今日のコラム・バックナンバー(2003年 12 月分)


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掲載は日付順になっています。


2003.12.1

色付のビンを使用するのがワインでは一般的だが
すぐに飲んでしまうボジョレーヌーボーなら
色がついていないビンでも大丈夫だし
リサイクルの点でもそのほうが市場の理解を得られる、ということで
色のない透明なビンを使ったことでも
むしろブランド性を高める結果につながっている。

市場でのいままでの高級ワインなどとの「違い」を
演出するにも一役かったのだと思える。

そう考えてくると
ボジョレーヌーボーの騒ぎの一方で
したたかにビジネスを進め
冷静な判断をし
真摯な取り組みを進めてきた
人達の姿が見えてくるではないか。



2003.12.2

新聞いわく
「だが、厳しい消費不況のなかで、
財布のひもを緩めさせる知恵や工夫に思いをはせながら飲む新酒には
「若さ」や「軽さ」以上の味わいもある。」
ということだが、たしかに本当にそうだと思える。
なんだかそれだけでボジョレーヌーボーを今後飲む時の
味わいも増しそうだ。

日本のビジネスマンや産業人も
ただワインを飲んで酔っ払っているだけではだめである。

これはワインの話しに限らない、
他にも、例えば日本で生まれたり作られたりする産品で
同じように「売り方」を考え直せば
世界に売り込めるものがあると考える必要があるのではないか。



2003.12.3 

同じ酒でも日本酒や、あるいは醤油なんかも
ここのところ世界中で使われたり
家庭の食卓にのぼることも出てきたようだが

食文化とともにまだまだ売り込める可能性だってあるだろう。

あるいはボジョレーヌーボーのように
短所を強みに変えるものだってきっとあるだろう。

世界にむけていかなくても
日本国内にむけて
そんなものを展開する可能性もある。

自分のところだけしか
作れないもの採れないものなどは
たとえそれがいくら品質が低級であっても
特徴があれば
よそにはない自分だけしかない
競争力になりえるし
自分のところでコントロールもできる、ということだ。



2003.12.4

「うまく出来たブランド」に裏付けられた
ある地域の気候や土壌に関係した食物や飲み物などは
いくら他の地域が真似ようとしても
絶対に真似のできないものでもある。

そういう点では
工業製品がいくら
ブランドで裏付けられても
機械や製造プロセスを真似すれば
同じものがどこででもできる可能性はあるのだが

しかし、よくよく考えてみれば
いくら工業製品であっても
その作られた場所の土壌や文化や気候によって
そこで作られる製品が
よそではできないものだということになれば
食品や飲み物のように
そこだけの特徴を持つ製品にまでなる可能性もある。
それこそがブランドにもなるのだろうが。



2003.12.5

そう考えたら
今のどこの町でも
どこの県でも
既存の産業製品のなかに
もう一度その地域の特徴や
優位性や
土壌や文化や気候を演出して
もう一度売り出し直せば
日本や世界で売れる可能性は充分にあると思う。

問題はそういう演出ができるプロデューサーなり
コーディネータが不足していることだ。



2003.12.6

それさえ増えてくれば
まだまだ考えることはあるしもっと先に行ける。

食べ物ばかりで恐縮だが

地元のお菓子だって
再編集しなおせば
日本的、いや世界的規模で
売れるようなものが
紛れ込んでいるかもしれない。



2003.12.7

だいぶ前に廃番になった
家庭用雑貨のなかにも
そんなものが紛れ込んでいる可能性は高い。

家庭用雑貨といわず
当時、高級・高度だった様々な製品のなかにも
もう一度見直せば
とんでもないお宝が
まぎれこんでいる可能性もあるのではないか。

それはそうと
今年のボジョレーヌーボーは
近年になく良い出来だということなのだが

もともと高級ワインではないワインということなのだから
近年になく良いワインとかいう言いかたは
あたっているのだろうか、と
ちょっと疑問に思った。



2003.12.8

中教審(中央教育審議会)で
株式会社による学校経営への参加に対する危機感を元にした
議論が進んでいる、という新聞記事を読んだ。

特区構想のなかで
株式会社による学校経営が認められ
来春には
3社が大学や中学校を開設するらしい。
中教審ではそのことに対する危機感がある、という。

いったいどんな危機感なのだろうかといえば
つまりは株式会社に対する
「性悪説」がその根幹にあるというのだ。




2003.12.9

株式会社に対する「性悪説」は
学校経営に限らず
世の中全般で言われることが多い。

利益を上げることを目的とする企業が
学校経営や
公的な利益を目的とする団体や組織の
運営を行うことは似つかわしくない、
という意識がその底にはある。

たしかに
この数年で起きてきた
大手企業を中心とした
不祥事などは
企業が利益を出すがために
公的利益や社会的責任を考えず
引き起こしたものが多い。



2003.12.10

そんな公的利益や社会的責任を
まっとうできないような企業に
学校経営や
公的な利益を目的とした
組織や団体の事業をまかせるわけにいかないことは
当たり前というか、当然のことだ。

しかし、ちょっと前のこのコラムにも書いたのだが
本来、企業の存在そのものが
もともと社会全体や公的な利益と
相反する存在だとするのなら
それは間違いである。




2003.12.11

企業が事業を進めていくことが
社会的利益や価値を作ることと
反比例することであるのなら
もともと企業など存在してはならないし
永続的に存在し続けること自体が無理な話しだ。

企業はそのもてる技術やサービスや財をもって
社会に価値を提供し
社会を豊かにすることを託され
社会から存在することを許されているはずなのだ。

その価値を提供できない企業は
社会からその事業を託されず
存在を許されず、いずれ淘汰されていくことになる。

もしそんな企業が長く社会に存在しているとしたら
それはなにかもっと「奥深い問題」が
そこには絡んでいるはずである。




2003.12.12

最近は
企業に不祥事の話題がついてまわるから
企業そのものが
社会の役に立たない存在であると
考えられてしまったり

社会が豊かになることと
企業が成長することは
相反することなのだという理解が
世の中で受け取られるようになってきた。

たしかに最近のテレビや新聞で扱われる
企業の不祥事を見ていると
社会に向かって悪いことをやることによって
企業は儲け、存続しているようにも見えてしまう。




2003.12.13

が、なんども言うように
本来
社会が豊かになることと
企業の存在や企業の成長は
同じベクトルをもっていることと考えても良いはずなのだ。

中教審(中央教育審議会)で
株式会社による学校経営への参加に対する
危機感を元にした議論が進んでいる、
、、そんな議論がされているのだとしたら
それは本来であれば
間違いな話しであるはずだ。




2003.12.14

しかし、今の日本では
たしかに企業が社会的豊かさや価値の創出と
相反するようなことばかりしでかすから
そんな「企業」というものに
教育などをまかせていいのか、という議論が
起るのだろう。

企業の中心に置かれる資本は
たしかに放っておくと簡単に
自己増殖を求めて自己目的化して
社会の利益と相反するようなことまで
平気ではじめてしなうようなことがある。



2003.12.15

18世紀に始まった資本主義も
はじめは企業とその資本が自身の増殖を目的として
あからさまな収奪と搾取を世界中で繰り広げた。

最近はアメリカなんかが
これほど時代が進歩してきたはずなのに
初期の資本主義の時代でさえ行わなかったようなことを
平気で進めている。

中近東の社会が野蛮だなどと言う前に
石油資源を求めて
口実をつけては他国を侵略するような行為のほうが
はるかに野蛮な行為なはずでもあるが
それはある意味では資本のもつ基本的な性格でもある。



2003.12.16

でもこの二世紀にわたる資本主義の歴史は
民主主義の発展とともに
企業の社会的な責任や貢献を考え、
参加も促すようにもなった。

国際社会そのものも
経済のためなどを目的にして他国の侵略などを行うことは
やってはならない野蛮な行為だと
国際社会は認めていない。

しかし最近になって
企業にしても国にしても
他国や社会を食い物にするようなことを
極めて巧妙にはじめていくような時代だから
けして近代社会はまだ胸をはって威張れるほど
高等なものにはなっていないのかもしれない。



2003.12.17

公共投資で景気が回復するなどというシナリオは
もうとっくに効力は失われていて
さすがに公共投資に
税金というお金が向かうことは否定されつつあるのだが

じゃ、いったい何が今後の日本の景気を引っ張るのだ、という
議論にいまだ答えは出ていない。

最近、若干景気が回復しつつある、という話しは
いたるところで聞こえるようになって
数字を伝え聞いてみても
たしかに
大手企業を中心として
儲けは出ているようだし
大手企業が集中している大都会でも
そんなことが牽引しているのだろう
景気はなんとか良い、とか言われている。



2003.12.18

大企業のサラリーマンはリストラの嵐にさらされてきたが
それも最近は一服した状況だろうし
公務員は相変わらず景気の波は関係ないだろう。

でも中小企業や中小企業が集中する地方の経済は
けして良くなっているわけではない。

もともと、景気が良くなってきたとか
株価が上昇してきただとか
政府はなんとか景気が良くなってきたことを
アピールしたいのだろうが
短期的には景気の波はあるはずだから
良い時もある。
でも今の状況は長期的に見て
景気が回復してきたといえる状況ではない。



2003.12.19

大手の企業が集中する都市部は
大手企業に勤務する人も当然多いわけで
大手企業が経営状態が良いということはとりもなおさず
都市部の景気がそこそこ良いということでもある。

その大手企業だって
いろんな意味の「リストラ」の結果によって
景気が良い、と言えるわけで
本当に良いものが作られ売れていくから景気が良い、
というわけではないのだろう。



2003.12.20

そうそう、そう言えば
日本の今の若干の景気のよさは
大手企業のリストラによる景気の一服感と
中国の景気に引っ張られているからだという話しもある。

そりゃあ、そうだろう。

日本の輸出総額に占めるアメリカと中国の割合も
輸入にしめるアメリカと中国の割合も

相対的にアメリカに比べて中国の占める割合が
加速度的に増加している。




2003.12.21

中国国内で作られたものが
中国国内で消費されると同時に
日本で作られた最終製品や
例えば粗鋼生産量の相当な量が
中国へと向かっていくのは
当然だし、実際そうなっているらしい。

中国の市場の大きさを冷静になって考えれば
今後日本から中国に移動していく財の量は
半端な量でないことは容易に想像がつく。

絶対的に巨大な市場である中国が
この勢いで拡大していけば
それにつながる世界や日本の様々な産業や製造分野も
それと同じように巨大な中国ビジネスに
引っ張られていくいくことは間違いないことだろう。



2003.12.22

日本の中小企業であっても
うまくそのつながりのなかに
位置付くことができれば
多分その恩恵にあづかることも
できるだろう。

しかし、今現在も、あるいは
将来においても
すべての日本の中小企業が
中国ビジネスの恩恵にあづかれるわけではない。

まして日本の製造業の根本的なところで
事態が変わっているわけではない。



2003.12.23

むしろここで無反省のまま
また「昨日の続き」を始めようとするなら
いずれまた同じ昏迷に陥ることになるだろう。

少なくとも
アジアや中国の市場が
これほど拡大していくことと
そこに日本の産業が、、、
特に日本の産業の様々な分野が
それぞれにどう関わっていくのかを
新しい問題として捉え
解決策を講じなくてはならない。

もし、とりあえず目の前の景気が
よさそうであるならば
今のうちに次の方策を練っておく必要がありはしないか。



2003.12.24

多くの経済現象は
市場原理に基づいて起きていくのだろうから
現在の景気のよさそうに見える状況や
大手企業のリストラや中国経済の変化に
自らを沿わせていくこと自身は
悪いことではないし当たり前のことでもあるのだけれど

一方でこの間に起きていた様々な問題を
冷静にもう一度振り返っておく必要はある。

喉元過ぎれば熱さを忘れ、では
個々の企業はともかく
国の産業政策と現状への認識はそれではこまる。



2003.12.25

少なくとも
日本の産業を支えてきた
産業集積は大丈夫なのか。

日本の中小企業とその技術やポテンシャルは
まだ温存されているのか。

あるいは企業や個人や技術者の間に存在している
「つながり」は大丈夫なのか。

これらをもう一度見直してみる必要はあるはずだ。

もしそれらが捨て去られていたり壊されたりしているとしたら
今後大手の企業も産業社会も繁栄できると思ったら
それは大きな間違いだと思う。

足元の技術やそれを育ててきた
地域や産業の集積を失ってはならない。



2003.12.26

商店街の活性化を進めている人がうまいことを言った。
「一度降りたシャッターをもう一度上げるのはなみたいていのことではない」
その通りだと思う。

商店街に限らず
農業でも工業でも一度失われた産業基盤を
もう一度再構築するのは簡単なことではない。

こんなに景気が悪い時代を日本全体が
長く経験していると社会のいたるところで
その影響が出ているのではないか、とふと思うのだが
実際のところはどうなのだろう。

前述のようにいたるところで
人と人の関係や人と社会の関係や人と町の関係も
いたるところで分断されたり壊れたりしていることが、、
特に都会で起きているとよく聞く。



2003.12.27

ものづくりに携わる人が減ってきたとか
社会不安が増しているとか
凶悪犯罪が増えたとか
そんな話しは、当然あるのだろうが
もっと違う面でいろんな
思いもよらないような
影響が実は日本の中で出ているのじゃないかと思えてくる。


例えば最近思うのだが
日本中できっと存在しているはずの様々な「プロジェクト」が
失敗することが増えているんじゃないだろうか。



2003.12.28

例えば
最近のロケット打ち上げの失敗とか
人工衛星の失敗なんかはどうだろうか、

なにか目標を掲げて進めているはずの
プロジェクトが
うまくいかないで
失敗している例が急速に増えているのではないか、
そんな気がしている。

最近のテレビや新聞のニュースで扱われている失敗は
あくまでその一部で
もしかしたら日本中で失敗している例が
とてつもなく増えてきているのじゃないかと
ふと思ったりする。



2003.12.29

年の暮れのこの時期は
なんとか明るい話しでしめくくりたいと思うし
実際、景気に明るさが見えてきたと
いたるところで言われるのだけれど

そのじつ、実際のところ、
問題の深刻さや矛盾の深まりは
むしろ深化しているのではないかと強く思う。

だが一方で
それも時代がかわりつつあることの
現れであるとも言えるだろう。



2003.12.30

長野県のある町の商店街が4年ほど前に
ケーキ時計というケーキの形をした時計を作った。
景気の夜明けまであと何時間あるかというのを
ケーキの形をした時計の文字盤で示すことを始めた。

この前どこかのテレビ番組で
その時計がその後どうなったかをレポートしていたが
いつのまにかどこかの倉庫に放り込まれていた。

ケーキを占うことよりも変えていかなくてはならないと思う、と
商店街の店主は言っていたが、その通りだと思う。


というわけで
2003年の今日のコラムは今日で終わりです。
今年も御世話になりました。

来年は日本全体にとって
明るい話題とその実現のためのスタートの年であって欲しいと
思います。

「未来とは雨のように空から降ってくるものではなく、
  未来のために今このとき、責任を負うことができる人々の行動に
                      よってもたらされるものです。」
                       フィリップスコーポレートデザイン所長
                                      ステファノ・マルツァーノ

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