今日のコラム・バックナンバー(2003年 6 月分)


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掲載は日付順になっています。


2003.6.1

社会と環境、社会と人、人と人、
様々に、複雑に、
お互いに影響を及ぼし会いながら
お互いを変え、自分も変り、
全体も変わっていく、、。

そんなことが日本でも、本当で言えば
世の中みんながそんな関係のなかで動いているのだと思う。

別にこれは
「なあなあの関係」でも「もたれあいの関係」でもない。

一見頼りなさそうに見える若者たちも
実はそんな日本らしさのなかで
緩やかに軽やかに生きていくための準備を
しているのではないかとも思えるふしもある。

古くさび付いたままの日本的システムが
この先も日本を支配しているようでは困るが、
この混沌とした中から新たな日本的システムが
誕生してくるだろうことを期待したい。



2003.6.2

榊原英資氏が一週間前の新聞で
「イラク後の世界」という連載の
一文を書かれていた。

このなかで
欧米も含め世界デフレの懸念が強まっている、という
インタビューアーの質問に答えて、こんなことを
言っておられた。

今起きている価格下落は、世界に構造的問題だ。
中国やインドが代替できる製品や一部のサービスの
価格下落は日米欧共通で、一方では
供給に制約がある石油価格などは乱高下している。
グローバリゼーションと技術革新という
二つの要素から世界的にデフレが起こっていることを
認めないと、何をやっても効果はない。
しかし、米国と欧州はデフレだと認めておらず、
突っ込んだ議論はしにくいを思う。



2003.6.3

、、と書かれている。

そう言えば
デフレがの数年進行しているなかで
このデフレがあたかも病のように
海外から煙たがられ
一刻も早く退治するか病気を直せ、と
海外から言われていたことを思いだす。

でも
例えば欧州では
新しい欧州と言われる東ヨーロッパが
西ヨーロッパの「古い欧州」に対し
今の日本に対する中国のような役割を
果たしはじめ
安価な労働力を背景に
価格競争力のある製品が西ヨーロッパに
持ち込まれはじめ
問題になっている。



2003.6.4

結局榊原氏が言っているように

デフレは日本だけがかかっている病気ではない、、
ということが次第にはっきりとしてきた。

最近では日本に対しデフレをなんとかせよ、という
欧米の論調も静かになってきたようだ。


そんな話しの一方で興味深いのは
日本の大手企業の一部が
空前の利益をあげていることだ。

ある業界のすべての大手企業、というわけではない。
むしろ
いろんな業界の特定の大手企業のみが利益をあげている、
そんな状況をどうみるのか。




2003.6.5

また、一方で日本国内の需要は
拡大しているのか、というと
相変わらずそうでもないのが実際のところだ。

特定の企業の特定の製品は
売れたり流行ったりしているのだが
すべてのメーカーの製品が
まんべんなく売れている、というわけではない。

であれば
特定の大手企業が利益を上げたのは
あくまでその企業の製品が売れたという
普通の話しだと思える。

特定の業界が潤った、というよりは
いろんな業界に人々の興味は分散していて
そのなかでも一部の企業の製品に
集中したために
こんな結果が出てきたのではないか。

そこにリストラをしたかしないか、の要素が加わって
結果が出てきたように思える。




2003.6.6

一方、すべてのものが、といっていいほど
中国での生産は進んでいる。
でもこの結果からは

中国で安く作って
日本に持ち込んだから
儲かったのではない、

やはり売れるものを作って売ったから儲かったのだ、と
言えるのではないか。

中国で生産することは多分止められないことだし
安くつくることは
たしかに必要条件ではある。





2003.6.7

だけど
儲かるかどうかは
それを経てもなお
売れるもの、買ってくれるものを
生み出せるかどうか、という
至極平凡な事実に行きつくのではないのか。

残念なことに最近は
町を歩いていても
魅力のある製品やサービスが目に入ることはまずない。

それでももし、欲しいものが出てきたら
その業界で一番デザインがよくてカッコウ良くて
信頼性が高く安いメーカーを選択する。




2003.6.8

問題はアット驚くようなものやサービスや
こんな生活や夢が実現できるのか、と
人々、というよりは
一人ひとりに
思わせるようなものやサービスを
生み出せるか否かにある。

前述の榊原英資氏が一週間前の新聞で言う
グローバリゼーションと技術革新という
二つの要素から世界的にデフレが起こっている、」
ということならば

それを乗り越えてなお
人々や一人ひとりの必要とする
需要を生み出すことができるかどうかが
これからの最大の問題になるだろう。




2003.6.9

通貨供給量云々、、だとかもたしかにきっと
今のデフレだとか経済を説明するのには
「もっともらしい必要な言葉」なんだろうとは思う。

でも
簡単に考えてみても
ものが動いたり移動するのが停滞したり
ものを買わないことが当たり前になる
ようであれば経済は低迷するのは
当たり前と考えて良い。

需要に比べて供給のほうが溢れてくれば
ものの価格は下がるだろうし
どこかで物が消費されず滞留している限りは
経済は低迷する。

そんなことは半世紀以上も前に
世界中で経験済みの話しで
なにも変ったことが起きているわけでもない。

もっと今起きていることを単純・シンプルに
考えてみたほうがことの本質に迫っていると思う。




2003.6.10

3年前のアメリカのITバブル崩壊や
株価の下落も
容易に予想されていたことではないか。

ちなみに
5年ほど前からバブル崩壊時まで
株価下落や経済の低迷や不況のない
いわゆる「ニューエコノミー」が始まった、と
盛んに吹聴した内外のエコノミスト達は
今は知らぬ存ぜぬの構えだし

その最たる人が今の日本の
経済政策を提案・実行する人であったのだが
今はそんなことは遠い昔の話しで
忘れてしまったらしく誰もそのことを言わない。。

で、話しを戻せば

こんな状況を変えていくには
やはり新たな需要創造しかないのだろうと思える。



2003.6.11

供給過剰をとめることと同時に
一方で問題になっている
低迷する需要を刺激したり生み出すためには
政治や経済の社会的混乱を納めていくことや
将来に対する不安を取り除き
希望や夢がもてるようにしなくちゃならないし
あるいはなんらかの思い切った「手だて」を
打たねばならないだろうと思うが、
残念ながらそこまでのことを
産業界そのものが自ら行うことはできないだろう。

通常の企業は競争することによって
自分の利益を最大化することを
ともかくも目指すしかないからだ。

特に、大量に作って大量に販売し
多くの利益をあげようという
基本的な立場に立たざるを得ない大手企業では
そうは簡単な話しではないだろう。



2003.6.12

新しい需要創造などは
消費者という一つの固まりではなく
結局は一人一人の需要に行きつくのだろうから

規格大量生産そのものにすでに
無理があるということになる。


逆に
デフレの元凶と言われる
グローバリゼーションと技術革新を
逆手にとり
新たな需要創造に
生かすことができれば
この先に新しい可能性は拓けてくると
筆者は思う。




2003.6.13

グローバリゼーションによって
安価な製品は日本にも
流れこんでくるのだが
逆に
より優れた製品は技術は
グローバリゼーションによって
世界に出ていくことも可能でもある。

より安価に安定した製品を大量に生み出す
技術革新もあれば

より付加価値の高い優れた製品を
世界中の一人ひとりに向けて作り送り出すことができる
そのための技術革新もある。




2003.6.14

そして重要なことは

グローバリゼーションにしても
技術革新にしても、
いわば
悪いグローバリゼーションと
良いグローバリゼーションがあったり
悪い技術革新と
良い技術革新があったりする、と
いうことではない、ということだ。

多分
悪いグローバリゼーションも
良いグローバリゼーションも
根は一つで同じ実体なのだが
それをどう使うかにかかっている。

悪い技術革新も良い技術革新も
同じ技術なのだが
それをどう生かしていくかに
かかっている。


2003.6.15

いわば、
今の日本を襲うデフレやその原因ともなっているものは
見かたを変えれば
それがそのまま
次の日本の将来や可能性を生み出していくための
礎にもなっている、ということだ。

けして安易な楽観論で言っているのではない。
いままで日本や世界の産業史をみても
それまでの時代では牽引力になっていたもので
時代が変わってきたからといって
否定的に捉えられているものや技術が

実は長い目でみると
次の時代にむけての牽引力になっていったり
礎になっていたりすることは多かった。




2003.6.16

筆者らの住む町の歴史を見ても
戦前から戦後にかけて
町を支えた生糸産業が
戦後の化学繊維の台頭に足元をすくわれても
その産業が生み出してきた
優秀な機械産業や優れた労働力や
資本という構造や技術が
生糸産業に続くその後の新しい産業を
生み出す礎となっていった。

その後にも数度
産業の変遷をたどるのだが
必ずといって良いほど
その前の産業が生み出したものが
次の産業の礎になっていると言って良い。




2003.6.17

これは筆者の町に限らず
おおかたの産業で成り立ってきた町の
産業史をひも解けば
同じような歴史をもっているのではないだろうか。

ニューエコノミー論を再びここで
話題にするとすれば

このグローバリズムと技術革新が
景気の波や振幅を
変化させていく可能性がなくもない。
これをあえてニューエコノミーと呼ぶのであれば
それはそれで一定の説得力はある。

必要としている需要に
必要としているものや価値だけだけが実現されて
遅滞なくデリバリーされるようになるとすれば
限りなく景気の振れは小さくなるだろう。



2003.6.18

でもそんなことが実現する時代がくるには
もうちょっと時間がかかるだろうし
グローバリズムと技術革新の
更なるバランスのとれた発展が必要となるだろう。

少なくとも
「消費者一般」(そんなものなど無いはずだが)
の需要を予想しているうちは
財の滞留による景気の振れやインフレデフレの議論は
無くならないだろう。

しかし何度もいうように
いずれ「消費者一般」ではなく
「消費者の個々」に向かって
一つひとつの価値を個々に生み出し
提供していくことが可能になれば
経済のありようや生活と経済との関係も
広く変ったものになっていくだろう。

多分それは進化といっても良いものだろうとも思う。




2003.6.19

もっと言えば
それこそが20世紀のものづくりを
真面目に積み上げ行ってきた日本が
21世紀にうけつぐべき産業システム、、
誇るべきものだと思う。

あるいは
今後日本の社会と日本の産業が
選択し得る
価値と人々と社会と産業の関係だろうと思う。

何度もいうがそれは日本が
真面目に20世紀のものづくりを
行ってきたからこそ選択でくる方向なのだ。

が、それがいかなるものかは具体的には
まだ見えてはきていない。

しかしそれを生み出す努力をすることによって
日本の21世紀の産業の姿は徐々に形を表すだろう。

それをこそ日本は世界に先駆けて
生み出していかなければならないはずだ。



2003.6.20

それにしても
大手企業がこんな景気のなかでも結構な利益を出している、と
言われているわりには

その大手企業を中心として
一体それらの企業や
あるいは前述のように個人ひとりひとりや
あるいは日本全体の社会や産業が
どういう方向にいこうとしているのかは
いまだにはっきりと見えては来ていない。

大手企業が利益を出しているといっても
いまだ「ほー」とか「へー」とか
思わず唸るようなものやサービスや
事業の柱を見つけ出して
みんなの前に建てたわけではなく

残念ながらすべてと言わないまでも
リストラの結果だったりするわけで



2003.6.21

そういう点では
ちょっと前に書いたように
若者が勤労意欲を無くしただとか
勉強しない、とか、働かない、とか
フリーターばかりでちゃんと働かない、とか
言われているのだけれど

実際は
いままで前を行く国やその国の産業や人々の
後ろ姿を追ってきた時代から

前をゆく人々の後ろ姿が見えなくなって
どっちの方向に向かって行けばいいのかが
わからなくなっているだけのことなのだ、
という話し、と同じことなのだと思う。




2003.6.22

だからリストラも含め
大手企業も、そして当然中小企業も
次に向かう方向はどちらなのか、
分岐点の今、苦労しながらも
その方向を考えている最中ではある。

そういう目線で見ると
最近大手企業も中小企業も
個人も、そして国ももちろん
それなりの「構造改革」を行っているわけで

いろんな試みや努力というべきものか、、
そんなことをやろうとしていることは
毎日のように報道されていたりする。




2003.6.23

そういう意味で
特に興味深いと思うのは最近のソニーだ。

この2週間ほどのマスコミ、新聞などを見ていると
ソニーについて論評しているものが目につく。

まあ、
ソニーは家電業界のなかでは
常にチャレンジングな新たなことを始めたり
時代を先取りしたことを
始めたり始まったりする企業として
見られている企業としては最右翼だし、

その分、他の企業では起きたり遭遇していないようなことが
ソニーでまず最初に起きてくることが多いから、
マスコミに限らず興味深いところだろう。

特に最近のソニーショックという言葉が
盛んにマスコミや新聞で言われたあたりから
家電業界のなかでは良い意味でも悪い意味?でも
一番露出度が高い。




2003.6.24

で、今その点で盛んに論評されているのが
ソニーの新ブランド「クオリア」だ。

クオリアについては
以前ここで書いたこともあると思うが、
昨年末だかに出井社長が
テレビに出てきて
はじめてソニーのいわば「価値観」としての
「クオリア」について話しをした、と思う。

だからその時点ではブランドというよりは
ソニーのドメインや戦略のようなものだと
筆者は理解したのだが

半年たった今は戦略やドメインというよりは
「ブランド」や製品の「シリーズ」のような
イメージをうたっているようだ。




2003.6.25

正直言えばソニーが今後向かう「価値観」を
ひとことで表現しようとした意味での「クオリア」
について筆者はおおいに期待したのだが
よもやそれが
「ブランド名」や「製品シリーズ名」に
なってしまったのはちょっと残念に思った。

いや、多分ソニーだって
そんなことは百も承知なのだと思うのだが
少なくともこの2週間ほどの新聞には
「クオリア」は
「高級品シリーズのクオリア」とか
「新しい商品群クオリア」
「新ブランドクオリア」とか
書かれている。

新聞に書かれているくらいなのだから
きっとそういう意味をもって
ソニーも発表をしたのだろうと思う。




2003.6.26

新聞記事のなかで
出井社長が
「技術をベースに驚きのあるものを作る」と言っていたり
副社長がクオリアとは
「カタログの数値や価格ではなく、
人の中にある感動を呼び起こすもの」

と言っているのだが
実際はホームページを見てもあくまで
クオリアは新商品群や新ラインナップ、
という位置づけだし
それ以外の(以上の)意味は
うたってはいないように思える。

いままでの商品の価格帯とはあきらかに
異なる高価なデジカメやテレビなどには
たしかに驚いたが、、、。




2003.6.27

まあ、もちろん
ソニーの「価値観」としての基本は
「クオリア」ではなく「SONY」であるはずで

ソニーのドメインや戦略をひとことで「表現」したものは
「SONY」というブランド名と
「SONY」の製品群、ということになる。

だから「クオリア」はあくまで
そのソニーの中の一つの商品群、ブランドで
良いといえば良いわけで

6月15日の日経新聞の「経営の視点」には以下のように
書かれていた。

 「株価形成より製品の魅力」
 「SONYの技術、実証を」
  「・・・クオリアも結構だが、市場や消費者が待っているのは、
   ブロードバンド革命を実感できる新しい「SONY」製品では
   ないだろうか。」



2003.6.28

これは、なるほどと思う。
「ブロードバンド革命を実感」できる以外にも
新しい「SONY」製品が達成しなくてはならないものは
他にもたくさんあると思うが、
たしかに
「クオリア」ではなく
「新しい「SONY」製品」
が必要なのではないか、、、ということだと思う。


もともと「クオリア」は
ソニーコンピュータサイエンス研究所の人が
何年も前から提唱していた「概念」「宣言」だ。

これは「クオリア」という言葉でインターネットを
検索してもらえばすぐわかる。




2003.6.29

そこには「クオリアマニフェスト」という
いわば「クオリア宣言」とでもいうべきものが
掲載されている。

いまはやりの「マニフェスト」という言葉を使っている
ことからもわかる通り
(そのわりには「マニフェスト」が意味不明で
政治の世界ではなんだかわからないままに
一人歩きしているようでもあるけれど、、)
「クオリア」がそれなりの深い意味や使命感をもって
提唱されていることがそこからはわかる。

前述のテレビに出た出井社長も番組の中で、
そのソニーコンピュータサイエンス研究所の
研究者が言っている「クオリア」に対して
良い意味と言葉だ、と考えて
商標出願もした、なんてなことを
言ってはいたのだが、、、

ウーン、であれば
もっと今後のソニーを占う偉大な言葉として
聞きたかったのだが、、、、




2003.6.30

今のところ新聞広告で感じる通り、
「クオリア」は商品ブランドのいくつかの中の一つ、
に過ぎない。

でも「クオリア」が文字どおり「宣言」として
実効あるものになっていくとしたら
状況によっては「クオリア」が
「SONY」と並行した存在になったり
(そんなことはないだろうが)
「SONY」そのもののブランドの価値や焦点を
希薄にしてしまう可能性もあるから
「商品ブランドのいくつかの中の一つ」、、くらいの
扱いでいかざるを得ないのかもしれないし、

このところの「ソニーショック」から
「投資家が求めているのは理想の経営者ではない。
投資を続けるかやめるか、の具体的な判断材料だ」とか
(以上6月21日毎日新聞)
の意見も出てくるようなご時勢だから
偉そうなことを言っていないで
もっと売れて儲かる商品をつくんなさいよ、と
株主や市場から言われて
それに応えざるを得ないということもわかる。


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