今日のコラム・バックナンバー(2002年 10 月分)


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掲載は日付順になっています。


2002.10.1

さっきもNHKのETV2002という番組で
日本の中小企業のM&Aについて扱っていた。

なんでもここ最近中小企業のM&Aが多いのだというが
国内の中堅大手とのM&Aが行われていると同時に
中国企業の日本企業へのM&Aも増えているのだという。

優秀な技術と歴史の蓄積を持つ日本の中小企業が
買収の対象になっているということだった。

国内のM&Aについては
事業継承者がいないということから
事業を大手などに売却することで
雇用と地域の産業を守っていくのだという点で
納得できる話しではあったが
中国からのM&Aについてはちょっとナーバスに
ならざるを得ない。





2002.10.2

昨日、中国に進出している日本企業に
勤めてマネージメントをしている友人が
中国が今休みだから帰ってきている、とかで
遊びに来てくれた。

この間の問題意識が当然話題になって
ここに書いたようなことが話題にも出た。
なるほど、基本的には
テレビや新聞で報道していることは間違いないらしい。

ただ、やっぱり日本の技術の集積や
産業集積の厚みは誇れるものではあるとのことだった。
中国企業が日本の中小企業を買収するなんてことが起きてくるのも
うなづける。





2002.10.3

彼の話しを聞いていて
なるほどなあ、とうならされたのは
例の日本の大手家電メーカーが
中国の急成長している家電販売店に
デザインを犠牲にした安価な
冷蔵庫を提案したらボロクソに言われた、という
あのNHKで特集した内容の話しだ。

まあ、当然、そんな話しはいくらでもある話しなんだろうけれど
彼いわく、それも彼らの得意な交渉テクニックであって

実際にはデザインに問題がそうあるわけではなく
商売上では充分であるはずで

「たぶん店頭に並ぶ時には
「あの日本のメーカーがこんなに安い!」という
キャッチフレーズで並ぶんだよきっと、、、」

と彼がいうのは、なるほどそんなものかもしれない。





2002.10.4

中国の販売会社の彼らには
デザイン云々の話しは価格を有利に交渉する上での
話題の一つであるだけだったのかもしれない。

であるのなら
やはり今の日本は自信を無くしてしまって
こういう交渉ごとと時でさえ
無用な譲歩や遠慮が起きてしまって
本来しなくても良いことまで考えたりする癖が
ついているのかとさえ思えてくる。

、、それと、この話しを聞いて思ったのは
商売と工業生産の違いについてだ。




2002.10.5

考えてみれば
「ものづくり」はたしかに重要なことで
尊いことなのだけれど

実際に創ったものが
価値を生み出す時っていうのは
お客さんに渡ってそれが本来の使い方をされた時
、できればそのお客さんがそれで満足をしてくれた時に
はじめて価値としてのものを創ったことになる。

情緒的な話しに聞こえるかもしれないけれど
これは情緒的な話しでもなんでもなくて
当たり前の事実だろう。




2002.10.6

工場で形にしたりものを創ったその時も
たしかに価値を生み出したことにはなるが
価値が実現した瞬間というのは
お客さんに届いてなんぼ
お客さんに使われてなんぼ、
ということだろう。

これはコンシューマー向けの製品もそうだろうし
産業向けの製品や技術だって
同じことだと思う。




2002.10.7

だから「ものづくり」ということは
ものが循環して価値を実現するなかでは
その過程のあくまで一つにすぎなくて

実際にはそれをお客に届けたり使ってもらうまで
いろんな形でサービスしたり為すことまでやって
ようやく「ものの価値」を実現したことになる。

で、考えてみると
例えば、最近は情報技術やインターネットの発達とともに
商売の「中抜き」とか「中間商社がなくなる」とか
言われるようになったが

実際には目に見える「中抜き」の本当の
意味をかんがえなくちゃならない、ということだ。





2002.10.8

実際、「中抜き」の本質とは
中間にいた企業なり組織なりが
、、一般的には中間商社、と言われているが、、
本来やらなければならないはずの
「価値の実現」の努力や仕事をしなくなったところや
「ものづくりをやっている企業や組織」が
お客さんのところで価値を実現できるまで
ちゃんとサービスなりのやることをやりはじめて
それに対抗することが出来なかったところ、
、、一般的には中間商社、は
退場していくしかない、ということなのだ。

要は商社であろうがなかろうが
お客さんの必要とする価値を生み出せない企業や組織、
そこにいることが合理的ではない企業や組織は
「抜かれてしまう」「参加させていただけない」
、ということだ。




2002.10.9

逆に言えば
いままで商社に括られていた企業や組織が
御客さんに価値全般を提供していこうという位置にたって
自分でものづくりまで行っていこうという動きも
当然起きてくるわけで
そういうのは最近では「プライベートブランド」と
呼ばれていたりする。

これは逆にものづくりが「中抜き」ならぬ
「さきぬけ」にされてしまう

要はお客さんが必要とする価値を
生み出せたところがすべてを握ると言えば
いいかもしれない。




2002.10.10

だから
「中抜き」とか「中間商社がなくなる」とかいうのは
たしかに表面的にはその通りなのだが
それだけがことの本質ではない。

御客さんが必要とする価値を
どれだけ生み出して届けて使ってもらえるか、、、
それを徹底的に考え
自ら実行できた企業が
お客さんからお金や社会的な資源を託されて
「生き残ること」「事業を継続すること」を
許されるし、そうでないところは
存在することを許されない。

中抜きなんてことばは新規な言葉に感じるが、
中にしても先にしても後にしても
本来当たり前のことがされているのかどうなのか
問われる、それだけのことだ。



2002.10.11

以前も書いたことがあるが
そう考えてくると
この数年、はやりのように言われていて
何の疑問も持たずに使ってきた
「ものづくり」という言葉を貴ぶことは必要なことだし
それ自身を否定はしないが

だからと言って、「ものづくり」が
これからの時代、特に日本の産業や社会の将来に
本当に必要なことなのかというと
そこにはよくよく考えてみなくてなならないことがある、
、と思う。



2002.10.12

あえて誤解を恐れずに言えば
必要なのはお客さんが必要とする
「価値」であって「もの」ではない。

生み出すべきは「価値」であって「もの」ではない。

「もの」は価値を実現する手段の一つにすぎない、と
言ってもいいかもしれない。
ちょっとナーバスな言い方になるが
でも本当のところはそうなのだと思う。

あまりに「ものづくり」という言葉が
今の日本の時代を背景にして
製造業に「はまってしまった」から
どうもこういうことになってしまった。




2002.10.13

話しを最初に戻すと
そう考えてくると
簡単に言えば日本の製造業にはあるいは
「ものづくり」の現場には
やはり商売の感覚がもっと必要だろうと思う。
ものをいかに商品にするかという感覚と言ってもいい。

あえて「もの」を基軸に考えるのであれば
「もの」に何かを足したりくわえたりすることで
お客さんにとっての有用な価値を増やしていくこと、
俗に言えば(本当は俗でもなんでもないけれど)
高く買ってくれるように
ものだけじゃなくいろんな価値やサービスを付加することが
必要なのだろうと思う。

そういうのはものづくりの感覚というよりは
むしろ「商売」の感覚に近い。




2002.10.14

よく関西の商売にたいして
大阪のおばさんたちはデパートでも値引きさせようとする、とか
関西の商売を一種非難するような言い方がある。

関東ではデパートでは値引きなんかしないし
一般に買い物においては値引きさせようとすることはしない、
と言われている。
ま、そのわりに製造業においては
価格の引き下げ交渉はきついのだが、
それにしても
関東の商売のほうはなんだか「高等」であるような
言い方がある。
一方の関西は「ヤバン」である。

これと同じような言い方は
アジアやアフリカの道端の商売にたいしても言われる。
いや失礼、同じだという意味ではない。




2002.10.15

でも考えてみると例えばアジアやアフリカでは
こちらであれば只に近いような仕入れ値のものを
むこうでは日本の観光客とみれば
おもいっきり吹っかけた価格を提示してくる。

さすがにお人好しの日本人であっても
旅行雑誌などを読んでいたりするから
ちょっと割高であると思えば
値引き交渉をしたりする。

当然のように「もの」をはさんで
価格交渉が行われるのだが、
ある意味では至極当然で当たり前の行為である。

関西のデパートで行われるという値引き交渉も
考えてみれば当然の行為ではないのか。




2002.10.16

日本のデパート等で
値引き交渉もせずに物を購入する、というのは
はたして高等な行為なんだろうか。

そのわりに
売り手のほうでは
どこかでバーゲンが始まれば投げ売りをしたり
どこかにものが滞留すれば只同然で流通したり、、

買い手のほうでも
値引きを交渉するということは
考えもしないことと
最初から考えて交渉している。

ものの価格なんて
本来千差万別のはずなのに
同じようなものを同じような価格で売買することに
何の疑問も感じない。



2002.10.17

よくよく考えてみれば
価格がどこで決っているのかも
誰が決めたのかも
わからないはずなのに

買う側に提示されたものを
「買う」か「買わない」かの
選択があるだけというのはおかしな話しではないのか。

むしろアジアや関西のデパートで行われている
値引き交渉なんかがあるほうが
一つの価値をめぐって
作った側や売る側と
使う側や買う側と
お互いの価値のありようをめぐって
やり取りをするということは
本来当たり前の行為ではないのか




2002.10.18

造った苦労や費用と
それにたいして御客さんがいくら支払えるのかは
まったく別の話しなのだ。

だから
あるものが展示されていたとして
それにたいして
自分の思った価格をめぐって
交渉することに何の不思議があるだろう。
本来それはおかしいことでもなんでもない。

一方、創った側も
それがこれくらいの費用と苦労がかかったのだから
これくらいで買って欲しい、と考える必要も
本来はない。

これくらいの価格で買ってくれ
これくらいの価格で売ってくれと
交渉するのが当然の行為だ。



2002.10.19

同じものをどこかで売っていれば
どこかでそれに対抗しなくちゃならないが、
自分だけのサービスや付加価値をそこに生み出すことができれば
値引きする必要もない。

高いからどこか他で買う、と言われたら
他では売っていない、と言えば良い。

逆に
同じものをそこらじゅうで売っていたり
どんなに安く作ってそれをもっと値引いて売ってみても
お客さんがそれに価値を認めてくれなければ
どんなに値引いても買ってはくれない。



2002.10.20

苦労したこととお客にとっての価値とは
まったく異なる。

苦労したこと、
一つしか無いことを演出できる苦労をしたり、
一つしか無いことを生み出したりする苦労と
売ってもいい価格はかけ離れていても問題ないはずだ。
その価格を付ける権利は生み出した人がもっている。



2002.10.21

そのうちにどこかでもっと安く良いものや
機能の優れたものを売っている、という情報が
必ずもたらされることになるだろうが
そうであってもそれにはないものが
自分で付加できればそれで良い。

むしろ
「良いもの」よりは「他にはないもの」のほうが
これからは高い付加価値が生まれる。

日本の製品で
海外メーカーに追いつかれ追い抜かれてしまったものは
「他にはないもの」ではなく
「より良いもの」を単純に追い求めてしまったからじゃないのか、
と言っても良いかもしれない。




2002.10.22

「より良いもの」を目指すことは
間違いないことのようにも思えるが、
実はそこに落とし穴があるとも思える。

お客さんはより価値のあるものを
望んでいることは間違いないし
それを生み出すことが必要なことも間違いないのだが
それは実は過酷な価格競争を行うことでもある。

同じような価値のあるものを
市場に受け入れられるように
より安い価格で供給することが求められるからだ。

同じ目的地に向かって同じところから競争を始める
トラックの上でレースと同じだ。



2002.10.23

そうなった場合、
評価の基準はレースで言えば時間が唯一であり、
ものづくりでいえば価格が唯一である。

であれば「より良いもの」であることよりも
「他と異なるもの」を生み出す方向を
求めたほうが良いのではないかと思う。

「違い」で競うことを考えるべきだと思う。

レースで言えば
目的地が異なるレースをするほうが良い。

消耗戦のような無闇な価格競争をせず
だからといってあくまでお客さんはいるわけだから
ちゃんとしたものや必要なものを作らないと
残ってはいけない。




2002.10.24

頑張って人と異なるものを創って評価されれば
市場は小さいかもしれないが
より深い価値を得ることができる。

だから、
「より良いもの」という意味も
多数の人にとってのより良いものであるよりも
より少数の人にとってのより良いもの、
、、できれば一人の人にとってより良いもの、を
そのお客さんのために実現できるもの、
が必要だということかもしれない。

そう、究極的な「違い、を実現すること」は
個々のユーザーの望むものを
一個だけつくる、ということでもある。



2002.10.25

要は良いものをつくるというよりは
お客さんが必要なものをつくる、
お客さんが価値と認めてくれるものをつくる、
ということが重要なのだと思う。

ものづくりの現場で考えれば
実際には企業の「門」があり
社員もそこから出入りし、
そこから製品や技術が出入りし
お金だって出入りしている。

だけどそこから出ていくのは
あくまで価値総体でなければならない、という視点が
大切なのだろうと思う。



2002.10.26

「商売の感覚」を違う言葉で言うなら
生み出すもの、供給するべきものは
ものではなく価値であって
門から出荷するのは物ではなく価値であること
を重視しなくちゃならないのではないか、ということだ。

「中小の製造業」でできることというのは
限られている。
これはいろいろ言っても
実際、冷静に考えてみればそうだ。

作っているものは部品であったり
機械であったり製品であったり
それ自身はたしかに「もの」であることのほうが多い。





2002.10.27

だから、中小の製造業が一社で頑張っても
あるいは何社かで集まってみても
残念ながらその企業なりが
作っている「もの」だけでは
御客さんに価値を提供することは難しい

サービスやメンテナンスや
コンテンツや情報や、そんな物まで
付加したい組み合わせたりしないと
お客さんの望んでいる価値そのものには
なっていないことのほうが多い。




2002.10.28

以前の大手企業であれば
ものから流通からサービスから販売から
すべてを担うこともできるかもしれない。

でもそれであっても
今はものが売れない時代だ。

どんなにいろんなものを組み合わせても
お客さんがお金を払って買ってくれるとは限らない。
御客さんの望む価値がそこに
形なりサービスなりになっていなければ
御客さんは買ってはくれない。




2002.10.29

御客さんに喜んでもらえるために
何をすればいいのかを
徹底的に考え抜くことが必要で

そういう点では
ものづくりはものづくりで終わっていてはいけないのだろうと思う。

ものづくりに誇りを持つことは
たしかに必要なことではあるけれど、
そこでとどまっていてはいけないのだろうし
それに何をたせばいいのかを徹底的に
考えなくてはならないのだろう。

ちょっと言葉足らずだと思うけれど
製造業のサービス化というのも遠くない意識だと思う。





2002.10.30

それにしても
ここのところの中国と日本の企業の環境や状況の
あまりの違いにしばし呆然となる。

中国市場の大きさと質と状況から見て
ここ当分はそこへ供給するものを
中国なり国内なりで作っていれば
しばらくはお互いに仕事が流通していくことは
まちがいない。

欧米や日本の企業や資本のなかには
それとつながることや
自分自身でそこに参入することで
利益を出し儲ける企業や資本も
たくさん出てくるだろうことも間違いない。




2002.10.31

現実として
ほぼすべての生産行為は
中国を中心として再編されつつあると言っても
あながち間違いでもない。

で、では、日本の製造業は今後どうするか、というのが
一番問題とされていて
それにたいして決定的な解答が
どこからも得られていないのが
現状でもある。

デフレ対策、とか言っているけれど
現実の話しとして
中国での生産と日本の生産で
単純な競争をしていたら
デフレになっていくのは避けられないことで
小手先の施策でデフレが解消するとは
到底思われない。



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