今日のコラム・バックナンバー(2007年 12月分)


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掲載は日付順になっています。


2007.12.3

でも考えてみれば
それらの製品を作るEMSにとっては
「ビジオ」は
自分の作る製品を
ブランドの管理をしてくれて
販売をしてくれて
営業もしてくれる
委託販売会社、と言えないこともない。

それをいったら
日本の圧倒的大部分の中小企業は
大手企業に営業などを委託している、と
いえないことないのだが
ただし裁量権はブランドを持っている企業の側に
あることは間違いない。

でもEMSにしても
圧倒的大部分の中小企業にしても
自分のところでしかできない技術や製品を持っていて
ブランドメーカーはその企業に
任さざるを得ない場合には
裁量権のある一定の部分は
中小企業側やEMSが持つことにもなる。



2007.12.4

最近「限界集落」という言葉が目につくようになった。

どこかの先生が作った言葉、概念とのことで

その集落の住民のうち
半分以上が65歳以上の老人で占められている集落を
そう呼ぶとのことだ。

で、今、日本の、特に地方、田舎には
限界集落が急速に着実に増えているのだという。

日曜日午前のサンデープロジェクトでは
この限界集落について特集していた。

具体的には高知県高知市近くの町、大豊町を
取材していたのだが、

番組では大豊町が限界集落になった経過、

戦後の田畑から
針葉樹の植林を国の補助金によって施策として
急激に進めたのだが
これの施策が植林政策によって持続的な
収益を得る方法を奪ってしまったこと

農家からその年その年の現金収入の方法を奪い

その町から若い人もふくめ
人口の流出を促進してしまったこと。

保水量の少ない針葉樹の植林によって
急斜面の崩落を促進してしまい
国土の崩壊にもなってしまっていること

このような例が
大豊町以外、日本の地方田舎には
たくさんあること、
などを紹介していた。



2007.12.5

逆に高知県のなかでも
戦後の植林政策に迎合せず
自分達の経験と目的意識から
広葉樹の植林と
それに複合して進めることができる
しいたけ栽培などの森林ビジネスを
並行して広げていくことによって
「限界集落」化を防ぐことに成功している
自治体の例を紹介していた。

たしか四国のなかには
農業分野で成功している例がいくつかある。
村に自生する様々な森林樹木から
秋や春に取れるきれいな葉っぱを
収集し、それをまとめて
東京とか大都市圏の
市場を経て飲食店に出る飲食物の「つま」にする。
これが当たってきた。

あるいはゆずを使った周辺商品の開発に成功し
年商数十億もの商売をしている
農業関連の組合もある。



2007.12.6

こうして眺めてみると
どうやら盲目的に
国や県の施策に追従してきたところは
補助金などもつぎ込まれた結果
むしろ施策に失敗しているところが多い。
けしてそれだけが原因ではないと思うのだが
結果的にはそんな傾向が強い。

一方
自分達とそのなかのしっかりとしたリーダーとで
自分等で考え行動してきたところは
成功している例も多いように思う。

たぶん失敗しているところもあるのだと思うし
テレビで映すところは
成功した部分が中心になってしまいからどとは思うし
国の施策でも成功していることだってあるだろうと思う。

針葉樹の植林だって
日本中がそれでだめだった、というわけでもないだろうが
しかし国の施策は
波及効果も考えた結果なのだろう施策の規模も大きいし
途中で引き返すこともままならず硬直的に
進めることも多いから
一度失敗すれば国土全体に被害が及ぶ。



2007.12.7

まるで大手企業のビジネスの失敗に近い。

一方、中小企業や
それぞれの町の人々が
自分達で考えた行動は
たしかに失敗もするけれど成功もする。

でも補助金ももらっていないから
途中で引き返すこともできるし
方針転換もできるだろう。

国や県の施策は失敗が目に見えていても
引き返すことがなかなかできないし
やろうともしない。
今国や自治体がしてきた失敗の多くは
そんな例が多い。
北海道の財政破綻した例の自治体も
観光化やはこものを作るという
当時の自治体トップの無謀な方針を
誰も止められなかったからだと言われている。

ところでこの大豊町の光景は
毎年のように夏に高知に遊びにいくから
筆者は定期的に見ている。



2007.12.10

四国へ入ってからの光景は
興味深く見ている。
このあたりの話は
前からこのコラムで書いてきた。

10年ほど前は
岡山から瀬戸大橋を越えて四国に入って
高知まで行った。

最近は神戸あたりから
淡路・鳴門をとおり海を越えて高知まで行く。

淡路島を超え阿波踊りで有名な徳島から
高速道路を使って四国に入る。

しばらくすると両側が山地になり
その狭い谷にそって高速道路を進んでいく

一時間ほど走ったころ現れる
高速のジャンクションで
右からきた高速と合流し左の方向
高知にむかっていく。

山はますます険しくなり
なおかつ深くなっていく。

およそ150年ほど前の幕末、
幕末の志士、坂本龍馬らは脱藩を決意し
この険しい山やまに決死の覚悟で分け入り、
新時代への希望を見出したのだろうと思うと
その険しい山々がむしろ意義あるものにも見えてくる。



2007.12.11

高速はその山と山の間を縫うように進む。

たまに現れる下路は
山の中腹を走る高速道路のはるか下にあり
高速道路よりも更にくねくねと曲がっている。
山やまのすそとすそが作る
複雑にくねった谷の底にできた道だからだ。

人々が暮らす集落は
その下路の周辺ではなく
むしろ高速道路が走る中腹か
あるいはそこよりも上に点在している。

集落間の交通手段は
高速道路とはほぼ関係なく
下路を使うことになる。

一旦、集落より自家用車で山道を下り
下路に降りて目指す集落にたどり着き
再び集落まで山道を自家用車で上っていくのだろう。

車がない時代には
その作業を自分の足で行なってきたのだろう。
考えてみるだけでも途方もない作業なのだが
しかし、今でも車をもたない
お年寄は歩くか、車を頼むか、あるいは
移動をあきらめるしかない。



2007.12.12

集落のなかにも下路の近辺にも
商店らしきものは見られないから
たぶん下路がたどりつく比較的開けた山あいに
生活必需品等を入手できる場所があると思われるし
そんなところに町や村の行政組織や機関や建築物などが
置かれているように見える。

こういう地域社会は
江戸時代から築かれ営まれてきたと聞く。

主には農業だと聞くが
戦後は自動車によって
近隣の開けた集落に働きに出るとか
あるいは住まいもそこに移して
働きに出ていた、とも聞く。

こういう状況を見ると
たしかに若いひとたちは
近隣の都市に住まいと働く場を
移してしまっただろうと思えるし
年をとった人たちは
自家用車がない限り
集落のなかにとどまったままになる。

あるいは思い切って
子息といっしょに
近隣の都市部に住まいを移すかだ。



2007.12.13

こういう営みを人々がえいえいと
築いてきた場所は高知以外にも
日本中いたるところにあるわけで
まさにこうしたひとびとの生活と仕事が
日本を支えてきたわけでもあるのだが
(けして日本がそういった人々を支えてきたわけではない)

戦後や明治以降の施策の無策無為によって
集落や地域社会が
継続して地域社会を営んでいけない、という
状況に追い込まれてしまった。
そう言っているわけではなかろうが
実質的にやっていることは
地域社会を崩壊させること、それに近い。

若い人はすまなくなり老齢化が進み
原野や山野は荒れる一方だ。
今回の限界集落化も
その結果の一つというわけだ。



2007.12.14

ただし
テレビ番組での評価はともかくとして
筆者が四国山地を
通っていて気付いたこともある。

徳島の山中を走っていると
あの「フクスケ」の大きな工場が
山中に突如として現れる。

たぶん服飾品を製造している工場なのだろうが
こういった工場が
深い山中にあるのには
はじめてそれを見たときにはいささか驚いた。

この山に囲まれた地域で農業以外の産業といえば
唯一といえるほどに珍しい存在だと思えるのだが

たぶん労務費のことや日本人や
地方の人々、特に農業地域に住む人々の勤勉さなどからすれば
服飾品を作る場所の選択としては
アジアでなくても充分に機能するのではないかと筆者には思えた。



2007.12.17

岡山あたりで「ジーパン」生産が
行なわれているのも有名だが

四国の山のなかで
服飾品が生まれていてもおかしくはない。

服飾品を中心とした国内需要にむけての
クイックレスポンスには
いろいろいっても
国内生産に勝るものはないはずだ。

たぶん四国も含め
今後日本国内での産業産地としての
見直しも充分ありえると筆者には思える。

なにも労働集約的生産分野の
大量生産品がすべて中国やアジアのほうが
生産地として良いというわけではないと思える。



2007.12.18

ものによっては
東京や大都市周辺が新旧の、ただし
たぶん中国アジアと真っ向からぶつからない
異なる産業やプロセスの産地に再びなることも
充分考えられるし
すくなくとも
限界集落と言われているようなところが
新たな産業地域として
成立する可能性もないことはない。

いまだステレオタイプな産業評価に
左右されることなしに
産業人として
あたらしい挑戦を
地域とともにはじめるベンチャー企業というか
社会起業家なども
例えば四国や限界集落と言われる地域のなかから
出てきてもおかしくはない。



2007.12.19

そのあたりの話は
実はとても面白い話になると思うのだが
そのあたりはまた次の機会にゆずる。

さて、実はサンデープロジェクトの
限界集落をめぐるレポートは
二週にわたって放送された。

一週目は
四国の大豊町など
山地の限界集落化が主だったが
二週目は都市の限界集落化を扱っていた。

地方都市の多くでは
都市の周辺でも
限界集落化が起きているというのだ。

この話は珍しいものではない。

実は筆者は何度か
この状況をこのコラムでも書いてきた。
限界集落という言葉がなかったから
それをわかりやすい言葉で伝えることはできなかった。



2007.12.20

筆者の住む地方の町の郊外でも
限界集落化は起きている。

これも戦後の産業政策が進められてきた結果と
いっていい。

戦後、産業化・工業化がいろんな町で進められてきた。

郊外に工場が乱立し
それに伴って働く人々も
安価な郊外に住居と家庭をもった。

そんな集落は
近隣に位置する比較的大きく
歴史のある「なんとか町」の名前をとって
「なんとか村」と属村のような呼ばれ方をした
ことも多い。

筆者の住む地方の工業都市○○市の近隣にも
○○村という俗称が付けられた集落がある。

そこにいくと
○○市に住んでいた人たちが
大挙して転居し
まとまって住んでいることが多いからだ。



2007.12.21

そこに住みはじめた人々は
当時20代から30代の人々で
そこで家庭を持ち子供を育てた。
いまから30年以上も昔のことだ。

団塊の世代とも一部は一致する。

しかしこの10年ほどで
変化がおきている。

そこで生まれ育った子供達が再び
20代から30代となり
独立した家庭をもって
近隣やもっと離れた巨大な町に
住居を移すことが行なわれてきた。

現代の20代や30代の若者の時代は
一般的に高学歴社会になった時期でもある。

遠くの大学に通う子供達も増えたし
そのまま故郷に帰らず
都会にとどまることも
そしてそこで家庭を持つことも増えてきた。



2007.12.25

郊外にとどまった人々は
ほぼ60歳を越え
会社もリタイアし
独居か夫婦でその地域に住むことになる。

通常その家では
その家のだんなさんが車の免許を持っていることが多い。

主婦が持っていることも多いのだが、
だんなさんあるいは主婦がなんらかの理由で
クルマで移動ができないことになった場合には
郊外に住んでいたことが
今度は負担になる。

一方、公共交通網は
国家や自治体の赤字を背景に
どんどん減らされていくから
実質的な交通手段がますます減っている。

これが前述の「都市の限界集落化」を
生み出している。



2007.12.26

車社会で遠方のマーケットに出かけて買い物をしたり
病院に行ったり公共機関に行ったりすることを
前提にした生活をしていたから
車が使えず移動が大変になれば
さながら陸の孤島とならざるを得ない。

そんな状況にたまたま偶然重なったのが
低金利を背景に
日本中に作り始められた
地方都市の街中に作られている
高層マンションなのだろう。

たぶん、ここに住む新たな居住者には二種類いる。

郊外から移り住む60歳を越えた人たちと
その子息にあたる30代の人々だ。

都会の金持ちが投資目的に地方都市のマンションを
購入するのはこの話とは全く別の話だ。

この新しい住人が住む
新しい時代のマンションがうまく機能すれば
もしかしたら
新しい産業やまちづくりになるかもしれないというのは
ここでなんども書いてきた。



2007.12.27

ちょうど四国の山中に
工場がたたってもおかしくはないように

郊外に移った人々が
ふたたび町に戻り
地域社会を構成するかもしれないのだ。

そのキーワードとなるのが
もしかしたら
都市型マンションかもしれないし、

あるいはそこに出現する新しいかたちの
働く場所や企業や工場かもしれない。

あるいは新しい都市型交通機関かもしれない。

地域社会の形も
たぶんこれまでとは異なる
新しい地域の形も姿を見せるかもしれない。



2007.12.28

年末の休みも今年は長くて
ゆっくり休めるという人もいれば
こんなに休んでいては仕事にならないと
ぼやいている経営者もいることだろう。

筆者はせっかく休みが長いのだから
これまで目を通せなかった
本でもできるだけ読んでみようと思っている。

新しい時代には
新しい観点と知恵も必要になるだろうから
それを学ぶには
本を読むことが手っ取り早い。

それと新たな人とたくさん出会うことだろう。
最近知恵や人との新しい出会いの可能性と重要性を
ますます強く感じるようになった。

2008年の新しい出会いに期待したい。

今日で2007年の今日のコラムは終わります。

ものづくりをめぐる状況は
いまだいろいろな課題や問題を抱えていますが
楽天的に前向きに進んでいきたいものだ。

また来年もよろしくお願いいたします。


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