今日のコラム・バックナンバー(2005年 2 月分)


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掲載は日付順になっています。


2005.2.1

価値観までずれていたら
もっと問題は大きい。

目的地を目指すという価値観まで
ずれてしまっていたら
前に進むことさえ難しくなる。

「文脈」という言葉を書いたが
それほどビジョンとか文脈というのは重要だと思う。

もう一つわかりやすい出来事で「文脈」を説明すれば
こんなことも言える。

一円玉、五円玉、十円玉、五十円玉、百円玉、五百円玉、
世に流通する硬貨を財布から抜き出してきて
机の上にばらばらと置く。

これを身近にいる人に
「机の上に置いてみてください」と頼んでみる。
どうやって置けばいいのか、と聞かれることが
まず最初に起きることだろう。



2005.2.2

いいから勝手に置いてみてよ、と言えば
たぶん片方から
金額の小さい、あるいは大きい順にならべていく人が
多いだろう。
しかしなかにはコインの大きさの順に並べる人も
いることだろう。

あるいは硬貨の色にしたがって
色の濃い順やあるいは
金属の種類別にまとめて置く、など
人によってコインの置き方や並べ方は
ひとそれぞれに違うことが
あたりまえのことなのだけれど
多様であることに気づく。

並べる作業に
一人一人のもっている「意図」が
あることにあたりまえだが気づかされる。
人によってそれは千差万別だ。



2005.2.3

この「意図」は
言い換えれば
ビジョンであったり文脈である、と言っても
いいだろう。

基本的な単位である一人の人間が持つ
意図やビジョンや文脈は
当然、その人のなかで葛藤や悩みや
欲望や、、まさに「意図」によって
様々に考えられることはあっても
作業に掛かり行動を起こした時には
ある一つの動きを起こすしかない。

しかし、複数の人間がかかわる場合に
そこには複雑に意図や文脈やビジョンが
関係してくるし
そこから生まれる行動も作業も
いろんなものが複雑に絡んでくる。



2005.2.4

でまあ、そんな話を筆者はよく仲間とするのだが
ビジョンとか文脈とか意図とか
わかりにくい言葉で言わなくても
壁掛け時計の話やコインの話で
なんとなく理解もしていただけると思う。

複数のメンバーで行動を起こしたり
もともとなにかをなそうとした場合には
そのなそうとすることも
あるいは
どこに向かっていこうとしているのか
どんな風に実現していくのか、など
複数の人々の間で
すり合わせる必要があるのは
あたりまえの話だ。



2005.2.5

こんなことはあたりまえの話だと思うし
もしそれなしに
なにか始めようと思っても
少なくとも複数の人々のつながりで
なにかを始めようとする場合には
そんな動きはすぐさま頓挫してしまうに違いない。

でも残念ながらそんな話は結構多い。

もともと意図やビジョンや文脈を共有する、という
一番必要な作業は
企業や事業が成立するための根本だと言える。

政治家の構成する政党もそうだろうし
宗教もその一種かもしれない。



2005.2.6

そこまでしっかりした「組織」でなくても

なにか仲間となそうとする場合には
文脈やビジョンや意図が
最低限共有されていなければ
もともと成立しない。

なかなかそうはいっても
簡単な作業ではないのだし
異なる認識をもつ人々から
構成されなければならない場合には
いっちてんを見出すことは
とても大変な作業である、

対立する場合もあるだろうし
ことによってはたもとをわかつ可能性もある。



2005.2.7

ギリギリと歯軋りをするかのごとく
議論をかさねていくことに
耐えられない場合もでてきて
仲間が去っていく場合もあるだろう。

でも、それでも企業なり事業なり
なんらかの行動を
複数の仲間たちで目指す場合には
文脈を共有させる作業を
なさなければならない時代なのだと思う。

それをあえてせずに
なあなあなままにことを始めていった場合、
すり合わせを嫌がって先送りした場合、
そういうのはよく言われる「仲良しクラブ」のようになって
早晩頓挫さぜるを得ない。



2005.2.8

ただ集まって
議論をしているのだけであれば
それはそれでいいだろうし
私は金額順でコインを並べる、
私は大きさの順でコインを並べる、
それぞれに言っているだけでも問題はない。
しかし実際に並べる作業を始める場合には
そうはいかない。

どんな並べ方をするのか、
どんな絵を描くのか、
最初にあらかじめきめなければならないことはある。

で、最初に話を戻すのだが
仲間のなかで文脈を共有する場合、
常にそれを認識してもらうもらうための
うまくできた道具を用意することや
準備や行動が必要であることは間違いない。



2005.2.9

具体的に今回の時計の話で言えば

この時計は10分のリードから5分のリードに
なっています、ということを
全員のいるところでキチンと共通の認識にするか
あるいは時計の横にでもそう紙に書いて
貼っておくだけでも充分役にたつ。

もともとは時計が正確に時刻を示していて
それに対して自分の行動を
ちゃんとマネージメントできていれば
問題はないはずなのだが

時計を意図的に進めることによって
なかば人を良い方向にだますようになっていることも
いちがいにだめなことともいえない。

家人が子供にそろそろ家を出て学校に向かわないと
遅刻するよという一言を与えるのと同じことだ。

ただしやはりそういう文脈をしめすには
その行動をともにする人の間では
ちゃんと共有しておかなければならない。

「文脈が共有されている壁掛け時計」
ちょっと時間が進んでいる時計、
そんなものでも実はいろいろ考えさせられる。



2005.2.10

少し前の新聞に
よくテレビの経済番組なんかに登場する
東大の伊藤元重教授が
「産業-民主導で技術革新」という一文を
寄せられていてなかなか興味深く読んだ。

紀元ころから17世紀の時代の変遷のなかで
よくみるとひとりあたりの
所得や経済力には目立った変化はなかったが
それ以降の上昇は
先進国であれば数百倍にもなる大きな変化が
生まれてきた。



2005.2.11

これは技術革新によるイノベーションの連鎖が
始まったからで
日本の今後もこのイノベーションの力に
賭けるしかない。

しかしこのイノベーションを最大限引き出すには
経済資源を民間部門にもってくることと
人、モノ、金、企業、などあらゆる面で
日本を海外に向かって開放することの二点が
重要だ、と言っている。

伊藤元重氏はいう
「閉鎖的な社会にはイノベーションは生まれない」

これらの議論の正当性は論をまたないだろう。



2005.2.12

筆者もよく仲間と話しをするなかで
江戸時代までの人々を囲む物質的な環境は
たぶん「人が生まれたときから墓場にいくまで」
そう大きくは変化はしていない。
人の周りに新しく生まれた財貨はそんなには
変化していないはずだ。

しかし、すくなくともこの100年、
あるいは50年ほどの社会や環境の変化を見渡せば
いかに人々を囲む物質的な変化が
大きく変わってきたかがわかる。



2005.2.13

このあたりからの話は
むしろ、技術史の範疇であろうから
門外漢の筆者には難しいことはわからないがこんな
理解をしている。

農業生産に
もっぱら社会全体の富の創出を頼っていた封建時代から
少しづつではあるが生産性の上昇によって
農業生産物の余剰生産分を流通させることがはじまった。
商業資本の登場だ。

やがて、化石燃料を燃やして
巨大なエネルギーを支配することを可能にする
イノベーションが起きた。
蒸気機関と蒸気機関車だ。



2005.2.14

これによって高い生産性や効率性と
広域的に財や富を生んだり広げたり
逆に集めてくることを可能にする
方法が可能になった。
こうして産業資本が登場し力を蓄えていく。

商業資本の登場と産業資本の登場の
タイミングはどちらが先かは論もあると思うし、
それらの関係がどういうものかも論があると思うが、
ともかくそんな変遷を経てきているように思う。

結果、すくなくとも
一人の人間が受け取ったり自由にできる
「エネルギー量」は爆発的に高まったことはたしかだ。

  ちょっと内容は異なるが興味がある人は
  放送大学教授の森谷正規氏の
  「文明の技術史観」(中公新書)
  を読むと非常に面白いと思う。



2005.2.15

しかし、今後数十年にわたって
同じようなシナリオが描けるかといえば
たぶんそれは否、だろう。

冷静になって考えてみれば
一人あたりの自由にできるエネルギーや財や
物質的なものを自由にできる物理的な範囲は
ほぼ限界にきている。

化石燃料から得るエネルギーは
当然これからは自由にはならないし
代替エネルギーによる手段も
当面無尽蔵に供給できるわけではないし
重量あたりのエネルギーは化石燃料に比べるべくもない。

物質的な財貨も今後は有限、ないし緊縮のなかで
やりくりをするしかないことも
ほぼみんな理解はしている。



2005.2.16

ここ百年あまりに行ってきた
経済の原理やものや財貨の生産のためのシステムが
今後はなんらかの別の形に
代わっていかざるを得ない、というのは
ほぼ間違いないだろう。
しかし、今のところそれが見えないだけである。

たぶん今後数十年は
新しい原理やシステムの提案がいろんなところから
なされて試行錯誤が続いていくだろうし、

どれが正解なのか不正解なのかもわからないながら
なかにはいくつかのモデルが
正当や妥当性を持っていて
世の中に正々堂々と受け入れられていくに違いない。



2005.2.17

それを今から予見するのは
なかなか困難なことではあるのだが、
しかし、それがどんな要素で
より具体的になったり可能になっていくかを
今の時期に予想する努力をしておくことは
消して無駄ではないはずだ。

で、その新しい原理やシステムのイノベーションが
これが今後も
日本にも世界の様々な国にとっても
重要なキーワードであることは間違いない。

それも技術革新によるイノベーションが
社会の変化を生み出す基本的な「作法」であることは
今後も間違いないであろう。

しかし、伊藤教授も言うとおり
問題はイノベーションを生み出し
イノベーションを効率よく社会の進化に
結びつけるにはどうするべきか、ということだろう。



2005.2.18

ここでもう一度前に書いた話をもう一度ここに書く。

イノベーションを生み出すために必要だという
伊藤教授の言う以下の
二点についてはもっともだと思う。それは

・経済資源を民間部門にもってくること。

・人、モノ、金、企業、などあらゆる面で
 日本を海外に向かって開放すること

の二点が重要だ、と言っている。

また、伊藤元重氏はいう
「閉鎖的な社会にはイノベーションは生まれない」

これらの議論の正当性は論をまたない。



2005.2.19

そういえば
IT新興企業が
旧来からのメディア企業を
株で支配しようとする
昨今国民的話題になっているかの件だが、

今回の戦いは

既得権益や旧来からの仕組みを支配することで
成り立っているオールドエコノミーの重鎮などに
代表される方々と

それを覆そうとする勢力のいわば時代の一時期を
画する戦いである、という意見が多い。

筆者もたしかに一面では
旧勢力と新勢力の戦いであるという事実は
たしかであると思う。



2005.2.20

しかし、
最近話題の新興勢力がはたして
本当の意味において
新しい時代を切り開く勢力であるのか、というと
ちょっと違うのではないか、と思っている。

これについては
日曜朝のニュース番組にでていた
三井物産戦略研究所の寺島実郎氏が
なるほどと思わされる意見を披露していた。

いわく、
今度の問題は

会社はだれのものなのか、
株主のものなのか
社会や顧客など様々な人々のものであるのか

つまりは会社の所有することと会社の存在意義や意味とは
別のものである、ということが
考えられなければならない時代になってきたのだ
ということを我々に提起している問題だ、
と捉えるべきなのだ、と言う。



2005.2.21

言葉そのものは正確に覚えていないが
寺島氏は文脈としてはこんなことを言っていたように思う。

  アメリカ型の資本によって会社を所有した
  株主のために会社は存在し
  株主のために利益を最大にすることが
  経営者の役割である、という
  旧来から古くは資本主義の初期の段階から
  信じられてきたような
  企業と社会や個人との関係性が変わってきていることに
  気がつかなければならない時代なのだ。

  そういう意味で今回の問題は実は
  けして時代を変えていこうとする
  新しい企業や社会の構築にむけた
  取り組みと旧来勢力との戦いである、と捉えることはできない。

  今回、旧来の勢力と戦っているのは
  若い経営者によって運営される
  新しい皮袋にいれられた新しく見える企業、
  新興勢力ではあるのだが、
  実は中身は旧来からの考え方に基づく
  旧来勢力と本質的には変わらない勢力なのだ。

これはとても納得ができる。



2005.2.22

経営学者のPFドラッカー氏が
「ネクストソサエティー」という
最近の著作のなかで
非常に示唆に富む話をしている。

これからは知識が価値をもち、
企業も知識を中心に構築、マネジメントされ
知識によって価値を創出し
社会に還元し社会から託され成長していく時代なのだ、と言う。

しかし知識が人に帰属する限りは
旧来の土地や建物や設備や産業資源のように
お金によってそれを縛ることはできない。



2005.2.23

これからの知識マネジメントにおいては
知識をもつ「テクノロジスト」は
お金ではなく自身の力をより社会にむけて表現・解放し
自身も評価をうけ、同時に自己実現も可能になっていく
そんなマネジメントを必要とし
そんな力を持つマネジメント企業に
自身を託す、そんな時代になる、とまあ、そんなことが
書いてある。、、
筆者にとってはそんな言葉として受け取った。

たしかに
今回話題になっている放送局のように
古くからの国による、なかば独占的な許可事業であることや
そこから生まれた様々な資源や設備など
人ではなく物理的資源をその会社が握っている場合には
人のマネジメントではなく
資源の支配、をお金で行う、という方法や
ビジネスは当然ながらむかわざるを得ないのかもしれない。



2005.2.24

今回の放送局ではない放送局の
某有名プロデューサーが
バラエティー番組に出て
放送局の価値は
コンテンツを生み出す人がいてそのノウハウが
積み重なっていることにある、から
資本によって支配しようとしても
状況によってはそれがその放送局の力を半減させることにも
なる可能性もないことはない。
と言っていた。
これは前述のように
知識をもつ人をマネジメントすることが
重要なのだ、というドラッカー氏のいうことにも
符合する。



2005.2.25

だが、実際のところ古くからの放送局がもっている
設備や既得の認可やこれまで蓄積してきた
ノウハウやコンテンツなどを考えると、

それがあることによって
自身の能力も発揮できると考える人々にとっては
だれがその放送局を所有・維持しようと
結局はその放送局とつながっていくしかない、ということも
一方の事実だろう。

結果、、新しい勢力であろうと旧来からの勢力であろうと
あるいは新しく見える旧来型の勢力であろうと
旧来からの「会社」という組織や資源を
握れるだけのお金を持った側の勝ち、
ということにもなるのだろう。



2005.2.26

もう一度逆説的なことをいうなら

旧来からの放送局のあり方を踏襲している、
あるいは今後も維持しようとする勢力にとって

ただ、皮袋が新しく見えて経営者も若いのだけれど
やろうとしていることは旧来と変わらない「新興勢力」が
相手である限りは

お金を多くもっているか、どっちが最終的に
勢力を握れるかどうかは別にして

今後社会的に多くの人々に支持を得て
そこに働く人々からも
自身の知識や能力を生かせる企業としての
ビジョンを提示できるかどうかが
最終的には問題になるはずだ。




2005.2.27

ITと放送と通信との融合とか
インターネットとテレビやラジオと融合する、とか
どこかでもう10年も言い古された
キャッチフレーズを新興勢力が言っている限りは
多額のお金を用意してどっちが勝つかどうかは別にして

社会的に評価をうけるキャッチフレーズを
既存勢力が提示して
国民に評価を受けることができれば
旧来勢力が勝てる可能性はあると思う。

結局はそれが一番重要で大事だと思う。



2005.2.28

もちろん逆に新興勢力が

放送局で働き自分の知識やノウハウを
社会に向かって表現したいと願うであろう人たちや
市民・国民にむかって
魅力的な提示をすることもできるはずで
それが支持を受ければ
追い風になることももちろんありうる。

たぶん新興勢力のほうが近いうちに
そんな提示をするのではないかと思うし

それによって働く放送局の人々が
「それならそれもいい選択だ」、と思ったら
これは早期に決着が付くだろう。

案外、状況は「がらがら」と
変わっていくのかもしれない。


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