今日のコラム・バックナンバー(2009年 6月分)


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掲載は日付順になっています。


2009.6.1

もともと、いったん国内に入ってしまえば
ある程度広まる可能性は避けられないとしながらも
やはり最初の防御壁たる検疫で
海路や空路から入ってくることを
できるだけ防ぐことは重要だと思われる。

いったん破れ目から
国内での感がはいずれ始まることは避けられないとしても

その破れがいつおきるかを野放しにしておくのではなく
検疫によって
できるだけ遅らせることや時間をかせぐだけでも
有為なはずだ。

たぶん東南アジアで起きるだろうとされる
新型インフルエンザも
空路や海路の人的な感染からおきることが
考えられるはずだし
それも向こうの人が日本にくる場合に
持ち込むこともあるいは
日本人が現地から帰ってくる際に持ち込むことも
考えられる。



2009.6.2

あるいは渡り鳥によって
直接日本国内に鳥によってもたらされる可能性も
ないではないだろう。
要はこの時代には感染症が蔓延する機会や可能性には
なにがあってもおかしくはないということだ。

そんな場合には
あとだしじゃんけんではなく
考えられることはすべて対処しておく、
ということが重要なのだろう。

少なくとも
感染の蔓延を遅らせるだけでも意味はある。
対策をねったり資源の有効な配置を
考える時間はかせげるはずだ。

一部の人々が
患者が出た高校などに電話をして
海外にいた学生にマスクをさせなかったことなどを
せめた、とあったが
いつの世にもそういう感想を持つ人や
過剰な反応をする人もいるので
まあ、そういう反応は
当事者にとってはつらいだろうけれど
うけ流しておけば良い。

緊急事態であり、経験のない事態には
みながみな賛成するわけはない。



2009.6.3

インフルエンザにかかってから発現するまで
1週間ほどかかってしまうのだから
その間をどうするか管理できれば
結構問題は縮小するように思える。

簡単にいえば
かかった瞬間、とはいわないまでも
かかったとその日くらいにわかれば
以降の対処はだいぶん楽に簡単になる。

今回の対策はけして無駄ではなかったし
過剰でもなかったと筆者は思う。

それにしても
これから島国日本の若者も
海外へでかけていくことも増えるし
企業の産業も海外との往来も増えていくのだから
どんどん国際的になっていく時代であることは
間違いない。

こういう有事の際への備えや
用意は、すくなくとも頭のなかで
考えておくことや
シミュレーションしておくというのは
大切なことだ。



2009.6.4

ところで、
今回、多くの日本人が
マスクをかけている写真やテレビニュースが
国内外で報道された。

日本人は清潔好きだから
マスクをしている、みたいな話とともに
日本人はわりと付和雷同してしまう国民性だから
という意見もあって、
正直いえばあのマスクの品不足からくる
騒動を思いだせばうなづけるように思う。

異物を持ち込むこととか
異質な人が入ってくるのに
敏感に反応する、という感じも
今回強く受けた。

海外、それもヨーロッパの人々なんかは
むかしから地続きで
いろんな人と歩いていける地上で
いっしょに暮らしているわけで
境界線もあるようでない。
いまだって国境があるようでない、
ような状況で生活しているわけだし
周りを海で囲まれた日本とはだいぶ異なる。



2009.6.8

異民族が近接しているヨーロッパなんかは
隣人とうまく付き合う方法を
昔から長い時間をかけて習得していて
よそから異質な文化や人たちが入ってきても
あまり苦にしない、というか
付き合い方になれている、ということなのだろうと思う。

ただし、そうはいっても
インフルエンザとの付き合い方に
なれているとも思えないから
マスクとかへの過剰反応については
彼らのようにのんびりしていても良いとも思えない。

実際、これが強毒性のものだったら
いったいどうなったかはわからない。

昨年あたりから
新型インフルエンザへの対応が
国や地域、産業や社会としても
重要な事項であるとされてきて

実は筆者も強い興味を持っていたことから
例えば昨年10月ころに
各県などで行われたインフルエンザへの
対応のためのシミュレーションや訓練などが
各県などで行われた際に
興味を持って見学にでかけていったことがある。



2009.6.9

このような訓練やシミュレーションを見る経験は
めったにないことだったから

感染症対策や新型インフルエンザに対応するには
どうしたら良いかという話題以外にも
いくつか考えさせられることがあったが
ここでは産業とのかかわりについて考えたい。

といっても感染症の蔓延によって産業や社会に及ぼす影響
とかの話ではない。

もっと泥臭い話、
感染症とビジネスのこと、だ。

火事場泥棒みたいな感想を持たれて
誤解をうけるといけないが、
しかし、今度のマスク騒動を見ていても
けしてこういう場合にも
経済原理とかと無関係ではいられないことはすぐわかる。

実際、今度の問題でマスク関係の産業は
経験のないほどの繁忙ではあった、という事実はあるだろう。



2009.6.10

インフルエンザ騒動で被害を被った地域や
人々には申し訳ない言い方になってしまうが
失礼ながら
マスクを備蓄していた業者や業界では
ある意味結果的に特需もうまれたかもしれない。
いやたぶん生まれただろう。

ちょっと前のSARSのときに
マスクを在庫に抱えてしまった企業なんかは
ここで一気に在庫を圧縮した、という話も
聞こえてきた。

初期の流通で出てきたマスクはその時の
ものだった、なんてまことしやかに
話されている。

いや別に悪いことではない。

備蓄というよりは
季節性インフルエンザが例年蔓延したり
新型インフルエンザが発生することの可能性が
強く言われたり
それに関連する映画なども上映されれば
こういうものを先を読んで
作ったり在庫しておいたのは
ビジネスとしてはしごく当たり前で
むしろこれまで思ったより売れずにいた業者にとっては
一斉に在庫処分ができたという朗報にもなっただろう。



2009.6.11

今度の新型インフルエンザは
弱毒性であって
致命傷になった患者が発生しなかったから
こんなことがかけるが
もし強毒性で個人や社会にとって
致命的なものであったらあったなら
これがマスクの在庫処分になったなどと
安易にはかけない。

さて、今度の新型インフルエンザは
今年の秋冬から
再び発生し、それも強毒性になって
発生するのではないかと言われている。

少なくとも再び発生するのは
もはや間違いないと言われている。

ただし、このような順番や発生状況が
毎年繰り返されるわけではない。

インフルエンザが発生するのにはある周期があって
その原因が何であるかはまだはっきりしていない。

中には太陽の黒点発生の周期となんらかの
因果関係があるとする向きもあるのだ。

だから、周期発生の原因が特定されていない以上
マスクメーカーは
来年も備蓄しておこうなどとは安易に
考えないほうが良い。

よほど資金的に余裕があって
数年は備蓄しておいても余裕のあるような
企業なら別だが、であればその余力を
他に使おうと考えたほうがいいだろう。



2009.6.15

今年の冬も季節性インフルエンザは流行するだろうし
もしかしたらそれを前後して強毒性弱毒性含め
新型インフルエンザは広まる可能性もあるだろうが
しかし一方、はやらない可能性もあるのだ。

そういう意味で
インフルエンザの発生の可能性の高低や
市場原理?に任せておくのではなく
必要な量のマスクは
国が買い上げてでも一定量を備蓄しておく必要は
あると思う。

あるいはそれに順ずる方法を考えておく必要もある。

それと人から感染しないためのマスクと
人に感染させないためのマスクは
あきらかに異なるのだが
それを混同していて違いを知らない人は多い。

人にうつさないためのマスクは
フェイスマスクで良いし
要は唾などを周囲に飛散させないようにすれば良いのだ。
自分がインフルエンザにかかったと思ったら
マスクをするかあるいはなにか布状のものを
口に当て唾などを周囲に
飛散させないようにすることが重要で
ただしクシャミをするのは突然だから
いつもそれに対応するのであれば
布状のものを手にもっていても
間に合わないよりはマスクをかけてしまうべきだ。



2009.6.16

何度もいうけれど
外国はマスクをせず
一方の日本は過剰反応だ、みたいな議論があるが
それは間違いだと筆者は思う。

マスクによって感染を防ぐ、あるいは
感染が広がる時間を稼ぐ、ということであれば
マスクを装着することはけしておかしなことではない。

また、マスクをしている人は
感染者だと思われるのもいやだろうから
今回のように老若男女みんながやっているようになれば
それはそれでかまわないではないか。
感染者だと特定されることもないし
自分が自覚しているしていないにかかわらず
ともかく人にうつすことは減る。

うつらないためのマスクということでは
フェイスマスクではたしかに
空気感染にはからきし弱いが、
直接飛沫などから自分を守ることには意味がある。

汚染された自分の手を
不用意に自分の顔や粘膜に触れることも避けられるので
意味がないことだとは思わない。



2009.6.18

もちろんN95のような空気感染にも
ある程度強いマスクであれば
それにこしたことはないが
N95を身に付けることには
どうしても息苦しさがつきまとうので

人ごみにいかなければならないとか
感染が疑われる人が集まる場所や地域に
入っていかなければならない場合など
とっておきの時につかえばいい。

まあ、もともと空気感染の場合
濃厚な接触でないかぎりは
感染源と3M以上離れたり
空気が拡散する環境では問題ないとされるので
周囲に人もいず、開放された空気の環境下では
マスクをせずとも問題はないとされている。



2009.6.22

いずれにしても
マスクがこれほどビジネスに関連するとは
誰も思わなかっただろう。

実はマスク意外にも
感染症対策からビジネスの関連する話は
たくさんある。

火事場泥棒と言われる可能性もないではないが、
しかしビジネスの目線でこういう社会的課題を
解決していくことも重要だろう。

そういえばもう一つ感じたことがある。
感染症などは濃厚な接触、要は
人と人が近接することによってうつる。

情報技術やらインターネットやら
テレビを見ていてとかでは絶対にうつらない。
いまのところそういうのはコンピュータウイルス
ということになっている。

まあ、以前美人女優のシャーリーズセロンが出る
SFサスペンススリラー映画で
宇宙人が地球をのっとるのにはるか離れた星から
地球に実際にくるのは現実的ではないので
情報で宇宙飛行士をのっとるという話があった。
要は遠隔地から流されるDNAを埋め込まれる、みたいな話で
人間を宇宙人のしもべに改造してしまうという話ではあるが
あくまで生体としては人間である。
荒唐無けいな話ではあるがこれはなるほどとは思った。

それにしても「感染」という現象について
考えてみたらいろいろ興味深いことはあるのだと思う。



2009.6.23

感染症の「感染」「伝染」は
身体的な接触、ないしそれに近い
近接した環境下でうつるが

そんな物理的接触に近い「感染」「伝染」で
ごく短時間で世界中に数万人に及んだということは
驚くべきことだ。
実際に認知されていないだけで
実際にはキャリアとなって感染している人々は
たぶんもっともっと多いだろう。

それらの人々の物理的に近接した環境を通じて
世界中の人々にごく短時日にうつっていったということの
意味は実はとても深いと思う。

このある意味では物質的なネットワークによる
人から人への感染というか接触が
この仮想現実的な情報化の時代にあっても起きた、
いやたぶん今日のグローバルな時代であれば
むしろもっと広域的に短時間のうちに
大規模に広まる可能性はむしろ高まる、のであれば

感染症に限らずこれは
社会的ネットワークのインフラや仕組みや
あるいは
ビジネス含めいろいろなことに関係してくる話なのだと思う。



2009.6.24

むかしむかし、
世界のすみずみで起きていることや
そこの風景を個人のレベルで
認識できることができたら
どんなにすばらしいことだろと
思ったことがある。
当時は夢だったし、認知の限界としては
究極のものだったと思う。
でもいまではそれに近いことが
始まっている。

ネットで一瞬にして世界中がつながる時代だ。
グーグルで世界中の情報が検索でき

上空からの町や建物の様子もわかるし
はたまた通りの様子がわかる時代になった。

ストリートビューなんて
見ていると世界旅行をやっているみたいだし

ずうっとはるか
昔に通ったことのある通りを
いまになって再訪できるなんで
思ってもいなかった。



2009.6.25

バーチャルにつながるだけでなく
実際に物理的につながることも
簡単になった。

人間が住む場所であれば
ほぼ一日で地球上のどこでもいける。

一日でほぼ人類の誰とでも
フィジカルにつながるようになった。

意味なく社会とつながっているだけでも
一人から数万人に接触がつながっていく意味は
実はとても深い。

感染症がまさにそうであったわけで
旅行のいっかんとして飛行機に乗ったり町に出て
何の共通の文脈や背景をもたない
人と人が近接するだけで
感染症になったり
その連鎖がどんどん拡大していく。

むしろこの「弱いつながり」を積極的に
利用するビジネスも考えられる時代なのだ。



2009.6.29

最近わが県を通ることになっている
リニア新幹線のルートと駅の設置場所について
活発な議論がなされている。

東京と名古屋を結ぶリニアの路線には
おもには二つの案があって

ひとつは東京発で山梨の甲府に停車してから
南アルプスの真下をトンネルでつっきり
長野県の伊那谷の南部、
長野県でも南部に位置する飯田市に
停車し名古屋にいたる路線だ。

もう一つは
甲府から長野県のほぼ中央に位置する
諏訪地方に停車し、そこから
伊那谷を南に南下し飯田に停車
名古屋に至る、というルートだ。

いまこの二つの路線案をめぐって
県内とJRで議論している、というわけだ。

筆者は最近までどちらでもいい、と考えていた。

いやむしろ、地方交通網が地方にひかれる場合に
地方の側から必ずといっていいほど
盛んになる地域振興とか町おこしとかいう話は
都会への地方からの豊さの分配・配分のお願い、
の議論に聞こえてあまり賛成できないのだった。



2009.6.30

たしかに
多くの地方経済は疲弊していて

大都会にとっての地方の存在は
どんどん人材提供をする供給基地と
(大学の学生などもそうだし多くの場合
そのまま都会に居残ってしまったりする)
消費地としてなにか買わされ、結果的に
お金を吸い上げられる対象にしかなっていない。

しかし下手をすれば都会と田舎の間での
交通網の充実は
さらなる都会への人材やじいては富の
流出につながる危険性をはらんでいると思う。

ますます若者は都会にでかけていき、帰ってこない。
都会から地方のなけなしのお金をめざして
いろんな「営業マン」がでかけてきては
地方のお金を都会に持っていく。

だから交通網の充実は
都会から地方にお金を分配する道具になる可能性も
ある代わりには
逆に都会にお金をもっていかれてしまう
道具にもなる可能性も十分になるのだ。
いやむしろ後者の結末のほうが
多いように思うのは筆者だけだろうか。


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