今日のコラム・バックナンバー(1997年5月分)


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1997.5.31

えー、また私事ですみませんが、、
本日発売のCG誌(カーグラフィック誌という有名な自動車雑誌)に
この間ここに書かせてもらったワールドエコノムーブのことが記事になっている。
ありがたいことに我がスピリットオブスワッコ’97号の勇姿もグットデザイン賞
をいただいたことといっしょに紹介されている。
ミーハーな筆者はこれだけでとてもハッピーになってしまった。
あまり成績がよくなかったことはすっかり忘れて、、、

ボディーの横に大きく書いたインダストリーウェブのURLやロゴマークも鮮やかに
写っている。
URLを書き込んだボディーをまとった「レーシングカー」はまだそんなにはない
はずだ。多分、日本では初めてじゃないかと思う。(違っていたらごめんなさい)

今後いろんな媒体に企業や商品のホームページURLを書き込んだものが
でてくるだろう。
媒体を見てインターネットに接続して情報を取得するというパターンも増えてくる
にちがいない。
エッチテーテーピーなんたらかんたら、、、がいろんなところに登場するのは
ちょっと味気ない気もするけれど。




1997.5.30

ここのところホームページのアクセス数の話題が新聞等に載ることが多くなった。
中小企業ホームページに半年で多量のアクセスがあって、その方法がユニークだとか、
地方の公的機関で始めた企業データベースのアクセスが立ち上げ一週間で
数百件(万ではない)だとか、
オリンピックの公式ページのアクセスが「アトランタ超えた?」
「公式ホームページアクセス数がリード」という記事まであった。

たしかに媒体として多くの人に見てもらうというのは基本的な考えだと思う。
見てもらわないことにははじまらない、ということもあるだろう。
見てもらえないよりは見てもらったほうがいいにきまってる。

でももう一度「何のためのホームページか」よく考える必要があると思う。
確かにものづくりの企業が芸能活動をやったり、面白いコンテンツサービスをやっても
インターネットは受け入れてしまうがはたしてそれに意味があるのだろうか。
企業データベースにしてもオリンピックの公式ページにしても
何のためにホームページにするのか、作る側の自己満足に終わっていないか、
よく考えたほうがいい。

やらない方が良いと言っている訳じゃない。
アクセス云々の前にもっと考えておくことや、やらねばならないことがありは
しないか。
オリンピックホームページは後一年もすれば撤収できるからいいけれど
企業データベースなんかはそのうちペンペン草しか生えていないものになる可能性
があるし、企業ホームページも肝心のページには誰もいかず、併設された
無料のゲームセンターやアミューズメント施設にだけ全然興味の異なる人が訪れている
ことにもなる可能性がある。
自戒の念も込めてそう思う。



1997.5.29

昨日お話した通り、某テレビ局の番組でインダストリーウェブのそもそもの
始まり、諏訪湖電走会の電気自動車の話題を取材にきた。
俳優の原田大二郎さんと美人レポーターの柏尾美沙さんがやってきた。

「なんでこういうこと始めたの?」という質問に待ってましたとばかりに
環境問題とか産業の活性化とかおよそ旅に関する話題とはかけ離れた
返事をしたのだけれど、以外?だったのは
原田氏がシリコンバレーのことや環境問題と産業との兼ね合いなどで
むしろ向こうから話しに乗ってきてくれたことだ。
最後には「これは諏訪湖電走会としてモーターを作らないといかん」と
はっぱをかけられてしまった。(はい、そうしたいと思っています。)

テキパキとした仕事ぶりと めちゃ明るいキャラクターで
メンバー全員ますますファンになってしまった。
カメラが回っていないときもあんな感じなんですねえ。


正直、番組事体にどれだけそのあたりが載るかわからないし、そもそも本当に
番組に載せてもらえるのかわからない、「カット」されてしまう可能性もある
のだろうから、そうなったらご勘弁。
取材の様子や番組の詳細は近々このコラムと諏訪湖電走会のホームページに
掲載しますのでお楽しみに。





1997.5.28

お待たせいたしました。(そうでもないか)
インダストリーウェブのそもそも、元気の元、「諏訪湖電走会」で参加した
「ワールドエコノムーブ」への参戦記をアップしました。

以前にも書きましたが、今回の結果はけっして芳しいものではなかった。
でも次回に向け課題を残したものの僕らは大満足だ。
一つの目標に向けて全力で取り組むあの緊張感はやめられない。
(仕事もそれくらい一生懸命やれとの声あり。)
もちろん日本に新しい産業を興す礎になればと我々は大真面目で取り組んでいる。

さて本日、じつは某テレビ局の番組で諏訪湖電走会の電気自動車の話題を取材にくる。
俳優の原田大二郎さんがレポーターだ。
全国ネットだから皆さんにも見ていただける機会もあるかと思う。
旅に関する番組だからどんなレポートになるかはあとのお楽しみ。

あまり見るべきところがないと「カット」されるおそれもないではないが、
せっかくの機会だ、製造業の心意気をアピールしてしまおう。
ついでに原田さんと美人レポーターのサインももらっちゃおうと考える
ミーハーな筆者ではあった、、、。




1997.5.27

新聞の投書欄、「こだわり」についてどこかの主婦が一言、
「A型の主人は変なことにものすごくこだわる。トイレットペーパーは絶対に
二枚重ねだとか、写真は縁ありの光沢に限るとか、、、」

声あり、オレもA型だけれどトイレットペーパーは別にこだわらないぞ。
写真も好みは「縁ありの光沢」だけど別にこだわらないぞ。


血液型とか星占いとかがある。
若い女性の趣味だけだと思ったら結構大人の男性でもこだわったりする人が多い。
たわいもない話しならばそれもいいと思うけれど、でも結構気にする人って
多いんじゃないかなあ。

初対面の人と会ったとき最初に血液型や星座を聞いてその人にたいして
先入観ができるのは不幸なことだ。
「科学的な根拠がある」というかもしれないが
仮にそうだとしても「はずれ」だってもちろんあるはずだ。
血液型や星座でいうとこの人はこうだから、と決めてしまうのは
せっかくの人との出会いやきっかけをつまらないものにしてしまう。
自分の感覚やインスピレーションや人をみる目を大切にして
出会いからいろんなものを生み出すようにしたいと思う。

人の決めた統計で自分の進路を決めるなんてつまらないじゃないか。




1997.5.26

昨日の話しに関係するけれど
このコラムで3月19日に書いた内容が面白いと思うので再度書きます。
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  クリントンの情報スーパーハイウェイが注目をあびているが
  結局これは彼らの考えているアメリカ再生のための主張の一つに過ぎない。
  あくまでアメリカの21世紀に向けた構想の一つなのだと思う。
  環境的な効率の推進の動き、環境問題へのとりくみも、情報スーパーハイウェイも
  あくまでそれらのなかの一つなのだ。
  
  これについては最近の日刊工業紙にかかれていたスタンフォード大学教授の
  水野博之さんの話しが興味深い
  
      米国が今やハードへの志向をあらわにしつつあるのだ。
     「あと、5年もすれば米国はハイテク・ハードの世界中への供給国になる」
      私(水野氏)の友人はこう公言してはばからない。
  
  インターネットや情報技術の利用ももちろん大切だ。
  製造業の活性化に欠かせないものであることは間違いないと思う。
  でもそれが唯一の選択肢のように捉えるのは考えものだ。
  以前にも書いたように多様な選択肢があっていい。
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情報技術の大切さはこの間インダストリーウェブでも主張させてきてもらった。
インダストリーウェブがはじまったのも「製造業には情報技術の武装が必要だ」
というのがそもそもだ。
「情報技術を追っていったら日本では製造業がなりたたなくなることがわかった」では
笑い話にもならない。
もしもともと日本の製造業に未来がないものであるのなら「インダストリーウェブ」は
「ドンキホーテ」として笑われてもしょうがない。

でも我々は日本の製造業の未来に楽観はしていなくとも確信と未来はあると
思っている。
その確信と未来は誰でもない我々自身が作っていくものなのだろうと思う。



1997.5.25

先日読んだ新聞に日本で有数の家電、情報機器メーカーのトップと
ソフト流通、情報サービス業界のトップが対談する企画があった。
どちらも今の日本の産業界の中で注目を集める人達だ。
当然、今後の日本の情報産業を含め広く産業像を占う上で重要な視点、観点が
語られている。
特に衛星放送等に関しては面白い話しが読めた。

但し気になる点があった。
議論がどれほど記事に反映されているかはわからないが
「製造業は組み立て産業に過ぎない」というのが本質であり「情報産業」がとって
変わるのだ、というところで二人とも一致しているのだ。
ここにはいくつか問題があると思う。
本当に「製造業は組み立て産業に過ぎない」のだろうか。
組み立て産業である製造業から情報産業に今後は変わっていくのだろうか。
自らを組み立て産業と認識している産業界の人も戸惑うだろう。

一方、ある雑誌にベンチャーキャピタリストの原丈人氏が東大の月尾嘉男氏と対談
している企画がある。
原丈人氏はこれからの基幹産業はソフトウェア工業、通信技術工業、バイオ工業、の
三つとしそれを製造業として捉えることが重要だとしている。
いままでは物的工業製品だったのがこれからはこういった知的工業製品に
インダストリーのコアとなるものが移行する、今はその過程、過渡期にあって
無限のチャンスがあると同時に大きい会社とか古いビジネスモデルだけに固執して
いる人にとっては難しい時代に入っている、というのだ。
重要だというのは氏はあくまでソフトウェアにしても通信技術にしてもバイオにしても
工業製品として捉えている点だ。
氏は続けてアメリカのような先進的な国でさえ70年代にハーバードの有名な学者が
「脱工業化社会」といって先進国からは工業はなくなるといった間違った予想を
しそれによって多くの人達がミスリードして誤った考えを持たされているという。
氏は前述のような産業をあえて「工業」というのが重要なのだという。

ここには明らかに視点の異なる21世紀の産業像が見える。

筆者(私)が製造業、あるいは工業に携わるものとして「贔屓目」があるのを
さしひいても私は「どの国においても」「どんな段階にあっても」
製造業やあるいは工業はけっしてなくなったり軽視できるものでないことは
間違いないと思っている。皆さんはどうだろうか。





1997.5.24

先日 昭和5年の工作機械と工具のカタログをみる機会があった。
50年前と今の機械では仕組みそのものはたいして変わっていないことに気づいた
変わったのは工具で言えばスローアウェイチップ等材質とか表面処理とかに関係
するもので、機械でいえばNCの搭載であるとかコンピューターの発明によって
生出されたものだ。
しかし機械加工の本質というところはあまり変わっていないように思える。

昨年のJIMTOFには新しい機構の工作機械が展示されていたが
これは少しイノベーションかなとも思う。
でももっと何か新しい加工方法もふくめ工具や機械のイノベーションの提案が
できないものか、と思う。

もちろん化学や電気の技術の発達で新しい加工方法も生まれている。
プラスティックの射出成形なんかはその代表格だろうし
穴あけ一つとってみても放電加工や電解加工、高圧でのウォータージェット加工、
化学的処理なんかでできるようになった。
で、これからどんなイノベーションがあるかというと
そもそも穴を開ける必要のない設計や方法論もあるだろうし
最新の理論から生まれる穴あけの方法もあるだろうし
「枯れた技術」で、技術的には行き着いたように見える「機械加工による穴あけ」にも
何か新しい方法や技術というものがあるのかもしれない。

なにかここらへんで「ああ、なるほど!」と思わず手を叩くようなものが
できれば日本から出てこないかなあ、と思う。




1997.5.23

14日の日経産業紙に漫画家の宮崎駿氏のインタビューがのっている。
その後この記事をめぐって結構意見が出たらしい。
私もこの記事をみて感想を持った。基本的には宮崎氏の意見がよくわかる。
一昨日、昨日のコラムにも関係する。

「作品は映画館で見て欲しい。ビデオを50回見てくれたなんていうのは
              うれしくない。  そんなのはBGMになっているだけですよ。」

確かに気に入ったビデオを借りてきて何回みても最初に映画館なりで
ワクワクしながら見た一発めに比べると感動なり思いは少ない。
どうせあとでも見られるのだからと一発めの力をぬいてしまったら
あとは何回みてもおなじことの繰り返しだ。
難解な映画の解釈は深まるのかもしれないが感動は薄れる。

なんとなくプッシュは能動的、積極的、インタラクティブで
プルは受動的、消極的、インタラクティブではないと考えるのは
よく考えるとおかしいことに気づく。これは言葉のあやだ。
もともとプッシュといっても受け取る方から言えば「被」プッシュなのだし、
プルといってもプルという能動的な行為なのだと思う。
映画館に出かけていって力いっぱい画面を見つめて情報をプルしたほうが
製作者との関係ではインタラクティブだ。
ビデオでただ情報が流れているだけではたしかに情報の浪費かもしれない。
いくら情報があふれるほど流れてきても処理するのは人間なのだから。




1997.5.22

プッシュ技術によって広がる情報もある。使える分野ももちろんある。
でもテレビと同じようになっていったのでは意味がない。

カスタマイズもできるようだが基本は他人まかせだ。
そんな内容がテレビのように流れていても価値があるのだろうかと思う。
それが限界ならばしょうがない。テレビはそこに限界がある。だから
ビデオにとっておいてあとで見てもそれはそれでいい。
だけどインターネットは違う。

インタラクティブなインターネットにはそれなりの使い方がある。
世界には作った人と見た人の二人しか興味がないコンテンツがあるかもしれない。
自分しか興味を持たない情報があるかもしれない。
世界の中から人と人をダイレクトにつなぐことができるのはインターネットしかない。
いままでそんなことはできなかった。
地球のうらがわの趣味を同じとする人と出会うことはできなかったはずだ。

いずれインターネットはもっとインタラクティブになっていく。
一人一人が情報の発信者であると同時に受信者であり、
それらがフラットに、自由に結びついたものになっていくだろう。
プルの技術もプッシュの技術も絡み合ってこれからもっと重要になる。
プッシュの技術もなるほどと思わせる使い方もでてくるだろうし
想像もできないような深化、進化したものにもなっていくだろう。

少なくとも僕は世界の中にたった一つしかないかもしれない
宝石の様な情報や人にインターネットを通じて出会ってみたいと思っている。




1997.5.21

インターネットに詳しい人や最近のインターネットの技術誌をよんでいる人なら、
プッシュ技術というのをご存知だとおもう。
いままでの技術でいうところのちょうど今あなたが見ているこの画面は
プル技術と言われるもので見ている人がそのページにアクセスしないと
見ることができない。
これをホームページを作っている側から逆に内容を配信してしまおうというのが
プッシュ技術というものらしい。
電子メールもプッシュ技術といってもいいと思う。

新聞、雑誌などを読めば「次代のインターネットはプッシュ技術」という言葉が踊る。
私も確かに電子メールやプッシュ技術から生まれたソフト等に興味がある。
カスタネットだのポイントキャストだの、おもしろそうだ。
きっといろんなホームページやサイトやコンテンツサービスの運営に役立つだろうと
思っている。

でも<プル技術に変わってプッシュ技術になる>のかというとちょっとまてよ、だ。
ことはそんなに簡単な事じゃないと思う。            



1997.5.20

毎日朝読む新聞で最近おもしろいなあと思う新聞がM新聞だ。
ほぼ毎日「記者の目」という記事があって、コラムのような内容なんだけれど
「ああ、記者っていう人達はこんな価値観で記事を書いているんだ」
と知らなかった世界の人たちの価値観を覗けるようで興味深い。
毎日の記事の裏に記者という一人の人間が考えたり悩んでいるのだということが
わかって記事が身近に感じられるようになったりもする。
特に16日のインドの「売春」に関する記事は日本の援助交際と比較するなかで
記者自身も深く考えさせられたのだろう、平易な文章の中に記者の真摯な
意志とまなざしが見えてきてとても好ましいと思った。

日曜日に連載されている「哲学の練習問題」というのも面白い。
18日の「迷子の怖さはどんな種類の怖さか?」という内容には
    「安心してよい場所」を求めることと、未知な場所に出かけながらそれを
    「コントロール」しようとすること、この二つは対照的だけれど、どちらも人間
     の生存の基本的な仕方だといえそうだ。
という一文があった。
要するに意志的な生き方は人間の基本的な生き方の一つだというのだけれど
昨日、一昨日のコラムやベンチャー企業の考え方にも通じる所があって、
そうか、ベンチャー企業を生み出すというのは人間の生存の仕方の選択肢の一つ
でもあるんだと思えたりした。ちょっとむりやりだけど、、、




1997.5.19

地域の産業がそれ自身がもっているポテンシャルをもう一度利用して
時代に対応した新たな産業分野を見つけたり興していくということと同時に
もう一つ大事なことはいままでの地域の産業の資産とはなんら関係のない全く
新しい産業の創出の可能性もあるということだ。
但し逆に言えば「全く新しい」のであるからその地域の資源に影響されず
日本中どこにでも創出できる可能性があると思う。
むしろその地域にとっては全く考えもしなかった産業なのだが
日本のどこかにはそれに適した場所が他にあることは可能性としては高い。

じゃあ、地域の資源を利用するにしろあまり利用しないにしろ新しい産業を
興す一番重要なことはなんだろう。
特に地域の資源にあまりとらわれない産業があるとしてそれを創出するとなれば
それはどこにできてもおかしくない。
なにもせずにただ待っていても春先の桜のように花が開くわけでもない。


あまり精神論に傾くつもりはないけれど
やはり意志と行動力そして様々な人々との連携だろうと思う。
俗な言葉でいえば「手数」と「口数」と「野次馬根性」と
そして「意志」なのではないか。
「意志のあるところに道はできる」となんかのことわざあったと思ったけれど
その通りじゃないか。

こんな話しになってしまってとても恥ずかしいのだけれどそんな風に感じている。






1997.5.18

昨日の続き
自分の町の産業の到達点や地域のもつポテンシャルや資源を冷静に検証し確認したら
次にはそのポテンシャルと世の中が進むであろう方向をすり合せする作業を
どうやってすすめるか、を考える必要があると思う。
「世の中が進むであろう方向」は少なくともエネルギーの浪費につながるものや
環境に負荷を与えるもの、システムでいえば中央集権的なもの、小回りの効かない
官僚的な社会システムや社会資本なんかの構築に振っていったら「おおはずれ」になる
可能性は大きい。
又、もし方向が見えたとしても ほおっておけば自動的にすり合せが進むわけではないし
誰がどのようにどうやって進めていくのかなど、方法論はいろんなものが
考えられるのだからよっぽど気合を入れてその気で一生懸命その作業をしないと
良いアイディアやシステムなんかは出てこないだろう。

昨日の例で言えばバイオ産業の礎となる可能性を持つ(と思う)諏訪の醸造業や
養殖業や寒天製造業なんかを実際にどう次世代の産業やバイオ産業に結び付けていく
のか、その地域の他の産業の資産と組み合わせるのかなどその方法論やアイディアを
作り出さなくちゃいけないと思うのだが、、。

もちろんその産業に携わる企業の中にはとっくに始めているところもあるはずだし
むしろ逆にその産業に深化、特化していく企業もある訳で、地域として方法論や
アイディアを作り出すというのは本当に難しい。

どうも考えるに日本はその方法論の構築が遅れていると思う。
アメリカは例のシリコンバレーのスマートバレー公社が地域コンソーシアムと
して地域の企業連携のコーディネート役を進めている。
シリコンバレーで勉強しようと日本からの訪問があいついでいるらしいけれど
日本には日本なりのやり方があっていいのだと思う。
15日には政府が「経済構造の変革と創造のための行動計画」を発表した。
これが実効あるものになるかどうかはわからないし 日本なりのやり方なのだ
とも思わないが、、
少なくとも方法論の模索とすり合せを同時に進めていかなくちゃいけないことは
確かだろう。
そしてそれを進めていくのは政府でも行政でも自治体でもなく我々民間の企業
であることも確かだと思う。






1997.5.17

ご存知のように、我々はインダストリーウェブを運営すると同時に
諏訪バーチャル工業団地の運営にも関わり応援している。
又最近は他地域の異業種交流グループの皆さんや企業の方々とも交流が始まっている。
いずれは日本中の中小企業の皆さんの中にダイナミックな連携が始ることを願っている。
で、そのような活動の中で感じたことをとりあえず一つ。

このコラムでもたまに書いているのだけれど、
自分の町の産業の到達点や地域のもつポテンシャルや資源を冷静に検証し確認し、
理解することはとても大切なことだと思う。
次にはそのポテンシャルと世の中が進むであろう方向をすり合せする作業が
必要になると思っている。
我々はその作業の一つとしてモーターやアクチュエーター等の技術をバックに
環境や省エネルギーの方向と重ね合わせていくシンボルとして電気自動車を
走らせようとしているのだけれど、
重要なことはその地域の持つポテンシャルというのはとても多様で複雑で
理解し難いものであるということを理解していなくちゃいけないということだと思う。
「冷静に検証し確認し、理解する」とはそういう意味で言っているのだけれど
これが思いのほか難しい。

例えば諏訪では古くから醸造業が盛んだ。酒や醤油や味噌なんかは全国的にも有名だ。
又、養殖業なんかも結構あったりする。鱒や鯉なんかは有名だ。
茅野市では昔から「寒天」の産地として有名だ。
これらは諏訪特有の気候風土がつくりあげてきた地域特有の産業といっても
いいと思う。
もちろん他にも諏訪にはいろんな産業や人的な物理的な精神的な「資産」がある。

これらの「資産」はそれなりに理解し共通の認識にする努力をしないと
ひとりでに生まれてきてみんなの認識になるというものでもないだろう。
事実、前述の話しなんか諏訪以外の人に言われて「ハッ」としたものだ。

醸造業や養殖業や寒天なんかは考えてみたらバイオ産業にもっとも関係のある
産業じゃないか。

21世紀の巨大産業になにがなるのかはまた後日考えるとして
情報通信産業に並んで少なくともバイオ産業がもう一つの可能性を持っている
というのは多分間違いないだろう。

もしかして21世紀の巨大産業を支える元の産業が足元にあるのかもしれない。
それなのにそれを理解している人がどれだけいるだろう。
「そんなの夢の話しだ」と言われればそこまでだ。
地域振興策で「こんな産業が良い」とか「これやろう」とかいうのも良いだろう。
けれど もう一度足元の苦労して作ってきた産業の中、資源の中に
忘れている宝石はないのか、死角はないのか、
もう一度よくよく確認した方がいい。




1997.5.16

しばらく真面目なコラムだったので今日はこんな話しでも、、、

<賭け事の勝ちかた>
何かに賭けて負けたとする、次回は負けた総金額を取り戻せる金額と
儲ける金額を足して又賭ける、もし負けたらもう一度それを繰り返す、
勝つまでそれを続ける、勝ったらそこでやめる。
そうすればどんな賭け事でも勝てると思うんだけれど、
これは当たっているんだろうか?

もちろん大前提として賭け続けるだけのお金をもっているということがある。
「自分は大金持である」と言う人はためしてみてください。
でももしこれで失敗しても保証しませんのであしからず。

でも「これはほんとに賭け事に勝つ丸秘の秘訣ではないのかなあ!?」
などと言っていたら
「賭け事は引き際が大事で、勝っているときに止められたら苦労はない。」
のだそうだ。
なるほどそういうことか。



1997.5.15

・・とあるプレス機械メーカーと話す機会があった。
最近メカニック向け雑誌等で紹介されていたりするから知っている人もいると思うけど
新しい考え方に基づいて作ったカムとNCサーボを利用したプレス機械や
その他、新しい考え方のプレス機械が最近よく話題になる。
そのメーカーとの話しのなかでもやはり話題になった。

この前インダストリーウェブの中で紹介した加工メーカー(テレビ番組で紹介される
と ご紹介したから見た人もいるとおもいますが)でも独自の加工ノウハウに対応する
プレス機械そのものを自社開発していると番組でも言っていた。

昨年の国際工作機械見本市でももちろん高速化されたプレス機械がたくさん紹介、
展示されていた。とくに半導体関係の用途に作られたプレス機械が多かったと思うし
それも含めていままでのようなプレス機械がまだまだ主流であることも間違いない。
が、前述のこういった新しいプレス機械の動向をみていると
どうもプレス加工そのものの方向が新しいものへ向かっているのではないかと予想
される。(そんなのとっくにそうだ、といわれるかもしれないし、おまえの思い過ごし
だ、と言われるかもしれないが、、。)素材の変化や金型の加工技術の進展、要求され
る製品の形状や付加価値がどんどん変わって高度化して来ていることからしてもそれら
を含めてプレス機械やプレス加工技術そのものが変わってきていることは間違いないよ
うに思う。

考えてみれば「普通のプレス加工」はどんどん東南アジアへ流れているのは
明らかだし、工作機械見本市にでていた台湾製の最新プレス機械のレベルをみれば
いままで国内で行われていた一般的なプレス加工のレベルはすでに東南アジアに
一般化されてきているといっても間違いではないように思う。
同時に金型加工技術もそういうことになっていくのかもしれない。

景気が悪いと言っていたこの何年かの間にも技術の革新はとどまることはなかったのだ
と思う。
もう一度足元の日本がいままでよって立ってきた技術を検証する時がきているようにも
思う。少なくとも今すぐその作業に着手すべきだろう。

今、プレス機械加工技術の変化から目が離せない。面白い。


なお、インダストリーウェブの
インターネット上にある技術情報
には、ものづくりに関するインターネット上にある情報を掲載しています。
今日の「今日のコラム」の内容に関係して参考になる情報があると思います。
ご利用ください。




1997.5.14

又、ローカルな話題で恐縮だけれど
長野県の支援で諏訪湖のほとりの岡谷市に
独立創業企業を支援するインキュベート施設ができあがった。
今日はその開所式だ。

4月より開発型企業が11社入居し経営を始めた
せっかく地元の企業だからこの間はじから回って挨拶かたがた
いろんな話しを伺った。
創業時はいろんな問題や心配、不安があるのだろうけれど
皆さん頑張って夢に向かって動きはじめている。

魅力的な創業者も多い。
地元に古くからある企業群にとっても
それらの企業と交流がはじまることはいろんな可能性をうみだすことは
間違いないだろう。
今後は地元自治体や工業関係団体、地元企業群、大学、高校等と
積極的な交流を行なっていきたい、行なってもらいたいと思う。


県や自治体の応援についてやその他ベンチャー企業に対する日本の諸制度や
回りの企業や社会風土等いろいろ問題や意見もあるだろうけれど、
ぜひぜひ頑張ってもらいたい!!(月並な言い方だけれど)
インダストリーウェブも思いっきり応援したいと思う。

全国にも同じように21世紀に向けたいろんな胎動があると思う。
是非そういったニュースや話題をおおしえください。
インダストリーウェブは全国にそういった素晴らしいニュースを
伝えていきたいと考えています。
なお本日付けの「日刊工業新聞」の「列島ネットワーク」欄に
この「インキュベート施設」についてと手前味噌ながら
インダストリーウェブについても書かれています。
ぜひご一読ください。



1997.5.13

今日の新聞各紙に人間とコンピューターのチェス合戦の話しが載っている。
今迄は人間のプロが勝っていたのだがここで初めて人間にコンピューターが
かったということだ。
まあ、記事としての面白さはあるだろうけれど
人間とコンピューターの未来を占う重要な問題だったとは思えない。
さすがに「コンピューターが知的になった」というような記事はまだないけれど
「情報化時代の幕開け」なんてとんでもないと思う。
情報化時代の幕はとっくにあいているし、
ましてエベレスト登頂や月着陸にしてきするとは思えない。

元々人間ができることを代行する技術が生まれると
競争やゲームは必ずといって良いほど行われてきた。
自動車だって汽車だって自転車だってもともと人間が移動するのに大変だから
生まれてきた技術だ。
それと競争するのはいってみれば「見世物」であって
技術の評価をするものではないと思う。
コンピューターとの「競争」だってもともと人間が処理することが
大変な作業を「電子計算機」によって軽減化することが目的だったはずで
「勝って当たり前」なのだ。
それを大袈裟に「人間が負けた」のだの、(それは事実だが)
コンピューターが知的になって行くだのというのはおかしい。

むしろ人間が「処理」では圧倒的に早いはずのコンピューターに
ここまで勝ってきたことやそれを支えた直感力や大局観を
人間の持つ特質として興味深く見るべきだろうし、
そのほうがスゴイ!!。






1997.5.12

先日東京で神戸製鋼のラグビーのゼネラルマネージャーであり、日本ラグビー
協会の日本代表監督である平尾誠二氏の話しを偶然聞く機会があった。
正直いってあまり興味のないラグビーの話しを聞いても、と思っていたけれど
これがなかなかの内容で、聞いてよかった。
氏も講演の機会が最近は多いのだろう、スポーツマンらしからぬ?つぼを押さえた
講演内容でおおいに会場をわかせた。
特に過去の経験から一般論を抽出して話そうとした内容よりも、氏の
過去の経験そのものがとても示唆に富んでいてそれだけで聞いていておもしろい。

ひとことで言えば氏の主張はラグビーのチームにしろ、なにかしらの
グループにしろ基本的には一人一人の主体性や積極性を最大限に発揮させることが
重要で、外圧的な、固定的な、服従的な組織運営は、個人のやる気やひいては
組織の強さの発揮につながらない、というものだ。

イギリスのクラブチームの運営と日本のそれ等を比較しながら説得力ある説明も
聞けた。

もちろん、一人一人の主体性や積極性を最大限生かすことが重要であると同時に
グループにおけるリーダーシップの重要性も強く主張する。

またチームの位置づけは個人のちからを最大限生かすのが良いチームであり
自己犠牲によって進めるような組織論はだめなのだ、という主張は
最近、企業のありかたがよく議論されるなかでとても説得力があった。

氏は最近「イメージとマネージ」という本を東京大学客員教授の松岡正剛氏と
一緒に集英社より出している。ぜひ御一読ください。






1997.5.11

その時点で、ある範疇で、ベストのカッコや仕組み、究極の性能を発揮する
デザインというのはあるのだろう。
とりあえず誰がみてもこれはよくできているというのは確かにあって、
そんなものはよく真似されることはある。
戦闘機だって車だっておなじだろう。
「あの車とおなじようなスタイルなら売れるかもしれない。」
「あの車と同じようなスタイルにすれば性能がアップするかもしれない。」
「あの戦闘機と同じような戦闘機ならそこそこ同じ性能はでるだろう。」
同じようなスタイルやデザインや仕組みは案外そんなあたりでおちついている
のかもしれない。(違っていたらごめんなさい。)

でも、なかにはとんでもない奴ってやっぱりいて
人が考えもしなかったことを実行に移す。
あくまでその時々の技術というものに縛られながらも、また自分自身が
社会やその時代そのものに内包されているという壁がありながらも
その範疇から「新しいこと」を興す。

そりゃたまには失敗(むしろしょっちゅうかもしれない)するかも
しれない。失敗している時には「あいつの考えていることはだめだ。」
「やっぱりみんなのやってきたことが良い」と叩かれるのが関の山だが
あたればそれこそいままでのものをすべてひっくり返したり
束になってもかなわないものができる可能性もある。
いつかそれが次の新しい社会やシステム、生活等の原動力になる。

こうやって考えてくると結局独創的で革命的なアイディアとか天才的なアイディア
とかいうものは不連続的に過去とは関係なく生まれ出るものではなくて、
又、その時点ではベストに見えてもけっして固定的なものではなく、
あくまで「今あるもの」のなかからうまれてくるもののように思う。

だけど、それはきっと過去から現在にいたるまでの技術の積み重ねに対する
深い洞察や検証と、人間として自分を取り巻く社会や環境に対して
感性豊かに次の時代の方向と必要なものを考え出す作業を柔軟に繰り返すことに
よってのみ生まれるものなのだろう。




1997.5.10

まだ結論めいたものがあるわけではないけれど、
これだけは言えると思うことは、
システムにしろ機械にしろ車にしろ電気自動車にしろ
どんなシュチュエーションでもベストなものというのは存在すると思う。
、、というか、人間の望む「飲む」「食う」「移動する」というような欲望を実現する
方法というのは基本的には一つの答があると思う。

だけれど実際はその時点での技術レベルや社会的な土壌、要求されるもの、個人の差位
などによっていろんな答が存在し絶えず生まれ変化し消滅する。
技術の変化と人間の介在が複数の答の可能性を生む。

ジェットエンジンのない世界で今あるようなジェット戦闘機の姿はないだろうし
それを支援するシステムはありえない。
ガソリンエンジンのない世界ではガソリン自動車の姿は創造できない。
それを支える社会システムや、そもそもアスファルト道路等も
生まれる基盤はなかった。
馬車の世界では馬がはしるためにはアスファルトは必要ないし、
石油産業が出てきて初めてアスファルトもタイヤも可能になった。
その時代、時代において社会や産業やシステムを決定付ける重要な技術というものが
ある。産業革命でいえば印刷技術や蒸気機関なんかであったろう。
革命というほどではないにしろ、いまの時代でも大きな影響を持つ
技術要素というのはいっぱいあって日夜生まれては陳腐化し消えていく。

又、どんなものでも現実を反映しているものであることは間違いない。
どんなとっぴでもないものであっても必ず現実の反映として存在しているはずだ。
以前から時々ここに書いている「独創性」にしても
過去から不連続に出てきたアイディアのように見えても
必ず現実の反映や裏返しである、といってさしつかえないと思う。
よく哲学の命題として言われることでもあるけれど
そもそも人間は解決しなければならない問題とか、創造しなくてはいけない
アイディアとかは現実世界からは一歩も外へも出られないし外からも入れない、
現実から離れた、問題やアイディアというのはそれ自身では生まれ得ない。
もしそれがあるとしたらそれは「不条理」の世界であって文学ならともかく少なくとも
ものづくりの世界ではありえない。
但し、インプットに対してアウトプットが常に同じかというと人により時代により
これも常に変化する。
現実に対する反応はそれぞれに異なり、感性によっても異なる。






1997.5.9

えー、昨日のことでもうちょっと考えを深めようと考えていたら、
えらく混乱してしまった。
結局「真理は一つ」なのか、なんてとんでもないところまで
思いがめぐってしまってまだ結論的なものがでてこない。困った。
この間ここでたまに話している「独創性」についても関係する話しだ。
またこの話しかと思われるかもしれないが、
大事なことだとも思うのでしばらくはお付き合いください。
というわけで週末の哲学講話?は明日へと続く、、、





1997.5.8

秋田で行われた「ワールドエコノムーブ」は一人乗りの小さな
電気自動車を作って走行距離を争う。
電気自動車というより自転車に近いのりものだ。

三回目の今年はさすがに勝ちパターンらしきものがあって
車そのもののデザインもほぼ似たようなものが多くなった。

よく言われるけれど
究極の性能を求めていくとデザインとかはよく似てくるんだろうか。
自動車なんかはCADなんかで設計するんで似てきてしまうとは
よく聞く話しではある。

自動車競技であれば競技規則、市販自動車であればその車のコンセプトや
車検などの車両規則、などによってよく似てくるというのはなんとなく
わかるような気がする。

まして戦闘機なんかはもっと単純で、ようするに勝てばいいのだから
基本的なコンセプトが同じだけで(簡単に言えば戦闘機なのか爆撃機なのかの違い)
カッコが似てくるというのは
「究極の性能を求めていくとデザインとかはよく似てくる」
例としてなんとなくわかる。
もともと戦争の道具に競技規則や車両規定なんかがあるわけはない。

でも本当にそうなんだろうか。
スポーツや競技やそれ以外でもいろんな物で
究極の性能を発揮するデザインは「一つ」しかないんだろうか。





1997.5.7

電気自動車といったって走っているぶんにはそうは普通の自動車と変わる
わけじゃない。
ただ音が静かなのと、加速の感じが普通の車と少し異なることくらいだ。
(これが結構ポイントなんだけれど)

これでよっぽど経済性やその外のアドバンテージや優位性がないと
普通だったら買わない。
まして車両価格が2倍もするとなれば買わない。
買うのは国の機関や自治体位だろう。

いずれエネルギー問題が解決しなくちゃいけないことであるのは間違い
ないことではあるけれど、だからといって電気自動車を作りさえすれば
自動的に売れるというわけではないだろう。

で、そういうことを進めていくためにはやっぱり玉虫色の方法というか
「いさぎ悪い」方法なんかもやんなくちゃいけないのかもしれない。

環境問題に興味ある人だけで電気自動車のイベントをやるのでもなく
単に自動車が好きだけだったりする人でやってみるとか、
省エネルギーの車というだけでなく、乗っても面白い車にするとか。
純粋の環境保護という議論からすれば少々危ない人達も含めたりもしながら、
全体として進んで行くような方法を取っていく必要があるように思う。

電気自動車作って会社を興そうというのだって充分全体としていい話しだと思うけど。

そんなことしながらようやくの思いで電気自動車はいずれ走り始めるのだろう、、、。





1997.5.6

電気自動車の話しばかりで恐縮ですが、
いままでだって電気自動車のブームは何度かあった。
省エネルギーのことやエネルギー危機のことが扱われるようになるといずれ
電気自動車のことがマスコミに扱われるようになる。

「今度ばかりはそんなことにはならない、ブームにはせずになんとか実際の
生活や産業に役立つようにしよう、」
という意見もあるけれどこれは楽観的過ぎると思う。

もちろん時代の要請と技術の到達点とが合わさる必要があるとは思う。
今は確かにそんな状況に近いかもしれない。
それは最低限の条件だと思う。
人の意識も状況によって変化していくことを考えればそんななかで
初めて人や社会の環境やエネルギーに対する認識も徐々に変化してくのだろうと思う。

しかしなにか環境問題やエネルギー問題を解決するには決定的に欠けているものが
あるような気がしてならないのも正直な思いだ。
一人一人の意識の問題?いやそんなんじゃなくて、、、





1997.5.5

えー、二日ほどお休みいただきましたが、無事に秋田県で行われた
電気自動車の省エネレース「ワールドエコノムーブ」に参加してきました。
その間コラムのアップがお休みになっていましてすみませんでした。

それにしても日本も大きい。片道12時間、車に揺られ、豊かな田園風景(といっても
田植えはこれから)や山並みや日本海の風景をみながら秋田県まで遠征した。
残念ながら我々のレース結果そのものはよい成績ではなかったけれど、
全国から集まって来る参加者と1年ぶりの交流を深めることができた。
今年は遠く中国やスリランカ、アメリカからの参加者もあって
74チームを数え、イベントそのものも大きくなりつつある。

レースそのものは小さなバイク用バッテリー4つで二時間の内に走行する距離を
争うものだが、今年もトップチームは記録を伸ばし、
70キロメートルまであと数十メーターまでの記録を残した。
多分来年は70キロメーター以上での記録争いになるにちがいない。

詳しい報告はまたウェブに載せます。お楽しみに。
ちなみに我々の「スピリット オブ スワッコ97」は、
グットデザイン賞をいただきました。

主催者の皆さん、参加者の皆さん、
大きなイベントの開催、準備、ご苦労様でした。
きっとこうした地道なイベントの継続が技術や人の積み重ねを可能にしていく
のだと思います。それは環境問題やエネルギー問題の解決を誰か人がやるのではなく、
自分達の問題として自分達で切り開く力と文化の礎ともなるのだと思います。

もちろんこれほど「楽しみながら」「苦労しながら」参加できるイベントは
にわか大工で素人の我々にはあまりないですから純粋に楽しむことができました。
この場を借りてお礼申し上げます。





1997.5.4

お休みです。



1997.5.3

お休みです。



1997.5.2

またまた、ローカルな話題で申し訳ないけれど、長野県や我々の住む諏訪という
ところは昔からモーターの生産額がとても多いところで、多分日本でもトップクラス
だと思う。

最近のモーターはご存知の通り複雑なコントローラーやドライバーを必要とする。
又、もし電気自動車のモーターともなれば中身も大きいし、外形をアルミ鋳物で作る
等、多様な産業の集積として出来上がる側面を持つ。

最近のモーターに使われるコアの珪素鋼板は珪素の含有率が高くて加工がし難い。
シリコン等硬脆材料の加工技術などは日本の得意とするところだろうが
珪素鋼板等の加工技術にもきっと独自の加工ノウハウがあるだろう。


私達は長野県や諏訪はいずれの日にか
電気自動車のモーターの生産地になれば良いと「勝手に」考えている。
要するに今迄のその地域での産業構造や歴史の到達点と
これからの産業の方向、例えば環境問題とか、医療福祉とか、
そういった新しい産業の潮流とを掛け合わせる作業、
ベクトルを重ね合せていく地道な作業を進めて行く必要があると思っている。

日本の各地にも、歴史によって磨かれてきた技術や人や文化が必ずあると思う。
きっとそんな中から新たな産業も生まれてくるに違いない。

という訳で
我々も「ベクトルを重ね合せていく地道な作業を進めて行く」作業の一つと
して例の秋田県で行われる電気自動車の省エネレース
「ワールドエコノムーブ」
にこの連休中に参加する。

申し訳ないですが明日、明後日はコラムのアップデートが出来ないので
「今日のコラム」はお休みとなります。
(遠く秋田よりモバイル環境でアップしようとしたのですが、
    車を作るのに追われてしまいコンピューターの用意ができませんでした。
                                                      すみません)

「ワールドエコノムーブ97」参戦記は後日ウェブに載せます。お楽しみに!!




1997.5.1

昨日夜10時からのテレビ番組「ニュースステーション」で
「電気自動車」の現状について特集していた。

状況はまさしくあの通りで完成度の高い電気自動車が今後続々と登場する。
各国内自動車メーカーもアメリカのZEV(ZERO EMISSON 
VIHCLE)規制との関係や外国も含めた他のメーカー(これは自動車メーカーに
とどまらないのがミソ!)との関係から今後さらに開発が加速されていくだろう。

最近ドイツではバルト海のリューゲン島でここ何年か実験していた「電気自動車の
運用実験」の途中結果が発表された。
今のところ社会全体としてのエネルギー消費としてみるとけっして電気自動車が
エネルギー効率ですぐれているわけではないという電気自動車推進論者(我々もそう)
にとってはショッキングな結果が発表された。
一方ではベンツなどは今後電気自動車の開発を加速するとしている。
燃料電池の開発などが重要な要素になると考えているようだ。(これは国内もそう)

なにが本当のところかわからない。・・わからないが、すでに新しい時代に向けての
産業構造の構築と前段階のかけ引きがはじまっている。

産業構造の構築とは少々オーバーかもしれないが、いままで自動車産業が
産業界のリーダーシップを担ってきたことは間違いのないところだったが
それが電気自動車によっていままでとは違った構造の産業群によって支えられる
かもしれないということだ。

現にベンツが開発を進めている「スマートカー」はスイスの時計メーカーを
パートナーとして進めており、フランスの田舎に数千人の新たな工場を新設
している。
もっと端的にいえばエンジンやミッションの変わりに電気モーターやバッテリーを
作る必要があるということだ。



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