今日のコラム・バックナンバー(2006年 6 月分)


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掲載は日付順になっています。


2006.6.1

それを悪いことだとは思わない。
人間だの友人だの
歌だの
本だの
映画だの
おもちゃだの、
様々なものに対して
新しい認識を獲得していくことは悪いことではないし
それを受け取る側も
あくまで自分のキャパシティーや
興味やそのチャンネルを通じて
受け取っているわけで
そういうきっかけや場にいなければ
認識は古いままで更新はされないだろう。
いずれはほかの情報で忘れ去られてはいくのだろうが。



2006.6.2

で、そう考えてくると
人や友人はともかく
歌だの
本だの
映画だの
おもちゃだの、
あるいは世の中に存在するすべての「もの」
や「商品」は

どんどん忘れ去られていくということになるのだが、
しかし、よくよく考えてみると

肝心の「認識する側の人間」の存在がそもそも
つねに更新されている。

というか、若い人、赤ちゃん、子ども、が生まれてきて
古い人はいなくなっていく。



2006.6.3

ということは
人や友人関係はともかくとして
歌だの
本だの
映画だの
おもちゃだの、
あるいは世の中に存在するすべての「もの」
や「商品」は

新製品としてその時代の人間に
認識されても
その人間がどんどんいなくなっていけば
いずれその製品のことを知っている人は
いなくなっていく、ということでもある。



2006.6.4

「いなくなっていく」ほどの長い時間を考えなくても
新製品や特に「流行歌」などの場合は
最初は街角やテレビやラジオで
ガンガン宣伝されて耳に入ってきても
しばらくするとまったくというほど聞かれなくなってしまう。

人間は年によって趣味趣向も変わっていくだろうから

逆に10代の時に興味がなかった歌も
20代になって改めて聞けば
趣味にあう場合もあるだろう。

年に関係なくその人の置かれた「状況」によっても
変化が出てくることもあるだろうと思う。

そう考えていくと
歌も本もオモチャも映画も
あるいはものも製品も商品も
今の状況は消費されていく一方だが、
時代や世代がちょっと変わるだけで
再び人々が受け入れる可能性はあるということだろう。



2006.6.5

そういう意味で
最近の復刻版のブームというのは
昔、若い頃に興味を持った人が
年をとってから再び興味を持つことで
マーケットが生まれる、といことのほかに

全く新しい世代が
自分が生まれる以前や
全く興味を持っていなかった古いものに
興味を持つようになってブームになる、ということも
あるのだろうと思う。

そう考えると
ブームという言い方では
なんだか一過性のもののような感じがするが
実はもっと根強い「消費の方向性」のような気もするのだ。

であるのなら
古い歌も本もオモチャも映画も
あるいはものも製品も商品も
新しい世代につながる機会を積極的に作ってやりさえすれば
もういちどしっかりと
それなりの市場を形成して流通する可能性は
あるのではないかと思えてくる。



2006.6.6

特に流行歌なんかは
一度新曲の時期を過ぎると
再びまた流通に乗る、ということは
あまりない。
まあ、たまにそんな曲がないこともないが、
実質的にないに等しい。

こういうものの
「再生産」と「リスク」と「コスト」は
あまりかからないことも多いから
今後一つのビジネスチャンスになっていくような気がする。

逆に考えれば
いかに消費され捨てられていくものや文化が多いか、
ということでもある。

時代を超えて
必要なものやサービスや財を
必要なところに再び流通させ喜ばれていくような
そんなビジネスモデルも
実はありえるのかもしれないと
ひそかに思っているのだが。




2006.6.7

さて、話はかわるが
自動車でも家電製品でも
あるいはおよそ大部分の工業製品でも
その製品のライフサイクルというか
時間的な変化をみていると

最初のころには
その製品のコンセプトを
ほぼ素直に形にしたシンプルなものが出てくる。

なかには機能がたくさん付けられすぎていて
およそ使いづらいものや、
どうみても機能が使いきれないものも
最初から出てくることもままあるが
コンセプトを素直に表現した、という点では
あたりまえの話だが
最初に出てきた製品はそんなものが多いように思う。



2006.6.8

で、しばらくすると
マイナーチェンジがくわえられて
機能が変化したり
外見がちょっと変わってきたりして
再度ちょっとだけ刺激を増やし
製品寿命を延ばして
再び市場に投入されるものが多い。

自動車なんかはそのマイナーチェンジが
その基本的なモデルライフのなかで
一度か二度行なわれて

さすがにもうこれ以上「ちょっとの改造」では
市場に満足を与えられないと
した時には
新たなコンセプトを考えて
それを素直に形にした
「新型」が登場する。



2006.6.9

それがフルモデルチェンジだったり
全くあたらしいコンセプトを形にした
新製品だったりするわけで
で、そんなことをつらつら考えてみると

オリジナルな
初期のコンセプトを素直に形にしたものと

改良やマイナーチェンジを繰り返して
少しづつ変化してきたものとを比べたときに

果たしてどちらが工業製品として優秀なのだろうかと
いう問題意識というか疑問が湧いてくる。

普通、改良をしたものを工業製品として捉えれば
たしかに「改良」しているのだから
「もの」として優れていることは間違いないように
思う。



2006.6.10

しかし、初期のコンセプトを
素直に形にしてみたという点では
最初のオリジナルなものには
それなりの魅力や説得力があるように思う。

もともと初期のコンセプトは
これまでにないもの、なかったものや
不便だったことや
こういうものがあったらいいのに、と
気が付いたりして
それを形にしようとしたものであるはずだ。

一番素直に形にした行為の結果と言える。



2006.6.11

だからフルモデルチェンジや新製品と
マイナーチェンジや改良版とを比べてみて
あながち改良版が良い製品だと単純に
いえないことはままあるように思う。

初期のコンセプトがあいまいになって
違う方向に向かい始めてしまったような
ものが多いのだ。

要は
フルモデルチェンジと
マイナーな改良の違いを
どうみるか、ということなのだろうが

ここで昨年末に再放送があった
NHKの番組を思い出した。

第二次世界大戦に日本が設計製造し
数々の戦歴を挙げた
戦闘機「ゼロ戦」の話だ。



2006.6.12

NHKのその番組では

戦後長い間書籍やテレビなどで
取り上げられたゼロ戦にまつわる
様々な話のなかで、

その多くは
世界に誇れる優秀な戦闘機として取り扱われているのだが

実はたしかに初期には軽量コンパクトで運動性能に優れた
戦闘機として成功したにもかかわらず

戦況の変化から
エンジンの大型化、高出力化、
高速化、高剛性への対応、
などの要求が持ち込まれ
それに対応して改良を行なっていくうちに
初期のオリジナルなコンセプトから外れた
別ものの戦闘機になってしまったこと、

が紹介されていた。
これはよほどの飛行機マニアでも
あまり知らされていなかったことだ。



2006.6.13

この改良が実は
航続距離の低下などの
本来持っていた優れた性能をも低下させ
削ぐことになっていた、という
これまでゼロ戦についてあまり聞いたことのない
事実を聞かされることになった。

改良だと思っていたことが
実は改悪であった、ということなのだ。

戦況という外部の環境が変化した時に
その変化に対応するために
既存の戦闘機を改良し、対応しようとした、
ということなのだが

これが外れると全く中途半端な戦闘力のないものを
生み出してしまう可能性があることを
このゼロ戦の話は教えてくれているように思う。



2006.6.14

筆者は自動車も大好きなのだが
レーシングカーの世界でも
どうやら同じようなことがあるらしい。

オリジナルのコンセプトは非常に優れていて
それを実現するために作られ
初期に現場に投入されたレーシングカーは
うまくいけば非常に良い戦闘力を持つものとして
生まれる可能性がある。

しかし、その次のシーズンに
そのコンセプトをさらに進めて先鋭化していくと
もっと戦闘力を増すかというと
ほぼ失敗することが多いようだ。
実際には非常に神経質で扱い難いものに
なってしまう場合がどうやら多い。

これはゼロ戦やレーシングカーに限らず
社会や需要に必要とされる工業製品を生み出し
時代に合わせていこうとするときに
起き得る問題だと思える。



2006.6.15

できればその時その時の状況に合わせた
ものをそのたびに生み出していくのが
望ましいかたちなのだろうと思えるのだが

量産や大量生産で
ものを作る場合にはそうはいかない。

初期の設計開発や試作などのコストや
生産ジグや生産設備、などなどから
細かく修正を繰り返していくわけには
なかなかいかないということだろうと思う。

もちろん現代のものづくりは
細かなところで改良を繰り返しているが
初期のコンセプトを台無しにしてしまうような改良が
行なわれるわけではないし行なおうと思っても
できるものではない。
小さな改良を繰り返し、たまに
マイナーチェンジを行なうくらいが精一杯だろう。



2006.6.16

しかしそれとても
外部環境や状況が変化しなければ
そういう改良は文字通り改良として機能するはずだが
多くの場合
外部の環境や状況はどんどん変化していくから
初期のコンセプトを形にしたオリジナルなものを
改良していても
改良が改良でなくなる場合もある。
かといって
オリジナルなものを守っていても
外部環境の変化には対応できなくなる。



2006.6.17

外部環境の変化を見とおし
コンセプトを再び練り上げそこから作るべきものを
再び一から作り上げたり、簡単にいえば
フルモデルチェンジをしたからといって
それがまた市場に受け入れられるというわけでも
ないのだろうし、

コストや開発期間のことを考えたら
そんなことを短期間のなかで
通常的に繰り返すことは実質的には不可能だが
でもできることなら
そんなものの作り方が
可能になれば良いということだろう。



2006.6.18

と考えてくると
外部環境の変化やそこから必要となるコンセプトの変化に
対応できるように
連続的かつ大規模な変化に対応できるような
ものの作り方が必要になるように思える。

かといって
できたものがあまりに中庸なもの
中途半端なものであっても問題がある。

戦闘機やレーシングカーの世界でいえば
外部環境に合わせて
いろいろな性能の飛行機やレーシングカーを作っても
そうはいっても中途半端な成績ではこまるわけで
勝ち負けがはっきるする世界では
性能はとんがっていなければならないはずだ。



2006.6.19

こう書いてくると
やはりものづくりは難しいなあ、と
結論的になってしまうのだが

しかし、最近のものづくりのなかには
それに対する回答らしきものも
うまれてきているのではないかとも思える。

それは
一つには部品などのモジュール化の進展が
あげられると思う。

規格化され大量に生産された部品・モジュールを
時間をかけずに組み合わせることによって
いろいろな機能を満足させるものを
どんどん生み出す、ことが可能になる。

外部環境の変化やそこから必要となる
コンセプトの変化に対応したものづくりが
比較的容易にできるように思える。



2006.6.20

しかし、やはりこれだけでは
専用的に設計されていないし
性能はとんがってはいない。

だからこのモジュール化の進展やそこから生まれる
モジュール部品などをうまく使いながら
そこに今度は
専用設計というか
高度化というか
最適化?をうまく埋め込んでいく。
ただし、これを行ないすぎると
またコストや時間がかかってくるから

この間をどう均衡させていくかが
大事ということだろう。

それができたら苦労しない、と言われそうだが
そう考えると
とりあえず今後のきもは「設計開発者」だ。



2006.6.21

たぶんこれからの設計開発者に望まれる資質は
これまでのような設計開発者に対する
資質とは異なってくると思われる。

でも外部環境の変化を捉え
様々な資源を組み合わせていく必要がある、ということなら

いやむしろ設計開発者というよりは
もっと広い意味の
プロジェクトのマネジメントをする人が必要になるということだ。

部品に限らず
ひとや知恵やサービスや物資の支給など
レーシングカーでいえば
レーシングチーム全体の動きだろうし
戦闘機であれば
戦略など全体の話でもある
兵站もその一つだ。
このように
様々な資源を組み合わせていく必要がある

製品の性能はその一つでしかない、



2006.6.22

例えばパイロットやドライバーの資質を
どこに求め、どうやって手にいれるか、ということも
コンセプトの実現のためには必要になる。

ほかにも様々に資源をあつめ組み合わせ
最大の効果と効用と成果を生み出すための
マネジメントが必要になるはずだと思う。

それは設計開発者の行なうことでは
すくなくとも
これまではなかったし、
たぶんこれからも狭義の設計開発者では
できない範囲だろうと思う。

やはりそれは
プロジェクトのマネジメントをする人間の役割だろう。



2006.6.22

例えばパイロットやドライバーの資質を
どこに求め、どうやって手にいれるか、ということも
コンセプトの実現のためには必要になる。

ほかにも様々に資源をあつめ組み合わせ
最大の効果と効用と成果を生み出すための
マネジメントが必要になるはずだと思う。

それは設計開発者の行なうことでは
すくなくとも
これまではなかったし、
たぶんこれからも狭義の設計開発者では
できない範囲だろうと思う。

やはりそれは
プロジェクトのマネジメントをする人間の役割だろう。



2006.6.23

ゼロ戦の話に戻るのだが
だいぶ以前に買って読んだはずの
日下公人氏の「いまゼロ戦の読み方」という本が
どこかにあったことを
今になって思い出し
自分の雑多に積まれた本棚のなかから
ようやくの思いで探し出し読んでみた。

この本は日下公人氏と三野正洋氏というかたとの
共著なので
まさに「読み方」もいろいろな方向から
書かれているのだが

少なくとも
この間にここで書いてきた
ゼロ戦のコンセプトと改良に関する
紆余曲折がたしかにあった、という点では
その通りの事実であったようだ。



2006.6.24

特に初期のゼロ戦が
コンセプトの優秀性というか
多様な使い方にそこそこに使える
性能がとんがっているところがないかわりに
全体としてそこそこの性能を持つことを
目指したという点と
それを技術者が経験と知恵を元にものにした、という点で
初期には優秀な戦闘機として評価されたのだけれど

戦争という平時には考えられない
常に状況が大きく変化するような時には
戦闘機に必要とされる機能や性能も
変化を求められるのは当然のことだ。



2006.6.25

実際、戦局の変化や戦う場所の変化
そして当然ながら相手となるアメリカの
戦略や戦術や戦闘機の性能の変化によって

当然自身も
変化していかなければならないはずのゼロ戦も
コンセプトの不明瞭なままの改良(改悪)などによって
終戦近くには戦闘力のない機体に
なってしまっていた、ということらしい。

こう考えてくると
やはり問題は
戦闘機そのものの性能や改良の技術などに帰するものではなく

プロジェクトのマネジメントを担う者の問題、
あるいはプロジェクトのリーダの問題だ
ということがいえるのではないかと思える。



2006.6.26

戦局を正しく把握しているのはあたりまえのことだろうし
それを
戦略に正しく反映させるのは当然だし
戦術や戦闘機の要求性能にも反映させるのは
当然のことだろうが、

当時日本の軍部は
正しい情報収集や状況判断も出来なかったようだし
たとえそれができたとしても
的確に伝えるべきところに伝えることもできなかったようだ。

戦闘機の戦いかた一つとっても
ドックファイトで戦うにはむいていたゼロ戦も
それに懲りたアメリカ軍が
ヒットエンドランで一撃離脱戦法を生み出してからは
ゼロ戦も急速に戦闘力をなくしていったらしい。



2006.6.27

満足に無線さえも積んでいなかったらしいし
あるいは積んでいたとしても
ろくに機能していなかったらしい。

たぶんそんな戦況や状況の変化も
あるいは「現場の声」も
軍部を通じてゼロ戦の開発現場には
届いていなかったのだろうと思われるし
たとえ届いたとしても
そのような状況でまともな開発や改造が
できるはずもない。

そう考えると
やはりビジョンとシナリオを描くリーダーと
プロジェクトの全体に目を配り
人材や資源を的確につないでいく
マネジメントできる人選と配置に
失敗していたのだろうという結論にたどり着く。



2006.6.28

生産物の改良やコンセプトに関しても
開発設計者や技術者の頭の中身に問題があるのではなく
結局はそこにたどり着くのだと思える。

初期の「素直」をコンセプト通りに形にしたものと
暫時改良を重ねたものの
どちらが生産物として優れたものか、という
問いかけに対しては
どちらが優れたもの、とはいえないといういことだ。

一般的に初期のコンセプトどおりに生産したもののほうが
必要に迫られた結果として形になったのだから
その時点では優れていると思えるし、

コンセプトが変わっていく必要があるときに
それが反映できなければ
いくら改良をしても
それは改悪である場合のほうが多いようにも思う。



2006.6.29

しかし状況の変化や情報を反映させて
正しくコンセプトを変化させていけば
正しい改良になる場合もある。

技術的にそれが正しく反映できるかどうかは
それはまた別の問題だ。
正しい改良を行なっても
それが正しく形にできないという問題もあるからだ。

ただしその場合でも
正しい技術を正しいタイミングで正しく使う、というのも
リーダやマネジャーの責任であるのだろう。

新しい要素技術を導入したら失敗した、というのは
技術に問題があるのではなく
それを導入したことに問題があるのであって
マネジメントに問題があった、ということだ。



2006.6.30

戦闘機を作り、戦場に投入し、
必要によって戦闘機を改善したり
あるいは戦術や戦略さえも変化させていく、いわば
マネジメントについて
考えてみたとき、

かの経営学者、故PFドラッカー氏がまとめた
「未来組織のリーダー」という本を思いだして
書棚から探し出してきた。

この「未来組織のリーダー」はドラッカー氏以外、
様々な各界の優れたリーダーたちのコメントを
収録してあるなかなか興味深い本である。


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