今日のコラム・バックナンバー(2003年 7 月分)


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掲載は日付順になっています。


2003.7.1

そういう点では
「SONY」というメインのブランドそのものを
より強化していかなくてはならないのだろうから
せっかくの「クオリア」も商品群の一つに
なってしまうのもしかたないのかもしれないが、

でも、あえて言わせてもらうなら

既存のソニーを含む家電メーカーに対して
従来のドメインや価値観や方向では
だめじゃないですか、という
市場や社会からの問いかけがここのところの
「ソニーショック」なのだとすれば

「クオリア」の「問いかけ」も
もっと真正面から
切り込んでいってよかったのではないのか、、。

前述の話しで言えば
文字どおり「クオリアマニフェスト」で
良いのではないか。



2003.7.2

すべてではないにしろ、ソニーの製品は
ある意味ではビジョナリーが買うイメージがある。
買うのはたしかに消費者ではあるが
顔の見えない「消費者一般」ではない

ソニーのブランドの価値を感じ
それが自分の生活の豊かさや価値を生み出してくれると
思うからこそ
ソニーを応援するいわばソニーと夢を一致させる
ビジョナリーであることを
誇りに思っている人々が
ソニーの製品の最初の購入者である。

もちろんすべてではない。
ソニーでもパナソニックでもシャープでも
東芝でも日立でも、、なんでも良い人もたくさん居る。

あえてソニーの製品を購入する人々がちょっと違うとすれば
世に無い最初のビジョンあふれる製品を
手にいれること、見つけ出すことに
誇りや夢をもっているということもある。



2003.7.3

そういう点では
アップルに似ていないこともない。

いままでのソニーらしい製品にはみんなそんなところがあった。

安くても良くておもしろくて新しい製品を
消費者にもたらすことをソニーは使命とし
消費者はそれを支持すること自身を誇りに思った。

だから多分、
高いものを創って売れたらそれで良い、、
ということではないのだと思う。

みんなが納得するようなリーズナブルな価格、とか
消費者一般、なんていうまやかしはいわないが
そうはいっても多くの人々が納得できる価格で
驚くほどの価値と豊かさを見せてくれる
そんなソニーを期待しているのだ。



2003.7.4

そんなことを言っていたら今週テレビで
ソニーの「クオリア」についてやっていた。

正直言えばその番組を見て
認識が変ったかと言えば変わらなかった。

ソニーの新生産方法EMCS(だったっかな)
の説明も番組ではしていて

少数の「マイスター」と呼ばれる
優れた組み立て作業者が
前述の高級デジカメやら高級テレビやら
高級オーディオを最初から最後まで
責任をもって組み立てる、という
例の「セル生産方式」を
今回の「クオリア」では積極的に応用して
「少量生産」や「受注生産」に対応しているのだ、と
いうことなのだった。



2003.7.5

ところで
番組の中で、ある製品を「4時間で作った」、
というコメントがあったが

これは正確には「4時間で組み立てた」というべきで
今の大手家電メーカーや自動車の「ものづくり」は
モジュール化した部品を調達してきて
「作る」、というよりは「組み立てる」、という作業を行っている。

かの経営学者のドラッカー氏は
「生産は調達になる」、という
名言を言っているが
これは最近の、特に大手企業で行っていることを
みればたしかにあたっている。




2003.7.6

この言葉がここ数年当たり前のようになってきた
生産現場に対して

実はトヨタのトップが一時、
多分はドラッカー氏のその言葉を知っていて
逆説的に言った言葉がある。

「調達は生産である」

モジュール化や標準化が当たり前になりつつあったり
インターネットや情報技術を利用して
部品の世界最適調達をどの大手メーカーも
言っていたころだったから
この言葉が書かれていた
(確かなにかの雑誌に書かれていてとても印象に残っている。)
のはとても興味深かった。

特にここ数年のトヨタの自動車づくりはこの言葉を
裏打ちするものだと思う。




2003.7.7

一時は80点主義と言われて
あまり特徴的な車や独創的な車を登場させなかったのを
「トヨタの80点主義」と揶揄されたものだった。

でもこの数年のトヨタが市場に持ち込んでくる車の
面白さは誰もが知るところだろう。

これはまさに「調達は生産である」、、つまり
作ることが車づくりだ、と言っているのだと思う。

ただ、すでにあるものを調達してきて
(当然モジュール部品の調達も行っているが)
組み立てることが自動車づくりだと考えているわけではない、
ということだ。

車を作り出すことが大事なのだ、と言っているのだと思う。

そう考えてくると
今回のソニーの「クオリア」との対比が
見えてくるように思える。




2003.7.8

そう考えてみると
「4時間で組み立てた」のではなく
胸をはって「○○時間で作った」と
本当に言えるような状況でなければ
いけないのではないか。

無駄に時間をかけてもまずいのだけれど
大事なのはものや価値を真面目に作り出すことだろう。

感動価値、とか感動を生み出すとか
驚きを生み出す、とか、
ものづくりや技術を大事にするって
言っているけれど
どうやったら本当に
感動や驚きを生み出すことができるのだろうか。

今度の
高級オーディオ製品や
高級デジカメや
高級プロジェクターや
高級テレビには
感動や驚きを生み出すことができるのだろうか。




2003.7.9

実際に手にとってみなければわからないこともあるだろうが
あのアイボや人型ロボットSDR−3Xが
登場した時の驚きや興奮は
これらの製品からはまだ得られない。

まして
これらの分野では
すでに海外や国産のものでも
一流と言われている製品やブランドが乱立している。

それぞれに信頼と名声を勝ち得ているのだから
これらに伍してやっていくとしたら
並大抵のことではブランドは確立しないだろう。

あれほどすばらしいソニーというブランドがあるのだから
あえて言わせてもらえば
ソニーのブランドにふさわしい製品やサービスを
期待したいと思う。

多分それは、何度も書かせてもらうが
ただ高価であったり
機能がたくさんあるというものではないと思う。




2003.7.10

テレビ番組のなかでは
社内向けの製品のお披露目の場面が出てきたが
上記4つ以外にもいくつかおもしろそうなものも
あったようだった。

残念ながらその、何か、は
テレビには映らなかったのだが
それが何だったのか、
おおいに期待したいところだ。

そう言えば
本当に驚かしてくれるようなものはアイボやSDR3X以降、
みたことがない。

アイボはそれなりに売れたかもしれないが
SDR3Xはまだ市場に出てもいない。




2003.7.11

そんなものがそろそろ出てきたら、、
そんなことを期待もしたいし、

あるいは
画像関連の技術でそろそろもっといろんなものが出てきても良いと思う。

立体テレビとか
立体画像を見せてくれるデバイスとかが
あっても良い。

そう言えば最近ソニーの製品で
テレビ会議室っていうのがある。

筆者の知り合いで使いはじめた人がいるが
なかなか性能が良い。
筆者も外国製のテレビ電話システムを
使っているが
さすがにソニー製のほうが性能が良いらしい。




2003.7.12

オプションもいろいろ用意されていて
パソコンをつないだり
ホワイトボードをつなげたり
プロジェクターをつなげたり、
いろんな応用ができる。

なかなか優れた製品ではあるが
これなんかをもっと発展進化させたら
ソニーらしくていいじゃないか。

なにも「高価」でなくても
世の中をアット言わせるものは
まだまだ出てきていいはずだし、
じゃ、それを構想する人々の知恵が限界に
きているとも思えない。



2003.7.13

瞬間移動装置、とまで言わないが
それに近いことを可能にする技術なんて
まだこれから一杯出てきていいし、
おおいに期待もしたい。


さて、
話しがあっちへいったりこっちへいったりで恐縮だけれど
その「クオリアマニフェスト」の最後には
いわば「ヒト」と「物質や環境や外界」との
関係を解明していくこと(この理解はあくまで筆者)
つまり「クオリア」を解明していくために
すべての知性が共同して
「総合的文化運動」を起さなければ、と結んでいる。

なかなか奥の深いところまで意味は及んでいるのは
ここからもわかる。



2003.7.14

だから、
大量生産品でどんどん価格が下がってしまい
儲けが出ないような商品や商売ではなく
高価格で驚きのあるようなものを
クオリスという新ブランドで括って商品化する、
というのであれば
それはおおまかな方向ではけして間違いではないのだろう。

しかし、戦後「東京通信工業」の時代から
時代の使命を担って常に時代を
先導してきたソニーであれば

そして
この10年のおよぶ経済の低迷と昏迷を抜け出し
新たな日本のものづくりや価値づくりの
先にたって走っていくのがソニーだとするなら

この先の見えない分岐路や階段の踊り場で
今後どちらに向かうのかを深く考え出す作業は
単に商品群やブランドを作ってアピールするなどという
レベルのものではないだろう。



2003.7.15

それは「クオリア」でもなんでも良いのだが
それこそが前述のように

6月15日の日経新聞の「経営の視点」に書かれていた。
  「・・・クオリアも結構だが、市場や消費者が待っているのは、
   ブロードバンド革命を実感できる新しい「SONY」製品では
   ないだろうか。」
ということなのだろう。

この50年間のソニーに対し積みあがってきた
日本だけではない世界中からの
「信頼」や「夢」や「希望」が
もし少し色褪せてきたとするなら
21世紀には再びどんな新たな
「信頼」や「夢」や「希望」を
見せてくれるのか、を我々は期待しているのだ。




2003.7.16

それはソニーに限らない。
すべての日本の産業、、
大企業ももちろんだが
中小企業も
あるいはものづくりや価値を生み出すことに
夢や希望を持つ人々が
行っていかなければならないことなのだろうと思う。

踊り場の次に、
深呼吸をして向かう先は
一体どんな方向なのか、、。

ちなみに言えばその方向は
多分は日本が先端を走っているはずなのだ。

少なくとも中国やアジアや欧米ではないだろう。

ものづくりや価値づくりの作業の先に
人と社会の豊かで濃密な関係を投影させる
などという作業は日本だからこそ選択できる方向なのだ。



2003.7.17

先日、筆者も参加している医療福祉関係の機材や
道具などを開発しようというグループがあって

こういう業界の製品を作っていくには
やはり現場の話や状況を見てみるのが一番いいのだろうということで
医療現場を見学させてもらう機会があった。


自分自身や家族が病気でもしないかぎり
病院にいくということはそうあることではないし
まして入院したり手術を受けたり

あるいはリハビリを受けるということも
そうあることでもないので
病院や医療現場を
そういう目線でみたり
いわば裏側から見るような機会はそうあることではないから
良い機会だと思って見学させていただいた。




2003.7.18

結論から言えば
論より証拠、百聞は一見にしかず、、
現場を見ることによって
医療福祉機器のビジネスとしての今後の可能性や
逆にいえば
まだ医療や福祉の最前線の現場としては
まだまだ不十分な部分があったり
しっかりとは出来上がっていない業界なのだと
痛感したのだった。

けしてその現場のみが遅れている、というのではない。
いや、むしろその現場は
平均よりははるかに高いレベルだと思えるのだが、
それでもなお、やるべきこと
実現すべきことは
多いのではないか、と思えた。



2003.7.19

SARSの問題があったばかりだし
もともと医療とか健康とかに対する国民の
興味や関心は高いし、

一方で、ことものづくりという産業も
一般消費者向けの家電や様々な消費物資などの製品は
中国アジアに席捲されて
なかなか国内のものづくりではいくら生産をしても
儲からないし仕事の量も頭打ちだし、、
ということで
新分野へ参入しようという気分は
どんな業界も考えているようで
そんなところには医療福祉機器の開発や生産は
ぴったりとはまる。




2003.7.20

医療福祉機器の開発や生産を
新ビジネスとして捉えるのは今に始まったことではないが
たぶん
とりあえずここしばらくの、、
そして今どきの産業の力不足を埋め合わせる
有力なビジネスとして
資源も投入されていくことになるだろう。

で、実際に現場をみた感想だが
いくつか考えたことがある。

一つは

医療福祉に関連した機材や機器、や
それが行う作業の内容は
相手が生身の人間だということがあるからだろう、
基本的には「ひとり一葉」であるということだ。





2003.7.21

この「ひとり一葉」の意味にはいくつもあって

たとえば感染症の恐れなどもあるから
一人ひとりに接触する機器や器具などは
使い終わったら廃棄する、使い捨て、が
当然になっている、ということ

それと
同じ症状や病気であっても
一人一人の体力や身長体重が異なるわけだし
それにともなって
一人ひとりに処方する
薬の量や対処するやり方やレベルも
一人一人にむけて細かく異なる、ということでもある。

だから思った以上に医療福祉機器は
サービスやものも
「オーダーメイド」「個別サービス」に
近い供給状態であることが
要求される、と思えた。



2003.7.22

もう一つ考えたことは

こうした「個別サービス」「オーダーメイド」とも
関係あることなのだけれど
消耗品にしても薬にしても
「モジュール」の考え方がわりに
浸透しているのではないかと思えたことだ。

これは薬が錠剤やカプセルなど
単位が一個一個になっていて
それを「いくつ飲むか」という摂取の仕方が
一人ひとりにむけて
当然行われてきたことと
関係があるのでははないかと思えた。

そう考えると
やはり「オーダーメイド」というか
「個別サービス」とも関係がある。




2003.7.23

ひとりひとりに対する処方を
「量」で指示することも当然まだまだ多いのだが
「単位」で指示することも多いはずだ。

あるいは感染などに対する問題もあって
ひとりひとりに個別の「インターフェイス」を
持つ必要があるから
そのたびに接触するパーツなんかを
個別に用意して対処する。

そんなこともあって

オーダーメイドであるということと
ものがモジュール化の方向にある、という
感じを強くもった。




2003.7.24

今後、この方向はますます強まるだろうし
優れたサービスやものの供給が考え出されることに
なっていくだろう。

医療廃棄物一つを見ても
単純に捨てれば良い、というものではない事も
明らかで、きっとそんな部分も
新たな提案がなされていくだろう。

あるいは例えば使い捨てではないものでは
「非接触」のものが増えてくるだろうとも思える。

また、
患者さんの状態を把握することひとつとってみても
いままでであれば
医療現場に来た時の状況を掴むしかないのだろうが
今後はその患者さんの
日ごろの状態をモニターして
データをログにとっておいて
解析するなどということも必要になるだろう。




2003.7.25

いわば一つひとつの情報を
横につなげていくか縦につなげていくかも
重要な考え方の出発点になる。

で、そんなわけで
言ってみれば医療現場は
非常に多くの情報が錯綜する現場でもあると言っていいだろう。

そう考えてくると
実は器具や機材の個別化に関わってくることとして
考えておかなければならないことが導き出される、と思う。



2003.7.26

患者ひとりひとりの情報も
非常に複雑で大量の情報をもっているし
それが必要とするものやサービスの持つ情報も
大量の情報が存在する。
あるいはそれを支えたりつなげたり管理する現場には
非常にたくさんの情報がいきかう。

これらの処理や管理に
まちがえがあったら人命にも関わることだから
神経質にならざるを得ないし
かといって手を抜くわけにもいかない。

これが医療福祉現場の当事者の皆さんにとっては
負担になっていないはずはなく
医療福祉現場の当事者の
就労状況に過酷な条件を強いていることにも
なっているのだろうことは想像にかたくない。



2003.7.27

で、こう考えてくると

医療機器や器具の高度化は
そこそこ進んでいると思えるし研究もされているのだが
一方で
こうした情報処理ともいうべきものは
まだまだ改善されていないのではないか、と
強く感じられたのだ。

今後医療福祉の現場にむけて
様々に高度な機器や器具が作られ
供給されてもいくのだろうが
こういった医療福祉の現場がもっている
大量の情報の処理を必要としている、という
側面の改善や合理化は
患者の人命の安全とか働く人達の就労状況の改善にむけても
必要なことになるだろう。




2003.7.28

先日
車で行けば30分ほどのところにある
地方の商業都市に
久しぶりに出かけてきた。
周辺人口が20万を超える都市だから
そこそこの人達が集まって
消費行動を支えている。

近年、この街も再開発が行われて
しばらく見ないうちに
中心都市部のイメージがだいぶ変わっていて
驚いた。

この街に限らず
日本中で再開発がはやりだから
あちこちでこんな感じに
街を変えていくプロジェクトが進行中なのだろう。





2003.7.29

その街で言えば、
ちょっと歴史のある街だから
以前は、小さな通りに入って見ると
その街の歴史を刻んだような建物や雰囲気が残っていたのだが

久しぶりにいってみたら
なんだかそんな雰囲気も失われて
たしかに最新のきれいな街ではあるのだが
都市圏でよく見られるような
特徴の無い街になってしまったように見えて
なんだか残念な気もした。

まあ、これはしかたのないことなのかもしれない。



2003.7.30

大都市圏にたくさん存在する
その近隣に住む人々の消費を
支える商業都市の成り立ちというのは
日本の国内には無数に存在している。

一方で
東京都内などに複数ある
あるいは地方都市でもある場合もあるが
ブランドと言っても良いくらいのイメージまで持っている街は
これは都内や周辺都市や地方都市から
若い人達を中心に「なにか特別なもの」を求めてくるような
構造をもっている。


それとは別の
近隣の人々の日々の消費を受け持つような
構造を持つ前述のような街は
都市圏やその周辺やあるいは地方都市にとても多いように思う。




2003.7.31

そこで消費されるものは
別段特別なものや
その街の歴史を背負ったようなものではないから
ごく普通の消費、を可能にする街は
(そんな言い方で良いのかどうかは問題もあるのだが)
当然ながらどこも同じような顔をもってくることは
しかたのないことかもしれない。

だから、これもよく言われることだろうが
どこの街にいってもみな金太郎飴のように
特徴のない同じような街になってしまった、というわけだ。

なんどもいうがそれはそれでしかたのないことだといえばいえる。
必ず消費者が「毎日のように繰り返す消費」というのは
どこかで行われているわけだし
それを可能にする「毎日のように繰り返す供給」も
行われなければならないはずだ。

それは特別なものである必要はない。



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