今日のコラム・バックナンバー(2002年 11 月分)


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掲載は日付順になっています。


2002.11.1

なかには中国にみんな行けば良い、という意見も
多数見られてもいる。

それはそれで否定はしない。

中国やアジアでは
日本において40年以上前から行われてきたはずの
産業勃興の様子が再び再現されるんだろう。

そこに日本の企業や資本が参入して
再びはじめからあたかも創業するように
新規事業をおこすことも
不可能ではないだろう。




2002.11.2

日本の「本社」に足を引っ張られないように
いわばすべてを中国アジアビジネスに
投下する位の気持ちで行えば
中国の経済発展と歩調をあわせるようにして
企業が発展する可能性も低くはない。

が、「日本の不振な分」を中国アジアで
取り返そうというのであれば
そうは甘くない、と思える。

中国やアジアで仕事をはじめている企業や人々は
けして甘い商売をしているのではなく
そこではそこなりに必死な商売をしているのであって
そこに日本の負の遺産?みたいなものを
引きずって商売をはじめてもうまく行くはずがない。



2002.11.3

中国やアジアの人々が
必死に生産や経済活動をしているなかで
同じ中国やアジアで商売して
やっていけるのは
彼らと同じ土俵と背景に
立ちながら事業を進めていくしかないだろう。

あえて日本の本社とうまく「共栄」していくのなら
それぞれが独立した事業として自立し
お互いにメリットが生まれてくるように
組むしかないだろう。




2002.11.4

もしもっと優れた相手としての企業があるなら
本社子会社の関係を捨てて
そこと組むくらいのことをしなければ
本社子会社が共に生き延びていくことは難しい。


一つの選択肢や
あるいはビジネスにとって
重要な要素の一つとしては
重視すべき中国アジアではあるが

かといって
安易に中国ビジネスを考えるべきではない、と強く思う。





2002.11.5

日本で為すべきことはないのか、
本当に日本の製造業の未来は「お先真っ暗」なのか、

不良債権処理も必要だし、構造改革も必要だ。
中国アジアの製造業はたしかに圧倒的でもある。
でもそれと日本の製造業の未来を
少なくとも日本の中小製造業の未来を
ミソクソ一緒にして判断してはならない。

困ったコマッタ、というのは容易いが、
民間も国も本当にどうすればいいのか
深く考えてきたのだろうか。

ここらで本当にふんどしをしめて
考えるべき時期にきているのではないか。




2002.11.6

日本の製造業の目指してきたおおまかな方向は

いままでの日本は高度な加工や生産やものを目指す
「高度化の方向」と

同じものをできるだけ安価に大量に生産する
「大量生産の方向」の

二つの方向だったと言える。

もちろん、それは複雑に絡み合っていたり
お互いがお互いを補完するような役割をはたしてきた。

特に技術の面では「高度化の技術」が
「大量生産」を補強したり支えてきたりしている。
また、「大量生産」による市場の要求の高度化が
より高度なものや技術を目指さざるを得ない状況を
生み出してきた。




2002.11.7

いまの日本で
問題になっているのは
この二つの方向のうち
「大量生産の方向」を目指してきた生産の現場が
主に生産コストの問題から
アジア中国に生産がシフトし
国内の生産現場で行う仕事がなくなってきた。

国内の生産量が減るのであるから
当然、生産子会社やそれに関係した
物流や様々な会社が
必要でなくなってきた、という
まことに単純な話しだ。




2002.11.8

いままで日本国内で作ったものも
日本国内の市場向けに作っていたものもあれば
アメリカや中国アジアなどの海外向けに作ったものもあった。
でも今はその両方が
中国やアジアで作られるようになってきているのだから
たまったものではない。

今後日本にそういう「ものづくり」が再び国内にもどってくる、
という超楽観的な話しはさすがに最近は聞かれないが、

問題の根底にある深刻さや危機は
まだむしろこれからだ、という
認識をもっている必要があると筆者は考える。




2002.11.9

国内にあっては当然、
中国やアジアで「大量生産」を行うための、
あるいは現地生産するための
「高度な生産」を行うという方向が選択肢として出てきている。

たしかに、
金型とか専用機械とか自動機、省力機器等も
中国で大量生産を支えたり
そうはいっても先進的な開発や要素技術も重視されていくだろうから
そういう仕事に向かっていくというのはおおいにありだとは思う。

でも、それさえも中国アジアへ結果的にシフトしていくのは
時間の問題と言ってもいい。

誰もが気がついていることだ。



2002.11.10

高度な技術の分野であっても
日本で行う部分と中国アジアで行うことを
連携させたり
あるいは日本で開発を先行させて
その具体化や用途開発などを中国やアジアで行う、
というやり方もでてくるし、実際、そういうやり方が
多くなってきてもいる。

そう考えてくると
今後中国とのものづくりを考えてみると
大量生産の現場が中国にシフトしていく、という話しで
収まっているはずはない。

今後、もっといろんな形で
もっとある意味で「複雑」で「深刻」な状況も
生まれてくる可能性はある。




2002.11.11

そういう点では
日本で行うべきは先端的な先進的な開発や
研究に力を入れていくべきだ、
というのはたしかに間違いではないが、

同時にもっとその先を見通した戦略が必要に
なることもまちがいない。

、というか、それなくしてこのまま先に進めば
もっと状況は深刻、かつ、危機的な状況を
生み出すことにもなりかねない。

もっと更に高度な技術を日本の国内で進化させたり
「日本のお家芸」に据えておくためにはどうしたらいいか、
競争力を維持していくために何をなすべきなのか
を考えることが今緊急に必要になっていると思う。





2002.11.12

日本の構造改革の遅れや不良債権の処理など
戦後の日本の社会や産業が
本来的に抱えていた根本的な問題が
この10年のうちに
一気に表に出たかたちで
いやというほど次から次へと
襲ってきてしまった。

だが、昏迷の度合いはますます深まり
解決しなけばならない課題は
むしろこれから出てくるとも言える。

事態の深刻さは深まりこそすれ
簡単には好転することはなさそうだ。

だが、
次の時代に向けた夢を想定するのが産業人の使命でもある。
それを生みだしていく作業や知識や頭を絞ること自身が
この難局を乗り越えるための方策でもある。




2002.11.13

先日テレビを見ていたら
大手企業の「系列」からの自立を取上げた
番組を放送していた。

自動車メーカーで作られた自動車を
各地へ配送する業務を行ってきた企業が
それまでの「系列」にたよって商売をしてきた状況から
一転、「系列」を脱し
自立して事業を行っていかなくてはならなくなった。

その奮闘しているすがたを追った番組だ。

ただ、筆者は今日的な問題を取上げているが、
ちょっと一面的な切り口だと思えた。





2002.11.14

右肩あがりの産業の時代から
成長が「望めない」時代や低成長であることが当たり前の時代
あるいは「いままでとは異なる基軸」を考えださねば
ならない時代になった。

一方、中小企業においては
「これからの時代は自立しなければならない」と
言われるようになって久しい。
時代は「系列」を否定すべきものとしているようにも思う。
系列は「もたれあい」とか「自立しない温床」のように
言われることも多い、、、というか
まんま紋切り型のレッテルが貼られている。

だけど本当に系列は否定されるべきことなのか、
筆者には疑わしい話しだと思える。




2002.11.15

いままで「系列」と一言で呼ばれていた
「仕組み」にも
実はいろいろあって
テレビでやったような
「持たれ合っているような系列」では
これからの時代にはだめだ、ということであって
けして「系列そのもの」がいけない、ということではない。

実際、最強のトヨタ自動車なんかは
いまだに「系列」を重視しているし

もし「系列」が問題ありとするなら
トヨタ自動車はとっくに問題企業になり
競争力を失っているはずなのだが
そんな話しは聞いたことがない。




2002.11.16

持たれ合って、自立せず、やる気のない企業
自分の存在価値を示すことができないような企業が
親企業にぶら下がっていることを「系列」というのなら
たしかにそういう系列は否定されるべきものだ。
もうそんな企業間の関係で
お互いに生きていけない時代なのは
はっきりしている。

逆に
そういう現象をあえて「系列」と呼ぶなら
トヨタ自動車のそれは「系列」と呼ぶようなものではない。




2002.11.17

互いに自立し自律し
お互いの存在を認めあいながらも
けしてよりかからない。

お互いと自らに対する評価を冷静に行い、
為すべきことを徹底的に行う。

互いの努力によって新たな価値が生まれたなら
お互いにためにより価値がつみあがっていくように
努力する。

そして世界のものづくりの先頭を走るトヨタ生産システムの
重要な部分をこの「系列」が担っている。




2002.11.18

「系列」が持たれあい、ぶら下がり、成長しない、
ことを認め合うような企業関係であるような企業群を
形成しているのであるなら
その親企業の内部も同じような体質が
蔓延していると思って間違いない、
、、と言った人がいたが
それはあたっていると思う。

系列企業間の様子を見ていれば
親企業も子企業も「どっちもどっち」であることが
多い、ということだ。

テレビで取上げていた企業が「構造改革」に
苦労しているのが実際なら
その親企業だって同じような苦労を
しているに違いない。




2002.11.19

問題は「系列」であることではなく
その「系列」や「企業グループ」の持つ
「ビジョン」の違いに他ならない。

もたれあうのか。
支えあうのか。

「WINLOST」なのか。
「WINWIN」なのか。

新たな価値を生み出さずに既存のものを食いあうのか。
新たな価値を生み出してお互いにハッピーになるのか。

前者は自動車産業や製造業に限らない。
いままで日本の社会にはそんなビジョンが闊歩していた。
農業にも土木にも公共事業にもそんなビジョンが蔓延していた。

何の価値も生み出さずに
ないものねだりでお互いにもたれ合っていれば
そりゃあ「デフレ」になるのは当たり前だ。




2002.11.20

どんなに構造改革をしようとも
どんなに不良債権処理をしようとも
国の持つ根本的な「産業のビジョン」が
「悪しき系列」のような
新たな価値を生み出さずに
既存のものを食いあったり
持たれ合っているようなビジョンであれば
いくらたっても産業も社会も好い方向には向わない。
デフレが深まるばかりだ。

残念ながら今の日本は「自立」や「自己責任」など
まっとうな主張がいろいろと出てきたように見えるが
実は肝心のところで
まだ「悪しき系列」みたいなビジョンが跋扈している。
政策もそれに代わる新たなビジョンが提起できていない。




2002.11.21

日曜日に放送された「サンデープロジェクト」に
識者が何人も出てきて竹中改革に注文を付けていた。

いままでテレビや新聞でいやになるほど繰りかえされてきた
議論に比べればなんぼか良いと思える話しだったように思う。

いままで「識者」によって話される内容と言えば
中小企業や国民生活を議題しているようで
実は短に中小企業や国民を人質にとって
既得権益を守ろうとする抵抗勢力と
手術の前に健康になるための体力作りと処方箋を
出すことができない構想力にかける勢力との間で
行われる構造改革や不良債権処理の議論というものの
実際は不毛な議論でしかなかった。



2002.11.22

そんななかでようやく
新しい技術を育てていくことが重要で
それにはどうすればいいか、という論調の
識者や政治家がようやく現れてきた。

技術や製品やサービスなど、
新たな価値を生み出すことなしに
この日本の産業や社会を良い方向にもっていくことは不可能だ。

構造改革の必至だし
不良債権処理もやらなくちゃいけない。
これはもう誰もが納得している。
だけど
それだけで話しが終わっていてはまずい。



2002.11.23

一方で
製造業もあらゆる産業も
どうやったら21世紀を生き延びていけるかの
大まかな方向やビジョンを探り構築していくことと
提起されたビジョンに向かって
確信を持ち、実行していかなければならないはずだ。

いままではその部分が決定的にかけていた。
竹中さんも小泉さんも
間違ったことを言っていたわけではないが
その部分が欠落していた、と思う。



2002.11.24

竹中さんの経済政策を当てこすって
学者と政治家は違う、
学者ではこの難局は乗切れない、と
どこかの政治家が威勢よく言っていたが

それは一面的な言い方であって
実際には学者であっても優秀な政治家は
いくらでもいると思うが、
でも、
たしかに今の竹中さんをみていると
経済学者ではあっても政治家ではない、と筆者も思う。

国民に未来への確信を提起できることこそ政治家の役割だ。
こんな時代だからこそそれが必要であって
単なる経済状況の説明と問題点の列記と
対処療法を言っているだけではまずいと思う。



2002.11.25

以前から言うように
未来への確信や信頼があってはじめて
人々は将来への投資や消費を始めるのであって
それなしに
ただ問題点あげるだけで痛みを強要されつづけていれば
株価だって落ちるだろうし
消費だって上がってくるわけがないではないか。

竹中さんも産業創生のことに触れなかったわけではないが、
あまりに遅い。
痛みの強要と産業創生による未来への確信と信頼が
逆転されて提起されてはかなわない。

本来未来への確信と信頼があって
はじめて痛みに耐えることもできる。



2002.11.26

どこかのまともな経済学者が言っていて
なるほどと思ったが、

考えてみれば
人間だって、手術の前に、
こうすれば直るとか、
元気な体になって社会に復帰できる、、、
と言われてちゃんと体力をつけてから
手術に望むのが筋というものだ。

ところが今の日本は
闇雲に手術が先に始ってしまって
体も体力もぼろぼろになってしまった。

ようやく最近になって、体力をつけましょう、と
医者はいいはじめているが、
こんなことになる前にちゃんと体力をつけて
手術にのぞむべきだったはずだ。





2002.11.27

構造改革も不良債権処理も
先伸ばししてはいけない、というのも
まったくその通りではあるのだが
先送りしてはいけなかったのは

元気になった時に実現するはずの希望と夢のあるビジョンと
体力をつける作業とそのための処方箋であるはずだ。

「土建国家」のこの国は
もし体力をつけるために栄養剤を投与しても
それが本来の体力にならず
「無駄なところ」に流れてしまう可能性はたしかにある。

今回の5兆円にもなる補正予算だって
へたをすると「無駄なところ」に流れてしまう可能性は
充分にある。






2002.11.28

公共投資を迫っていた政治家や勢力の相当な部分は
中小企業を守る、といいながら
それを人質やたてにとって
実はそんな「無駄な部分」への利益を代表している人達で
あることももう見え見えである。。

本来、政治家が為すべきは
そこにこそちゃんと目を配らせて
本来資源が回るべきところに資源がいき、
次の時代の準備にかかれるようにすることだ。

規制が緩和されるべきであるのなら
そこに目を配ることこそが政治家の役割だとも思う。




2002.11.29

国民に向かって
痛みの強要と将来への悲観を先にのべているようでは
それは政治家でもリーダーでもなく
学者、あるいは単なる経済評論家、と
言われてもしかたないだろう。

急ぐべきは体力づくりだったはずだが
今はそれこそtoo lateだ。
たぶん、ここまできたら
なすべきことはあまり多くない。




2002.11.30

こんな状況のなかでも
進めていくべきこと、はじめなくてはならないこと
があるとすれば
その第一歩は
少なくとも政治の世界の人達に期待することや
他者に対する持たれあいや依頼心は
やめることだろう。

いまでも放っていけば簡単にそんな「やり方」が
芽生えてこようとするのだが
「たかりの構造」や「もたれあいの構造」のなかでは
この国はこれ以上生きていけない。



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