今日のコラム・バックナンバー(2006年 4 月分)


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掲載は日付順になっています。


2006.4.1

少量であっても多様な消費を生む
多様なものづくりを可能にしていけば
それがいずれ大きな市場に
変わることになるのではないかということだ。

その時に多様なロングテールを担ってきた企業がそのまま
巨大になった生産を担うことになるとは限らない。
それはたぶん大手企業の役割だろう。

むしろ中小企業やベンチャー企業は
そんなロングテールな分野の市場を探し出し
そこにむけて少量ではあっても
付加価値の高いビジネスを創出することになると思う。

あるいみでは
生物界における食物連鎖に似ていなくもない。



2006.4.2

「ロングテールビジネス」が
今後一定のビジネス分野ではばをきかせてきたり
評価されるようなことになると
筆者は思うのだが

そうなるためには
少なくともものづくりの分野で
ロングテールが成立するには
少量生産であっても
あるいは個別生産、
極端にいえば
1人の顧客にむけた一個生産であっても

生産のためのコストが劇的に下がったり
あるいはそれなりにペイするために
これまでとは異なる
なんらかの「生産システム」やら方法やらが
実現できなければならない。



2006.4.3

同時に
多様なアイディアの創出や機能や夢の実現への欲望が
それこそ星のかずのごとく
たくさん出てこなければならないはずだし
それもいつもいつも
連続的にうまれつづけていかなければならないはずだ。

残念なことにまだ
世界も日本においても、
今の生産と販売と消費の循環のシステムは
こういう多様な価値を
どんどん生み出していくようなものには
程遠い。

近代工業に代表される生産システムは
長くは100年以上あまり洗礼され高度になり進化も
遂げて、それなりに高度なものにはなっているのだろうが
その意味ではまだまだ十分なものになっているとは思えない。



2006.4.4

特に今、日本の大手企業は
そんなものを生み出すことが
苦手になり始めている。
たとえ考え出すことができても
市場規模が大きく、販売数が多く、
大手企業全体を引っ張っていくだけの利益を
生み出すようなものでないと商売にならないと
切り捨てられてしまうから
少量であっても多様な価値を
どんどん社会や家庭や個人にむけて
送り出すビジネスには踏み出すことができないでいる。

で、そのような分野を進めていく主役は
やはり中小企業や
ベンチャー企業の役割だと思うのだ。



2006.4.5

で、最後には再び大手企業がでてきて
中小企業やベンチャー企業が
頑張って考えたり作り出したものを
ぱくってしまったりうまいことやられてしまったり
多くの場合
おいしい部分は大手企業が
根こそぎもっていってしまうことになると思うのだが
それはそれでしかたない。

と、はなからあきらめていてはいけないのは
百も承知だし、
できれば中小企業やベンチャー企業が
頑張った分、そちらに儲けが流れていくように
するべきだと思うのはあたりまえだが、



2006.4.6

ロングテールの分野で生まれた少量生産もの、
その多くは時代の変化に真っ先に反応し市場を形成する
ビジョナリーが生み出し牽引していくものだろうが
いずれそれらが大量生産になって
ビジョナリーに続き巨大なマーケットを構成する
多くの人々に喜ばれることは
無駄なことではない。

また、大手企業や産業界全体としても
ベンチャーや中小企業が
新しいものやアイディアを
生み出していくのを育てる、位の
戦略が必要だとも思うのだ。

それが回りまわって大手企業自身の
ビジネスにもつながっていくのだというくらいの
戦略が必要ではないのか。



2006.4.7

いずれにしても
今の日本の産業界でも
将来の日本の社会全般でも
そのなかに
多様であり価値のあるアイディアや夢が
どんどん連続的に生まれていかなければ
ならないはずだし、それを可能としていく
システムや文化が必要なははずなのだが

そういう役割を日本の中小企業や
ベンチャー企業が担っていくのが重要だとはいっても
実際のところはなかなか厳しい。
お金はかかるしリスクも高い。



2006.4.8

特にアイディアを形にしていったり
具体的には試作を作ったり、実験をしたり、という部分は
費用もかかるから中小やベンチャー企業には
大変な負担になる。

しかし、生産や試作開発に至る前の段階であれば
お金をかけず、リスクも回避していく
なんらかの方法はあるのではないかとも
最近思う。

ところでどこかの本で読んでなるほどと思ったことがある。

亡くなったソニーの盛田さんが言っていたというのだが、
正確な言葉ではないが
おおまかこんな表現だったと思う。



2006.4.9


  8時から5時に会社に来て
  プレスの前に座って生産をしてものを作る、ということは
  ありえるけれど

  8時に会社にきて
  面白いアイディアとか構想を考えついてくれとは
  いえない、

なるほど、たしかに本当にそうだと思う。

が、いまだに日本では
知恵とか知識に高い価値を認めようとしないように思える。
いや、認めているのかもしれないし
少なくとも重要だとは思ってはいると思う。

でも「8時から5時に出てくるもの」だと思っている。
あるいは、思っていなくてもそういうことを前提に
産業のしくみができてしまっているように思える。



2006.4.10

面白いアイディアとか構想とか知恵とか知識は
時間や就労時間に関係なく生まれてくる。

会社の規模や存在など
既存の「これまでの仕組み」とは
関係なく生まれてくる。

ありがたいことに筆者の近くに比較的多い、
いろいろ面白いことやアイディアを
考えつく人たちに言わせれば
彼等は
「寝ている以外いつでも考えている」、と言うし
「寝ていても思いつくことだってある。」と言う。

そんな人に
「面白いアイディアとか構想とか知恵とか知識を
8時から5時の間に出せ、思いつけ」、
というのは無理というものだ。



2006.4.11

で、そこから生まれてくるような
アイディアとか構想とか知恵とか知識は
リピート・使いまわしが効くし
拡大再生産も、拡大再利用?も効く。
想像以上に高い価値をもっているのだ。

物質的な「もの」と
アイディアや知恵との最大の違いは
そこにある。

物質的な「もの」は一個使ってしまえば
また一個を新たに同じコストを使って
作らなければ実現しない。

がアイディアや知恵や知識は
いくら使っても減らないし
どんどん使って社会全体としての価値は
使えば使うほど増えていく。



2006.4.12

どうやら「ものづくり」に重きをおく
日本の産業界は
どうしても知恵とか知識とかアイディアの
持つ潜在的な高い価値と可能性への評価が低い。

アメリカはそのあたりに20年以上も前に気がついて、
というか
ものづくりでは日本にコテンパンにやられてしまったから
なんとかやり返そうと
考えた方法が「プロパテント政策」だ。

知恵とか知識とかアイディアを
アメリカの21世紀を牽引する価値と財産と考えて
知恵とか知識とかアイディアを
アメリカのなかに閉じ込め、
それをお金にする方法と仕組みを
考え出した。



2006.4.13

いっとき、日本の産業界が
アメリカのサブマリン特許なんかに
右往左往していたのもここから来ている。

ところで、
知識や知恵やアイディアは
人や事象との連携から生まれるものでもあるから
ネットワークや人脈や情報の
ネットワークなどから生まれてくることが多い。

知識や知恵やアイディアを出力する人が
その場ではたとえ
その個人から生み出されるように見えても
実はその人が存在するネットワークや
人や企業や社会とのつながりのなかから
生みだされたり刺激されたりした結果
その人を媒介して
表現され生み出されていく、といっても良い。



2006.4.14

残念ながら今の社会や、特に産業界は
知識や知恵やアイディアを生み出していくには
人や企業や社会とのつながりやネットワークの
構築が遅れているように思える。

たしかに近年
企業や人や地域の間での
ネットワークや連携が重要なのだと考え
重要性は認識しつつあるのだが

一方、どうやったら効率的に
ネットワークができてきてうまく動いていけるか、
そのなかから豊かな
知識や知恵やアイディアや国や社会を潤す富や豊かさを
生み出すことができるかの
方法論が生み出せていない。



2006.4.15

国が主導する「クラスター政策」などというものも
動いていて
国と産業界、特に国が主導して行なっているようだが
失礼ながら
うまく動いているとは思えない。

そもそも国などがそんな作業の中心に座ろうとしても
できるとも思えない。

もともと「クラスター政策」そのものが
外国の高名な学者が言っていたことを
政策に落とし込んでいった感がいなめない。



2006.4.16

日本には日本なりの
産業政策があってしかるべきだと思うし、
もともとそれが立脚する日本の産業の
土壌や文化や独自の資産や資源がある。
まずはその分析から始めることを
せねばならないはずだと思うのだが、、、

8時から5時までのあいだに
「プレスや製造機械でものを生産する」という
これまであたりまえに行なわれてきた
「ものを作って儲ける日本のビジネス」は
これはこれで引き続きつづけていけばいい。

一方、時間には関係なく生まれてくる、
つまりは
これまでの「産業社会」「産業構造」
からは生まれてはこない
面白いアイディアとか構想とかは

それとは全く別のプロセスから生まれてくるのだから

これはこれでなにかほかの方法論で
生み出し育てることを考えなければならない、と思う。



2006.4.17

夕方5時以降でもいいし
朝8時前でもいい。

面白いアイディアとか構想とかを
生み出し、お金をかけずに
具体化する方法を考える、、、
そんなところまでであれば
そう無理もせず行なうことができる。

自分だけですべてやるのは大変だ。
であれば仲間と力を合わせて進める。

それを図面にしたり試作にしたりは
あらためてお金が必要になるだろうが

それはその時に考えればいい。
最近であれば
新たな金融の仕組みもあるだろう。



2006.4.18

ともかくも今の日本は
もっと多様でもっと価値の高い
いろんなアイディアや構想を
どんどん生み出すことが必要であること、
その生み出す仕組みを持つこと、
が重要であるように思う。

シリコンバレーが良いのだとは言わないが
すくなくとも
かの地では
いろんなものを生み出す仕組みと土壌は
あるように思える。

アメリカではそれが可能で、
日本ではそれが不可能、だとは思わない。

せっかく景気も
現下は調子が良いようだから
こんな状況をうまくバネにして
いっきにそんなことが可能になるような
仕組みづくりを目指すべきではないだろうか。



2006.4.19

最近売れっ子の作家に
藤原正彦氏がいる。

作家という職業で紹介するよりは
現在お茶の水女子大学の教授であり
数学者、と紹介したほうが当たっているのだろうが

これほど多くの著作を書いて、
なおかつ売れてもいるのだから
作家といって差し支えないだろう。

最近であれば
『祖国とは国語』『国家の品格』 『若き数学者のアメリカ』
『遙かなるケンブリッジ』、『数学者の休憩時間』 
などが結構売れているらしい。



2006.4.20

藤原正彦氏は
筆者の住んでいる地方の生んだ
作家「新田次郎」氏のご次男である。

新田次郎氏は
小説『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』で
高名な作家である。
また、藤原正彦氏のお母上は
作家藤原てい氏であり、
やはり『流れる星は生きている』で有名である。

その新田次郎氏は作家になる前はもともと気象庁で
富士山山頂レーダーの構想を実現した人として
NHKの「プロジェクトX」で放送されていた。
ご存知のかたも多いだろう。



2006.4.21

そして、新田次郎氏がもともと
長野県諏訪出身で
日本気象学や地球物理学の創始者
藤原咲平氏の甥、ということでもあるらしい。

新田次郎氏も諏訪の出身で
その生地が「角間新田」という場所で
新田次郎氏本人もご次男であったことから
新田次郎というペンネームをつけたのだという。

新田次郎氏の叔父、藤原正彦氏の祖父にあたる
藤原咲平氏は日本にグライダーを紹介し
それで諏訪の霧が峰高原で
日本で最初にグライダーが飛ぶことになったのだそうだ。



2006.4.22

いささか長くなってしまったが
そんな藤原正彦氏の著作が
ここのところ結構売れているらしい。

先日も東京の山手線に乗っていて
ふと前を見ると
座席に座って本を読んでいる老婦人の
読んでいる文庫本が『祖国とは国語』だった。

最近はいろいろなところで講演会にも
引っ張り出されるようでもある。

テレビでも新聞でも最近よくお顔を拝見するようにもなった。



2006.4.23

自分にとって
直接の関係はないが、共通の故郷によって
若干のつながりは感じる作家の本が売れていて
それがいろいろなところで
読まれたり評価されているのに
遭遇すると悪い気はしない。

内容はぜひ読んでいただきたいし
ここで簡単に書けるものではないが、

氏の主張する最大の部分は
「日本人のアイデンティティーを再確認し
もっと日本人は自分らに自信をもて」
ということだろう。



2006.4.24

だからある意味では
「右翼的な言動」ととられなくもないのだが
氏はもちろん
そういう気持ちで書いているのではないのだろう。

この数十年か
アメリカなどによって、あるいは
日本の「構造改革」によって
大切にすべき日本の文化や考え方や行動様式が
闇雲に壊されていくように思えるが、
それはたぶん日本とその将来にとって
深刻な問題であることに思える、

というのが氏の基本的な
問題意識としてあり、
その著作やあるいはテレビ番組でのコメントなどでも
主張されている。



2006.4.25

で、氏の著作をいくつか読ませていただいたうち
最近読んだ
『数学者の休憩時間』 のなかに
こんな文章がかかれていた。

非常に気に入ってその部分を
なんども読み返している。

それは「改革」と「野心」についてかかれている。
ところどころの抜粋になるが
ちょっと引用させてうただく。

  いかなる組織といえども改革は必要である。

  どんなすばらしい組織も時間とともに必ず欠陥が現れる。

  改革のために最も必要なのは野心だ。

  野心の枯渇した組織が衰微の道をたどるのは
  自明のことと思われる。

  「あいつは野心家だ」というのは
  日本ではあまりよい意味には使われないが
  アメリカではそれは通常誉め言葉である。



2006.4.26

さらに続ける。

  手元の国語辞典で「野心」を引くと身分不相応な望み、と出ている。
  この身分不相応な望みこそが重要である。
  身分相応の望みしかなくては、どんな飛躍もできないだろう。

  野心は美徳と思う。

  最近学生と接していて物足りなさを感ずることが多くなった。

  この一因として学生たちが野心を持たなくなったことがあげられる。

  野心とはロマンである。
  ロマンにしがみついて頑張る、などというのは
  ご苦労なことであり、今流に言えばダサイのである。
  この泰平で満ち足りた世には、ロマンに命を賭けるなどという
  ばかがほとんど見当たらなくなってしまったのである。




2006.4.27

長くなるがさらに続ける。

  幕末から明治にかけては、すざましいほどの野心家が輩出した。
  あのころが、近世日本では男の最も強かった時代であり、また最も
  エキサイティングな時代でもあったと思う。

  ひるがえって現代の日本を考える時、
  「夢にまで見た繁栄とはこんなものだったのか」との倦怠感が
  広範に漂っているのを感じざるをえない。

  従ってこんな時代こそ、大勢に迎合せず、
  倦怠の流れに敢然と立ち向かうだけの人間が待望される。
  現実的で地に足をつけた発想をする女性に、
  スケールの大きな野心やロマンはあまり期待できない。
  ばかな男の出番はまさに今なのだと思う。

最後のほうには女性と男性の違いについて
だいぶ刺激的な評価も書かれているが、
それはこれらの文章のなかでは主要な部分ではない。



2006.4.28

それよりも
たしかにロマンや野心を持つ、特に若者が
最近すくないのではないか、という
問題意識には強くうなずく人も多いのではないか。

「古くなり問題を抱える日本のなかに
  改革のロマンと野心を持ち
   倦怠の流れに敢然と立ち向かうばかな男が待望される」

ということだ。

まして、現下は
経済的には好況に推移しているようにみえていて
こんな時代に問題意識をもち改革を行なうなどというのは
ばかであろう。

が、たしかに現下は好調に推移しているように見えても
日本の経済や社会や、
特に地域社会の抱えている課題や問題点は
全くといっていいほど解決されてはいない。

いやむしろ問題は深化しているといってもいいだろう。


というわけで
今年は長い連休のところもあるようですが
今日のコラムも連休あけまでお休みです。
では連休あけにまたお会いしましょう。


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