今日のコラム・バックナンバー(1997年8月分)


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今月のバックナンバーから
掲載は日付順になっています。


1997.8.1

ネットワークコンピューターならぬネットワーク湯沸かしポットの話し
の続き
せっかくだから某社で作っているような指で計る血圧計とか
非常用ボタンをネットワーク湯沸かしポットにつけるなんて
(キーボードだってディスプレーだって付いちゃたりして)
造作もないことだろうからそんなものにしていけばいいのじゃないかと
思ったりもしたのだけれどそれをやったら「重い端末」になってしまって
せっかくの「湯沸かしポット」を端末化するというアイディアがスポイル
されてしまう。

なんだか良く似た話しがあるなあと思ったら
マイクロソフトとサンのネットワーク端末の話しによく似ていた。
まあ、本当にこのまま行けば「ネットワーク湯沸かしポット」も知能化して
いくのだろうからその時は「沸かしポット」なんだからやっぱり「JAVA」
だろうなんて話しは冗談として、、

話しをもどすけれど、
以前ここに書いただろうか、放送大学教授の森谷正規先生の著作の中に
「マルチネット情報化」という言葉が書かれていた。(どこかでも
あとから同じようなこといっているけれど)これがなかなか深いと思う。

「高度情報化とは、一人ひとりの持っている個別の情報へのニーズに的確に応える
ことであり、さらにその一人ひとりの要望に応じて、次々に情報内容を深めて
応えていくことである。」





1997.8.2

放送大学教授の森谷正規先生の著作が興味深いから
もう少し紹介したい。

「・・・インターネットが発展していくためには、やはりインタラクティブな活用
  が不可欠である。それは一人ひとりの求める深い情報を提供することであり、
  したがって・・個別のそれぞれ専門的な情報提供システムとなるはずである。
 ・・(具体的な例を引いて)・それらはみな、特定の層に向けたシステムであった。」

「ブームに追従するのでは、それを探し当てることはできない。日本型のマルチネット
 情報社会のありようの本質から考え起こして、インターネットの適正を正しく
 把握した上で、誰が、いかなる深い情報を求めているか、それをどのようなかたちで
 提供すれば受け入れられるのかを考え抜いて、利用の試みを始めていくことである。」
                 森谷正規著「マルチメディア・インターネット時代の情報活用」
                                         ソフトバンク1995年10月

まさに今「利用の試み」は始まっているのだと思う。

「ものづくり」への情報活用も勿論あっていい。
我々インダストリーウェブは「ものづくり」の一点をしっかりと見据え
「誰が」「誰のために」「何のために」「どんな情報を」
                                            「どうやって」「どうするのか」
        を常に考え抜きながら利用の試みを進めていこうと思う。







1997.8.3

今度詳しくレポートしますが
私たちのグループ「諏訪湖電走会」に良く似たグループで
やはりこの諏訪の地に「諏訪湖浪漫会」というグループがある。

実は50才から70才台のおじさんたち15人によって構成されるグループで
もともとは「飲み会」から始った会なのだが、(実は諏訪湖電走会も
  そうですが、、、)

このおじさんたちがなかなかエネルギッシュなおじさんたちで
「まちづくり」や「観光活性化」のために何と手作りで「人力車」を作って
しまった。

今日は皆が集まるスナックにいろんな人を集めて一杯飲みながらのお披露目である。
筆者も「諏訪湖電走会」として仲間と「お祝い」を持って駆けつけた。
思っていたより本当によくできていて電気自動車を作ってレースにでたものの
最近は成績低迷している「諏訪湖電走会」としては少し焦ってしまった!?
(いずれ載せるホームページにご期待ください。)

おじさんたちはこれを仲間うちの結婚式なんかに使ったり、いろいろイベントに
使おうと考えているようで、今後もいろいろと発展していくようである。
こんな中から「シルバーベンチャー」とでもいうような企業やグループができてきたら
本当に面白いと思う。
もう企業社会からはリタイヤしたと思っていたおじさんたちが自分達で企業を作ったり
して「若い衆」を「煽る」なんてとても愉快だ。

我々「諏訪湖電走会」も御手伝いしていこうと思っている。
いや「御手伝い」どころか煽られちゃうからせいぜいがんばらないといかんです!!






1997.8.4

元気なおじさんたちの話しがでたついでにもう一つ元気になる話しです。
知り合いの金属材料屋さんの社長なのだけれど
以前から金属に関する解説書を書きたいと思っていたとのことですが
ここでようやく望みをかなえて「鋼(ハガネ)のロマン」
という技術解説書を出版しました。三年半掛かりでの力作です。
非売品(社員教育用)ということですが内容的には素晴らしいものです。
全体に構成は
・鋼の歴史
・鋼の定義
・特殊鋼の製造法
・鋼の熱処理とその種類
・鋼の表面化改質法
などなど45項目170ページに及び鋼に関する重要な理論や
周辺の情報等多伎にわたって書かれています。

社長さんは「55才の手習いとして鋼の勉強をもう一度してみた。」と
謙遜してましたが、ご自分の仕事の一つの結節点として社会や産業界に
還元することができないだろうかという問題意識からこの本を書くことを
目標においたのでしょう。

月並な言い方だけれど「りっぱ」だと思います。社長!!よかったね。

尚、非売品(社員教育用)であり残部はあまりありませんが希望者があれば実費で
分けていただけるようです。
お問い合わせは
      長野県岡谷市長地2307−10
      (株)ダイエー特殊鋼    tel0266−28−4580
                         牛山康弘著「鋼のロマン」
もしくはインダストリーウェブ   industry@avisnet.or.jp   まで



1997.8.5

今日も仲間との打ち合わせである。
いつものレストランで迷惑をかえりみず、いや勿論食事もしてコーヒーも飲んで
店の人には嫌われないように気をつかいながらの会議である。

最近はモバイル環境も整ってきてノートパソコンに携帯電話をつなげて
レストランでネットサーフィンもできるようになった。
会議の状況によってその場から必要な情報にアクセスして皆で判断する、
そんなことがすでに充分可能だ。
もう一年以上も前の話しだけれどテレビ電話も使ったことがある。
これはさすがにNTTの場所を借りての「実験」だったけれど
もうすぐレストランでもテレビ電話もできるようにもなるだろう。

時間と場所を乗り越えて人と人が簡単に結びつく、コミュニケーションが
可能になる。
これは実際に生活や仕事に使ってみてようやく分かり始める感覚だと思う。
それはべつに「えらい」ことでも「りっぱ」なことでもないのだけれど
でもそれによって得られる「なにか」は確かにあるのだと思う。


さて、レストランにはできれば電源と電話線が各テーブルに
欲しいところではあるけれどまあこれはまだしかたないか。
いずれはきっと公的な場所にはそういう環境が整ってもくるのだろう。
楽しみである。




1997.8.6

まったく変な話しではあるのだろうけれど
例えばトイレットペーパーを一人の人間はどのくらい使うのかとか
一つの歯ブラシをどのくらいの期間使うのかとか
あるいは車の走行前のアイドリングの時間とか
そういうことって案外、自分の場合はこんなもんだろうと思っていても
「社会的平均」の場合とか「最良の場合」とかは案外知らないのではないかと思う。

社会的な行動の場合は他人がどうのこうのは分かるけれど
個人的な行動の場合は自分の場合が平均に比べてどんなものかは知らない場合が多い。
わざわざそれを情報共有することもないだろうから
他人の状況や社会の平均が自分に影響することもまずないし
こんなものだろうと思っている場合が多いと思う。

個々人の違いや家族単位の違い、等はちがっていて当たり前で
何もわざわざ統一する必要はないのだけれど
これが社会に対する影響が強い分野だったらどうだろう。
当然と思っていた範疇が全く世間的に見て「おかしい」ものだったら
「平均はこんなものです」できれば「これくらいが本当は良い」くらいの情報は
あってもいいのだろうと思う。
そんなことを強制するのもおかしいし、すべきことでもないと思うし、
平均がこうだからそれに倣うべきだなんて話しをするつもりもない。

でも人がこれほど個人として存在する世の中になったのだから
最低のそういう情報は必要なんじゃないか、と思った。  (続く)



1997.8.7

こういったことは「生活スタイル」ということだけでなく「商品」そのもの
ということでも言えると思う。
教育ということまでここでは踏み込むつもりもないけれど
「商品」や「製品」や「もの」などの社会や個人に及ぼす影響という観点からも
もっとそういう情報が本来は付属、公開されていていいのだと思う。

大体が商品についている情報は「使い方の説明」とか「商品のいわれ」とかで
そういう情報が付いている商品は「たばこ」と「洗剤」くらいなものだ。が
自動車の部品の再利用についてはプラスティック部品などの情報が
公開されつつあるとも聞いた。
今後はあらゆる商品や製品のそういった「もの」としての側面や
「社会的な側面」に関する情報の公開が必要になっていくのではないか、と思う。

「消費者の保護」とか「社会に対する企業の責任」とかということに話しが
発展すると難しい話しになってしまうけれど
よくよく考えてみるとこういった情報を企業が公開したりすることは本来は
至極当たり前の話しなのだと思う。

幸いにそういう情報の伝達の方法には最近は事欠かないからどんどんするべき
だろうと思うし、進んだ企業だったらインターネットのようなインタラクティブな
メディアをそういった使い方に考えて行くべきだろう。

まあ、個人の使うトイレットペーパーの長さの平均値を「情報公開」していく
のが社会的責務かどうかはちょっと?ハテナではあるけれど、、
でも良くよく考えたらそういう情報を創出できるのはインターネットくらいの
ものかもしれない。





1997.8.8

今日は当たり前のように「マイクロソフトとアップルの提携」についての話し
になるのだが、
新聞やテレビで何度もいっていることをここで繰り返してもしょうもない
のでちょっと違った見方を、、、

読売新聞と毎日新聞と日刊工業新聞は当然「マイクロソフトとアップルの提携」
は書き方の強弱はあるにしてもあくまでアップルがマイクロソフトの軍門に下った
という書き方。
ところが日経産業紙はどちらかというとアップルの創業者であるスティーブジョブスの
戦略であると見る。
正直いって前者の見方が一般的だろうからスティーブジョブスはさぞや内心
悔しがっているだろうというのが我々下々の観測だが、
もしも後者だとすれば彼は「してやったり」とほくそえんでいることになる。

どっちが本当のところだろうか。
これは今後何年かたってからでないとわからないことかもしれない。
どっちにしろ人間とコンピューターの密接な関係はまだ始ったばかりなのだ、
何年か後にそんなことがあったなあと思い出される日がいづれくるのだろう。

まあ、なにやらドロドロとしたことは忘れて
今日はテレビ番組の「白線流し」でも見てすがすがしい気持ちにでもなろっと、、。



1997.8.9

マイクロソフトが独占的な立場をつくりあげているということは衆目の一致
するところだ。
いろんな見方をしてもどうもこの体制は簡単にはくずれそうもない。

この体制が崩れるときはくるのだろうか?。
勿論ネットワーク時代がきたのだからとか
JAVAの時代になるのだからというような議論からそういう
見方もできるのだろうけれど
もっと違う見方からマイクロソフトの未来を予測出来ないだろうか。

常勝ということでは車好きな人ならF1の世界でも同じようなことがあることは
ご存知だと思う。

以前はマクラーレンというコンストラクターがホンダのエンジンと組んだりして
一時は独走態勢だった。
その後はウィリアムというコンストラクターに変わった。
その時その時には常勝チームにはどこにも盲点や落ち度はないように見える。
どうやって彼らを負かそうかを野次馬的に考えてもなかなか良い手は見つからない。
そりゃまあ敵チームでさえ懸命に勝つ方法を模索しているのだから
我々一ファン等が考えるレベルでは方法はそうあるものでもないのだろうけれど
でも、、、しかし、、、いつのまにか主役は交代しているのである
F1で言えば何年か前には常勝マクラーレンからいつのまにか
ウィリアムに変わっていたのだ。
(そのあたりはもう少し紆余曲折があったように思うけれど忘れた)

きっと何かこれを良く研究すれば常勝マイクロソフトの弱点が見えるかも
しれない。
マイクロソフトが好きか嫌いかは別としてこんなことを考えてみるのも面白い。




1997.8.10

マイクロソフトなどのその分野で常勝している企業に対して
勝てる企業が出てくるとしたらどんな企業なのだろう。

F1のカーレースを見ていても常勝チームの車を見習ってオーソドックスな車を
作って戦っても2位や3位にはなることはできても1位になることはまずない。
むしろ斬新なアイディアと戦法でとんでもないことを考えて
リスクを恐れずに戦ったチームのほうが「はまれば」勝てる可能性がある。
勿論下位チームがすぐに勝てるというわけではなくて
センスの良いオーソドックスな車を作って上位チームに仲間入りして
お金と人材を手に入れて「状況を見て勝負を賭ける」という定石が
あるようでもあるが、、、

きっとコンピューターの世界でも同じようなことは今後起きると思う。

少々乱暴に言えばマイクロソフトに勝てる企業というのは
マイクロソフトがやらないこと、やれないことをやれる企業ということだろう。
同じことをやっていても多分勝てはしないだろうし、
同じことだったら先に走っている企業の方がアドバンテージがあることは確かだ。
違うことをなにがなんでもやる企業は今後一杯出てくるだろうし
それは多分「勝てる」まで続けられるのだろう。
なんといってもマイクロソフトは一社だけれど
それに戦いを挑む企業は無限に登場するのだから、、。

マイクロソフトが勝ち続ける方法は一つあると思う。
マイクロソフト自身も「違うこと」を始めることだ。
但しこれは自分自身の否定にもつながるもだからとても難しい。




1997.8.11

探索射撃という「戦法」があるそうだ。
敵がどこにいるか分からぬ場合やたらに潜んでいそいうな所に盲滅法射撃する。
相手がおどろいて撃ちかえしてくれば敵の場所が分かる。

マイクロソフトが仮にもし市場を100パーセント独占してしまったら
逆に敵が見えなくなってしまう。
むしろ常に敵が何パーセントかいたり、自分の「探索射撃」にたいして常に
刃向かってくる「見える敵」が入た方が勝負はしやすい。

マイクロソフトもそういう意味で目前の敵があった方が戦法は立て易いだろう。
回りに敵らしきものがいなくなったらその方が恐い。
いつ何時全く予想しなかった新たな敵がどこか考えもしなかった方向から
突如登場しないとも限らないからだ。

こう考えると自らのうちに「敵」を作るというのが一番良い方法かもしれない。

勿論それ以外にも虎視耽々と新たな戦法と兵器を開発している敵は
生まれてきているのだろうけれど
自らのうちに最大の敵をつくることができれば危機感を高めやる気を高める
ということもできる。
但しこれは昨日も書いたように自分自身の否定にもなる。
自分の作り出したものに本体がやられてしまう可能性もおおいにある。
常勝するということはかくも難しいことだと思う。




1997.8.12

まだ新聞とかで言われていることで気になることが一つある。

「ものづくり」というのは「ハード」を作ることであり
「ソフト」を作ることはものを作るということではないというような論調が
いまだに多いことだ。
じゃあ「ソフト」あるいは「ゲーム」を作ったり「映画」を作ったりする
ことははたしてものづくりではないのだろうか。

国の基本は「ものづくり」、ものづくりをおろそかにした国は危うい、
ということは良く出される言葉ではある。
じゃあ「ソフト」あるいは「ゲーム」を作ったり「映画」を作ったりする
ことは国は危うくすることなのだろうか。

ここは「ものって何だろう」、「作るってどういうことだろう」ともう一度
考えなくてはいけないだろう。



1997.8.13

昨日の続き
「ものって何だろう」
正直いってコラムに書くことを下書き!!したのだが
ついにギブアップしてしまった。、、、
「ものって何だろう」がわからないのである。

確か猿が人間になるにはものを作るという労働が重要な役割を
果たしたというのはエンゲルスだったっけ、、、とか
商品の使用価値と価値の違いを解明した資本論でも読むか、

などとそんな方向の予備知識までもでてきたのだけれど
とうとう混乱してしまった。
続きは休みあけからゆっくりやります、、。

ところでエンゲルスだのマルクスの時代ってソフトってあったんだろうか。
あっ、でも「絵」や「音楽」はあったよなあ。
でも昔から「絵かき」は飯が食えなかったからなあ。
「絵かき」がものづくりとして認めてもらえなかったから食えなかった
んだろうかなあ
、、、でも宮廷音楽家やお抱え絵師は食えたよなあ、、、わからんなあ
、、、、
、、、
、、
、


というわけで「今日のコラム」はお盆あけまでお休みします。
皆さん、暑いですからお体に気を付けて
それではお休み明けにお会いしましょう。



1997.8.14

今日はお盆休みです。



1997.8.15

今日もお盆休みです。
暑いですねえ。




1997.8.16

休み明けを待たずにコラム再開です。
「ものって何だろう」は今後少しづつ考えますね。

ところで経済学に関係した人の名前がでてきたので少し考えた。
最近はマルクス経済学だの近代経済学だのケインズだののことは
しっかりと忘れさられているような気がする。
「経済学」という言葉は最近は死語に近い気がする。

いろいろいってもこの十何年かの間に日本の製造業をめぐって起きたことは
まさしく事実は小説より奇なりであって
勿論、先生がたのなかには現実の日本のなかから一般的な経済の法則を
見つけ出そうと頑張ってきた先生もたくさんおられるのだろうが
全く予想もできないようなことが次々と起こったのがこの十何年だったのではないか。
かといってそういう学問的な行動によって将来を見通すことが無駄だと
言っているのではない。
大学生でなくても我々製造業に携わる者としては目の前の様々な現象の解説等を
新聞で読んで納得するのではなく、もっとその現象の奥底にある本質を知りたい、
迫りたいのだ。
それを知るのは現在のところ新聞、テレビがもっとも手っ取り早いのだが
そういう方法も含めてもっと日常的に自分達の産業がどう日本の中に存在し
どう日本とその将来に影響を与えているかを我々は知りたいと思う。

「ナントカ経済学」とか、そんな難しい話しじゃなくてもいい。
「地域に開かれた大学」なんてことも言わないから、
もっと自分等が本当に知りたいことに答えてくれる、、そんな学問が
もっと身近にあると良いと思う。





1997.8.17

実はこの二日間で本州を縦断するくらいの距離を車で走ってきた。
盆休みの混雑するなかをなにを血迷ったかとおもわれるだろうが
結構走りかたや時間によってはそんなに苦労せずに走ることができる。
むしろさすがに暑い中を走り続けた車の方がオーバーヒートで
ギブアップしてしまいそうになった。

それにしてもいまさらながらに思う。
高速道路上も渋滞でサービスエリアも休息の車で一杯だ。
皆あついからエアコンをいれてそのまま休息しているから
夏だから普通に暑いのは当たり前として
サービスエリアの駐車場は輪をかけたようにむちゃくちゃ暑い。
道路上もかげろうの様な景色のなかをそんな車が渋滞しながらユルユルと進む。

自分もその一員なのだからえらそうなことは言えないが
CO2を排出しながらエネルギーを浪費してこうして「民族的夏の一大イベント」を
毎年同じように繰り返すのはなんとかならないものか。

生活や仕事や産業の関係から自動車を使うことは今のところ避けられない。
まあ、これは今年中にも発売されるハイブリッド電気自動車でも走り始めれば
環境への負荷は少しは改善されるかもしれない。

と同時に考えなければならないのは社会的なあるいは産業における「慣習」の
見直しをする必要があるのではないかということだ。
確かに「お盆の帰省」と「家族サービス」いう慣習はそう簡単に
変えるわけにはいかないだろうが
分散するように休みを平準化するとかお盆そのものの考えかたを変える
とかしてはどうだろうか

「お盆の帰省」と「家族サービス」はなくすわけにもいかないから
少なくとも分散すれば「一時にまとまってしまうことによる弊害」
はすこしは改善できると思う。

ところでGPSが登場してから「渋滞」が減ってきたというのは
本当なのだろうか。





1997.8.18

さてこの小旅行中、全国展開している大手ホテルに一晩泊まったのだが
このホテルでは環境問題を考えたなかでの方針として
年間160万個以上も使い捨てにするひげそりと歯ブラシを原則廃止に
していたのが印象的だった。
勿論必要とするひとにはサービスされるのだが基本的には
客室には置かれてない。
普通は小さな小箱に入った石鹸も液体石鹸がおかれているだけである。

筆者はこのサービスをとても好ましく思った。
なかには文句を言う客や不便さを考える向きもなくはないだろう、
以前にも書いたがこういうものを納入する業者にとっても死活問題にも
なるだろう、が、こういった思いきった考えとその行動はとても重要だと思う。
まして筆者のように本屋で本を買う時に袋に入れないで買うことよりも
結果としての影響力は大きいだろう。

きっとこういった考え方は浸透していくだろうし
ホテルに限らずいろんなサービスや企業活動の上で
行われることも増えるに違いない。
思いきって行動を変えることはいろいろと波風をたてることもあるだろう。
だけれどいまこういったことをはじめなければならないことは明らかだ。
特に社会に影響力を及ぼす企業や人にはそういった感覚が今後
不可欠になっていくだろうと思う。



1997.8.19

旅行の感想の続きです。
さて、それにしても日本も広い、人も多い。
アメリカやアジア大陸と比べるべくもないだろうが、、
これだけ広いと気候も人も言葉も違う。
渋滞から逃れるため高速から降りて下道も結構走ったが家の形も異なれば
産業のあり方の違いもいろいろ見えておもしろかった。
お盆なのになぜか作業着で歩いているおばさんもいる。
お盆の帰省客相手のお土産屋さんはいそがしそうだ。

今更いうことでもないけれど
それぞれの町にそれぞれの産業や営みがある
経済の有り様はそんな日本の現実の中にあるのであって
決して経済学が書かれた書籍の中にあるのではない。

それぞれの町や産業や営みの「これから」は
誰でもない、そこに住むそれぞれの人々が担っていくものだという
当たり前のことが実感できる。

国の行く末を担っていると自負している「えらい」おじさんたち、
そういう町々からのざわめきやため息がきこえますか?



1997.8.20

仲間と話していて話題になった。
最近はやりの「動物育成ゲーム」
いまだにはやっているのかは興味のない筆者にはわからないが
まあ、ともかく今年前半の一番の話題であったことは間違いない。

途中で品不足ということにもなって
プレミアがついただの、類似商品がでて問題になったなど
ともかく話題にはことかかなかった。

さてその「品不足」だが、結構「深刻な品不足」になったころには
途中でメーカーがお詫びみたいな記者会見なんかもしたりした。

確かにいままでの日本の「ものづくり」「商品の供給」から言えば
お客さんが必要とするものはできるだけ迅速に、確実に供給するというのが
当然とされてきた。メーカーがお詫びするのも当然という雰囲気だったし
「わざと生産を遅らせて価格維持をしているのではないか」とう観測
もあったりした。

でも考えて作ったのはそのメーカーなのだし、価格の決定権も
生産台数もメーカーに決定権があると思っていいのではないかとも思う。
いつも市場に消費者が困らないだけの商品を供給するのがメーカーの義務、
という意見もわからないでもないが、、、生活必需品というわけでもないのだし
「当社ではこの商品は年間○○個しか作りません。」とはっきりいうのも
通用していいのではないかとも思う。
逆に「ブームのうちに売って売って売りまくろう。」というのもメーカーの
勝ってでもある、、とも思うが、、。

いったいどうあるべきなのだろうか。



1997.8.21

昨日がペットのゲームの話しで今日はペットボトルの話し
いやー今日も暑かったですね!!
ペットボトルのからが山のようになった。
しかしこの空ボトル、いったいどうなるのだろう。
以前より問題にはなっているが、いまさらながらに大変なことだと思う。

細かく粉砕してフリースジャケットの素材にするとか
の話しも聞くけれどそういうのって本当のリサイクルになっているのだろうか。

清涼飲料のガラスビンも細かく砕いて道路の白線用塗料に混ぜて認識
しやすくするなんて話しもきくけれど
これも本当にリサイクルになっているんだろうか。

これは「量」の問題をいっているのではない。
確かにまだ多分両方とも数パーセントの「いわゆるリサイクル」だと思うけれど
たとえそれが100パーセントに近い「いわゆるリサイクル」になったとしても
本当にリサイクルになっているんだろうか?
それは「二度使い」であってリサイクルではないと思うのだけれど、、

と考えるとやはり「元の素材」に戻すということが基本だと思うのだけれど
その技術がまだなかったり、あってもその方がお金がかかるという理由で
なかなか実用的ではなかったりする。

技術がない、なんてもってのほかだと思うけれど
とりあえずは本当の意味でのリサイクルを可能にするためには
消費者も相応の負担(多分金銭的な)を覚悟する必要もあるのだと思う。




1997.8.22

以前にも書いたと思うけれど
「移し替える」手間というのは結構考えてみると奥が深い
勿論これはコンピュータやデジタルな世界でのデータの話しでもあるのだけれど
もっと面白いのは実際の「もの」の世界だ。

今日、DIYの店で買い物をした。
レジに並ぶのはあまり好きじゃないからなんとか列の少ないところを選んで
並んだがこれが「ハズレ」で、おばさんの後ろに並んだものだから
日用品からおかずまで一杯のお買い物で、レジの時間のかかることといったら、、、、
ようやく会計が終わったとおもったら今度は袋詰めだ。
これがまた時間がかかる。
DIYの店だから鉢植えの土でも買っていこうとしたら
それを車まで持って行く準備をするまでで大仕事になってしまうのだ。

以前テレビの発明を扱った番組でスーパーで買った商品をカゴからカゴへ、そして
もう一度自分で買い物袋に移し替えるのを合理化するためにおばさんたちの買い物袋を
ちょうどカゴの中にすっぽりと入るような大きさに標準化して
カゴからカゴへ移す時にカゴに袋を最初から入れておいてそこへ品物を入れてもらえば
自分でカゴに移す手間が省けるというアイディアがあってとても感心した。

なんかそんなようなアイディアが他にないだろうか。
あの「レジカウンター」のあたりにはそういうアイディアが一杯
転がっているように思う。
少なくとも筆者はいらいらせずに済むからなんとかしたいと思った。





1997.8.23

昨日は会議で神奈川に行ってきて
今日は京都から以前から連絡を取り合っている大学の先生がやってきた。

もともと両方ともインターネットでの出会いから始った関係なのだが
思えば人と人の関係も広くなってきたものだと思う。
数年前までは知りようもなかった人とこうして一つの話題で
電子ネットワークの上や実際に会っても突っ込んだ話しができる。
もちろん仕事でも旅行でも人との出会いはできるのだが
電子で結びつくのは早いし広いし、いつでも「会える」
深い付き合いなのか、信頼できる付き合いなのか、
そういうことはとりあえず横においておくとしても
とりあえず「知り合い」「友人」は確実に増えるのだ。

昔は日本の端から手紙を受け取るのに一ヶ月かかったり
船でも10日もかかったりしたのだという。
人生50年と言われた時代なのだから人と人の出会いは実際にはもっと
長く間じられたのではないかと思う。

でも、実際に現代と比べて人と人の関係が濃密ではなかったのかというと
決してそうではなかったのだろうと思う。
「一合一会」なんていう言葉があるのだから
出会いに賭ける「気持ちの熱さや情熱」はむしろ今より強かったのではないか
とも思うのだ。






1997.8.24

昨日の「一合一会」は「一期一会」でしたね。
さて、昨日の続き、
無論、インターネットや最近の情報技術によって人と人の
交流が簡単に早く確実にできるようになったというのは
悪いことじゃない。
むしろその「ツール」としての可能性と「気持ちの熱さや情熱」を
掛け合わせることができれば
物事の進展の速さやできることの大きさははかりしれない。

人と人が強く結びつく。
それに向けて情報技術が大きな可能性の一つを持っていることは間違いないだろう
だけどそれは技術によってのみもたらされるものでもないのだろうと思う。
その原動力は技術だけなのではなくいままでになかった人と人の関係
を作ることへの欲望や希望、感性を磨くことへの期待なのだろう。
最先端の技術はもちろん重要だ。それによってますます人や情報との
出会いが加速されるのだから。
大切なのはコンピューターやインターネットを使うことが目的なのではない、
それによって人と人、人と情報をガンガンむすびつけて生活や産業を豊かに
していくことなのだろうと思う。



1997.8.25

最近さびしいなあと思うことがある。
本屋が好きという話しは以前したけれど
大体は自動車やバイクの雑誌のところをみてからビジネスの所を回って
コンピューターやインターネット関連の所を見て回る。
普通コンピューターやインターネット関連のところは「技術書、雑誌」のところだから
機械加工や設計に使う工具や機械や設計開発情報なんかの雑誌も同じ所に
おいてあるのが一般的なのだが。

ところがこれが最近見る見るうちに雑誌の数が減ってきた。ブースの大きさが
コンピューターに侵食されてきた。
種類が減ったということもあるが、一回に置く数も減っている。
その分コンピューター雑誌の種類が増えたとも言えるのだが、
なんか寂しいぞ。

確かにコンピューターの世界は毎日が変化の連続で
書くことも多いだろうし売れるということでもあるのだろう。
それにくらべれば機械工具設計開発の雑誌が賑わうのは
二年に一回の「工作機械見本市」の時くらいで
あとは毎年「ばりとり技術」とか「NCのトラブル解決集」とか
正直いって毎年か二年に一回の繰り返しの記事や特集ばかりなのだ。
実際には毎年新しい情報や技術も生まれているはずなのだが
なぜかいつも同じに見えてしょうがない。(ごめんね)
敏感に読み取ればそういった世界が今後どういった方向に進みつつあるのか
はなんとかわかるのだが、ズバリ言えばテーマが見えてこない。
でも今この世界にも必要なことってたくさんあるのだ、
それが雑誌で提供できることももちろんある。

コンピューター雑誌はそれをやっているとはけっして思わない、ひどい雑誌も多い。
なんとか機械系の雑誌にも日本の製造業の未来を提示するような
そんな記事や雑誌作りを望みたいと思う。
大切な雑誌だと思うからあえて書く次第。私もよく買います。



1997.8.26

最近は会議や勉強会をやることが多いのだけれど、情報技術によって
これらのやり方が変わりつつあると思う。

以前はまず何人かの仲間でとりあえずの内容で打ち合わせをして
それを繰り返しながらみんなの認識にしていく「工程」を踏んでいた。
最初から認識は合わないから集まれる人間でともかく集まり
意見を合わせる必要があった。
でも定期的になお一度に集まれる人間は限られてしまうし
人数が集まったら集まったで最初から認識を合わせる作業があるから
会議の時間もかかるし紛糾することもありえる。
ともかく時間がかかるのだ。
「民主主義は時間がかかる」というのもうなずける。

でも最近の情報技術は今迄考えもしない方法を我々に提供してくれる。
テーマにしたがって誰かがメールで皆に情報を公開する。
意見のある人はそれに返事を書く、これが繰り返される。
これだけでもいままでとは全く異なるスピードが得られる。
もしわからないことがあってもそれは自分で責任もって調べたり勉強する。
必要な情報はすでに誰かが提供しているはずだし、
勉強する時間はそれぞれ空いているときにやればいい。
これらによってそのグループの「進化」はとてつもなく早く行われる。
インターネット上には様々なメーリングリストがあったり
情報の共有するためのツールがいろいろ出ているが、
これらによって得ることのできる進化の「ダイナミズム」は
もしかしてものづくりや社会にも知らないうちにとんでもない
変化を呼び起こしているのかもしれないのだ。



1997.8.27

昨日の続き
勉強会や
あるいはなにか「仲間と何かを始めよう」という時にも同じようなことが言える。
情報技術は仲間を募るには最適なのだ。

いままではある程度、相手の認識や理解の程度を考えたり、
情報をオープンにするかクローズドにするかを考えたすえに
結局「知っている人を誘おう」と考えたり、
とりあえずわかってくれそうな人に「根回し」して
少しづつ人数をつのっていったり、
なんだか煩わしいことが多くて大変なのだ。

インターネットのような情報技術の使い方によっては
そういった人間間やあるいは企業間の関係を変えたり「関係構築の方法論?」
を変えることができる。いや、正しくは「変わってしまう」のだろうと思う。

最近は基本的に同じ事を考えているのならば企業やグループに関係なく、
また「出発点に関係なく」勉強や「何かを始めよう」に誘ってしまうことができる
のではないかと思っている。
「情報の流出」よりも「情報の流入と人の交流」のほうが
はるかに早く大規模なのだ。
最終的な目的を達成し進化するにはそのほうが早い。



1997.8.28

こうした情報技術の利用で実現できることの素晴らしさは予想もつかない。
特に「オープン」というキーワードはいままでにない力を持っていると思う。
インターネットが短期間にここまで急激に進歩した大きな理由の一つは
間違いなく「オープン」によるものだ。

逆に「オープン」がもたらした「問題」も確かに多い。
ポルノ画像のことなんかもその一つだ。

深く考えてみると実際の話し、そんな風にオープンになるのだろうかと思えてしまう。
個人でも企業でもそこまでオープンでいられるのだろうか。
自由競争の資本主義の時代に「共有」がありえるのだろうか。
グループにしても、企業ならなおさら、、、仲間とその回りの人
の境がはっきりしなくなることも企業として考えるとどうなのか。
「オープン」にしても大丈夫、という文化に無防備になった人間には
いざというときの免疫ができるのだろうか。

でも一方「進化」に及ぼしたオープンの力も明らかなのだ。
ここしばらくはこのオープンというキーワードが我々製造業に及ぼす
変化を興味深く見ていたいと思う。

さて話しがかわりますが
先日ここでお話したキヨさんの湯沸かしポットの話しに登場した
湯沸かしポットについての記事が昨日の日経産業新聞に載っていました。
ご興味のある人はご一読を、、




1997.8.29

ここのところ又、インターネット関連のテレビ番組がよく放映される
じつは今日も地元のテレビ局でインダストリーウェブを「取材」にきた。
ものづくりのための情報技術の利用をすすめていく。と自分達の「設立趣旨」を
言えば一見簡単なのだけれど
実際は自分達の認識や状況はどんどん変わっていくから説明するのも大変で、
「最近はものづくりの概念や仕組みまで変わっていくのではないかと思っている」、
なんて始めたぶんには全くテレビ番組向けではない方向に話しが向いていって
しまって、、、さぞテレビ局の人は混乱しただろうとも思う。
自分らの認識もここまでどんどん深く変化するとは正直思ってもいなかったことだ。

思えば2年前の6月だったか、
ちょうど某宗教団体のニュースが毎日のテレビや新聞をにぎわしていたころだ。
久米宏のインターネット特集の番組があって何気なくみていた。

そのころはまだ企業や製造業のインターネット利用はおろか
個人の「利用」もこれからで、まだまだ「インターネット」ってなあに?というところ
が一般的な人々の感想だった。
筆者も、アメリカと日本の間でその場で「曲」を作ったり、フェデックスの
荷物追跡システムの紹介などを聞いて「すごい」とは思ったが、
正直それがものづくりに使えるぞ!と考えたのはもう少しあとだったと思う。

ある時その一年前に聞いたある「講演会」の内容が
インターネットとダブッてよみがえった時があった。


1997.8.30

それは地元の「長野県テクノハイランド開発機構」が
某シンクタンクの研究者をまねいて行なった「コンカレントエンジニアリング」に
関する講演だったのだけれど
多分この地方では初めての「CALS」についての講演だった。
アメリカを中心として「もの作りのデジタル情報」が世界中のコンピューターが
つながるなかでどこでも、いつでも、だれでもがそういうものに「つながる」ことが
できるようになるというのだ。

そのころはすでに日本中の製造業が不況のまっただなかで、このまま行けば
ものづくりの伝承はどうなってしまうのだろうと思えた。
誰かがものづくりのノウハウや技術を後の時代に残さないとこれはまずい、
誰かがその蓄積方法を考えたり、5年後、10年後のどこの誰が見ても
同じようにものが作れるようにしておかなくてはいけないのではないか。
そのころは筆者は全くコンピューターには不慣れで(今も)あったけれど
でもなんとかそういう方法が皆で作れないかと仲間といつも考えていた。
人に言えば、「ノウハウなんか出す訳ない」と一笑にふされたが、
「CALS」がそれだった。
でもって、久米宏のインターネット特集の番組の様子だと
方法はインターネットでできるじゃないか。(続く)
(筆者はいまだにCALSの構想はインターネットそのものだと思っている)



1997.8.31

「「ノウハウ」なんか出す訳ない」という一言は今まさにインターネット上の
新たな文化の問題として現われようとしている。
でも確かに2年前は一笑に付されたことだったけれど
どうもそうでもない文化も見えてきていてこれは本当に面白い時代が来たもんだ。
と筆者はしみじみと思うのだ。

いずれインターネットの上にものづくりのための様々な情報が
流れている、そんな時代が遠からぬうちにやってくる。

それはきっと、ただ単にものを作るための情報という意味にとどまらず
ものづくりの根本認識を変えていくようなそんな力をもっているような気がする。
今はまだその可能性の片鱗が少し見え隠れしているにすぎないが、

インターネットの上にものづくりの伝承を蓄積する、
みんなで始める、作る、自分もそれに参加する、
みんなが使える、自分も使える、知ることができる。
ものつくりのやり方が変わる。
そんなことができる時代にもうすぐなると思う。


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