今日のコラム・バックナンバー(2003年 2 月分)


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掲載は日付順になっています。


2003.2.1

技術者や暗黙の知のなかに収まっている
優秀な製造技術がちゃんとしたデータをして
扱われないまま失われていったり

海外に人と技術が制御されないまま
野放図に流出していったり

もともと、日本の家電も自動車も半導体も
安く大量に作りさえすれば
世界中に販売できると考えて
集中豪雨のように作っては世界中に流しこんできた。




2003.2.2

20世紀の世界に日本のものづくりが貢献したことは
間違いないことだしうらやましがられていることも
間違いないことなのだが
一方で世界から「尊敬されていない」ことはなぜなのだろう。

あげくのはてが
デフレであったり
格付けの先進国最低のレッテルだったり
日本バッシングならぬパッシングであったり
するわけで

考えられる問題点は
これはもう戦略性の欠如と
ビジョンの欠落しかないではないか。




2003.2.3

工業生産力がいくら低迷したり停滞しているとしても
まだ日本の工業と産業の潜在力と可能性は高い。

優れた飛行機乗りならぬ優秀な技術と技術者も
日本にはたくさんいる。

優れた中小企業群と
その独立した経営を自分で決定できる
自立し自律できる多くの経営者も多い。

真面目で働くことやものを生み出すことを
喜びとする人々ややりがいとする人々もたくさん居る。

ならばいったい何が欠落しているのか、どうするべきか、
それを本気で考えること。
今の日本の再建への鍵はそこにある、と思う。




2003.2.4

衝撃的な映像だった。
シャトルが煙を流して落ちていく。
いままで起きた宇宙開発事故でも
最大で最悪のものだったと言っていい。

宇宙の開拓の歴史に命を捧げた飛行士たちに
深く哀悼の意を表したい。

聞けばだいぶ以前より
シャトル運行上の危険性が増していることが
指摘されていたのだという。
今回事故を起した「コロンビア」も
すでに20年以上の年を取っていた機体だった。

ただ、古い機体ではなく新しい機体であれば
原因とされる左翼へ落下物が当たる衝撃が原因となっての
事故がおきなかったかどうか、と冷静になって考えれば
これは安易に古い機体だったことが原因、とは言えないはずだ。




2003.2.5

落下物が機体に当たるなどということも
100回に及ぶ飛行回数のなかで
たぶん予想もしていなかったことだろうから
よくよく不運だっというしかない。

ただし残念ながらそういうことも含めて
危険性を予知したり
様々なシュミレーションをする余裕も
最近はだいぶ縮小されてきたことが
やはり事故の遠因にもなっていたことは
否めないだろう。

やはり深く考えてみると
本来であれば避けて通ることができたはずなのに
呼び込んでしまった人為的ミス、
、、というものはあるということだろう。




2003.2.6

返す返すも残念な事故だった。
しかしそれにしても
シャトルが空に向かって飛び立っていく光景は
胸が踊るものがある。

一度スペースシャトルが
空に向かってリフトアップしていく光景を見たいと思う。
残念ながらその機会にはまだ恵まれていないが
たぶん機会はいつかめぐってくるだろう。

2001年宇宙の旅、ではないが
200万年に及ぶ人間の進化の歴史のなかで
その母でもある地球を自ら創った道具に乗って
飛出していくなどという行為は
人間としての行動の究極的な行動ではないかと
いつも思う。



2003.2.7

その光景には強い意図や意志の力を感じる

戦争というヤバンな行為を繰り返す人類がいる一方で
こんな創造的な行為を自ら行う人類もいる。

どちらが本当の人類の姿なのか、、。
いや、
どちらも人類の姿なのだろう。

戦争などという行為を繰り返す人類には
いささかの同情もできないし
忌むべき行為として徹底的に批判しなければならないけれど
一方で
果敢に宇宙にその腕を伸ばそうとする人類には
最大の敬意を払いたいと思う。




2003.2.8

退歩するようなことばかりやっている人類ではあるが
一方で
こんなことができる人類には
少しは進化する可能性もあるのだろうと
信じてもみたくなる。

ところで、
宇宙開発に限らず
科学技術の発展には
費用や努力や様々な「犠牲」が
つきものであったりする。



2003.2.9

こんどのような事故が起きると
必ず、こんな大きな犠牲を払ってでも
宇宙開発をする必要性があるのか、という意見が出てくる。

これに対する解答としては
宇宙開発など
先端的な研究や開発や実験や探索を進めていると
そこから新しい素材開発や技術開発など
様々な要素技術が生まれてきて
それが「人類の普通の生活」に
良い影響や役にたつ影響を持つから
こういう先端的開発も重要なのだ、という意見がある。



2003.2.10

しかし、それはたしかではあるのだけれど
はたしてそれだけが「宇宙開発」など
先端的な開発が尊いとか重要だとかの理由になるのだろうか。

はるかな宇宙にしても
原子の世界にしても
我々の目の前のそこに存在しているにもかかわらず
そしてそこにある事実への探求行動に対して
人類の認知ははるかに及ばない。

いいかえれば、真理への探究活動は
人類の進歩とともに進みこそすれ
けして終わることはない。



2003.2.11

およそ
200万年前と言われる猿から人類への進化の歴史は
自分のまわりにあるものの存在を認知し、
そこへの働きかけを始めた瞬間から
人類の進歩は始まった。

樹木の上の生活から地上に降りることを
選択した瞬間から
未知に向って
自分で道を選択し自分で歩み
自分の生を精一杯拡大することをいやでも
行わなくてはならなくなった。

だが、一方で、道具を自ら生み出し
豊かな未来像を想定し
その道具を使って未来を創っていく自由を
手に入れることもできた。



2003.2.12

それ以降も
様々な未知への恐怖や畏怖と
それを乗り越える努力と探知を繰り返し
同時にそれを行おうとする自分自身を知ることによって
人類は人類として
進化することができたのだと思う。

人類の未知への探求は
やむにやまれぬ人類、ひととしての
基本的な行動だと言える。

はるかな宇宙であろうと
目の前の原子の世界であろうと
そこへの探知を止めることはできないし
もしそこで探求を止めることは
それは人類の進化の歩みを止めることでもある。



2003.2.13

まあ、有人による宇宙開発は
やめたほうが良いとか
費用がかかる宇宙開発はやめたほうが良い、とか
その時々の政治や経済や国と国の関係や、によって
探求のスピードが変わってしまうことは
しかたのないことだろう。

一方で
アメリカが宇宙開発のリーダーであり続けるためにも
宇宙開発のスピードをゆるめてはならない、
という意見も今後高まってくるだろう。

だが、結果的にいろいろ意見が出てきても
宇宙開発は進んでいくことは間違いないし
状況が整えば開発スピードが再び加速することも
たぶん間違いない。




2003.2.14

ところでこれは宇宙開発の話しに限らない。
「ものづくり」でもそうだし
ものづくりを含め
社会や産業、家庭、人々のために
価値全般や豊かさを生み出すことも
同じことだと思う。

もう必要とするものはない、とか
物質的なものは満ち足りてきた、とかいう
意見がいろいろなところで話しに出る傾向があるが
けしてそうではない。



2003.2.15

さすがにここ数年は
所得が延びなかったり
企業決算も芳しくなかったりするせいで
「欲しくても買えない」状況が続いているから
欲しいものはないのではないか、というような話しは
以前ほど聞かれなくはなったが、

しかし、「需要が延びない」そのわけを
「人々や社会全般が必要とするものがなくなってきた」
、などという論は
いまだに需要が延びず
ものが売れないことへの「言い訳」として
ものづくりの現場やあるいは為政者の経済や需要の低迷の
説明する論拠(と言えるようなものではないのだが)
としてあるように思える。




2003.2.16

しかし、ものづくりも宇宙開発も含め
人類はますます豊かで価値のある生活や社会を望んでいるし
未知の世界や知識への探求は止まることはない。
それへの希求は強まることはあっても
減ることはない。

いわば
人類の必要としている価値への「探査」は
まだまだ始まったばかりだ。

まして今後、
その「価値」は「人類」というよりは
一人ひとりにとっての価値や豊かさの実現にむけて
最大化されていかねばならないだろう。



2003.2.17

「一人ひとりにとっての価値や豊かさの実現」と
書いたがそれは並大抵のことでは実現できない。

いま現在でも
それぞれの一人ひとりは
自分の思った生活や豊かさにむけて
自分でイメージや夢を作りあげ
自分で選択し
自分で実現にむけて行動する行為を
それぞれにしていることは間違いない。

しかし、自分をとりまく外界、、、
環境や社会や産業の制限や科学技術の限界から
その自分の持つイメージや夢を
実現することはそう容易いことではない。




2003.2.18

その壁があればこそ人類は進化し進歩してきたのだし

自然界の動物のように
取り巻く環境や自然に
生活や生命の維持にかんしてさえ
影響を受けていた大昔に比べれば
そこから自由になるために
着実に人類は進化もし進歩もしてきた。

その時その時代の科学技術や知識を
精一杯使い、利用し
時代のくびきから一歩でも前に出て
自由と豊かさを手に入れる努力をしてきた。

しかし、これは永遠に続けなければならない作業なのだろう。




2003.2.19

最後はその一人ひとりにとっての
豊かさや価値を実現することや
あるいは様々なものからの「かぎりない自由」を
手にいれることでもあるはずだが、
それに至るにはまだまだ、というよりたぶんは
永遠の作業を繰り替えすことになるだろう。

例えば少なくとも
同じ地球に住む人類として
片方に富(けして価値や豊かさではないと思うが)が偏在し、
片方に貧困と戦争が存在している地球そのものは
けして「豊かな社会」とは言えないと思う。

そんな状況があること自身、一方で富を誇ってみても
けして真に豊かな状況とは言えないと思える。




2003.2.20

そしてそれを実現することの困難さは
この数年を見ていても
課題や問題の深刻さが明白であるにもかかわらず
問題の解決はなかなか遅々として進まない。

社会と個人の関係にはいつまでたっても
いつも解決つかない課題が登場しつづける。
これが解決しないかぎり
本当の意味での自由にはなれないだろう。

「一人ひとりにとっての価値や豊かさの実現」は
実は他人を含め社会全体の自由や豊かさが
実現されていかない限りは
自分自身も自由にも豊かにもなれない、
というジレンマをもっていると思える。




2003.2.21

要は自分だけの自由や価値や豊かさの実現は
社会や環境との関係のなかでこそ
実現できるものではないかということだ。

また、
こういう一見、情緒的な(本当はそれも重要だと思うが)
話しでなくて
物質的な話しに絞ってみても
「一人ひとりにとっての価値や豊かさの実現」
はそう簡単な話しではなく
非常に困難であったり大変な作業を伴う。




2003.2.22

「一人ひとりにとっての価値や豊かさの実現」を
「ものづくり」という側面から考えるだけでも
少量生産や一個生産には
とてつもない社会的な、あるいは
物理的エネルギーが必要となる。
(本当はそれが時代と共に変化しはっきりいえば
低減させていくことが科学技術のもっている
性格と使命なのだろうが)

で、実現していかなければならないことなのだけれど
一方では
環境問題や省エネ問題からすれば
エネルギーは無駄に使うべきでもないし
資源も有効に利用しなければならない。




2003.2.23

それも含めて
社会全般のエネルギーを
大量に浪費することは許されないことだが、

「一人ひとりにとっての価値や豊かさの実現」のためには
一つひとつの価値や豊かさを生み出すための
作業に細かな作業が必要になることは間違いなく
そのためのエネルギー、というよりは
作業量は減ることはなくむしろ増えることになる。

人類の行動はエントロピーの増大に向かう、と
誰かがいったが、
それはあたっていると思う。




2003.2.24

そう言えば
この前、NHKの「人間講座」とう番組で
東大の松井孝典教授という人が
「宇宙からみる生命と文明」という
講座を開設していた。

http://www.nhk.or.jp/ningenkoza/200212/tue.html

   地球環境問題をはじめ、我々の存在基盤をゆるがす課題に
   何ら手を打てない今、150億年・150億光年の時空スケールで、
   我々とは何か、どこから来て、どこへ行くのかを問い、
   新しい文明のありかたを追求する。

とのことで
なかなかおもしろい内容だった。




2003.2.25

講座の最後のほうで松井先生が

人類が永遠の存在だと考えるほうが無理がある。
というような意味のことを言っておられたが
なるほどそれは言える、と強く思った。

でも、もしそうであるなら
人類が未知に向かって探索を繰り返すことや
一人ひとりが物質的に豊かになることや
人々が様々な価値を生み出すことは
一見無駄な作業のようにも思えてくるではないか。

先生も
人類は限界や永遠の存在であるにもかかわらず
人類は知識を得、進化し続けることを
やめるわけにもいかないのが人類の特質でも
あるのだというようなことを言っておられた。



2003.2.26

たぶんはこの先何千年も
人類の歴史や進化の過程、には続くのだろうと思うし、

だれもが永遠にとは言わないまでも
しばらくの時代は
地球と人類は終わらない、と思っているのだが

でも冷静になって考えれば
少なくとも今のような社会システムや産業システムが
この先しばらくは続くとしても
今後何百年も続くとは考えられない。

今の経済や社会システムが完成された姿だと
考えるほうが無理がある。




2003.2.27

いや、価値の生み出されかたや作られ方や
富や豊かさの分配のしかたも
この100年、、もっと細かくみればこの50年ほどで
大きく変ったことを考えるならば

これほど時代が変遷としている時代なのだから
ここ数十年、あるいは数年で
その未来へ向けた変化の可能性の「片鱗くらい」は起きて当然と
考えたほうが無理がない。

まして
生産性や情報技術やものの作り方、エンジニアリングの手法も
大きく変りつつある。

自分のまわりにある光景だって
しばらくすると
様変わりしたり、驚くほどの変化を見せる。




2003.2.28

自分のこどものころのことを
思い出してみれば
いかに変化しているかがわかるが
毎日の変化だし昔のことは忘れてしまうから
変化を感じ取れないだけだ

で、あれば
この先今の「状態」が「常態」であると考えるほうが無理がある。


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