今日のコラム・バックナンバー(1998年 12月分)


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1998.12.1
そのスマートカーだけれど
形はちょっと前、日本でも流行った、(今でも作られている)
50CCのエンジンを積んだ一人乗りのマイクロカーに似ていなくもない。
大きさは全長2.5Mで、高さが1.53Mだから
横から見たら日本の軽自動車よりもずんぐりむっくりの
こう言っちゃ悪いが「おもちゃ」のような車だ。

2人乗りで600ccで55HPほどの力を出すエンジンを乗せている。
いずれ電気で動くバージョンが加わるようになるのは間違いないだろう。
横から見て軽自動車より小さく、エンジンは600ccなのだから
日本では軽自動車の登録の範疇なのだろうが
幅が1.515Mでこんどの軽自動車の規格よりも広いから
日本国内ではたぶん軽自動車としては登録されない。

内容は普通の車とまったく遜色ない。
デザインはポップなもので普通の落ち着いた車とは異なるが
車そのものの成り立ちがそもそも普通ではないのだからこれでいい。
まあ、考えてみれば「スウォッチ」のメーカーが絡んでいるんだから
あの時計の「スウォッチ」のデザインを想像してもらえれば予想もつくだろう。

しかしおもちゃのような形だから
前述の日本で昔走った一人乗りのマイクロカーと心情的にどうしても比べて
しまうが、もともとベンツが絡んでいるから車としての
走行性はもちろん安全性においても「普通の車」としてトップクラスである。
ふたまわり以上大きい自動車との衝突実験でも
問題ないのだとか、、、さすがである。




1998.12.2

ちょうど4年まえに雑誌等でこの「プロジェクト」が発表されたころ、
筆者ら車好きのメンバーで、電気自動車が21世紀の新産業に
とって重要なものになる、と考え、電気自動車をキーワードに
産業の活性化を目指そう、というグループを作った。
「諏訪湖電走会」という。

電気自動車は産業の面からも地球の環境問題や省エネ問題からも
必ずや重要なものになっていく、、、
電気自動車そのものを地場産業で作ることになるどうかはわからない、、
しかし、少なくとも、電気自動車に使われるはずのモーターや
バッテリーや新しい技術が、各地の産業集積地の持つ「とくいわざ」と
かみ合って、新しい産業を下支えするものになっていくと考えたからだ。


さて、「スマートカープロジェクト」は当時の計画ではフランスの片田舎で
生産を開始すると伝えられ、(その後はよく知らないが)
新しいコンセプトとその実現への方法論を模索しながら着実に立ちあがっていく。

筆者ら「諏訪湖電走会」はこのスマートカーのプロジェクトを雑誌で
知り、当時、おおいに勇気づけられた。
こういった「スマートカー」のプロジェクトは
たぶん、いやきっと、これから世界はもちろん日本でも
環境や省エネから見ても、社会や産業から見ても必要なものであると思えたのだ。

早いものでもうそれから4年あまりたった。



1998.12.3

筆者らの仲間との「諏訪湖電走会」は
毎年秋田県で行われている「ワールドエコノムーブ」という
バッテリーで動く一人乗りの車で行なう省エネレースに出場している。

当初、「なにを夢のようなこと言っているんだ」、というような
冷ややかな目も、プリウスやこんどのスマートカーが
(電気自動車ではないけれどいずれ電気で動くようになるのは間違いないだろう)
当然のように町に走り始め、部品の加工、生産や要素技術の商業ベースへの
変化、進展や、あるいは新たな雇用の創出といったことが
現実のものとなってきて、、ようやく、変わってきた。

相変わらず新聞やテレビでは
ベンチャー企業がどうの、日本の新産業がどうの、、様々な議論が交わされている、
正直言ってマスコミや評論家の雇用創出の役にはたっても
現実の産業にとっては「不毛」の議論も多いと思う、
産業側も「景気が悪い」「行政や政治はなにをやっているんだ」
と自らの責任と企業家としての努力や行動を棚上げにしているふうもある。

しかし一方で様々な方向からまじめな努力や試みも始っている。
21世紀に向けた多様な産業の姿が日本にも見え隠れもしてきている。
まだまだ日本の産業が力をつけていくには幾多の困難もあるだろうし
歩みのスピードは遅い、が、確実にそういう新しい多様な産業と未来像の創出にむけて
日本も歩みだしているのだと思う。


日本にも「スマートカー」のような新しい試みが
もっともっと始ることが必要だと思う。
これはなにも「車を創ろう」という話なのではない。
ともかくも21世紀に向けた新しい産業へのビジョンとそれを立ちあげるための
方法論を作り上げ、もっともっとスピードアップしなくてはならない。

そして「スマートカー」は日本にもやってきた。





1998.12.4

電子マネーの実験がアメリカで盛んに行われていたが
ここで相次いで実験の中止の憂き目にあっているのだという。

しかし一方でアメリカでは、すごい勢いで、
インターネットオンラインショッピングが普及しているのだそうだ。

いまの話題は、どのようなスタイルにしたらオンラインでショッピング
しやすいホームページデザインか、が、ビジネスのポイントになっている
のだそうで、、
  ( まあ、これは昔から、、といってもまだ数年の話だけれど、あった。)

こういう状況というのはどういうことなのだろうか。
エレクトロリックコマースがいずれ大きなビジネスになる、
と叫ばれて久しいが、どうもすべてのインターネットビジネスが
「商売になる、儲かる、ビジネスとして良い」というわけではなさそうだ。

電子マネーだから流行る、新しいから流行る、というわけではないようだ
もちろんインターネットオンラインショッピングだから流行る、
いままでなかったから流行る、というわけでもない。

どうもここにきてインターネットビジネスの形みたいなものがある程度
はっきりしてきたのじゃないかと思えるふしがある。

いやいや、もちろんまだまだ課題は多いし、やれることはあるし
分かっていない部分にほうが圧倒的に多いが、
分かってきた部分もそろそろあるのじゃないかと思う。
でもって、最近はけっこう分かってきた「人」も多い。




1998.12.5

どんなビジネスもその仕組みを必要とする顧客や市場があって始めて、
ビジネスとして認められるのだから
新しいものだから、新しいサービスだからといってなんでも流行る、、、
まして情報技術と一体になっていればこれからは流行る、、、
なんてまったくの誤解だ。

あたりまえの話だけれど結局、顧客や市場の視点が大切なのだろう。

インターネットオンラインショッピングが流行っているのだとしたら
きっとそこには商売としてショッピングをしっかりと成功させようという
明確な意志と行動力とアイディアがあるに違いない。

インターネットだから商売になる、なんてまったくの誤解だ。

黎明期の「だれでも参入」みたいなのはもうそろそろ終わりかもしれない。

まして、まったくその道の「商売」をやったこともなければ
ただ「なにか商売の種はないか」と始めた、、特に大手企業の名前に
寄りかかって始めたところは言っちゃ悪いがもうとっくに引け時だと思う。

もちろんインターネットならではの新しい商売の形や方法論もあるから
すべてがだめだとは言わないが
そういう方法論もそろそろ形が見えてきていると思う。
そしてそれさえもやる気のある行動的な商売人
(なぜかビジネスマンという言い方は合わないなあ、)が
担うことになっていくだろう。




1998.12.6

日本国内でも「はやり」と「のり」で始めてしまった
「電子マネーの実験」が結構多い。

「むだ」、だとは言いたくないが、
よっぽど「電子マネー」を使う必然性とメリットがないと
いくら町や大手企業が懸命にやっていることだからと言っても
そうそう浸透するはずもない。
いままでの「貨幣」がもう使えない、とでもなれば別ではあろうが、、、

このままいくと結構、電子マネーの実用化に関しては険しい道が
続くのではないかと思う。

少なくとも、やっている側の理論が先にたっていく限りにおいては
今後、おおきな発展は望めないだろう。
下手をすればインターネットの世界での「はこもの」に
なってしまう可能性だってある。

電子マネーにしてもエレクトリックコマースにしても
使うのは消費者なのだ。





1998.12.7

もうだいぶ前の話になってしまうが
11月にアメリカで世界最大の
コンピューター見本市「コムデックス」が行われた。

新聞によれば
約2400もの企業が新製品や新技術を展示して
約22万人もの参加者があったのだという。

今年の目玉はネットワーク関連と特定用途用コンピューターであったという。

いままでは参加していた「普通のコンピューター」の供給者の側である
IBMやインテルが今回は参加しなかったというのも
いままでにない大きな変化だったらしい。

これまで参加していたのに参加しなくなった企業の中には
いまでは遊び半分で訪れる人が増えてしまって
実際に売るあげにつながる顧客が来ない、という判断もあるのだという。

明らかにいままでのコンピューターのビジネスに
なんらかの変化が訪れているのではないかというのが
マスコミや会場を訪れた人の感想だ。

こういったことはどういう変化を表しているんだろうか。
筆者には
「誰でも、何にでも使えると言いながら一部マニア向けコンピューター」
から、ようやく、もっと実質的で本来の使い方に向けてスタートが
きられたようにも思える。



1998.12.8

インターネットにしてもコンピューターにしても
誰でも何にでも使えるものというのが
いままでは「うたい文句」だったように思う。

たしかにインターネットにしてもコンピューターにしても
その気になれば何にでも使えるし
今のところ「難しいことがわかる人達」によって
様々な使い方を考えだしては実用にしようと奮闘しているところではある。

だけどそろそろそんな状況も次の局面になりつつあると
いうことなのだろうと思う。

結局、誰でも、何にでも使えるものというのは
形を変えて言えば「誰にも何にでも使えるものは使いにくい」
ということが分かってきた、、、
いや、分かってきたというよりも、本来必要に応じてものや技術が
生まれてくるのが順番なのだろうが、コンピューターとインターネットは
まず先にそれが生まれて、
すごいスピードで発達してしまった、、機能を取り込んでいってしまった、、、
とでも言ってみたほうが良いのかもしれない。

使い方を市場や顧客が考えるスピードより、
「使える可能性の広がり」や「機能の拡充」のほうがはるかに早かったと言える。



1998.12.9

そういう商品や技術もいままでなかったわけではないけれど
たとえばハードコピー機なんかは登場した当初は考えもつかないような「使い方」が
、、、たとえば会議のやり方を変えてしまった、、とか、
いろいろあるわけなんだろうけれど
「機能」までもが広がっていくものはなかったように思う。

だから、「コンピューターやインターネットの可能性はすばらしい」、、
「誰でも何にでも使える、なんでもできる」、という
意見や感想に代表される「常識」がこの数年、幅をきかせてしまった。

特に情報の処理や通信まではよかったが、家庭における家電や
あるいは情報家電や、はては住まいや衣食住に関係することすべてが
単一のそれらの上で実現できるという幻想を持ってしまったようだ。

だが、ここにきて、機能を集合させていくことはもちろん可能なのだが
むしろ、使いやすさにおいては分散させて、あるいは
いままで通りの「それぞれの分野での製品」の高度化に向けて
コンピューターやインターネットを使っていったほうがいいのではないか、、
いや、それが本来、当然だったんじゃないか、、、
ということにも認識が向かってきているように思える。





1998.12.10

今後は家電や情報家電や衣食住に関連するものやあるいは産業界や、の上で、
情報がコンピューターやインターネットの力を借りて
相互に関係し関連しあって高度な「ものやサービスを提供」していくように
なっていく、、、(うまく言えないなあ、)
結局、コンピューターやインターネットの世界の製品や技術も
生活や産業の多様性に引っ張られながら
「単一の機能の実現したものの多様な集合」になっていくのではないか、、。

というわけで、特定用途向けのコンピューターやネットワーク関連の展示や広告が
最近になって増えてきたり目につくようになってきた背景は
一般的なコンピューターやインターネットの、いわば
いままでこの業界を引っ張ってきたものが次の局面に移行する
前ぶれなのかもしれないのではないかとも思う。

ところで
「特定用途向けのコンピューターやネットワーク関連」
の製品や技術というのは具体的にはどんなものが想像されるだろうか。
今年のコムデックスにはきっといろんなものが登場していたのだろうが
筆者には最近力が入っているネットワーク対応したゲーム機器や
深夜のインフォマーシャル
(あの健康器具なんかを何度も何度も通信販売やっているああいった番組のこと)
で盛んに宣伝しているインターネットテレビ用の端末や、、
そして何といっても「ネットワーク対応したパソコンNC付き工作機械」
あたりを考える。




1998.12.11

ちょうど昨日の日刊工業新聞を覗いていたら
例の「ゲーム機」の話題がのっていた。

11月に売り出したあの専務さんのコマーシャルで有名になった
あのゲーム機である。

専務さんの懸命のコマーシャル出演が効を奏したのか
売り上げ好調だとかである。

このゲーム機の特徴は128ビットといういままでにない
処理能力を持っているということのほかに
インターネットにも簡単に接続できるようになっていて
ネット対戦とかインターネットを利用したゲームもできるということである。
、、要はインターネットを通じていままでになかったような
ゲームや「可能性」がある、、、ということが特徴なのだけれど
まだ発売されて数ヶ月にもかかわらず
インターネット利用者が結構多い、、ということらしいのだ。




1998.12.12

新聞によれば購入者の何と40%がインターネット経由で
メーカーであるセガのホームページに接続したのだという。

これは当初メーカーの考えていたアクセス数よりもだいぶ多く、
またアクセスした人も多くは「初心者」ではないか、という。

メーカーではこれはいずれ「ビジネスユース」というか
「家庭へのインターネット情報端末」になり得る可能性が
高いと踏んでいるらしい。
筆者も乱暴に言ってしまえばその可能性があると思う。

もう二年も前の話になるが、
(本当に二年まえといえば大昔のような感がある、いやはや、、、)
これもなりものいりで登場した「ピピン」というゲーム機があった。
まだインターネットそのものの認知が低かったころの話で、
先端的な試みだった(と筆者はいまでも思っている)にもかかわらず
時代が早すぎたのだろう、結局いくらも商売しないうちに姿を見なくなった。

一時新聞紙上を賑わした「ネットワークコンピューター」が
当初、なりものいりで登場したわりには騒がれないように
「ピピン」もそんな道をたどった、、

ここでまた登場したセガのゲーム機はどうなるのだろうか。




1998.12.13

市場の要求や状況を見れば、そろそろそういう「家庭用、事業用情報端末」が
家庭ヤビジネスに持ち込まれる状況にもなってきているのではないか、、。
インターネットにたいする「認知」も二年前に比べれば
だいぶ変わってきているように思う。

テレビを使ってインターネットにアクセスする端末もここにきて
深夜の通信販売の番組なんかに頻繁に登場してきている。

「コンピューターが使えないとインターネットができない」というのは
実際には間違った認識なのだろうと「やっている人」は思っていると思うが
少なくとも「簡単に使える」、、というのは今後インターネットが家庭や
中小企業に浸透していくには重要な要素だ。

ゲームやテレビが「簡単で安価なインターネット端末」になっていけば
これからは新たな可能性も広がるに違いない。

前にも書いたが
工作機械にも最近はネットワーク対応の機械がいくつか登場してきている。

利用方法や可能性の発掘はまだまだこれからだけれど
製造業の現場から必要とする「コンテンツ」「使い方の提案」はこれから
たくさん生まれてくるだろう。

工作機械にかんしては作業者はいままでパソコンやNCのコンピューターに
日常的に触れていたから使用上はそんなに問題にもならない。
ごくごく日ごろ使い慣れた担当の「工作機械」を使って仕事を
するのと同じ感覚でインターネットにつながり、必要な情報やデータを
取り込んでいく時代はぞうすぐやってくるだろう。


家庭でもゲーム機やテレビが「簡単で安価なインターネット端末」になっていけば
おそらくはそれを簡単に操作できる子供達やそれを教えてもらったおとなたちが
自分達の「要求」にしたがって「何か」を始めるに違いない。





1998.12.14

いよいよインターネットの上での「商売」もアメリカでは
クリスマス商戦もかさなってとても伸びているのだという。

インターネット上での商売を専門でやっているところもあれば
いままで「普通」に「普通」の商売をやっていたところも
インターネット上に進出して熱心に商売を始めているんだという。

当初はコンピューター関連商品が注目されていて
これは日本でも同じだけれど、、それ以外の「通常の商品」も
インターネットの上で商売が当然になってきたようでもある。
例のインターネット本屋さん、「アマゾン・コム」もそうだ。
昨年同期にくらべ売り上げが4倍になっているんだとか、、

他にも「インターネット上で車を売る商売」なんてのも
あって、これなんかは最近は日本でも商売になりつつあるらしい。

だが、忘れてはならないのはよっぽど特殊な例を除いて
通信販売等で経験を積んでいた、あるいは商売としてやっていた、、ということ、
もっと根本的に言えば、その商品やサービスの提供を通して市場や顧客に
満足という形を提供していくか、、が見えていたということだろう。

これはその商売をやっていた人や企業が一番「わかる」ことだ。

もちろんその業界の悪い習慣や、顧客にとっては満足につながらないことを
平気で長い間「業界」の慣習として打ち破れなかったところは
むしろそれが弊害となって新しい商売の形を作れないことにもなってしまうのだろうが
なかにはそこに真っ先に気がついて新しい仕組みを
「業界」に先駆けて自ら業界のなかに作っていくことにもなる。
で、こういうことがもしかしたらとんでもない「事業」になっていくかもれないのだ。

顧客がなにかを望んでいて、、業界がそれに逆らって
自分達の利益をのみ守ろうとしているような仕組みや業界があったとすれば
それはインターネットの洗礼を真っ先にうけることにもなるだろう。




1998.12.15

ところで、テレビと異なり、双方向のコンテンツは
それなりに「リスク」も覚悟しなければならないはずだ。
いまでも通信販売や訪問販売でもそういう問題は起きているのだが
インターネットでの通販や商品の取引きが広範に始れば
大規模な範囲、金額、そして、人の関係のなかで
、、何よりも「圧倒的なスピードで!!」、、、
そういうことが起きる可能性が高まる。

きっと法制上もそういう問題に対する先をみた対応は必要になるし
もちろん具体的な準備も始っているようだ。

ただ、これも最後は「消費者」自身の経験によって
解決していくしかないだろう。
行政が最後は守ってくれる、と考える時代でもない。
法も交通整理はしてくれるかもしれないが
けっして自分を守ってくれるわけではないだろう。

どこかの国では「超大手企業」だけに対するサービス?!として
「損出」を補填してくれたりするのだけれど!?
我々のような、賢く真面目な日本の消費者は
自分達のことは自分達で守らないといけない。

日本では認識に少し遅れがでているように思えるが
このあたりの問題はそろそろ流れつつある「商売用コンテンツ」の
発展に合わせる形での啓蒙は必要だろうと思う。




1998.12.16

忘年会はもう済んだでしょうか。

いつも年末になると胃腸薬の宣伝がテレビから
流れてきて、いよいよ忘年会の季節だなあ、、と
思っていたのだけれど、なにか今年は町中が静かで
やはり景気のせいかなあ、、、とも思ってしまう。
あまり町のスナックでも賑やかでもないし
テレビの胃腸薬の宣伝もこころなしかしっくりこない。


が、そこは、一たん飲んでボルテージが上がってしまえば
お父さん達はいつも元気だ!!
マイクも奪い合うような勢いでカラオケの歌声もたからかだ。

しかしまあ、
なんであれほどお父さんたちの歌は勇ましいのだろう。
「志」や「真実の愛」や「夢」や「希望」や「友情」が
気恥ずかしくなるほどスナックでは熱唱される。
でも、これはいいことじゃないか!!そう思う。

自己表現の下手な日本人や「夢や希望」には関係のない
元祖エコノミックアニマルの日本人にだって
未来や夢を語り合ったり自分を表現することはけっして
やらないわけじゃない。
いつかは「ガツン」とやったるでえ、言ったるでえ、と
元気はあるのだ、、、お酒さえ入れば、、、。
いくら景気が悪くたって「夢や希望」は心のなかに
熱く燃えているのだ。

来年こそはいっぱい飲んで「ガツン」といこうではないですか、
お父さん!!




1998.12.17

先日の日刊工業新聞に中小企業庁の諮問機関が
今後の中小企業施策は変わっていかなくてはならないだろう、
という答申を提出した、、云々の話がのっていた。

要は「おんぶにだっこ」「護送船団」の施策から
「独立性を持った企業へ」「自立した企業へ」の「支援」を
していくということなのらしいだ。
よく言われる「指導」ということばも考えなおす、、ということらしい。

これらの「施策」の方向転換が今後行われるとすれば大歓迎だ。

・「組織化」も「事業の共同化のための組織」だけではなくて
  自立化を目指す同質、異質な企業が「経営資源の相互補完を図るための組織」
  としての位置づけに重点をおく、、

・任意グループなど企業間の緩やかな企業間の連携を積極支援する、、、

・かんきょう問題やエネルギー問題など個々の中小企業では対応できないような問題
  では組合のもつネットワーク機能に着目、、

これらもまさしくコンピューターネットワーク時代の企業間関係の
あり方を予測した方向だと思う。

もちろん我々中小企業の側にも国に向かって「なんとかしてくれ、」、じゃなくて
自分達の頭で考え、自分達で努力していくということが必要になる。

国や自治体や、と、企業のような「マネジメントをして事業を行なおう」
とする「団体」との関係もこれから変わっていくと思う。
もちろん企業間同士の関係もだ。国や自治体のあり方も変わっていくだろう。
変わらなくては21世紀の求める「産業像」に迫り実現することはできない、
そう思う。




1998.12.18

今年もいろいろブームや、はやり、すたりがあった。

相変わらず「ルーズソックス」がコギャルの足元に
定着していたのには少し驚いた。
いくらなんでもここまでブームが続くとも思えなかった。

来年こそは違ったブームがコギャルの足元に現れてもいいだろう。
ブームはすたれるからこそブームであって、あんなに続ければ
もうブームじゃない。確立されたファッションである。

違ったファッションやブームが足元に現れてもなお、ルーズソックスが
一つのファッションとして今後も残っていたら、、
これはこれですごいことだ。

冗談はさておき、、、

若い人や高校生の文化は大きく変わっているようだ。
ある意味で都会以上に田舎の高校生は「進んで」いる。
そりゃそうだ、テレビをみれば一瞬のうちに
都会で起きていることやブームがわかる。
マスコミが面白がって編集を繰り返していけばいくほど
田舎にはセンセーショナルな高校生の生活が当たり前として伝わっていく。
さも当然のように、、





1998.12.19

しかしまあ、高校生やコギャルが消費の一たんを担っているというのは
最近ではもう常識と言っていいのだろうが、

それにしてもここまで「高校生」や「コギャル」目当ての商品開発が
当たり前になっていいものだろうか、、とふと思う。
ルーズソックス位ならまだいい。
しかしおとなも買わないような商品を高校生や学生が「平気」で購入して
いるのを見てこれをおかしいと思わないおとなが多いとすれば
おとな自身もそろそろ感覚が麻痺してきているのかもしれない。

高校生の財布のなかも確かにお金が入っているのだし
同じお金であることは変わりない。

だが、いくらものが売れないからとか市場が小さくなってきているからと言って
高校生に身分不相応なものを「買え、買え、、」とすすめるのは
本当にいいのだろうかと思う。

テレビなんかで最近の高校生の消費状態をみていれば本当に背筋が寒くなる。
そしてもっと問題は
我々おとなに責任の一たんはあるのだということをあまりだれも言わない、
そのことだ。
こんな国で本当に大丈夫なんだろうか。

それでも「消費拡大」のためだからいいんじゃないの、、というおとながいるとすれば
これは将来に大きな禍根を残す。




1998.12.20

若いひとたちの車にたいする消費意欲が
この国の「自動車産業」の一たんをになってきたような時代があった。
バブル時代はバブルで膨らんだ企業人、産業人のふところ目当てに
車を作ったようなところもあった。

だけどいまはご存知の通りだ。
車に限らず、様々な商品が市場にあふれかえっている。
そして、それが売れない。

消費者がいて、それに向けて商品を開発、市場に投入する、、ということ
が悪いことだというつもりはないけれど
それにしてもいつも、「やれ売れるから作れ作れ!!」、と作っておいて
結局作りすぎて市場に同じようなものがあふれてしまうような状況が
続いてきてしまった。これはもう何度も何度も繰り返していることだ。
いいかげんにしなくちゃと思うのだけれどなかなか反省ができない。

市場が求めるいろんなものを作るということは間違ったことだとは思わない。
ただ、あまりに「どこかが作って売れたからうちも作って売ろう」、という
あえていえば、人まねのものづくりを続けてきた。

市場のもとめるものはたくさんある。
物作りに取り組む我々はその市場や顧客が求めるものを
人に先駆けて考え、市場に問う。
多様な生活者がいて多様なものづくりが必要な社会のなりつつあるのだから
考え方をそろそろ変えていかなきゃならないのではないかと思う。

ものが売れない時代になったのではない。
売れるものが作れない状況になっているのじゃないだろうか。




1998.12.21

そういえば最近、「もう必要なものがなくなった」、とか
「みんな必要なものはすでに手にいれてしまったからもう、ものを買わない」
という意見がよく聞かれるようになった。

でもほんとにそうだろうか。

人と同じものが欲しい。同じことをやりたい。
なんてもうだれも望んでいない
人と同じものや同じことしかできないことを
もう自分たち自身を含む消費者は望んでいないのだと思う。
「これがあればあの人と同じことができますよ」、ではもう誰もほしくないのだ。

自分の価値観で、自分が必要とするものやこと、自分が欲しいものやことを
あくまで欲しいということなのだ。
一億の人々には一億通りの欲しいもの、やりたいこと、のリストがある。


だからそれを実現するには
人と違うことを実現するための方法が必要なのだ。

いままでのように同じ物をたくさん作るという技術はこれからは必要ではない。
これからは多様なものが必要になったり
多様なことができることが必要になるのだと思う。
そのためには多様なものの作り方やできることの方法論が
必要になるのじゃないだろうか、、そう思う。




1998.12.22

軽自動車が新しい規格になって市場に投入されて
早くも3ヶ月がたつ。

結構売れているようで
どこのメーカーもバックオーダーを抱えて
うれしい悲鳴をあげているようだ。
町中でも頻繁に「立派になった」新規格の軽自動車をみかける。

筆者は正直言って軽自動車の規格や装備があまりに
小型車の範疇に近寄ってきて
その差異が明確にならなくなってきたら
下手をすると小型車にとって食われるのじゃないかと考えていた。

たしかにこんどの軽自動車の大きさは
すでにふた昔まえの軽自動車に比べたら
まったく別ものといっていいほどで
装備そのものもまったく普通車と比べても遜色がない。

ただ税金とか車検とか駐車場とかはまだ当然ながら、
軽自動車の特典が適用されるから
そういうことも幸いしたのだろう、小型車に食われるのじゃなくて
逆に小型車の市場を食ってしまったようなのだ。

おかげで?、1000CCほどの小型車がワリを食っているらしい。

そりゃそうだ、あれだけ車としての差異がなくなってきて
なおかつ、特典がつけば、小型車をあえて買う意味が見出せない。




1998.12.23

来年あたりはその食われてしまった市場を取り戻すのか、
あるいは新しい市場を作のか、、は、わからないが
再び小型車の分野で、いままでにないような付加価値をつけた小型車を
各社で投入するらしい、とは車の雑誌で読んだ。

ただ、よっぽど魅力がないと
「小型車化した!?」「軽自動車の特典という魅力をもつ」軽自動車に
食われっぱなしになることはありえる。

結局、軽自動車が大きくなって
だけど軽自動車の特典もくっついている、、
小型車のようになってしまっていたということになるが
、、まあ、これはこれでいい。
市場はちょっと小さいだけの「小型車」を
軽自動車の特典付きで買えたということだ。
特典なしの小型車は苦戦する可能性はおおいにある。


ただしせっかく作りあげてきた
小型軽量、省エネ、そしてなんといっても廉価という軽自動車の魅力も
一方で薄れてきたことも否めないと思う。
小型車のようではない、あくまで軽自動車のような「軽自動車」を
もちろん軽自動車の特典付きで欲しい人たちもいるだろう。
基本がしっかりとしていて、
優れたデザインとコンセプトの軽自動車であれば
たとえ豪華でなくても、必要とする人達は多いはずだ。





1998.12.24

クリスマスである。

景気のせいもあるだろうが
なんとなく町なかのクリスマス用のデコレーションも
寂しげに見える。

この前テレビでやっていたが
アメリカのクリスマスのプレゼントの平均額が
10万円だったのにくらべ、日本は3万円とか4万円だったとのこと、、、

えーい、金額じゃないぞ、要は気持ちだ!、、、と言っても
なんとなく両国の景気の違いや国の状況の違いが
そこに現れてきているような気がして
悔しいやら、残念やら、、

アメリカでは今年のクリスマスは
「電子クリスマス」とも言われているらしい。
なんのことかと言うと、そう、、インターネット上で
クリスマスプレゼントを注文したりするのが
今年は爆発的な勢いで流行っているのだという。

景気の循環もうまくはまって、今アメリカは絶好調ということか。




1998.12.25

最近聞いた話では
日本におけるインターネットの「使われかた」も
徐々にWWWの利用から電子メールの利用に移ってきているのだという

あくまで時間でみた利用の率であるから
絶対値はどちらも増えてはいるのだろうが
WWWを見る、より、電子メールの利用がそれを上回る勢いで
増えているということらしい、

ところがである。

アメリカでは2年前にくらべて
インターネット人工のうち一人当たりの「WWWを見る」時間が
十数分から50分あまりへと増えているのだという。
昔でいう、ネットサーフィンというやつだ。

これはどういうことか、

普通、WWWでネットサーフィン、、というのは
インターネットの入門編だ、みたいなことが言われていて
電子メールの利用が本当は増えていくはずである、、というのが
「インターネット有識者」のほぼ常識とまで言っていいほどの
認識ではある。

実際に日本の状況もアンケートの結果だけを「うのみ」にすれば
たしかにそれが裏付けられているようだ。



1998.12.26

ところがアメリカでは逆にむしろ「WWWをみる」時間のほうが
増えているというのだ。

たしかに一時的にインターネットに馴れた人が増えてくると
「新たなコミュニケーションをつかさどる道具として電子メールは重要だ、、」
ということになるのだけれど
WWWでみたりアクセスすべき「情報やコンテンツ」が
増えてきて、生活や社会や産業に深く密着してくると
「WWWを見る」という時間も増えてくるのだろうと思える。
ちょうどテレビを見て通信販売を一緒にできればそれはそれで便利なのだし
それで十分じゃないか、、というわけだ。

で、これはきっとインターネット初心者、、
というか本来、本当に主要な部分のインターネット利用者が
増えてきたということの現れなんじゃないかとも思う。

「本当にインターネットで使うのは電子メール、、」みたいな言い方が
ともすればインターネット利用者のなかでされることが多い。
が、これは一部のインターネット「上級者」の一面的な見方であって
むしろ「本流部分」はもっと違う側面を
これから表してくるのではないかと思う。

クリスマスの買い物をインターネット上でやったという人が爆発的に
多かったのだとして、きっとそのお客さんはいままでの
インターネット経験者とは違った人たちじゃないかと思うのだが、、、

たぶん数ヶ月もすれば今回の「騒ぎ」を数値的に追った結果がでてくるだろう。
興味深い現象ではある。




1998.12.27

最近、インターネットをめぐっていろんな意見がまた、交わされている。
インターネットで知り合った人びとがその縁で「自殺」の幇助をするための
薬を販売したのだという。たしかに恐ろしい話だ。ここに書くのもいやになる。

マスコミでは早速「インターネット」の恐ろしさや
そのなかにおける人々の作る「関係」の未熟な状況をレポートしている。

一方で「インターネットはあくまで「ツール」だから、」、とはいろんなところで
言われる言葉でもある。確かにそういう「ツールの部分」もある。

だが、ツールなのだからインターネットの側には何の問題もない、、、
とも言う気もない。ツールにしてはあまりに力が強く、影響は大きい。


たしかに今、インターネットの上でのひととひとの関係や
コミュニケーションや、あるいはインターネットの使われかた、
そういったものは未熟なものだ。
しかしそれはインターネットの持つ未熟な状況を反映したものだ、とは
簡単には言えない部分もあることに気をつけなければならないと思う。
むしろ人間が持つ未熟な状況、人間関係や社会の状況の未発達な状況を
インターネットが映し出していると言えないだろうか。
火や道具が「人間」を作りあげていったように
インターネットが人間を映し出し自らを認識させる鏡にもなっているように思える。

そして、忌まわしき事件が起きる一方で
「志」や「夢」や「希望」や「未来像」も
インターネットのなかではぐぐまれていることに気がつくべきだろう。




1998.12.28

先日、深夜、NHKの番組の再放送を見た。
昨今、注目を集めている国際金融取引きの状況を
レポートしたものである。
企画したのはあの「電子立国日本の自叙伝」の
(ハード編)と(ソフト編)を企画した相田さんだ。
見た人も多いだろうと思う。

国際的な金融取引きが実態経済を上回るほどの規模と影響力を
持つことが見えてきて、
もしかしたら一つの国や文化までも覆すような
とんでもない怪物を生み出してしまっているのじゃないか、、、
、、というのが今年の一つの話題になった。

アメリカの「ロングタームキャピタルマネジメント」という
ノーベル賞をとった経済学者が二人もいる投資グループが
とんでもない負債を出して崩壊寸前にまで追い込まれ
アメリカの政府から助けてもらったという話は有名だ。
対処を見誤ればアメリカ自身だけじゃなく
世界経済にとっても取り返しのつかないような大きな打撃になる
ところだったのだという。

普段、縁もないし興味もない、と思っていた国際的な金融取引きの世界だが、
ものづくりや経済や社会を創ろうという多くの人々の地道な試みを
いとも簡単に、根こそぎなぎ倒していってしまうような
こういった世界があることに驚かされた。

レポートした相田さんも番組の最後に
こういった状況をまのあたりにして、これでいいのだろうか、、という
疑問をもたざるを得なかった、と言っていた。
人々や社会や産業が必要とする様々な価値を
新たに作り出すことに力を注ぐのではなく、
言わば、優秀な頭脳がギャンブルに血道をあげているように見えるこの状況は
とても正しい姿には見えないのだ、という。
「電子立国日本の自叙伝」をつくってきた相田さんだけに説得力はある。

「国際金融取引きの今後」はわからないし興味もない。
しかし、これほど経済の実態からかけ離れたようなマネーゲームに
実態が翻弄されるような状況であるのならば
これは由々しき状況と言わざるを得ないだろう。

21世紀への助走として新たな奮闘が製造業の世界では始まりつつある。
これは間違いないと思う。
しかし、まったくこれとは別のところ、、まったく予想にないような
マネーゲームのお付き合いで、そんな努力が水泡に化すような
状況が今、起きているのだとすれば、これはゲームどころの話ではないと思うのだ。



1998.12.29

今年もいよいよ数日を残すのみだ。
そして21世紀まで二年となった。
「世紀末」というのも本当に文字どおりだ。

さて、今年もいろいろあった。

なぜか、今年の日本には「立つ」という言葉がキーワードのように思えた。

「立て、立て、立て、立ってくれー」の長野オリンピック。

「立つんだ!湯川専務」のセガのコマーシャル。

そう言えば「バイアグラ」も立つというキーワードでくくられる。

最後になって「自自連立」なんていうのも登場してきちゃったが、
日本自身がたちゆかない、ところまできているように思うし、
21世紀への目途も立っていない。

「立つ」ということがなぜかこれほどキーワードのように
今の日本を言い表すことばであるように感じられるのは
なぜなんだろう。

長引く不況と閉塞感、21世紀へのばくぜんとした不安感
こういったものが「立て」ということばになって
我々の気持ちのなかに浸透してきているのだとも思える。



1998.12.30

そう言えばもう一つ、
キーワードと言っていいと思う言葉がある。
「自立」
これは製造業や中小企業だけじゃなくて国や個人にとっても
キーワードなのだろうと思う。

そうだ、来年、そして21世紀へのキーワードとしよう。


さて、
今年もインダストリーウェブに声援を送っていただきまして
ありがとうございました。

経済や産業の閉塞的な状況が続く一方で
かすかではあっても確実な新しい「芽吹き」を感じた一年でした。
私たちもこうした中で様々なことを勉強することができました。
来年も、製造業、ものづくり、の「元気のもとづくり」を目指して、
奮闘していこうと考えています。

来年も宜しくお願いします。

それではみなさん、良い年をお迎えください。



               今日から「今日のコラム」はお休みです。
               新年は5日から再開です。では。



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