今日のコラム・バックナンバー(2005年 1 月分)


INDUSTRYWEB HOMEへ戻る / 今日のコラムに戻る/ バックナンバーに戻る

掲載は日付順になっています。


2005.1.5

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

さて、
新年恒例の分厚い新聞の束を
さっさとナナメに読んで
必要な情報だけ抜き出していたら
なんと広告チラシの多いこと。

結局、切り抜いた情報の量は
いつもと変わらないか
むしろいつもよりも少ないくらいだから
いかに広告チラシなんかが多いということだろう。

いったいあれだけのチラシや広告を
どれだけの人が読むのだろうと、
いささか懐疑的になりながらも

なにやらカラフルなチラシを
パラパラとめくっていると
なんとなく「豊かな生活」の入り口に
たっているような気になって
くるから不思議なものだ。



2005.1.6

年末年始のテレビ番組を見ていても
本当のところは
有名なタレントなんかは
とっくに年末から海外なんかに
旅行にでかけているわけで
新春テレビ番組に出てくるような
若くてきれいな女性タレントの振袖姿に
我々がうっとりしているのも
実際にはしっかりそんな昨年中に取りだめした
新春番組のシナリオに載せられて
喜んでいるわけなのだが

まあ、それはそれで良い。

新聞の折込ちらしやテレビの女性タレントに
なんとなく「にわかに豊かになった」ような
気持ちにさせられていくのも
けして悪いことではない。

しかし
新聞の折込ちらしやテレビの女性タレントのような
レベルの話ではなく
我々があまりその実際のところを知らない間に
本当のことやある意味で我々の生活に
もっと深い影響や関係をもつ「思惑」が
裏側で静かに進んでいることを
認識する必要があるだろうと思うことがある。




2005.1.7

一番気になったのは
年末から年始にかけて
新聞に特集されていた経済に関する論説だ。

当然のように
アメリカ経済と中国経済についてのものと、
そして日本のデジタル家電を中心とした経済の行方を
占ったものが多い。

日本のデジタル家電を中心とした経済の行方については
昨年の良好な経済動向から今年は幾分かげりが見えるが
まずまず順調であろうといった
いつもながらの「大本営発表」だ。

政治家や経済官僚は当然として
大手企業のトップの年頭のインタビュー記事などは
ほぼすべてといって良いほどに
楽観的展望を述べている。



2005.1.8

経済の現場で、それも事実上の日本経済の牽引力とも
なっている大手企業のトップが
新年早々に景気の悪い話もそれも
一般国民が購読する新聞紙上でできないのはわかるし、

たしかにこの十年以上に及ぶ経済の混迷に
大手企業も中小企業も
なんとかしなければならないと
製品開発や技術開発やあるいは
リストラなんかをやってきた結果として
ここ数年は結果的に
財政面等での健全化が明白になってきたことは
間違いのない事実ではあるだろう。



2005.1.9

しかし、一方で
新聞などを細かく読んでいると
多くのアメリカの経済産業人が
アメリカ経済の先行きについては
けして楽観視していないことに気付く。

特に
アメリカ経済の一見集中的に現れているように見える
経済的優位性について
実はそれが磐石なものではないこと。

そしてなにより最近の中国の経済発展や技術進化が
今後アメリカや日本を含む世界にとっても
非常に重要視しなければならないことであるにも
かかわらず
過小評価されていることに警鐘を鳴らしていることに
気が付く。



2005.1.10

そういえば
先日の日経新聞の正月のインタビュー記事に
インテルの会長のアンディーグローブ氏のものがあった。

氏はインタビューアーの「戦後60年たち、
世界は米ソ冷戦からアメリカの一極優位に変わった」
という言葉をうけ
アメリカの一極優位はもう終わった、とすぐさま応える。

いまや中国とアメリカが対峙する時代になったのだと言う。
中国の経済力や技術力がアメリカに追いついたわけではないが
時間の問題だろう、ともいう。

インタビューアーの
中国のように言論の自由がないような国で
果たして創造性のある技術が育つのか、という問いにも応えて、
民主主義が技術や経済の発展を促すというのは
歴史的根拠のない思い込みだ。
米国人は自らの創造性に過信があるようだ。
創造性は政治体制や経済の発展段階に左右されない。
、、と言う。



2005.1.11

さすがに氏自身が
戦後ハンガリー動乱からアメリカに亡命し、
その後、アメリカの半導体産業の黎明期を牽引し
世界の半導体とコンピュータ産業のなかで
インテルというリーダー企業を構築してきた
経験からでてくる言葉だと思う。

インテル本社や研究所のなかを歩けば
中国人やインド人の多さに
アメリカ人が創造性を持っているというのは
過信だとすぐわかるではないか、というのだ。

結局インタビューアーが最後にまとめているように
氏は自身がアメリカの技術力をテコにした
アメリカ経済の一人勝ちを牽引してきた一人でもあるのにも
かかわらず、今後のアメリカの相対的地位低下を宣告した、
という点で説得力はある。

特に中国の潜在力について冷静に判断しているということも
重視する必要があると思う。



2005.1.12

これと同じような話は他にもある。

年末の日経新聞には
やはりシリコンバレーの
ベンチャーキャピタルの経営者である
ジョー・シェーンドーフ氏が
IT経営者が集まるイベントで
「世界を変える次の大革新技術は中国で生まれる」
と言ったことが紹介されていた。

「活字や火薬など人類史を変える発明がされた国なのだから
ITでも大きな革新を起こす」だろうとも言う。

どうやらアメリカの技術のわかる経営者は
今後世界を牽引する技術革新が
どこかから生まれてくることは間違いないだろうが
それがアメリカから起きるかどうかは
懐疑的、ということらしい。



2005.1.13

そういえば
別の新聞だか書籍だかに
アメリカの9・11事件から
アメリカ国内への海外の知的労働者の
受け入れが非常に厳しくなったことや

逆に中国やアジアのような外国から
アメリカにやってきて学んだ技術者が
その後中国や自国に帰ってしまうことが
最近になって頻繁になってきたことを
アメリカの産業人は心配しはじめている、
という話も書かれていた。

さて、一方のこの日本だ。

アメリカに限らず
最近の日本の産業の現場には
アジアからやってきた人が多いのは周知の事実だ。



2005.1.14

安い労賃を期待して
生産現場に海外からの人を雇い入れるという
これまでの海外労働者の雇用の現状から

日本の生産システムや技術を
学び取るためや「実習」をするために
日本の生産現場に海外からの人々が
たくさん学びに来ていることも
すでに珍しいことでもなんでもない。

日本ではあまり表立って言われることは少ないが、
昨年東京で行われた国際機械見本市なんかを見ていても
韓国台湾そして中国から来ていた人の多さに
本当はもっと脅威を感じ取らなければならないはずだ。



2005.1.15

このように
韓国台湾中国に生産の現場が移動している現状では
生産設備の展示会に
それらの国から日本の先端的な工作機械などを
見に来たり
日本で海外の人々が
働くというより学びはじめるのは
あたりまえの話ではあるのだが
こういう話を書くと
過大に評価することや心配をすることはない、という意見が
必ず出てくる。

たしかに過大にあるいは過小に評価することは
いましめなければならないが、
かといってなにもしないまま
なんとか現状のままでいけそうな根拠のない
安易な楽観はさらに戒める必要がある。



2005.1.16

アジアや中国の技術者や知識人が
日本に来たり、あるいは日本で学んで
自国に帰る、ということを否定したり
あるいは問題があることだというのではない。

それを認め、あるいは日本の経済や産業に
影響力や戦略的にも必要だと考えたうえで

では一方、日本自身は今後どうするべきなのかを
早急に考えなければならない時代に
なっているということだ。

楽観するのは良いとしても
根拠がないまだまだ日本は大丈夫だとかの
「大本営発表」ではまずい。



2005.1.17

アジアや中国の発展は認め
あるいは協力をする姿勢はもちながら、
それを上回る日本の競争力を
どう築いていくのかを
真剣に考えなくてはならない。

さすがの日本の為政者も
最近はノーベル賞を取れるような学者や技術者を
もっとは輩出するのだ、とか
創造性に富むひとを育てるのだとか
そのための施策だとかと
にわかに言い始めた。

が、学習効果がなかなか上がらない日本の経済政策や
懲りないことでは驚くべきものがある
日本の為政者のことだから
ちょいと景気がよくなった、とかいうと
すぐ安定成長に向かいはじめた、などとのたまう。



2005.1.18

ここは一つ
現下の経済状況に一喜一憂せず
冷静に次へのステップを踏み出す必要がある。

アメリカのように長期的、中期的な戦略的
視点もますます必要になるだろう。

そういえば先日
上海に長く仕事で行ってきた友人が
言っていたことがある。

いまだに中国では日本の製品であることを
尊んでいる風潮がある。

言ってみれば「メイド イン ジャパン」という言葉は
いまだに効力を発しているというのだ。

一見、うれしくも感じる意見ではあるが
だが、これも気をつけて
分析してみる必要があると思う。



2005.1.19

はたして
「メイド イン ジャパン」が
内実としての「メイド イン ジャパン」なのか
名前だけの「メイド イン ジャパン」なのか。

どうやら聞いてみると
「売るための名前としての「メイド イン ジャパン」」らしい。

が、そうはいっても「メイド イン ジャパン」の名前が
いまでも中国で通用するということは
「メイド イン ジャパン」の製品そのものが
やはり根底の部分では評価されているということであって
であればこそ「メイド イン ジャパン」という
模糊としたイメージが
中国でまだまだ通用する、ということでもあるのだろう。

しかしそう遠くないうちには
「メイド イン ジャパン」の名前がついた
実質的には中国で作られた「メイド イン チャイナ」が
あたりまえになってもいくはずだ。



2005.1.20

であるとするなら
どういうことが今後起きてくるのだろうか。

たぶん一見して日本のブランドらしい
「メイド イン ジャパン」のブランドが
中国の資本に買われていく、ということが
早晩、おきてくるだろう。

そんなブランド名は今の日本には
ごまんとある。

実質的に可動している企業であるかどうかではなく
あくまで日本のブランドらしいブランドであれば良い。

そんな「メイド イン ジャパン」ブランドを
買った中国企業・中国資本というだけで
その中国企業のイメージだって充分に上がるだろう。

そこに優秀な中国の技術者や技能者がつながっていけば、、



2005.1.21

いや、最近は日本からも
優秀な技術者や知識や技能を持った人が
高給で中国やアジアに引き抜かれていくことが
頻繁になってきた。

アメリカに日本の
優秀な技術者や知識や技能を持った人が
流れていってしまう、ということも
まだまだ起きてくるだろう。

とりあえず考えられることには他にも
どんなことがありえるだろうか。

アメリカがこの十数年にわたって行ってきた
「プロパテント政策」がある。



2005.1.22

知的財産、知的資源、を
アメリカやアメリカの企業がしっかり抑えておくことで
相対的に低下してきたアメリカのモノ作りの優位を
補填しようという考えだ。

知識と知恵を21世紀をアメリカが
生き残っているための飯の種にしようという考え方でもある。

知識と知恵を戦略的に所有し覇権を広げていく、
という考え方があるのなら
であれば今後は
ブランドの所有権をめぐる戦略や政策も
ありえるかもしれない。



2005.1.23

アメリカに限らず
これはたぶん日本でも有効な戦略ではないかと思う。

日本に限らずどこの国でもあって良いと思うが、
とりあえず「ものづくり」で言えば
日本には優秀なものづくりに支えられた
ブランドがたくさんあるはずで
それをいまのうちから
しっかりと抑えておく、というのは
需要なのではないかと思う。

まあ、すでに中国企業が
日本の企業買収、特に優秀な技術をもつ中小企業の買収に
動いているのは有名な話だ。



2005.1.24

ついでにそれなりの価値がありそうな
ブランドをもっている企業も
買ってしまえ、とばかりに
うなるくらいたくさんのブランドを
国内から買ってしまう可能性もある。

日本の企業もいろいろわかってはいるだろうから
そんな企業間の「ブランドマッチングビジネス」を
考える企業や銀行も出てくるだろうと思う。
そもそも企業買収だのM&Aだのと
おこなわれている時代だから
ブランドに価値を見出して買収するなんてことも
充分考えられることではある。

なんかハゲタカファンドならぬ
ハゲタカブランドバイヤーみたいな感じだが、
たぶんそうそう笑ってもいられない。



2005.1.25

先日、面白いことがあった。

身近に壁掛け時計がある。

家庭で使うものではなく
仕事場においてあるものだから
基本的にはだれもが見ることができる場所に
おいてある。

基本的には身近に
一緒に仕事をしている人たちで
時間の認識を共通にするために使っている
時計だ。

で、この時計が一応、
お客さんとの待ち合わせや
仕事に遅れないようにと
10分ほど進めてある。




2005.1.26

この時計を使っている人は全員それを理解している。
実際の時間はその時計が示している時間よりは
実際の時間は10分ほど後だとわかっているが
そうはいっても時計の針が示していると
どうしてもそれに促されて
行動をはやめに起こすことが多く、
まあ、わかってさえいれば
なるほど問題はない。

ところがだ。
先日、筆者が行動しようとして
時計を見て念のために
自分が持っている携帯電話の時刻を確認した。
ちなみに筆者はもう何年も前から
腕時計を使っていない。

洋服の袖口が切れてしまうのがいやだし
時間の認識は日常持ち歩く携帯電話で
充分だからだ。



2005.1.27

で、その携帯電話の時計を見たら
壁掛けのその時計の示す時間と
10分ほど違うはずが
違いがなぜか5分ほどに縮まっている。

携帯電話の時間は正確になっているから
壁掛け時計の時間が
10分進んでいるはずが
いつのまにやら5分になっているということだ。

これにはあせり、驚いて
外の仕事にあわててかけつけていったのだが、
なんとか間に合うことはできた。

あとから聞いてみると
なんといつのまにか
壁掛け時計の時間の先行時間が
10分から5分に縮めてあったとのこと。



2005.1.28

「あれ?知らせてなかったっけ?」といわれて
腹もたったのだが、

どうやら筆者以外のメンバーは
10分ではどうやら進みすぎで
時計自身もどんどん進んでいくような
癖があるようだから
ここで10分のリードから
5分のリードに修正しましょう、
ということになったらしい。

簡単に言えば
その「時計を修正する」という情報を
共有したメンバーに筆者は
入っていなかった、ということだ。



2005.1.29

まあ、日常こんなことはよくあること、といえば
それまでだが

実はこの一連の出来事には
興味深いことが現れていると思う。

基本的には時計というものは
だれもが一致して認識して動ける「標準時間」を
示しているものであり、
同時にそれをだれもが信じて疑わない。

ところがその時計が
それぞれの人々や仲間や家庭での
「文脈」に従って
標準時間を変化させていると
これはややこしいことになる。



2005.1.30

当然、外からやってきた人もその
文脈を共有していないから
時計に惑わされることになるのだが
日常的に使う時計ではないから
そう問題になることでもない。
しかし
それ以上に問題なのは
日常的に行動をともにし
文脈を共有していたはずのメンバーから
一人だけ文脈が共有されない状態が作られると
大変なことになる。

これによく似た話はよくある。



2005.1.31

共同で製品や技術を開発していて
メンバーが常に同じ認識をもっていれば
問題はないのだが

開発状況やそのなかで生まれている
課題や問題点や「ものごとのやり方」が
いつのまにか共有できていなかったり
ひどい場合は
そのプロジェクトの一番大切な
もともとのビジョンや目的意識などが
はじめからずれていたり
いつのまにかずれていたりすると

同じ船に乗っているはずなのに
目指す目的地はみんなばらばら、と
いうことになる。


INDUSTRYWEB HOMEへ戻る / 今日のコラムに戻る/ バックナンバーに戻る