今日のコラム・バックナンバー(2004年 2 月分)


INDUSTRYWEB HOMEへ戻る / 今日のコラムに戻る/ バックナンバーに戻る

掲載は日付順になっています。


2004.2.1

いったんはニューエコノミー論は敗れたが
すでアメリカの経済は表面的には復活してきているのだから
ニューエコノミーはまだまだ否定されたわけではない、
という意見もあるし
それに混じって
デジタル家電のビジネスそのものがニューエコノミーなのだ、
、、みたいなすり替えの議論もあるのだが

そんなニューエコノミー云々を言わなくても
今後しばらくはデジタル家電が大きなビジネスと産業の
種になっていることは間違いないと考えて良いだろうと思う。



2004.2.2

先週から新聞やテレビを賑わしている話題といえば
青色レーザーの特許の裁判の結果をめぐる
ニュースと評論の類だろう。

裁判の結果が出た翌日の
いくつかの新聞記事を切取ってみたが
その量に驚かされたし、
テレビニュースの量も半端なものではなかった。

どこの新聞の論評も
どこのテレビニュースのキャスターも
みんなにわかに知的財産評論家のようになって
今回の裁判の結果について
それぞれ意見や評価や感想を洩らしていた。

ことの内容に対する衝撃もさることながら
やはり思ってもいなかった金額が
しまされたことによる衝撃が大きかったように思う。



2004.2.3

意外に驚かされたのは
意見や評価が
新聞やテレビによって
だいぶことなることで
また、
企業よりの立場や産業界の立場に立ったものが
結構ある一方、「技術者寄り」の意見もやはり多い、

産業界の経営リーダーなどのインタビューは
わりと中間よりの意見も多いのは意外だったが
まあ、だいたいは
企業経営者は結果についてちょっと戸惑いを見せ
技術者側はおおかたは歓迎、、
そんな色分けができていると言っていいだろう。

つまり、考えてみれば今回の裁判は
一つの企業と一人の技術者の間で行われた裁判というよりは
「企業よりの立場や産業界の立場」
と
「技術者」の立場
をそれぞれに代表して行った裁判でもあったのだと思う。




2004.2.4

で、裁判の結果はとりあえず
「技術者の立場にたつ」結論が出たとはいえ
それに対する日本中の評論や意見は
いろいろまちまちであり、けして一方が決定的に
大勢をしめた、というわけでもない。

金額が当初大多数の人々が(文字どおり大多数、だろう)
考えていたような金額ではないことが
これだけの活発な
議論や評論や意見の相違を生んだのだとも思うが、

それにしても
この議論の別れかたとそこに流れる「なんだか微妙な雰囲気」は
なぜだろうとも思う。

「企業よりの立場や産業界の立場」と
「技術者」の立場をそれぞれに代表して行った
裁判であったのだとしても
そこはなんだか一律に線が引けるような
簡単な割り切りかたができるような感じではないのだ。



2004.2.5

今度の裁判の結果が出た時に
ある本のことを思い出して思わず探して読み直した

その本は
あのピーター・ドラッカー氏が
書いた「明日を支配するもの」ダイヤモンド社1999
だ。

この中の第5章
「知識労働の生産性が社会を変える−先進国の条件」に
「知識労働と組織の関係」
という一文が載っている。

「しかしやがてまもなく、コーポレートガバナンスについては、
もう一つ新しい波がやってくる。
すなわち、法的な所有者の利益とともに、知的労働者、すなわち
組織に富の創出能力を与える存在としての人的資源の観点から、
雇用主としての組織とその経営を見直さなければならなくなる。」



2004.2.6

更につづけよう。

「なぜならば、企業さらにはあらゆる種類の組織にとって、自らの
存在は、知識労働者の生産性によって左右されるようになるからである。
まさに、最高の知識労働者を惹きつけ、とどめる能力こそ、
最も基礎的な生存の条件となる。」

「これらの問題は、私の能力を超えることはもちろん、本書の
領域をも超える。
しかし知識労働者の隆盛と、知識労働の生産性の重要度の増大が
最大の問題となったということは、今後数十年のうちに、
まさに経済体制そのものの構造と本質に、基本的な変化が
生じざるをえなくなったことを意味する。」

まさに今回の裁判をめぐって起きているさまざまな議論や評論を
いち早く議論の遡上にのせたものとも言える。



2004.2.7

それにしてもピーター・ドラッカー氏自身が、
「これらの問題は、私の能力を超えることはもちろん、本書の
領域をも超える。」と言っているように
この問題は非常に深い問題を抱え課題を突きつけていて
それは
企業と個人の関係だけでなく
「経済体制そのものの構造と本質に基本的変化が生じる」
ほどの重要な問題を抱えている課題なのだということを
思えば
今回の裁判の結論をめぐって
まったく二分するほどの意見がでることは納得できる。
むしろ
そんなさまざまな意見が出ずに
一方的に意見や認識が決定的になってしまう
ようなことになったほうがまずいとも言えるかもしれない。



2004.2.8

金額がもう少し(いやだいぶん)小さな額であったならば
これほどの評論の二分化はおきなかったかもしれないし、
中途半端?な金額で問題に本質の部分ではない
「玉虫色の決着」や「なんだかどっちもありみたいな結論」
が出てしまった可能性は高い。

とすれば
200億円という莫大な金額が
結果的に国民あげての議論の二分化に「貢献」したと思えば
これでよかったのかもしれないともオモウ。

で、ドラッカー氏が「そうそう簡単な問題じゃないぞ」と言う
くらいの話しなのだから
これはこれで
国民や産業界をあげて徹底的に議論した方が良いだろうと思う。



2004.2.9

200億円がとりあえずの結論だとしても
本当にそれでいいのか、どうあるべきなのかを
議論することも必要だろうし

少なくとも
終身雇用が変わってきたのではないか、という
この10年ほどの社会的な動きから
更にいよいよ
組織と個人の関係が変わっていく時代なのだ、という
ところまで変わっていくことを
だれもが認めざるを得ない時代なのだ。

例えば
毎日新聞の社説は今回の裁判の結論は
司法が日本の企業に投げかけた
爆弾のようなものだと書いている。



2004.2.10

もともと日本では
企業と企業に働く個人の間には
終身雇用を前提とする「関係」があって
これまでの職務による特許などは
非常に安いいわば「金一封」で済んでしまっていた。
例えば今度問題ともされた2万円という金額なども
まだビジネスになっていなかった段階でのお金なのだから
そんなものだと言ってしまえば言えないこともないだろうが
少なくとも世界が先を争って開発していた青色レーザーの
発明なのだから結果的に2万円ではいかにも安い。



2004.2.11

そんなことで済んでしまっていたのも
ビジネスの可能性が未知数だということ以上に
企業組織と個人との関係が
あるいは日本的な家族的関係、のようなもので
あったためかもしれない。

アメリカでは
昔から企業組織とそこに働く人々の間には
もともと個と個の契約の概念が
発達していたこともあったのだろう、

今度のような「特許や発明」の扱いも
アメリカでは契約や法によって
細かく決められ調整されているらしいから
あれほどの訴訟社会だと言われる国なのに
問題になりさえしない。



2004.2.12

ところが今回の日本のこの問題は
いままでの「古くからの日本的関係」がまだ
社会や企業と個人の関係、特に制度のなかに
色濃く残っているなかで起きてしまった。

社会の実相では
終身雇用や企業と個人の関係が
変ろうとしているのにもかかわらず

法や契約などでは
相変わらず暗黙の取り決めが行われていたり
個は企業に奉公するという認識が闊歩していて
問題の先送りが行われているということなのだ。



2004.2.13

いずれ法や契約などの整備も社会の実相や実体に合わせて
変ったり進んでいかざるを得ないはずだが
それが始まる前に
おもむろに「200億円」の結論が出てきてしまった。

今後類似の訴訟などが出てくれば
ますます混乱することは目に見えている。

訴訟の結論のなかで
「今回のは一般的な事件とは異なる」、と言っているが
いやいや、似たような訴訟が今後たくさん出てくることは
間違いないだろう。



2004.2.14

特許や法や契約などについて
今後は急速に整備を進めることになるだろうが
それにしてもだいぶ時日が必要になるだろうし
紆余曲折があるに違いない。

知的所有権のことなどは
企業と個人に限らない
実は
大手企業と中小企業の間、やあるいは、
企業と企業の間にある技術や知識
などにも同じような問題は存在するのだ。



2004.2.15

この問題をどちらかが正しいだとか正しくないだとか
そういう議論にとどめておくのではなく
うまくこなせば
日本の産業界全体と未来に向かって力となるだろうし
逆にうまくこなせなければ、
いつまでたっても
金額の大小などをゴシップ記事のような扱いで
捉えられるだけのレベルに終始してしまうことになる。
そんな認識を持つ必要があるはずだ。

日本の産業界にとっても
長期的、戦略的に捉えるべき重要な問題を
提起されたのだという
認識だけは持たないといけないだろうと思う。



2004.2.16

ちょっと前の話しだが、
興味深い話しが新聞にのっていた。
ある意味では青色発光ダイオードの今回の騒ぎ以上に
興味深い話題だと思う。

京都大学の研究者が
どこかのウェブサイトとシステムに侵入し
そこから登録されていた個人データを取得した、
、ということをどこかの発表の場で発表したことから
その違法性をめぐって議論になった、という話しだ。
知っている人も多いと思う。

そもそもその研究者は
そのシステムの脆弱性を
警告・教えるために侵入できたことを
発表したと言うのだが
それを違法として簡単にきめつけていいものか
もう少し考えることが必要ではないかと筆者は思う。



2004.2.17

そもそもシステムへの侵入は
普通の人が普通の操作で
システムへの侵入とか
データの不正取得とかができるほど
誰もができるような簡単で作業ではないだろう。

普通の作業やアクセスを行っていたら
システムに障害を起こしてしまった、などという
レベルであればシステムのレベルに問題があるのだろうし
その場合はアクセスした人に責任はないはずだ。

もしそんな簡単ではない作業、
(そもそもその作業そのものに
いろんなレベルの違いがあるようなのだが)
を行って不正なアクセスをした人がいたとすれば
それはなんらかの意図や思惑があって
やること、やったこと、と判断はできると思う。



2004.2.18

つまり
普通のシステムで問題がおきたとすれば
アクセスした側になんらかの意図的な
作業があったとみるべきだろう。

で、一部マスコミなども指摘していたように
思惑や意図にかかわらず
ともかくアクセスして侵入した作業をすべて
違法とするならばそれは今回のように
「すべて違法行為だから罰する」と一刀両断することもできる。

それはこれまでであれば当たり前といえば言える。

しかし、問題は今回の侵入の「思惑や意図」が
システムの脆弱性を指摘するためだったと言っている。

実際、コンピュータネットワークの世界では
こういった「指摘」が行われ、
それによってネットワークの進化も実現するのだ、
という意見があるとも聞く。



2004.2.19

ところがまたもう一方で
意図とか思惑などというものは簡単に
わかるものでもないし、評価・判断できるものでもない。
もし企業や組織のシステムに
「おたくのシステムの脆弱性を指摘するために侵入します」と
意図や思惑を宣言したところでそれを相手が認めるはずもない。
(一部企業などでそういうサービスを
やっているという話しもあるようだが)

侵入者の意図や思惑によって
行為の妥当性を評価すべきだという気持ちも
わからないではないが、
実際には難しい話しではある。
いろいろ考えてみると結構深い問題なのだ。



2004.2.20

いままでであればあきらかに違法行為になるのだが
しかし、これを一まとめに違法といっていいのかどうか。

たしかにその侵入者がたとえ善意があったとしても
取得した個人の情報などに
触れた瞬間にはどう考えても
それは違法行為になる可能性は高いだろう。

だが一方で
侵入者の「善意」でシステムの問題点を指摘することが
あったとして
それを一律に「違法」といってしまうのも
企業に個人情報などを託している人達からみれば
それが違法と一方的に言っていていいのか、とも思える。



2004.2.21

実際、そんな指摘がたとえ
結果的に善意の侵入者であっても
事前にあれば助かったシステムも多いだろうと思う。

今回のシステム侵入でも
一応、研究者はシステムの脆弱性を指摘するために
侵入したのだと言っているし
結果的に
システムの脆弱性は
トラブルが起きる前に指摘され
事前に修復する可能性も起きたとも言える。

その指摘するための侵入自身が
問題になっているわけなのだけれど、、。



2004.2.22

いろいろ考えてもなかなか決った答えがでてこないのだが
とりあえずなんらかの法的な処遇をすることが
できる可能性はある。

例えば意図や思惑に限らず
システムの問題を指摘しどこのレベルまで行い、
どんな扱いをしたかをすべて克明に記録し
そこまでオープンに報告した侵入者は
免責があるとかするのも一つの方法だとも思う。

いずれにしても
そうそう簡単に結論がでるような問題でもないだろうが、
ともかく違反である、という結論に導くのではなく
なんらかのルールづくりは必要だろうと思う。



2004.2.23

雑誌「中央公論」の三月号に
「「トヨタ方式」ブームに見る日本企業の構造改革の歪み」
という東大の松原隆一郎先生による論文が載っている。

副題としても
 空前のトヨタブームの中で民間企業のみならず
 郵政公社までもがトヨタ方式を導入しようとしている。
 しかし、生産面偏重の改革だけでは成長は実現できない。
 このブームは日本企業の構造改革への勘違いを象徴している。
と書かれている。

一見するとトヨタ生産方式では成長できず、
それをブームとしている日本の構造改革は
間違っているのではないか、と書いた文のように思えるのだが、
実は表題からするほどトヨタ生産方式に対する批判を
書いた論文ではない。



2004.2.24

むしろトヨタ本体も含め
トヨタ生産方式を学んで生産をしている企業の多くが
この時代のなかで利益を上げたり売り上げや
顧客の満足度を上げていることを認めたうえで

一方で郵政公社のように
トヨタ生産方式を学んでいくのだといいながら
昔ながらの「トヨタ生産方式」の一面的批判、、
立ち作業の導入で疲れる、だとか
ジャストインタイムのために運送者が公道を占拠してしまって
交通渋滞をおこしている、だとか
本筋の議論ではない表層の現象やことばかりをあげて
ことの本質と目標や使命をみようとしない現場の状況、、
「郵便局で生じた反応」に問題の目線をおくっている。




2004.2.25

多分、筆者はそのことを
「構造改革への勘違いの象徴」と指摘しているのだろう。

そういう意味では
「「トヨタ方式」ブームに見る日本企業の構造改革の歪み」
という表題は本文の内容といささかずれていると思える。

たしかにトヨタ生産方式を金科玉条のごとく
自社に固定的に当てはめようとする企業の動きも
ないではないから
それを「日本企業の構造改革の歪み」と言えばいえるし
トヨタ生産方式の本質の不理解と言える。

どこの企業もトヨタ生産方式の導入に
成功しているわけでもないだろうから
そういう企業は構造改革の歪みから脱せない企業、
ということになるのだろうが
それが一律に
「「トヨタ方式」ブームに見る日本企業の構造改革の歪み」
だということではない。
たぶん筆者もそう言いたいのだろうと思う。



2004.2.26

一方で官製事業やそういう事業に近かった分野では
構造改革の本質ではなく
表層の部分でのみの改革が議論され
例えばトヨタ生産方式も歪んだ解釈でおこなわれ
歪んだ反応や批判も浴びているということなのだろう。

いわば
「「トヨタ方式」ブームに見る郵政公社の構造改革の歪み」
であって、「日本企業の構造改革の歪み」ではない。

で、この論文の一番の中心的なところは
実は一番最後のところに書かれている短い文章だろうと思う。

もしあえて「日本企業の構造改革の歪み」というならば
そこに書かれている内容がそれを示している。

そこでは東大の先生でトヨタ生産方式の研究で有名な
藤元隆宏氏の著作をあげている。




2004.2.27

その藤元氏の著作では
「もの造りには強い企業でも、それだけでは収益性が
保証されない場合がある」
「生産の現場では強い組織を構築するのに、ブランド力や
販売力などを欠くため収益をあげられない可能性がある」
と指摘していて

松原隆一郎先生自身も
「卓越した技能や技術が生産の現場にあってもそれを
組み合わせて商品に仕立て上げ、さらには広告を通じて
ブランドイメージを確立させたり
消費者に認知を図るなどして、変貌を遂げつつある消費者の
要求にまでつなげる「プロデューサー」的な機能まで
付加されなければならないと考える。」
「企業の構造改革は生産面に偏しているのだ。
消費者の欲求をとらえ、それを技術・技能につなぐ改革も
求められているのである」
と言っている。




2004.2.28

これはまったくその通りであって
いくら生産の効率化を行ったり
コストの低減を目指していっても
それだけで企業の収益が確保されたり
儲かったり、事業が成長していくわけではない。

高い付加価値を持つ
新たな技術とか製品とか商品を
連続的に生み出していかなければ
いくらコストダウンや効率化に成功しても
長期的に事業が繁栄していくことは難しいだろう。



2004.2.29

ましてや
最近は個々の消費者の多様性が広がっているから
消費者自身や需要側と、
ものを生み出す側が
できるだけ濃密にそしてできるだけ個々に
つながっていなかったり
市場を無視し、無視されていては
企業、事業は発展していかない時代でもある。

まさに
「消費者に認知を図るなどして、変貌を遂げつつある消費者の
要求にまでつなげる「プロデューサー」的な機能、」
と
「消費者の欲求をとらえ、それを技術・技能につなぐ改革」
が必要とされているのだ。


INDUSTRYWEB HOMEへ戻る / 今日のコラムに戻る/ バックナンバーに戻る