今日のコラム・バックナンバー(1997年6月分)


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今月のバックナンバーから
掲載は日付順になっています。


1997.6.1

最近はテレビコマーシャルにも企業URLを書き込んだところが増えてきた。
どうやら「はやりもの」のようだ。
インターネットテレビをみている人なんかはそのまま連動できれば
都合がいいかもしれない。

しかしそれにしてもテレビコマーシャルの終わる寸前に企業ロゴの下に
ほんの一瞬URLを掲載してみたっていったいどうしろというのだろう。
あれをみてそのホームページを見る人がいるとは思えない。
そんなホームページに限ってなにをいいたいのかわからないものが多い。
テレビのコマーシャルをわざわざインターネットでもう一度みようなんて
人もまずはいないと思った方がいい。

「はやりのホームページとやらをとりあえず作ってみました。」
「おお、そうか、これがホームページか。これで我が社もホームページが
  持てた。情報が世界に向かって発信できる、注文も世界中からくるに違いない。」
と思っている企業のトップや担当者の皆さん。
残念ながらあれではお役に立っているとは思えませんよ。







1997.6.2

一時期とても多かった「科学雑誌」がここのところあいついで
休刊、廃刊になっているそうだ。
比較的昔からあった何種類かの雑誌を除けば比較的最近創刊されたものが
やめてしまったようだ。

一方、最近はオカルトというか超自然というか、超能力や宇宙人なんかを扱ったものが
多いと思う。
これも昔から一部のマニア向けにそういう雑誌というのはあったのだけれど
最近はもっと一般的な装いで科学雑誌にとって代わるように現われ始めた。

これは以前にも書いたことだけれど最近超能力や宇宙人なんかを扱ったテレビ番組
とか雑誌が多い。
実際ああいうものを見ていると「ホントにありそう」と思わせる説得力は ある。


そういうものはありえないと頭から言うつもりはない。
超能力もUFOもあるかもしれない。
身近にも宇宙のことにも人知の及ばない未知のものは実際にたくさんあるのだから
「ない」と言い切ってしまうのは現実的ではない。

だけど一番の問題は無抵抗に「訳のわからないこと」を受け入れてしまうことだ。
文部省みたいなことを言うつもりもないが「科学する心」や「未知のものを
わかろうとする探求心」がなければ科学の発達や文明の高度化もないだろう。


本当にバラエティーだといって笑っているうちはいい。だが最近は科学の看板を
掲げて雑誌や番組に信頼性をもたせ科学雑誌の購読者や科学番組の視聴者を引き
付けようとしているようにも見える。
実際なにが科学的でなにがオカルトなのか境ははっきりしない。

真面目に科学する雑誌や番組もいっしょにされてはかなわないだろう。



1997.6.3

ベンチャー企業というのは日本語であって
アメリカでは「スモールビジネスベンチャー」というらしい。

これはよく言われる「すきま産業」「ニッチ産業」を形容している言葉のようだ。

日本でここのところ創刊が相次ぐ「ベンチャー起業家向け雑誌」も
内容をみると「すきま産業」や「ニッチ産業」を紹介したり
そこでの創業者のコメントを載せているものが多い。

アメリカなどには創業して短時日で数千億円もの売り上げを達成するベンチャー
企業が少なからず存在する。
こういう企業をメガベンチャーというのだそうだが(これも日本語?)、
日本ではあまり聞いたことがない。
話題にもならない。
そういうものは大企業のなかでしか出来ないものだという感覚があるのかもしれない。


スモールビジネスベンチャーがいっぱいできることは大切なことだと思う。
これからの日本の原動力はそういう企業がたくさんできて日本を支えていく
ということになるのだと思う。

同時に日本にもメガベンチャーが出てこないものだろうか。
世界中があっというような超独創的で付加価値の大きい製品や、技術、システム、
概念、そういったものはでてこないだろうか。






1997.6.4

昨日の続き
以前ここに書いたようにベンチャーキャピタリストの原丈二氏が雑誌の討論
でこのように分析している。

  自動車とかエレクトロニクスとかそうした20世紀の基幹産業の次にくる
  21世紀の基幹産業を形成するコアテクノロジーはなんだろうかと真剣に
  考えた。
  これだと確信したのはソフトウェア工業、通信技術工業、バイオ工業、の
  三つの新しいインダストリーセクターだ。重要なことは三つとも製造業と
  してとらえることだ。
  ・・・そこには無限のビジネスチャンスが生まれ、・・・大きい会社とか
  古いビジネスモデルだけに固執している人たちにとって難しい時期にはい
  っていると思う。
  ・・世界の各カテゴリー(上記)のトップの100社がどこにあるかとい
  えばどのカテゴリーも90数社まではアメリカにある。それもみな197
  0年以降にできた企業だ。


「すきま産業」にしても「基幹産業」にしてもこれからそれを作っていくの
はベンチャー企業であるといえるのかもしれない。
日本においても21世紀はベンチャー企業の時代といってもいいのだろうと
思う。ものづくりにおけるベンチャー企業もたくさん生まれると思う。

但し、メガベンチャーが実際に日本に生まれるかどうかは正直いって今のま
までは微妙な気がする。
勿論「基幹産業」が21世紀の日本にも必要なのだという前提が必要だけれ
ど、、。



1997.6.5

夜中にテレビの通信販売の番組をみたことがおありだろうか。
どのチャンネルをまわしても健康器具だの野菜調理機だのフライパンだの
それはそれはすごい量で毎日毎日宣伝を重ねている。
内容は毎日ほぼ同じで見逃したと思っても翌日みると又同じ内容で
流れているから心配ない。

扱う商品は日本の家電製品もあるけれどアメリカで作られた
「家庭用品」や「健康器具」が多い。
多分中小企業やベンチャー?企業で作っているものらしく
見るからに「ニッチマーケット」向けに作られたものだ。
金属加工したものなんかは東南アジアでつくられているものも多い。

アメリカではああいった番組がとても多く、またその番組を「経営」する
「販社」に中小メーカーが売り込む商談会も盛んでアメリカ中で行われて
いると聞く。
一度売り込みが成功するとそれだけでとんでもない売り上げが達成できる
そうでアメリカンドリームの再現も夢ではないらしい。


めったに通信販売でものを買ったことのない筆者だが、
健康器具などその「効果」をあれほど毎日見せられれば、
ズボンが少々きつくてベルトの穴位置が気になっていたことも手伝って
思わず購入してしまった。

おかしかったのは仲間にその話しをしたら「オレも買った」、「あいつも
買った」とまわりに買った奴がいっぱいいたのがわかったことだ。
同じ時期に申し合わせたように見事に皆が買っていておおいに笑えた。
中年太りの時期が皆いっしょにきたともいえるのだが、、、それにしても
通信販売、恐るべし!!





1997.6.6

一時期  そう、今から二年ほど前は
まだインターネットは一部の人のものとかんがえられていていた。

そんな時期に登場したインターネット商店はインターネット利用の最大の
利点みたいに言われて各雑誌や新聞なんかでおおいに記事として扱われた。

が、あの後、各商店やモールはどうなっているんだろう。
エレクトリックコマースも華々しく喧伝されてもいるけれど
その割に回りの人でインターネットで「ものを買った」という人は聞かない。

テレビでの通信販売がここまで成長するのに(といってもまだ店舗販売に
たいしてはたいした割合ではないだろうけれど)かかった時間を考えれば
インターネットで通信販売をするというようになるのはもう少し時間や
「練れ」が必要なのだろう。

コンピューター時代はドックイヤーと言うらしく三ヶ月もすれば新しい技術が
でてきたりしてガラッと変わることがある。
プッシュ技術やクッキーやそんなもので「できること」がおおいに変わる。
まさに開拓地に乗り込んでいって新しく町を作るに等しい。

だけど一方で人の考え方や行動や嗜好はそんなには急激に変化しないことも
たしかだろう。





1997.6.7

本屋さんにいくと今はやっているものなんかがなんとなくわかる。
最近のはやりといえば「ガーデニング」だろう。

早い話しが「西洋風庭いじり」なんだけれど
横文字にするとそれだけではやったり飛びついたりする人が多いどこかの
お国がらだからいっきにブームになりつつある。
今迄の「種屋さん」や「雑貨屋さん」の品揃えや雰囲気も
ガラッと変わってなんかとっても目新しい感じだ。

生活を一変してしまうような趣味(それを趣味とは言わないかもしれないが)
は結構取り付くのに大変だろうけどこれだったら日常生活に影響はあまりない。
このままブームで終わってしまう可能性だっておおいにあるが、ある程度の
「常連客」というかこれを趣味とする人もでてくるにちがいないと思う。


庭いじりとか2000円以下の庭いじりグッズ収集だったら
負担にもならず垣根も低い。
グッズもへんなものというかアイディア商品みたいなものが多いし
花や植物も結構売買されている。
ガーデンデザイナーみたいな職業も存在するらしい。(西洋庭師ということか?)
明らかにとりあえずにしろニッチマーケットを作りつつある。

こういう仕掛けでどんどんいろんなニッチマーケットが出来上がるのも
いいことだと思う。
さて次はなんだろう、もう何か仕掛けようとする人もきっといるんだろうなあ。





1997.6.8

ニッチマーケットとマスコミの関係って考える必要があると思う。
コンビニエンスストアの雑誌コーナーに行ってみると
トレンドマガジンみたいな雑誌や西洋グッズを集めた雑誌が結構多い。
それも含めて女性用雑誌と通常の週刊誌とゲームと車と男性用雑誌で
大部分をしめている。
どんな雑誌も最新のニッチマーケットやグッズを
PRしているし全国どこでもリアルタイムに同じ情報が手に
入るから全国の特に若者には情報の共有が無意識に行なわれて
いるといっても過言ではないと思う。

テレビなんかはもっとストレートで
明らかに「仕掛け」が意図されている感じがする。
そりゃそうだろう、まだそんなにはやってもいないものを
取り上げ、仕掛けて、一回ブームになれば
その番組は「先進、流行のものについてアンテナが高い」と言われ
ますますその番組の価値が高まる。
名前は忘れたがどこかの「なんとかケーキ」にしろ
「ルーズソックス」にしろ
「たまごっち」にしろ
「ぷりくら」にしろ
「ガーデニング」にしろ
そういう仕掛けがきっとあったと思う。
でもこれはけっして悪いことじゃないと思う。
たしかに皆が付和雷同で同じ事をするというのはどうかとも思うし
すでにこの中のいくつかはすぐに消えて行く運命にある。
「なんとかケーキ」なんかはもう名前も思い出せない。

でもよくよく考えてみると別に雑誌社やテレビ局が意図しているのではなくて
基本的にしかけようとしているのはそれを作って売ろうとしている
大小の「製造業者」なのだ。

「製造業」と「マスコミ」と「ニッチマーケット」の関係というのは
結構奥が深い





1997.6.9

土曜日の深夜にNHKの立花隆氏の「謎のキャンパスを行く」という番組が
あった。(多分再放送だと思う。)

東大の先端研の過去から今までの研究内容を戦前からのキャンパスに残された
いろんなものを通じて振り返って見る、というような内容で好企画だった。
どの内容も素晴らしい内容で3時間もの長さだったけれど
飽きさせない内容だった。

のりもの好きの筆者としては戦前の航空機研究所(航研)の研究内容
がとても興味深かった。
戦前に長距離飛行の世界記録を塗り替えた「航研機」(杉山滋郎さんのページ参照)
の開発秘話はわくわくした。
(どうもその廃棄された残骸は羽田空港の滑走路の下に埋もれているらしい)
高所で薄い空気のもと、省エネルギーで飛ばないと記録が出ないから
希薄燃焼方式の、今でいうリーンバーンエンジンを当時早くも考案したなど
素晴らしい独創的なアイディアを実現していったのだ。
(このエンジンの試験用のものはまだ残されている!!)
これらの研究、開発を研究所内に外国などから集めた工作機械を使ってつくり
あげてきた。形にしたのは他ならぬ当時の「職人さん達」だ。

この前ここで話したけれど昭和5年に作られた今と変わらぬ工作機械カタログを
見たり、テレビで東大に残された当時に工作機械や航空機開発をやってきた先人達
の偉業をまのあたりにすると、正直この何十年、我々はなにをやってきたんだ、
と考えてこんでしまった。
勿論この50年にわたり素晴らしい「もの」や「文明」を作り上げてきたことは
間違いのない事実だしそれを作った人々の智恵や踏ん張りに対してなんら
否定をするものではない。
けれど環境やエネルギーやゴミや産業廃棄物や、、、こんな問題をいっぱい
作って我々はいったいなにをやってきたんだろう、
いくら町工場の人間だからといっておもちゃみたいな電気自動車を作っていて
なんになるんだろう、と焦りにも似た気持ちとともにちょっと悲しくなってしまう。


近代日本の礎を作った先人達の業績に対し我々は今後どんなことができるんだろうか。
なにかしなければ、、でないと滑走路の下の「航研機」も浮かばれない。


なお「先端研探検団」というホームページで上記の話し等が読めます。
とても興味深い内容です。
先端研探検団とは何ぞや?
はじめに
第一回報告 不思議空間の歴史発掘
又、文中にリンクさせていただきました
切手で見る日本の科学技術の発展(杉山滋郎さんのページ)もとても面白いです。
是非ご一読ください。






1997.6.10

飛行機の話題が出たついでに、、
長野県の穂高町に「飯沼飛行士記念館」という場所がある。
飯沼飛行士と言っても知らない人も多いだろう。

戦前日本からロンドンまで日本製の航空機「神風号」で
長距離記録を作ったパイロットの名前だ。
当時はすでに軍国主義の台頭で純粋に朝日新聞社の社有機として
開発された神風号も軍部のPRに利用されてしまったのだけれど
純粋な日本製航空機が日本人のパイロットによって遠くロンドンまで
記録を立てて遠征したことは当時の先端技術や製造業のポテンシャルを
しめすものとして意義深い。

当然ながら記念館には飛行機の実物はないのだけれど
当時の生家と貴重な資料が豊富に展示されている。
「男前」の飯沼飛行士の写真などもあって
(とてもカッコイイ、今でも二枚目俳優として通用する)
是非近くにこれらたら寄って見て欲しいと思う。
中央道豊科インターの近くです。スキーな帰りなどにぜひどうぞ。




1997.6.11

先日の先端研探検団のホームページを見ていて気がついたのだけれど
こんな記事があった。

 戦時中の昭和18年のこと、軍部は、過給機付き航空機エンジンを研究する必要に
 迫られたため、当時の日本にあった唯一の過給機付きレーシングカーである1927年
 ブガッティ・タイプ35C(当時の所有者は三井八郎右衛門男爵)を徴用し、駒場
 の航空研究所で試験に供したことがある。このブガッティのエンジンは、敗戦の混
 乱にまぎれ、それきり行方不明になって今日に至っている。 
 クラシックカー・クラブの佐藤允弥さんによると、テレビに映った探検団の活動風
 景の中に、ブガッティのものらしきエンジンが写っていたとのこと。そこで、これ
 までの写真などをお見せして探していただいたが、結局該当するものは見つからな
 かった。 
 どなたか、ブガッティ・エンジンの行方を御存じの方がいらっしゃったら、探検団
 までご一報ください。 

じつは筆者もこの内容はとても興味があった。
車そのものは戦後、当時東大で美術を教えておられた故浜徳太郎氏(岡谷市出身で
旧制松本高校の寮歌をつくったことでも有名)が入手しその後ながらくそのままに
なっていたが最近きれいに修復されたときいていた。
エンジンも付いたようだったからきっとみつかったんだろうと思っていたのだけ
れど残念ながらどうもそうではないらしい。

本当にどなたか行方を知っている方いらしたらご連絡ください。




1997.6.12

今日はちょいとくだらない話しです。

女子高校生がはいている例の「ルーズソックス」だけれど
まだ皆はいているようだ。
このブームはいつまで続くのか。

でもそろそろかげりがくると断言してしまおう。
なぜかって?
だってあんなに暑苦しくて日本の夏には向かないものはない。
見ている方だって「あついだろうな」と思いませんか?

今年の秋か来年の夏になってまたブームになったらそのときは
ブームじゃなくてほんものになったと認めてしまおう。

えー、次のコギャル達の間でのブームはなんだろうか?
何がくるんだろうか。誰が仕掛けるんだろうか。

いまからそんなことを想像しておいても面白い。
実際にブームがきたら自分の想像とどれだけ違うものがでてくるか
たのしみだ。





1997.6.13

日本国内で開発された「超電導物質」がアメリカで基本特許を
とったのだそうだ。
市場的にも21世紀には最も期待が大きいのだそうだ。
これからまだ激烈な世界の市場や開発競争のなかで「本物」に
なるためにさらなる開発や市場競争をくりひろげていかなくちゃ
いけないのだろうけれど、こういうものが日本にも出てきて
まずは「ほっとした」というのが正直な気持ちだ。

東北大学の総長だった西沢潤一氏の光通信の基礎研究や
こういった独創的、先進的な研究が
この前書いたような21世紀の日本のメガベンチャーの「種」を
作り上げていくのは間違いないことなのだろうから
ここは本当に、大切に大切に熟成させていかねばならないと思う。





1997.6.14

季節はずれの話しになるけれど
最近発表された経済の分析によればスキー客が減っているんだそうだ。

長野県でみても昨シーズンまで4年連続でスキー客が減少しているのだという。
理由として「余暇の多様化」「スキー人口の減少」「雪不足」などを
あげている。

で、最近のスキーシーンを分析するときに忘れてはならないのが「スノーボード」で
これについても気になる分析をしている
最近はどこのスキー場もわかもの達を呼び込むために
どこでも「スノーボード」を解禁にした。
でも結局それはスキーからの乗り換え組であって
新たなスキー人口を呼びこんでの「総人口」は増えなかったらしい。
確かにスキー場のなかでスキー客に比べスノーボード客の占める割合が
多くなってきたのにぜんたいとしては増えていない(むしろ減っている)。


これには「スノーボード」の客が増えればスキー産業全体の「売り上げ」が増える
と安易に考えたところに問題がある。
スキーを一つの産業と捉えた時に影響を及ぼす、考えなければならないいくつか
の要因があると思う。
道路交通網の整備や余暇時間の長期化、そして長期に及ぶ経済の不況。
他にもたくさんある。
そんなこんなを総合的に判断して見る必要があるのだろうに
「スノーボード」に惑わされてチャンスといわんばかりにそこに夢中になってしまった
。もくろみが外れてしまいむしろやるべきことが他にあったのだろうにもかかわらず
こんな皮肉な結果になってしまった。

喜んでいるのは<<新しく始めた「スノーボード」の道具屋さんやウェア屋さん>>で
(スキーの道具屋さんはスノーボードに幾分変わっただけ)
ここだけはやけに元気がいい。

オリンピックがくるからウィンタースポーツ産業にとっては「追い風」だなんて
思っていたらまた「おおはずれ」になる可能性が高い。

もともと「「なんとか人口」が増やすことがいいことなのか、どうなのか」を
含めてよくよく考えた方がいい。




1997.6.15

今日日曜日のテレビは見所がいっぱいだ。
ゴルフの全米オープンもやっているし
フランスでは例のルマン24時間自動車レースをやっている。

全米オープンはタイガーウッズが最後にどこまでチャージしてくるかが見物だし、
ルマンではひさしぶりに出走したわれらが日産がどこまで優勝に迫れるかが
みどころだ。
土曜日の遅くまでテレビで両方を放送していておもしろくて結構見てしまった。

タイガーウッズはやはりすごい。最後に結構見所を作ってくれそう。

日産のレーシングカーは残念ながら今のところ最初の意気込みに比べて
いいところを現在のところは(日曜午前中)走っていない。
あれほど(知らない人も多いと思うけれど今回の日産は勝ちにいっていた)
力を入れていたのに、、、やはり世界の壁は厚い。
なんでそうなのかは又よくかんがえることにして(じつは以前にもこの
コラムでそのことを話したんだけどもういちどよく考えたい。)

話しは変わるけれど
面白いのがテレビ中継が無い時間でもインターネットで速報が見られるということだ。
ルマンなんかはJAVAで周回数などがリアルタイムで見られる。
テレビとインターネットや、いずれは衛星放送なども含めて
マルチメディアのすごさは今回いまさらながらに痛感する。
http://www.tv-asahi.co.jp

ああ、それにしても日産チームには頑張って欲しい。




1997.6.16


昨日の続き
残念ながらルマン24時間レースにおいて日産のマシンは
三台中二台がリタイア一台がようやく完走といったところで
正直最初の意気込みからはだいぶ外れた結果になってしまった。
これがレースというものだといえばそうなのだが
それにしても肩透かしという感は否めない。

世界中からそれに懸命になって、それこそ命をはるくらいにして懸命に
やっている連中がいる、そんな中に日本からしばらくぶりにお金をかけて
「参加します。」といって参加はさせてもらっても「勝ちます!」と言って
すぐに勝たせてくれるほど甘くはなかったということだと思う。

あの、今回実際には本命と言われていた「ポルシェ」でさえ
あと数時間というところでリタイアしてしまった。
日産に比べたらはるかに周到な準備と経験とをつんでいてあの結果なのだから
今回の日本からの参加がそんなに甘いものに終わらないのは
考えてみればしごく当然のことだ。

問題はこの後だろう。

少なくとも「やっぱり今年だけで終わり」なんてことだけはないようにして欲しい。



1997.6.17

最近思うのだけれど
地域社会のなかには人間がいっぱいいて物理的には地表にそれが
ランダムにならんでいて一見なんの脈絡もないようにみえるのだけれど、
実際は一人一人がそれぞれに様々な属性をもっていて
それに応じた小さな社会を作っている。企業もその一つかもしれないし
趣味の仲間もそうだろうと思う。
結局社会全体はそれらの総体として複雑な様相を呈しているのだと思う。
社会全体と一人の個人が直接結びつくということは実際はまず、ない。

で、それらの小さな(といっても大きなグループもあるのだけれど
結局人間関係で作られる「社会」はしごく小さなもののような気がする)
社会というのはいってみればCADのレイヤー構造や多層基板みたいなもので
一人の人間は属性にしたがっていくつかのレイヤーのなかで存在する。
ちょうどスルーホール?みたいなもんか?

ところが違うレイヤーに「顔」を出すというのは結構大変なことで
よっぽど積極的であったり意識的に動かないかぎり
他のレイヤーに顔を出すというのは簡単には実現出来ない。
日本では「個人的紹介」というのがあるけれどこれもやはりそれなりに
積極的でないと結び付かない。
自分から全く新しい「社会」に飛び込んで行くなんてなおさらだ。





1997.6.18

本日からいろんな業界や地域で製造業に携わる人たちによる
「業界人コラム」ページを始めました。少しづつ中身の濃いものにし
ていく予定です。

◆各業界ごとの掲示板や悩みや相談ができる会議室

       ◆業界人のコラム
         板金、金属加工、射出成形、プレス加工、金型製作、開発設計等の
         各業界よりの「ひとことコラム」

       ◆各地域毎の特派員報告
         各地の景気の様子や各地の話題、ニュース等の掲載

       ◆中小企業を中心とした情報技術利用の今後についての
         公開討論の場所の開設

       等を皆さんといっしょに作って行きたいと考えています。

われこそはと思われる人がいらっしゃいましたら是非ご協力ください。
       特に
       業界人コラムニスト
       各地特派員
       技術相談室長、相談員
       を募集しています。
 
       どうぞ積極的にご応募ください。





1997.6.19

おとといの続きになるのだけれど異業種交流についても考えてみた。
ちょっと乱暴な言い方だけれど、、、「業種違い」の自分の友達や仲の良い
仲間、地域の異業者でなんかやろうとするのがいままで異業種交流みたいに思われて
きたところがあると思う。
でもこれではややもすると「同種族交流」になりかねない。
たしかに「異なる業種」ではあるのだけれどこれでは飲み仲間の情報交換会
みたいなものになってしまう。
異業種交流会も刺激的関係が薄れてくると「たいくつ」な同種族交流会になってくる。

考えてみれば「異業種交流」というのも違うレイヤーとの「交流」だと思うのだ。
必要なのは同じ種族の中での情報交換ではなくて
「異業種、異種族社会」「異レイヤー」への積極的参加なのだろうと思う。
こういう意識がなくて「業種が異なっていれば、、」と異業種交流会を
始めても自分にも刺激がないし人にも刺激が与えられない。



1997.6.20

「異業種交流会」の目的にはそれぞれいろいろな目標がある。構成する人もいろいろな
人であり望んでいるものもそれぞれだ。
せっかくの異業種交流会なのだ。うまく行けば手っ取り早く他のレイヤーへの参加が
できるのだから利用しない手はないだろうと思う。そうすべきだと思う。

但し
「入っていればなにかあるだろう」「うまい話しを持ってきてくれるだろう」
なんて考えていたらそこからはなんにも生まれてこない。

「異業種、異種族社会」への参加はそれなりの自分自身の「アイデンティティー」
や「積極性」が必要になる。
同時に自分と異なったものと面と向き合う「恐怖心」や「怖さ」を克服しないと
いけないし、日本人特有?の「おくゆかしさ」も克服しないといけないだろう。

インターネットや情報技術によってどんどん自分と外部との垣根だけは
取り払われて行く時代だ。ほっておいても隣のレイヤーとの境界には立たされる。
勿論そこで立ち止まっていることもできる。
でも少なくとも新しい出会いや刺激が必要ならば自分から一歩踏み込まないと
始らない、残念ながらそれはもう「情報技術」でできることではないのだろう。





1997.6.21

この場で何度も書いているから気恥ずかしい気もするが
のりもの大好き人間(何と古い言い方!!)の筆者は
最近のマウンテンバイクブームに触発されて
マウンテンバイクを買ってみようかと思っている。
直接のきっかけになったのは
ご存知「木村拓也(キムタク)」主演のテレビ番組だ。
キムタクがマウンテンバイクに乗って様々な事件に遭遇する
テレビ番組で結構視聴率がそこそこ高いらしい。
人に聞いたらやっぱり女性週刊誌でキムタクが乗っている自転車をとりあげ
たりしていて、、
多分、きっと、間違いなくキムタクバージョンのマウンテンバイクが
販売されると思う。
(その予定がなかったら誰か作ってください。私は買います。欲しいです。)

いっては申し訳ないけど今、町で販売しているマウンテンバイクで
欲しいと思わせるデザインのものはめったに無い。
やたら派手な塗装と何やら効果のほどがわからないサスペンションを
つけて結構な価格で販売している。
健康と足がわりのために軽快な自転車が欲しい自分としては
綿パンとポロシャツで気軽に乗れる自転車が欲しい。
かといって昔のロードレーサーや逆にママチャリでは
気がめいる。

さすがキムタクが乗るシュチュエーションのためにわざわざ作っただけあって
前述の自転車はよくできている。
あれだったら「お父さん」や「カレシ」に乗ってもらいたいと
キムタクファンの「お母さん」や「彼女」は思うだろう。
きっと売れますよ。ここは一つ、どなたかやってみませんか。




1997.6.22

この前も書いたけれどマスメディアによる「仕掛け」と商品の関係
はとても大きい。
以前あった実話でおもしろい話しを思い出した。

「鯖とカレーライス」をくっつけた「サバカレー」なるものを作り
それを物語の主軸にしたテレビドラマがあった。
これはあくまでテレビの番組用に考えた商品で実在はしなかったのだが、
ところがこれに目をつけた商社がいて「サバカレー」で実用新案だかをしっかり
取って商品化したのだそうだ。これがあたってしまったのだから
テレビ会社の方は焦ったらしい。そこまでは頭が回らなかったのだろう。
その後の「サバカレー」の売れ行きについてはわからないが
ある程度の商売になったことはたしからしい。

アイディアの「種」はどこに転がっているかわからない。




1997.6.23

いつも本屋さんにいって思うのだけれど
週刊誌でも単行本でも購入するとあたりまえのように
袋に入れて渡してくれる。
でもよく考えてみるとあれは自宅に帰るまでのほんのわずかな
時間のために働いているだけで、それが終わればゴミ箱行きだ。
いくら「只」だとはいえあれほど働く時間の少ないものも無い。

自分としてはゴミになるのだったらできるだけ袋に入れずに
渡してもらうようにしている。
だけど困るときがある。
帰る直前だったらよいのだけれどもう一度お店の中で本などを捜したい時
裸で持ち回る訳にいかないからだ。
そんなときはやむなく袋にいれてもらうのだけれど
(テープを貼ってもらうときもある。)
あれは何とかならないものか。いいアイディアはないものか。
コンビニのように自分で袋を持ち込むのもなんか面倒だし、、、
かといって袋にいれてもらうのもなんか許せないような気がするし、、、

こんなこと書くとヒステリックな環境保護論者みたくてやだけれど、、
袋にいれてくれる間際に「あっ、袋はいいっす。」とそれとなく言うように
してるんです。
袋屋さんの仕事はどうなるのだ!!という話しはまた明日。



1997.6.24

本当に環境問題やエネルギー問題というのは確実に解決が迫られる問題
ではあるのだけれど
必ずその裏側には逆から見て納得してしまう切実な問題もある。

諫早湾の干拓事業もあれほど問題になっていて全国的には「やらない方がよい」
みたいな感じになっているんだけれど
一方で水害なんかの問題で切実に干拓推進を考えている人達もいる。
干拓が水害を防ぐことにならないかどうかは置いておくとして
こういったどちらも切実で、重要で、一理あるということはいっぱいある。

もの作りでもそういうことはたくさんある。
車だって作らなくちゃ国の産業が成り立たないし国そのものだって存在出来ない
モータリゼーションなくして産業や生活はありえないからだ。
だけど一方で環境やエネルギー問題で早急に解決しなくちゃいけないことは
たくさんある。
ちょっとニュアンスがちがうのかもしれないけれど
本屋やコンビニの袋だってその袋をつくるのを生業にしている企業もあるだろう。
環境に影響があるからといって不買運動とか使わない運動とかがはじまったら
影響がでる企業は日本には多い。
こういう問題を皆が納得できるやり方ってあるんだろうか。
軟着陸ってあるんだろうか。

テレビの産業廃棄物を題材にしたニュースをみながら考え込んでしまった。




1997.6.25

昨晩仲間とミーティングがあって郊外レストラン「S」で食事をしながら
の会議を行なった。
先週も同じような会議があってそれは郊外レストラン「R」でやった。

同じレストランでも一人あたりの面積というか椅子の大きさや
コーナーの大きさが異なる。

会議をやって改めて思ったのは会議に向くコーナーや椅子の大きさというものが
あるということだ。

ある程度椅子の間隔が狭くて向かいの席とも近いほうが会議は盛り上がる。
間隔が広いと左右や前後でそれぞれに話しが始ってしまって議論が
はっきりしなくなる。
回りの雰囲気も同じようなものだから熱心に話しをするグループの隣では
自分達もつられるように盛り上がる。

勿論静かに話したい人にとってはもっと広くゆったりとしたところで会議を
する方がいいのだろうけれど、
皆でなんかやるぞ!というときは混み入ったレストランがおすすめだ。

シリコンバレーの起業家達がコーヒーショップで会議をやるという話しを
よく聞くが、なんかよくわかったような気もした。




1997.6.26

考えてみると人間の回りには四角のものが多い。
何かを記録しようとする「紙」も四角だし
何かを入れようとするもの入れは四角い箱が多い。
人間が住む家も四角が基本だ。

「芸術的」なものになっていくにしたがって
四角から異形のものになっていくような感じもするが
基本的には「四角」の文化だと思う。

新聞広告のコンピューターの宣伝も
四角の箱が毎日のように宣伝されている。
最近はなんだか言いようの無い形のものもでてきてもいるが、、

なぜ四角が多いのか、きっとそれなりの研究をしている人も
いるだろうからぜひお教えいただきたいものだが、
基本的には「人間、あるいは人間社会とのインターフェイス」は
四角が一番よいということなのだろうと思う。

これはいずれ変わってくるんだろうか。



1997.6.27

昨日の続き
コンピューターの新しいデザインやインターフェイスを想像することがある。
丸いコンピューターや「変」な形のコンピューターを想像するのだけれど
よく考えれば画面は四角のままだ。
ソフトも基本的には「紙」の上でやっていた仕事をコンピューターの上で
やろうと思っているから四角の中で表現することを前提に考えてある。
画面も四角であることは当然といえば当然だ。

もし球のようなインターフェイスが物理的にできても
人間の文化が四角だから実際にはインターフェイスにはなりえない。
人の考えや構想の仕組みをあらわすことのできるインターフェイスが
できれば素晴らしいと思うしどこかではきっと考えているのだろう。
アメリカなどのコンピューター業界あたりではマッキントッシュに続く
新しいインターフェイスを懸命に考えているのだろう。
でもハードはとりあえず四角だからそれに対応したものになってしまう
だろうしそれも仕方ないのだろうと思う。
もしも人間の発想や思考がストレートに反映できるインターフェイスなり
ハードができればすごいことだと思う。




1997.6.28

昨日の続き
人間が外界に対して働きかけるということでは
よく考えると体の部分では「体」と「声」しかないことに気づく。
「目」も「鼻」も「耳」も基本は受動的だ。

昨日書いた人間と外界とのインターフェイスということでは
四角いものが当たり前になっているのだろうけれど
次にくるのはやはり「声」なんじゃないか。
あとは「目」で操作するか「思考」で操作するということになる
と思うけれどこれの実現はもう少し向こうになるし
コンピューターでいえばすでに画面をみたり音を聞いたりすることで
「目」も「耳」も使用中だからやはり操作するのは
「声」ということなのだろうと思う。

実際、最近は声で操作するコンピューターも続々登場してきた。
なんかまだキワモノという感じがしないでもないけれど
これからはたしかに「声」だと思う。
キーボードの操作もしばらくはなくならないと思うが
いずれは声や音とキーボードの共同作業だと思う。


たぶん、音や声や言語の解析も含めて「インターフェイス」や
「センサー」「人間の思考様式の研究」というのはコンピューターやこれからの
工業製品のとても重要なファクターになると思う。




1997.6.29

まあ、某メーカーが売り出した「声」で操作できるコンピューター
などはその未来の可能性においてはもっと評価すべきものだと
筆者なんかは思っている。
「絵」になった文字情報を活字情報に変換するOCRソフトや
英語を日本語に変換するソフトなんかは昔は大型コンピューターでやったり
購入するにしても高価なものだったけれど最近は性能に比べてとても
購入しやすいものもできてきた。性能もこれからもっと上がっていくだろう。
「声」や他のインターフェイスで操作することだってこれから
どんどん高性能なものになっていくだろう。
コンピューターそのもの以外のものでも生活や仕事に関係した様々なものに
これからはそういったものが搭載され使いやすくなっていくだろう。

多分そこの部分だけでチップやメモリー等の半導体の開発やインターフェイス
の開発や創造する仕事がいずれ増えてくると思う。
勿論「音」や「声」に関係するものだけでなくて
「四角」以外で「触れるインターフェイス」の考案も重要になっていくだろうと思う。
むしろこのあたりは半導体を開発したりする先端産業ではなくて
町の発明家でも充分にアイディア一つで参入できる部分かもしれない。


家のなかでしょっちゅうブツブツ独り言を言っているのもなんか変ではあるけれど
「スタートレック」のようにコンピューターが生活のバックアップをしてくれる
時代はいつのまにか身近なものになりつつあるのかも、、、




1997.6.30

文部省が高校教科書の検定で家庭科の教科書に対し細かな意見をつけて
少なくない数の教科書が不合格とされた。
特に家族像の部分での見解が大きく作用したらしい。
新聞にも扱われたからご存知の人も多いと思う。

不合格本にのった「レストランで食事する光景をとった写真に対し
「食生活は家庭を中心に」と意見が付いた、そうだ。

ほかの「意見」を読んでみても文部省には
「スタンダードな日本人像や日本人家庭像」と
いうのがあるらしくそこからはずれたような特殊な日本人や家庭像を
教科書にのせることは「ダメ」と言うことらしい。

たしかに教科書なのだから特殊な現象を一般化してあたかもそれが
「今の日本の標準」であるような表現はすべきではないと思う。
だが逆に「日本人のスタンダード」というような
日本人像があってそれ以外のものを教科書に載せるのは問題ありとして
掲載を見合わせてしまうのも問題だ。

いまさらいうのもなんだけれど、時代や状況が大きく変わる、変わってしまう、
というのは避けられないし、情報化時代の今などは国を超えてそういったことが
起こってくる。
時代や状況の変化とともに人の考え方や文化や価値観というものは
間違いなく変わっていく。
家族というものに対する価値観や考え方も例外ではない。


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