今日のコラム・バックナンバー(1999年 5 月分)


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掲載は日付順になっています。


1999.5.6

みなさん、
連休はいかがお過ごしだったでしょうか、、

私たちは秋田県で行われた電気自動車のレース
「ワールドエコノムーブ」に参加するため、
自動車に12時間揺られながら
秋田県まで遠征してきました。



さて、その「ワールドエコノムーブ」の結果だが、
おかげさまで70台あまりが参加するなか、
13位の成績を納めることができた。
これで5回めの参加になるが
一回目に13位になった以降は
あとは二番手三番手グループにいたのだが
今回はまた13位になることができた。

記録もいままでの最高は43.5KMあまりだったのだが
57KMまで伸ばすことができた。
(この競技はカブなどに使われる小さなバッテリーを4つ使って
  二時間の間にどれだけ走ることができるのかを競う競技である)
トップは今回73KMを走ることができて
それに比べれば我われはまだまだの成績ではあるが
今回はなんとか上位グループに
近づくことできたのではないかと思う。




1999.5.7

昨晩は筆者が住むまちの行政の人たちや
大学で中小企業の経営を研究しておられる先生方や
地元の産業界の先輩方と
若手の経営者や製造業に従事する若者たちで
情報交換する場がもたれ筆者もそこに参加させていただいた。

ちょうど我々の作った小さな一人乗り電気自動車による
電気自動車レース「ワールドエコノムーブ」参戦のビデオが
地元のCATVで放送されることにもなって
テープが編集される途中だったので
それをお借りして会場で参加者のみなさんに
見ていただくことができた。

うれしかったのは
会場におられた我々製造業の世界での大先輩のみなさんが
我々の活動を理解し励ましてくれたことだ。



1999.5.8

5年前に「電気自動車で地元産業の活性化を進めよう」と
様々なところで主張させていただいたのだが
なかなか理解していただけずに苦労した。

しかしこの5年間の活動が少しづつ実ったのだろうか
以前に比べて理解していただくこともできて
励ましのことばもかけていただけるようになった。


我々の活動は
実際にはまだまだ産業への影響や実績に結びついているわけではない。

電気自動車にしても、また、インターネットや情報技術への
地域産業界としての取り組みもむしろこれからだ。

しかし、これらの活動が必ずや次代の日本の産業や
その活性化にむけた一助にはなっていくだろうと確信している。




1999.5.9

もちろん、それほどだいそれたことをやっているわけじゃない、
でも大事なのは、「始めること」だ。
どんな稚拙なことでも、なにも始らずに評論しているだけよりは
なんぼか良い。
どんなに説得力のあるように見える仮説でも
始めなければ始らないのだと強く思う。


答えのない活動を理解していただくこと、
ましてそれを広げていくことは
大変なことだとつくづくずっと思ってきた。

でもこれからの日本は電気自動車や情報技術に限らず
様々な分野で答えのない問いに応える努力を
あえて、自らがしていかねばならないのだろう。




1999.5.10

昨日の毎日新聞「時代の風」は
三井物産の総合情報室長、寺島実郎氏の話だった。
氏の話は最近は本や雑誌はもちろん、
テレビやインターネットでも紹介されていて
中身もなかなか面白いことが書かれているから
いつも興味深く読んでいる。
特にインターネット上には最近氏の講演などの抜粋や
要約などが書かれていることがあって
氏のファンとしてはありがたいし、
内容ももちろん非常に面白い。

さて、昨日の「時代の風」だが、
「忠臣蔵とグローバルスタンダード」という副題がついていて
日本人が好む「忠臣蔵」が日本人のなかでなじこうも好まれるのか。
またそのこと自身が国際社会のなかで、
あるいは「世界のグローバルスタンダード化」と言われる
今の状況のなかで、 
「忠臣蔵」を好む日本人の感覚が
いったいどう評価されるべきものなのか、、、
ということに対する氏の考えが書かれている。




1999.5.11

「家」や「公」に縛られながらも滅私奉公に重点を置く日本人のスタイルや
「集団的結束」による私的価値観の表現や解決。
これらは「日本人の忠臣蔵好み」の基本になっている。
そしてこの価値観ともいえるだろうか、気質とでもいうのだろうか、
は、昔から変わっていない。

しかし、近代国家の成立の過程では、「忠臣蔵」的価値観に
対して、批判的な見方や考え方がなかったわけではない。

氏も、忠臣蔵を「局所的な正義をいたずらに美化する日本的退嬰」と考え、
「こんなものにこだわり続けるから日本の国際化は進まない」と
考えた時期もあったのだという。

しかし氏は「もし忠臣蔵に日本文化の特質が象徴されているならば、
それを大切に見つめる心も必要なのかな」と考えはじめている、、」
のだそうだ。

もちろん、「ただ、自らの異質性に開き直るのも考えもので、
少なくとも自らを客観的に説明できることは大切であり、この努力
なくしては文化の国際性は期待できない」という。

なるほど、なるほど、寺島氏の考えにはうなずけるものがある。
そして、
この最後のセンテンスが氏の主たるメッセージだと思う。




1999.5.12

日本人のなかに、その根底に流れる基本的なものの価値観や規範が
否定されるべきものとして扱われることが最近は多いように思う。
そういったものは
日本における「世界のグローバル化」の進行を止めるものであるとか、
そんな言い方がよくされるようになってきていると思う。

逆にその意見や風潮に対して、
、、たぶんに気分的ではあるのだが、、
日本の独自の文化や気質や価値観を守るべきだという意見も、
最近は多くもなっている。

こういう議論や論調を寺島氏は鋭く捉えているのだと思える。
確かに最近のマスコミや識者のなかに現れている雰囲気のなかには
ここ最近、いや、いままでになかったような
価値観というか基本的認識が現れてきている。

筆者にはそれが
時代を反映した、
多方向から揺すぶられているような、
結構危うい議論や気分を生み出している状況に見える。





1999.5.13

しかし両方からの主張をそれぞれから一面的に捉えて居る限りは
たぶん実効ある議論にはなっていかないのだろうと思う。

今は世界の行方や「世界のグローバル化」の意味合いと
日本のアイデンティティーや日本人であることの
アイデンティティーや相互の関係を
「冷静」に理解する「努力」をすることが
最も重要なことであるように思う。

もっとも、「日本」も「日本人であること」もそうだが
自らの町や自分たちがつくってきた町や産業や文化を
いまだ冷静に「理解」しようとしたことが
これまでにあったかというと、、はなはだ、こころもとない、、、。

教科書に書かれているような紋きり型の知識ではなくて
本当の意味での「自分たちの町のこと」「自分たちの歴史のこと」
「日本にいること」「日本人であること」を
認識する努力を体系的に行うこと、、
筆者にはこのことが今、とても重要なことだと思えてならない。

自らの足元も見えずに
ただ、ヒステリックに「グローバル化」を唱えたり、
闇雲に「自らの異質性に開き直る」のでは
なにも変わらないと思うのだ。




1999.5.14

少し前だが、
立花隆氏と筑紫哲也氏と広末涼子さんが司会をして
人間やロボットについての特集をした番組があった。

そういえば最近の新聞なんかを見ていても
ロボットの特集が多いし
ここ最近はロボットに関する話題が多い。

去年からは本田技研の開発している二足歩行ロボットが
注目浴びているし

そして今週は以前から話題になっていた
ソニーの犬型ロボットが
6月から販売されるということで話題になった。

ついでにいえば前述のテレビ番組で登場した
三菱重工が作ったという「魚型ロボット」についても
新聞に紹介された。
それによればこれも市販するのだとか、

本当にここんところはロボットの話題に事欠かない。




1999.5.15

で、こういうロボットに話題が増えると
きまって登場する議論が
人間と人間のコミュニケーションを
ロボットに代行させるなんておかしい、という議論とか、
その逆の議論、
こういうものがたとえば高齢のかたの
話し相手になったりしていくからとてもいいことだし
こういうものが将来大きな市場をつくっていくかもしれない、、
という議論だ。

たしかにいくら犬や人間や魚の形をしているからといって
それを相手にしている人間がなごんだり精神的に安定する、、
なんて話はあまり歓迎できる話ではないように思し、
そうは言ってもこういったものがこれから続々と登場してくるだろう、、
ことも間違いない。

広い意味でのロボットと人間の関係を話題にして議論がこれから
増えていくのは間違いないと思う。
そういう「議論」をすること自身が必要でないというつもりはないが、

でも、そもそもそんな話をする前に
もともと今回のことも「ロボット」という言い方をするから
センセーショナルな捉えかたをされるが
本来そんなに「すごいこと」なのだろうかと筆者は思う。



1999.5.16

ちょうど子供のころに
電池とモーターで動くプラモデルの戦車や自動車を
動かして喜んでいたのと本質的にどう違うのかというと
あまり変わりもないようにも思えてくる。
特にラジコンやリモコンではなくて
スイッチをいれると自分のなかのプログラム
(そんなに難しいものだはないが)
にしたがって走り回り、
壁に当たるともどってきたりするタイプのやつだ。


その延長としてガラスの水槽の向こうで泳ぐ
本物そっくりにできた魚型ロボットを
見て、喜んでいるのも、
プログラムにしたがってなんらかの「振る舞い」をする
犬型ロボットに反応をさせて喜んでいるのも
たいして変わらないようにも思う。



1999.5.17

たしかにいままでの「おもちゃ」に比べれば格段に
外界を捉えるセンサーの能力や伝達経路の複雑さは増えている。
自律的に動くというのもたしかにそういうところはある。

しかし、そうだとしても魚型にしても犬型にしても
実際には外部の環境にたいして
もっとも初歩的な「反応」をしているに過ぎない。
ただ反応のスピードやしぐさの仕方が
いままでのものの反応からは格段に進歩しているということだ。

だからこういう「コミュニケーションロボット」という「分野」が
ここしばらく脚光を浴びることになっても
冷静に「高度なおもちゃ」の範疇として考える必要があると
筆者は思う。

だれでも「ゲーム」をやったり「おもちゃ」をいじったりしていれば
楽しいのだからそれはそれで良い。
こんどのおもちゃも、たとえば「高齢者」の話あいてをすることによって
和みの対象になるという話なんかもそれはそれで良い。
とりあえずそのくらいの話だと考えていたほうがいいと思う。
、、というか、最近のロボットのブームのようなものを
考えた場合、本来、考えを及ばせなければならないことは
もっと他にあるのだと思う。



1999.5.18

人間とロボットとのコミュニケーションとか
あるいは科学技術と人間の関係とかを議論することが無駄だとは
もちろん言うつもりはない。

しかしこういう「議論」がセンセーショナリズムに持ち上げられて
あたかも「ばら色の未来」や「灰色の未来」が
近づいてくるような世論が簡単に形成されてしまう傾向が
最近あるように思う。


最近の「ロボットブーム」と言ってもいいほど
この話題が盛んになった原因は
昨年の本田技研のロボットの「二足歩行」にあることはたぶん間違いない。

これはたしかに、いままで不可能とも、しばらくは無理とも
言われていた「二足歩行」を
いとも簡単に(そう見えた)成し遂げたことから話題になったのだが、
これを冷静になって考えてみるとその研究そのもののあり方が
「できないとされていたことにチャレンジして成し遂げた」ということ
が関心を呼んでいるのであって、
よくよく考えてみると二足歩行のロボットが
「いよいよこれから「鉄腕アトム」の時代になっていく前触れ」というような
センセーショナルというか、そういう捉えかたは少し
早すぎるのではないかと思う。

人間が二足歩行を始めたことは人類の歴史にとって特筆すべき
出来事だったのだろうが、ロボットが二足歩行を始めたことは
それと比類すべき「すごいこと」だとは正直言って筆者は思わない。
ただ、「難しい」、「しばらくはできない」、と
言われていた常識を覆した、、、ということがすごいのだ。




1999.5.19

人類が月に行ってちょうど30年がたとうとしているが
これも技術の集大成ということでは
すばらしいことであることは間違いないし
人類の記念碑的な出来事であるとも思う。
でも、人類が作り上げてきた科学技術の延長線上にあるものであって
けしてそれ以上のものではない。
科学技術を聖域や神秘的なものまで持ち上げていってしまう風潮が
もしあるとすればそれは科学技術それ自身にとっても
けっして良いことだとは思われない。

たぶん、二足歩行ロボットを始めとするロボット技術、
もっと言えば科学技術そのものも
半導体やセンサーやアクチュエーターなど様々なデバイスの発達によって
これからいくらもしないうちに、
ロボットで言えば人間なみの速さや確実さを
文字どおり、身につけるに違いない。
それはそれですごいことだし、それらの技術が可能にする様々なことは
きっとこれから想像もつかないようなものであるのに違いない。

であればなおさら、そういうことをすすめつつある
科学技術や技術開発の持つ今日的な意味と可能性を
ことさら冷静に考える必要があると思う。

こういう「話」は最近もあったように思う。
情報技術の存在が「ばら色の未来」を自動的につくってくれる、のではない。
「情報技術を何のためにどう使って何をするのか」、
こういう地道な視点と行動があってこそ初めて「未来」をつくることが
できるのではないか。




1999.5.20

筆者の住む街では
市民新聞というタブロイド版の日刊紙があって
地元の情報については政治や経済は当然、
ほかにもお葬式のことから広告、テレビ欄、文芸、趣味、等、
内容的には全国紙と変わらない内容で作られている。

全国紙は読まなくてもこれだけは必ず購読している
という家庭は非常に多く、
地方紙としても非常に興味あるものだと
全国から結構視察なんかも来ているらしい。

この新聞については地域のコミュニケーションというか
コミュニティーを形成する上で結構それなりの
「仕組み」というか「役割」を果たしていて
これだけでも考えるさせられることが多いと思っているのだけれど、
そのことについてはまた近いうちに書こうと思う。

今日は「なるほどなあ?」と思わず考えてしまった話題だ。





1999.5.21

この新聞には週一回、紙面上で「何でも紹介」という
言わば「売ります、買いますコーナー」がある。

いつのころから始ったのかは忘れてしまったが
たぶんもう十年以上にはなる。
始ったころは投稿も少なかった。
もともと郵便か手紙で投稿を受け付けていたから
そうだったんだろう。

でも最近この欄に投稿されるものが非常に増えてきたのに驚く。
以前はせいぜい三段から四段、項目にして10コくらいのものだったが
最近は下にある広告欄を除いた一面すべてが投稿でうめられている。
たぶん20から30近い投稿があるのだろう。

なぜこんなに増えたのか、景気のせいだろうという気もするし
メールでの受け付けも始めたからかもしれない。
ともかく多い。
もちろん「売りたし買いたし」だけではなくて
「もらってください」や「ください」(この違いは小犬なんかの小動物は
「もらってください」、ものは「ください」という違いである。)
あるいは「さしあげます」や「譲ってください」「探しています」「募集」
なかには「貸してください」なんてのまである。




1999.5.22

最近のには「ジグソーパズル2000ピースのものを
3000円でつくってください」なんてのもあって
時代を反映しているのか、思わず、なるほどなあ、と考えさせられた。

でもこういうことは地域のコミュニケーションの道具として
使われる可能性のある地方紙の一つの有用な利用方法なんだろうなあ、
と思えてきた。

ある意味ではタブロイド新聞の真骨頂でもあるゴシップ記事なんて
のにも近いのかもしれないが
ちかまの身近な住所の書かれている匿名さんの変った
「探し物」や「探しこと?」のオープン化!が、
案外、地域のコミュニティーや一体感を
良い意味でも悪い意味でも?醸成しているような気がして
こういうのもこれからありなんだろうな、と思えてくる。

アメリカではネット上でオープンにオークションをする
「e−bay」というサイトが大きく伸びているんだそうな、、、

ネットと新聞、世界と地域、という違いはあっても
なにか同じような現象がそこにはあるようにも見える。





1999.5.23

最近インターネットやあるいは地方のCATVや
コミュニティー新聞みたいなものが発達してきて、、、
地域や業界や小さな社会が
その仕組みが作り始めたコミュニティーのなかで
「いろんなこと」が出来ることに気がついた。
いや、まだまだ気がついていないふうでもあるが、
利用の可能性に気が付きはじめているように思える。

こんなことは昔から言われていることだけれど
テレビや雑誌や新聞という大規模なメディアが
いままでコマーシャルという形で
消費者に大量生産品をアピールして購買意欲を誘って
大規模な企業がつくったものを売っていく、
これが当たり前だとされていた。

でもどうやらそういういままで当然とされてきた「仕組み」や「方法」が
そういうインターネットやあるいは小さな
コミュニティーを比較的簡単に安く、維持できる
ツールが登場してきたことによって
それにとって変られるのではないか、という予測さえできるように
なってきた。

まだまだその上で行われることは小さな、端緒的な
ことではあるのだけれどそれらの動きは本物ではないかと思う。
インターネットだけではなくて地方のCATVや
地方のコミュニティー新聞や雑誌や、、そういう「口コミ文化」みたいなものが
これから仕事や商売に大きく関わっていく時代がもうすぐやってくる。



1999.5.24

今日24日の日刊工業新聞の一面に
「外資系企業が支援組織」
「製品開発のスピード化」
という記事があった。

「米国の得意とする製品開発のスピード化を
日本で広めようと外資系企業が「倍速研究所(仮称)」を
設立するのだそうだ。

たしかにアメリカの情報技術の利用を中心とした
製品開発や企業の仕組みの合理化、高速化は
大きな成果を上げているのは事実であるし
学ぶところもあるように思う。
その外資系企業も「外資系企業とはいえ日本の製造力強化に
貢献したい」とまことにありがたいことを言っていただいているんだが、、

まあ、ここでは、ほんの少し前に日本的ものづくりの仕組みの強さの秘密を
学ぼうとアメリカから多くの研究者や産業人が
やってきていたことはいまさら言わないにしても、、、

それにしても、、、よくもまあ、こんなに状況が変わってしまったものだと
少々考え込まざるを得ない、、、。




1999.5.25

ところで日経新聞に
「20世紀  日本の経済人  挑戦編」
という連載がある。
24日は
三菱財閥を指揮した「岩崎小弥太」のことについて
書かれている。
三菱の創設者はご存知の岩崎弥太郎だが
岩崎小弥太は弥太郎の甥にあたる。
敬称を略して名前を書くのもどうかと思うが、
岩崎弥太郎の時代に近い経営者でもあるし
その弥太郎が坂本竜馬らと近代日本の礎を作った「仲間」だとすれば
いまさら「岩崎弥太郎氏」「岩崎小弥太氏」でもあるまい。
「坂本竜馬氏」というのも変だろう、、。

岩崎小弥太は1879年に生まれ
1916年に三菱合資を率い、
1945年に亡くなるまで活躍する。

この特集には岩崎小弥太の経営者が、
明治から大正、そして戦争を含む昭和の時代の三つの時代を
どう考え、行動してきたのか、いくつかのエピソードを
含めた興味深い話がのっている。



1999.5.26

詳しい話は同新聞をぜひ探して読んでいただくとして
いくつかのエピソードを簡単に書くと、

  終戦直後にGHQの意向であるから「財閥本社は過去を反省したという形で
  自主的に解散してほしい。」と言ってきた時の渋沢蔵相にたいし
  岩崎小弥太はそれをきっぱりと断り、三菱系以外の株主への配当を 
  認めるよう求めた。

小弥太の考えているところはこうだ。
  「三菱は国家社会に対する不信行為をした覚えはないし、軍部と結んで
  挑発行為をしたこともない。国策の命ずるところに従い、国民の
  義務として全力を尽くしただけで恥ずべきことはない。
  かつ三菱を信用して投資してくれた一万三千の株主に対する
  信義上からも、断じて自発的に解散する理由はない。」

  「岩崎小弥太は社長在任の二十九年間、「利益をあげるのが事業の当然の
  目的だが、第一の目的は国利民福に寄与することだ」と
  くどいほど訴え、その経営哲学を貫こうとした。」

(20世紀  日本の経済人  挑戦編   岩崎小弥太  日経新聞5月24日)




1999.5.27

続ける、、

  日米開戦直後の41年、鬼畜米英が叫ばれる中、小弥太は三菱協議会(幹部会)
  で驚くべき訓示をしている。
  「不幸にして英米と戦争するが、提携先の身辺と権益を擁護するのは
  日本人の情義で義務。平和が回復すれば再び忠実な盟友になるはずだ」。
  出席者は当然、かん口令を敷いた。

  小弥太の意を体し、米企業と資本提携していた三菱電機と三菱石油は、
  支払うべき技術料などを蓄積、戦後返還した。米側の出資分は三菱本社が引き受け
  確保していた。戦後、ウェスティングハウスなど米側企業は、両者のため
  分割阻止と「三菱」の社名維持をGHQと米政府に掛け合い、成功している。

(20世紀  日本の経済人  挑戦編   岩崎小弥太  日経新聞5月24日)

そう言えばあくまで司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」の中での
挿話に過ぎぬかもしれないが
岩崎弥太郎が幕末の混乱のなか内から満ちてくるエネルギーを
どう方向づけしたらよいのかわからずにいた弥太郎に
算術や経営学を教えてくれた人がいた。
「いずれお金ができたら御礼をする」と約束した弥太郎は
財をなして後、約束した人が亡くなっていたにもかかわらず
約束をたがえず子孫にあつく礼を返したという。
これは、助けてくれたことに対し御礼した、、というような話ではないのだと思う。
国家間の状況や近視眼的な利得の判断に盲動せず
自らの使命や理念にしたがって「事業」を進めた三菱の志は
そのころから始っていたのだろう。

三菱の有名な三綱領「所期奉公・処事公明・立業貿易」も小弥太の訓示から
生まれたものなのだという。

日経新聞にも書かれているが、まさしく
「理想の経営を追い求めた小弥太の思いが現代によみがえるのは、これから、、、」
なのかもしれない。




1999.5.28

そう言えば、経済や経営に関していろんなひとが
好んで読む本といえば経営学者ピータードラッカー氏の本だが、
氏の本にはところどころに明治維新の話や三菱の話が登場する。

最近の氏の著書「明日を支配するもの」(ダイヤモンド社)では
こういう一文がある。

  「私はこれまで、「世界史」を生み出したものは日本の明治維新だったと
  繰り返し言ってきた。
  それまでの世界史は、西洋の歴史、とくにその覇権の歴史だった。
  そして、今日の「世界経済」を生み出したものが、
  最近における経済大国としての日本の隆盛だった。」

また「未来への決断」(ダイヤモンド社)にはこういう一文がある。

  「・・1870年代には、まったく新しい事業定義に基づいて
  三菱が設立され、10年後には、興隆する日本のリーダー的な企業となり、
  さらにその20年後には、世界でも最初の真の多国籍企業の一つとなった。」

小弥太や弥太郎らが興した三菱の志と理想と理念と使命が
当時の資本主義の勃興期においても
先駆的、理想的なものであったに違いない。

  「「世界史」を生み出したものは日本の明治維新」

ドラッカー氏がこう言いきるのも
言ってみれば「三菱」があったればこそだ。



1999.5.29

このあたりの話はいろいろ説もあるだろうし、
本当のところはわからないのだけれど、
日本で最初の商社は坂本竜馬が創設した「海援隊」だと言う話がある。

「海援隊」の事業の柱は運輸、射利、開拓、投機、土佐藩の応援、だった。
(その他にも出版と教育があったと筆者は考えているのだけれど、、)
坂本竜馬は「海援隊」のこれらの事業の目的を
ただ単に事業そのものにおくのではなく、
これらの事業を通して新しい時代をつくっていこう、ということと、
事業そのものを新しい時代の日本を支えていくものとして
捉えていたのだという。

やがて、坂本竜馬の「海援隊」は岩崎弥太郎の「三菱」として
志が受け継がれ発展していったのだというのが
まあ、明治維新の時代を描いた小説などでの
とりあえず言われている話である。

坂本竜馬と岩崎弥太郎は「気が合わなかった」と
言われているから本当のところはどうだったんだろうか、、
でもしばらく後の岩崎小弥太の時代の「三菱」は
まさしく「海援隊」のような事業の理念を持っていたことになる。



1999.5.30

坂本竜馬が創設した「海援隊」や
小弥太や弥太郎らが興した三菱の志と理想と理念と使命、、
これらの話を読んでいると思い出すものがある。

最近ここでも紹介したが
ソニーの創立者である井深大氏が
戦後、ソニーを興した時に書いた
「東京通信工業設立趣意書」だ。
(「東京通信工業」はソニーの前身)

これも三菱と同じように
ソニーの志と理想と理念と使命、が書かれている。
企業の存在を通してどう社会や国に関係していくのか、
ちゃんとそこには書かれている。

我々ノ心カラナル試ミガ、カクモ社会ノ宏般ナ層ニ反響ヲ呼ビ起シ、
発足ヨリ旬日ヲ経ズシテ新会社設立ノ気運ニ向カッタ事ニ対シ、
我々ハ云ヒ知レヌ感動ヲ覚ヘル。ソレハ単ニ我ガ社ノ前途ニ赤赤々
タル発展飛躍ヲ約束スルバカリデナク我々ノ真摯ナル理想ガ再建日
本ノ企業ノ在リ方トハカラズモ一致シタ事ニ対スル大ナル喜ビカラ
デアル。(「東京通信工業設立趣意書」より)



1999.5.31

「20世紀  日本の経済人  挑戦編   岩崎小弥太 」
が掲載された前述の5月24日付け日経新聞には
実はもう一つ興味深い文書がのっている。
記事じゃなくて「社説」なのだが、
それにはこういう内容が書かれている。


  トヨタ自動車の奥田社長や経済同友会の小林代表幹事が
  最近、「人間の顔をした市場主義」とか「市場主義宣言を超えて」
  というような主張をしている。
  もちろん両者とも「市場原理」を否定し、裁量行政の復活や
  談合を勧めているわけではない。
  基本的には、経済的規制を排除し競争を促進すべきだと考えている。
  
  今、否定すべきなのは、流行を追いかけるような
  経営者の横並びの姿勢である。
  最近上場企業の経営者は株価をかなり意識するようになった。
  それ自体は結構だが株価を上げるには利益率が重要だと考え・・
  ・・・その結果、目標とする利益指標を次々と取り換える、、。
  
  企業は何のためにあるのかといった議論が
  きちんとなされていればいいのだが、どうも疑わしい。
  「企業の目的は利潤だ」という素朴な企業観にとどまっていると
  利益を上げるには人件費を削るのが一番、、、という単純な
  算術に堕する恐れがある。


社説ではやはりソニーの前身、東京通信工業の設立趣意書を出して、
現在の井出社長がどうその文化や価値観の現代化をしたらよいのか
課題を考え続けているのだと書かれている。

  結局社会や市場が必要とする「財とサービス」を供給することによって
  社会と企業の位置関係をしっかりと捉えている企業しか、企業こそが、
  これからの時代に迎い入れられていくことになるだろう、、

こんなような内容だ。



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