今日のコラム・バックナンバー(2005年 7 月分)


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掲載は日付順になっています。


2005.7.1

大学と組んで
万博にロボットを出展することが
果たして市場に製品を
送り出すことなのか、といわれれば
たしかにこれまでの「市場」のイメージと
ちょっとニュアンスが違う。

しかし、これはロボットに限らず
先端的な研究を行なっている大学や研究機関に
その研究が必要としている
少量でも切実であり高い品質と付加価値を持つ
「もの」を作り供給することは
「市場」に対し価値を供給する
立派なビジネスたりえる。



2005.7.2

ロボット以外にも
医療福祉介護の世界や
個人向けの細かく特化したおたく業界など、
こういった
少量であっても高い付加価値を
必要とする「市場」に確実に供給していくビジネスは
世の中にたくさん存在しているはずだ。

市場が多様になっていく反面
個々の市場や小さくなっていくということでもある。

あるいはコンビニのような
POSシステムを導入しているような業界や
クイックレスポンスを標榜しているような業界も
多様でありながら個々の分野へどんどん
「特化」「小口化」「迅速化」になっていく傾向にある。



2005.7.3

そんな日本のものづくりの現状を
打開していくためにも
大学や研究機関のものづくりの
お手伝いをすることはそれ自身が
その新たな「生産様式」の
フィージビリスタディー足りえる。

そんなわけで
今回「万博のプロトタイプロボット展」に
中小企業や大学と一緒になって
取り組んできたプロジェクトは
非常に有益だった。

そのうちに地元産業界や広く産業界にむけて
今回なにを学び何がわかってきたのか
報告を行なっていきたいと思う。



2005.7.4

だいぶ話が横にずれてしまったので
ハードディスクドライブレコーダーの話に戻す。

ハードディスクドライブのレコーダーが
普及してくると
テレビコマーシャルで儲けるような
現在のテレビ放送局のビジネスモデルは
早晩変化せざるを得ないだろうという話を書いた。

それを証明するようなデータが最近の新聞に載っていた。

野村総研による調査だが
ハードディスクドライブレコーダーの
所有者の過半数が
コマーシャルを飛ばしてテレビ番組を
見ているのだという。

この「飛ばし見」で
テレビ広告費市場の2.6%にあたる
540億円が「無駄」になる、というのだ。



2005.7.5

テレビコマーシャルは
ハードディスクドライブレコーダーの利用者の
23.4%がすべて飛ばして見ており、
33.0%が8割以上飛ばして見ているのだそうだ。

コマーシャルを飛ばさずに見ている人は
23.1%に過ぎなかったという。

そこで問題になる
ハードディスクドライブレコーダーの普及率だが
今年が15.2%だが
2009年には44.3%まで普及する見通しだという。

これらの数字を俯瞰すれば
今後テレビ番組の視聴者が
相対的にテレビコマーシャルを見なくなる、
という傾向は当然強まっていくと予測できる。



2005.7.6

まして、
今後娯楽や教育の道具としての
テレビ番組の存在や重要性は
上昇することはあれど低下することはない。

インターネットのように
選択的であったり双方向であったりするような
メディアのありかたも
今後重要になっていくこともたしかだが
だからといって
テレビの重要性が低下することはないだろう。

むしろ最近話題になった買収劇の話ではないが
テレビとインターネットの融合や連携によって
それぞれの重要性が相乗的に
よりあがっていくと見るほうが
たぶん当たっている。



2005.7.7

同時に
現代人にとって
時間はますます貴重になっていくことも一方にある。

昔にくらべて
夜型の生活をしている人も増えていたり
あるいは24時間のサービスが重要になっているなかで
それを支える人々の量はますます増えている。

つまりは生活パターンの多様化にむかっていることも
間違いない。

テレビ番組の多用化も一方でおきているし
時間帯にわけた内容のすみわけも
最近では有名無実になっていて
昔であれば深夜番組で放送されていたような内容が
ゴールデンで流れていることもあれば
深夜に昼やゴールデンの番組が
再放送されていることも
いまや珍しいことでもなんでもない。



2005.7.8

こんな状況のなかで
ハードディスクドライブレコーダーが
テレビ番組を録画しておいてあとで楽しむという
直接的な役割を持つ、というよりは

現代人にとって
仕事や生活や娯楽や教育などを
24時間という限られた時間のなかで
「有効に時間をつかうための道具」として
重要な道具になっていく、ということに
注目しておく必要があるだろう。



2005.7.9

ハードディスクドライブレコーダーの可能性や
それが放送局や広告宣伝業界に及ぼす影響や
過去、長いあいだ
べつになんとも疑われてこなかった
ビジネスモデルの変容の可能性について
書いてきたが

それは例えば
既存の大きなメーカーや商社が「市場」という
獏としてたぶん存在している巨大な欲望の塊にむかって

できるだけ大量にものを販売していくための
一つの道具として存在してきたことの変化の兆しでもある。



2005.7.10

大量生産大量販売という
ここ50年あまり当然のように
行なわれてきた戦後の日本が行なってきたビジネスへ
道具としてテレビが果たしてきたことの
役割や可能性に対し

いよいよそれらとは
ちょっと異なる可能性が生まれてきたり
準備段階に入ってきていて

ハードディスクドライブレコーダーの可能性や
それが放送局や広告宣伝業界に及ぼす
今はとりあえず「微妙な影響」は
実はもともとその変化のきざしでもあるのだということも
賢明な人ならとっくに気がついているはずだ。



2005.7.11

もっと大胆に予測すれば

テレビ放送局や宣伝業界のみならず
「市場」にむけてコマーシャルをうって
顧客の財布の紐を緩めさせる
というこれまで疑いもせずに行なわれてきたやり方が

ハードディスクドライブレコーダーの普及によって
実は放送局や広告宣伝会社以外にも

ものや財を社会にむけて供給しているはずの
「メーカー」や「商社」も
ビジネスモデルの変容を迫られる可能性がある
ということだ。



2005.7.12

ハードディスクドライブレコーダーの普及という話題は
それだけではなるほど
新しい製品が登場してきたなあ、という
感想にとどまるが、

しかし、よくよく洞察してみれば
それがコマーシャルを飛ばして番組を見ることを可能にし
同時にそれはいずれ広告宣伝業界や放送局の
永い間疑いもせずになりたってきた
ビジネスモデルを根底から覆す
とんでもない道具、になっていくだろうことに
気がつかないでどうするの、ということだ。



2005.7.13

ちょっと前に「市場」という言葉の意味の
あいまいさについて書いた。

市場というものが実際そこに「ある」と
ものづくりを行なっている側からしたら
だれもが思う。

それもできるだけ巨大で単一で一様な市場があり
そこに「もの」がはまりさえすれば
大きなビジネスになると誰もが思う。

しかし、そんな巨大で単一で一様な市場などは
よほど未開であったり発展途上の国でもない限り
めったにない。



2005.7.14

特に日本のように
とりあえず今、街にあふれかえるようにある「もの」を
誰もが選択し購入できる国においては
一部の大きな企業やメーカーでもないかぎり
巨大で単一で一様な市場などを
「目にすること」や「つながること」はめったにない。

むしろ市場は巨大で単一で一様なものではなく
最終的には個々人や一つ一つの需要な欲望に
直結する個別的で多様なものであるはずだ。

だから「市場」につながるとか
「市場」を大事にするとかいうが

よくいわれるような「マーケティングの意味」では
最大公約数的とでもいえばいいか、
「市場の声」は結局
「誰もが欲しがる共通項」みたいなものにならざるを得ない。



2005.7.15

でも実際のところは
誰もが欲しがる共通項などというものは
たぶん存在しておらず

仮にもしあったとすれば
逆に誰にとっても魅力のない
あってもなくてもどうでも良い製品やサービスを
意味してしまうのだろうと思う。

ただ、
この時代のテクノロジーの進化で
個々の欲望やニーズに
ものや財の供給側がアクセスすることが
可能になってきたことが
我々製造業に携わる物には
それが飛び道具のような役割を果たし始めている。



2005.7.16

だって、
巨大ではあるがあいまいでとらえどころがない市場から
最大公約数を探すなどというより

そこに小さくても間違いなく存在している
ニーズや欲望に直接つながることができるなんて
これまで、少なくとも
この50年あまり行なわれてきた「日本の製造業」には
たとえ望んでもできなかったことだ。

「これが欲しい」という人の欲望が
直接こちらに聞こえてきて
その一個一個のビジネスを
進めていくなどということは
これほど確実な商売はない。



2005.7.17

テレビでたまに放送されたりする
インターネットを使ったe−コマース(懐かしい!)の
成功したビジネスの多くは
基本的には時代がそんなことを可能にしてきたなかでの
成功といって良いだろう。

とまあ、前回は基本的にはそんなような話を書いた

そういえば
経営学者のP・F・ドラッカー氏が
著書のなかで
マーケティングの意味についてこう言っている。



2005.7.18

<以下引用>

 これまでマーケティングは、販売に関係する全職能の
 遂行を意味するにすぎなかった。
 それではまだ販売である。われわれの製品からスタート
 している。我々の市場を探している。
 これに対し真のマーケティングは顧客からスタートする。
 すなわち現実、欲求、価値からスタートする。
 「我々は何を売りたいか」ではなく
 「顧客は何を買いたいか」を問う。
 「われわれの製品やサービスにできることは
  これである」ではなく
 「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている
  満足がこれである」と言う。 




2005.7.19

 更に続ける。

  実のところ、販売とマーケティングは逆である。
  同じ意味でないことはもちろん、
  補い合う部分さえない。
  もちろんなんらかの販売は必要である。
  だがマーケティングの理想は、
  販売を不要にすることである。

  マーケティングが目指すものは、
  顧客を理解し、
  製品とサービスを顧客に合わせ、
  おのずから売れるようにすることである。



2005.7.20

ここに書かれている
「マーケティングの理想は、販売を不要にすることである」
という言葉の意味はなるほどと思う。

考えてみれば
砂に水が沁みていくがごとく
「市場」に製品やサービスが
買われていくことができたら
それは理想的であろう。

しかし市場の声や欲望やニーズを探し出して
自らの製品やサービスを
あわせていくというのは至難の技だ。

が、すくなくとも
インターネットや情報技術の登場によって
一人一人の顧客が
何を必要としているのかを聞き出して
「需要と供給を直接つなげる」ことができるように
なったことも間違いない。
その意味では
販売が不要になりつつあるのかもしれないとも思う。



2005.7.21

ついでに言えば
「ものづくり側や供給側のテクノロジー」も
ユーザーの個々の声が聞こえてきたら
そこに「個別」に製品やサービスを提供することを
じょじょにではあるが可能にしつつある。

小口配送便の高度化によって
小さく軽いものであっても
日本はおろか世界中に
送ったり送られたりすることができる。
それもとても安価にだ。

高い機能、多様な機能を実現する源ともなった
半導体デバイスの大量生産による低価格化で
様々な家電や装置がとても安価になった。

これらは個々のニーズに個別に製品はサービスを
安価に届けるテクノロジーとして
社会のなかにいつのまにかしっかりと位置づいている。



2005.7.22

一方、ものづくりの現場は
それを組み込んだ製品を
非常な小ロット、あるいは一個製品に近い状態で
生産することを可能にした。

セル生産方式や
一個流し生産などは
大手企業やメーカーが
大量生産の不合理性を解消するために
いろいろ考えた手立てという捉え方を
するレベルにとどまらず

実は次代の生産様式や
ビジネスモデル、あるいは
産業モデルを構築していくうえで
その「基礎」ともなる
テクノロジーの実証実験でもある。



2005.7.23

なおも頻繁なモデルチェンジやPOSシステムなど
時代の要請に応えているうちに
ユーザーの個別の声に応えるテクノロジーは
すでに広範に用意されはじめていること、

そしてなにより
こんな生産や顧客との連結する仕組みを作ってきたのは
先進国というなかでも
日本を始めとしたごく一部の国でしか
到達していない。

今後は
顧客の持つ多様で高度なニーズに
ものづくりで応えていくという立場から
さらに高度なものづくりの仕組みを
構築することを目指すことになるだろう。



2005.7.24

現在誰もが疑わない、一般的な理解として、
大手企業やメーカーは
「市場」にむかってマーケティングして
モノを売っていくのというが、

はたして
「市場」にむかって
徹底的な広告宣伝で大量生産大量販売を
行なうというやり方が
本来のマーケティングという意味に合致しているのか。

誰もが通常使う
「市場」や「マーケティング」と言う言葉に
なにやら頼りなさを感じる。

よくよく考えてみると
通常疑わずに使っている言葉の多くに
ちょっと疑ってかかる必要があるのじゃないかと
思う言葉が最近は散在しているようにも思える。



2005.7.25

ところで
前述のドラッカー氏のマーケティングに関する
とても示唆に富む一言に続いて
ドラッカー氏の最近の著作などで主張することに
ついて考えてみたいと思う。

経営学者のP・Fドラッカー氏が
最近の著作のなかで繰り返していることの一つに
これからの社会、産業社会は
知識がもっとも重要な資源になり
そこに働く人々は
知識労働者、テクノロジストと分類される人々に
なっていくだろうという。。

一方のほうで
これまでの産業社会でくくられていた
「製造業に従事する人々」
「ものづくりを行なう人々」は
どんどん少数になると同時に
社会的富がそこにむかわなくなるだろうという。

要は「儲からなくなる」ということだ。



2005.7.26

特に重要な指摘だと思うのは

産業社会になる前に
永く社会の富を作ってきた「農業」が
近代になって工業が繁栄すると
農業の生み出す豊かさとか富とかが
工業に比べて減っていく、というのだ。
それも20世紀になってその傾向は
加速度的に進んだ。

現代では工業が生み出した富と
農業の生み出した富を比べると
50対1ほどの違いがあるというのだ。

生み出した価値に違いがあるというのではない

農業によって手にすることができる所得で
同じ労働によって得られる工業製品でいえば
50分の1しか手にはいらないということだ。



2005.7.27

もっとわかりやすくいえば
工業の時代になったら
農業は儲からない時代になった、ということでもある。

で、ドラッカー氏のさらに驚くような指摘は
次に今後知的な資源が重要視される時代になると
今度は「ものづくり」「工業」が
儲からない時代になる、という予測である。

これについては
今月のデザイン関連の雑誌「AXIS」に
工業デザイナーの山中俊治氏が
インタビューのなかで
今後の日本のものづくりの向かう方向についてたずねられ

  「知的なあるいは文化的な方向に産業がシフトすることは
  けして儲かる方向ではないし、もはや工業国だった昔のように
  景気がよくならないのはたしかです」

と答えていて興味深い。



2005.7.28

それにつづけて山中氏はこうもつづけている。
 
  「でもそのなかで日本人としての誇りを持てる場所は
  見つけられると思っています。」

それが一体何なのか、
「ものづくり」では儲けることができない時代に
でも結局そこは
「ものづくり」に関連した部分なのだろうと思う。

ところでこの「ものづくり」という言葉の
いわば「実態のなさ」「とらえどころのなさ」については
いままでのいろいろ書いてきたが
それに関連したことを書く。

日経ビズテックという月刊誌があって
今月の特集が
勝手に考えるソニー再建計画
というもので
ちょっと面白いと思うので買って読んでみた。



2005.7.29

著名な識者や経営者が
現在苦戦中のソニーを
どうやったら再建できるのかとう
処方箋を書いたものだが

それにしても当代一流の識者や経営者が
処方箋を書いているのに
書かれている中身は
それぞれにまったく異なる、というところがとても
面白い。



2005.7.30

それだけの事実を考えても
会社の経営や事業の方向などを
考え実行に移していくなどということは

難しくもあり、また
人によって大きく変わっていくものだということの
証左でもある。

まあ、逆に考えれば
だれがどんなことを考え実行したとしても
いろんな道はあるものだ、ということでもあるかもしれない。

たぶんいくつも提案されていう処方箋は
どれも成功するかもしれないし
どれも失敗するかもしれないということだ。



2005.7.31

さて、この処方箋のなかで
面白いと思うことがあった。

処方箋をかかれた何人かの識者のなかに
東京理科大の客員教授で
花王の元社長会長をされていた
常盤文克氏がいる。

最近は日本ものづくり学会という学会をたちあげられ
その理事長にも就任された。
筆者も実は何度もお会いしお話をさせていただいたことがある。

常盤先生が
書かれた処方箋の題名は
自身の役割を問い直しものづくりに回帰を
というものだ。


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