今日のコラム・バックナンバー(2006年 9月分)


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掲載は日付順になっています。


2006.9.1

え、そんなことを
車のメーカーのサービスセンターが調べてくれるのか?と
頭の固い人であればさぞやびっくりするだろう。

筆者も驚いた。
驚いたついでに
なんとそのサービスセンターでは一旦切った電話から
数分後に再び向こうから電話がつながり
ドライバーにその楽曲の名前は○○○であると
正確につげたのだという。

ついでに
レクサスの車についているナビゲーションには
センターから遠隔操作で
目的となる場所を設定することができる機能も
ついているのだとかである。



2006.9.2

サービスセンターではすでにそのレストランの名前を
遠隔操作で設定しておいた、と、そのドライバーに
つげたというのだ。
当然そのドライバーはなにもせずとも
勝手に?設定されたそのレストランの場所を
今度はナビゲーションシステムに指示されながら
行き着くことができる、というわけだ。

いやはや、近年のナビゲーションのシステムの進化や
「インフォメーション・コミニケーション・テクノロジー」
の進化は驚くばかりであると思っていた筆者ではあるし
その先端部分を知っていると自身で思っていた
わけではあるが
この話を読んでいささかおどろかされた。



2006.9.3

自動的にナビゲーションのシステムを
遠隔操作できるのだとは思いもよらなかった。

しかし、
ナビゲーションのシステムの進化や
「インフォメーション・コミニケーション・テクノロジー」
云々の進化よりなにより
もっとおどろかされたのは
トヨタレクサスのサービスセンターのサービスの中身だ。

これはいったいなんなのだろうか。

ちょっと前のセルシオの付帯のオプションサービスで
例えばドライバーが体調を崩したときに
それを察知して最寄の病院に連絡をとり救急車を要請する、
というサービスがあるのはきいたことがあるし
テレビコマーシャルでやっていたのを見たこともある。



2006.9.4

それはそれで一定の評価というか理解はできる。

しかし
いってみれば
一見、一流ホテルのコンシェルジェのようなサービス
とでもいうべき
レクサスのサービスセンターのサービスとは
一体なんなのだろう。

ここで大分前に触れた話に戻る。

「トヨタレクサス惨敗」

という本のことだ。

  なんとも刺激的な題名ではないか。
  この本の内容はまさに「サービス」について考えている。

とその時には書いたが
実はこの本の作者は「サービス」について書いているのではない。



2006.9.5

「サービス」と「ホスピタリティー」の違いについて書いており
トヨタは「サービス」と「ホスピタリティー」を
履き違えているのではないか。

トヨタの「トヨタ式サービス」では
ブランドの構築にはつながらない、とする。

欧米の高級外車のブランドが成り立つのは
「1人ひとりへの徹底したホスピタリティーへの信頼」に
裏打ちされたものであり

けして「トヨタ式サービス」を徹底しても
レクサスブランドに構築にはつながっていかないだろうというのだ。

上記のような「サービス」はあくまでサービスであり
「1人ひとりへの徹底したホスピタリティーへの信頼」ではない、
ということにもなる。



2006.9.6

「トヨタレクサス惨敗」の筆者によれば
ヨーロッパなどにはプライベートバンクという
裕福な個人の資産運用を中心とする
「銀行」が存在するというのだが
このプライベートバンクは
文字通り個々の個人のプライベートな部分の
いわばコンシェルジュのようなことまで行なうらしい。

例えばホテルの予約はもちろん
電車や飛行機の乗車券の手配なども行なってくれるらしい。

が、
しかし前述のカーグラフィックの事例をみると
レクサスにおいても
プライベートバンクのような
あるいは欧米の高級ホテルのコンシェルジェのようなサービスが
行なわれているではないか。

もしかしたらレクサスでもホテルの予約や
電車や飛行機の乗車券の手配なども行なってくれるかもしれない。



2006.9.7

であるならば
レクサスだって欧米のホテルやプライベートバンクに
肩をならべるくらいのことを
行なっていると考えていいのではないか。

だからそれをやっていないから
レクサスは惨敗しているのだ、とはいえない。

トヨタのことだから情報技術や最先端の
様々な技術の導入や教育方法によって
顧客1人1人へのサービスの徹底が
日々進化しながら行なわれているようなっていくだろう。

たぶんトヨタのことだから
対応者の一つひとつの事例は
どこかで蓄積されてより次のサービスの質の高まりに
いかされていくようになっていることはたぶん
間違いない。

「レクサス惨敗」と結論を出すにはまだ早いとも思う。



2006.9.8

しかし、
しかしそうはいっても筆者にはなんとなくしっくりこない。

ホスピタリティーが大事というなら
いったいホスピタリティーとはなんなのであろう。

ホテルやプライベートバンクはそうかもしれないが、
そんなコンシェルジュのような役割を
車のメーカーの領域としている欧米のメーカがあるのだろうか。

あるいはたとえあったとしても
それが「日本の風土にあっていること」であるといえるのだろうか。

あるいはブランドにつながっていくと考えていいのだろうか。



2006.9.9

ロールスロイスや
ベンツの超高級ブランドの「マイバッハ」あたりは
たしかに徹底したサービスだかホスピタリティーを
他にはないものとしてアピールしているかもしれないが
レクサスの目指すものはさすがにそれらとは違うだろうと思う。

小泉改革の成果だか結果だかとして
最近日本国民の所得の二極分化が言われるようになった。
一節では
この5年あまりの間に
富裕層と貧困層の所得の広がりは
数十倍にもなった、といわれる。



2006.9.10

日本と異なり
欧米ではいまだに
社会全般に階級が存在しているとされていて
それがいたるところ社会の根っことして
存在しているわけだかから

一方に超富裕層にむけたものやサービスが存在している一方
貧困層にむけたものやサービスが存在している。

これは最近刊行された
「最高のリーダー、マネジャーが
いつも考えているたったひとつのこと」
(マーカス・バッキンガム著  日本経済新聞社)
という本のなかでも

筆者は
「誰のために我々は働くのか、という問いかけが重要である」として
小売販売で有名なウォルマートの代表が
「ウォルマートは厳しい生活をしている人々のため
奉仕するために存在している」と答えた、としている。
これがあいまいになったときに
会社の存在は揺らぐのだとも言っている。



2006.9.11

べつにこれは
富裕層のために働いているか、
貧困層のために働いているか、という
2つの選択肢のなかから選べといっているのではなく
いろいろな「誰」がいていいわけなのだが
すくなくとも
欧米における車のメーカーは

富裕層のための車づくりか
富裕ではない層のためのクルマづくりか
働くひとのためのクルマづくりか
楽しみのためのクルマづくりか、とかが
はっきりとしているように思える。

一方、日本はどうか。

たしかに
一億総中流階級といっていた
ちょっと昔の日本と異なり
富裕層と貧困層の二極分化は進んだように思う。



2006.9.12

しかし、
欧米のような二極分化が社会全体に根っこのように
作られているかというと
まだまだそうではないように思える。

江戸時代には士農工商のような身分制度が
あったではないかといわれるかもしれないが
少なくとも戦後はみんなが「平等」あるいは
「機会の平等」を享受できる時代になったように思われる。

これを、日本は旧ソ連以上に成功した社会主義国だ、とか
「平等」すぎてすでに「悪平等」であるとか
いろいろな議論はいまだにあるし、

いや、
最近の小泉改革によって社会の二極分化が進んでしまった、
という意見も最近は活発ではあるが

ここではそれが良いとか悪いとかはあえて議論にしない。



2006.9.13

そうはいっても
社会の二極分化とまでいえないとしても
一方でこれまでには見られなかった超富裕な人々も
生まれてもきているのも事実だ。

で、
日本で生まれ育ったくるまの中身も文化も
メーカーの「誰のためのクルマを作るか」も
社会の仕組みや状況が
色濃く反映していると思える。

もっと言えば
富裕な「あがった人々」
「功遂げ名を成した人々」
「オーバーアチーバー」とでもいうか、
そんな人々は戦後日本には極少数しか存在なかったのだし
そんな人々のための
ものやサービスも存在しなかったわけだ。
あったとしてもたぶん舶来もの、輸入物、が代替していたように思う。



2006.9.14

クルマで言えば「外車」に
「功遂げ名を成した証」を求めたのだろう。
そしてそれはいまでも続いている。

今でも左ハンドルの「外車」というだけで
成功者のしるしのような認知が社会にはある。

これまでの日本社会のある部分の成功者に
マッチしたクルマとしては
クルマでいえば「いつかはクラウン」が
それにあたるのだろう。

クラウンは実に良いところをついていると思う。

日本の一億総中流のなかで
「功遂げ名を成した証」にはあたるのだが
根っこの部分からもはずれてしまう「外車」とは異なる。

日本の根っこからはずれてもかまわない人々は
「外車」を成功の証として購入するように思う。



2006.9.15

田舎では成功はしたとしても
いまだ田舎に色濃く存在する地域社会から外れることを
恐れるから外車ではなくクラウンに乗ろうとするし

そんなことに関係のない価値観を見出す人々には
逆に「クラウン」ではたぶんだめなのだ。

超富裕層などは
地域社会もなにもないだろうから
自分の価値観で押し通すことになるだろう。

で、最近はそんな人々が都市を中心にして
急速に増えてきているのも事実だ。



2006.9.16

そんな人々にむけたものやサービスが
「日本でうまれて支持されるのか」というのは
まだわからないところがある。

「輸入物」「舶来」であれば
それにはいつも一定の支持があるのは間違いないのだが
同等のものが日本の国内から生まれるかというのは
まだわからないところがある。

クラウンだって実に見事に
「輸入物」「舶来」とは異なる部分をついていて
あきらかにユーザーは異なる。
クラウンは超富裕層にむけたものではなく
あくまで戦後の日本社会のなかに浮かんでいる
「いつかはクラウン」の目印なのだ。

日本で超富裕層にむけたものやサービス、
いずれはありえるのだろうか。



2006.9.17

戦前には多分あった超富裕層にむけたものやサービス、
一旦戦後くずれたそれが
再び日本に生まれ浸透するには時間がかかるように思える。

江戸や明治にあった超富裕層にむけたサービス、

ソメモノでいえば悉皆制度などは
それにあたるのだと思うのだが
一旦近代の合理化や効率化や大量生産になれてしまったり
壊されたそんな仕組みが
それがいいことかどうかは全く別の問題として
再び構築されていくことは難しいことだと思う。

けして
不可能ではないと思うが
「誰のためにクルマをつくるか」を方針転換するには
それそうおうの時間と
企業や組織の形態が必要だと思われる。



2006.9.18

勤労者のための
中間層のための
安価で品質の優れた
安心して乗れる
修理代もかからず
車検時も費用がかからず
買い替え時もリセールバリューが確保されている
そんなクルマを戦後ずっと作って販売していた会社が
超富裕層にむけたクルマ
例えば「コストのかかったクルマ」ということでは
超富裕層にむけたクルマが可能であっても
本来の意味での超富裕層にむけたクルマをつくり
供給できるかどうかは
おおいに疑問が残る。

要は日本にロールスロイスやアストンマーチンは
生まれ難いのではないかということだ。



2006.9.19

であるならば
携帯や情報技術による徹底したサービスは
ブランドとは違った意味で
レクサスの持ち味になる可能性はあるし
それの高度化は望ましいことではあると思う。

しかしそれをレクサスブランド構築と
つなげて考えるのはいかがなものだろうか。
あくまでサービスの高度化でいいじゃないのだろうか。

そういう意味では
オーナーがレクサスの店舗にいくと
「お帰りなさいませ」と言われるそうなのだが
それはいかがなものか。

あやしげな「お帰りなさいませ」より
「いらっしゃいませ」や「こんにちは」で
充分だし

それがレクサスが欲しいブランド構築に
つながらないということであるなら
いったいなにがブランドなのだろう。



2006.9.20

これまでのナビゲーションとことなり
携帯電話が乗っていれば
自分の車がどこにあるかが
たぶんトヨタのサービス供給部門には
わかってしまうのだから
セキュリティーや情報管理や統制といった意味からも
怖い技術である、から気をつけたほうが良い・・・
などといまさら言うつもりはない。

そんなのはサービスの提供側と受け手側との
取り決めで決めればいいことで
いろいろ言うことではないはずだ。

ブランド云々の前に
そんな情報技術のありかたや使い方が
我々のモータリゼーションから得る利便性に
大きく寄与することは間違いない。
これはこれで
「車の価値を高めモータリゼーションの可能性を広げる」
すばらしい技術進歩だと思う。



2006.9.21

あるいはサービスの一環として
前に書いたように
楽曲の名前や乗車券の手配をしてくれてもいい。
それを有料のサービスとして行なってくれるのなら
それはそれでいいとも思う。

お金を出す人がいて喜んでくれるのなら
ビジネスにもなっていくのだろう。

ヨーロッパの超高級車のメーカーの中には
そんなサービスも行なっているところもあるかもしれない。
(たぶん外部の独立したサービス企業として
行なうことになるのだろうが・・
レクサスも電話によるサービスは
3年間までは無料でそのあとは有料になるらしい。)

でも、あえて言わせてもらえば
そんな技術の進歩や新奇なサービスだけで
信頼やブランドの構築につながっていくとは
筆者には思えない。



2006.9.22

すでにトヨタをふくめ日本車は
安全や品質では世界のトップの車メーカーだ。
ドイツやアメリカの車を実質的には
しのいでいると思っていいだろう。

でもそれでも
日本の富裕層は
同じ高級車であり同じような価格帯のものであれば
欧米の車を買いたがる傾向にあるようだ。

「いつかはクラウン」と考えている人も
もちろんいるが
「いつかはヨーロッパの高級車」と考えている人々も
たくさんいて、それれはたぶん別々の価値観の人々だ。



2006.9.23

だからそんな日本の高級車購買層を
ヨーロッパの一面的なものまねをして
ブランドが構築できていくと思い込んで
いるのは大きな間違いではないか。

であればいつまでたっても
残念ながら日本国内では
ヨーロッパなどの高級車に伍して戦えるような
高級車は作ってもそもそも売れない、市場がない、
ということになるのだが

残念がることはない。
実は全くことなる戦いかたが重要になるのだと筆者は思う。



2006.9.24

そんな一見コンシェルジェのような擬似サービスというか
ホスピタリティーなどというものをいわなくても
「高級車」を同じお金を出しても買おうとすることはありえると
思う。

ただしそれを行なうことが
欧州の高級ブランドと肩を並べるものになっていくとか
欧州の高級ブランドに負けないようなブランドに
なっていくことと考えるのは早計だと思える。


ここで
亡くなった経営学者のドラッカー氏が
その著作で書いていたことを思い出した。

アメリカの高級車の代名詞のであるキャデラックの敵は
実はキャデラックとよく似た高級で
なおかつ安価に提供することを狙った似たような
他社の高級車ではなく
実は車とは全く別の市場と思われる宝石や毛皮、なのだ、と



2006.9.25

これを更に拡大して言ってみれば

一般的に家庭の主婦は
よくできた洗濯機を欲しいと思っているように思えるが
本当のところは
良くできた家庭の電気電子器具を使って
家事を効率よく働き時間を空かせて
空いた時間を有効に使いたい、
という要求があるということ。

だからよくできた洗濯機を欲しいというより
時間を節約してくれる洗濯を代行してくれる
サービスや機器を欲しいということなのだろう。

だから「よくできた洗濯機」を作って売るメーカーより
例えば町のクリーニング屋さんの
宅配サービスが受け入れられる可能性がある、ということなのだ。

使い捨ての下着や衣料品がもっと増える可能性だってある。



2006.9.26

B社よりよくできた洗濯機を作ろうとするA社は
B社の洗濯機を「仮想敵」とするわけだが
実は自社の洗濯機の実質的な敵は
町のクリーニング屋さんの優れた洗濯技術と
良くできた配送サービスだったりするわけだ。

だから
日本の超高級車市場に期待している人々
それも欧米の高級ブランド車メーカーに
期待している人々にむけて
高級な車を作ったからといって
それだけで勝てるわけではない、ということだ。

ではどうするか。
前述のように
全くことなる戦いかたが重要になるのだと筆者は思うが
いったいそれはなにか。



2006.9.27

洗濯機の例でいえば
クリーニング屋さんのサービスなどに
伍して戦うには
洗濯機メーカーはどうするべきか、
ということなのだが
答えは
技術的な解決にもとめると同時に
情報技術や科学技術との連携による高度化、
いわば洗濯機の機能をより高度にするしかないだろう、
ということだ。

洗濯のための洗剤を化学分野と連携する、
なんてこともあるのかもしれない。



2006.9.28

車でいえば
より高い安全性、品質、
車という機械としての機能の向上と上質感
社会サービス、情報技術や科学技術との連携による
車としての機能の充実だろう。

機械としての車の機能を徹底して極める、ということだ。

電話でレストランの場所なんか
いろいろ教えてくれなくてもいい。
そんなのはどこかの別会社(トヨタも含めて)が
情報サービス会社として始めればいいことで
そんなもの多数を
トヨタのくるまという社会プラットフォームに
入れ込む、という発想のほうが重要なはずだ。



2006.9.29

そういえば
以前インターネットで有名な村井潤氏が
情報技術によって可能になることの一つとして
個々の車のワイパーの動きを無線などを通して
集中的な情報センターに情報として集めることで
日本中のどこでどのように雨が降っているかを
知ることができるハズ、といっていた。

これに近いことは
最近ホンダが渋滞情報を
ホンダの車同士が情報のやり取りをして
どこがどのように渋滞しているかを
知ることができるようになっている、
とコマーシャルで言っている。



2006.9.30

こういう技術こそが信頼され喜ばれ
しかしどこのメーカーでも簡単にはできない
最先端の車、であろうと思う。

先のレストランの名前だって
今後は車に搭載されたコンピュータに
言葉で問い掛ければ
自動的に接続された「グーグル」に問い合わせて
答えてくれる時代になるだろう。

とりあえずトヨタが
電話でコンシェルジェのようなことをするのも間違いではないと思うが、

むしろトヨタの車に
グーグル的なサービスエンジンを連携させる、
あるいは
そんな外部サービスを接続させていく
インターフェイスやプラットフォームを企画し規格し構築する
ほうがなんぼかこれからの時代にあっている。


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