今日のコラム・バックナンバー(2003年 4 月分)


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掲載は日付順になっています。


2003.4.1

3月19日の読売新聞のコラム「編集手帳」には
こんな一文が書かれていて気になった。


   必ずや人がつまずくだろう危険な石を拾っておく。
   一年後、または五年後、その道を安全無事に通る人々は、
   かつて石を拾った人を思い出しはしまい。感謝されることもない。
   それでも拾うのが、「孤(為政者)」たる宿命である。


なかなか情緒的に書かれているから
なるほどと思わずうなってしまう。

たしかに今の国際紛争を例えてみれば
そんな感じにも映る。

だが、こうも言える。

人々が歩くのは公道であって
たしかに公道に石が出ていて危険ならば
町内会で議論でもして取り除く必要もあるだろう。
だが、
人の家の中にある私道や庭先の石を
誰かがつまずくかもしれないと言って
他の家のものが掘り返しにきたら
それはどうなのか。



2003.4.2

他人の家の中の石が
何かの拍子に公道にころげ落ちてくる危険もあるというなら
それも町内会で議論して
申し入れをしてでも取り除く必要もあるだろう。

その家の人間にあるたくらみがあって
公道に危険な石を落とそうとでも考えていることが
どうも本当そうならば
町内会のみんなで申し入れでもしなくちゃならないだろう。

状況によっては裁判所でも行ってしかるべく対処をしなくては
ならないだろう。

しかし、
力の強いものが「石が落ちてきて危険そうだから」と
他者の家にどんどん入ってきて勝手に踏み荒そうとしたら
それは様々に問題がある。




2003.4.3

自分がそう思うだけで
他者を先行攻撃できることに妥当性を認めるとしたら
それは際限のない叩き合いに陥っていくことになる。

あるいは状況だけをみるのなら
お互いの不毛な侵略行為と変りない

直接的な問題は今回は収まったとしても
こんな「やり方」が国際社会にまかり通っていたら
必ず問題は深まり拡大していくだろう。

町内会にたとえれば
お互いの家のなかにに危険な石がある、ない、の問題にとどまらず
町内会同志や家同志の間で問題が起きた時に不毛な対立を生み出すだけだ。




2003.4.4

短期的な勝った負けたの結果は必ず出るだろう。
軍事力の違いを考えたら
とりあえずそれがどっちの勝利でどっちの負けになるかも
だいたい想像はできる。

それが時間がかかるか
短期ででるかは
その時の偶然や戦術なんかで変わってくるだろうが

いずれにしても近視眼的な目線でみた結果は
でてくるに違いない。



2003.4.5

しかし、もっと歴史的な視座や地球的な規模で
こんどの戦争をみたら
「本当の結果」が出てくるのは
この先相当の時間をかけなければならないことは
わかるだろう。

いや、結果が出てくるのではなく
結果の出ない不毛な混乱に
この数週間で世界規模で入ってしまった、と
理解するほうがたぶんあたっている。



2003.4.6

マスコミやそこに出てくる訳知り顔の識者は
戦争の結果は近いうちに出るとか
ちょっと長引くとか
いろいろ言っているが、
たしかに短期的な結果は出てくるだろうが
本当の意味での戦争は
むしろこの数週間で
始まったと見るべきなのだろうということだ。



2003.4.7

もっとはっきりと言えば
アメリカが勝利した、と
もし近いうちに宣言したとしても
何をもって勝利と言うのか、、、

たぶん勝利などと呼ぶにはほど遠い
戦争の混乱状態がこの先にやってくるだろう。

うがった見かたをすれば
「勝利」はアメリカの軍需産業あたりには
勝利ではあっても

アメリカ全体を含め
世界中どこにも「勝利」は見えてこない。
あるのは混乱と怨念だけだ。




2003.4.8

それにしても識者がもっとまともな議論を
国民の前でできないものだろうか。

戦争おたく、軍事おたく、軍備おたくが
戦争の行方を占うならまだともかく

一流を気取るような学者や識者が
短期の戦術のあり方で戦争の行方を
終結は早い遅い、ああだこうだ、と訳知り顔で
のたまうのはなんとかならないか。

あげくにアメリカは勝利する、という。
たしかにこのままいけば「勝利」し
戦争は終結した、ということになるだろう。

しかし何度も言うが
けしてそれは本当の勝利や終結でないことは
少し考えればわかることだ。

むしろ混乱はこれから始まるのだ。

そのことに言葉と危機感を向ける識者や為政者は
今のところ一握りしかいない。



2003.4.9

それにしてもことばが表層を滑るような話しが多過ぎる。

3月21日の読売新聞のコラム「編集手帳」にも
こんな一文が書かれていて非常に気になった。

   コンピューターが処理する情報はどんな情報であれ、
   すべて「0」と「1」の数字の列によって表される。
   IT(情報技術)時代とは0と1がつくる社会のことでもある。

   中略

   兵器に人道、非人道の区別があるはずもないが、
   「0か1か」の精密誘導弾は少なくとも、誤爆による
   民間の犠牲を最小限に抑えるのに役立つだろう。
   「一か八か」の賭けに、自国民への配慮は微塵もない。


こういうのを言葉遊びという。
少なくとも「一流新聞」の一面を飾るような言葉ではない。




2003.4.10

   「IT(情報技術)時代とは0と1がつくる社会のことでもある。」

とひとことで言い切ってしまうようなコラムニストも
スゴイといえばすごいではないか。

「IT時代はデジタル社会」という言い方であればまだ理解できる。
が、
「IT時代は0と1がつくる社会」とひとことで言い切り
今はそんな時代だとふっておいて
「0か1か」の精密誘導弾だの
「一か八か」の賭けだのと
言葉を遊ぶようなコラムニストにはこの時代を
真摯に捉えようとする気迫も危機感も欠落しているとしか思えない。

言葉遊びとしか思えないような議論のすり替えではないか。




2003.4.11

それにしても
いくら戦時下とはいえ
これほどまでに様々な情報が
様々に錯綜するものだとはと
いささか驚いた。

どこまでが事実を使えるもので
どこまでが歪曲されたり
ある意図のもとに
歪められて伝えられたものなのかが
まったくというほど見えずに

この時期に非常に複雑に動的に
そして広範囲に、もたらされた。




2003.4.12

こうした中で
戦争の状況を伝えるレポートの刻々の変化に
テレビに出てきた識者の
狼狽ぶりをみていると
滑稽を通り越して物悲しくもあった。

むしろ軍事おたくとでも言うほうが似合っているような
「軍事評論家」のほうが
戦局の分析を
テレビ局のアナウンサーあたりと
地図を前に説明している合間に
結構戦争の真実を伝えるような
的確なキーワードを発したりして
したり顔でコメントする一部の識者より
よほどバランスが取れている感じを抱いた。



2003.4.13

ところで今回のことでだいぶはっきりしてしまったのだが、
結果はどう見てもこうなるしかないのだから
日本はアメリカに追随するしかないではないか、という議論がある。

国内の抵抗勢力にあれほど勇ましいことを言っていても
こと海外、特にアメリカとの関係になると
なぜこれほどおとなしくなってしまうのだろうと
残念でもある。

たしかに今も今後も
日本の社会や産業にとって
エネルギーや石油資源の確保が
重大な課題であることも十分わかる。

でも、だからと言って
ともかく追随していけば良い、というものでもないことも
主権を持つ国家として当然考えなくてはならないことだと思う。



2003.4.14

ともかく何が起きるのかわからない時代ではある。
どちらかを立てればどちらかが立たない。
単純な二者択一は困難な時代でもある。

正義はこっちだとわかっていても
あえてそれが選べないこともある。

しかし、あえて今必要なのは
相手が声が大きくヤバンで横暴な友人であっても
それが将来に渡って互いに必要であって
(そうでもないのかもしれないが)
緊密で重要な間柄であろうと考えるなら考えるほど
言うべきことはきちっと言える
姿勢と基軸と歴史観をはっきりと持つことだろうと思う。



2003.4.15

べつに現実を見ないとか情緒的すぎる話しでもなんでもない。
遠い将来に向かって
いまから布石をうつべきだと思うのだ。

少なくとも経済的利益だけを見通して
つながろうとするような「友人」が
相手や周囲から尊敬されるわけがない。

長い目で見て
最終的に経済的理由等から
望まない選択をすることになっても

そのことも含め
歴史観のなかにきっちりと位置づいた
議論を先導していくべきだと思う。

少なくともすべてのことは
歴史が証明するのだろうから
後世の人々に恥ずかしくない国としての
対応だけはしておく必要がある。



2003.4.16

イラクの隣国まで覇権を及ぼすといい始めているように
相手はいままでになく横暴な為政者であるが
同時にこんな為政者がこの時期にアメリカで支持されてきている背景や
(とはいってもぎりぎりのところで大統領になったはずなのだが)
今後もそんな状況がいつまでも続くのか、という
この先のことも考えてみなければならないと思う。

少なくとも
クリントン大統領の時代の副大統領で
前回の大統領選挙でブッシュ氏と最後まで争った
人物がいるのもまたアメリカである。

不幸なニューヨークの事件があったことが
その後のアメリカの方向に
重要な外力を与えたことも間違いないが、

だからといって
今後もいまのアメリカがこのままの勢いと方向を
示すとも思えない。
それなりの「復元力」をもつのもまたアメリカでもある。




2003.4.17

多様な国で、包容力や復元力に優れた
アメリカだからこそ
もういちど世界からあこがれをもって見られ
尊敬される国に
「たちもどる」ことは考えられるし
そうでなければまた困る。

もし将来を見通して
日本の存在感を示すのなら
ここはアメリカや世界にむけて
基軸をしっかりと持ち
世界のあるべ姿やビジョンをしめすことに
注力すべきだと思う。

それが過去に悲劇的な戦争や被爆の体験をし
戦争に対して対抗できる経験と意識をもつ
国ならもつべき
世界に対する「説明責任」でもあるのだと思う。




2003.4.18

これは国際的な政治の話しだけの話しではない。
産業の面でも同じことだ。

この戦争が形のうえで収束しても
(実際は収束したのは形だけで後始末や混乱は
世界を巻き込んでいかざるを得ないだろうと思う)

引き続き日本や世界は
経済の混乱への対策が求められる。
問題は山積みだ。

テレビも早速
イラクの今後と共に
世界の経済問題に焦点を当て始めている。




2003.4.19

戦争が収束すれば株価は安定するなんてのんきな意見を
よそに株価は最低のラインまでお落ちてきてしまった。

いよいよ
時の為政者による経済政策は正しかったのか、という
意見がこれから勃発するに違いない。

これへの為政者や経済を運営する人達の解答は

   株価の低迷は日本だけの話しではなく
   世界的に低迷している。

とか

   構造改革の結果はすぐには出ないのだから
   すぐどうのと言われるのはいかん、
   やるべきことはやっている。

という意見だ。



2003.4.20

よく抵抗勢力が批判にさらされ
改革勢力から言われるように

構造改革や不良債権処理ばかりやっていて
経済はお先まっくらになってしまった、
とは筆者は思わない。

何もやっていないわけではない。

例えば
セフティーネットはたしかにはられつつある。
創業やビジネス創出への施策も行われている。
技術開発を行うための施策も整備されつつある。

細かくみていると
結構、驚くほど産業施策や経済活性化にむけての
試行は行われているように思う。



2003.4.21

しかし、長い間日本の産業や社会に
覆い被さるように存在していた古い構造は
まだまったくといっていいほど改革されていないし
既得権や補助金で生きていこうとするような
土建国家の様相もまだまだ、というより
しっかりと残されている。

そこから生まれてきた問題点も
まだ処理が済まない部分が多い。

「竹中プラン」が実効性を示すと
ますます景気が悪くなるという意見もあるが
そんなに変ったことをやっているとも思えないし
むしろ銀行や抵抗勢力が抵抗をしめしていることのほうが
問題を次々に生みだしているようにも思える。



2003.4.22

江戸時代の「上杉ようざんの藩政改革」ではないが
改革は
一歩前進二歩後退、二歩前進一歩後退、
を繰り返して
少しづつ進んでいくのだろう。
多分、最短距離などない。

「上杉ようざんの藩政改革」も
ふたをあけてみれば30数年にわたり
なんどもなんども試行錯誤を繰り返すことを
強いられた。

短期的な上昇や下降は極力さけるべきだろうが、
結局は長期間にわたる「低迷からの脱出」を覚悟して
地道に懸命に産業を興したり
経済改革や社会の改革を進めていくしかないのだろうと思う。




2003.4.23

何にしても
必要なのはビジョンである。

日本がどんな価値観を重視し
どこへ向かっていくのかを
国民に向かって提起されるべきだと思うし
それが広く理解しなければならない。

国民が一億火の玉になるべきだ、などと言っているのではない。
みんなが同じ方向を目指して進んでいくなんてまっぴらだ。

でも「豊かさ」や「価値」を生み出していこうとか
自立していこうとか、そういう大まかな方向が
提起され、同時にそれに対していろんな意見が
国民のなかから巻き起こり検討されることが
重要なのだろうと思う。

これは経済に限らない

社会も国際社会に対する姿勢も同じことだと思う。



2003.4.24

この閉塞状況のなかから
何か新たなものやこれまでとは異なるものを
生み出していくべきなのではないか、
、、という意見や気分は最近高まってきているようには思う。

「日本はデフレ」と言われてコマッタことだ、と
思っているうちに
デフレが当たり前のような気分にもなってしまった。

だけど、簡単にいってしまえば
物を生み出すのにかかった価値の合計が
消費されて行くときには
それよりも低い価値しか生み出せない、というのがデフレだ。

これが続いていけば世の中はどんどん価値や豊かさが
失われる、ということでもある。




2003.4.25

どんなに生産活動をしても
新たな価値が生み出されていかなかったら
生産そのものはいずれ衰退する。

原始時代にもどっていくようなものだ。
こんなことが続いていいはずはない。

真面目な生産者や製造業や価値づくりの担い手は
こんな状況が正しい有り様であるはずはないと
思っているから
なにかそんななかでも価値を生み出すことを
目指しはじめているといっていい。




2003.4.26

この閉塞状況のなかから
何か新たなものやこれまでとは異なるものを
生み出していこうという気分が

例えば通常の生産の現場や
あるいは
町の商店街や若者たちのなかにも
クラフト製品や町の名物を創ってみようとか
もっと言えば自分たちの「ブランド」の
ようなものを生み出していこうとするように

最近高まってきているように思う
いたって健全な感覚だと思う。



2003.4.27

いずれ先細りのデフレ状況は
どこかで変わっていくに違いない。

それはきっとテレビなんかで盛んに宣伝されているような
為政者による目の先のデフレ対策とかじゃなくて

こういった価値を生み出す現場に携わる人々の
健全で真面目な行動のなかからのみ
変わっていくのだろうと思える。

目先のデフレ対策も必要なのだろうが
きっともっと必要なのは
これらの「価値づくり」を加速し、
必要によっては手助けすることなのだろうと思う。

国の施策もそんな方向に
若干は向かいはじめている感触もある。





2003.4.28

SARSがアジアや中国で流行っていて
経済的にも大混乱の様相を呈している。

SARSについてはちょっと胡散臭いような
ゴシップ雑誌の記事なんかもあって
しばらくはいろいろすったもんだがあるだろうが
いずれ近いうちには収束していくだろう。

もちろん慎重で迅速な対応が必要ではある。

ところで中国の話しだが
ここのところのSARSの件でちょっと
話題が違ったほうへ振れているのだけれど
経済が大きく発展している国、である評価は
今後も変わるわけではない。



2003.4.29

しばらくすればまた中国の経済発展の様子を
伝えるテレビ番組なんかが
お茶の間を賑やかに、
あるいはなんとも言えない失望感?で包むだろう。

それほど今の中国の経済発展は
今の日本にとっては
悩みの種であったり失望の種であったりする。

で、こんな「比較」が
日常的に行われてしまうと、、

、、いや、誰がやっているというわけではなく
日本人全体のなかで
もう日本は駄目だとか
中国には経済や製造業の分野でおいつかれて、あるいは
追い抜かれてしまうだろう、とか
もう抜かれているとか、
そんな意識への刷り込みが日常的に行われているわけで

それが当然であってもうどうしようもないのではないか、
という悲観論が蔓延しているように思う。




2003.4.30

一時期あった根拠のない楽観論も問題であると思うが
しかし、根拠のない悲観論も問題ではある。

たとえば
ちょうど先日のテレビ東京でやっていた
「ガイアの夜明け」は
中国の経済が生んだ人材能力の格差や競争を扱っていた。

中国からアジアの奇跡と言われるシンガポールに
働きにいこうと考えて力を付ける若者や労働者や
アメリカなどから優れた人材を中国に呼び込もうと
している人材派遣企業がアグレッシブに
産業を支えている姿がレポートされていた。

失業者も膨大だが
やる気まんまんで経済を牽引しようと
時代の経営者を目指す若者や新興企業の数も膨大だ。

そんな姿はしばらくこの日本では
見受けられなくなったと思うし、
どうしても比較して悲観的になっていく自分に気づく。



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