今日のコラム・バックナンバー(2003年 5 月分)


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掲載は日付順になっています。


2003.5.1

こんな姿をみれば
当然日本は何をやっているんだとか
たとえば日本の若者は
もっと勉強しなくちゃいかん、とか
そんな意見や世論がまたぞろ世の中で主流を占めてくる。

日本は」恵まれているから勉強しなくなったし
やる気も失っているから
こんな状況では中国にまけてしまうのは当たり前じゃないか、
とういうわけだ。

本当にそうだろうか。

確かに
テレビを見ていれば
欧米で高度な知識を学んだりする中国の若者の姿が
紹介されることが多い。
中国に帰ってきて中国の企業に就職して
次を目指す者も多いと言われている。




2003.5.2

中国では
物を作る企業の総雇用に対し
労働者はまだ失業している状況だが
それらの労働者も
貪欲に次の就職先を目指して奮闘している。
そのための「就職産業!」とも言うべき産業も
にわかに活況を呈しているらしい。

日本の輸出先の多くは欧米から
中国へシフトしはじめているし
国内への輸入額も中国からの額が大きくなってきている。

日本の社会や産業や働き手にとって
中国は「まずは考えなくてはすべてが始まらない」ほど
存在感を増している。



2003.5.3

日本の若者や働き手が
相対的に
迫力や、やる気や、能力が
中国に比べてかけているように見えるのも確かだ。

でも、あえて誤解を恐れず
簡単に言ってしまえば

中国は欧米や日本がすでにやってきたことを
踏襲していると言っても間違いないのではないか。

、、こんなことを言うと
必ず、「そうだ」、という声が聞こえてくる。



2003.5.4

日本の産業人はこれほど中国に「やりこめられている」ように
思えているから
情緒的になってひたすら中国の近代産業史の短さを
日本のそれや戦後の産業の勃興した状況や
繁栄して状況と比較して
負け惜しみというか、
「いろいろ言っても結局は日本の真似ではないか」
みたいな議論に陥ってしまう。




2003.5.5

たしかにそんな違いはあるだろうし
情緒的、感情的にそんな気持ちになるにも
わからないでもないし
もともと、日本だって
戦後は欧米のものづくりを
真似してきたことも明白な事実だ。

産業が勃興する上で
「他国の真似」をすることは
ある意味では避けられないし
それを批判することは意味がない。

ここは感情的・情緒的になることをあえて抑えて
本当に今の中国と
過去日本が行ってきたことを
冷静に比較してみる必要があるだろう。



2003.5.6

で、いろいろと見てみれば

今の中国の産業は
もちろん中国独自の新たなことも
はじめてもいるのだろうが
圧倒的大部分は
世界の工場だった日本から
世界の工場、中国へとかわりつつあるなかで
日本や欧米がすでに歩んできた道を
再び通ろうとしていることはやはり間違いないと言えるだろう。

若者のやる気や働き手の勤勉意欲や
そんなものも当然ながら
昔の日本でも同じようにあったはずで
それが同じように
中国でも行われているに過ぎない。

どこか通ってきた道を再び中国が
通っていこうとしているのだと思える。




2003.5.7

何度も言うけれど、
これは批判しているのでも
皮肉を言っているのでもない。
事実はそうなのだろう、ということだ。

で、じゃあ、日本の若者や働き手が
勤勉でなくなったり
勤労意欲や勉強しなくなったりしたことは

単純に比較すれば
こっちに比べると
向こうのほうが勤勉だったり勤労意欲があったり、とか
今の日本の若ものは
けしからん、とか、なっとらん、
ということで済ませてしまうのだが

よく考えてみれば
いままで日本がやっていたことが中国にシフトしていって
人材の成り立ちもそれに見合った状況になった
というだけの話しではないのか。



2003.5.8

こちらには中国に
仕事や産業がシフトした分の「空き地」を埋める産業や
あるいは目指すべきビジョンが
ないだけの話しではある。

簡単に言えば今の日本の若者や働き手は
「何をやったり何を学んだりしたら良いのかわからない」
そんな状況なのだ。

であれば
そんなに悩むこともないし
卑下することもない。



2003.5.9

「けしからん」や「なっとらん」のではなく

いままで考えてもいなかったような状況が
現れてきただけの話しで
今は潜伏して次への方向を模索しているだけの話しであって
あるいはまだ模索も行われていないとすれば
とりあえずやることがなくなってしまい
困って混乱しているだけの話しなのだ。

登山であれば
前をゆく人の背中を必死になって追ってきたけれど
いよいよそんな背中も見えないなかで
これからどっちの山にむかっていけばいいのかがわからず
三叉路で立ち止まっている状況なのだ。

もっとも、
どこの山に向かうのさえ見えてもいないのだが、、




2003.5.10

であればこれから日本のビジョンや産業や飯の種を
見つけ出す、あるいは生み出すことが
日本の産業人や若者や働き手の
勤労意欲や学ぶ意欲を生み出す鍵だ。

あるいはのぼるべき山をはっきりさせる、とううことだ。

それさえはっきりすれば
働くことやとりあえず学ぶことや
競うことだって自ずと始まるに違いない。

日本の若ものや働き手は勉強しないしやる気がないとか
単純な比較はやっても意味がない。

逆に言ってみれば
こんな状況に「追込まれて」しまったことは
ある意味では世界の先端にあると考えてみても良い。



2003.5.11

すでにみんなが通ってきた道だが
ここまできて
道がなくなってしまった。

中国やアジアは
欧米や日本が歩いてきた道を
そのまま全速力で追いかけてきている。

以前はだいぶ距離が開いていたが
最近はだいぶ詰ってきてはいる。

でもだいぶ加速がついてしまったから
容易には減速できないだろう。
しばらくはあんなスピードで猛烈に
日本の後ろを追いかけてくるに違いない。

彼らのキーワードはもちろん「追いつけ追い越せ」だ。




2003.5.12

日本はどん詰まりに来たものの
これからどっちに向かっていけば良いのか
いまだにこの先の道が見つけられずにいる。

いままで欧米が作ってきてくれた道を
ただ単にたどっていくために
組織や道具を作ったり
歩きかたを「後追い式に都合のよい歩き方」に
工夫してきたり、
そこまではよかったのだが、、

これも今は逆に重荷になってきてしまって
いまだに新しい歩き方や道を探しながら歩くってことに
馴れていない。

いわば「土建国家」「はこもの行政国家」が
一番効率の良いやり方ではあったのだ。




2003.5.13

欧米とかの「先進国」は
それぞれに自分の道を探して
なんとか歩き始めている。

欧米の「先進国」も
同じような状況を経験してきた。

ものづくりは放棄して
特許や知的財産を生み出し守って価値を
内部に貯えようとする国や

最近は武力で「地下資源」を他国から奪うことで
国の力を貯えようとしているどこかの国もある。
「只」とは言わないが、
地下資源という人間が作り出すのではない富を
手に入れるなどというのはもっとも原始的な
国力の維持のしかたではある。

まだ、知的資源を生み出したり守っていくほうが
まともではある




2003.5.14

ただ、国全体が知的資源を生み出し
国民全体に
分配することはなかなか困難ではある。

欧米、特にヨーロッパが
いろいろなことをやりながらも
なかなか経済的には低迷しているのも
先進国のもっている根源的・歴史的な問題なのだと思う。

ただ、ヨーロッパの取り組みは
社会資源を豊かにすることだとか
目の先の「豊かさ」に縛られない知恵を
絞り出す、という点では
アメリカあたりの一歩先、というか
明らかに違う方向を目指してはいるのだろうとは思う。

どこかの国とはちょっと異なる、、。



2003.5.15

アメリカは
自分からものを生み出さずに
他国でつくって(作らせて)自分は儲ける、という
いわば「仕組み」を考え作り出すことがウマイ国だ。

これはものづくりに限らない。
システムや仕組みを考えて一気につくりあげ
制空権を握る、お金が入ってくる、という
仕組みづくりと言えるものが
アメリカは非常にうまい。

翻って日本だが、
正直いって「仕組みづくり」はとても下手な国だとは思う。
与えられたテーマを追うことはとても上手いのだが
自分でテーマを考えたり
そこに到達するために道具を考えたり仕組みを作ったりするのは
とても下手な国だと思う。

でもそう言ってもいまさらしかたない。
これから自分でかんがえなくちゃならない。



2003.5.16

日本がどんな「先進国」のモデルを採用するのか
あるいは自らいままでどんな国もやったことのないモデルを
生み出すことができるのか、、。

問題はそこにある。
今は生みの苦しみを経験していると考えて良いのだと思う。

日本は必ず次の時代に向けた「モデル」を見つけ出す、とは思う。
そうでなければ日本はこのまま世界で一番
みすぼらしい国に落ちぶれはてていくしかないだろう。
でもそんなことはさせてはならないし
そうはならない、と思う。



2003.5.17

せっかくなのだからここはやはり
いままでどんな国もやったことのないモデルを
生み出すことに傾注するべきだ。

現状では
そんなことが果たしてできるのか、
という悲観的な意見のほうが大勢を占めるだろうが

鍵はすでにある、と筆者は思う。

例えば
日本には歴史のなかに立脚した
日本独自の文化や価値観というものがある。

グローバリズムが席捲したこの数年のなかで
そんな日本独自の文化や価値観は否定されるべきもの、
といって考え方が闊歩しているようにも思う。




2003.5.18

しかし、むしろこれからは
日本的な文化や価値観が
世界にむけてアピールされても良いのだろうと思う。

例えば環境や自然という「外界」と
社会や人々の生き方といういわばその上に構築される
「上部構造」との
関連のしかたをどう捉えるかも日本的な文化や価値観である。

もともとその間には複雑な相互の関係があるはずなのだが
残念ながらこの100年あまりは
社会や人間が環境や自然に一方的に働きかけてきた、
というより力まかせに外部を変えてきてしまった。
、、それも後先考えずの力まかせだったから
自然は破壊されたり、環境は悪化したり
公害が発生したり、住環境や都市環境も目一杯悪くなった。



2003.5.19

20世紀後半の30年あまりでようやく
そんなやり方への反省が生まれて
環境や自然を守ることや復帰させていくことに
重点が置かれるようにもなったのだが、
いまだに途上国や先進国でもアメリカのような国のように
自然破壊や環境問題に対する取り組みが不足していたり
あるいは取り組んでいるようではあっても
自国の都合でなし崩しの掛け声だけになっている国も多い。

日本は国土が狭いことや
国土のわりに人口が密集していることや
水や水系が豊富ではあっても
けして無尽蔵ではなく
この国土のなかから都合せざるを得ないこともあって
環境や自然の保全に敏感な国ではある。

60年代の環境破壊や公害問題に対する反省も
やはりあるのだろう。




2003.5.20

環境破壊や公害問題に対する対応は
まだまだドイツや北欧に比べて
遅れている部分もあるのだろうが
先進工業国としては世界の中で
先頭を走っているのだろうとは思う。

で、過去をみれば
はるか江戸やそれ以前から
日本は環境や自然と、
社会や都市や人々の生活との関係のしかたは
なかなか先進的であったと最近言われている。

上下水道の設置や屎尿の処理などについても
例えば江戸のシステムは当時の世界の水準でいっても
先端を行くものであったと言われている。

あまり知られていないが驚くような話しではある。




2003.5.21

こういうシステムが過去から現在にいたるまで
日本で進められてきたのも
その根底には
環境や自然と社会や人々の生き方や生活のありかたと
うまく擦り合わせていこうという
日本の文化や価値観があったのだではないかと
強く思える。

力づくで環境や自然を変えていくのではない
環境や自然とうまく共生していく考え方、だと言って良い。

あたり前の話しだが
社会や人間の生活は
環境や自然との関係なしには存在していない。

もし環境と自然を変えていけば
その影響や反作用は自分自身に跳ね返ってくる。

我々も社会も環境や自然の一部である以上、
それは避けられないことだ。




2003.5.22

そんなことは人間の自然な悟性をもってすれば
当然のこととして捉えられるはずなのだが
なぜか人間の、
特にこの100年あまりの社会や産業社会は
これをあえて無視して
一方的に力をくわえ自然や環境を
変えてしまうことに傾注してきた。

いまだにそれは進められていて
環境や自然は変えられている。
壊しているといっても良い。

そして、これもあたり前の話しだが、
そうはいってもその反作用で
我々も変えたはずの外界から影響をうけている。

相互の関係のなかで
我々を含めた自然全体が
変化していることも間違いのない事実だろう。




2003.5.23

植林とか環境を元に戻す作業をすることは
一見自然を元にもどしているように思えるが、
けしてそうではなく
あくまで人口物を生み出すことや
自然を変化させていくことにつながっている。

しかしそれはしかたのないことといえばいえる、と思う。

もともと人間は社会的動物としても
自然の動物としても社会や環境に無縁ではなく
お互いに変えたり変えられたりする関係なのだ。




2003.5.24

たとえもし、
人間が自然の動物としてのみ生活したところで
環境を消極的にであっても
なんらかの形で力を加え変えていくことになっているのを
止めることはできないし、修復しているように
見えてもそれはけして元に戻したことにはならない。

つまり変わっていく自然は元には戻らないし
不可逆なものである、ということだ。

まして積極的に社会や環境や自然を変えていくことを
生業としている人間は
大きくそれを変える反面それから大きく影響をうけることも
避けられない。



2003.5.25

前にも書いたように江戸時代は
今よりずっと
環境と自分たちの社会と
共存させていくことがうまくできていたという。

それよりもっと科学技術文明の発達した
現代ではそのような共存も
もっとうまくできていて良いはずなのだが
少なくともこの数十年をみる限りにおいては
その共存はうまく機能しなかったと言える。

環境は破壊してしまっているし
公害問題もまだ収まったわけではない。

そして環境破壊も公害問題や自然破壊も
まだまだ現在進行中である。



2003.5.26

でもできうるかぎり
その反作用、ネガティブな反作用が
生まれないようにすることはできる。

それを実現することができるのは
やはりこれも環境破壊も公害問題や自然破壊を
引き起こしてきた科学技術文明なのだと言える。

つまり最終的には
人間だけが持つ科学文明の力と人間の意志の力に
行き着くのだろうと思う。

そして
この基本的な考え方やスタンスというのは
その国や国民の価値観や考え方や文化や
あるいは文明の発展度や技術力や科学技術の発展の程度、
そしてそれらのバランスに
大きく依存しているようにも思う。



2003.5.27

こういう環境や自然とうまく付き合っていくやり方というのは
これからとても大事なことだと思うと同時に
日本はそういうところが
世界のなかでも発達しているというか
もともと自然とうまく付き合う文化を
もっているのではないかと思う。

最近ではこういう擦り合わせの文化というかを
共創とか共生とかいうし
いままでの言い方であれば「共存」とでも言えば良い。

江戸の文化がとても自然と共存したシステムだった、というのは
やはりこれは日本に昔からある美徳といっていいし
優れた資質であるといってもいいのではないか。




2003.5.28

そして
共創とか擦り合わせとか協働とか共生とか
日本が得意としてきた
社会の運営のしかたや
自然との関係のあり方
、、が日本にはあるのだと思う。

自然との関係においても
紆余曲折はありながらも
なんとか自然との間で共生しながら
社会を運営していこうとする
姿勢は世界の中でも先のほうを走っていると思う。

あるいは例えば国際社会においても
力で他国を侵略したり
資源を奪って自国を富まそうなどという
やり方は良い国にもならないし
他国からも尊敬されるような国にはならない、
というのは
自らの体験で学んで来た国なのだ。




2003.5.29

よその国を支配したり奪ったりすることで
自らを繁栄させようなどというモデルは
尊敬もされないしけして続かないだろう。

生物も
環境を変えるばかりの力によってではなく
環境に適応し自らを変え多様性を維持し
進化し生きてきた。

環境にうまく共生したり
適応することができたもののみが
生き延びてきたと言っても間違いでもないだろう。

けして力づくで環境やまわりにあるものを
変化させたり服従させても
それは多分、自分の進化や発展にとっても
良いことではない。

国も生物もきっと同じことが言えるのだと思う。




2003.5.30

そろそろ日本にも
「次の芽」が出てきて良いと思う。

今の若ものには
やる気がなくて困る、とか
勉強をしない、とか
勤労意欲がない、
これが日本を危うくする、、
とかいう単純な話しではない。

変化をとげるため
次の「成長(多分進化といったほうが良いだろう)」にむけて
方向を変えるためのちょっとした踊り場に
日本の人も社会も産業も今はいるのだ。



2003.5.31

問題は
どの方向に芽を伸ばしていけばいいのか、
、、思案のしどころではある。

欧米の過去の歴史に学ぶことも重要だろうと思う。
日本よりはるか昔に
今の日本と同じ
社会や産業の「踊り場」を経験してきているのだから
そこから我々も学べることもたくさんあると思う。

同時に、
日本には日本の伝統的な価値観や歴史がある。

自然やまわりとうまく付き合いながら
社会や産業やシステムを構築していくのは
日本のお家芸でもあったはずなのだから
これをうまく使わない手はない。


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