今日のコラム・バックナンバー(2006年 10月分)


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掲載は日付順になっています。


2006.10.1

という話になっていくと
グーグルのほうが巨大なプラットフォームを構築してしまって
むしろグーグルのプラットフォームに
車がのっかってしまう、という恐れがなきにしもあらずだ。

そういえばなにかにつけて
「グーグルに接続するサービスを始めました」
などというコメントが
機材の供給企業やサービス企業の
コマーシャルなどで聞かれるようになってきた。

不動産会社なんかもAPIなどを使って
サービスを提供しているし
たしかホンダもそんなことはじめている。

日本もようやくというか
遅きに失している・逸しているというか
「日本版グーグルをつくる」といいはじめた。

たぶんここまできたら正攻法では無理だと思うが・・・。



2006.10.2

ところで
もしグーグルに勝てる方法があるとすれば
全く違うやり方があるのはもちろんだが

先の「車という物理的サービス機器」の
供給業者としては日本は世界的にみても
いまだトップクラスだということがある。

プラットフォームや情報網そのものや
そのなかでやり取りする情報は
どうやらグーグルにとられてしまっているが
それを使って人や社会につなげるインターフェイスの部分は
いまだ日本のお家芸ではないか、
ということだ。



2006.10.3

またブランドについて話を戻す。

レクサスは
レクサスとして評価されるブランドが欲しいのであれば
ルマン24時間レースに
レクサスブランドの車で出続けたほうがいい。

結果がでなくとも
出続けるだけで
評価、特にヨーロッパにおける評価はあがることだろう。

そういっているうちに
フォードがアストンマーチンを売却すると言い始めた

まさか
20年前にバブルに踊った日本企業がニューヨークの
摩天楼を買収した一連の事業が結果的に
大やけどを負うことになったことを思い出せば
日本の企業がアストンマーチンを買収するとは思えないし

アングロサクソンの車をアジアの成功企業や成金企業が
買ってもそうブランドを維持できるものだとは思えない。

お金にあかせて買うようなことよりは
苦労してでも技術を高め蓄積し
レースに出ていくほうが評価は間違いなく高まると思う。



2006.10.4

ある識者が
20世紀は物理と数学の時代
21世紀は化学と数学の時代、
どちらも数学が重要なことに注目する必要がある。
とおっしゃっていた。

今年90歳になられる
ある大手エンジニアリング企業の
元役員で戦後ジェットエンジンなどの開発の
第一線にながくおられた人の言葉だ。

実は前述の「サービスサイエンスが
今後重要な学問領域になるかもしれない」
と教えてくれたのもその人だ。

たしかにそうかも知れない。



2006.10.5

わが地域の関係者で
最近有名な御茶ノ水女子大の教授の
藤原正彦氏は
国家の品格などのベストセラーで有名であり
もともと父上が
「聖職の碑」で有名な
作家新田次郎氏であり
お母様が「流れる星は生きている」の
作家藤原てい女史であるから
藤原正彦氏は作家のような印象があるが
もともとは東大出身の数学者だ。

その藤原正彦氏が書かれた著作のなかで
数学がちゃんと学問として機能しなかったり
大事にされない国で
力を増していった国はない、と
言い切っておられた。



2006.10.6

この10年ばかり
時の経済不況からくる方向として
避けられなかったのだとは思うが

日本の大学での教育が
実業や産学連携などにむかってばかりで
基礎数学のような学問領域が
おろそかにされているような状況に
これではまずいのではないか、と
藤原正彦氏はおっしゃておられる。

ここ最近は数学を学ぶ世界の高校生によるコンテストが行なわれ
日本の高校生が健闘しているようではあるが
やはり小中高大の数学教育のレベルは
たぶん国際的にみたら残念ながら高くない。



2006.10.7

最近は京都大学の伊藤先生が
数学の世界でのノーベル賞とでもいうべきガウス賞を取り
有名になったが
その研究の基本はすでに50年も前に研究されていたもので
研究内容のすばらしさが今になっても
評価されてることはすばらしいとしても
これに続くものが今の日本の数学教育から生まれてくるのかは怪しい。

筆者らの住むわが街は
やはり数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を
戦後とった小平邦彦氏が生まれた地域でもある。

前述の藤原正彦氏の大叔父にあたる
初代気象庁長官の藤原咲平氏は
地球物理学の世界的権威でもあった。



2006.10.8

筆者のようなふつう以下の頭では
お役にたてるべくもないが、
しかし筆者の住む地域も含め
今後数学者を必要とする時代にむけて
優れた知恵とそれをもつ人材を
生み出していきたいものだと
最近強く思うようになった。

というようなことを考え書いていたら
7日の日経産業新聞に
「ポスト・予算減/重点化政策で置き去り」
「数学研究がピンチ」
「産業界から人材不足の声」
「多分野との交流課題」
なる署名入りの記事が掲載されていた。



2006.10.9

日本数学会でも先月、
国内の数学研究が危機に陥っている、とする
提言を行なったのだそうだ。

「数学研究に割かれる予算や人員は
多分野に比べると、危機的状況にある。
数学の振興を国をあげて促進すべきだ。」という
提言を日本数学会理事長が記者会見で
訴えたのだそうだ。

やはり前述の筆者の認識のとおりで
ITだとかバイオだとかナノだとかに
お金はや人や支援が
重点的に割かれている現状は否めない。



2006.10.10

たしかにそれらに比べたら
すぐには飯のたねにはならないから
この10年以上にわたる
産業不況のなかでは
すぐにも飯につながるものに
産業界はもちろん国のお金や支援も
むかわざるを得なかったのは仕方のないことで
あったのだろうが

ようやくと経済も若干は好転したように思えるし
(といっても現実のところまだ難しい問題を
日本の産業界は抱えているとは思うが)
こんな時を上手く使って
普段お金や人や支援がおろそかになっている
数学だとか、あるいはそれ以外にも
こんなときだからこそ応援するべきものに
ちゃんと応援と支援をするように
考えるべきであろう。



2006.10.11

ところで
前述の知り合いが言っておられた
20世紀は物理と数学の時代から
21世紀は化学と数学の時代、、
というコメントについてだが、

「数学」もだけれど
21世紀は「化学」の時代
ということはなかなか深い洞察だと思う。

たしかに20世紀は物理の時代だったことは
確かだろうし
あえてそれにもう一言足すならば
電気の時代だったかもしれない。

いや19世紀が電気の時代だったかもしれないが、
半導体の技術とそれが社会や産業に与えたインパクトを考えれば
20世紀後半はやはり電気の時代だったといえなことはない。



2006.10.12

だがこれからは化学の時代とはどういうことだろうか。

そういえばつい最近
話題になることの多いディーゼルエンジンへの添加物としての
潤滑油を国内石油メーカーが開発した話を新聞で読んだ。

最近注目を浴びているディーゼルエンジンは
コモンレール式とか、要は物理的な方法によって
排ガス規制に対応し環境問題の解決を目指している。

しかしディーゼルエンジンに関しても
普通のガソリンエンジンにしても

燃料となる化石燃料の成分から
それらを解決しようとする方向は
だいぶ以前から行なわれていることは周知の事実だ。

燃料電池だってあるいは最近はやりの
りチューム電池だって、
化学反応を使ってエネルギーを取り出すことになる。



2006.10.13

21世紀にあたって重要な項目であるはずの
環境問題や省エネなどの解決は
考えてみれば
たぶん「化学」におおいに関係してくることは
間違いない。

もしかすると
これまで石油や化石燃料を燃やしてエネルギーを取り出して
社会や産業を維持してきた20世紀が
そうではない価値観や仕組みを考えていったときに
例えば地下に眠る化石燃料からエネルギーを取り出して
環境を破壊していくやり方から
水素やあるいは正当なエネルギーの循環のなかで
社会や産業をまわしていくことを可能にしていくのは
たぶん化学の重大な役割になりそうだ。



2006.10.14

その化学を動かしていくために
旧来の物理や科学もそして数学も役割を果たしていくことに
なるのかもしれない。

そう考えると
化学のさらなる発展進化によって
これまでの産業やら社会の仕組みやらも
おおいに変化してくることは
十分に考えられる。

そういえば
太陽光発電を高効率に行なうことを考えた東北大の先生が
いるとかの記事が新聞に出ていた。
これが成功すれば
原子力発電にたよらずとも
電力がまかなえるかもしれないらしい。



2006.10.15

こういう仕組みのなかにもたぶん化学や数学は
おおいに関係してくるのだろう。

前述のように
日本の数学教育は
昔は世界に誇れる実績をしめしてきたらしい。

例えばアメリカ経済の上で行なわれる施策の
裏打ちともなっている理論を考えた
京都大学の伊藤先生は
数学の世界でのノーベル賞とでもいうべきガウス賞をとった。

日本人にとって
誇らしいものであるのだが
しかしすでに半世紀も前に
考えだされた理論であるとのことだ。

ましてここのところ日本の数学教育は寂しい状況らしい。



2006.10.16

最近世界中で日本から考え出されたパズル
数独(すうどく・SUDOKU)が流行っているとかで
にわかに有名になっているようだが
こんなようなものも
もしかしたら日本の数学教育の優秀さや可能性を
示しているのかもしれない。

化学と数学、
もう一度見直す必要があるように思える。

さて、話は変わる。

昨年の今ごろだったと思うが
この何年か急速に
地域を侵食しつつある
「マンション」について書いた。

筆者の住む地方都市では
高層マンションが
それこそ雨後のたけのこのごとく
そびえている。



2006.10.17

この数年の極短期間にわたっておきたことで
その建築のペースは驚くほどだ。

それまで地方にはそう多くはなかった
高層のたてものが
まさにニョキニョキとそびえていく。

もともと筆者の住む諏訪湖周辺には
諏訪湖畔に高層のホテルがないことはなかったのだが
最近はその高層ホテルに混じって
数棟の高層マンションがたたりつつあるわけだ。

また諏訪湖の反対側の岡谷市というところでも
高層マンションがこの一年二年の間に
どんどんたたりつつある。
岡谷市のほうは
市役所が唯一の高層建造物といって良いような
町であったのだが
いまでは町の様子は一変しつつある。



2006.10.18

一年前にも書いたのだが
最近のこれらの高層マンションを購入する人々は
こういう話が出た場合に
想像しやすい
東京など都市圏に住むお金持ちが
投資を含めて
資産運用を目的に
高層マンションを購入する、というものとは
実は異なっている、らしい。

むしろ
その土地で昔から住んでいる人々が購入している、というのだ。



2006.10.19

ま、銀行金利の変化や
東京などの都市圏では再び
土地価格が高騰をはじめた、という最近の
ニュースを聞けば
この先ふたたびどうなるかはわからないところだが

とりあえず
今のところ
わが街では
投資目的ではない
地元の人々が購入しているらしいのだ。

で、その地元の人々、だが

これにも一言、書いておく必要がある。

どんな地元の人々なのか、
どうやらこういうことらしい。



2006.10.20

とその前に
現在今週末
筆者の地元では工業系のイベントとしては
内陸の地方としてはたぶん最大級のものであろう
「諏訪圏工業メッセ」というイベントが
19日20日21日と行なわれている。

筆者らも展示しているので
今週末の今日のコラムとアイディアノートは
すみませんお休みです。



2006.10.23

「諏訪圏工業メッセ」のことは
またぜひここで報告するとして
地方に立ち始めているマンションの購入者が
どうやら単なるお金持ちが購入しているのではない、
という話に戻る。

いまから30年ほど前、
そう工業社会全盛だった時代、
この諏訪も町のなかやその周辺に
工場やその関連の産業や集積が存在した。

そこに就労していた人々は
たとえば20代であったり30代であったりしたわけだが
町や周辺のさらに郊外に家を購入し家庭を持った。

旧来からの町の周辺に工場地帯がうまれ
そのまた周辺に郊外住宅の層が
つながっていく構造だ。



2006.10.24

そんな時代から30年ほどたった今日、

工業地帯の郊外に
位置した家庭で生まれた子ども達は
30歳近くになり
再び家庭を持ち
あるものは都会に行き、
あるものは近隣に別の家庭を作った。
一方その親は60歳を越し
それまでつとめていた主には工業系の企業を退職し
郊外の家に夫婦で住むことになる。

若いころ負担にもならない車の運転や
歩くことがそろそろ負担になってくる。

同時にそれまであまり郊外で
隣近所の付き合いがなかったことに気が付く。
会社との往復で時が費やされてきたからだ。



2006.10.25

あるいは隣近所の付き合いがあったとしても
あまり積極的な強いつながりではなかったり
歳とともに疎遠になったり
つながりが細くなったり
あるいは消えていく。
隣近所の既知の人々が少しづつ減っていけば
地域の中に存在していた
人々のつながりは徐々に分断され、
ネットワークは崩れていく。
コミュニティーが希薄になっていく。

歩いていける距離に
病院があるわけでも
スーパーマーケットがあるわけでもない。

で、そんな状況の人々が
どうやら俗に言う「中心市街地」に
戻ろうとする気配があるということなのだ。



2006.10.26

筆者の住む地区の近くに立つ高層マンションの
アピール用のカンバンが目に入ってきた
そこにかかれているコメントが
上記の状況を良く表している。

「中心に住む、安心に暮らす」

普通に捉えれば
なるほど
街中の新築マンションのアピールの
ベタな宣伝文句であるが

よく読みとれば
前述のような背景から
もたらされた宣伝文句だと見えてくる。

なかなか重要なところをついた名文句だと思う。

もちろん駅まで何分とかも大事だし
買い物も近いというのは大事な点だが
同じような人々が集まっていて安心して
暮らせる、というのはすごく重要な点だ。



2006.10.30

先週末は
日本機械学会流体工学部門 講演会
http://www.cse.eng.toyo.ac.jp/fed2006/
に行ってきました。
ので今日のコラムは休ませていただきました。
すみません。

10月から11月にかけて
週末はいろんな行事が重なっていて
休日なのに休んでいるひまがない。

というわけで
今日のコラムも週末は休みがちになりますが
お許しくださいませ。

さて、話は戻って。

その高層マンションのごく近くには
病院もあるし駅も近いし
買い物をするところだって
遊ぶところだって
いくらでもある。
なにより
そんな人たちが集まってくれば
その人々同士のつながりが
作られていくことになるだろう。

たぶんスーパーマーケットも病院も
そんな市場が近くにできることを
たぶんすでにあてこんでいるように思えるし

もっと先を見れば
そんなお客さんのなかにあるまだ未開の
ニーズを見つけ出して市場開拓することを狙っている
ビジネスマンもいることだろう。



2006.10.31

きっと「ありあまる時間を費やす」
なんらかの時間消費のサービス・ビジネス・・

これはいろいろありだと思う。

一旦仕事を離れても
ふたたび仕事をする、ということも当然あるだろう。

あるいは介護など
そこに住む人々同士を助け合う作業もそれにあたる
かもしれない。

で、そんな「中心に住む。安心に暮らす。」
ことをアピールする都市型マンションだけれど
前述のように
周辺に住んでいた団塊の世代以上の世代の人たちが
まさに
「中心に住む。安心に暮らす。」
ために
今後ぞくぞくと中心市街地に流入してくるであろうことは
想像できる。


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