今日のコラム・バックナンバー(2005年 3 月分)


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掲載は日付順になっています。


2005.3.1

一方の、旧来からの放送局も
特に今回話題になっている放送局などは
なかなか視聴率や評価なども含め
がんばっている方ではあるから

そこに働く人々も
たぶん結構職場に満足しているようではあるし
視聴率も高いということは
国民や資本からも
評価を受けている、といえないこともない。

というわけで、一体どちらに軍配があがるかは
まったく未知数ではあるが

お金をどちらが用意できるかどうか、という以外に
どれだけ自分の側に味方をつけることが
できるかどうかがとりあえずは
今回の問題の要点だろうと思える。

という視点でみると今回の一件は
とりあえずどっちが多くの人の支持を得始めているかは
ちょっと見えはじめているのかもしれない。



2005.3.2

そういえば昨年のプロ野球球団の件でも
最後はどちらが魅力的な球団運営を提示できるかが問題になった。

たぶん今回も同じような局面になるだろうということだ。

あんまりこれまでと代わり映えのしない提示であれば
いくらお金が用意できたとしても
味方にだれもついてくれない、なんてことにも
なる可能性はある。

一方、
やっていること、言っていることや
Tシャツが生意気だとか
ネクタイを締めるべきだとか、
要は旧来の価値観のなかにとどまることを
要求するという意味でしか実際のところ
ものを言わない、言えない、
そんなレベルの旧来勢力の味方の政治家の
意見はいまさらもうマスコミをふくめて
話題にすること自身どうかと思うが、



2005.3.3

まあ、そんな人たちも含めて
思わず応援したくなったり
味方になってしまうような魅力を
そろそろ提示してもらいたいものだ。

で、ことは今回の放送局の買収劇におわらない。
本質は企業買収の話ではない。
あるいはたとえそうであるとしても

当事者たちがそれを意識していようといまいと
今回の問題提起はすでに
問題にしていなかった他の問題を明らかにしつつある。

一方にとっては企業買収であっても良い。
あるいは一方にとっては
それに対する防御策だといっても間違いではない。

当事者にとっては文化や次代の変化の現れなどではなく
勝つか負けるかの企業間の勝負そのもの
であるということも間違いない。



2005.3.4

しかし、そのやり取りのなかで見えてきたものは
実は
古い経済と新しい経済ではなく
とりあえず新しい衣をまとった文化にたいし
古い文化が拒否反応を起こしているということで
今後は日本のいたるところで
似たような出来事は
驚くほど起きることを予想しておく必要はある。



2005.3.5

毎日テレビや新聞で
報道される今回の一件は
まるで経済の話題を題材にした
サスペンス番組かドキュメントを見ているようで、
まあ、それはそれで非常に楽しめるのだが、

そんな見物気分の一方で
実は今日本でおきている「大事なこと」の
表層を見せてくれているのだということを
認識しておく必要はある。

そんな目線でテレビや新聞を眺めていると
ちょっと違った気分や
「楽しみ方」「勉強の仕方」も
あるように思えているのだがいかがだろうか。




2005.3.6

筆者の机の端のほうに
友人からもらった「図書券」の封筒が置かれている。

何枚か入っていたのだが
いまは数枚しか入っていない。

本屋めぐりの好きな筆者は
この図書券をもらったときに
とてもうれしかったことを覚えている。

通常はお金で本を買うのだが
数冊の本を買いたいと思ったときには
5000円くらいにはすぐに合計金額が
達してしまうから
これをお金で決済するのは気持ち的に
ちょっと躊躇することがある。
こんなときに図書券があると
気持ち的にはとても楽だ。



2005.3.7

たとえ総額のうちの500円でも
お金ではなく図書券から支払うと
なんとなく懐の痛みが和らいだような気が
するということなのだろう。

だから
数枚もらった図書券だが
一気に減る、ということはなく
少しづつ減っていくことになる。

考えてみたら
机の端に置かれている図書券も
その近くに置かれている、
というか無造作に置かれたコインの山のなかに
ある500円コインも
本を買う、ということについては
対して意味や価値は変わらない、ように思える。



2005.3.8

だけれど
不思議なことに
コインとして500円を持っていることと
図書券として500円分の引き換える権利(とでもいえばいいか、)
を持つこととそれ自身では同じことなのに
なぜか図書券をもっていることは
筆者にとってとても価値がある、といえばいいか
「うれしいこと」につながっている。

これは本当に不思議なことだ。

むしろお金としての500円を持っているほうが
本はおろか500円の価格がついているものであれば
なんでも買えるはずなのに
筆者にとっては500円の図書券のほうがうれしい。



2005.3.9

これは友人からもらった図書券である、
ということももちろんあるだろう。

だけどなにかそれとは違った魅力が
図書券にはある。

むしろ最初に書いたように
数冊の本を買おうとしたときに
かさんだ金額の補填に図書券が使える、ということの
ほうが「うれしさの意味」に近い気がする。

昔しまった本やノートの間からなにかの拍子に
1000円札が出てきたりするのと
同じような感覚かもしれない。

といったらそれはやはり友人からもらったものと
同じで「ただ」でもらったものだから、
ということになるのかもしれないのだが

なにかそこには違いがあるように思える。



2005.3.10

お金のように「何にでも使える」というものではなく
本との交換にしか使えない図書券、

むしろその「不自由」さが逆に
豊かさにつながっているということなのか。

本を買うときにしか使えない
図書券であるからこそ
他には使われずに手元にあって
本がほしいと思ったときにだけ
最大限のちからを発揮する図書券。

不便で機能不全であるように見える一方

むしろ本当にほしいと思うときには
それまで机のすみで待機していたからこそ
使える、使われる喜びというか
そんなものが図書券にはある。
クーポン券なんかも同じかもしれない。



2005.3.11

不便であることや面倒であることが
喜びやうれしさを阻害するものである、と
普通ならば
単純に結びつけた話になるのだろうが
実はそう簡単なことではないように思える。

実はこういうことって
一方で、コンビニストアが
日本中いたるところにあったり
小口の配送便がほぼ次の日には
日本中のいたるところに
小さなものでも確実に配送してくれるような
今の日本にも
実は結構あるのではないか。



2005.3.12

もちろん、そんな便利なことは
歓迎すべきことであって、
否定するようなものではないことは
あきらかなのだが

そういう次元の話ではなく
あるいはもしかして
不便であったり面倒であったりしても
演出や方法ややり方、の違いで
不便であることや面倒であることを
うまくつなげていくことで
よろこびやありがたみみたいなものが
発見できる場合もありはしないか。



2005.3.13

いやむしろ不便であればあるだけ
よろこびやうれしさが増す、
そんな行為も
世の中にはあるのではないか。

もしそうであるならば
日本でのみ通じるモデルかもしれないが
そんなことに
実はこれからの新たなビジネスモデルも
隠れているように思えてならない。

図書券の制度の周辺に
その一つがあると簡単には言えないだろうが
身の周りのものやサービスで
制限されていることや
不便であることが
喜びにつながっているものなんかを
探してみたら面白い。



2005.3.14

と言っていたら
まだ読んだわけではないのだが
今週の「日経ビジネス」の書評に
ダイヤモンド社の
スティーブン・ブラウン著
「ポストモダンマーケティング」という
本を取り上げていて
大手銀行の執行役員氏が書評を書いておられる。


「顧客志向は役に立たぬ」

「著者の提唱する「マーケティーズ」は
定型的な「顧客志向」が氾濫している中で、
顧客を追いかけるのはやめて追いかけられる
ようにすべきだというものである。」



2005.3.15

続き・・・
「人間は手に入らないものを欲しがり、一度手に
いれるとありがたがらない。
顧客を無視、拒絶することで欲望を
増大させ引き延ばし待たせることで
心の動揺を誘う。」

今回、書いたように
制限されていることや不便であることが
喜びにつながっているものがあるという話を
この本が示しているのかどうかはわからないが、

でもなんとなく意味していることに
うなづきたい気もする。

少なくとも
顧客の要求することに応えることが
すべてに優先するのだというような
最近流行の意見には
ちょっと見直してみたい気もする。



2005.3.16

ものづくりと情報技術を説明する場合に
使われる言葉として

収穫逓減の法則という言葉と
収穫逓増の法則という言葉がある。

簡単にいうとこういうことらしい。

物理的な「もの」は
例えば10の苦労をして
10個物質的に作ることができる。

しかし、これは10人に
売り渡すなりプレゼントするなり
渡してしまうと
手元には何も残らない。
あたりまえの話なのだが、、、。



2005.3.17

再び誰か他の人10人に
売ろうと思ったりプレゼントしようと思うなら
再び10の苦労なり努力なり
時間なりをかけて
10個の「もの」を作り出す必要がある。

こういう状態を
収穫逓減の法則に縛られている状態、というらしい。
実際のところは
10個のものを作るのに10の苦労でできたものが
これが個数が増えてくると
10000個のものを作るのに
10000の苦労以上の苦労が必要になることを
収穫逓減ともいうらしい。



2005.3.18

が、まあ、ともかく10人に10個を売り渡してしまえば
また10コを10のコストをかけて
再び作らないと商売をつづけていけない、ということが
ここでの議論の出発点だ。

一方、収穫逓増の法則というのは少々異なる。

「物理的なもの」ではなく
「デジタル情報」や「ソフト」のようなものは
「物理的なもの」と異なり

10人に10個を売り渡しても
では再び10人に10個を作って売り渡す場合に
10の苦労や努力や時間やをかける必要はない。



2005.3.19

簡単に言えばコピーのコストが
非常に安い、ということもできる。

あるいは最近であれば
再配布のコストも安い、ということも
インターネットの普及によって
可能になった。

この10数年でソフトのベンダーが
急速に成長を遂げたわけの
特に重要なものの一つは
そこにあるわけだ。

一度作ってしまえば
あとはそれを再生産したり配布したりするのに
必要なコストや劇的に低い。



2005.3.20

ものづくりも
最初のR&Dの費用は同じように掛かるし
固定費や流動費のこともあるが
ここでは簡単に考える。

ともかくものづくりにおいては
生産コストは量が増えることに
正比例して増えていく。

「ソフト」や「デジタル情報」は
量を生産し配布することに対して
コストは掛からない。

こうした構造はたぶん今後日本は
ものづくりは「ソフト」や「デジタル情報」に
シフトしていくべきだ、という議論にも
たぶん根底のところでつながっている。



2005.3.21

実はその他にも
「コンテンツ」とか「知識」とかも
関係してくるのだがここでは後にする。

まあ、ともかく、結果として
「ソフト」や「デジタル情報」や
あるいは「コンテンツ」とか「知識」なんかが
儲かるためには重要だ、ということになるのだが

しかし、実はことはそんなに簡単な話ではない。

ものを作るのに
10人に渡すには10の苦労をしなくてはならないし
売り切ってしまえば再び
10の苦労をして10を作らねばならない、というのは
ソフトとかデジタル情報と異なって
儲かるうまみは少ないが、

本当のところは
それが得意な日本の強みにもなっている。



2005.3.22

まじめにこつこつとコストをさげ、
合理的に効率的に
良いものをたくさん作り出す日本と、その産業は
それで繁栄を築いてきた。

いまのところ、こういう「ビジネス」は
日本の真骨頂で他の国の追従を許さない。

あらゆるものの普及や
コモディティー化が進むにつれて全体としての購買意欲は
どんどん下がっていくし
似たようなものが出てくれば過剰な競争状態になって
なかなか儲からない、という問題も根本的にもっているが

しかし、そんな「ものづくりビジネス」が
今のところ日本を支えているし
今後もそうそう変わるとも思えない。



2005.3.23

しかし、もう一度さらに冷静になって
掘り下げて考えてみると

例えば
本当のところ、一番儲かっているのは誰だろうと
世界を見渡してみれば

やはりというか残念ながらというか
まじめにこつこつと
ものを作って世界に供給している日本ではなく

その日本が作ったものを使って商売を広げたり
儲けを増やしている他の国や文化を持つ人々かもしれない。

あるいは
その「もの」のなかに埋め込まれている
ソフトやデジタル情報を生み出したり
知識や「知的権利」をもっていたりする人たちなのかもしれない。



2005.3.24

こう書いてくると
そんな文化や商売の仕方ができるのはアメリカだという話に
どうしてもなりがちだが、
単純にアメリカがそうだというのではない。

アメリカ自身は
毎年韓国のGDPに匹敵する位
60兆円もの巨額の赤字を垂れ流していて
財政赤字とともに
双子の赤字を巨大化させている。

アメリカ自身がしっかりと儲けているというわけでは
どうやらなさそうだ。

だけどそのなかでしっかりと
儲けている個々の企業なんかは
アメリカにはごまんといるし、

もともと
それほどアメリカが
赤字を出すような国であるにも係らず
世界中からお金や人や富が集まってくること自身
「集まってくる仕組み」を
うまく作ってきた、といえるのかもしれない。



2005.3.25

アメリカのシリコンバレーが
起業化しやすい仕組みになっているというが
そもそも海外からもふくめて
お金が入ってきて
資金や資源に流動性を持っているから
それが更に富を生むはずの
ベンチャー企業なんかに流れていく仕組みや発想は
当然ながら出てきたのだと思う。

けしてシリコンバレーそのものだけが
優れているというわけではなかろうに。



2005.3.26

ところで
お客さんと対面でものを売る場合には
その行為の数はものの数とほぼ一致するから
ものづくりと同じようなビジネスの構造になっていて
いっけん儲からないように思えるが、
実際にはその「もの」を「いかに高く売るか」は
生産者ではなく
「商売人」側の裁量にまかされていて
「お客さんに高く買ってもらう自由」を
「商売人」はもっている。

あるいはそれをどんなふうに買ってもらうかを
決定する自由ももっているといって良いかと思う。




2005.3.27

なかには独禁法に触れるようなあくどいやり方を
するような企業もある場合もあるだろうし

逆にあまり価格に上下や裁量がありすぎるのを
消費者がきらうことを恐れてメーカ−が
オープン価格の設定などというやりかたを
するようにもなってきたのだが

ともかく、基本的には
製品をどうやって高く売るかについては
「商売人」が主導権をもっているように思う。

ものを作りだすメーカーや直接的なつくり手も
本来価格の設定にはある程度の
力を持っていてしかるべきだと思うのだが
なぜか日本の企業はそのあたりが
うまくない。



2005.3.28

そして
「売り方」はアイディアみたいなものだから
一度うまく循環すれば収穫逓増ともいうような
構造になる。

そういえば
ものづくりだって
生産プロセスに良いアイディアを盛り込めば
それが生産コスト全体に良い循環をもたらすが
それでこそ日本にものづくりはうまくやってきた、
というのは前述の通りだ。

で、やはり一番儲かるのは
デジタル情報やソフトを生産し
コストをかけずに
再生産したり配布するビジネスだろうと思う。



2005.3.29

あるいは知恵とかコンテンツとかも
その範疇に実は入るはずだ。

あるいは前述のように「商社」「商人」
「商売人」のように
ものになんらかの付加価値をつなげて
高く売ることができる能力を持っている人たち
あるいはその仕組みを作ってもっている人たち、だろう。

ここ数年、話題になることの多かった
精密であったりノウハウが集積された
プレスや射出成型の金型などの
データやノウハウや金型そのものの海外流出も
実は根本の部分で似たような構造をもっている、と思う。



2005.3.30

知恵の集積である金型は
一度作ってしまうと
それを使うことで部品を作るコストは劇的に下がる。
金型だけでなく
製造装置や工作機械も同じような構造になっている。

地域産業のなかにたくさん存在している
ものづくりを行う企業のなかで
この数十年にわたって
目だって成長してきた企業を見回してもらえれば
たぶんイメージが湧くと思うが、。

たぶんその多くは
金型を作りそれを相手に売り渡してしまうよりも
金型を自社で作るかあるいは買ってきて
それを使って製品や部品を
生産している企業であるはずだ。



2005.3.31

もちろん優れた金型を作り、
もっぱら販売している企業で
成長してきた企業も数多くあるが
成長性や事例でみればやはり
金型を使って富の再生産を繰りかえしてきた
企業のほうが多くはないだろうか。

あるいは
機械や製造装置の世界でも同じことが言える。

ノウハウや経験や知恵がつまった
機械や製造装置を作ったものの
そのまま相手先に売ってしまうよりも
機械や製造装置を自社でつくりそれを使って
製品や部品を生産している企業が
成長を享受していることが多いように思う。


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