今日のコラム・バックナンバー(2003年 10 月分)


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掲載は日付順になっています。


2003.10.1

もしまったくそんな動きや蓄積が無いような「場所「地域」や
もっと言えば、、何もない砂漠のような場所に
無理矢理「クラスター」だのを生み出そうとするのは
アメリカのような国ならともかく
少なくとも日本では現実的な話しではなかろうし
もしやったとしても無謀でもある。

実際、前述のクラスター計画のすべてを見ても
必ずその地域の産業の歴史や到達点を踏まえて
その延長上に新たな方向性を提起している。
これはしごくまっとうな話しではある。

でもきっと、なにか他の評価軸もあるのだろう
「クラスター」の名のもとに
なにか違う評価軸をむりやり持ち込めば
それまでの蓄積や方向にぶれも出てくるのではないか。
せっかく大垣のような取り組みを長くやってきても
結局評価されないことにもなってしまうことにもなる。



2003.10.2

なにも「クラスター」という名前を云々しているのではない。

問題はクラスターの「作られかた」に
もしかして落とし穴があるのではないか。
その落とし穴とも言えるものの一つに
「クラスター」という名前や
あるいはその地域に対する「評価や蓄積」と
「目標やビジョン」の「関係」になっているのではないか、
ということだ。

国や機関が地域に対して
○○クラスターという名前をつけて
支援していくことを否定はしない。

当然そんな名前をつけるからには
その地域のポテンシャルや最近のその地域での「動き」について
それなりに研究もしてきただろうとも思う。



2003.10.3

しかし、どこかから借りてきたような構想や
パクってきたようなものを
研究したり調査したはずの地域に
無理に押し込んでしまうだけでは
地域全体がハコになってしまいかねない。


いくらビジョンがあるように思えていても
借りてきたようなものであれば極短い時間で陳腐化するし
新鮮さを失うだろうし
地域にとっての魅力も失せていくだろう。

多分、そうならないためにやらなくてはならないことは二つある。

一つは借りてきたビジョンをかざしているだけではなく
自分たちで地域のビジョンの検証をかかさないようにするころだろうと思う。

ある意味では「クラスター」構築のために
自らが「プログラム」を作って進めていくことだろうと思う。




2003.10.4

もう一つは
そのプログラムの実行と検証に
地域の産業人、経営者、技術者、学生、
地域社会の人々、の参加を促すことだろうと思う。

それがなくては
クラスター構想は地域に位置づいていかない。
結局、名前だけがそこにある空虚なものになってしまうだろう。

ところで前述の「LOOP」には
その国内のクラスター構想の記事に続けて
海外のクラスターの動向にもページを割いている。

「米国クラスター新御三家に学ぶ”創造的共同体”の育て方」という
記事だ。



2003.10.5

ここではサンディエゴとフェラデルフェアとノースカロライナの
三個所の産業地域育成の話しが載っている。
どれも成功している、という話しなのだが
正直言えばこの記事になかでは
本当に成功したとすれば何が要因になっているのか、
はわからない。

たしかに仕組みや枠組みは理解できるのだが
それが成功した「本当の要因」なのかどうか、、。

それだけであれば
その前のページに書かれている日本の「クラスター」は
すべて成功することになる。




2003.10.6

しかし、きっと
文面には書かれていない
日本とアメリカの決定的違い、が
あるのではないか。

その「違いを理解すること」こそ
多分これから日本のクラスター事業では
もっとも必要なことだろう。

重要なのは「違いを理解すること」であって
表面的な違いを埋めようとしてもそれは解決にはならない。

この本を読んでいて
一番興味を持ったのは実は
その特集の一番最後に書かれていた
1ページのレポートだ。

「自己変革を繰り返すシリコンバレーが狙う次の「知」」
という題が付けられている。



2003.10.7

書いた人がアメリカのコンサルティング会社の
その名も「コラボレーティブエコノミクス社」という
なんとも大きく振りかぶった名前なのだが
そんな会社の社長が書いたレポートだ。

副題には
こう書かれている。

  知的クラスターの理想形として注目を集め続けるシリコンバレー。
  ITバブル崩壊後も「壊しながら創造する」自己変革の
  能力に陰りはない。無線、バイオとITの融合などに活動テーマを
  移し、新たなクラスターに生まれ変ろうとしている。

日本がこれからクラスター云々と言っている時に
アメリカはもう「新たなクラスターに生まれ変わる」らしい。




2003.10.8

内容はこうだ。

シリコンバレーは周期的に自己変革を繰り返してきた。
大きな変革はこれまでに少なくとも3回あった。

古くは50年代の防衛、航空宇宙分野の産業から
70年代にはそれらの産業によって培われてきた技術が
民生用の集積回路とマイクロエレクトロニクスにつながっていく。

その後、半導体産業とコンピュータ業界が
供給過剰に陥った時、例えばインテルは
1985年にはメモリ事業からマイクロプロセッサ事業に
シフトしその後のパソコンブームに火をつけた。

1990年代に再び防衛宇宙産業が
冷戦の終結により再び苦境に追込まれた時には
インターネットの商用化の波によって
いわば、ITバブルにのった。



2003.10.9

では、肝心のシリコンバレーの目指す次の姿は何なのか、、。

筆者はその輪郭を描く視点としてこう言っている。

・ドットコムバブルははじけたが生産性を高めるための
  インターネットの将来性に疑いはない。

・バイオテクノロジーとITの融合に目を向けるべきである。

・シリコンバレーは元来、ツールの製作で知られている。
  情報革命の中味と設計について創造的なアイディアを
  提供してきた。




2003.10.10

最後に筆者はこう締めくくる。

シリコンバレーはほぼ10年ごとに経済不況に直面し
そのつど力強さを増して復活してきた。
シリコンバレーの人材や企業は
一つの産業や技術にこだわるのではなく、
自己変革により将来の繁栄に至る道を拓く方法を
見出してきた。
世界規模のサプライチェーンに組み込まれた産業分野での
製造に固執するクラスターが苦闘する一方で、
シリコンバレーが長く輝き続けられる理由がそこにある。



2003.10.11

なんとも力づよく説得力のある分析ではないか。

何を目指すべきなのか、何がビジョンなのかを
自分たちの頭で
考えることももちろんだけれど

人のやっていることを後追いしたり
やり方を真似ているのではなく

自分たちで目指すべき形を実現するために
「仕組み」や「方法論」までも創造していく。

街や産業を意図をもって自らデザインしていく。



2003.10.12

そんなことは
日本のはるか100年以上の昔に
明治維新という形で
行われていたのだと思うけれど
残念ながら今は違う。

ビジョンも、ビジョンを実現するプログラムも
仕組みや方法論も
自分たちで考え出し実現しようとする
力はないように思える。

いや、日本の中を探せばあるのだろうが
残念ながらまだその動きはごく小規模なものだ。
自らデザインしていこうというところまでは
まだ始っていない。



2003.10.13

アメリカという国は最近は好きになれない。
よくそんな話しを聞く。
筆者も同じような感想を持つ。

しかしアメリカの健全性として
一方に振れると必ず
自らもう一方に振り戻す自己復元の能力を
もっていることがスゴイ、という意見も
よく聞く。
たしかにそうかもしれない。

同時に
経済においても
自分たちで自分たちの未来を
作り出そうという気概をもって
ことにあたっていることも間違いなさそうだ。




2003.10.14

アメリカが良い、と言っているのではない。
しかし、アメリカを真似するのではなく
アメリカから学ぶべきことも間違いなくあるはずだ。

クラスターの形ばかりを真似るのではなく
学ぶべきことを学ぶ。

どうすればそれが学べるのか。
もともと果たして学べるものなのか。

いや、もしかしたら
日本にも同じような前例が足元に
転がっていたりするのではないか。

もう一度日本の産業の歴史をひも解いてみれば
案外日本にだって
自ら自分たちの街や産業や社会を
変えてきたり創りあげてきた歴史だって
ありはしまいか。



2003.10.15

古くは幕末から明治維新への
時代の変革があるし

例えば
産業集積をみても
時代の変化とともに
自分自身を変化させたり進化させてきた歴史もある。

筆者の住む長野県の諏訪地域にしても
生糸産業の時代から
戦後の精密機械産業へ、
そして電気機械産業へと
自ら選択し変えてきた。

誰から強制されたのでもなく
指導されたのでもない。
自らが考え生み出してきた道だ。

日本にもそういう力はあるのだと考える
証左は間違いなくある。

....というわけで?
明日16日から筆者の住む諏訪地域で
諏訪圏工業メッセという製造業の展示会が
大々的におこなわれます。

http://www.suwamesse.jp/

筆者も御手伝いしている関係で
明日から三日ほど「今日のコラム」はお休みです。
すみません。
報告をお楽しみに。



2003.10.20

先週の16日、17日、18日と
筆者の住む地域で
諏訪圏工業メッセという製造業の展示会が
おこなわれた。

http://www.suwamesse.jp/

昨年に続き二回目の開催である。

いままでもこの圏域では
同じようなメッセが行われてもきたのだが
それは市町村毎に開催されてきたもので
それを超えて圏域全体で統一して行われたのは
昨年から始まったことだ。

細かく見れば市町村ごとに
産業構造に違いが見られるのだが

でも経済単位としては
市町村ではなくあくまで一つの圏域として
機能しているのは間違いない。



2003.10.21

諏訪圏というのは
6つの市町村が集まっている圏域で
人口もすべてあわせれば20万人を擁する。

製造業者もも大手企業から中小零細企業まで入れれば
約2千数百社を数える。

もう百年も昔に栄えた生糸生産は
岡谷を中心として栄えてきたし
精密機械工業は
諏訪全体として盛んになった。
ここ20年あまりの電子部品生産は
どちらかといえば諏訪市のエプソンが有名だ。

6市町村が集まって圏域になってはいるが
やはりそれぞれに異なった歴史や文化をもっている。

だから産業メッセを行ったり
もともと産業政策を実行していくのは
市町村毎に行われるのが当然の成り行きではあるのだろうし
実際、そうだったのだが
しかし実際外からみた場合や経済単位として見た場合は
諏訪は一つの単位として機能している。




2003.10.22

だから
最近はやりの「市町村合併」などの動きが
諏訪地域にあることも影響しているのだろうが
6つの市町村がみんな一緒に
経済産業政策や産業のビジョンを語っていくことや
メッセを共同で開催していくことなどは
当然の動きだと言える。

これまで別々に開催してきたこと自身
旧来の市町村の行政単位に縛られてきただけの
結果だといえなくもない。

そんなこんなで今回は
6つの市町村や民間や行政や商工会議所などが
一緒になって実行委員会を結成しメッセを開催した。




2003.10.23

また、そのなかでは
行政と商工会議所と民間が
一緒に準備を行い開催にこぎつけたことも
画期的でもあった。

これまでこういったものの開催は
行政や商工会議所にお任せであったりして
民間はあくまで展示する時だけの
「お客」だったりすることが多いのだが
今回の工業メッセの開催とその準備は
民間企業の自発的な参加と行動によるものが大きい。

当然それぞれに役割分担をし連携して進めることになったのだが
それも画期的なことでもあったと言える。




2003.10.24

この諏訪圏工業メッセは
6市町村が合同で行ったと前述したが
これは今回で二回目で
昨年の同じ時期に行ったのが第一回目だ。

出展企業は
全部で200社あまり、

昨年が170社での開催だったから
約2割ほど出展社が増えている。

また、これは諏訪圏域の企業数が
二千数百だと考えれば
約一割の企業が参加したことになり
それも「やる気」のある企業が
出展したことを考えれば
諏訪圏域の製造業のポテンシャルを示す企業が
一同に集まりアピールしたと言えるだろう。




2003.10.25

さすがにそれ以前、行政単位で行われていたような
展示会や全国規模の産業展示会に
参加していた企業も多いから
展示方法も手慣れた企業が多い。

逆にいままでこういう機会に馴れていない企業も
隣の慣れたような企業やアピール力に富む企業の
雰囲気に刺激を受けたようでもある。

見にきてくれた人達に
効率的の見て回ってもらうための工夫や、
技術と技術の関連や
企業と企業の関連など
つながりを見せたり、可能性を見せたりする、ということでは
まだまだ工夫の余地もあると思うし
なにより「主催者側やもてなす側」も
そう手慣れたというほどではないから
まだまだ勉強しなくちゃいけない部分も多い。




2003.10.26

また、
今回は大学や研究機関などの参加やプレゼンテーションとか
地元の企業との研究成果や
成果物の展示などもあって
これもなかなかの盛況ぶりだった。

どちらかと言えば
既製の技術や製品をならべて
見ていただくブースが
特に昨年のメッセは多かったと思うし
今回もそういうブースも多いことはたしかだが

それに足すように
現在、それらの企業が
抱えている技術や製品化の課題やテーマなども
展示されていたり
新しくチャレンジする雰囲気などが界見えて
頼もしい気がする。




2003.10.27

こうして
今回の諏訪圏工業メッセには
3日間の開催で13000人強の人々が
集まってくれた。

昨年は12000人であったから
少し増えた、というところだ。

が、なによりその構成比が
どうやら遠くから来てくれた企業や研究者が
増えていたことに関係者は驚いていた。

今回は新聞等で宣伝したこともあったのだろうし
直前の新聞などには
ここのところ進んでいる
研究テーマの成果などがこのメッセで実際に
展示されるなどと書かれていたためもあったのだろう。

また、逆に昨年訪れてくれた一般の訪問者が
ちょっと専門的なメッセであることに
足がむかなかったということもあるかもしれない。



2003.10.28

何より
今回のメッセで気付いたことがある。

今回は前述のように
行政や商工会議所が主催というわけではなく
そこに民間がしっかりと実行委員会に参加し
それぞれが役割を担っていたということだ。
単に参加企業が「お呼ばれした」というわけではない。

実行委員になった「シャチョウ」が
委員の着用するウェアを着て
場内を動き回っている。

メッセ開催の前にも
実行委員会が開催されると
企業の人達が集まってきては
進捗を確認したり仕事の分担をしたりしている。

他の町は知らないが、少なくとも
このあたりではいままでなかったような風景だった。



2003.10.29

企業の仕事や技術を広くアピールすることや
仕事に結びつけることや
研究の成果を見てもらうことや
そんなメッセの目的は
当然達成されてきたと思うのだが、

なにより
メッセそのものを行政や商工会議所や
民間が一緒になって成功させようと
奮闘したことが
諏訪圏の産業をこれから再興させようとする
スタートと実行のための求心力を
生み出すことにもなったのだと思えた。

つまりはメッセをみんなでやったことが
実は諏訪圏の活力を高める役割を
はじめているのではないか、という気がしたのだ。



2003.10.30

多分、これは
事前に考えてもいなかった
「副次的効果」などではないかと思う。

最近
「協働」ということばがよく聞かれるが、
実はただ単にみんなで一緒に動く、ことを
いうのではないと思う。

ある目標を掲げ、それの実現のために
「協働」することによって
実は一番大切な一体感や信頼感が醸成され
みんなで未来へ向かって更に進むことが
これによって始まるのだと思う。

メッセの開催とそこでのアピールという目標に向かって
協働したことで実はそれが地域産業人の
一体感の醸成につながっていったように思えたのは
間違いなく成果と言って良いと思えた。



2003.10.31

ところで
ちょっと前にも書いた
日本の「クラスター計画」や
それに比べた「シリコンバレー」のことだけれど

実は先に書いた
「地域のなかの協働やそこから生まれる一体感」
が日本の「クラスター計画」を
シリコンバレーのように「成功」させる
一番の鍵だと思える。

シリコンバレーが「成功」したかどうかは
議論のあるところだし
日本がそこを目指すべきかどうかも
議論する必要があるのだが、



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