今日のコラム・バックナンバー(1998年 2 月分)


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掲載は日付順になっています。


1998.2.1

今日1日の毎日新聞に
東北大学名誉教授の西沢潤一氏が文章をよせられていた。

以前ここでも書いているが
NHKの「電子立国日本の自叙伝  その1」のテレビや
本でよく紹介されている戦後アメリカの「トランジスタ」開発から
「半導体開発」にいたる歴史を日本の当時の状況と
くらべながらわかりやすく書いておられる。

アメリカにおいては当時のそういった研究開発の状況が
現在のシリコンバレーの隆盛にむすびついてきたと
いうのは周知の事実なのだが
一方でその当時より日本でも同じようにそれと同じような
「システム」を作りあげようとしたのだという、が
今となってみれば大きなレベルの違いが太平洋の間にはできてしまった。
これについて氏は結論めいたものについて言及していないのだが、、、

戦前よりそういった近代的な研究開発の体制において大きな違いがあったことは
間違いのないことだし、まして戦争を経験したあとでそういったものが無に近い状況
にまで壊滅的な状況になってしまったこともたしかだ。

が、それも含めてこういった状況の違いを生んでしまった理由の一つに
日本的状況をよくよく考えた方法論があったのではないかといまさらながらに思う、
アメリカのモデルをそのまま持ち込んできても日本に適用できるものでは
ないと思えるのだが、、。



1998.2.2

最近あまり「電子モール」の話しって聞かなくなった。
エレクトリックコマースのなかでも一番先頭に立ってはしっているんだと
思っていたんだけれどそのわりに最近聞きませんねえ。

毎年の「インターネット上の電子取り引きによる売り上げ」みたいな
ものの統計なんてものを聞いてみると
確実に増えているんだ、という話しなのだけれど
ほんとなんだろうか。
アメリカでは確かに増えてきているだろう。
なんたって通信販売においては先進的な国だから。

でも日本でも本当に増えているんだろうか。
いずれ日本でも通信販売が増えてきているように
インターネット上の販売も成り立っていくのだろうけれど
まだまだだと思わざるを得ない。

だいたい、新聞とかメディアのなかで「電子モールの現状」みたいな特集が
ある内はまだまだだろう。
たまに女性用の欄なんかで扱っている記事もあるけれど
それにしても「電子モールの現状」みたいな「かたい」記事だ。
いずれは「こんな素敵な商品がどこそこの電子モールにあった」とか
「安くて良い商品の電子モール一覧」みたいな記事が
女性用記事で当たり前に載っているような時代がくるだろうが、
そんなことにでもなってきたらようやく電子取り引きの時代がやってきたと
認識してもいいんだろうなあ、、。

それまでは「身内のけん制」のような電子モールがとりあえずは
たくさんできるのだろうけれど、、
、、ブレークするような電子モールはいつ、どこから出てくるんだろうか。





1998.2.3

もうだいぶ前、とはいってもインターネットの世界で
だいぶ前といっても一年やそこらなんだけど、
インターネットがブームになって電子モールが注目されていたころ
「電子モールやホームページさえ作れば商売繁盛」みたいな話しが
新聞や雑誌や、あるいは「にわか評論家先生」の話しなんかで
もてはやされて一気に「すごいぞ一人実業家」みたいな雰囲気がもりあがった。

海外や国内のソフトベンダーもそれに拍車をかけるように
電子モール構築用のソフトを販売したりして
そういうものさえ作ったり購入したりすれば簡単に
商売ができるような雰囲気が盛り上がった。

確かにそんな中から飛びぬけた商売を始めたところもあるだろう。
でも正直言って多くの電子モールが意気込みとはうらはらに
苦戦しているように思う。
もちろん「狙いは「売り上げ」だけではないぞ」、というモールだって
あるだろうけれどいまのところ売り上げで言えば「まだまだ」だろう。

で、結局のところそれなりにわかってきたことといえば
商売ということでは現実の世界もインターネットの世界も同じだということ
だろう。
いくらインターネットの世界といっても「商品」がよくなければ
販売もおぼつかないだろうし、ある種のエンターティメントも必要
ではあるだろう。そして何よりもその商売に対する情熱が一番重要
なことは間違いないと思う。

モール構築用ソフトを買えばとか、アミューズメントがあればとか、
まして買い物を代行するエージェントが画面のなかで代わりに買い物します、
とか、管理はしますからホームページに店舗をだしませんか、
なんて話しはインターネット雑誌に話題を提供はしても
決して買い物をしたい人その人にとっては関係のない話しだと思う
のだけれどいかがだろうか。





1998.2.4

友人が今はやりの「エアガン」を趣味にしている。
彼の部屋にはモデルガンがたくさんあってなかなか壮観な眺めではある。

で、彼らモデルガンマニアにはそういうマニア専門のショップというのがあって
「へーよくも考えたものだなあ」と思えるようなグッズなんかを売っている。
以前彼からあるモデルガンショップのカタログをもらったことがある。

それはただコピーで数十枚の紙を閉じたものに過ぎないのだけれど
これがマニアのこころをくすぐるというか、ショップの「志」がもろに見えてきて
なかなかおもしろいのだ。

内容は手書きの部品やモデルガンの絵や説明だったりするのだけれど
売る人と買う人の共感みたいなものがそこには感じられて
やだ紙のやりとりではない、共感のやりとりがあるのだ。

電子モールや電子ショップも基本的には同じことなのだろうと思う。
電子技術やサーバーの質なのではない。そこには商売の基本みたいなものが
当然ながら必要なのだろうと思った。





1998.2.5

もうインターネットについて興味なある人や
そもそもこのコラムを読んでいる人は
「ネットスケープのソース公開」のニュースはご存知だろう。

二年前(1995年12月)のマイクロソフトのビル・ゲーツ氏の
「インターネットに腰を本格的に入れるぞ宣言」から
この間二年、インターネットの世界では様々なことが起きた。

インターネットと産業や社会との関係でもいろいろ変化はあったのだけれど
なんといっても一番身近な「ブラウザー戦争」が一番派手な「ニュース」
だったことはご存知のとおり。

で、いよいよここで次のフェーズに入ったといってもいいのだろう。

新聞なんかでも書かれているけれど
ネットスケープの本音がどうであれ、
インターネットの文化といままでの文化の「せめぎあい」が
いよいよ本格的に始ったのではないかと思う。





1998.2.6

今回のネットスケープ「ブラウザーのソース公開」は
もともとインターネットの世界ではそう特殊なことではない。
むしろソース公開をふくめソフトの公開共有などは
インターネットがここまで急激に使われるようになった
原動力となったと言っても間違いではない。

NHKの「電子立国日本の自叙伝その2」で
ネットスケープのジムクラーク氏とマークアンドリーセン氏が
ネットスケープ社を創立するにいたるまでのブラウザーをめぐる
物語は有名な話しだ。

そういった「文化」はソフトやコードの公開だけでなく
いまでは、と言うよりその時代から今にいたるまで
インターネット上の共通する文化として基本的に流れている。




1998.2.7

で、「インターネットがここまで「普及」する原動力になった」、
と言ったが、言い方を変えればこれはインターネットや
コンピューターネットワークが持つ基本的特性なのであって、
決して誰かが始めたからこういう「文化」になった、というものでは
ないのだろうと思う。
つまり「オープン」は誰かによって「作られたもの」ではなく
ネットワークの中にすでに内在しているものなのだろうと思う。

もしも「人間同士」がもつ疑心暗鬼がインターネットの文化として
基本的なもの、そういうものを育ててしまうようなものであるのなら
ここまでインターネットは「普及」することはなかっただろう。

が、ネットワークはその仕組みそのものの中に相互の信頼と自分自身の確立を
補強できるものとしてもともと存在している、
それは別にインターネットだからというだけでなくて
人間関係の中にそういう「一人じゃ生きられない」というご簡単な命題が
隠されていてそれがインターネットの世界ではごく鮮明に、そして
時間と場所を超えて現れるに過ぎないのだと思う。





1998.2.8

さて、企業文化の中に「オープン」が浸透してきたら企業の成り立ちは
いったいどうなっていくのだろうか。

年末のテレビ番組である識者が
インターネットの文化は「オープン」「コアコンピタンス」「アライアンス」だ。
企業文化は「囲い込み」「クローズド」の文化で
対立するのだがいずれ企業文化も情報化時代の流れでインターネットの文化に
染まっていくのだろう、と言っておられた。

基本的には筆者もそう思う。
インターネットの時代にはむしろ企業はその競争力を高めていくためにも
外部の知識や資源を利用せざるを得ない状況にもなってきている。
アウトソーシングが現実の企業の経営上欠かせないものになってきているのは
その現実の現われだと思う。

その他にも「外部」の知恵を取り入れるための「道具だて」は整いつつある。
イントラネットやエクストラネットの普及や基幹業務システム、
3DCADやPDM、工作機械のNCやFAのオープン化、
これらの普及、コンカレントエンジニアリングの浸透、これらもそうだ。
企業の事業領域の再確立やコーポレートアイデンティティーの確立が
最近再び言われるのは逆の意味で関係していると思う。
これらが進んで行けばいずれ企業の成り立ちそのものの意味にも
関係してくるのだろう。言わばバーチャルコーポレーション化だ。

そしてこれらはP・F・ドラッカー氏の言葉を借りて言うならば
「すでに起こっている未来」なのだと思う。





1998.2.9

オリンピックが始った。
たくさんの紆余曲折があった。

いまだオリンピックが日本で行われることに反対する人もいる。
それはそれでいいと思う。
なにもすべての日本人が両手をあげて賛成する必要もないし
またそんな状況になるほうがおかしい、
賛成、反対、多様な判断があっていいのだと思う。

商業主義という批判もある。
確かに「商業主義」である一面はあると思う。
開会式の時間がスポンサーの意向でアメリカのゴールデンタイムに
合わせられたらしい、などという話しを聞けば少し考え込んでもしまう。

が、とりあえず競技会場はすべて商業広告は禁止だし、
現実的にあれだけのイベントをやり遂げ、実際に運営するには
相当のお金も必要ではあるだろう。


しかし何より世界中からあれだけの選手や人々が
スポーツで競う、集う、相互に助ける、これは素晴らしいことだと思う。

いくら国際社会になって「世界的規模でものを考える時代だ」、
とは言っても日本人が無国籍な人間になるわけじゃない。
日本人であることと国際人であることを、ある意味で体験できる
このオリンピックというイベントを筆者は素晴らしいことだと思う。

世界中の様々な人々同士の出会いがあることを願いたいと思う。





1998.2.10

スピードスケート競技、500Mで
日本の清水選手が金メダルをとった。
ばんざーい!!
スピードスケートでは初の金メダルだそうな。
車のなか、ラジオで聞きながら
思わず胸と目がしらが熱くなってしまった。いやほんと。


さて、ご存知のひとも多いだろう。
オランダの選手が一昨日5000Mの競技でだんとつで優勝して
その後おもむろに発表した「シリコンのムカデ形状の空気抵抗軽減シール」
は一晩で大騒ぎになった。

しかしそれにしてもオランダのスケート競技界は
「スラップスケート」といい、
「シリコンのムカデ形状の空気抵抗軽減シール」といい、
勝つためにはなんでもあり、のすごい迫力だ。

このままいったら別の競技にでもなると思うくらい、
ほんとになんでもあり、、、だ。
実際、こんな感じで進んでいったら競技のなりたちそのものも
危ぶまれる可能性だってある。
このあたりは競技規則も含めきちっと再考する必要はあるだろう。
スポーツの競技であって技術開発の競技ではないのだから、

しかしああいったある意味で「柔軟な発想」というのは必要だとは思う。



1998.2.11

大前研一氏の著書のなかで「メンタルブロック」ということに
触れている部分があった。

「メンタルブロック」とは「自分はそういうことを考えてはいけないと
思っていた」とか「考えたことがなかったが言われてみるとそうだ」
ということだそうである。
そして日本人はこの「メンタルブロック」の固まりだという。
たしかにそうかもしれない。
で、氏は「メンタルブロック」を壊す「メンタルブロックバスター」という
考え方を身につける必要があると言う。

氏の著書を読んでいるとこの「メンタルブロックバスター」を身に付ける
やり方というのが書かれていて面白い。

あのスタンフォード大学で作った「質問」だそうで
もともとスタンフォード大学にはそういう「メンタルブロックバスター」を
身に付けるための、講義、カリキュラムがあるのだという。

なるほど、学校の教育でそんなことやっていたら柔軟な発想が
国家のレベルで作りあげられるようになるに違いない。




1998.2.12

スタンフォード大学での「メンタルブロックバスター」の質問の一つに
こんなのがあるのだという。

「内径がほとんどピンポン玉と同じで、長さは60センチくらいの鉄パイプ
が地面に深く突き刺さっている。あるとき間違ってピンポン玉がパイプの
中に落ちてしまった。これを取り出すのにこういう道具があるが、
皆さんならどうやって取り出すか」
道具としては電球のフィラメント、糸、針金、板、鋸、ハンマー
などである。ピンポン玉も鉄パイプも壊してはいけない。

さて、答えは「パイプの中に小便をすること」なのだそうだ。

商店などでやるとその答えが返ってくる。
ところがこれをエリートにするとそういった答えは返ってこないのだそうだ。

「小便」ということをこの質問の答えとして考えること自身を否定したり
「そう思ったけれど言えなかった」というのはまさしく
「メンタルブロック」なのだという。
「道具の中に小便は入っていないじゃないか」というのも
きっと「メンタルブロック」なのだろう。
ともかくも、かように頭を「柔軟」にしていくのだという。


ちなみに筆者は答えは「小便」だけでなくていくつもあっていいと思っている。
「正解」はないのだと思う。

「地球をひっくり返す」というのは真面目な答えにならないが、
「時間がかかっても地面を掘る」というのだって良いじゃないか。
「電球のフィラメント、糸、針金、板、鋸、ハンマーを売って、その金で
スコップを買ってきて地面を掘る」なんていうのもいいかもしれない。
「、、だったら、鉄パイプを壊しても良いと納得してもらうまで相手を説得する」
というのもあっていいんじゃないか。

「そこまで言ったら講義や質問にならない」「それじゃ商売にならない」
、と言われるかもしれないけれど
要はここまで「発想は、飛べる、遊べる」ということだ。
発想そのものがでてこなければそこでストップであって、
そのための講義なのだろうから。




1998.2.13

スタート地点の引き上げ問題で揺れにゆれた
オリンピック男子アルペン滑降競技が
天候不順による何度かの延期の後ようやく開催された。

例の「スタート地点引き上げ問題」はもう過去の問題のように
ろくに話題にもならない。

たしかに競技そのものは無事(でもなくて転倒した選手がやたら多かったのは
ご存知のとおり)終わってまことによかったのだが。
「スタート地点引き上げ問題」が終わったわけではない。

オリンピック男子アルペン滑降競技以外にも今回のオリンピックそのものが
なげかけた
「オリンピック」と「環境問題」や
「オリンピックのボランティアリズム?」と「商業主義?や広告」との関係
については今後継続して考えて行かねばならない問題だと思う。

そしてまた今後引き続いて日本が世界に対して
それらの問題の「その後」を報告する「義務」があるとも思う。

少なくとも
環境への影響のその後や
地元商業や産業界への影響
ボランティア活動等が日本のなかでどう変化発展していくか
などの観点から世界にたいして「正直」に報告することだけは必要だと思う。




1998.2.14

オリンピックでは女子スピードスケート500mで
岡崎朋美さんが3位になる健闘をみせてくれた。
チャーミングな岡崎さんの懸命に疾走する姿を見てファンに
なった人も多いだろう。

ところで今回のオリンピックをテレビで見ていて
気が付いた人も多いだろう。
なにがと言えばその斬新な「映像」だ。

いままで考えてもいなかったような「アングル」からの映像が
今回のオリンピックでは随所に見られる。

アルペン競技もノルディックも
また、アイスホッケーやカーリングなんかもなかなか面白い映像を
見ることができる。
アイスホッケーのゴール内からシュートされた「玉」(名前が思いだせない)
が飛び込んでくる映像なんかの臨場感はなかなかのものだ。

これらのカメラや映像の技術はテレビや新聞で紹介されたことも
あったからどんな風に写しているかご存知の人も多いと思う。

きっと今後の様々なスポーツ番組でも利用されて茶の間で
斬新な映像をみることができるようになるに違いない。




1998.2.15

今日もオリンピックの話しで恐縮です。
「メダル」が結構集まってきて、、これはうれしい。
今日もスピードスケートの清水選手やジャンプの舟木選手、原田選手が
頑張った。

特にこの間、不運が続いた原田選手が
銅メダルがとれたことはとてもうれしいことだった。
「気持ちは鳩、の原田選手」というアナウンサーの「いい得て妙」?の表現が
とても気持ちを和やかにしてくれた。
続けて「今日は大鷲!!」というのも、、、うん、これもよかった。



1998.2.16

ジャンプで二位になったフィンランドのソイニネン選手は
精密機械技師なんだそうだ。
ジャンプ競技の一位と三位が日本で
二位が精密機械技師なんだからインダストリーウェブとしては
「バンザーイ!」なんだろう。
他人のような気がしない。

人種としては日本人だから
「バンザーイ」なんだろうし、、、
でも精密機械技師なんて言われると
なんか人ごとのような気はしなくて
「バンザーイ」なんだろうし、、、

結局、そういう「世界感」みたいなものも
今後は当たり前になっていくのだろうと思う。

そこら中で交流が始った「世界の人々」ともきっと
これからいろんなな付き合いが生まれてくるのだろうと思う。
これは素晴らしいことだと思う。




1998.2.17

いやーここのところオリンピックの話題ばかりで申し訳ないのだけれど
今日のジャンプの原田選手の活躍はとても素晴らしいかった。

もちろん選手みんなの頑張りでここまできたのだけれど
4年まえのリレハンメルでの「失速」から再起した
原田選手の精神力の強さと踏ん張りは勇気づけられる思いだ。

なにを言ってもあらわせないだろうけれど、
当時からいままでの彼を取り巻いていた
重圧の大きさ、重さは想像を絶するものだったろう。

彼には誰よりも高く飛べる「鳥人」になる力があったと思う。
だけど一度その力に対する不信が自分の中に生まれた時から
すべてのものが自分よりも高く飛べるように思えたことだろう。
そんな時の「こころぼそさ」は味わったものでしか
わからないものだろうと思う。

この一週間の彼の「笑顔」はそんな重圧やプレッシャーに対する
精いっぱいの戦いの現われだったに違いない。

メジャーリーグのドジャースの監督が言った言葉を思い出す。
「成功への第一歩は自分自身を信じることだ。」

原田さん、本当におめでとう。



1998.2.18

アミューズメント施設やゲームセンターのゲーム機の展示会が
東京で行われている。

なるほどと思ったのが「マウンテンバイク」のバーチャル版
今でも全盛なのだろうが「ラリー」とか「レース」のバーチャル版は
たくさんある。
しかし「マウンテンバイク」のバーチャル版となると
新しい可能性があることに気が付く。

これはバーチャルゲームではなくてバーチャルスポーツではないか。
実際に外とか現場にいかなくてもスポーツしてバーチャル空間で汗が流せる。

自転車こいで汗を流すフィットネス道具はいくらでもあるし
「ゲーム」のバーチャル版もある。
だけど「スポーツ」のバーチャル版は考えてみたら面白い可能性がある。
フィットネス道具としても充分に使えるのだから
結構早いうちにフィットネス道具メーカーから
「ゲームのようなフィットネス道具」が登場してくるのかもしれない。
「フィットネス道具のようなゲーム」の違いを説明しろと言われても困るが。


アイアンマンレースのバーチャル版なんて、、あまりやりたくもないか、、、




1998.2.19

今月12日に通産省がベンチャー事業の創造に必要な個性や独創性に富む
人材を育成するため、文部省と連携して、小中学生段階から成長に合わせて
進める総合的な「起業家教育」事業を4月から始める方針を固めた。
、、、との新聞記事を読んだ人も多いと思う。

ベンチャー起業の創出が産業振興の重要な柱となるだろうという認識が
あり、なおかつベンチャーの成長は創業者個人の資質による部分が大きい、
との考えからこういう方針がでてきたとのことだ。

この「方針」を頭から否定するものではないし、
前述の「認識」は基本的にはその通りだと思う。

だけど「ちょっと待ってくれよ」、と思わずいいたくなる。
「個性や独創性に富む人材」というと聞こえは良いが、
こういう話しってすぐに「お国が考える期待される人物像」になっていく。
いつも時代の変化する時にはなぜか「期待される人物像」というものが登場する。
が、ふたをあけてみれば結局、金太郎飴みたいな人間を作るような
システムになっているのではないか。

人を育てるというのは国家の重要な事業の一つであることは
たぶん間違いないことだろうとも思うのだが、、、




1998.2.20

ベンチャー事業の創造に必要な個性や独創性に富む人材を育成するため
の「起業家教育」が必要だというが、、、
個性や独創性に富む人材はなにも「起業家教育」だけに必要なものでもないだろう。
国家そのものやまちづくりやあらゆる産業や社会の仕組みの様々な部分に
個性や独創性に富む人材は必要だ。
日本の21世紀そのものに個性や独創性に富む人材が必要なのだと思う。

そいう言った意味でその「通産省の方針」や最近の「ベンチャー待望論」の多くは
「国つくり」と「起業」と「個性や独創性に富む人材作り」の関係が
本末転倒していうのではないかとも思う。

もう一つ、、、「個性や独創性」についてもよくよく考えることも
必要だと思う。
やりたいことやる、人が何と言ってもやる、人を傷付けてでもやる、
というような身勝手な振る舞いが「個性や独創性」と履き違えられて
いくこともあるからだ。




1998.2.21

今、学校でナイフのいわゆる「刀狩り」をめぐって
識者の間で議論になっているのはご存知のとおりだ。
荷物検査の良否は別として、ナイフそのものも銃刀法にあるように
銃器と同じようにそして学校でも強く規制されるべきだと思う。

これをアメリカの銃器の問題と並べて考えてみたらよく似ていると思う。
銃器が開拓の歴史に重要な役割も果たしたのだろう、それはその国の歴史だ。
が、しかし結果として銃器が社会の隅々にまで行き渡ってしまったり
小学校までに銃器が携行されるような銃社会になってしまった。
確かに銃器がひとりでに発砲するわけではないが
銃器やナイフが犯罪を作るという側面もあることも考えなくてはならないだろう。


銃器とナイフは同じじゃないという人も多いと思う。
が、よく考えてみると人が自然に対して働きかける道具という意味で全く
同じ性格のものだと思う。
もともとが外部に働きかけて自分が必要とするものを得るのに使われたものだ。
使い方によっては自分自身を傷付けるという点でも人を
傷付けるという点でも同じものだ。

ただし「道具」というものが当初の目的を離れて人間関係を映し出す鏡に
なっていくというのはここ最近の現象かもしれない。

ここに今回の問題の複雑な側面があると思う。




1998.2.22

今は、銃器で「獲物」を得るという行動や自分を守るという行動が
必要なくなった、スーパーマーケットに行けば食い物は手に入るし
暴漢や猛獣に襲われることはまずない。

同じように昔と違ってナイフで削ってものを作るということも
そうは必要がなくなっているはずだ、
考えてもみて欲しい。自分の生活で、台所の包丁と仕事場での
「NTカッター」以外で刃物が必要になったことがあるだろうか。
鉛筆削りがなくてもシャープペンシルがあるし
ホームセンターに行けばナイフでものを削らなくても工作はできる

「ナイフも使い方を教えるべきだ、怪我をしてみなくちゃ痛さはわからない」
なんていうのは「銃器も、持ったり、使ってみなくちゃ恐ろしさはわからない」
とおなじことでおかしな話しだと思う。

感情的、情緒的にそんなのはおかしいと思う気持ちや意見もあるだろうが
それはよく「製造業」でもよく意見としてでる「技能の継承の重要性」に近い話しだ。

時代の変化で必要がなくなる「もの」や「技術」もたくさんある。
残す必要はあるかもしれないが、それは文化や文化財として残そう、継承しよう
という話しであって別の次元の話しだと思う。

時代や社会が変わってくれば銃器やナイフが必要でなくなるということもある。
自分や他人を傷付ける可能性のあるものを自分たちで
使わないでおこう、持たないでおこう、とすることも社会の知恵だと思う。


ただし昨日も書いたように
「道具」というものが当初の目的を離れて人間関係を映し出す鏡に
なっていくというのはこの問題とは別に深く考えねばならないことだと思う。
それを考えなくてはナイフを規制しても次の「そういった道具」がでてくることは
まず間違いない。




1998.2.23

オリンピックが終わった。

オリンピック中もオリンピックの前もいろんなことがあったが
なんかあっという間の出来事だったような気がする。

世界のトップをかけて長い時間精進をつんできた
トップアスリートたちのオリンピックでの戦いは
見ごたえはたっぷりで、熱い感動を呼ぶものだったと思う。

最後の「閉会式」では
重圧から開放された選手たちの明るい笑顔が印象的だった。

日本中も最初はなかなか盛り上がらないと言われていたオリンピック
だったが日本選手団の活躍で最終盤に向けておおいにもりあがった。

振り返れば日本全体が抱える問題は山積みだが
ああだこうだと言わないで、
いまはまだオリンピックの余韻に浸ることにしよう。




1998.2.24

実際には長野市や近隣の市町村では
宿泊客がこない、とか売り上げが減った、とか
問題がおきていことはまぎれもない事実だ。
オリンピックそのものとどれだけの「因果関係」があるのかは
わからないところもあるけれど
少なくない部分で影響があったことは確からしい。
オリンピックの盛り上がりをよそににがにがしい思いで
テレビを見ていた人も多いだろう。

以前にも書いたがせっかくオリンピックが行われたのだから
今後はこれを商売や産業に生かさない手はない。

盛り上がった分だけ世界中に「日本」や「ナガノ」が
浸透したと思ってもいい。
ましてこの間に世界中にできた「友人」はナガノファンとして
営業マンの役目も果たしてもくれるのだろうし、
少なくとも言ってみれば「ナガノブランド」の運動用具や商品なんかは
それだけで世界中に通用する可能性がある。




1998.2.25

仕掛けられることはいろいろある。
オリンピックの選手を定期的に野沢温泉とかに呼んできても良いだろうし
道具の開発に加わってもらっても良いだろう。
3000人の選手に毎年「記念グッズ(実は商品)」を送って
「普及」に協力してもらうこともできるはずだ。
もしかして海外に「ナガノ」マーク付きの商品の販売をやりたい
ひとだって出てくるかもしれない。
温泉のPRに一役かってくれるひともいるかもしれない。

トップアスリートだけではなくていろんな可能性をもつ選手や種目があることも
今回皆にわかったはずだ。
「カーリング」なんて、もしかしたら「大化け」する可能性だってある。

いままでオリンピックに「してやられた」と思ったり、
「自分には関係ない」と思っていたりしていて
その割りに結構最後は盛り上がってしまって
「のせられちゃったけど仕方がないなあ、、」と思って頭を掻いているひと、
今度はあなたの出番です。




1998.2.26

昨日の話しの続きですが、、、、
やっぱりというか、当然というか早速テレビの特集や新聞なんかで
オリンピックの残したもの、、、みたいな論調で
施設の負担や経済的な影響、等について
「これから長野はたいへんだあ!」みたいな記事や特集が
頻繁に流れはじめている。
前にここで書いたように
オリンピックが盛り上がって終わったからといって
「無反省」で済ませるわけにはもちろん、いかない。
よかったこと、わるかったこと、
これから生かすこと反省すべきこと、
これらを「ありてい」に評価したり、反省すべきだ。

しかしそこはあくまで「あるがままに」行なうべきであって、
テレビや新聞のありきたりの記事のような「紋切り型評論」はすべきではないと思う。

市民や県民、そして国民一人一人が
今回の「オリンピックという一つの出来事」を通じて
なにを感じ、なにを考えたのか、
自分の頭で考え、感じる、
至極まっとうなことが言わば今回の「オリンピック」を機会に
できるとしたらこんな良いことはない。

施設の負担や経済的な影響だけにとどまらず
環境問題、ボランティアのことなんかも含めて
ひとり一人が自分の足元を見つめなおす、、、、
健全な市民社会を作っていくにはまたとないチャンスでもあることを
わすれてはならないと思う。



1998.2.27

おっと、これだけは言っておく必要もあると思う。

国際化の時代だのグローバルだのという時代であることは誰も否定しない
情報なんかは海外から黙っていても充分に入ってくる。
とめることはできない。

じゃ、なんでもかんでも無制限に入ってきていいのか。
国には独自の歴史や民族的な感性や価値観がある
それはその国の人々が時に汗を流し、ときには血まで流して
命までもかけて作り上げてきたものだ。
そういった文化や文明やあるいは「国境」というものは
いくら情報化時代だからといってそうそうなくなるものではない。
これはそう簡単には崩せない。崩すことは出来ない。

今回のオリンピックでは「薬物使用」をめぐる問題があった。
あくまで日本の国のなかで疑惑となった話しだ。
いくらオリンピックでの話しとはいえ無視したりほって置いていい話しではない。

幸にも今回は日本に持ち込みはなかったとされ、本国での使用だったとされたが
参加者全員が遵守している一定基準の「ドーピング検査」にひっかかったのは事実だ。
むしろそこまで言うのだったら「わが国の選手はドーピングで引っかかる可能性が
あるし、そもそもそういうことを認めている国なので事前に協議したい」
くらいのことはいうべきだろう。
持ち込んだりすることは厳禁であることを選手に知らせるのは当然としても、
事前に「管理」出来なかったこと自身も問題だと思う。

国際化、情報化の時代だからこそ、あらためて隣人との付き合いかた、
国境を超えた隣の国との付き合いかたに新たな「ルール」が必要なのは
言うまでもないことだと思う。



1998.2.28

本日付け(28日)の毎日新聞には「街づくり」についての
特集がくまれている。

まちづくりプランナーという肩書きの萩原茂裕さんという方が
経営コンサルタントの傍らそういったまちづくりに関連して
全国をとびまわったり「ふるさと塾」という仲間づくりを
してるのだそうだ。

このなかでそのとおりだと思う意見がある。

「自分の住む街を好きになってもらう努力をする。」
「足元の材料、資源を「カルチャーする」こと。」
「地元をしることからはじめなければならない。」
「まちづくりは人づくり」

その通りだと思う。

どこかに「まちづくりに成功した街」があって
そのまま自分の街にもちこんでくればいいような、
誰かに頼んで「まちづくり」ができるような
話しがいたるところから聞こえてくるが
そんなことがうまくいくはずがない。
製造業も、産業も、「国」も同じこと。

足元を見つめる、自分の街や国を理解する、
これがまずやらなくちゃいけない第一歩だと思う。



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