今日のコラム・バックナンバー(1998年 10 月分)


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1998.10.1

具体的に言えば、ものづくりを通して、他の産業に役立つことは
たくさんある。

もちろん農業のために商業がやれること、商業のために観光がやれること
とか、、工業に関連しなくても結びつく線とか、、
ともかく「線」「結び付け」のやり方は無数にあるはずだ。

製造業で言えば、高度情報化のための道具、、ばかりが生産物ではない。
自分達の住む街に必要なものを作ったら喜んでもらえるような
「もの」って一杯あるのじゃないだろうか。
観光にも商業にも農業にも、それは言えるのではないか。

そういう豊かな発想、、、作っていこうとする意志にささえられた、、、
少なくとも「分断して管理しよう」などという発想ではない、、が、
今後、国はもちろん小さな町にも必ず必要になっていくのだと思う。


「博物館」や「美術館」用「建物」の活用で悩んでいる町があったら
どう活用するか悩んで、へたに自己目的化の罠に
じりじり入り込んで行ってしまうまえに
地元の様々な産業に携わる人達と「結び付け、作るため」の
「話し合い」を始めたらいいのではないかと思う。







1998.10.2

関西に「21世紀の関西を考える会」という団体があるんだそうで、
ここが、最近「大交流時代の到来と国家デザインの大転換」と題する
提言をまとめたのだそうだ。

提言によれば
東西の冷戦が終結し人々が自由に交流する時代を迎え、
国際観光客が増加、世界的な観光革命の時代に入ると指摘、
特に2010年代にはアジアで第四次観光革命が起き
2020年代からはアジアから日本へのビジターは
2億人になる(毎日新聞)と予測し、
このため、日本は国家デザインを、観光を中心としたマルチ立国に大転換する
ことを提唱しているのだそうだ。

筆者は日本の観光産業がどの程度のものなのかはよく知らないけれど
戦略的な観光行政とでもいうのだろうか、
長期的に日本国内の観光産業を様々な方向から見直して
人的にも資源としても、あるいは情報やコンテンツとしても
高度なものにしていく必要は確かにあると思う。

ただし、マルチ立国というものがどのようなものかは知らないけれど、
「「観光を中心とした」マルチ立国に大転換する」
というのは少々気になるところではある。






1998.10.3

確かに観光というものや、あるいはここでこの間、書いたように
様々な産業ひとつひとつが今後日本を様々な形で
支えていくようになるのだと思う。

工業が中心になるのではないし商業が中心になるのでもない、
農業でもないし、医療福祉でもない、観光でもない。

重要なのは何かを中心としたりすることなのではなく、
「新しいなにかを作る」ことにつきるのではないかと思う。

「新しいなにかを作る」ために様々な産業や社会や個人が
いろんな形でそこに関連しながらすすめていく。
「作る」、といっても「形のあるものを作る」という意味でなない。
「作る」ということがどうしても狭い意味でとらえられてしまうのならば
創造する、構築する、という言葉で言えばいいのかもしれない。



1998.10.4

よくよく言われるように、現代は、生活に必要な「もの」は
どこでも安く簡単に手に入るようになった。
これからは「ものづくり」ではなく「創造」が必要になる、
とも言われてもいる。

ここ最近の
家電業界や自動車業界などの既存の産業界や物作りが向かっている方向や
自分達の住む街やその中の社会や個人のとっての
その中での情報と生活や産業や個人との関連の変化を
見ていれば、たしかに「もの」に対する考え方、捉えかたは今後
大きく変化するだろうと思う。

少し一面的な言い方になってしまうけれど
「もの」と「情報やコンテンツ」が一緒になった、新しい形や形態の
「財やサービスの提供」が新しい時代の「ことづくり」になって
いくのではないか。
「ことづくり」を創造していくことこそ、
これからの様々な産業にとって必要なことなのではないかと思う。



1998.10.5

「もの」と「情報やコンテンツ」が一緒になった「ことづくり」が
これからの時代のキーワードになっていくのではないかと思う。

あるいはストーリー性が一緒になった「もの」、という
表現でも良いのかもしれない、、。

で、この「ことづくり」に一番必要なものって
たぶん単なる「技術」や「技能」ではないのだと思う。

「もの」を作ることは技術や技能でこれからもどんどん簡単になっていく。
が、「こと」を作っていくことにはまったくいままでとは異なった
方法論が必要になっていくのだろう。

当然「もの」だけではなく「情報やコンテンツ」が必要になるのは間違いない。
が、一番難しいのは「もの」と「情報やコンテンツ」を結び合わせる
感性や創造力だろう。

結び合わせかたはいくつもある。
産業や社会や生活のなかからその結び目をたくさん考え出すことが
出来て初めて、「ものづくり」に続く「ことづくり」が始るのだと思う。




1998.10.6

最近、テレビのコマーシャルで、うけているものと言えば
「Tell me ガツン」というクリントン大統領のそっくりさんを
登場させた缶コーヒーのコマーシャルだろう。

飲み屋で一杯やっている40才に手がとどきそうなサラリーマンが
仲間と一杯やっている。
最近の日本の為政者があまりに海外やアメリカの言いなりに
なっていることを取上げて、「おれだったらガツンと言っちゃうよ」
と仲間に言っている、、
、、と気がつくとその飲み屋はいつのまにか
クリントン以下アメリカの偉そうな人達が並んだ会見場に変わっている。
クリントンは彼の言質をとらえ皮肉っぽく言う、「Tell me ガツン」
サラリーマン氏はびっくりしながらも懐から取り出した缶コーヒーを
飲みはじめる、そこには何か言ってやろうという気持ちが、、、

仲間と話をしていたらこのコマーシャルを見て
そうだ、そうだと拍手をしている人が結構多いのに驚いた。

「そんな時はおれだって言っちゃうもんね!!」
結構、我が頼りになる友人達は勇ましいのだ。

あまり、ろこつなことを言うつもりもないけれど
このコマーシャルは今の多くの日本人の心情を捉えていると思える。

確かに巷は国際化だグローバル化だとか言うのだけれど
言うべきことをお互いに言うことからお付き合いは始るのだ。
もちろん礼儀は失ってしまうことはまずいだろうが
お互いに言うべきことはきっちりと言わないと、いかんでしょ。





1998.10.7

読売新聞に「模索するドイツ」という特集が始っている。
7日の特集はなかなか面白い。

「子弟制度」「マイスター制度」で名が知れ
また、世界有数の工業技術先進国としても知られているドイツなのだが
先端の科学技術の分野ではアメリカに比べて遅れて、
また、現在のドイツの産業はコンピューターや半導体産業では日米に押され、
バイオではアメリカに10年イギリスに5年遅れているのだという。

その遅れの原因にドイツがこれまでの産業を支えてきた
「子弟制度」そのものにあるのではないか、と最近
言われているのだという。

科学技術大国としても認知されているドイツなのだが、
最近は科学に対する研究開発費も相対的に減少してきているのだという。

若い科学者のなかにはこれまでのドイツを支えてきたこういう「仕組み」に
危機感を持つ人も多いようだ。
最先端科学では天才的ひらめきが必要なのにこれまでの制度は
若い才能の開花を妨げると、、

読んでいて思わず笑ってしまったのが
コール首相のインタビューをめぐる話だ。
「情報スーパーハイウェイをどうするのか」というマスコミの質問に
単なる高速道路と勘違いした首相は
「旧東ドイツ地域でも鋭意建設中だ」と答え失笑をかったのだという。





1998.10.8

まあ、これは我々日本も笑えない。
いや笑うどころか、もっと深刻な状況だろう。

あえて言わせてもらえば、今、日本の為政者のなかで
これからの時代に起こってくるであろう
情報技術と製造業の関係や未来、可能性、変化について
どれだけまじめに、真摯に、正面から、考えている人達がいるんだろうか。

ものづくりがこれからも国の根幹を担っていくという意見には
最近いろんな意見もあるが、少なくとも
新しい時代に向けた「もの」や「こと」を創造していくことが
重要であることは間違いないだろうと思う。

だが残念なことに「もの」や「こと」を創造していくことの意味を
国の根幹と合わせて考えている「えらい人達」がどれだけいるんだろうか。
新聞やテレビで知る限りではいささかお寒いかぎりだ。


一度マスコミの記者も、経済の話ばかりではなく、合間をみて、ぜひ
「日本の情報スーパーハイウェイをどうするのか」
と、えらい人達に「おもむろに」質問をしてみてもらいたいと思う。

まあ、大体、返事は予想できるのだけれど、、、
「軽自動車も規格が変わったことだし高速道路も鋭意建築中」
くらいがせきのやまか。




1998.10.9

昔なつかしの「くわがた虫」がおおいに人気を呼んでいるのだという。

昔は近くの林や小山の森に潜んでいてよく採取にいったもの
だったけれど、自然にいるものを採取したという話は
トンと聞かなくなった。

デパートの屋上のペット販売をやっているブースなんかに
行ったりするとおいてあったりしたのだけれど
やはり最近のくわがた虫やかぶと虫等は自然ものではなくて
養殖ものが多いらしい。
でも居るところにはいるんだろう、自然もので大型のものは
なんと、数十万円、ものによっては数百万円もするんだそうである、すごい!

テレビのよく出る漫才トリオのメンバーの一人が趣味にもっていて
最近はそのくわがた虫の採取で価格をつけたら結構高価になる
大きなものを手にいれたとかで
特集番組になったり写真週刊誌に載ったりした。





1998.10.10

ペットの世界も襟巻きトカゲやウーパールーパーのように
はやりすたりや浮き沈みがあるから
くわがた虫もいつまで人気が続くかわからないが
昆虫採取を趣味にする人たちは結構昔から
継続的にやっていることが多いようだから
案外これからも考える以上にブームは続いていくようにも思われる。
いやブームといっては当たっていないのかもしれない。

まあ、それにしてもたかが虫一匹に(失礼)数十万円、数百万円もの
値段がつく時代なのだ。
いままでのような「もの」と「価格」についての通常の考え方も
変化しなくちゃならない時代なのだろうとは思う、、が。

一国の経済や下手をすると世界の経済を根底からくつがえしてしまう
お金でお金を買っているような最近の「投機」とは比べるほどの
とものではないが、それにしてもどういう時代なのだろう。

しばらくは「くわがた虫」や「かぶと虫」のような
投機の対象になるような趣味の世界がいくつも現れてくるに違いない。



1998.10.11

軽自動車の規格が変わった。
もう何回も規格の変更がくりかえされてきて
思えば軽自動車も大きくなってきたものだ。

逆に普通乗用車というか小型車が小さくなってきて
自動車雑誌を読んでいたら出ていたニュースでは
T自動車も近いうちに1000CCクラスの小型車を出すのだという。
最近もD自動車で作った小型車をT自動車からも投入したのはテレビの
コマーシャルの通りだ。

いままで軽自動車から小型車までの間には車の車格の隙間が
あったのだけれどこれからは連続的な車種構成になっていく。
ユーザーからすれば一見選択肢が増えて良い感じではある。


見落としてはならないと思うことがある。
状況によって規格も変わっていく、ことは当然のことだ。
一方で規格が生まれてからいままで独自のアイデンティティーを持っていた
軽自動車の優位性や主張がどんどん失われていくのだろうか。
そう、表面的にはそう見える。
だが、ことの本質はそうではない、と思う。



1998.10.12

おりしも、ヨーロッパでは
以前からメルセデスベンツ社と
あのスウォッチで有名な時計メーカーのSMH社で開発していた
マイクロミニカー「スマート」がいよいよ走り出す。

先代のベンツ社の社長が
「自動車を取り巻くインフラが変わらないのなら、
自動車自身を変えていこう」
と何年か前に言っていた。
最近の同社の製品にはその思想が端的に現れている。
最近テレビで盛んに宣伝が行われているあの丸っこいベンツAクラスなんかは
その際たるものでもある。

ちょうど同じころにむちゃくちゃ小型で新しいコンセプトの車を
スウォッチで有名になった「時計メーカー」であるSMH社が考えた。
そして結果的におなじような方向に
向かおうとしていたメルセデスベンツ社と一緒に
その車の開発をいっしょに行なうことになった。
それが今から数年前の話だ。


紆余曲折はあったようだが、しかし、ここで、その
画期的なコンセプトの車、いままでなかったような車、
そしていままでの車の概念を変えてしまいかねない車、
マイクロミニカー「スマート」は確実に走り出す。



1998.10.13


マイクロミニカー「スマート」を送り出すメーカーである
マイクロコンパクトカー社がこの車のコンセプトを発表した当時の
同社の「メッセージ」というものがある。

「どれだけ遠く行くかは問題ではない。
           大事なのは私たちがどこに向かっているのかだ。」
                 マイクロコンパクトカー社メッセージ


市場や顧客がどのような社会や生活をこれから望み、
それに対して自動車メーカーである同社が
どう、それに自らの技術や製品をつくり、応えていくか、
、、深く考え、人びと社会と地球と産業に対し真摯な姿勢で
自らの「位置決め」に取り組もうとする姿がここには見える。




1998.10.14

世界的に自動車の存在価値やありうべき姿は
今後大きく変化していくことになる。これは間違いないことだ。
思う以上に早いスピードでそれは変わっていく。

自動車そのものの形や形態や運用の形まで変わっていくだろうし
自動車メーカーの存在価値そのものも大きく変わっていく。

いままで小型自動車は日本のお家芸だと思っていたら
海外のメーカーがそこに参入してくることにもなるだろう。

軽自動車メーカーとしても今後はそんな状況に対応した車づくりを
行なっていかなくてはならないだろうことも間違いない。
今はやりの言葉で言えばグローバルスタンダードに対応した
車になって行かざるを得ないのだろうと思う。
軽自動車の輸出まではないとしても少なくとも海外や国内のメーカーから
やってくるであろう新しい時代に対応した小型車の波に
軽自動車メーカーは新たな対応をして行かざるを得ない。





1998.10.15

そんな状況を考えるならば、ただ単に軽自動車規格の変更だと
思っているわけにはいかないだろう。

軽自動車のメーカーも、
国内で特定の位置を占めていた状況から、
今後はいままで考えもしなかったような
状況にさらされることになっていくのではないか。

その時には軽自動車メーカーであろうと
世界に通用する強いメッセージが必要になる。

もちろんこれは軽自動車に限った話ではない。
自動車メーカーももちろんだし、
およそ「もの」や「こと」を作り、社会や産業や個人に向けて
財やサービスを提供していくことを
目的としている企業ならばすべてに言えることだと思う。


「どれだけ遠く行くかは問題ではない。
           大事なのは私たちがどこに向かっているのかだ。」

今、我々が行なっているはずの「ものづくり」から
はたして、このような強いメッセージが伝わってくるだろうか。



1998.10.16

14日から東京のビックサイトで行われた
「中小企業フェア」に今年も見学にいってきた。

ここには毎年全国から数百もの多くの中小企業がやってくる。
みな自身のもつ技術や製品をアピールし新たな取引先や
売り込み先を開拓することを目標にして全国からやってくる。

筆者の地元の県や自治体や個々の企業もとても力が入っていて
多くのものづくりの仲間がやってきている。

あれだけ全国から多くの企業や自治体や
工業振興のための団体やグループが参加していれば
それぞれに特徴もあるし面白さもある、
だが、一方で少しマンネリ風のところもなかったわけではない。

作って展示するものは各々に新規性もあるし
毎年新しい発想や考えかたにも逢える。
これはとても素晴らしい。
しかし表現する方法が以前からのままであるのは少々
残念なことではある。
ほぼ毎年見学していればそんな感じをもつ部分も
正直言って、ある。



1998.10.17

ただ、この不況下だ。
それぞれの企業も必死で可能性を求めてこの場所に来ている。
それは間違いない。

技術も製品も各々の企業のとっての表現だ。
アイデンティティーの表現だ。
どの企業も日ごろの製品や技術をここぞと持ちよってくる。

しかしいったん同じ製造業という仲間が集まった場所に
みんなが集まって来てるのならばことはそれでは終わらない。

決定的に必要になることはそのなかで自分の特徴や「売り」を
同業者のなかに埋もれてしまわないように
アピールし目立つように努力しなくてはならない。
アイデンティティーを相手に伝えることが
とても必要なことの一つになる。

相手に伝えてわかってもらって初めてスタート地点に立てる
と言ってもいいかもしれない。



1998.10.18

こう書いたら多くの中小企業の人から、
怒られてしまうかもしれないかもしれないが
いままでの日本の中小企業の多くは「右肩上がり」の経済のなかで
自らのアイデンティティーをもつことはもちろんだけれど
それをまわりの人達に伝える表現方法をもつこと
いわばコミュニケーションの技術を持つことを
さして必要ともせずにきたと言っていいと思う。


いままで作ってきた「もの」があふれてきた世の中にあっては
「人と違うこと」や「人と違うことが出来ること」や
「人とちがったものやことや発想が出来る」
ということが決定的に重要になるが
だが、同時に情報技術やインターネットの世界が
日常的なものになってきた現在では
その発想や行動や言わば製品と技術を
まわりのひとたちに伝えることができて初めて
ようやくとしてそれらの表現が完結できるのだと思う。

もちろん、今回のような多くの中小企業が集まる「中小企業フェア」
のようなイベントにはそれらの技術を持つ企業が多く集まってくることでも
あるのだが、
しかしやはり決定的に不足しているのは
同時にそれを相手や社会やまわりに伝えることができる「技術」だ。




1998.10.19

今回の中小企業フェアはそんな中小企業の
アイデンティティーの表現をやろうと
各地域、企業とも奮闘していたと思えた。

しかし、あえて言うなら
それを相手に伝えるコミュニケーションにもっと工夫が欲しいと思う。
見せ方や展示の仕方もそうだし
全体のフェアそのもののコンセプトにももうひと工夫がほしい。
そしてなにより、たぶんいくつかの出会いがあったのだろうから
その後のコミュニケーションをどう計っていくか、が
とても重要なのだと思う。
言わば企業が出合う場として機能してるのだから
それをうまく生かすことが必要だと思う。

それは会場を訪れてくれた多くの企業や同業者に対してだけでもない。
同じ地域から出展していた仲間や同業者や
あるいは以前からの知り合いだった人やいろんな人が訪れていたのではないか。

こういったイベントでもなんでも、機会を逃さずに
出合いを広げることは決定的に重要だと思う。
それは相手にアピールすることだけに限らず
コミュニケーションをつくりあげていく、関係を作っていくという
言わば「技術」そのものと言っても間違いではないと思う。



1998.10.20

「釣りバカ日誌」という映画がある。

もう10作くらいも作られていて、渥美清氏の寅さん映画に続く
日本を代表する映画と言っても間違いないように思う。
年末、お正月やお盆のときには多くの人々が楽しんでいることだろう。

先日も「釣りバカ日誌」の9作目をテレビで見る機会があった。

最近この映画をみていて思うのだが
「会社社会日本」にはとても意味のある映画ではないかと思っている。

まだ日本がバブルにうかれ、右肩がいつまでもあがり続ける、
日本の夕暮れは来ない、と誰もが想っていたころ
そう、それはそんなに昔のことではないのだけれど
そんな時代があったころ、、この映画を見ていて思ったのは
あくまで「なるほどなあ、、」
「決して否定すべき生き方ではないのだろうけれど
 こういう生き方をするひともいるのだろうな、、」
「今の時代(そのころ)には受け入れられないだろうな」
「映画とはいえこんな生き方もあるのだろうなあ」
と思うくらいのものだった。
まあ、もしサラリーマンから見て
「うらやましい」と思うことがあるとすればスーさんのような社長たちと
個人的に知り合いにでもなるのがうらやましいということくらいだろうか。




1998.10.21

「釣りバカ日誌」を見ている人も決してハマちゃんの生き方に
ある意味でのあこがれを感じた人はいても
共感を感じた人はいないのだろうと思う。

しかし最近この映画をみていて思ったのは
これからの時代を生きる我々にとって
自分自身の存在そのもので、アイデンティティーそのもので、
生きていけることがとても重要なことなのでは
ないかということだ。
企業の肩書きや企業の大きさやあるいは役職なども含めて
そういったものが通用しない時代になりつつある。
もちろんその人や企業のアイデンティティーが
結果として評価や役職に結びついている場合も多い。
しかしその人の持つ能力やアイデンティティーそのものや
力そのものがぶつかり合う時代になってきているのだと
つくづく思う。

ハマちゃんが自分自身の能力やアイデンティティーを
考えもせず、ひょうひょうとサラリーマン社会を
生きていくことが「釣りバカ日誌」のみどころなのでもあるのだが、
10年も前から今の変化を見通していたのだとすれば
これはなかなかすごい映画なのだろう。



1998.10.22

今の日本をどうとらえるか

1、ピンチだと思う。
2、チャンスだと思う。

さて、、、答えは、、

、、、ご存知のひともいるだろうが
これは日本経済新聞のテレビでのコマーシャルだ。
実際はこの後に日経新聞のロゴがしっかりと画面に写る。

決してなにかの賞をとるような「優れた」コマーシャルだとは
思わないが(ごめんなさいね)
なかなか今の時代を捉えていて
見るひとによっては、なるほどとか、そうそう、とか思わせるコピーではある。
筆者も「そうだそうだ」と思わずうなずいた。
もちろん今の日本は「チャンスだと思う」からだ。
なかには「ピンチだと思う」ひともいるだろうから
そっちの方向で新聞に答えを見出しているひとも当然ながらいるんだろう。

コマーシャルを作った側も答えを決めるつもりはないのだろうし
「ピンチだと思う」人もいることは当然として、、でも尚且つ
心情的には「チャンスだと思う」ひとが多いことを
筆者は願わずにはいられない。
日経新聞さんも「チャンスだと思う」ひとが読者にたくさん
いてくれるほうが張合いがあっていいでしょう、、ね。




1998.10.23

日本の現状をピンチではなくチャンスだと捉える人が
たくさんいれば、必ずこれから目の前が開けるような時代が
必ずくるのだろうと思う。

しかし、景気や経済の様相がすべて「心理」や「心の持ちよう」によって
決定するとは思わない。

日本経済新聞のテレビでのコマーシャルによく似ている話で
よく言われる話にこんなのもあった。

裸足で生活する人々が当たり前の国へ
靴のセールスマンが二人、営業に行こうと、空港の降り立った。
が、現地の人々の足元を見てそれぞれに反応する。

一人は
みんな靴をはいていないから商売にならない。
この国での営業はあきらめよう。

もう一人は
みんな靴をはいていないからとりあえず1000足送れ。
みんな顧客になる可能性のある大きな市場がある。

これは心の持ちようで商売に対する姿勢が変わるということなのだろうか。



1998.10.24

もう一つよく言われる話がある。
コップの水が半分の状態を
まだ半分ある、とみるのか、もう半分しかない、とみるのか、、、
一見よくにているように思うのだが
ただしこれは基本的には悲観的に見ることをいさめているのだろうが
よくよく考えてみると考えようによっては危機感が欠如しているようにも
感じる言い方でもある。

どこが違うのだろうか。よく似ているようだけれどやはり違う。

見方によっては「こういうふう」にも見えるし「ああいうふう」にも見える。
それは見方によってはよくあることだ。
気持ちの持ち方や「心理」や「心の持ちよう」によって
見えかたは確かに変わる。

コップの水はもう半分しかない、かもしれないし
まだ半分ある、、のかもしれない。
だが現実はコップのなかの水は半分であることは間違いない。
誰がなんと言おうと半分であることは間違いない。



1998.10.25

しかし、裸足の人が多い国で靴が売れるのか売れないのか。
あるいは、今の日本がピンチなのかチャンスなのか、
、、、の話と「コップの中の水の話」は決定的に異なると思う。

今の日本にも、あるいは裸足の人が住む国にも
そこには市場があり、財やサービスを求める顧客がいるからだ。

たとえ、今の日本にはものがあふれている、と言っても
本当の意味での「必要とする財とサービス」が
あふれてしまっているのだろうか。
筆者にはそうは思われない。

「もの」や「形」を持つことに振り回された時代から
本当に必要とする満足を得ることが財とサービスの
供給によってできる時代になりつつあるのだと思う。
本当の意味での、本来の意味での「ものづくり」は
むしろこれからなのだ。

そういう市場や顧客がまだまだ存在する、
いやむしろこれから生まれるであろう日本や「裸足の国」は
たんなる「コップのなかの半分の水」とは違う。


事業を通し、国や社会を作りあげようとする企業家が
市場を、顧客が求めるものを、真剣に探し、創造すれば
そこには「心理」や「心の持ちよう」ではない、
あきらかな方向や可能性が生まれるのだと思う。

そうであるならば、、、
日本の企業家や事業家が新しい創造的な事業を
起こすことを目指してるのならば、、、
今の日本は間違いなく「チャンス」であることは間違いない。




1998.10.26

どうも最近の経済をめぐる話は
「コップの中の水」をめぐる話のように聞こえてならない。

本当は様々な人や企業やそこにおける様々なお金や財の流れのなかで
生き物のように存在しているはずの「日本経済」が
単なるコップのなかの水と同じような捉えかたをされているのではないか。

もし経済が本当にコップの中の半分の水のようにだれがどう見ても「半分」で、
それをそれぞれの立場からみて「もう半分しかない」のか「まだ半分ある」のか
「経済」を一言で言えるのならばそれでもいいだろう。
しかしそうではないのは明らかだ。

景気や経済の様相がすべて「心理」や「心の持ちよう」によって
決定するとは思わない。

今我々は新しくうまれつつある新たな顧客や市場に気がついているのだろうか
「裸足の国に販売すべき靴」を見つける努力をしているだろうか。
文字どおり、、我々の足元をよくみる必要があると思う。

経済を「コップの水」のように半分しかないだの、半分もあるだのと
言っているのではなく「裸足の国に販売すべき靴」や
新しいものやことへの要求が芽生えつつあるはずの日本で
なにをチャンスに生かしていくのか、考えるべきなのだろう。

そう考えてみると、企業家こそが、起業家こそが、事業家こそが、
次の日本の経済を担うのだということも間違いのないように思う。




1998.10.27

ちょうど先週の日経産業紙を読んでいたら
「てくのろじー考」という欄に編集委員氏が書いた
「忍び寄るオカルト・科学を平易に語る努力必要」というコラムがあった。

現在の経済環境のなかで科学や産業がむしろ自身のもつ仕組みや
合理性や民主的性格が危機的な状況にもなってきているのではないか、
言わば、自身のなかにそういう状況への反省と責任と反撃が必要なのではないか
という問題意識はなかなか面白く読めた。

オカルトや超常現象についてはここでなんども書いた。
基本的にはそういうものは百害あって一理なし、、だと思っている。

そのコラムでも書かれているのだが、こういう「世紀末」になってくると
「血液型」だとか「まじない」「占い」「風水」「姓名判断」
はては「気」まででてくる。

個人の自由だからそれについて個人や趣味でやっていてもらう分は
別にどうでもいい。
だが一番の問題はそれによって「人任せ」にすることが当たり前になってしまう、
自分で判断することができなくなってしまう、ことだと思う。

自分の信頼すべき人との出合いや生活の上での判断や
将来を決め社会との接点にあるべき仕事の判断なんかを
「まじない、占い」のたぐいで決定するなんてことは無謀をとおりこして
自分の人間としてのアイデンティティーまで喪失していることに
気がつくべきだ。

ちなみに最近のことばで言えばこういうのを「洗脳」という。




1998.10.28

新聞を読めば
「景気が悪い」だの
「日本経済は追い込まれている」だの
無責任で一面的なことばが飛び交っている。
新しい「まくらことば」と言ってもいい。

雑誌や新聞を売るためにこういうことばが必要なのだろうが
それにしてもセンセーショナルで情緒的な言葉ではないか。

だからといって「気」を入れれば、、とか
「心の持ちよう」とかで景気は回復する、、なんて言う気はさらさらない。

もちろん新聞や雑誌にも「元気を出せ」とか、「気持ちの持ちようが大事だ」
なんて書いてもらっても困る。
無責任で一面的な悲観論もいらないけれど、無責任で一面的な楽観論もいらない。

もっと明るい気持ちで前向きになろう、と根拠のないことばをくりかえしていても
それは「コップの中の半分の水を「まだ半分」と見るのか
「もう半分しか」とみるのか」、、であって
「無責任な経済認識」と五十歩百歩だ。

どれも洗脳のひとつみたいなものだ。
そんな「洗脳」のような「経済評論」や「気」にいちいち
一喜一憂するのはもうよそう。
自分達の事業の本質をしっかりと見つめ直す時代なのだと思う。



1998.10.29

洗脳ということばが最近は「注目」を浴びるようなことが多い。

しばし考えた、、、

まあ、もともと人や自分の考え方や考えていること、思うことに
他人や環境が影響を与えることは当然なことだ。

もし自分の考えや思考方法は生まれながらに自分で会得したものだなんていう
人がいたらぜひ会ってみたいものだ。

自然や環境や社会の様々な状況やそこからのシグナルや情報で
人間はおおいに刺激され、悩み、成長する。

それをあえて洗脳というのかどうか、、
もしそうだとしたら人間は全部「洗脳」されているということでもあるんだろう。

自分達がわからないことを言いはじめるひとがいたら
「どうもあいつは人と違う」、「洗脳されているんじゃないか」、、
というのではちょいと困る。

地球が回っているんだ、と言いはじめたら
あいつはおかしいと言われる。
それまでの常識から言えば確かに「異端」ではある。
が、それを「洗脳」にひとくくりにされては困る。

「異端」と「洗脳」の違いはどこにあるんだろう。




1998.10.30

東京都でゆかりのある人を招いて「園遊会」みたいなものを開き
それに千数百万円だかの費用がかかった、という話が
テレビで一週間ほどまえに何度も放送されていた。

通常は2000万円以上?かかるのだそうだが
クラッシック音楽の演奏を聞くのを止めたり
食べ物を質素なものにしたりして
費用を少な目にするようにしたんだそうな。

テレビでは来ていた人に意見を聞いていた。
おおかたは「質素にすることは良い」ことだとか
なかには「こういう時だからこそ明るくなるように
あまり緊縮にするのはよくない」、みたいな話もあったのだけれど、、

テレビのキャスターは
「都の財政が破綻寸前なのにいくら緊縮にしたと言っても
こんなことやっていていいんだろうか、、」みたいなコメントを加えていた。
筆者もこれに関してはテレビキャスターに賛成である。

「質素」にしても「緊縮をゆるめムードを明るく」にしても
やることは「園遊会」?それだけのことだ。
少なくともそれで都民や国民の気分が「明るくなる」とは思われない。
むしろ「都の財政が破綻寸前」と懸命にアピールしている一方で
これでは都民は納得はしづらい。

酔っ払ってムードがよくなってきたような「気」がしても酔いはさめる。
足元がおぼつかないという現実はなんら変わっていないのだ。
そんなことにたった?千数百万円とはいえあまりに高い出費ではないか。



1998.10.31

今週から始った「国際工作機械見本市」は
二年ぶりということもあるし
不況とはいえますます、ものづくりへの挑戦の重要性は
高まっていくのだろう、新聞等でいろいろ詳しく報道されている。
みなさんも見にいったりもしておいでだろうと思う。

筆者も大阪で開催ということで
東京圏に住むものとしては
少し行き帰りの時間がかかるのが大変ではあるのだが
こんな時期だからこそ見所もあるだろうし
それを見に行っている我々製造業に携わる人々の
「雰囲気」にも興味があって泊りがけで行ってきた。

というわけでJIMTOFと言えばこの時期の定番展示会ではあるのだが、
そのまえに実は東京でも興味ある展示会が開かれていたことも
報告しておく必要があるだろう。

東京の科学技術館で10月28日から30日まで行われていた
「第9回マイクロマシン展」だ。



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