今日のコラム・バックナンバー(2006年 11月分)


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掲載は日付順になっています。


2006.11.1

一方、それらの人々がすべて都市型マンションに
流入してくるのかといえば
けしてそうではない。
ある程度「それなり」の
所得や資金がなければそれはかなわないからだ。

やはり多くの人々は
これまで住んでいた地域や住まいがある
都市の周辺に住むことになるだろう。

で、そういう人たちがそれでは
もう「中心に住めない。安心に暮らせない。」
のかというとけしてそうではない。

「中心に住まなくても安心に暮らせるし楽しく暮らせる」
方法がないわけわけではないだろう。

先日友人や知り合いと会って
話をしていて
面白いことを聞いた。



2006.11.5

昔から言われている「オンデマンド交通システム」が
最近ではいろいろな地域でためされているというのだ。

どうやら筆者の住む町の近隣でも
実験的オンデマンド交通システムが駆動しているらしいし
全国では30箇所以上も
試験的に運用されているらしい。

大都市のように
狭い土地に人口が密集している
ところであれば
中型以上のバスが
バス停間をつないでいて
終着を駅に設定しておけば
コスト的にはそれ相応の人が見込めるから
バス会社も経営的に参入し維持していくことができるから
持続的なシステムとして運用できる。



2006.11.6

しかし、
田舎や地方の都市などでは
人口は密集していないから
町の中を走るバス路線を見ていても
乗り込む人が少ない現実がある。

実際、筆者の町で町部を運行しているバスを
横目でながめてみても
あまり乗車率が良いようには見えない。

町の周辺になればなるほど
単位距離あたりの乗車人員は少なくなり
乗車率は悪く、結果、コストに跳ね返るから
バス会社もコスト割れを自治体とかの補助や支援とかがない限り
事業運営ができなくなって
いずれ廃路線ということになる。

今日本中でそんな話はいたるところで
ぶつかっているはずだ。



2006.11.7

で、こういうことに対処するために
とりあえず手っ取り早い方法としては
バスを小型化するわけだ。

バスを小さくすれば運用の費用も
バスそのものの購入コストも大型バスの数分の一
あるいは一桁違うほどのコストの圧縮になる。

にしてもそれだけではだめで
採算に乗るためにはまだまだ工夫が必要だ。
で、そんなための一つの手段として
以前から注目を浴びている方法の一つが
オンデマンド交通システムであるわけなのだ。

オンデマンド交通システムであるから
文字通り運行予定はオンデマンドである。
路線も決めてないというか、
あらかじめ決めた路線はないのが普通らしい。



2006.11.8

バスなどの路線や運行には
もともと法律的な規制が
いくつもあるらしいのだが
法律的にいろいろ工夫するというか
あるいは拡大解釈する余地があって

例えば普通の路線というようなものではなく
貸切や観光という扱いなら
自由に道や道順を選べるということになるから

あらかじめ決めた路線をとらなくても
顧客から要求のあった場所を
つないでいくことができるらしい。

ちなみに最近注目されているが
高速道路のバス路線も
いままでのような定期のバス路線ではない
観光バスが高速のバス路線に安価な運賃で
参入してきているのも
この法律の解釈というかが
うまく作用して運行されているらしい。



2006.11.9

であればそのお客が望む場所まで
行ってあげなければならないわけだが
いまの情報技術を使えばたとえば
その場所の位置の連絡は携帯電話なりで連絡可能だ。

こうしていろんな課題や条件を満たしていけば
オンデマンド交通システムは
なんとか駆動できるようになるだろう。

当然バスそのものも大型ではなく
バスというよりは10人乗り以下の
大型乗用のワゴンのようなもので良い。
状況によっては普通車のSUVくらいのものでも良くなる

で、たぶん仕組み・システムは細かくみれば
だいぶ違うところがあるだろうが

だいたい
今全国でそんな形のオンデマンド交通システム
が動き始めているらしい



2006.11.10

こういう仕組みがうまく運用できれば
都市型マンションに居住しなくても
町の周辺から町のなかに人は入ってくるだろうし
街中の商店街の復興にもつながることがありえるだろう。

中心市街地に立ち始めた都市型マンションと
オンデマンド交通システム

こういったものが相乗効果で
中心が欠落してコミュニティーもなくなってしまった
中心市街地の再生を行なえるのかもしれない。

地方都市が経済的にも産業的にも
社会的にも大変な状況が多いとされるなかで
案外実はすでに
次への胎動が始まっているのかもしれないとも思える。
その胎動がいったい何なのかは
それぞれの町で懸命に探しみつけてみることは
大事なことだろうと思う。



2006.11.13

先日、古い雑誌を整理していて
手にとった雑誌が
今読み返してみると
なかなか面白くて
思わず手をとめて読み直してしまった。

ちょうどバブルがはじけて
日本中で不良資産だとか景気の落ち込みだとかが
言われてきた時期の雑誌で
自動車レースのフォーミュラ1のことを
特集している雑誌だ。

当時のバブル崩壊は
大手銀行や不動産や製造業に対する多大な影響は
もちろんなのだが
バブルの余力をかって稼いだジャパンマネーが
様々な業界や産業やビジネスの世界で
日本や世界中を席巻した状態を
一夜にして崩壊させてしまったことは
誰もが知っている。



2006.11.17

そして自動車レースのフォーミュラ1の世界も
同じようなことがおきたのだという。

当時、主に不動産の天井しらずの値上がりで
それをバックに
海外の不動産や企業をジャパンマネーが買収したことは
よく知られている。

で、当時、
歴史ある自動車レースのフォーミュラ1の世界でも
ジャパンマネーが歴史あるフォーミュラ1のチームを
いくつも買収したことも有名な話だ。

そのなかの一つには
マーチという有名なレーシングチームを買収した
レイトンハイスという不動産ビジネスを元にした
チームが有名なのだが
もう一つ有名なチームに「ブラバム」がある。



2006.11.18

ちょっと昔のF1レースの好きな人なら
誰もが知っているブラバムだが
当時1990年代初頭に
やはり日本の不動産ビジネスから生まれたジャパンマネーが
ブラバムを買収した。

しかし、
おそらく同じような経路をたどったのだろうと思うが
バブルの崩壊にあわせるように
どのジャパンマネーもそれらの一度手にいれた
F1チームを手放すことになった。

バブルの時代におそらくは天文学的な金額の
ジャパンマネーが
世界中の不動産やF1チームのような
ヨーロッパなどの歴史的文化的資産を
はじから買収したのだが

バブルの崩壊に伴って
それらのものを手放さざるを得なくなったのだ。



2006.11.19

年間予算で50億円とか100億円とか言われる
F1チームの運営資金を
当初のジャパンマネーなら買収することはかなっても
崩壊後にそれらのお金を作り出して運営するとなると
それは大変なことだっただろう。

それにしても
年間でそんなにも必要となるF1運営資金を
バブルマネーではなく普通の実業のお金で
稼ぎ出す、というのは
当時のバブルは一次のあだ花としても
F1レースが始まった1950年代から今に
いたるまで
資金調達という点では
大変なことだろうと予想はつく。



2006.11.20

普通に宣伝広告費として
企業にお願いしても
50億円とか100億円とか言われるお金を
レースに投入するのは至難の技だ。

実際、日本の自動車メーカーが
F1に参入しても
景気の波に翻弄されるたびに
F1参戦からの撤退を繰り返している。

いくら世界に誇るような規模で儲かる実業をしていても
F1に参加していくのは
とても大変な作業らしい。



2006.11.21

ところが考えてみれば
ヨーロッパの参加チームはみな歴史あるチーム、つまり
永い間、実に永いあいだ、
F1レースに参戦をしているチームばかりだ。

いくらなんでもそんな小さなチームが
年間で50億円とか100億円とか言われる参戦費用を
簡単にまかなえるはずもないはずなのだが
実際には十年数十年という永い期間にわたって参戦している。
まあ、なかには参戦を取りやめるチームや
解散するチームもないではないが

世界を席巻したジャパンマネーチームが
あれほど簡単にあきらめてしまうF1参戦を
なんとかつなげていくチームがあるのは
ある意味不思議ではある。

で、永くなったが前述の雑誌は
そのあたりの「裏事情」を
当時の日本チームのオーナーが明かしているわけだ。



2006.11.24

で、ごく簡単にいうと
実業ではない、いわば「アングラマネー」のような
世界を駆け巡っている巨大なお金の運用で
50億円とか100億円とか言われるF1チームの
運用資金くらいはまかなってしまう世界があるのだという。

それほどの金融の仕組みが
歴史ある資本主義社会のなかで生まれ培われ
特にヨーロッパを中心として
現実に存在しているのだという。

たしかにこの200年ほどの資本主義社会の
誕生と勃興と隆盛のなかから
あるいは国家間の戦争や利害のやり取りのなかで
どこかに人知れず蓄積された富の大きさと
その運用のシステムは
我々「新興国」の市民レベルでは
想像だにできないようなものであることは
おそらくは間違いあるまいと思う。



2006.11.25

考えてみれば
これはF1チームやレースに限ったことではない。

日本は戦前から戦後と生糸産業や精密機械工業を
まじめにこつこつと続けてきて
実業の世界では世界から尊敬されるほどの?
富を蓄積してきた。

これは間違いのないことだろうと思うし
自負してもいいのだろうと思う。

しかし近代社会に生まれてきた
ここ数十年の金融資本とそのビジネスが生んだ
富とビジネスの大きさは
そんな実業の大きさをはるかに凌駕する
巨大なものになっていることは
最近は誰もが知っている。

一説には富と利潤をむさぼる怪物のように
世界を駆け巡る「お金でお金を儲けるためのお金」は
実業で動くお金の数百倍とも言われている。



2006.11.26

で、F1の世界に流れるお金は
そのいわば余剰のなかから使われるものということらしい。

たぶん世界をみればF1に限らず
そんなマネーゲームのための仕組みや
そこから結果的に生み出されているビジネス・商売、
もしかして表には出てこないような裏ビジネスもふくめては
巨大なものなのだろう。

それがいいことは悪いことか
認めるべきものか認めるわけにはいかないものか
は別にして現実にそういう世界が存在して
無視どころか実態経済の存在まで影響を与えたり
するところまで成長してきている事実は
認めないわけにはいかない。



2006.11.27

ここまでいろいろ書き、考えてみると
日本の文化ともいえる「まじめなビジネス」は
たしかに世界に誇れるビジネスではあるのだが

まじめにこつこつと実業で稼いでいる日本は
そういったマネーゲームにしろ裏ビジネスにしろ
結局は仕組みを作って運営している人々に
一番美味しいところが持っていかれてしまうというか
苦労したぶんをちゃんと儲けられないというか、
・・残念ながらそんな感じが否めない。

「まじめなビジネス」の代表格には
日本の大好きな「ものづくり」があるのは
いうまでもない。

「ものづくり」をこつこつと行なって稼いでいても
結局はマネーゲームの脆弱・不安定な仕組みの上で
なにかのきっかけで富や蓄えを失ってしまうことは
いままでもしょっちゅうおきていることだった。



2006.11.28

マネーゲームはばくちやゲームと同じで
脆弱・不安定なものだ。
マネーゲームの当事者もそれはじゅうじゅう承知していて
自分がリスクをしょっていることはわかっているのだろうが
なによりそれが好きな人々だから
我々のようなものづくりが大好きな文化の人々とは
もともと価値観があうはずがないのだが

お金という共通の単位と同じ社会と市場で
やり取りをしているから
下手をすると
ものづくりで作り出し溜め込んだ富や豊かさを
彼等のような「博徒」に
かすめ取られてりまうことは簡単におきる。



2006.11.29

よくテレビの時代劇では
やくざの運営するばくち場で町のまじめな商工業者が
こつこつ稼いできたお金を持ってばくちに参加し
手練手管の博徒に身包みはがされる。
そんなシーンがあるではないか。

テレビの場合には水戸黄門の助さん・角さんが出てきたり
暴れん坊将軍が出てきたりして
まじめな商工業者を救ってくれたりするのだが
いまのところマネーゲームのばくち場には
そんなきとくな人物はいないようだ。

15年も前のF1レースのことから
そんな話になってしまったが、
要は日本はまじめにものづくりで稼いでいるが
どうやら世界に目を向ければ
そんなものとははなから世界観や価値観が異なる
マネーゲームが実際に横行していて
まじめなものづくりが
評価ほどには「儲からない」という構造が
透けて見えてくる、ということだ。



2006.11.30

F1レースにジャパンバブルマネーが
出ていってすぐに撤退を与儀なくされたのは
町の不動産かなにかを持っていた小金持ちが
なにかのきっかけでなり上がって
そのお金を持った土地成金が
やはりやくざのばくち場でねこそぎ鴨にされた、
そんな図式なのだろう。

不動産であぶく銭を持ってかれた、というのは別にして
懸命にものづくりに励んで働いて稼いだかねを
持っていかれるというような状況が
この先再び再現することだけは
なんとかしなくてはならないだろう。

そういう点でばくち場という「仕組み」を
永い時間をかけて作ってきた「彼等」に
対抗していくのは
ものづくりでこつこつと稼ぐことになれ
それに美学を感じている日本と日本人には
並大抵なことではないと思うのだが
しかし、そうもいってられないはずだ。


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