今日のコラム・バックナンバー(1997年11月分)


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今月のバックナンバーから
掲載は日付順になっています。


1997.11.1

ロボット展に並んで行われていたものが「新素材展」だった。

考えてみると普段はあまり素材そのものは目に入らない。
ものそのものは当たり前だが目の前にあるのに
表面の形や処理がされているから素材そのものにはなかなか注意が向かない。

そんな素材のなかで今回は
カーボンファイバーやハニカム等
強度が高く、重量が軽い、構造用素材がいろいろ見られた。
特に面白いと思ったのはカーボンファイバーの応用で、
今ではゴルフクラブのシャフトから釣竿、飛行機の構造材
建物の補強材にまでつかわれはじめている。
コストを低減させる方法を考えることができれば
今後ももっといろいろな応用が考えられていくだろう。

他にも正直言って新しい素材などはもっとあるのだろうけれど
あまり見かけなかった。
プラスティックの形状記憶素材、などというのもみることができたが
あまり人目にもついていないようだった。

結局こういうものって「応用利用」を考える力やアイディアというか、
が必要で、どこかできっと「あっ」というようなものを
そのうちに考えだすこともあるだろう。
で、その「どこか」というのは結局素材そのものを作ったところではなくて
まちのものづくりやっている人や普通の生活をしている人たちなのだろうと
思うのだ。



1997.11.2

今回の展示会のなかでやはり面白いと思ったのはなんといっても
「中小企業テクノフェア」だった。

全国から特徴的な技術や製品を持ちよった中小企業、グループが
何百社と集まる。

東京ビックサイトの東館のうちの半分(六棟のうち三棟)を小さなブースで
埋め尽くしたと言えばわかるだろうか。

出展している企業も多伎にわたる。
企業規模もひとりでやっているところから何百人のところまで
(さすがに大手は来ていない)
その地方でおみやげもののようなものを造っているところもあれば
モーターの制御技術だけに特化して開発しているところもある。
もちろん「普通」の機械加工屋さんもいて
自信を持って加工技術をピーアールしている。




1997.11.3

「主張」の仕方も様々だ。
カタログを置いて様々なディスプレーをほどこし
何人もの営業マンが説明に懸命になっているところもあれば
簡単な技術説明をコピーして壁に貼っているだけで
当人は所在なげに通行する人に目線を向けているところ、
村のお祭りよろしく、テキヤのように製品を売り込んでいるところもある。
いや、なかなか面白い!!

よく見ると、結構難しい技術を持っているところも結構あって
そんなところに限って目立ったディスプレーなんかしてなくて
来ている人も技術者なのだろうか、慣れてはいないようだ。
説明ももどかしいが、でも目だけは結構きらきらしていて、
こちらが「そんなに説明していただいて悪いですねえ」と思ってしまうくらい。

一方「テキヤ」のようなおじさんたちもやる気は負けていない。
なるほどと思わず買いたくなるような「口上」を繰り返し
通りがかる人たちに聞かせる。

きっとこのなかにも将来の大きな可能性を持つ技術や商品などがあるのだろう。




1997.11.4

あれだけの企業が参加していると正直よく話しを聞きながら
なおかつ全部のブースを見ることは難しい。
しかしあれだけの企業と技術が一同に会すというのもあのイベントくらいなのだ。
すごく「もったいない」と思う。なんとかならないものか。
時間が迫ってきて会場をあとにしなくてはならないときは
後ろ髪を引かれる思いだった。

それと、せっかくの展示なのだからもっと会場の説明をわかりやすくして
望む技術や製品を持つ企業へすぐ行けるようにするとか
技術別のブースの並べかたにするとかなんとかいろいろ考えた方が良い。

また、それなりにその企業の特徴があの展示や説明のやり方に現われているとも
思うし一生懸命なこともわかるのだけれど
せっかくなのだから出展企業の皆さんに最低限のディスプレーの方法を
レクチャーするべきだと思う。
レクチャーが無理だったらそれなりの専門屋さんに取りあえず
目につくディスプレーを頼めるようにするとか、、、

別にディスプレーなんてしなくていいや、という企業ももちろんあっていいし
むしろ期間を通じてわかってくれる企業なり人がひとりでもいいから
いてくれて「出会えれば」いいという人もいるだろう。
むしろそういうところが多いかもしれない。

でも、少なくとも企業名等が書かれた看板にどんな企業なのか説明したディスプレーを
いっしょに書くとか、くらいは必要だと思う。





1997.11.5

良い展示会なのだからもっと宣伝すべきだと思う。
もしかしてあの展示会のなかから明日の日本を背負っていく企業や技術
がでてくるかもしれないのだ。

大手企業の開発や資材の人たちも行ってみたらいい。

各地方の製造業に関係した「公」の人たちもぜひいくべきだ。

「力のない中小企業の寄り合い所帯の展示会」なんて考えていたら
大きな間違い。
明日の日本のものづくりを支えるパワーがあそこにはある。

まだ見に来る人もそんなに多くはない日もあったようだけれど
そんなこと気にしないで毎年どんどんやればいいと思う。

もちろん中小企業の人たちも「仲間」としてぜひ見に行きましょう。
「おおー」と思うようなものがでている可能性は結構高い。
「出会い」もあります。
なにより、ほんとに元気になります。





1997.11.6

最近、寝酒にビールを飲んでいて
ビールビンの色が以前と異なっていることに気がついた。

気のせいかとも思ったのだがやっぱり色が変わっている。
表面に何らかのコーティングがされているようで
見慣れた茶色のガラスの色ではないのだ。

で、先日ようやく訳がわかった。
某メーカーが今年の三月から流通させた「計量ビン」だったのだ。

何でも重さが475グラムになって以前より2割程計量化されているのだという。
ガラス表面に酸化スズをコーティングすることによって
軽量化と、逆に強度アップを可能にしたのだという。

これによって輸送等の時に生じる排ガスや二酸化炭素の問題等
環境問題の解決にも前向きな影響があるのだという。
もちろん輸送コストにもメリットはある。

知らないうちにあのようなものが浸透してきていて意外だった。

考えてみると毎日日本中で輸送されているものの形ややり方の変化で
あとあとすごく社会に影響があるものって多い。




1997.11.7

先日の新聞に書かれていたことで。
なるほどなあ、ととても面白いと思ったことがある。

ミュージカル「ピーターパン」の主演女優を選ぶのに
「ホリプロ」が「セブンイレブン」と組んで
コンビニエンスストア利用者に選んでもらうシステムを
導入するというのだ。

普通はものを売るための「店舗」として機能するのが当たり前だし
ずっと以前からは「保険」や「お金のやりとり」に
機能することは当たり前にもなってきていたけれど
なるほど、そんな情報を取得するための「端末」としての
機能まで持つようになったのかと妙に納得してしまった。

あのようなコンビニエンスストアの持つ情報集積、解析の
システムというのはとても機能的にできているというのは
有名だったが、

新しい仕組み、枠組みへの仕切り直しとでも言ったらいいのだろうか
今後はもしかしてもっと「気がついてもいない」ような
新しい「機能」がコンビニエンスストアの「システム」のなかに
でてくるのかもしれない。




1997.11.8

東京ビックサイトで行われた「自転車展」に行ってきた。
日頃は見慣れないいろんな部品メーカーや完成車メーカーが
たくさん、国内はもとより欧米やアジアからたくさん
出展していて、もともと好きな業界?だから
時間の立つのも忘れて一日中見ていた。

主な展示として目立つのはやはり最近はやりの
「電動アシスト自転車」と「マウンテンバイク」だ。

特に「電動アシスト自転車」は主な「家電メーカー」が大体出そろってきた。
「家電メーカー」というところが味噌で、けっして自転車メーカーが独占的に
だしているわけではないところが面白い。

一方の国内自転車メーカーは大体は「マウンテンバイク」などに力が入っている。

結局「普通」の買い物用自転車はよほど付加価値の高い商品でもない限り
メーカーを問わず東南アジアで作られてきていて
事実そういった用途の部品供給メーカーとしては台湾あたりが
とても力が入っていた。





1997.11.9

「マウンテンバイク」にしても実際のフレームなどは
アメリカのベンチャーが造り始めたのが多い。
アメリカには複合新素材など航空機産業から派生した技術が豊富だから
その関係で自転車やカヌーなどの新しい「レジャー用品」などの
製造ができる人的、資源的、技術的な要素があるのだ。
これだけは本当にうらやましい。

ただし部品は国産メーカーが非常に有名で供給量では圧倒的に多い。
「マウンテンバイク」そのものをメジャーに仕立てた「仕掛け」も
そんな国産メーカーの「仕掛け」だと聞いた。
ほんとだとすれば国産メーカーもなかなかのものではある。

但し残念なことに「マウンテンバイク」のデザインはすでに
限界に近づいていると思える。
正直いってアメリカのベンチャーあたりが造っているからといって
皆同じようなデザインではある。

もともとあれだけの大きさに形を表現するのだし構成する要素も
そんなにあるわけでもないからみな似通ったものになってしまうのも
しかたないのかもしれない。
形は自転車が生まれた時から今に至るまであまり変わっていないのだ。



1997.11.10

最近は電気アシスト自転車がはやりだ。
今回の「自転車展」も前述のように各家電メーカーから
電気アシスト自転車がほぼ出そろっていた。
いやもう、「はやり」とかではなくて新しい自転車のジャンルを
確実に作りつつあると思える。
で、せっかくの「電気自転車」ができたのだからこれに新しい自転車の
デザインや機能をもっと付加することを考えた方がいいと思った。
今は、まだまだ自転車にアシストの機能を付加することにとらわれていて
中途半端なデザインの自転車そのものでしかない。

もしかしたら50ccの原動機付き自転車の範疇と非常に近い部分があるのだから
今後はそのあたりとの境めの開発が焦点になるのかもしれない。
もちろん規制緩和も重要な要素になるのだが、せっかくなのだから
そんな規制緩和もいっしょにやってしまうくらいのアイディアをいっしょに
提案して新しい「乗り物」を考えてみたら良いと思う。




1997.11.11

今日の読売新聞に載っていた記事によれば、
日本全体の電話の通話量における携帯電話の占める割合が
一割を越したのだそうだ。

実際の数字は天文学的数字であまり言っても意味ないと思うけれど
一応総通話数は1091億回、これは前年に比べて15.4%増えている。
国民ひとりあたり一日三回弱電話をかけるということか。

携帯電話の利用が倍増、	登場してまだまもないPHSにいたっては
十倍近い伸びなんだそうで
これら携帯電話とPHSが全体の通話量に占める割合が10%を超えたのだそうだ。
結局携帯電話やPHSの伸びが全体の伸びを支えたということだ。

通常の通話だって下がっている訳ではなく7.8%の伸びを示している。
これは景気の状況にも大きく左右されるのだろうと思える。
まあ、思ったよりも伸びてはいる。意外ではある。

さてやはり注目は携帯電話とPHSの伸びだ。
これはやはり今後も大きな伸びが期待できるだろう。

機材が売れるということでも注目していて良いと思うけれど
むしろ通話量に占める割合が10%を超えたことで始るであろう
社会のシステムや社会そのものに及ぼす影響等に興味がある。
場所と場所をつなぐものでしかなかった「電話」から
人と人をつなぐ、言ってみれば本来情報があるべき「姿」にしたがって
方法論もあたり前のシステムになりつつある。
これはすごいことだ。
その利用率がいよいよ10%を超えていく、大きな変化がやってくるのも
近いと思う。


1997.11.12

今日は全く製造業とは関係のない話し、

今日「ひややっこ」をたべていた。
透明なパックに入って販売されている豆腐だが
醤油をかけていざたべようとしたら
メーカーの名前が奴の上に小さくうきでているので驚いた。
パックの状態がレリーフのようになっているから
奴の上に転写されるのだけれど
メーカーは知っていてやっているのかわからないけれど
醤油をかけるとメーカー名が浮き出して見えるのだ。

これは良いアイディアだと思った。

ファックスや電話だって
情報が流れてくる前後に「バナー広告」が流れてくるとか
で、それを受け取ったら電話代が安くなるとか、、、
いろいろ考えられる。そういうものって結構ある、面白い。




1997.11.13

昨日の続き
よくみると既存の物流やサービスや単なる「商品」にだって
なんでこんなこと考えないのだろうと思うようなことがいくつもある。

以前も書いたことだけれど
家庭でネット化されているものって電話やFAXだけだとおもったら
大間違いで、もちろん今後は家電もネット化されるのだけれど
そういう「電気のネットワーク」以外にも「人間のネットワーク」だって
「その他のネットワーク」だっていっぱいあるのだ。

保険のおばさんがくるのだってそうだし
新聞配達だって牛乳配達だってそうだ。
宅配便もそうだし、郵便局だってそうだ。
考えてみると水道やガスだって立派にネットワーク化されている。

今後重要なのはこういうネットワークが複合的になっていくのではないかという
ことだ。なにもテレビとインターネットの複合の話しだけではない。

保険、新聞配達、牛乳配達、郵便局、宅配便がいっしょになって変と
いうこともないだろうし、もしかして水道とガスがいっしょに供給できる
ということだって考えられないことでもないだろう。

少なくとも何かの媒体に「広告」を載せるくらいのことは簡単にできるのでは
ないかと思う。



1997.11.14

高級自動車メーカーのロールスロイス社の買収をめぐってし烈な競争が
くりひろげられているのだそうだ

なんでも「BMW」が買収に動いているのかと思えば
イギリスの自動車部品メーカーのメイフラワー社が名乗り出て
今度は最初そんなことは言っていなかった「VW」や
「ベンツ」や「GM」や「フォード」までもが動いているんだそうな。

確かにロールスロイス社といえば高級自動車のブランドイメージとしては
最高だから自動車メーカーが触手をのばすことは当然といえば当然ではある。

買収したいであろうどこもそうそうたるメーカーなんだから
単なる自動車として見たロールスロイスの車くらいのものは
簡単にできるだろうが
いくら金かけてもブランドイメージだけはそうは簡単に造れるものではない。
これだけは今後100年かけて自社のイメージを作り上げていくのが
いやだったらその会社を買ってしまうのが一番てっとり早い。

それにしても日本の自動車メーカーが名乗りでていないのは幸いだと思う。

日本のメーカーは環境に対する負荷を考慮した
車そのものや生産システムを世界に先駆けて懸命にやっていくべきで
100年後のロールスロイスを目指すべきだという話しはこんどゆっくり。



1997.11.15

昨日のロールスロイス買収の話しの中にあった
「BMW」と「メイフラワー」が買収をかけているという話しだけれど
何でも「BMW」が開発中のロールスロイス向け新型エンジンの開発を止めるという
「牽制」で「メイフラワー」は買収を取り下げたのだという。
なにやら複雑な話しではある。「牽制」もあって当然だ。

が、ここまでは企業間の話しであって当然といえば当然の話し。

今度は日本の話し、
例のオリンピックの滑降競技のスタート地点引き上げの話し。

NAOCが話しを聞き入れないならば「競技役員を引き上げる」とか
いろんな「牽制」がいろんな団体から出てきているそうな。

これはやめてもらいたい。

確かに今、もめているうらにはいろいろな事情はあるのだろう。
だけど基本的な本質論でも議論はしっかりとすべきだ。
そこになかば脅しのように「役員をひきあげる」とかの話しは問題の本質を曇らせる。
絶対にそういうレベルの低い話しはすべきではない。
自分のレベルのスタート地点の低さを露呈するようなものだ。

ちなみに筆者にもこの件に関する考えはある、
それぞれの言うことにも一理あると思う。
そういったことを正々堂々と論陣をはって本質に迫る。
それなくして単なる目の先の問題の解決だとそういったことをやったら
これではなんにもならない。むしろ問題の本質を見えなくすると考えるべきだ。




1997.11.16

計算機メーカーの作った「腕時計」がそれまでの「老舗メーカー」を抜いて
日本一の売り上げを達成したんだそうだ。
時代も変わったものだとつくづく思う。

時を知る道具だというのが今迄の腕時計の一番の役目だと思っていたが
どうやら今はそうではないらしい。

もちろん時を知る道具としての役割はなくならない、とは思う。
だけどそれは腕時計としての基本をかろうじて保っているだけの話しであって
今はすでに若者の「ファッション」の一部に間違いなくなっている。
時を知る道具という役目はその時計という商品を構成している
「時計自身の自負」に過ぎないとでもいったらいいのだろうか。

実際には今わかものが持つ「携帯電話」などに時計の機能はついているし
町中にも時計はいっぱいあるから腕時計を持っていなくても困ることはまずない。

むしろファッションで考えるのならば好きなウェアに合わせられる
いろんな好みの腕時計や時計やその他の商品があったほうがいい。
単なる「腕輪」だって良いのだからファッション性の欠けた商品は
時を知る道具としての役割しかないわけで時を知る方法が他にでてきたら
腕時計はいらなくなる。
実は筆者も最近は腕時計をしなくなった。携帯電話の時計機能で充分だからだ
マジンガーゼットでもないのに体中にメカをいっぱい取り付けているなんてぞっとする。





1997.11.17

腕時計も昔は「懐中時計」だった。
腕に付けるようになったのはいつのころからなのだろう。

最初に腕に巻き付けた人は違和感はかんじたのだろうか。

まあ、腕輪のような「装飾品」はもっと昔から腕をはじめとして
いろんなところについていたのだから
腕輪が腕時計になったくらいではあまり違和感もなかったのかもしれない。

さてこうやって考えてみると腕時計はまあ今後も腕につくだろうことは
続くとして、携帯電話が果たしていつまで今のような「携帯」でいるのか。

頭に帽子のようにかぶることだっておかしくはないのかもしれないし
ペンダントのようにぶら下げることだって考えられる。
もっと考えられるのは腕時計とのハイブリッドだろう。
今だって携帯電話そのものをバンドで腕に括り付ければ立派に
「腕時計」になるのだもの。

「腕時計」型「携帯電話」付き「パーソナル携帯端末コンピューター」
いきつくところはそんなところか。






1997.11.18

最近「携帯電話」の影で目立たないけれど
すごいなと思うのがカーナビの高機能化だろう。
すでに機能としてはカーナビというよりも
生活全般に使えるナビゲーターとでも言っていいものになっている。

基本的に車に載せて使うことを前提にしているから
「カーナビ」なのだろうけれど
もっとパーソナルになればライフナビゲーターだ。

いままで「電話」が場所と場所をつなぐものだったのに
「携帯電話」は人と人を結ぶという本来的なものになって
来ているのは明らかだ。
「カーナビ」もそれに近いものにいずれなっていくだろうと思う。

いままでは車で移動するという前提があるから「カーナビ」だったけれど
もっと小型化して自分の「移動」も含めて
あるいはもっと違った情報もそこから個人的に得られるようになったら、、
、、で、そこにのせることのできる「複合的コンテンツ」も
きっといろいろ考えられるだろうと思う。




1997.11.19

最近の「カーナビ」ではコンビニの店をはじめとしていろんなお店、
地域の情報などまでもが得られるようになっているらしい。
今はまだGPSを利用して場所を知ることとか
VICSとの連動で情報が入ってくるとか
限られた情報源が接続できるに過ぎないが
これがもっと進化していって
立て横、縦横無尽に情報が交錯することが可能になったり
あるいは今後はもっと簡単にカスタマイズされていく方法もできてきて
様々な個人や企業用に使える「インフラ」になっていく可能性があると思う。
いくつかの自動車メーカーのカーナビはそれに近い「パーソナル」な情報まで
載せようとしているようだけれど
企業、業界用としてもあっと「驚くような方法に使える」可能性が高いと思う。
そういう「複合的コンテンツ」を作る企業も
今後たくさんできてくることだろうと思う。




1997.11.20

アイドリングストップってわかるだろうか。
アイドリングストップとは
「停車中の車のエンジンは止めましょう」という「運動」だ。

車から排出される排気ガスは停車中も当たり前に出る。
少なくともアイドリング状態の車もエンジンを止めさえすれば
その分排出される排気ガスも削減できるだろうということだ。

あえて「運動」と書いたのには訳がある。
正直アイドリング状態の車もエンジンを止めたからといって
排気ガスがどの程度削減できるのか。
よく考えてみると、自動車を動かしている時間の中で
アイドリング状態にある時間がどの程度なのか、悲観的にならざるを得ない。
まして回転数を加味すればアイドリング状態での排出ガスの量は
総量の中の相当小さい部分であることは容易に想像できる。

で、最近マスコミの中でもこのアイドリングストップについて
いろいろな解釈が生まれてきている。
「自己満足」に過ぎない、とか、いやこれは一つの運動なのだ、とか、
筆者も最近「臨機応変なアイドリングストップ」を始めた。
一分以上の長い交通規制のところではこれはたしかに有効かもと思う反面
赤信号くらいでエンジンを止めても実際の「効用」はないだろうなと思える。
今、どんな風に考えるべきか考えようと思っている。




1997.11.21

いずれにしろ排気ガスやCO2は削減していかなくては
ならないことはあきらかなのだが
いまのままではなかなか削減に向かって弾みが付かないこともたしかだ。

確かに国等の「法規制」なども必要だと思う。
それも「絶対値」に向かってと「方向」を定めたものと
両方が必要だと思う。

同時にたぶん一番必要なのが、カッコよく言えば
ひとりひとりの問題意識であるのはまず間違いないと思う。

だが一番たいへんなのもこのひとりひとりが問題意識がもてるかどうか、
ということだと思う。

確かに「アイドリングストップ」をやったからと言って
排気ガスやCO2が劇的に削減できるというものでもないだろうう。
ヒステリックな削減運動もむしろ問題になることにもなる可能性もあるだろうが
ここはやはり「臨機応変にアイドリングストップ」をやってみることも重要
ではないかと思っている。

いままで聞こえていたエンジン音が消えたらそれなりにインパクトもあるだろうし
「そんなのは自己満足だ」という意見も出てくるかもしれないが
その時は、じゃ、あなたは未来に向かってなにをしますか?と聞けば良い。
運動が始るということはそういうことだと思う。
始めなければ始らないのだ。



1997.11.22

排気ガスやCO2の問題もそうだけれど
いままでの製造業の向かうところはは「大量生産、大量消費」を前提に考えられ
進められてきたことは誰から見ても明らかだった。
もちろんすべてではなく「ものづくり」にはいろんな形態もあるし
一品生産や手作りの品物や芸術品だってある訳だから
すべてが「大量生産、大量消費」を前提にしていたわけではないけれど
ものづくりを支える基本的な「部分」というのは
「大量生産、大量消費」を前提にできていることはよくみるとわかると思う。

生活の上で消費する目の前の商品やそれらを輸送する仕組みや
その他いろいろはみんな大量に作られ消費されることを前提にしている。

各家庭で作る食事だって大部分が大量に輸入され加工されて食卓に現れるのもそうだ。
よく見れば決して個別に作っているわけではない。
エネルギーだってどこかでまとめて作って供給しているわけで
決して個別に作っているわけではない。
その方が効率的で大量生産に向くという理由で。
くどい言い方になってしまったけれど
社会全体のシステムがそういう形になっていることを
まずはよく理解というか頭の中に押し込んでおく必要があると思う。

で、最近、こういった「大量生産、大量消費」に対する「反省」が
漠然とした感覚や反省だけでなくてちゃんと最近のいろいろな事象を捉え、踏まえた
ある方向が生まれてきつつあることに少しづつ皆が気がつき始めたようにも思う。





1997.11.23

いままで「公害」問題とか「排気ガス」とか「住宅環境」だとか
およそ今のものを作ることから生まれたであろう様々な問題の前には
そもそも人間の生活を豊かにしようとした当たり前の欲望と
それに対する人々の真摯な試みがあったはずだ。

だがきっと人間が動物のようだった原始の昔から
人と人が結びつき家族を作り、社会を作り、産業を、 文明を作るに至った
今にいたるまで、
意識的に持続可能な社会システムを作ろうという試みはなかったように思う。
もちろんその時代時代におけるシステムに対する反作用はあって
今にいたってもその様なものはあると思う。
また、誰だって「持続可能な社会システム」を望んではいるはずだ。
だけど基本的には社会システムはもともと
持続可能なのだという楽観的な「思い込み」のもとで
それぞれの企業や個人に任されて自由にものが作られることがゆるされてきた。
しかし一つの企業や産業が社会や自然に及ぼすことのできる「レート」が
あまりに巨大になったいま、このままでは持続は不可能だということが
皆なんとなくわかってきている。

そういったことを背景にしておよそ人間としてものを作るようになってから
その根源的なものに対する意識的な問いはようやく最近になって
生まれて来ているようにも思う。





1997.11.24

昨晩、NHKスペシャル「廃棄パソコンがあふれ出す」をやっていた。

毎年750万台のコンピューターが生産されている一方で
何らかの形でリサイクルにまわされたり再生産に貢献すことのできるパソコンは
ごくごく僅かなのだ。
で、大部分のパソコンは生産されてまだ2年程しかたっていないのにかかわらず
つぶされてゴミ、産業廃棄物とされて大量に廃棄されていく。
全く世紀末的な「絵」だと思った。

但し
一昨日のこの場でも「大量生産、大量消費」を反省するべきときがきたと書いたし
昨日のテレビを見れば「大量生産、大量消費」が悪いことのようであるのは皆が思う
ことだと思う。

しかし
「大量生産、大量消費」が決して一方的に否定されるものであるとも思わない。
「大量生産、大量消費」というのも必要な時代や場所もあるわけで
今後も必要である部分ももちろんある。

あえて言えば環境破壊や大量廃棄につながる様な
「大量生産、大量消費」は許される時代ではないということだ。
だからもしそれさえクリアできれば「大量生産、大量消費」だって
あっていいのだと思う。
残念なことに現状では「大量生産、大量消費」は即、環境破壊や大量廃棄に
つながっていることが問題なのではないだろうか。





1997.11.25

環境破壊や大量廃棄にならずに生産したものの大部分がリサイクルにまわされたり
何らかの形で次のものづくりに生きて行けば、そういう方法ができれば
いくらでも「大量生産、大量消費」は可能だと思える。
たとえその製品の「寿命」が普通に考えて短くてもそれがちゃんと
リサイクルされて、あるいはライフサイクルとしてちゃんと
管理されていればどんどん新しいものを作り消費することは間違ったことでは
ないように思う。

国産自動車がドイツやスウェーデンのメーカーが作る様な車に比べて
寿命が短いとか、長く乗るようにするべきだとか
そういうデザインにすべきだとか最近、よく言われる。
でも本当にそうだろうか。

もちろん現状では技術的に見ても社会システムとしていろいろな側面を見ても
困難な面が多いことはわかる。

でももし、どんどん「作って」、どんどん「捨てて」もしっかりライフサイクルを
マネージメントできてリサイクルできていて廃棄物が出なければ
そんなものづくりと消費形態も可能だと思う。

そんなことができるのかという話しにもなるのだろうけれど
先日ある話しを聞いてなるほどと思った。




1997.11.26

先日、東大大学院工学系研究科の木村文彦教授の講演を聞く機会があった。

「21世紀の工場−産業構造変革への対応を考える」

   地球規模で進展する分散生産のなかで地域的特徴を生かした工場を
   構築し情報技術支援による仮想生産や地球環境にやさしいものづくり
   の取り組み、効率生産による社会基盤の強化と、ものづくりの喜び
   を大事にする生きがい工場との並立をはかる、など
   工場を取り巻く生産形態の変化と問題点を掘り下げ21世紀の工場が
   とりうる形態を展望する。

というような内容で全体にはとても示唆に富む内容であり
とても一言では書き表すような内容ではないのだけれど
この中で特に筆者としてなるほどと興味深く思う話しがあった。
それは
「インバースマニュファクチャリング」
「逆工場」
という言葉にあらわされる内容だった。

「インバースマニュファクチャリング」?「逆工場」?なんだこりゃ。



1997.11.27

何年か前から「コンカレントエンジニアリング」とか「BPR」とか
ものを作る「仕組み」のイノベーションが盛んに喧伝されるようになった。
内容は異なるが「アトリエエンジニアリング」「エコファクトリー」「リサイクル」
とかいうことばも同じ頃言われてきたようにも記憶している。

それにしても「インバースマニュファクチャリング」「逆工場」「逆生産」
というのは初めて聞く言葉だ。


「エコファクトリー」とか「リサイクル」というとどうしても生産という
「創造的行為」に対するイメージとは逆のイメージにとらわれてしまう。
よくよく考えて見て欲しい、「リサイクル」と言われて想像するものといったら
「廃棄物処理」とか「ゴミ処理」とか「廃材」とか「廃材利用」あるいは
「バージン材料に対する再処理材料」のようなイメージを皆持っていると思う。
生産という華々しい行為に対し「暗い」「汚れた」「3K産業」の代表のように
思われているような「業界」だ。

確かに現状では大量生産、大量消費によって生まれた大量の廃棄物の処理が
すべてこの最終処理の局面に集中してきていていることは事実だ。
冷静に考えてみたらこんな状況が「永遠」に続くとは誰も信じてはいない。
資源が有限である限りはこの一方的な資源の浪費が続く訳はない。

決して「エコファクトリー」「リサイクル」がそういういびつになってしまった
結果をのみ処理するための概念ではないことはもちろんなのだが
残念なことにそういうイメージになってしまっていることは否めないと思う。





1997.11.28

「インバースマニュファクチャリング」「逆工場」「逆生産」も
「エコファクトリー」や「リサイクル」などと
”ほぼ”同じような局面をあらわす概念だと言ってもいい。

だが先日の講演会のなかで聞いた「インバースマニュファクチャリング」「逆工場」
「逆生産」の説明から得られたものは少しそれとは異なるものも含まれていた。

生産から消費に至る「流れ」のなかで、今、当たり前に行われていることは
「上流」で作りたいものを勝手に作って消費したい人がすき勝手に消費して
最後に「リサイクル」という「ごみ処理」「廃棄物処理」いわゆる「下流」に
しわ寄せが行く、そういう、「いびつで無責任」なシステムだ。
だが昨日も書いたように本来は「生産から消費に至る「流れ」」ではなくて
「生産から消費、そしてまた再生産に至る「循環」」でなければならないはずだと思う。
ここで決定的に異なるのは 製品や商品、などのライフサイクルをトータルに
マネージメントしようという考え方があるかどうかだ。
講演会では、今後は生産から消費、そして再生産をトータルでマネージメントする
「ライフサイクルマネージメント」という考えがとても重要になるとの示唆があった。

設計、開発などの上流段階からリサイクル、再生産を考慮した設計やものづくりを
すすめることが必要になる。
「インバースマニュファクチャリング」とはそれらの一連の循環の中にきちっと
位置付けた考え方だと言っていいと思う。





1997.11.29

生産から消費、そしてまた再び生産までの循環をトータルでマネージメントする
「ライフサイクルマネージメント」が重要になる。
同時にその中においては「インバースマニュファクチャリング」が
単なるリサイクルという意味ではなくにそれらの「循環」を可能にする
技術としてもっとトータルな意味で必要となる、ということだと理解した。

だがそこまで考えてきて思うことがある。
一つ一つの企業が独立してやっている経済システムで、企業の壁を乗り越えて
設計、開発などの上流段階からリサイクル、再生産を考慮した設計やものづくりを
すすめることがいったい可能になるのか、
ライフサイクルをトータルにマネージメントしようという考え方が
独立した異なる企業間の中で共通の認識として持つことが可能になるのか。

先日のNHKスペシャル「廃棄パソコンがあふれ出す」でも
大手パソコンメーカーの技術者側と環境管理部門の担当者との間で
そのあたりの「せめぎあい」が放映されていた。

同じメーカーのなかでさえこうなのだから
異なったメーカーや企業間、ましてタテの企業関係の中でそういったことが可能
になるのか、いぶかる人がいても不思議ではない。





1997.11.30

木村先生はこの関係を作り上げることができる可能性の一つとして
「仮想生産システム」を上げられた。

「仮想生産システム」「バーチャルコーポレーション」「バーチャルファクトリー」
これらは最近夢想的に様々な機会に語られるようになった。
様々なインターネット関連やコンピューターネットワークの可能性を扱った
書籍にも登場する。

そういっている我々インダストリーウェブも全国のものづくりを
行なっている様々な企業の皆さんと交流を進めるなかで
この「仮想生産システム」がいずれ現実のものになるのではないかと
考えている。

「仮想生産システム」といってもそんなに突飛でおかしなものではない。

少し話しが外れるけれど、、、
今、全国の異業種交流会などでインターネットやコンピューターネットワークを
使った共同受注や製品開発などがまだまだ端緒的ではあるがはじまりつつある。
また、大手企業のなかでもイントラネットの中に特定の企業グループを形成する
「エクストラネットシステム」の構築が始っている。
これらはまだまだ試みの段階でありこれから様々な試行が行われるのだろうが
この中で行われるであろういろいろな可能性は非常に興味深いものだ。
もちろんこれらのシステムが今様の「インターネット」や「情報技術」であるからこそ
できること、であるのはもちろんなのだけれど、結局この中でうまれつつあるのは
製造業に携わるもの同士の「横のつながり」や「ものづくりを通しての連携」や
もっと言うならば「ものづくりコミュニティー」だ。

我々が今後日本の中小企業間や異なる企業の間で起きてくるだろうと
予想する企業間連携も荒唐無稽なイメージの「仮想生産システム」ではない
いままでつながることがありえなかった様々な企業や技術や製品や主張が
情報技術で自由にまとまったり離れたり、離散集合を繰り返す、
そんなもっと有機的で人間によって作られていくイメージだ。
要するに「仮想生産システム」は情報技術によって結ばれた
「ものづくりコミュニティー」と言っていいのかもしれない。





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