今日のコラム・バックナンバー(2004年 10 月分)


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掲載は日付順になっています。


2004.10.1

たぶん、今の中国は
自家用車や高級マンションが手に入ることや
日本に買い物や観光にこれることを
考えてもいなかった夢のような出来事が
現実になった、と思っている人と

まだ、圧倒的に夢のようなことがたくさんあって
でもまわりにちらほらそんな人も出てきたようだから
夢の一つも目指してがんばってみるか、と
希望に胸を膨らませている人が
混在しているのだろう。




2004.10.2

中国の経済や社会の「豊さ」が
今の日本の状況まできたら
中国も日本も先進国もみんな「あがり」に
なるのだろうか。

いや、たぶん「あがり」はないはずだ。

昔、夢であったことを
実現してしまったのなら
これからは次の夢に向かって
進み始めるしか道はないように思う。

よく考えれば
実現できていない、夢のような話は
まだまだたくさんあるではないか。



2004.10.3

宇宙旅行も時間旅行も実現できてはいない。
そこまでいかなくても
国民一人一人が満足できる住宅環境も
高級車も手に入れているわけではない。

モノにしてもサービスにしても
生き方にしても自己実現にしても
まだ出来ていることなどすくない。

そんなことはない、
ほぼ手にいれてしまって
あとは考えてもみなかったような夢のような話だ、と
いう人も多いかもしれない。

でももう一度思い出してほしいのは
個人が自家用車を持てるなんて考えてもみなかったという人が
たった数十年前には日本国民の大半をしめていたということだ。

今はまだ想像さえできないようなことが
いずれ実現できることになるのだろう。
そういえば最近は
すべて民間の力による宇宙旅行だって
実現しそうな勢いではないか。



2004.10.4

昭和35年、
その社長の友人が
免許を取りにいく際に言ったという。
「アメリカではみんなが免許とクルマを持っている。
 いずれ日本もそうなる。」
日本もそうなった。

再び
今のアメリカの社会や産業を
未来の目標や夢と定めて
目指すのも良いだろう。

あるいは日本ならではの目標や夢を定めて
目指すのもありだと思う。

いや、案外、一度あとに戻ったほうが良い、という
人たちの意見も聞く必要もあるかもしれない。




2004.10.5

いずれにしても
次の夢や目標をみつけ
この10年以上にわたる
踊り場の状態から
次の上るべきあるいは下るべき階段を
さがさなければならないことはたしかだ。

下るにしろ上るにしろ
次の目標がない国家や産業など
未来永劫存在し続けたためしはない。

アメリカの数年前数十年前の
状況をデッドコピーして
そのまま目指そうというのも
残念だけれど選択肢としてはありだと思う。

ともかくも明日の目指すべき社会や産業を
そろそろ一人一人が
夢を描く時期にも来ているとは思う。

すでに宇宙に民間の力で行こうとする時代なのだ。



2004.10.6

野球選手のイチローが
アメリカの大リーグで
年間ヒット数の記録を打ち立てて
日本やアメリカの野球ファンは大騒ぎだ。

たしかに八十数年ぶりの
記録更新だし
日本にとっては
野球の本場の大リーグでの日本人の
活躍と記録更新だから
野球ファンならずとも
うれしくなかろうはずがない。



2004.10.7

アメリカの人々が
日本人の活躍を
喜んでくれているのも
アメリカの代表的スポーツであるところの
ベースボールの
記録更新を日本人が行ったことを
評価してくれているのも
うれしいことではある。

これを見ていて
日本の国技の相撲との類似性と違いを思いだす。

相撲は日本の国技ではあるのだが
海外から来た若者によって
最近の横綱が襲名されることが
多くなった。

ここ十数年の話だ。



2004.10.8

で、最近はそうでもないのだが
海外の若者が
相撲の世界でトップを取ろうとすることが
国民の間でいよいよ現実感を持ってくると

国技の相撲のトップに海外の人々を
据えていいのだろうかという議論が
識者や業界の人々やマスコミによって
盛んにされていたことも思い出す。



2004.10.9

いまではそれを問題とする議論は
さすがに聞こえなくなったのだが
たった10年ほど前はそんな議論が
当たり前にされていた。

アメリカの大リーグでも
たぶん外国の選手が大リーグに入ることを
よしとしない議論も大昔にはたぶんあったのだろうが

でもそんな話は
すくなくとも最近は聞かない。

考えてみると大リーグに限らず
アメリカのスポーツの世界には
世界中から集まった人々が活躍していて
そんな人々がトップをとっていたり
有名であることも多い。



2004.10.10

アメリカという国が多民族国家であることも
根底にはあるのだろうが
ともかく様々な民族や肌色の人々が
一流のスポーツ選手になって
活躍していることに驚く。

日本の一時の相撲の世界で言われていたことや
あるいはスポーツに限らず
社会にいろいろな人々を
「取り込んでいく」ことに
躊躇をしない、という点では
アメリカのオープン性というのは
ある意味では脅威といっていい。



2004.10.11

そんなオープン性を
アメリカの優位を脅威にさらすもの、という
考え方はいまのところはないように思える。
実はこれは9・11の事件から
少し変わりつつあるのかとも思うのだが、

基本的にはまだオープン性というか、
そんなものはあるように思うし
それを失うことはアメリカ社会にとっても
長期的には競争力を失ったり優位性を失ったり
問題なことではあるはずで
いろいろ曲折はあっても
こんなオープン性をアメリカは
変わらない、あるいは変えない、
だろうと思う。

ところで、
しかし、ここまで考えてきて
実はまた違った意味のことに思いを広げた。



2004.10.12

アメリカのスポーツの世界でも
社会全般でも
あるいは大学や企業の
研究開発の世界でも
世界中から優れた人材や知恵を
集結させていこうといういわば
アメリカのオープン性は

アメリカがよってたつ
アメリカの建国以来の文化であるとは思う一方
同時にそれはアメリカの優れた「今日的戦略」
であることもたぶん間違いない。

さらにもう一歩踏み込んで考えるのは
特にスポーツ選手や肉体を使う産業に対し
アメリカの文化はなぜこれほどまでに
寛容なのだろうかということだ。



2004.10.13

オリンピックにアメリカ人が出ていって
国旗をあげることにも熱心であるのは当然としても

アメリカ国内でアメリカ人以外の人々が
活躍することへも
同じように声援を送ったりする。

そんなたぶんオープン性からくる寛容さは
優れた戦略のもつ結果であると同時に
アメリカのもつもっと根底にある
価値観の生み出しているもののような気はする。

そしてそれらは一見、寛容な感じもするのだが
なにかしら違和感を感じもしないでもない。
あえて誤解を恐れずにいえば
アメリカの文化はスポーツや体を動かすことや
あるいは以下に書くように
「ものづくり」のようなことまで
「あえてアメリカ自身がするような作業ではない」
と捉えている価値観や文化がありはしないか。



2004.10.14

大昔、
ローマ帝国が覇権を誇ったころも
アメリカの今も
もしかしたら
スポーツもイベントも
世界の覇権を誇る国にとっては

そこに来てどんなことを行おうと

そこでアメリカ人が活躍しようとしまいと

あるいは世界から集まった人々が
活躍しようとしまいと

別段それは問題となるようなことではない。
見物して楽しめたならそれでいいのだから。

でもそれを高みの見物をしているような目線で
捉えているのなら
それはアメリカの懐の深さや
オープンな文化から来るものなのか、、
少し違うのではないかと筆者には思える。



2004.10.15

実は
野球とかスポーツだけではなく
ものづくりという作業への見方考え方、価値観も
同じような状況があるのではないかと思う。

我々日本人にとっては
ものづくりはとても尊い行為だと誰も信じて疑わない。

だからメイドインジャパンをほこりに思っているし
日本製であることにこだわりを持つ。



2004.10.16

しかしアメリカでも
あるいは
たぶん世界中の多くの国でも
自分の国でものを作っていることを
ほこりに思うことは
我々がものを作ることに対する思いいれほどは
たぶんないのではないかとおもえる。

日本製でも
あるいはどこかほかの国でも
良いものであって安価で品質がよければ
それで充分で

アメリカで作ったものであるか
どこの国で作った否かは
関係はない。



2004.10.17

すこしはアメリカだってものづくりで
負けてはならないと
思ってもいるのだろうが
月への旅行や新しい知識や産業を
起こすことに対する
自負は持っていても
すくなくとも「普通の」ものづくりに対する
執着心や自負心はあまり見えてはこない。

メイドインアメリカを旗印に
ここ10年ほど
産業の再活性化を目指してきたといわれるが
実際のところ
先端的な分野や明日のアメリカを支える
事業分野に関しては
懸命にメイドインアメリカをめざしつつ
「普通のものづくり」に関しては
メイドインアメリカであることに
執着や自負は思いのほかないように思える。



2004.10.18

たぶんそれはアメリカの寛容さとかからくるものではなく
すこしナイーブな言い方になるが
あえて誤解を恐れずに言えば
野球やスポーツやものづくりやあるいは
体を動かすことなどに対する
ある種の価値観の違いがあるように思えてならない。

なぜそんな価値観の違いが生まれてきたのかと更に
考えを深めてみた。

かのドラッカーのネクストソサエティーという著書がある。
偶然読んでいてそのあたりのことに考えが及んだ。

とはいっても
ドラッカーがアメリカ人の人種感とか価値観とか
そこからくる野球やスポーツや
ものづくりに対するちょっと日本人とは
異なった感覚に言及しているわけではない。



2004.10.19

ドラッカーのネクストソサエティーには
この百年にわたって現れてきた
農業や製造業の変化について書かれている。

まず、製造業やあるいはネクストソサエティーを
占うものとして農業について書かれている。

20世紀には
一万年もの間社会を支配してきた農業が力を失った。

農業生産は第一次大戦前の四倍から五倍に達したが、
世界貿易に占める農産物貿易の割合は
第一次大戦前の70%だったものが
今日では17%に過ぎないしGNPに占める割合も
先進国ではわずかになっているという。

農業従事者は20世紀始めには
労働人口のうち最大であったものが
今日ではあらゆる国で3%以下になっているという。

つまり、その国から生み出すものに占める農業生産物の
割合はどんどん低下しており
それを生み出す人口もそれ以上に低下している、ということだ。
しかし「生産性」は間違いなく向上している。

今日、製造業が農業に似た道をたどりつつあるという。



2004.10.20

内容はこのように書かれている。

第ニ次大戦後から今日までの間に先進国の工業生産は
三倍以上になった。
しかし製品個々の価格は低下している。

医療や教育などの知識製品とも呼ぶべきものの実質価格は
三倍になった。

これらの知識製品に対する製造業製品の購買力は
50年前の5分の1から6分の1になっているという。

1950年代のアメリカでは製造業の雇用が
全就労人口の35%を占めていたが
いまは半減している。

日本とドイツはまだ4分の1ほどをしめているが
今後急速に減ってくるだろう。

なるほど
たしかに農業と同じ傾向を
アメリカもそして日本もたどっているように見える。



2004.10.21

問題は日本がそうなったときに
果たして社会に対する影響や意識に
どのような問題や課題を、あるいは混乱を
生み出すか、ということだ。

すでに農業に続いて
製造業での変化を経験したアメリカにあっては
たいした混乱も生まれずに
変化を経験してきているという。

日本もアメリカのように混乱を経ずして
製造業の変化を乗り越えるのかもしれないし、
あるいは混乱を経験するかもしれない。

アメリカと日本の違うところは
多々あるのだから
アメリカと同じような変化のしかたである
保証はなにもない。




2004.10.22

というわけで前述した
アメリカの持つ
ちょっと日本とは違う
ものづくりに対する価値観や
スポーツに対する価値観も
実は
こういう変遷を経た後に
変わってきたのかもしれないと思える。

ちょうど日本においては
50年ほど前まで農業国であったのに
いまでは製造業が主要な産業になっている。

農業に対する自負や誇りも
農業そのものに従事する人々は持っているとは思うが、
他の大多数の人々は
もしかしたらそれほど持ってはいない可能性はある。



2004.10.23

今後製造業に従事する人々が
低下してきたときには
製造業に従事する人々にとっては
自負と誇りを持つ産業ではあるのだけれど
他の大多数の人々にとっては
自負も誇りも持つ産業であるかどうかは
わからないし
アメリカの製造業に対する意識を考えれば
日本における製造業の位置も
思っているほど高いものではなくなってくる可能性は
実のところ高い。



2004.10.24

間違えないでほしいのは
製造業が大事かどうかを問題にしているのではなく
日本が製造業を大事に「捉えているかどうか」が
ある意味で日本の産業の変化の
バロメータでもあるのではないか、ということなのだ。

さらに言うなら
日本が製造業を自負や誇りを持つ産業として
捉えているかどうかが
大事なことである、という単純な話でもない。

むしろたぶん今後急速に問題になってくるのは
製造業を日本の主要な、誇りある産業として
捉える時代は終息しつつあり、
意識も急速に変わっていかざるを
得ないであろうということ。

同時にその過程で社会的な混乱をある程度
覚悟せざるを得ないであろうこと、

その二つがどうやら今後ありうべき変化として
認識する状況になっているのではないか、
ということなのだ。



2004.10.25

わかりにくい表現で恐縮なのだが
実はこの変化は
最近違ったことでも明確になりつつあると思う。

IT企業のいくつかがプロ野球チームに参入するという
いま話題の話だ。

プロ野球チームのオーナー企業になる、ということは
昔で言えばタニマチのようなもので
その時代の牽引力ともなる産業や企業が
名誉と威信をかけてオーナーとなったのだと思う。

これまででいえば製造業であったり
サービス産業であったり、
日本の産業の表や裏となって牽引してきた
企業が自他ともに認める存在として
プロ野球チームのオーナー企業となっていた。



2004.10.26

しかし、この数ヶ月、話題になったように
この10年ほど
急速に業容を拡大させてきたIT企業が
プロ野球チームのオーナーとして名乗りをあげ、
逆にこれまでのような「ごく一般的な」企業からは
何の声も聞こえてこない。

このままでいけばナイター中継の画面の
ピッチャーの背後に映る背景に
IT企業の名前が四六時中映ったり
あるいは深夜のスポーツ番組にも
IT企業の名前が連呼されることになるだろう。

もちろん
この変化を悪いことだというのではない。



2004.10.27

日本を牽引していく産業や企業のなかに
これまでのようなよく知られてきた産業や企業から
これまで登場してこなかったような
IT企業のような新興企業が
急速に社会に認められるようになったり存在感を
増してきつつある。
たぶんその変化は
すでにだれも止められないということなのだ。

製造業に対する自負も誇りも
捨ててはならないし
捨てることにもならないが、

しかし製造業やものづくりに対する意識は
今後急速に変わっていくのは間違いないと思う。
その流れは
たぶん止められないし止める必要もない。



2004.10.28

数十年前にアメリカの市場に
メイドインジャパンが闊歩し始めたころから
たぶんアメリカにおける製造業の地位や自負が
変わっていったように

日本の市場を中国やアジアの製品が
さらに闊歩しはじめたときに
それとともに日本のものづくりや製造業や
製品に対する意識や自負や誇りも
変わっていくに違いない。

更に一言続けるなら
その変化を予測しようという試みはいまのところ
まったくといっていいほどない。

日本はものづくりや製造業に対する自負を
もちつづけることが正しい、と思っている。
果たしてそれが歴史的に見て妥当なことなのかどうか。
深く考える時期には来ていると思う。



2004.10.29

先日テレビニュースなどで盛んに
報道されていたので
知っている人も多いと思うが、

アメリカの民間企業が
高度100キロメータという
一応「宇宙」といわれるところまで
民間自製のロケットを打ち上げ回収した。

無人ではなく
ちゃんと人を乗せて打ち上げた。

この「イベント」は
よく知られるように
Xプライズといわれる
要は基金を創設しこれを
最初に宇宙まで民間企業が
国に頼らずに人間が乗ったロケットを
一週間の間に二回打ち上げて帰還させるという
ことをやったチームに
11億円の基金の懸賞金を贈呈する、というものだ。



2004.10.30

今回、民間によってはじめて宇宙旅行を
成功させた「スペースシップワン」という
ロケットを製作し打ち上げたのは
スケールドコンポジット社という文字通り
ベンチャー企業と
そこに投資をしたあの有名なマイクロソフトの
創業者のマイク・アレン氏たちの偉業だ。

バージン航空という
航空会社を立ちあげ成功させ有名になった、
他にも様々な事業をたちあげ成功させている
イギリスのベンチャー企業の社長
リチャードブランソン氏も
そのチャレンジに加わっている。

リチャードブランソン氏は
氏の著作の本を出したり
日本のマスコミにもたびたび登場するし
目立つ風貌なので知っているひとも多いだろう。




2004.10.31

また、あまりマスコミでも書かれていないが
もともと今回の
「スペースシップワン」を設計制作した
バート・ルータン氏は
いまから十八年ほど前に
特殊な飛行機を設計製作し
自ら無着陸地球一周を成功させた人物だ。

「スペースシップワン」は
実際に宇宙まで到達する機体を
数十キロの高さまでは
「普通の飛行機」の機体の下に
吊り下げて運び、
その後切り離した瞬間に
「スペースシップワン」のロケットエンジンに
点火して100キロ上空の宇宙まで一気に
登っていく、という手はずになっている。


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