9.25

まあ、その気になりさえすれば
「すべてのもの」をコマーシャルなんかの
言わば伝えるための媒体として
利用することもできないことではない。

最近びっくりしたのはスナック菓子の名称が
最近売り出し中の映画の名前になっていて
袋の両面に最近有名な女優さんの写真なんかが
映画の宣伝とともに載っていて
コンビニでそのお菓子を買った瞬間は
本当にそんな名前のお菓子があったのかと思ったほどだった。
(そう、あの広末涼子さんの映画「秘密」である。
  しばらくすれば店頭からはなくなるだろう。お宝、である。))
あれだって本当のこと言えばお菓子そのものが無料になって、
あるいは「いくらかお安くなってます」、でもおかしくはない。
映画会社が宣伝料としてその分を負担していておかしくないからだ。

そう言えば昔、逆の現象もあった。
たしか邦画だと思ったが、
映画の中にウィスキーの商品名もあらわになったシーンが登場して
主人公が映画のなかでそのウィスキーを飲む、、なんてことがあった。



1999.9.26

そうそう、映画と言えば
最近ではドイツ製のスポーツカーが
市場に投入されるのにタイミングを合わせるように
封切りされたスパイアクションものの洋画のなかに
主人公が乗って登場するなんて場面もあったっけ。。
(007の最近のやつ、BMWが新車発表に合わせて登場させていた。)
  
ところで、自動車といえば
乗用車の後ろにはってあるメーカーの名前や車名のバッチだって
本来その車を買った人は
その車の「宣伝」までやる必要はないのであって
まあ、たしかにこれまでは「○○○メーカー」の車をもっていることが
「ステータス」になっていて、バッチがついていることが
「うれしいこと」「誇るべきこと」だったかもしれないが、
買ったのは車とそこから得られる満足であって
車メーカーの宣伝としてのバッチまで買った覚えはないのだから
その分を消費者が負担するのは本来おかしいとも言える。




1999.9.27

状況によってはその分を支払わない、どころか
それをつけるのであれば
その分をメーカーから宣伝広告費として支払ってもらう、、ことだって
考えられないことじゃない。

そう考えれば、例えば、
無印の商品とメーカーの宣伝が入った商品の二つがあって
消費者はどっちも選ぶことができるが
メーカーの宣伝が入っている場合は安い、、ということだって本来、ありうる。

メーカーの人たちにとっては刺激的な話かもしれないが
今、「もの」や「商品」をめぐっておきつつあることの本質的な変化、
社会や環境と、「もの」を介在した人と人の関係や
社会や人と、ものを作り供給する企業との関係や
位置関係、力関係に少しづつ変化が現れつつあるということに
こういったことから気がつく必要があるのじゃないだろうか。




1999.9.28

ついでにもうひとこと、言えば、
最近話題になる企業と消費者の関係、、
雑誌や新聞なんかでいろいろに話題になっている
インターネット上のクレームだとかそういう話だが、、、、

これも、いままでのようにあくまで作って供給する側と
それを消費する側との関係に、ある変化が現れてきている
ことの証左ではないのか。
それが情報化時代ならではのものであること、はもちろんなのだが
情報化やインターネットの普及が
「そういうやり方」を直接的に進めてしまった、だから情報化時代には
企業もそういう対応を考えるようにしないといけない、
、、という結論に導いてしまうよりは
もっとそのなかに本質的に生まれつつある変化
  社会や環境と、「もの」を介在した人と人の関係や
  社会や人と、ものを作り供給する企業との関係や
  位置関係、力関係に少しづつ変化が現れつつある
ということに気がつくべきなのだろうと思う。

なにもこれは企業と消費者の関係に限らない。
企業とそこに働く人の関係もそうだし
組織と個人の関係もそうだし、
あるいは環境と個人の関係
環境と組織や集団との関係にも言える。
そういうものが少しづつ「関係」「関連」をかえつつある、
そこに気がつくべきだ。




1999.9.29

少し話が脱線してしまった、、、
以前ここに書いたことがあるのだが
コンピューターやテレビなんかの
「表現機器」は接続して情報が流れてきてなんぼ、、
であることに気がつく。

少なくとも、テレビやコンピューターのような
「表現すること」を一番の目標としている機器は
逆に「そのもののまま」ではまったく役に立たない。
情報やデータが送られてきて初めて存在していることが役に立つ。

逆にそういう、表現すること、いわば情報やコンテンツを
お金にしようとする企業や事業は
それを消費するユーザーのもとで表現でき
そのユーザーに情報の消費に対しての課金ができるのならば
表現機器は「ただ」でもいいことになる。

テレビは「家電メーカー」が作ってくれて
そのままでは決して役に立たないはずなのにそれを販売してくれて
コマーシャルや広告宣伝なんてものも生まれてくるにおよんで
ユーザーが表現機器をお金を出して買うことが当然になっていた。
いままでは「うまく回る」、、そういう仕組みが出来てきていた。




1999.9.30

あくまで「テレビ受像機」はメーカーが作り消費者が買うもの、
宣伝コマーシャルの費用はテレビを通じて宣伝を行いたいメーカーが支払い
宣伝広告会社がテレビを通じてその宣伝をにない、
テレビに情報を流すのは放送局、
という仕組みがしっかり出来上がっているから
これからその仕組みを変えていくというのはそうそう簡単なことではない。

本来、パソコンや、あるいはテレビも新しい?ビジネスモデルを
成立させる可能性があると思われるのだが
いままではこのようなビジネスの形がしっかりと
出来上がってしまっていたから
そういう新しい「ビジネスモデル」はなかった。
本当はいままでだってあってもよかったし
成立する可能性もあったのだろうと思う。



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